その柱、鬼子につき。   作:瑠璃色砂糖月

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 はじめまして。
 鬼滅の刃の話がとても悲しくて書きました。
 ただただ皆が幸せな話です。
 それでもよろしければ読んでください。


1話「苦労が絶えない1日」

 夜更けになると自然と目が覚める。普段は夜の時間帯に動くからだろう。

 夜明けはあまり好きではない。夜の時間帯に働くという昼夜逆転の生活をしているからだろう。

 外からチュンチュン、雀の鳴く声がする。もう朝か……でも、今日は特に予定もないし、このまま昼まで寝ていても……。

 

「起きてください、(あさひ)さん」

「ごふっ」

 

 ごとん、という音と共にぐわんと体が一回転した。衝撃で頭が痛む。ぐらぐら頭が揺れている。

 

「いったぁ……」

「いつまで寝ているんですか。今日は俺に稽古つけてくれるんですよね?」

「ううん……」

 

 ぼんやりしぱしぱする目を擦りながら目線を上げる。

 そこには不機嫌そうにしかめっ面をして私を見下す継子がいた。手には私が今まで被っていたであろう掛け布団。

 

「……そういえば、打ち稽古するって約束してたんだっけ……」

「何寝ぼけてるんですか。朝餉(あさげ)は出来てますから早く着替えて来てください。だらしない」

「はぁい……うぶっ」

 

 吐き捨てるように言って私に布団を投げつけてくる継子……獪岳(かいがく)はいつも通りの平常運転だった。朝が強い子っていいよな。羨ましい。

 ……稽古時間は少し減らした方が良いのかもしれない。心なしか心拍数が速い気がする。全集中・常中を使っているにしても速い。なんだ、体調が悪いのか?

 なんてことを考えながら大きくあくびして大きく伸びをする。獪岳が少し障子を開けていってくれたおかげで爽やかな朝の空気が部屋に入ってくる。……気遣いは満点なんだよな、あの子。

 寝着を脱いで、着流し……は、稽古するからやめておこう。普通に隊服だな、うん。

 シャツを着てズボンを履き、寝癖だらけの癖っ毛の髪を手で撫で付けて整える。そして、私は獪岳が待っているであろう居間に向かった。

 そこには朝食を配膳している継子の姿があった。

 ほかほかと白い熱気を立てる白米、具沢山の味噌汁、身がぎっしり詰まった焼き魚、丁度よく漬けられた瓜などなど。

 思わず涎が垂れるくらいには魅力的な朝食が出来上がっていた。

 

「……もう獪岳に嫁に来てほしい。桑島さんに挨拶に行きたい」

「何言ってるんですかあなたは……」

 

 気持ち悪いものを見る目を向けてくる獪岳、いつも通り辛辣。しかし、「涎拭け」と手拭きをくれる(投げつけてくる)あたり性根は優しいのだろう。

 ……あ、また心拍数上がってる。顔も赤い。額に手を置けば、彼は固まった。その数秒後、手を振り払った。体温は高いが熱は無さそうだ。

 

「な……んですか?」

「いや、心拍数上がってるし顔が赤いから不調なのかな、と」

「……この人は、本当……クソッ」

「??」

 

 がしがしと頭を掻いて俯き、悪態づく獪岳に私は首をかしげるしかできない。いや、本当になんなんだ。私が本当に……何? 次の言葉は何?

 じっと私が見ていると、獪岳はギッと私を睨み上げてきた。そして、獪岳の真向かい……私がいつも座る所を指差す。

 

「早く座って食べてください。朝食が冷めるし稽古の時間が減りますから」

 

 ……まあ、顔色は戻ってるから特に気にすることでもないんだろう。

 

 

 ちなみに朝食はめちゃくちゃ美味しかったとだけ記憶している。

 本当に嫁に来ないか?

