その柱、鬼子につき。   作:瑠璃色砂糖月

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3話「風につきまとわれまして」

 鬼柱こと日向(ひなた) (あさひ)には苦手な者が3人いた。いや、苦手な者は数多く存在するが、その中でも特に拍車がかかっている者達だ。

 

 1人目は炎柱・煉獄(れんごく) 杏寿郎(きょうじゅろう)

 どこまでも熱く、情も深い人間だ。炎の鬣を連想させる癖のある長髪に、髪と同じ色の瞳。はきはきと喋り真面目で誰よりも人という生き物を愛している男。自身が恵まれている、天賦の才を持つと自覚しており、かといって意気揚々とそれを自慢するわけでもなく、他者を守ることを責務としている。時折どこを見ているのか分からないのが傷だが。

 そこまでは良いのだが、この男はとにかく真っ直ぐで声が大きい、というのが旭の悩みだった。何故か彼に好かれてしまった旭は「夫婦になってくれ!」と常日頃……いや、顔を合わせる度に1度は必ず求婚されていた。しかも、声が大きいうえに場所を考えないため、町中ならば周りから生暖かい目で見られ、任務中ならば隊士達に目を剥くほど驚かれる。いたたまれない。

 そういうわけで、彼のことが苦手だった。

 

 2人目は音柱・宇随(うずい) 天元(てんげん)

 自称、派手を司る祭りの神。そう豪語しているほどには容姿も本人が扱う呼吸も派手である。左目の周囲には梅なのか花火なのか分からない紋様の化粧をしており、宝石のついた額当てや飾りが煌めいている。身長は6尺越え、筋肉質で恵まれた体格をしていた。元は忍の家系であり、そこから抜け出し、鬼殺隊へと入隊したという少し変わった経歴を持つ。その忍の風習か3人の嫁がおり、仲は良い様子。その辺から、宇随本人の器の広さが伝わってくる。

 しかし、この宇随、既に嫁がいるというのに旭にまで手を出しかけていた。この男にもいつの間にか好かれていて、「4人目の嫁に来い! 派手にな!」と強烈な求愛を受けていた。既婚者の癖に何故娶ろうとするのか。意味が分からない。しかも、手口が煉獄とは違い、隙あらば簪やら着物やらと貢いでくる。じんわりと外堀を埋められていっている気がするのは旭の勘違いだろうか。

 そういうわけで、彼のことも苦手だった。

 

 3人目は風柱・不死川(しなずがわ) 実弥(さねみ)

 顔や体に無数の傷痕がある鬼への殺意が高い男だ。白銀の髪に血走った三白眼の瞳、絵に描いたような凶悪面をしている。言動は「理性も知性も無い」と某赫灼の男児が評価しており、実際彼の粗野な部分は柱の中でも特に目立つ。幼少時、鬼殺隊に入らず鬼を殺しまくったという過去があり、その辺りのことは彼の兄弟子であり現在“隠”の粂野がよく知っている。

 彼は稀血の中でも特殊な血で、その血の匂いを嗅ぐだけで鬼は酩酊する。それは鬼の血を引く旭にもよく効き、近づくと目眩がして気持ちがふわふわと酔ってくるのだ。どんなに強い酒でも酔わないのに。そのため、いつも彼とは距離を開けて話す。

 それだけではない。旭は彼の服装が苦手だった。あの、体の上半身、その前をかっ開いているあの開放的な隊服が。そのせいで、筋肉質でどこか芸術的な胸筋から腹筋が見えている。それが旭の精神衛生上良くなかった。何度それを注意して刀を抜くまでになったのか数えきれない。言うならば玄弥の女版である。症状は玄弥よりも軽いが。

 この人だけ苦手の種類が違うが、苦手だった。

 

 今回の話は、この最後の不死川に関するものである。

 

 

 

*****

 

 

 

「はい、あーん」

「あ、あー……」

 

 旭は目の前の美女の声に合わせて口を開く。少しの間、そうして口内を診られた後、ようやく顎を掴んでいた手が離れた。

 

「はい、もう治ってるみたいですねぇ。良かったです。退院ですよ」

「……どうも」

 

 目の前でにこにこと笑っている美女に気まずそうな目を逸らす旭。

 途端に、ぐいと両頬を両手で挟まれて無理矢理顔を合わせられる。

 

「!?」

「あらぁ? どうして顔を逸らすんですかぁ? 何か後ろめたいことでもあるんですか?」

「ぬぐ……」

 

 毛先が紫色めいた髪、それを蝶の髪飾りで1つに結えている女性が視界に映る。顔こそ笑顔だが、額には青筋が浮かんでいる。

 蟲柱・胡蝶(こちょう) しのぶ。

 元花柱である胡蝶 カナエの妹であり、現在旭が来ている蝶屋敷の主人である。

 

「骨折に打撲、筋肉も過負荷によってずたずたに千切れてしまって右腕なんて全く動かないのに「問題ないから気にするな」なぁんて……あなた馬鹿なんですか? 3週間徹夜で怪我の手当てもせずに鬼を狩り続けるなんてあり得ませんよ? 自分の体の限界分かってないんですか?」

「……別に、体が壊れたところでどうせ治るんだし」

「なんですって?」

「……ごめんなさい」

「許しません」

(じゃあどうしろと)

 

 旭は基本的に無茶をする人間だ。己の体の限界をあっさりと越えて動こうとする。言うところの、「精神に身体が追いついていない」というやつだ。なまじ再生力が桁外れのため、全て治ってしまうのだが。そのため、治療が必要な重症であっても、最短で数時間、最長で数日あれば全て元通りである。

 ちなみに今回はあまりに惨状過ぎて粂野などの“隠”の独断で蝶屋敷へと連行されてしまった。疲労と眠気が急激に襲ってきたのか、怪我が治っている最中は穏やかな寝息をたてて昏睡していたらしい。3週間も眠らずに命のやり取りをしていたのだ。当然とも言えるだろう。それでも2日で全快。目を覚まして身を起こした瞬間、しのぶの鉄拳が頭頂部に落ちたのだった。

