その柱、鬼子につき。   作:瑠璃色砂糖月

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5話「霧が晴れた日」

 水柱・鱗滝(うろこだき) 錆兎(さびと)冨岡(とみおか) 義勇(ぎゆう)

 2人で1つの柱を担う彼らと旭は同じ時期の最終選別を抜けた、所謂(いわゆる)同期である。

 あの頃の冨岡は臆病で泣き虫。口下手なのは変わらないが、泣き顔で感情を表すような少年だった。

 一方で錆兎は勇猛果敢で旭を除く同期の誰よりも強かった。悲鳴が聞こえればすぐさま助けに向かい、他の無事な子に助けた子を任せてすぐさま次へと……。良くも悪くも、自己犠牲が強く、無鉄砲な性格の少年だった。

 21になった今でこそかなり落ち着いているが、昔はそこそこに手がかかる人達だったと旭は認識している。

 そんな彼らに頭と胃を痛めながら、柱となった今でも旭は付き合いを続けている。とは言え、仲は相変わらず良好で、むしろ水柱達からは親愛とも恋慕ともとれない感情を向けられている。それに旭が気づくことはおそらくかなり後のことになるだろうが。

 お互いに可愛い継子も居ることだし、と水柱と鬼柱は今日も良い付き合いを続けている。

 

 

 

*****

 

 

 

 2人が向き合っていた。

 片や、勾玉の首飾りを身につけた、黒髪の青少年。

 片や、儚げな雰囲気を持つ、狐の面を頭をつけた黒髪の少女。

 手には木刀。

 

「シィィィィ」

「フゥゥゥゥ」

 

 お互いに独特の呼吸音を響かせる。

 先に動いたのは───男児だった。

 

 雷の呼吸 弐ノ型 稲魂(いなだま)

 

 瞬き1つの間に5連撃を叩き込む超高速連撃。

 それを踏み込みと同時に相手の頭、首、胸、腰、足を正確に狙って打ち込む。

 しかし、相手も只では受けない。男児の攻撃を見切り、素早く対応してみせた。

 

 水の呼吸 陸ノ型 ねじれ(うず)

 

 上半身と下半身の捻れから放たれる攻防一体の弾き技。

 それにより男児は木刀を弾かれざるを得ない。男児は舌打ち混じりに後ろへと飛び退く。

 しかし、女児はすぐさま追撃する。

 彼女の木刀を持つ腕が見えなかった(・・・・・・)

 男児はぞっとして、咄嗟に首を横に反らした。

 びっ、と音がして、耳元を掠めて髪を数本持っていかれた。

 

 水の呼吸 漆ノ型 雫波紋(しずくはもん)()

 

 水の呼吸の型の中で最速の突き技。しかも、彼女の放つその突きには磨きがかかっていた。

 咄嗟に首を逸らしていなければ……。

 男児は背筋に寒気を感じながらも、笑った。

 

 雷の呼吸 参ノ型 聚蚊成雷(しゅうぶんせいらい)

 

 首を反らした勢いで、そのまま回転しながらの波状攻撃をしかける。それにより女児をはね退け、更に呼吸を深める。

 

 雷の呼吸 伍ノ型 熱界雷(ねっかいらい)

 

 着地と同時に迅速の斬り上げ。黒雷を纏った斬撃が女児に襲いかかる。

 彼女は───両腕を上げ、一気に振り下ろした。

 

 水の呼吸 捌ノ型 滝壺(たきつぼ)

 

 まるで上空から水の塊が落ちてくるような、そんな幻を見せる渾身の斬り落とし。

 両者の木刀が噛み合い、辺り一面にその衝撃が風となって吹き荒れた。

 それでも両者、1歩も引かず。すぐさま新たな技を出そうと木刀を握り締めた。

 

 

「そこまで!」

 

 

 しかし直後、終わりを告げる合図が。それと同時に木刀に(ひび)が入り、粉砕した。

 声をかけたのは、頬に大きな古傷がある宍色の髪をした青年である。彼は満足げに頷いた。

 

「うん、かなり良かったんじゃないか? なあ、旭」

「ああ、2人共動きが洗練されてきたな」

 

 彼───鱗滝 錆兎は隣で一緒に見ていた女に声をかけた。

 癖のある黒髪と鮮血のごとき瞳を持つ彼女は鬼柱の日向(ひなた) (あさひ)である。

 彼女は打ち稽古が終わった男児と女児を見つめていた。

 