 私こと日向(ひなた) (あさひ)、こう見えて柱と似たような立ち位置だから甲斐性くらい持ち合わせてると思うんだが。

 

 

 

*****

 

 

 

 くるり、くるり。

 木刀を器用に回しながら彼女は目の前で這いつくばっている男児を見据えた。

 

「這いつくばっている暇はない。私が鬼なら間違いなく喉元を食い千切っている」

 

 先程までの、継子の朝食に舌鼓を打ち顔を緩めていた女はいない。

 きりりと顔を引き締め、凛とした雰囲気を醸し出している。

 

「立て。死に物狂いで立て。足が棒になっても立て。手の握力が無くなっても刀を振るえ」

 

 そうきつい言葉を吐きながら、彼女はとん、と己の首を指で叩いた。

 

「そして、鬼の首を斬れ」

 

 随分と、簡単に言ってくれるものだ。

 獪岳はふらふらと立ち上がりながら、震える腕で必死に構えを取った。

 彼の目に映っているのは師範である彼女のみ。正確には彼女の首、喉笛である。弟子の眼光のぎらつきを確認した彼女はくい、と顎を上げて白い喉を晒してみせた。そして、わざとらしく笑ってみせる。

 

「さて、いつになったら届くんだ」

「シィィイッ」

 

 鋭い呼気と共に獪岳は踏み込んだ。

 瞬間移動を思わせる歩行、同時に手にした木刀で斬りかかる。一般隊士ならば間違いなく一撃を貰ってしまうような鋭さがあったが、彼女には届かない。

 彼女は一般隊士などの言葉の範疇に入らない、入れられない。鬼殺隊を支える最強群の1人、柱である。

 獪岳が打ち込んできた木刀、その斬撃予測線上に己の木刀を置く。

 木と木が響き合う、乾いた音がした。

 勿論、そうなることは予測済み。獪岳は特に気にすることもなく第2撃、第3撃と続けて急所を狙い打つ。

 しかし、次の瞬間に彼女の木刀が腹にめり込んでいた。

 

「ごっ……お」

 

 メリメリと音がした。そのまま吹き飛ばされ、獪岳は再び地面を転がった。今のは鳩尾(みぞおち)に入った。いつの間に攻撃がなされていたのか、彼には分からなかった。

 しかし、(うずくま)っている暇もない。頭上から殺気を感じた。直感に従い、咄嗟に横に転がる。

 

「……」

 

 獪岳の口元が僅かに引き攣る。

 元居た場所の地面に木刀が突き刺さっていたのだ。

 

(なんだ、この人、殺す気か)

 

 本気でそう思った。今避けなかったら間違いなく頭蓋を穿たれていた。だというのに、この女はにぃ、と彼に笑いかけている。

 先程まで「嫁にしたい」と言っていたあの柔らかい笑顔はどこに消えた。

 

「なんだ、まだ動けるじゃないか」

「っ……!」

 

 どこか嗜虐性を感じるその笑みに獪岳の背筋に悪寒が走る。

 

「次も転がって動かなかったら、遠慮なく斬りかかる」

「ぐっ……」

 

 そう言いながら彼女は木刀を振り(かざ)した。

 この距離、この速さ……駄目だ。避けられない。回避できない。絶体絶命。それだというのに、自然と彼の唇の端は吊り上がっていた。好戦的な笑みを浮かべて、これから来るであろうその衝撃に身構える。

 容赦の無い稽古はまだまだ続く───かと思いきや。

 

 

「旭さ~ん!」

 

 

「ん?」

「……あ"?」

 

 ピタリと彼女……旭の木刀の勢いがなくなり、獪岳が持つ木刀に当たる寸前で止まる。

 2人が目を向けた先には、ぶんぶんと手を振るかわいらしい女子。そして、その女子の傍には宍色の髪をした青年がいた。

 旭は目を丸めて手を振り返し、獪岳はあからさまに顔を不快そうに歪めて舌打ちをした。

 

真菰(まこも)錆兎(さびと)! どうした、水柱の片割れとその継子がお揃いで」

 

 先程までの嗜虐的な笑みはどこへやら。人が良さそうにふわりと口元を緩めた旭。それを見て獪岳はぐぬぬと唇を噛み締めた。どうやら稽古はここまでのようだと悟ったらしい。

 旭にててて、と駆け寄った真菰はそのまま彼女に抱きついた。

 

「えへへ、実は美味しい西洋菓子貰っちゃって! 旭さんにもお裾分けしようと思って来ちゃいました!」

「西洋菓子?」

「カステラ。旭さん食べたことある?」

「旭、久しいな」

「錆兎も久しぶり」

 

 錆兎も遅れて旭に近寄る。そして、手に持った風呂敷包みを旭に手渡そうとした。

 そう、手渡そうとした(・・)のだ。

 

「……」

「どうもわざわざありがとうございます。これは継子(・・)である俺が(・・)受け取っておきますね」

 