 しのぶはため息を吐いて旭の頬から手を離す。

 

「あなたの体質が特殊なのは理解していますが……私も医者なのです。怪我をしたのなら頼ってください。いくら全て治るとはいえ、治癒中の痛みまで無くなるわけではないでしょう?」

「だから、ここには来たくないんだが」

 

 旭はため息を吐いた。

 確かに怪我は全て治る。しかし、その代償というものなのか、怪我が治っている最中、その部位に凄まじい痛みが走るのだ。鬼とも人とも言えない中途半端な肉体だからだろうか。傷の度合いに応じて痛みも更に酷くなる。ただの掠り傷ならピシッ、という程度の痛みで済むのだが、臓器破裂や骨折、欠損などは地獄の苦しみだった。治るまで続くその痛みに気が狂いそうになる。

 しかし、それを全て耐え抜いた先に、完全な体が待っているのだ。痛みが対価ならば安いものだった。

 

「激痛で悍ましい悲鳴を喚き散らす輩が屋敷に居ると迷惑極まりないだろう」

「鎮痛薬くらいは出せますけど」

「私なんかには勿体無い代物だ」

「そういうところですよ、旭さん」

 

 旭は自身の身を軽んじる傾向がある。だから無理もするし、体が壊れてもお構いなしだ。蝶屋敷に来ないのもおそらく彼女ら並びに怪我人達の邪魔になる、という配慮という名の遠慮によるものだ。

 自分のような人間擬きが人の世話になるわけにはいかない。

 自分が弱かったから怪我を負ったのだ。

 どうせ全て治るのだから、厄介になる必要はない。

 自分には勿体無い。薬や包帯、寝床が無駄になる。

 そういう考えがあるから、旭は蝶屋敷には自主的に行こうとは思っていなかった。

 そういう自虐的な一面をしのぶは指摘したのだが、旭には全く分からなかったようだ。現に首をかしげて眉を寄せている。

 しのぶはまたため息を吐いて、それでも微笑んだ。

 

「姉さんにも会っていってくださいね。最近は「旭さん不足で動けないの」なんて言ってますからね。お茶でも飲んで、談話して頂けると大変嬉しいのですが」

「……分かった」

 

 なら早速、と旭が重い腰をあげる。直後、固まった。しのぶが不思議そうに首をかしげている間も、旭はすん、と匂いを嗅いだ。

 

「……どうなさいました?」

「悪い。後日蝶屋敷に今回の世話になった分の礼を持って1日ここで過ごすから今は見逃してくれ頼む」

「? ええ、構いませんが」

「失礼」

 

 しのぶの了承と同時に旭は窓を開けて飛び降りた。どうして窓から、と首をかしげた直後、部屋の扉がスパァァン!と音を立てて乱雑に開かれた。

 部屋に入ってきた人物を見て、何故旭が焦って出ていったのか理解した。

 

「胡蝶! あの馬鹿女はどこに行きやがった!」

「こんにちは、不死川さん。旭さんなら今、そこの窓から飛び出ていきましたよ」

「あんのクソアマァァ……! 上等だァ、地の果てまで追いかけてやる……!」

 

 何やら物騒な言葉を呟きながら、その男は旭の飛び降りた窓から飛び降りていった。

 それを見ながら、しのぶはくすくすと上品に口元を押さえて笑った。

 

「旭さんは愛され者ですねぇ」

 

 孤独を好み、しかし他人を誑かし集めてしまう、良い意味での悪女。

 彼女の苦労を思いながら、しのぶはカナエに旭の言っていたことを伝えようと腰を上げた。

 

 

 

*****

 

 

 

 一方で旭は捕まれば死ぬ鬼ごっこをしていた。

 

「待てや日向テメェェェェェェ!!」

「馬鹿かお前、足止めたら殺すだろ」

「じゃあ殺さねぇから止まれェ!」

「目が逝ってる奴の言うことが信じられるか、嘘つきめ」

「テメェほんと良い度胸してるぜェ! 殺す!」

「ほら殺すって言ってるだろうが」

 

 揚げ足を取りつつ、旭は全集中の呼吸を継続。更に足に力を込め、一気に解き放つ。ぐん、と全身に当たる風は強くなる。

 追いかけられているため匂いは分からないが、聴覚や触覚である程度分かる。実弥の静かすぎて分かりにくい足音はまだ聞こえてくるし、びしびしと殺気めいた視線や気配が後頭部と背中に突き刺さってくる。

 まだついてくるか、と旭は眉を寄せた。いつもなら速度を上げれば諦めるのだが……。

 屋根やら裏通りやら走っているため、一般人の動体視力では彼らの姿は捉えることができないだろう。

 超高速の鬼ごっこ。いつもは実弥が諦めるのだが……今回は旭が根負けした。

 人気(ひとけ)のない通りでゆっくりと速度を落とすと、実弥はこれ幸いとばかりに速度を上げて旭の背中に飛びついた。腕を背中から前へと手を回して、羽交い締めにする。

 

「っ、うお」

「やぁぁっと捕まえたぞ、日向ァ。手間取らせやがって……」

「ちょ、待て馬鹿。なんだ、寄るな、どういうつもり……は? は?? はぁぁ???」

「テメェちょっと面貸せェ」

「う、ぷ……待て、酔う」

「おォ、存分に酔えやわかめ頭ァ」

 

 珍しく混乱している旭。

 当然だろう。いつもなら一定距離を開けて話している相手だ。実弥も彼女の体質を知っているため、よほどのことがない限り自分から近づこうとはしない。隊服の件は別として。

 だというのに、実弥は旭に抱きついて羽交い締めにしてずるずると引きずっている。つまり、何か余程のことがあったのだろう。旭には全く分からないのだが。

 実弥の無駄に高い体温やら妙に生々しい肌やら頭がふわふわする匂いやら……旭は顔を紅潮させ、必死に両足に力を入れた。

 