「チッ、すばしっこさ以外何のその取り柄もねぇ女狐が……いい加減大人しく斬られやがれ」

獪岳(かいがく)はまた速くなってる。私もうかうかしてられないなぁ」

 

 勾玉の首飾りを身につけた、黒髪の男児こと獪岳。彼は鬼柱の継子であり、“雷の呼吸”を扱う者である。

 雷の呼吸の使い手の特徴とはその迅速さと手数の多さである。一瞬の内に行われる連撃や瞬間的な攻撃力は風の呼吸に勝るとも劣らない。

 獪岳は雷の呼吸の壱ノ型だけが何故か使えないが、その分他の技の型を磨いており、更には師の扱う“鬼の呼吸”もかじっている。そのため、一撃の威力や力強さはもはや同輩隊士とは比べ物にならない。

 

 もう1人の儚げな雰囲気を醸し出す、青い花が彫られた狐の面を頭に着けた少女は真菰(まこも)。水柱の継子であり、“水の呼吸”の使い手である。

 水の呼吸の使い手の特徴はやはりその歩方であろうか。流麗な足捌きと流水のごとき体捌きで敵を翻弄しつつ頸を断つ。他の流派と比べても様々な状況に適した型が多く、中には鬼を慈しみ斬る型も存在する。

 真菰は女性故に体も小さく筋力もそこまでない。水の呼吸を扱う上での威力は多少減少しているだろう。しかし、威力は無い分、彼女の一撃は速度が申し分ない。先程の突き技もおそらく、現水柱の2人よりも素早い。力が無いからこそ素早さに特化し、一撃必殺を狙うのが彼女流の水の呼吸だったのだ。

 

 そんな、素早さに特化している2人だが、現時点においてはまだ真菰の方が速かったようだ。

 獪岳も大分追いついてはきているのだが、女に、旭以外の女に負けていることが腹立たしかった。

 だからこそ、真菰に対して当たりが強くなる。

 

「俺が遅いって言いてぇのか。わざわざどうも。2度と稽古以外で話しかけんじゃねぇ」

「そうじゃないよ。獪岳は凄いなって言ってるんだよ」

「チッ、女狐が……。いつかその余裕ぶった顔凹ませてやるからな。覚悟しとけよブス」

「あーっ! またブスって言った! もうっ、そんなにひねくれてるから私と旭さん以外の女の人から嫌われるんだよ?」

「願ったり叶ったりじゃねぇか。テメェも寄ってくんな、醜女」

「もうっ、もうもうもう! 獪岳は女心が分かってないよっ。女の子にそんな態度だと旭さんにも嫌われるよ?」

「ハッ、やっすい挑発だなぉオイ。旭さんは態度を咎めはすれど、俺を嫌いになんかならねぇよ」

「獪岳、そういうの自意識過剰って言うんだよ。知ってた?」

「テメェやっぱそこに直れ。殺す」

「ふふ、私より遅い獪岳にはまだ無理だよ」

「言ったなオイ!! 絶対(ぜってぇ)殺す!!」

「がんばれー」

「逃げんな水女ぁぁぁあ!!」

 

「2人共仲が良くて何よりだ」

「あれが仲良しに見えるのか……?」

 

 捕まれば斬殺決定の鬼ごっこが始まった。何故だろうか、獪岳の口調と性格が風柱と似てきている気がする。……気のせいだろう。気のせいに違いない。

 旭は稽古場を縦横無尽に駆け回る2人を楽しそうに眺めた。

 一方で錆兎は贔屓目なしに可愛い継子を何度も「ブス」や「女狐」、挙げ句の果てには「醜女」呼ばわりしたあの男児をどう痛めつけようかと思い馳せながら眺めていた。

 対称的な2人だったが、ふと錆兎が振り返る。

 

「義勇、いつまでそんな所に居るんだ。こっちに来い」

 

 錆兎の呼び掛けで、1人だけ離れて見ていた男が彼女達の元へ寄ってくる。

 冨岡 義勇。錆兎と共に水柱として認められた男である。

 

「折角旭達が来てくれたんだ。一緒に鍛練でもしよう」

「……俺には関係ないことだ」

「説明があまり上手ではないから、俺が居なくても良いだろう、という意味かい?」

「? そう言っているだろう」

「「いや、言ってないぞ」」

「……そうか」

 