 錆兎と旭の間に高速で割って入った獪岳によってそれは阻まれた。

 ガッと風呂敷を奪うと鼻を鳴らす獪岳。彼の眉間には皺がこれでもかと作られていた。態度もかなり刺々しい。

 錆兎と呼ばれた青年は表情ごと体を硬直させていたが、ゆっっくりと口元に笑みを作った。引き攣って見えるのは見間違いではないだろう。

 

「……どうもありがとう。ただ手渡すだけで嫉妬するとは随分と女々しいのだな。男らしくないぞ」

「物で旭さんを釣ろうとする水柱様も人のことは言えないのでは?」

「………」

「………」

「旭、お前の持つ木刀を貸してくれ」

「? ……あー、うん。ほどほどにしてくれよ。 一段落したらやめて縁側に来るといい。お茶入れて待ってるから」

「来い、桑島。性根を叩き直してやる」

「上等だ、かかって来やがれ。旭さんを狙う害獣は俺が叩っ斬る」

 

 稽古でもつけてくれるのだろうと察した旭は木刀を錆兎へと渡す。

 何故か錆兎が獪岳と打ち合いをすることになった。

 真菰と旭はというと、台所に向かい、お茶とカステラを用意する。そして、縁側に座り、獪岳と錆兎の打ち合いを眺めながら近況報告をしていた。

 

「今日、義勇は?」

「義勇は任務。少し遠くまで行ってるみたいで、今日は私と錆兎は休みなの」

「あぁ、そうなのか。義勇だけ仕事とは……今度鮭大根作ってやろうか」

「わあ、ほんと!? じゃあ今度水屋敷に遊びに来て! 旭さんの大好きなわらび餅作ってあげる!」

「ああ、それはありがたい。じゃあ、次の非番にでもお邪魔する」

「うん、来て来て! 楽しみにしてる」

「行く日が決まったら烏を飛ばすから」

 

 何気なく約束を取りつけた真菰は策士なのだろうか。真菰がにこにこと笑いながら隣の旭を見上げる。その時、ふと気づいた。

 

「……あれ、その髪留めは初めて見る気がする。買ったの?」

「……いや、貰った」

 

 なんだか歯切れが悪そうな旭に真菰は首をかしげた。

 旭が買う小物というのは質素で素朴なものが多いのだが、この髪留めは赤い珊瑚やら真珠やらが飾られていてかなり派手だ。それでも旭の美貌と釣り合いが取れているあたり、似合っていると言えるのだが。

 旭はカステラを口の中に放り込んだ後、口を開いた。

 

「……宇随」

「あー」

 

 なるほど、それなら納得。

 かなり簡単に想像できる。真菰の頭の中で親指を立てる音柱の姿が浮かび上がった。

 旭はこめかみをぐりぐりと指で押さえながら、呻くように呟く。

 

「本当に……やめてほしい。どうにかならないのか、あの人。既婚者が他の女に求婚するってなんなんだ……? もう嫌だあの人、胃が死ぬ……3人に申し訳ない……」

「あはは……」

 

 音柱こと宇随(うずい) 天元(てんげん)といえば、その派手な容姿と3人の嫁達がまず挙げられる。前者は本人の性だが、後者は忍の家系に生まれた風習なのだろう。それでも全員平等に愛せるあたり、彼は器量の大きい人間であることは間違いない。

 それはそれとして、いくら器が大きかろうが派手好きだろうが、妻がいる分際で別の女に贈り物をするというのはいかがなものかと、旭は言いたいのだ。

 

「この間の合同任務帰りはドチャクソ高価そうな簪を目の前で買おうとするし……妥協案でこの髪留めにしてもらったんだが」

「それはまあ……ご愁傷さま?」

「はあ……これだったら不死川と合同任務の方がまだ良い……私が耐えれば済む話なんだから……」

「まあ、罪悪感は湧かないねぇ~」

 

 旭は風柱こと不死川(しなずがわ) 実弥(さねみ)がどうも苦手だった。

 彼女の体質のこともあってか、稀血の中でも珍しい稀血である実弥には近寄りがたいのだ。匂いがやばい。とにかくやばい。涎が出そうになる。

 しかもあの隊服。なんだあれは、見せつけてんのか? イイ身体だからと見せつけてんのか? 宇随のような剥き出しの腕ならまだしも鍛え上げられた胸から腹にかけてを露出するのは頼むからやめてもらいたい。

 旭にとって実弥とは視界と嗅覚の暴力なのだ。

 