「し、不死川……話は聞く。聞くから、離れろ」

「断る」

「っ……酔ってちゃ、話が、できないだろう」

「断る」

「し、しな、ずがわぁ……」

「断る」

 

 本格的に酔いが回ってきたのか、舌が回らず目に涙が溜まっていく。視界が歪んで目眩がした。ぼんやりとする思考の中で、ただ「しなずがわ。しなずがわ」と意味もなく舌ったらずな口調で彼を呼ぶと、ため息が上から降ってきた。

 

「テメェは本当……他の男にそのだらしねェ面で名前呼ぶんじゃねぇぞォ」

 

 「喰われっからなァ」とどこか遠いところから声がした。ぼんやりとそれを聞いて考えながら、また、彼の名前を呼ぶ。

 

「……おまえいがいで、みせたこと、ない。よわない、から。だから、ちか、ぉり…た、な……のに……」

 

 ぽしょぽしょと蚊の鳴くような声で呟いた旭に急激な眠気が襲う。そのままぐっすり眠り込んでしまった。

 実弥はというと、珍しく目を見開いて腕の中の同僚を見ていた。そして、シィィィ、と独特な深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。

 

「……っんとに、この馬鹿女は……」

 

 ひょいと旭を担ぎ上げる。横抱きではなく、肩に担ぎ上げた。

 何故ここまで執拗に追いかけたのか、と問われれば……まずは実弟の玄弥の継子関連で話をしたかった、というのが1番に挙げられる。彼本人はまだ、玄弥が鬼殺隊に入ったことを認めていない。常に危険が伴う鬼殺隊に、最後に生き残った唯一の家族が入隊するなど悪夢のようだった。しかし、その家族がまさか鬼柱の継子になると聞いてどこか安心したのだ。奇妙な安心感だった。きっと彼女ならば、人を守ることに執着した彼女ならば玄弥を死なせはしないだろうと何故かそう思ったのだ。……でもやっぱり、大事な弟が世話になる訳で、心配になる訳で……。それで旭と話をしようと思ったのだ。

 だが、急ぐことでもない。いつか合同任務でもある時にさりげなく聞こうと思っていた。しかしそこで、彼女が重症で蝶屋敷に運ばれたと聞いたのだ。しかも、3週間徹夜……自然と頭を抱えてしまう。柱でもそこまでやる者は居ないだろう。それをなんなくこなせるのは常人離れした体質を持つ旭くらいだ。だとしても昏睡するまで働くか?普通。だから、その報告を聞いた後、速攻で任務を終わらせ、蝶屋敷へと直行したのだ。

 

 テメェはちょっと働き過ぎだから酔って眠れェ。話はその後だ。

 

 というのが鬼ごっこの鬼役、実弥の内情だった。面倒見がいい。意外な長男力を発揮していた。

 とはいえ、まさかここまで全力で避けられるとは思っていなかったが。

 

(……近くに藤の花の家はあったかァ?)

 

 とりあえず、この女を横にさせる場所を探さなければ。

 そう思って足に力を入れると、頭上から鴉の鳴き声が聞こえてきた。

 

「伝令ェエ! 伝令ェエ! 風柱ァァ、ソノママ旭ヲ連レテ任務ヘ向カエェェエ! 合同任務デアル! 合同任務デアルゥゥウ!」

 

 旭の鎹鴉(かすがいがらす)である。

 

「手ェ出シタラオ館様ニ言イツケテヤルカラナァ! スケベ柱ァ! カアアッ!」

(わかめ頭は鴉にまで好かれてやがんのか、クソがァ……)

 

 ギャーギャーと口煩く喚き散らす鎹鴉を鬱陶しそうに一瞥した後、「さっさと案内しろォ」と切り替える。

 鴉に言われるまでもない。恋仲でもない女に手を出すなど論外である。

 

 

 

*****

 

 

 

 甘い匂いがした。脳の奥まで、体の髄までどろどろに溶かすような匂いが。

 ぼんやりとしつつも覚醒した意識、眠気で重い頭。

 僅かに開かれた瞳には天井が映ったが、すぐに寝返りをうって温かい布団の中に潜り込んだ。

 

(……ん? 布団?)

 

 跳び上がるように上体を起こせば、いつもの見慣れた自室ではない。それを理解した瞬間一気に意識が覚醒する。

 

「……藤の家紋の家」

 

 ふわりと香るこの藤の匂い……おそらく間違いないだろう。

 気が抜けかけるが、すぐさま引き締める。どうして藤の花の家に居るのか分からなかったのだ。

 

(……不死川と全力の鬼ごっこをして、彼に捕まって引きずられたのは覚えているが……)

「おい、何ボーッとしてやがる。大丈夫か。水でも飲めェ」

「ああ、悪い、不死川。……不死川?」

「あァ?」

 

 自然と渡された湯呑みを受け取って、そこではたと気づき硬直した。隣に目を向ければ目をぱちくりとさせた実弥の姿があった。勿論、前が全開の肌色の胸筋も共に視界に……。

 

「不死川ぁぁぁあ!!!」

「ごぶっ!?」

 

 瞬時に渡された湯呑みを投げつけようとして他人の家の備品だと即座に判断。その結果、湯呑みに注がれていた水が実弥の顔に直撃した。

 

「準備ができました……あ」

 

 そこへ丁度良くやって来たのは黒装束に目元以外の顔を隠した男……“隠”である。

 彼は障子を開けて廊下側からひょこりと顔を出し、部屋の中を見る。そして、察する。

 

 あ、また始まった……と。

 

 旭は顔どころか耳まで赤くしてわなわな唇を震わせていた。湯呑みを畳に叩きつけるように置いたのは湯呑みを握り潰さないようにする配慮からである。

 一方、冷水を顔に叩きつけられた実弥は水気を乱暴に手で拭い、口に入った水をべっ、と吐き出した。顔中に血管が浮かび上がっている。

 