 冨岡はげせぬ、と思ったが、最も親しい2人が言うのならそうなのだろう。

 口下手ここに極まれり、である。これには流石に旭だけではなく最も付き合いの長い錆兎もため息もの。

 

「お前はもうちょっと、喋ってくれれば……」

「ああ、本当にな……」

 

 何故か憐れみの目を向けられる。

 心外。

 

「獪岳、そろそろ来い」

「っ! はい!」

 

 旭がいまだに真菰を追いかけ回していた獪岳に声をかければ、彼はすぐさま鬼ごっこを中断して旭の元へとやって来た。

 それに続いて、真菰も獪岳の隣に並ぶ。

 

「獪岳って旭さんのこと大好きだよね。私も鱗滝さんのこと大好き」

「うるせぇ女狐」

真菰(まこも)だよ。そろそろ名前で呼んでほしいな」

「黙れブス」

 

「獪岳。女の子にブスやら醜女やら言うのをやめろ。言うのは鬼だけにしろ」

「鬼だけにします」

 

 獪岳は旭にだけは確実に従順である。

 口は悪いが。

 

「もしくは私に対して言え」

「あんたのどこがブスなんだ。鏡見て言えボケ」

 

 旭も本気なのか冗談なのか分からないことを言う。……十中八九本気なのだろうが。

 そのせいでついつい本音が漏れる獪岳。これもいつも通りである。

 そんな会話が成された後、旭は錆兎と義勇に目を向けた。

 

「で……今日はどうする。打ち込み稽古でもするか?」

「そうだな……」

 

 水柱と鬼柱は基本的に仲が良いため、共に稽古をすることが多い。基礎的な柔軟、体力・筋力向上、太刀筋矯正……様々な鍛練も一緒にする。打ち込み稽古では違う呼吸同士……幸いにも水、雷、鬼と流派が違うため、お互いの長所短所も知ることもできる。

 それにお互い継子が居るので、先程のように2人の力量を測ったり足りない部分を見ることもあった。

 じゃあ、まずは……と旭と錆兎が考えていると、誰かの鎹鴉が屋敷の屋根に降りてくる。なんだ、と思っていると、鴉は叫んだ。

 

「カアアアッ! 水柱ァ、鬼柱ァ! オ館様ガオ呼ビダァッ! 直グニ屋敷ニ迎エェッ!」

「……任務か」

「だろうな」

「恐らく十二鬼月だろう。旭、刀は」

「獪岳、悪いが屋敷まで取りに行ってもらえるか。お館様の屋敷にまでは行けなくとも、呼ばれたのなら錆兎達と共に近くまで向かう」

「任務先に届ければ良いんですね。分かっています。そのまま共に任務というわけでよろしいですか?」

「賢いな、いい子だ」

「分かりました。早く行ってきてください」

「私も行くから大丈夫だよ、旭さん」

「は?」

 

 突然話に入ってきた真菰に獪岳は目を見開く。そして、あからさまに嫌そうな顔をした。

 

「来んな。俺1人で充分だ」

「でも、水柱が呼ばれたなら、きっと継子の私も一緒に任務に行くんだよ? それに、任務先で上手く旭さんと出会えるわけでもないし、その間獪岳の機動力も削がれちゃうんだよね。だったら、私と一緒に居た方がいいよ。ね、旭さん」

「まあ、言うことも一理あるか」

「嘘だろオイ」

 

 愕然としたような声を出す獪岳に、申し訳なさそうな目を向ける旭。

 

「元はと言えば、私が日輪刀を持ち歩いていなかったせいでもあるからな……。それで獪岳に傷でも出来たら切腹するしか……」

「旭やめろ。絶対にするな。些細な怪我ごときで切腹なんてするな」

「そうだぞ、旭。自虐癖はお前の短所だ。直した方がいい」

 

「カァァアアッ! 何ヲシテイルゥ! サッサト行ケェッ! オ館様ガオ待チダァアッ!」

 

 水柱2人に諫められる旭、急がせる鴉。

 不機嫌な獪岳とにこにこと読めない笑みを浮かべた真菰。

 全員は一度、この場で別れた。

 

 

 

*****

 

 

 