(風柱様と音柱様はどっちもどっちだと思うけどなぁ~)

 

 真菰からすればどちらも旭とは甲乙つけがたい距離感だった。既婚者と助平柱は膠着状態と言っても過言ではない。

 

(何気に男性陣で1番距離感が近いのは継子である獪岳を除いて岩柱様だったり……。いやいや、あの人はどちらかと言うと父親みたいな……)

 

 

「今は稽古中か!」

 

 

「ふあっ!?」

 

 背後からの声に真菰は思考をやめて肩をびくつかせた。

 そこに立っていたのは炎柱の煉獄(れんごく) 杏寿郎(きょうじゅろう)である。

 全然気配が無かったため、真菰は気づかなかったのだが、旭は気づいていたらしい。なんともないようにため息を吐いただけだ。口元は引き攣っているが。

 

「煉獄、君さぁ……不法侵入って言葉、知っているかい?」

「うむ! 一応呼びかけはしたが返事がなかったため、上がらせて貰った!」

「そこは帰れよ……。私が何のために居留守使ったと思ってんだこいつ……」

 

 頭を抱える旭の隣に座る目立つ容姿の男は、おもむろに手を上げると旭の両手を掴み取った。彼女は驚いて「ひえっ」と小さな悲鳴をあげる。

 

「この前の話、考えてくれただろうか!」

「いや……あのなぁ、煉獄。私、その話断ったよな? 覚えてないかい? その場できっぱり。ねぇ」

「勿論覚えている!」

 

 この間の話……というのも、「俺と夫婦になってくれまいか!」という、どちらかというとおめでたい話なのだが。

 それを旭は一瞬硬直しつつもきっぱりと断ったはずだ。こういうのは早い内にすっぱりと断っておかないと後々が面倒だから。確かに煉獄は良い男児ではあるし、きっと良い夫であり父親になるのだろう。

 しかし、だからこそ旭は断ったのだ。「私のような女に彼は似合わなすぎる」と思って。その場でスパッと。

 だというのに、煉獄は諦めない。断じて諦めていない。非常に困る。これでは断った意味がない。

 

「『そういう対象として見たことがないから』と言われたが、それはつまり、俺が男として意識してもらえばまだ希望があるということだろう!」

「いや、だとしても結婚は無理だろ。お互いよく知りもしないのに」

「ならば恋仲からなら良いのか! 旭さん、俺と結婚を前提に交際しよう! お互いを知ってから夫婦としての契りを交わそう!」

「押し強いなこの野郎……」

 

 そして話を微妙に聞かない。目は一体どこを見ているのだろうと毎回不思議に思う。

 なまじ真っ直ぐで真面目な性格だからか、純粋な曇りなき眼をしている。どこを見ているかは分からないが。その目で見つめられると心が折れて交際してしまいそうだから、旭は必死になって顔を背け始めた。

 なのにこの男、どうにかして旭の視界に入ろうとしてくる。

 

「おいこら煉獄ふざけんな。顔が近い。離れろ聞いてんのかゴラ」

「ならば顔を合わせてくれ!」

「なにお前私のこと殺そうとしてる? 社会的にも精神的にも」

「よもや! 何故そうなったのだ? 愛しい者の顔を見たいと思うのは普通だろう!」

「そういうことを平気で言えるからこの人は……!」

 

 (たち)が悪い。

 顔を近づけて迫ってくるこの男から必死に距離を取ろうにも、その隣には真菰がいるし両手は捕られているしと上手く動けない。後ろに倒れれば誤解されそうだし、前に倒れてもあまり意味はないだろう。

 これは本気で頭突きしても正当防衛になるだろう、と真面目に思っていた所で、稽古場から殺気を感知した。

 

「むっ」

「うおっ」

「きゃっ!」

 

 煉獄は頭を後ろに反らし、旭はそのまま後ろに倒れた。その際真菰の膝の上に頭が乗ったため、真菰が驚いた声をあげた。

 旭がその体勢のまま稽古場に目を向けると、今にも怒髪天になりそうな獪岳と目を据わらせている錆兎がいた。

 

「炎柱ぁぁ……てめぇ何やってんだこんの抜け駆け野郎が……!」

「煉獄……それは駄目だ。断じて許さん」

 

 よく見れば2人の手には木刀が無い。真菰に頬をつつかれて顔を上げれば、廊下に立っている柱に木刀が2振り突き刺さっていた。

 ……投げたらしい。

 