「テメェ……!!」

「おっ前……お前なぁ!! 近寄るなっていつもっ、いっっつも言ってるだろうが!! あと前閉めろ! 変態! 助平!! 破廉恥!!!」

「うるせェ!! ずっとこの格好だろうが!! いい加減慣れやがれ年上の癖に!! いつまで純情ぶってんだ馬鹿女!!」

「関係あるかボケェ!! 稀血のうえにそんな色気ある格好される方が困るんだよ!! お前いい加減自分が男前だと気づけ!? 自覚しろ頼むから!! 頼むから!!!」

「褒めてんのか貶してんのかどっちだァ!!」

「どちらかと言えば褒めてるが何かぁ!?」

「おォそりゃどうもォ!!」

「どういたしましてぇ!!」

 

 

 なんだこれは。痴話喧嘩か。

 

 

 端から見ればそんな会話である。 

 2人が顔を合わせれば、高確率でこうなるのだ。

 隠の男は苦笑いしながら仲裁に入った。

 

「実弥、旭さん。そろそろ喧嘩もやめにしたら?」

「「あ"ア"?」」

(この2人似てきたな……)

 

 顔面凶器の実弥と怒りと羞恥で紅潮している旭が、目を血走らせ額に青筋を立ててその隠を見た。

 他の隠であれば気絶もしくは即座に回れ右して逃亡する威力が備わっていたが、この男には通じなかったようだ。

 仏のごとく目元を和らげ、当然のように2人を宥めた。

 

「実弥はまず顔を拭いて。頭が冷えて風邪にでもなったら嫌だろ?」

「風邪なんか引くかよォ」

「これから任務なんだから、念のため。ほら」

「……ちっ」

「旭さんも寝起きにすいません。これから状況を説明しますので、落ち着いて話を聞いてくれませんか?」

「……君、粂野か」

「はい」

 

 にこー、と微笑みながら実弥に手拭いを渡すのは粂野(くめの) 匡近(まさちか)という男だった。

 柱を恐れないという“隠”でも稀有で有望な人材である。隠の中でも物怖じしない粂野を英雄のごとく崇め奉る者も居るほどだ。

 粂野はどこから取り出したのか、急須で湯呑みに茶を注ぎ、ずいと旭に差し出した。

 

「お茶です」

「……どうも」

 

 そろそろ粂野に“猛獣使い”という二つ名がつくかもしれない。

 

 

 

*****

 

 

 

「つまり、これから向かう町で鬼が出ると」

「はい」

「その鬼が恋仲の男女しか狙わない偏食な鬼であると」

「はい」

「だから、不死川と私で恋仲の振りをして鬼を炙り出す、と」

「はい。こちらが旭さんに着て頂く着物です」

 

 

「……別に私である必要ないのでは?」

「いいえ、これは旭さんでないといけません」 

 

 

 旭は嫌そうな顔で粂野から着物を受け取った。

 

「……私に対する嫌がらせかい?」

「違いますよ。あなたはどうしてそう……発想が暗いんですか?」

 

 そこまで拒絶反応を出すとは何事だろうか。粂野は勿論困り顔だが、実弥も舌打ちをしている。

 それを見て旭は少し苦い顔で言う。

 

「不死川に不服がある訳ではない。不死川も女性から見ても色気があって魅力的だし、傷痕もそこまで卑下するほどのものではない。むしろ他者を守った証拠であり誇ってもいいものだと思う。……出来ればその色気をもう少し押さえて隊服の前を閉めて頂きたいが」

「最後の言葉で全部台無しだわ。どっちが変態だァ」

「黙れ助平柱。私は決してその隊服は認めない。断じて」

「はいはい。押さえて押さえて」

 

 一々話が脱線する。粂野に苦労が絶えない。

 旭は実弥と睨み合いながら言葉を続ける。

 

「……だが、お互いの体質などを考えると任務遂行は少々難しいのでは、と言いたい」

 

 実弥は稀血で、その中でも珍しい“鬼を酩酊させる”血の持ち主。

 対して旭は鬼を作り出す鬼舞辻の娘で、鬼と似た体質を持っている。

 先程の鬼ごっこ後のように、彼の稀血の匂いで否応なく酔ってしまうのだ。

 それでは任務にならないだろう、と旭は言いたいのだ。

 

「それに、私の刀は一般が使うものと違ってかなり大きいから隠せないし」

 

 旭の扱う大刀は彼女の身長よりも少し大きい。いつも腰ではなく背中に背負っている刀は、彼女の背丈を越えて見えてしまう。

 

「……第一」

「第一?」

「……下手に同僚と遭遇して誤解されては不死川が困るだろう」

「いや……むしろ万々歳だと思いますけど」

「は?」

「匡近、お前後で正座な」

 

 まさかの返しに旭は眉を寄せて、実弥はピキピキと青筋を立てる。

 それをさらりと流して、粂野は言った。

 

「旭さん」

「なんだ」

「今回、旭さんはただ実弥との逢瀬を楽しめばいいんです」

「言い方どうにかならないか?」

「一週間ぶっ通しで鬼狩りをしましたよね」

「う"っ」

「仕事熱心なのは良いことですが、何も鬼殺隊も鬼じゃないんですから」

「その言い方も不謹慎では?」

「いいから聞いてください。人の揚げ足ばっかり取って」

 

 怒られて旭は苦虫を噛み潰したような苦い顔をして黙り込んだ。

 

「まずあなたに今回の任務で刀は持たせません」

「は?」

「お館様からの配慮です。旭さんのことだからこうでもしないと普通に休まないだろうと」

「そういうわけでもないんだが……」

「勿論、稀血同士というわけで囮としての意味もありますが……実弥と一緒じゃないと気が抜けないでしょう? 仮にも休暇なのに」

「もう任務じゃないよな。休暇って言ったよな」

 