 死臭が、漂っていた。

 その屋敷の前には、ただただ死体が転がっていた。

 一足先に到着した真菰と獪岳。

 そこは水柱の担当地区と近い位置で、ひっそりと山奥に佇むお屋敷だった。鬼柱の現住居からもそこまで距離はなかった。旭達ならばすぐに到着するだろう。

 閉められた屋敷の門前には、無造作に死体が捨てられていた。どれほど放置されているのかは分からない。まだ暖かい、言い方が悪いが新鮮な死体もあれば、蛆が湧き蝿が(たか)っている腐敗死体もある。

 そのどれもが鬼殺隊士の服を着ていた。

 それを見て顔を歪め、口元を覆いながら真菰は呟いた。

 

「ひどい……」

「ここの鬼は悪趣味なのは分かる」

 

 獪岳はそう吐き捨てて、背中の大刀を背負い直す。布を丁寧に巻かれたそれは、獪岳の背丈とほぼ同等。

 

「……持とうか?」

「テメェに持てるような代物じゃねぇよ」

 

 機動力がかなり削がれるほどに相当重いはずだが、それでも肌見離さず持つのは敬愛すべき者の大切な刀だから。他のどうでもいい輩の物なら絶対投げ捨てている。

 しかし、非力な真菰が持てるような刀で無いことも事実。口調も言葉も悪いが、彼なりに真菰に配慮していた。

 

「じゃあ、どうする? ここで待ってる?」

「それしかねぇだろ。旭さんに丸腰で敵の本拠地に乗り込ませる気か、水女」

 

 軽口を叩き合っていると、どこからか不気味な音が聞こえてきた。

 

 ギィィィ……。

 

「!」

「何?」

 

 2人の警戒が高まる。

 2人が目にしたのは、屋敷の門が開く所だった。あれほどピタリと閉められていた、来訪者を拒絶していた門がゆっくりと、音を立てて開いている。

 

「……歓迎してくれてるのかな」

「はっ、本気でそう思ってんのなら笑えるぜ」

 

 勿論、真菰も本気でそうは思っていない。まだ日は高いが、屋敷の中はそうでもない。

 門から覗ける中は濃霧に包まれ、何があるのか分からなかった。あの霧もおそらく、敵の罠……血鬼術の(たぐ)いだろう。門の中から這いずるように吹き出ている。

 

「……気持ち悪ぃな」

 

 つい獪岳がそう言ってしまうのも頷ける。あれほど粘着な霧はそうそうない。現に、門の前で息絶えている隊士達を舐めるようにして這い出ている。

 霧がどんどん2人へと近づいてくる。彼らが霧に触れないように後退(あとずさ)るが、それよりも霧が2人の足元を包む方が速かった。

 更に霧の量が増す。

 どんどん門の奥から白い霧が流れ出て、2人の体を覆っていった。

 

「ちっ」

「ひゃっ? わぷっ」

 

 お互いの姿が見えなくなる前に、獪岳が舌打ち混じりに真菰を引き寄せる。それに彼女は小さな悲鳴をあげて、獪岳の胸元に顔を突っ込んだ。

 ……意外と硬くて男らしくて、不覚にもときめいた。

 

「テメェ、俺から離れんなよ。この濃霧だ。鬼と間違えて斬ったら旭さんも水柱もうるせぇからな」

(あ、何気に気にしてくれてるんだ……)

「……なにボケッとしてやがる、水女。刀抜けよノロマ」

「優しさは気のせいか……」

「あ?」

「ううん、何でもない」

 

 ちょっとだけ、ほんのちょっぴりだけ、私のことを心配してくれたと思ったのは勘違いか。

 まあ、元よりこういう性格なのは理解しているから落ち込むのも違うだろう。……根気強く行こう。

 真菰が謎の決心をしている中で、獪岳は回りを見渡して己の刀を引き抜いた。

 

(霧が深ぇな……。旭さんが心配だ。まあ、水柱があの人に掠り傷1つでもつけるとは思ってねぇが……)

「! 霧が晴れてきた」

 

 いつ、どこから、どのように攻撃されるのか、と2人が気を張っていると、僅かにだが霧の濃度が薄くなった。

 そのままどんどん白霧が晴れていき、周りの物の位置が分かるほどになる。

 そして、2人は唖然とした。

 

「……は?」

「……どこ?」

 