「旭、もう1振り木刀を貰って構わないか? 煉獄、久しぶりに柱稽古をしてくれ」

「うむ! 良いだろう! 旭さん、この話はまたいずれ!」

「俺の木刀使ってどうぞ。そろそろ休憩します」

(そろそろ逃げる準備でもすべきか……)

 

 旭は体を起こして座り直す。すると、煉獄と代わったのか獪岳が縁側にやって来た。

 

「お疲れ様。お茶があるが」

「……ありがとうございます」

 

 旭がとんとんと先程まで煉獄が座っていた隣を叩けば、獪岳は眉をひそめつつもそこに座る。旭が渡したお茶をぐいと一気に飲み干して、ようやく一息つく。しかし、眉間の皺は変わらず。

 おそらく、久しぶりの師弟水入らずの稽古を邪魔されたことに苛立っているのだろう。確かに彼女の稽古は厳しいし心が折れそうになるのだが、それでも彼女についていけばより強くなれることは分かっている。

 それに……。

 

「獪岳」

「は…」

 

 ぽんぽんと旭が己の膝を叩く。それと旭の顔を見比べる獪岳は怪訝そうな顔をした。

 

「おいで」

「いや、それは流石に」

「いいからほら」

「人前では流石に」

「はあ……それじゃあ後で」

「……はい」

 

 旭は自身を見てくれている。己の体調を気遣い、甘やかしてくれる、鍛え上げてくれる。それが分かるため、心がふわふわして胸が温かくなるのだ。

 それを素直に表せないからあのギャンギャン泣き喚く弟弟子からひねくれてるだのなんだの言われるのだろうが知ったことか。こっ恥ずかしいのだ、しょうがないだろう。

 しかし、同時にこの師範の危機管理力の低さが目に余って仕方がない。

 今朝だってそうだ。乱れた寝着で無防備に見上げてくる女……据え膳どころの話ではない。この屋敷に住み出してから理性と本能に訴えかけてくる様々な試練。これも師範としての教えなのか……いや、違う、絶対違う。これが素なのだ。非常に困る。

 しかも天然で人を垂らし込む天才。何人の男が犠牲になったことやら……。

 獪岳は改めて隣でカステラを頬張り、無惨に壊れていく稽古場を遠い目で眺めている師範の姿を見た。

 

 見目麗しい女性だと思う。

 

 捻れた癖っ毛の黒髪、鮮血を連想させる真っ赤な切れ長な瞳、潤った桜色の唇、形の良い小振りの鼻、シミ1つない白い肌。

 体は筋肉質ではなく女性らしいすらりとした長身。程よく凹凸がついている女体の理想像。桃色の爪と白魚のごときすらりとほっそりした指先まで美しいとはどういうことだろう。

 それなのに、任務へ出た時に見るあの凛々しい後ろ姿。どこか嗜虐性を感じるあの凄惨な笑み、豪快な刀捌き。

 どこまでも獪岳を魅了してくる堂々としたあの姿には憧れたものだが……普段の姿との落差が凄いというかなんというか……。

 

「……獪岳? カステラ食べないのかい? 嫌いだったか?」

「! っいえ、いただきます」

 

 かなり魅入ってしまったようだ。不思議そうに旭が獪岳を見ている。しくじったと内心愚痴りつつも、大人しくカステラを食べる。

 

「とりあえず、2人の稽古が終わったら外食しようか。まだ昼餉の準備してないだろうし」

「……珍しいですね。どういう風の吹き回しですか?」

 

 いつもは獪岳と共に台所に立つのだが、今日は違うらしい。言い方は少しきついが、これでもかなり頑張った方だ。

 

「あー……獪岳、最近頑張ってるからな。たまには私の料理よりも外で好きなものでも食べた方がいいと思って」

「……」

「あと、キネマのチケットがあるから、食後に行こう。何故か4枚あるけど」

「……そう思うなら料理の腕、上げてくれませんか」

「う"っ。ごもっとも」

 

 完全な照れ隠しである。獪岳は「出掛けるなら、汗を流してきます」と早々にその場を立ち去った。今誰かに顔を覗き込まれたならば、頬がほんのり赤くなっているところが見られただろう。

 

 

 

*****

 

 

 

「きゃー! 奇遇ね、旭さん! こんな所で出会うなんて思わなかったわ! ねっ、伊黒さん!」

「そうだな、本当に……」

(今日は厄日か? どうしてこうも知人と出会う……)

(折角旭さんと久しぶりの休日だというのに、どうなってんだ今日は……!)