 つまり、仕事をさせないように力を抜けさせるために実弥と一緒にいろ。刀を持たせない。鬼が出るまでは普通にお出かけを楽しめ。

 ……旭の自業自得である。

 旭も結局は着物を着るしかなかった。

 

 

 

*****

 

 

 

「……酔う。ほろ酔い気分が悪化する」

「お前いい加減慣れろォ」

「……大分、慣れた方だと思うが……」

 

 町中を歩く男女の姿。

 女はほんのりと頬を朱に染め、どこか拙い足取りで男の隣を歩いていた。

 男はその女を呆れた目で見ながら、ちゃっかり繋いでいる手に力を入れる。

 

「……うぷ」

「吐いたら殴るぞ」

「誰が吐くか。気持ち悪いだけだ」

 

 一応恋仲のつもりである、実弥と旭であった。

 

 実弥は薄緑色の着流しを。

 旭は花柄が控えめに散らされた着物に柘榴色の袴という出で立ちである。

 距離が近いのに旭が平気なのは、先程ぐっすり寝たお陰とその寝ている長い間に実弥の匂いを嗅いで多少の耐性をつけたからである。一応人間でもあるので、鼻が匂いに慣れて麻痺しているのだ。勿論、再生力が半端ないので酩酊の稀血の匂いはしているのだが、鬼ごっこ前と比べたらかなりマシな方だった。

 旭は少し重い体を引きずるように、怠そうに歩きながら呟いた。

 

「不死川はともかく、私の着物は誰が選んだ」

「知るかそんなもん。似合ってるならなんでもいいだろォ」

「お前がそう思ってるならいいが……」

「は?」

「本来ならば私が隣に居ても良いような殿方ではないだろう、不死川は。私がいくら着飾ろうが意味はないだろうし。……正直、今この状況も釣り合っているとも思えない」

「……な」

「難儀だなぁ、この役は。酔うし」

 

 ため息混じりに呟く旭に実弥の体が一瞬固まる。漏れた言葉はその一言だけだった。

 その反応に対して旭は怪訝そうに小首をかしげた。

 

「? 何を驚いている。事実だろうに」

「ばっ……テメェ……」

「相変わらず不死川は自己評価が低いな」

「それはテメェだろうがァ……」

「は?」

 

 実弥は顔を片手で覆って、旭から顔を背けた。

 旭は眉を寄せたが、彼の耳を見て察した。ついでに匂いや心臓の鼓動で。

 

「……意外だ。君でも照れることがあるんだな」

「見てんじゃねぇよ」

「あいてっ」

 

 パンッ、と後頭部を叩かれ、旭は反射的に声を漏らす。非難めいた目を実弥にへと向けるが、彼は鼻を鳴らしただけである。

 

「で、どこに行くんだァ?」

「は? こうしてぶらぶら歩いているだけでは駄目なのか?」

「それのどこが逢い引きなんだよ……」

 

 初心者の無計画の逢い引き。しかも、これが恋仲の振りであるため余計に分からない。こういう時に相応しい場所とは一体どこなのだろう。

 

「……食事とか? 甘露寺とはよく食事に行くが」

「あいつは食事の次元を越えてるだろォ……」

「だが、美味しそうに食べるから見ている分にはとても楽しい」

「……甘味処にするかァ」

 

 下手すれば同じ量食わせられるかもしれない。そんな変な危惧を感じた実弥はがしがしと頭を掻いて、旭と繋いだ手を引く。

 

「お前、欲しいものとかねぇのか」

「欲しいもの? ……包帯」

「お前……」

 

 どこかずれている旭に、やはり彼は呆れた目を向けた。

 そして、近場に甘味処はあっただろうか、と頭の中の地図を探った。

 

 

 

*****

 

 

 

 一時(ひととき)の逢瀬を楽しんだ(?)2人。

 結論から言おう。

 

「お前散財癖があったんだな……!」

「はァ?」

「無自覚か末恐ろしい……」

 

 実弥は一言で言うと“宇随型”だったのだ。

 

 逢い引きと言うことで、あちこちで小物や着物を見て回った。

 旭はただ見て回るだけでも充分楽しかった。店の者には冷やかしのようで悪いが、旭はあまり物を買うことが好きではない。己のような人擬きが綺麗なものを買い求めるなどあってはならない、という持論から食指はあまり伸びないのだ。

 しかし、実弥は違う。旭に似合いそうなものや旭が見ていたものを購入して旭に与えるという……旭からすればとんでもないことをしているのだ。

 元より柱の給料とは破格の上に彼はあまり散財しない方なのだから、散財癖というよりは貢ぎ癖と言った方が正しいと思うが、それはさておき。

 

「とりあえず簪はやめてくれ。店に返してこい」

「んなこと出来るかドアホ。良いから黙って受け取れ」

「男の意地やら二言は言わないやらを今だけ捨てろ。後で恥をかくのはお前だ」

「クソ真面目な顔で言ってるのがまた腹立つなァオイ」

 

 真顔で簪を持つ手を実弥へと押す旭。

 額に青筋を浮かべながらその簪を押し返す実弥。

 ちなみに単純な腕力勝負ならば旭の方が強い。彼女は鬼の血を引く者。悲鳴嶼程ではないが、怪力なのである。

 

「俺が良いって言ってんだ。いい加減受け取れ」

「断る。先程着物まで買っただろう。あんな高価なものだけでもやりすぎだというのに簪まで受け取れるか」

「買っちまったもんはしょうがねぇだろォ。テメェのために買ってやったんだ。俺がいいんだから受け取りやがれ。……それとも、受け取れねぇ理由でもあんのかァ?」

「………はぁぁぁ」

 

 旭は口から魂が出てきそうなほど深いため息を吐くと、渋々ながら簪を懐に入れた。

 