 

 

 飯屋にて。

 結局あの後、煉獄と錆兎の容赦のない一騎討ちが終わった。3人共予定があるらしく、錆兎と真菰はこの後不死川と柱稽古、煉獄は任務に行くらしい。3人を見送り、屋敷を出た獪岳と旭。

 最近人気だと有名な店を獪岳が知っていたので、即断でその店へと入った。中はそこそこ混んでいたが、昼時としては少し早かったのだろう。空いた座敷があったため、そこを取ることができた。

 問題はここからである。昼になり、有名店という訳もあり店の中はごった返しになった。あちこちで空いた座敷に相席を頼む店員が見受けられる。これはやばい、と旭と獪岳は共に思ったわけで……そうしたら案の定、店員から相席を頼まれた。

 あまり人を好かない旭だが、まあ関係ない人だからしょうがないか、と受け入れた。

 

 その結果がこれである。

 

 

「わあっ、沢山あって選びきれないわ! どうしましょうっ。伊黒さんはどうするのかしら?」

「そうだな……」

 

 恋柱こと甘露寺(かんろじ) 蜜璃(みつり)と蛇柱こと伊黒(いぐろ) 小芭内(おばない)が相席になってしまった。

 席は机を挟んで獪岳と旭、甘露寺と伊黒が向かい合わせ。更に言うなら獪岳と伊黒、甘露寺と旭が横に並んで座っていた。

 

(まあ、知らない人が相席に来るよりも気楽でいいか……?)

 

 甘露寺にご執心である伊黒からは、何度か恋愛相談を受けたことがあるし、逆に宇随や煉獄といった者達への愚痴も話したことがある……いわば気軽な相談相手。だから、伊黒のことはそこまで苦手意識はなかった。時折入るネチネチ攻撃は精神的にかなりくるのだが。

 甘露寺に至っては普通に飲み食いに行く仲である。特に彼女は幸せそうにたくさん食べるため、奢りがいがあって好きだった。純粋で裏表がないし、鬼殺隊入隊理由も素直にかわいらしいと思う。これぞ女の子、と評価するほどには感心していた。

 

「ねぇ、旭さんはどれを選んだの?」

「へっ?」

 

 くるくると汗をかいたお冷やを手持ち無沙汰に遊んでいた旭は、突然声をかけられて目をぱちくりさせた。隣にはお品書きを持って目を輝かせている甘露寺の姿。

 それを確認して、旭はお品書きの頁を捲る。

 

「あー……これ。オムライスって言うんだっけか?」

「綺麗な黄色ねっ、美味しそう!」

「獪岳曰く、ここは洋食のハイカラ料理が美味しいらしい。この……なんだ、しーふーど? ……まあ、海鮮のカレーライスだな、これ。後はそっちのコロッケなんかもサクサクなんだとか。甘味もちょっと値段は張るけど、パフェとやらも評判らしいから食べてみるといい」

「やだ、どれも美味しそう! (旭さん、詳しく教えてくれるわ! 素敵!)」

「全部頼めばいいんじゃないか? こんな面子(メンツ)だ、気を使う必要もないだろう」

 

 ちらり、と旭が向かい席の男達を見遣ると、獪岳は鼻を鳴らしてそっぽを向き、伊黒は眼力で旭を抹殺したいのかというほど凄まじい顔相をしていた。

 ……説明したい所を全て旭が言ってしまったらしい。

 その説明も実は獪岳の受け売りなのだが。

 

「それもそうね! 伊黒さんはもう決まった?」

「ああ」

(悪かったな、本当……)

 

 甘露寺も何故この伊黒のえげつない怒気に気づかないのだろうか。自身に向けられていないからだろうか。下手に背中を見せたら叩き斬られるのではないだろうか。

 しょうがないなぁ、と旭はお冷やを一口含んだ後、のんびりと告げた。

 

「お2人さん、映画とか興味はあるかい?」

「え?」

「映画……キネマか」

 

 旭の唐突な問いに2人……甘露寺と伊黒は首をかしげた。獪岳も眉をひそめている。

 旭は懐から2枚のチケットを取り出した。

 

「実はこれから獪岳と見に行く予定なんだけども、もう2枚あるのよ。あげる」

「えっ!? いいの、旭さん!」

「日向さん……。しかし、俺達は任務の合間に来たから呑気に見に行く暇など」

「期限は再来月まであるから、また予定があったら行ってくればいい。なんだったら私が1日任務変わってやってもいいし」

 