「不死川、女に小物を贈るなら着物はまだしも簪はやめておけ」

「はァ?」

「特に意中の女性でないなら尚更だ」

「なら問題ねぇな」

「……は?」

「何でもねぇよ」

 

 さらっととんでもないことを言われた気がする。

 追及しようとも考えたが、下手に近寄って酔うのも嫌だし、気にしていると思われるのも嫌だ。本人が何でもないと言うのならいいのだろう。そう自分に言い聞かせて旭は不死川と共に歩いた。

 

「それで……ここが例の?」

「ああ、鬼が出るって噂の茶屋らしいが……」

 

 2人して顔をしかめる。

 

「……今までの逢瀬の意味はあったか?」

「さてねェ」

 

 出合茶屋、と呼ばれるものがある。

 元は江戸時代によくあった、男女の密会や相談事などを行うことができる茶屋のことで、大正のこの時代では衰退傾向であり、あまり見かけることがない。

 なるほどこれなら、恋仲の男女が被害に遭う訳である。

 恋仲というよりは、両親に認められていない2人の秘密の逢瀬を狙われたのだろう。それなら行方不明になっても、関係がばれない限り「まさかこんな所に居るわけがない」と思われても仕方がないことである。

 旭は茶屋から匂ってくる香水や、聞こえてくる水音、湿り気を帯びた声などを感じ取り、一言呟く。

 

「……こういうのは私達ではなく宇随とその嫁がやることではないか?」

「俺も同じこと思った。奇遇だなァ」

「ここまで嬉しくない同意は初めてだ」

「腹括れェ。俺は括った」

 

 実弥がぐい、と腕を引くため、旭は嫌そうな顔を抑えて実弥の腕に抱きついた。

 

 

*****

 

 

 中に踏み入り、旭はまず顔を硬直させた。きつい香水の匂いがしたのだ。

 中に居たのは多数の見目麗しい男女と胡散臭い主人らしき男。おそらく娼婦なのだろう。かなり際どい格好をしている。

 新しい客に対して笑みを見せる。上から下まで舐め回すように見てくる茶屋の者達が何かを言う前に、実弥が主人らしき男に金を突き出した。

 

「部屋、空いてるかィ?」

 

 感情がこもっていない、所謂(いわゆる)棒読み的な言い方だった。

 かなり多めの金だと見て、男はえびす顔で頷いた。

 男が2階へ続く階段を見遣るのを見て、実弥と旭は階段へと歩を進める。周りから好奇めいた生暖かい視線が寄せられるが、それを全て無視して2人は部屋へと向かった。

 

「……先程の集団に居たな」

「だなァ」

 

 部屋に着くなり2人はどっと疲れた顔をした。

 何が居たのか、と問われれば、鬼が居た、としか答えられない。

 これでも長く鬼殺をしているのだ。感覚や気配で分かる。とは言え、あそこで抜刀すれば間違いなく警察沙汰になるため、平然を装ってこの部屋まで来たのだが。

 

「……酷い匂いがするし声が聞こえる」

「我慢しろォ。どこも似たようなもんだ」

 

 薄汚い部屋に残る前の使用者の淫臭、薄い壁越しの隣から聞こえてくる喘ぎ声、肌から感じる生温かいぞわぞわする空気……旭の気分が急降下している。五感が鋭いのが仇になっていた。今日ほど己の体質を恨んだ日は無いだろう。

 

「お陰で酔いがさめていいんだが……まさか生きている間にこんなところに来るとは思っていなかった。……しかも、同僚と」

「まぁなァ」

「……他の鬼殺隊士とかこの近辺に来ていないよな」

「気にしすぎだろォ。で、これからどうする」

 

 鬼が娼婦らしき集団の1人だと分かったのだ。さっさと終わらせて帰りたい、というのがお互いの一致である。

 

「刀も持っていないし、私が部屋から出ていこうか。不死川が1人になれば鬼も寄ってくるだろう。廊下の日の当たる場所にいれば鬼が来ないだろうし、そちらの方がお前も気を使わずに済むだろう」

「そうだなァ」

 

 即断即決。

 旭は立ち上がり、ふらりと部屋から出ていった。

 実弥の気配が遠のいていき、代わりに新しい気配を2つ感じ取った。その内の1つは先程、旭達が取った部屋の前で止まったから、おそらく鬼なのだろう。

 旭はそんなことを考えながら廊下の窓際でぼんやりと外を眺めた。

 まだ日が昇っているとはいえ、油断はできない。

 日陰から襲いかかってくる鬼もいるかもしれないのだ。先程感じたのは1体だけだったが、もしかしたら数体いるかもしれない。血鬼術で分裂する、なども考えられないわけではない。

 念のため普通の小刀を懐に忍ばせてはいるものの、所詮はただの小刀。頚を斬った所で意味はないのだ。精々(せいぜい)、彼が来るまでの時間稼ぎ程度である。

 

「こんにちは」

「!」

 

 声をかけられて、旭は懐に手を入れて振り返る。

 

「あれ、さっき入店した人ですよね? 一緒に居た男性はどこへ?」

 

 ……鬼ではない。

 日光が照るこの窓際に何の疑いもなく踏み入ったことが何よりの証拠である。懐に入れていた手を引き抜いて、旭はそっとため息を吐いた。

 

「色々と、事情があってな」

「ああ、この店の女でも買ったんですね」

(この店の連中はそれしか頭が回らないのか……)

 

 うんざりして、面倒だから無視する。

 しかし、その無言を肯定だと取ったのか、男は更に距離を詰めてきた。

 

「こんなに美しい女性と一緒に居て、他の女に目移りするなんて最低ですね」

「……」

「俺だったらあなたのこと、もっと大切にするのに……」

「……」

 

 遂には旭の隣に並んで、一緒に外を眺める形になる。それでも旭が無視していると、男は少し不機嫌そうな声を彼女の耳元(・・・・・)で囁いた。

 

「ねぇ、聞いてます?」

「っ、ひ」

 

 旭の体が硬直した。

 咄嗟に硬直したのが不幸中の幸い、男の顔面を砕く裏拳は出なかった。

 下手に殴ろうものなら傷害罪だ。相手は下心があろうが、ただ己の仕事を全うしようとしているだけである。理不尽な暴力を与えるわけにもいけない。というか、鬼殺隊である旭が彼を殴ろうものなら9割がた殺してしまう。冗談抜きで。

 代わりに小さな悲鳴が漏れ出たのを聞いた男が口元に三日月を浮かべながら、旭の腰を抱く。

 

「なんだ、聞こえているじゃないですか」

 

 どこかからかうようなその口調が気に入らない。大抵のことは許せる旭でも、こればかりは気に入らなかった。

 

「……おい、いい加減にしろ」

「あ、やっと喋ってくれた。嬉しいです」

「私はそんなことは望んでいない。さっさと別の女に構ってやったらどうだ」

 

 きっぱりと口に出して男を拒絶する。

 しかし、男は笑っただけで、腰から手を離そうとしない。むしろ腰に回した手をいやらしく這わせてくる。

 

「っおい、お前」

「ねぇ、お姉さん。俺を買ってくれません?」

「はあ?」

「どうせお姉さんの連れの人も1人で楽しんでいるんでしょう? だったらあなたも俺と遊んだ方が良いですって」

 

 男から妙な熱気を感じた旭は嫌悪感を(あらわ)にして近づいてくる男の顔から逃れた。

 

「断る」

「どうしてです? 俺、結構ウマイんですよ?」

 

 腰に回した手に力を入れて、旭と向かい合わせになる男。目が血走っており、荒い息を吐いている。それで背中やら腰やら臀部やらをまさぐってその気にさせようとしている辺りに旭は吐き気がした。

 そして、ふと男の後ろに目を向けてため息を吐く。

 

「今すぐ離れないとお前の腕と喉が使い物にならなくなるが、良いのか?」

「? ……はあ」

「……。それでも続けると言うのなら、覚悟してくれ」

「っ!」

 

 男の目を見据えて、旭はそう告げた。

 男は目を輝かせる。それはつまり、俺を買ってくれるということか、と。

 恋仲が居ようが居なかろうが男にとって対したことではなかった。己にとって重要なのは、目の前のこの“美味そうな女”を食えるか否かだった。どうせ一時の気の迷いなのだ。逆に楽しまなくてどうする。

 そんなある意味最低な思考を持つ、鼻息を荒くした男は首を縦に振る。

 

「勿論です! じゃあ早速……」

 

 

 

「言質は取ったからなァ……?」

 

 

 

 部屋に行きましょう、と言う前に、背後から身の毛もよだつ低い声が聞こえてきた。

 地を這うような恐ろしい声に男の体が硬直する。

 

 ゴキッ。

 バキッ。

 

 硬直した男の両腕が捻り上げられた。

 

 ゴチュッ。

 

 それに男が絶叫する前に、旭が男の声帯を潰す。

 

 的確に喉を突かれた男はあまりの激痛にぐるりと黒目を瞼に隠して意識を失った。

 ごとりと床に倒れた男を2人とも一瞥もしない。彼の背後に立っていた男はというと、旭を見て青筋を浮かべていた。

 

「テメェ何絡まれてんだ馬鹿女がァ」

「不可抗力だ」

「だとしてもちっとは抵抗しやがれェ!」

「いひゃい」

 

 怒り心頭の男……実弥は小声で怒鳴るという器用なことをしながら、旭の頬をぐにりと摘まんだ。

 そして、旭の服装に乱れが無いことを確認した後、苛立ちを(あらわ)にした舌打ちをしながら、実弥は「行くぞ」と彼女に背を向ける。

 茶屋を出る際、主人達から「もう出るんですか?」と不思議そうな目を向けられたが、知ったことか。こちらは殺ること殺ってきたのだ。文句は言わせない。

 

「鬼は?」

「お前が出ていった後に来た女がそうだった」

「そうか。あの男はどうする」

「隠がどうにかするだろォ」

「……。なら良いが」

「良くねぇだろ」

「なんなんだお前」

 

 茶屋を出てからずっと不機嫌そうな雰囲気の不死川に旭は首を傾ける。

 すると突然、不死川がギョロリといつもの倍血走った目で旭を見据えた。

 

「女が軽々しく男に体触れさせてんじゃねぇよ」

「は?」

「チッ」

 

 何度目かも分からない舌打ちをして、ずんずんと不死川は進んでいく。

 旭は眉を寄せてその意味を考えて……理解した。

 先程旭が男から迫られていた時、傍に居なくて守れなかったことを悔やんでいるのか、と。

 

「……そういうところだぞ、不死川」

「あ"?」

「鬼殺をしている以上、女という性は既に捨てているんだ。何もそこまで悔やむ必要はない」

「……何言ってやがる」

「? 先程の男に迫られていた時、守れなかったことを悔やんでいるのでは?」

「………」

「お前は優しいからな。だが、任務上致し方なかったというのは理解してくれ。あれは私の断り方も悪かったのだろう」

 

 

 そうじゃない。いや、そうでもあるんだがそうじゃない。

 

 単純に“自身以外の男が彼女に触れている”という事実に腹が立っているだけで、別に優しいだとか任務だとかそういう理屈じゃない。

 これはただの独占欲で、そんな真っ当なものではないのだ。

 彼女が酔う姿を見られるのは自分だけ。彼女が顔を赤くして生娘のような態度を取るのも自分だけ。

 簪を贈るのも着物を贈るのも、そういう意味で贈っているのである。

 更に欲を言うならば、己が見立てたものだけを着てほしいし身に付けてほしい。

 「この女は俺のものだ」と言外に言いふらしたいのだ。

 そんな独占欲とも支配欲とも取れる劣情を必死に隠して(微妙に漏れている気もするが)旭と今の関係を築いているのだ、この不死川 実弥という男は。

 しかし、旭は自分のような鬼子が恋愛沙汰などあるわけがないと思い込んでいるし、やる資格もないと割り切っている。

 それもあって、実弥の重めの愛情にもこれっぽっちも気づいていない。

 不幸中の幸いと言うやつだろうか。

 