 「意外と面白いらしいよ」とふんわりと微笑む旭に、甘露寺はキュンキュンと胸を高鳴らせ、伊黒は「それなら……」と怒気を納めた。流石、伊黒の恋愛相談者(甘露寺や飯屋の情報を渡しているだけ)である。

 

「そっ……そうね! 伊黒さん、今度一緒に行きましょうねっ」

「あっ……ああ、そうだな……」

 

 無意識に「また逢い引きしましょうね」と誘う甘露寺とそれに僅かに動揺しつつもしっかり頷く伊黒。

 

(……さっさとくっつかないかなぁ)

 

 甘露寺も自身が特別扱いされていることに何故気づかない。伊黒がここまでしてくれるのは甘露寺だけなのに、と歯痒く思いつつも決して表には出さない。

 

「お待たせしました。オムライスとシーフードカレーです」

「あ、私とこっちの子です」

 

 やって来た店員を誘導しながら、旭は中々くっつかない同僚の姿を見てもう一つ息を吐いた。

 

 

 

*****

 

 

 

 映画を見終わり、獪岳と並んで旭は歩く。

 日は大分沈んでおり、町並みは夕焼け色に染まっている。それを見ていてしみじみと感慨深いものを感じてしまうのは旭だけだろうか。これが哀愁などというものだろうか。

 

「また明日から鬼殺だなぁ」

「そうですね」

 

 相槌を打つ獪岳はぼんやりと夕餉について考えていた。家には何が残っていただろうか、何を作ろうかと思っていると、彼の隣を歩いていた旭がふと立ち止まった。

 

「……どうしましたか」

「あー……獪岳は先に帰れ」

 

 そこでようやく理解する。

 俺も行きます、と言う前に旭は自身の唇に立てた人差し指を当てた。

 

「先に帰って夕食の準備でもしていろ。すぐ行くから」

「……はい」

「よしよし、いい子だ」

「やめてください」

 

 頭を撫でようとした旭の腕は払われる。人前ではやめろと言ってるのに、と獪岳は悪態づくが、それはすなわち人前でなければ撫でてもいいということだろう。

 旭はひねくれた性格の継子に苦笑いしながら背を向けた。そして、一瞬でその場を離れる。

 瞬きをした時には既に居ない。柱の実力にも大分慣れてきた獪岳は特段驚きもせずに帰路についた。

 

 

 

*****

 

 

 

 太陽が沈み、薄暗くなった町を一望する旭の後ろに1人の男が寄ってきた。

 

「旭さん」

「……粂野」

 

 粂野(くめの) 匡近(まさちか)

 彼は“滅”と背に書かれた服ではなく、“隠”と書かれた隊服を着ていた。顔を隠している布を上げれば、左頬にある古傷と人が良さそうな笑顔が露になる。

 下弦の壱との遭遇時に重症を負い、鬼狩りとして動けなくなった。しかし、彼は“隠”として生きることを決意。柱の中でも恐れられている不死川を上手に宥められる、よく働き笑顔を絶やさない良い人だと先輩後輩から憧れているし評価されている。

 旭は彼の顔を確認すると、苦い顔をして周りを見渡した。

 

「まさか不死川も……」

「いえ。あいつは今から任務で遠出しています」

「なら、こっちに来ることはないか」

 

 すん、と鼻を鳴らして匂いを確認した後、ようやくほっとして粂野に向き直った。

 

「私の刀は」

「こちらに」

 

 すっ、と粂野が布で包まれた刀を渡す。

 ただの刀ではない。旭の身長ほどにもある長さと広げた掌2枚分もある幅の大刀である。西洋でいうクレイモアと言った方がしっくりくるかもしれない。

 旭はこれを“鬼斬り包丁”と呼んでいた。

 彼女は数度その場で素振りをすると、それを背負って固定する。

 

「わざわざ刀を持ってきてくれて悪いな」

「いえいえ、それも仕事なので。御武運を」

 

 彼がにっこりと笑っているのが露出している目元だけで分かる。

 それを背に受けて、旭はその場から離れた。

 

 

「いってらっしゃいませ、鬼柱様」

 

 

 

 

 

 鬼殺隊・鬼柱こと日向(ひなた) (あさひ)

 これは彼女を中心に語られる物語である。

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