「……テメェは本当、呑気なやつだな」

「なんだ突然」

「別にィ。おら、さっさと藤の花の家紋の家に戻って着替えるぞォ」

「いや、もうお前はそのままがいい。露出するな」

「後でぶった斬るから覚悟しとけよクソアマァ」

 

 いつも通りの会話をしながら、任務を終えた2人は藤の花の家紋がなされた家へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわっ、この人なんで両腕の関節外れてるんだ?」

「しかも喉まで潰され……え、怖っ。柱ってやっぱえげつねぇ……。容赦ねぇ……」

(喉は旭さん、両腕は実弥だろうなぁ……)

 ちなみに、旭達の鬼狩りの後処理に来た“隠”の人達は男の惨状を見て、改めて「柱は怖い」と思ったらしい。

 約1名、苦笑いしながら男に両手を合わせたとか合わせていないとか……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 後日談、其の壱。

 

***

 

 逢い引き中の話である。

 

「お前のところに新しい継子ができたんだってなァ」

「ん? ……それがどうした」

 

 甘味処でわらび餅を頬張っていた旭に、実弥がふと口を開いた。

 旭は考えるように目線を明後日(あさって)の方向に飛ばしたが、玄弥のことかとすぐに分かった。

 旭は実弥をじっと見つめて……やはり、肉質は似ているなと改めて思う。兄弟でおそらく間違いない。だからこそ、心配しているのだと彼女は思った。

 

「悪いが、鬼殺隊を辞めさせろと言う話は聞けない。私も私なりに彼に期待している」

「お前には言わねぇよ」

 

 その代わり、と実弥は隣に座る女をギロリと睨みつけた。

 

「……絶対に死なすんじゃねぇぞ」

「……絶対にとは言えないが」

「絶対に、死なすんじゃねぇぞ」

「………努力する」

 

 こいつ、兄弟愛が強すぎるんじゃないか?

 急にわらび餅の味が感じられなくなった旭であった。

 ちなみに彼女は実弥の自身への愛が重めであることを知らない。

 

 

 

*****

 

 後日談、其の弐。

 

***

 

「……旭」

「どうした、義勇」

「……先日、不死川と(任務の一環で)出合茶屋に行ったそうだな」

「ごぶっ!?」

「ぶっ……!?」

「え。旭さん、錆兎……?」

「真菰、ちょっと耳を押さえていようか。と言うか私が押さえようここからは大人同士で話し合う」

「え? う、うん……?」

 

 いつか約束していた水屋敷での食事会。

 旭特製の鮭大根を食べていた冨岡(とみおか) 義勇(ぎゆう)が唐突に言い放った。

 なんってことを食事の場で言いやがる。

 いくら口下手とはいえその話題はここで出すものじゃないだろうに。

 そのせいで被害者が出た。錆兎が耳を真っ赤にして味噌汁を吐き出したではないか。まだ真菰がその茶屋について知らなかっただけ幸運である。

 こんな純粋な娘にこの話を聞かせるわけにはいかない、とすぐさま旭が真菰の耳を押さえて音を聞こえなくした。頼むから君だけはそのままでいてくれ。

 

「義勇。返答次第ではお前の頭を吹き飛ばすと思え。その話はどこで聞いた」

「……(任務の帰りにとある町を通った。その途中で偶然会った“隠”の中に不死川と仲が良い隠を見つけて、声をかけようとした。そこで丁度)2人が逢い引きしているところを見た。(その後、事情を隠に聞いて任務だと分かった。誤解しかけて)すまない」

「見たのか……! 待て、逢い引きからか!?」

「ああ」

「いつ! どこで!!」

「ちょ、ちょっと待て。色々と事情を説明してほしいんだが……? まず旭は不死川と、その、交際していたのか……?」

 

 それ見たことか、被害者が出てきているではないか。ふざけるな。

 真菰なんて意味が分からず錆兎の青ざめた顔色と冨岡の済まし顔と旭の引き攣った表情を見て「あ、これ修羅場かな?」なんて呟いているんだぞどうしてくれる。

 実際、修羅場とも言い切れない状況であるが。

 

「誤解するな、錆兎。私と不死川はそんな関係ではない」

「は? だったらどうして出合茶屋なんかに……」

 

 困惑していた錆兎がふと真顔になった。

 

「……体だけ求められたということか……?」

「は? いや違うが」

「ちょっと不死川を斬ってくる」

「待て待て待て待て! 錆兎誤解だ! 誤解!」

「安心しろ、旭。あいつが柱だからといって庇う必要はない。あいつは男としてしてはならないことをした。あいつは男ではない、ただの屑だ。屑は見逃しておけない。今からお前の純情を弄んだあの屑を切り刻んでくるから、ここで真菰達と食事を楽しんでくれ」

「誤解だと言っているだろうが!! 聞け頼むから!! おい待て、さっ……義勇! 錆兎を捕まえろ!! 頼むから捕まえろ鮭大根沢山作ってやるから!!」

「分かった(即答)」

 

 この後、屑こと不死川に決闘を申し込もうとしている錆兎を鮭大根のためならと必死で押さえた冨岡。

 事情を1から説明してようやく己の勘違いを理解した錆兎は旭に土下座して謝り、冨岡を「誤解させる言い方をするな」と怒った。

 真菰に問われた旭は色々とぼやかしながら懇切丁寧に誤解されないように話した。

 

 

 

 真菰は自室に戻った後、独り言を呟く。

 

「意外と風柱様もやるなぁ……」

 

 旭争奪戦は白熱しているようだ。

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