 立派な屋敷の庭に、2人は佇んでいたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どこかで誰かが舌舐めずりをする。

 

 

 

*****

 

 

 

『山奥の屋敷に行った隊士が戻ってきてないんだ。もしかしたら、“十二鬼月”の仕業かもしれない。これ以上剣士(こども)達が犠牲にならないためにも、君達に行ってほしい』

 

 お館様こと産屋敷(うぶやしき) 輝哉(かがや)は穏やかな声で錆兎と冨岡に命じた。「折角の休日に働かせてすまない」と少し申し訳なさそうに眉を寄せて。

 そして。

 

『旭にもよろしく伝えておいてほしい。休日にすまない、と。彼女は働きすぎる所があるからね。錆兎と義勇が見ていてあげておくれ。あの子は君達の前では少し気が抜けるようだから』

 

 ……とてつもなく嬉しいことをお館様から言われて、口元がにやけそうになるのを必死に押さえた2人。そのまま頭を下げてそそくさとその場を退散した。背中に受ける温かな視線は無かったことにしたい。

 2人を待っていた旭と合流した際、「2人とも動悸がしているが大丈夫か?」と不思議そうに問われた。なんとか知らぬ存ぜぬで押し通した。

 

 

 

 遅れて現場に到着した旭と錆兎、冨岡。

 まずは、と獪岳と真菰を探した。しかし、どこにも姿が見えない。

 

「……先に行ったのか?」

「いや、獪岳なら私のことを待つ。敵の罠にかかってしまった、と考える方が自然だ」

「だな。真菰も己の力を過信して敵地に突っ込むような馬鹿な真似はしない」

 

 3人の目の前には死体が転がる門、その奥には屋敷がある。

 空を見上げれば、厚い雲に覆われている。日光は届いていないようだから、鬼も活動できるのだろう。

 

「……旭はどうする」

 

 冨岡が彼女に投げかけた。

 旭は現在、大刀……“鬼斬り包丁”なるものを持っていない。それは獪岳が持っている。つまり、丸腰だった。それを危惧して冨岡は一応聞いてみたのだが、旭は平然と言い放つ。

 

「行くに決まっているだろう」

 

 このまま突入しても、旭ならそう易々とやられることもないだろう。元々の身体能力がずば抜けているのだ。

 しかし、煮え切らないように冨岡が食い下がる。

 

「だが……」

「それに、何か有ろうと無かろうと、君達が鬼の頸を斬ってくれるだろう。私は君達の実力を信頼している」

 

 そう、旭の傍には2人で1つの水柱がいる。たとえ自分に刀が無かろうが、2人ならば鬼を殺すことができると思っていた。彼女はただそれの補助にさえ入ることができればそれでいい、と。

 それを聞いて、水柱の2人は顔を見合わせた。

 

(……絶対守り切るぞ)

(当然だ)

 

 目を合わせただけで意志疎通を完璧に行う。

 2人からすれば、「君達が守ってくれるから大丈夫だろう」と言ったように聞こえたのだ。

 旭が考えている「自分のことは気にせず鬼を斬ってくれて構わない」ということとは少し違うかもしれないが、旭がそれを指摘することはなかった。

 もしも彼女に鬼が触れようものなら、そんなことが起きようものなら、その鬼は一瞬で細切れにされるだろう。

 2人とも、旭のことを大事に思っていた。

 音を立てて勝手に開いた門。3人は同時に中へと足を踏み入れる。

 

*****

 

 まず思うのは、静寂だということ。

 人っ子1人いない、人気(ひとけ)もない屋敷だった。上は白い霧に覆われている。

 旭は目を閉じ、耳を澄ませた。

 傍にいる2人の鼓動や呼吸音、森のざわめき、川のせせらぎ、鳥の鳴き声……、3つの声、落雷と滝が入り交じった音。

 ある程度の位置や地形を音で確認した後、旭は目を開いた。

 

「……真菰と獪岳もここにいるようだ。しかも交戦中」

「場所は?」

「あっちだ」

「急ぐぞ」

 

 3人は駆け出す。

 

 

 

*****

 

 

 

 時を少し遡る。

 獪岳と真菰は屋敷の中を彷徨(さまよ)っていた。

 

「……誰もいないね」

「鬼は確実だろ。お前しっかりしろよ、ぶ……しこ……、……水女」

「ねぇ、“ブス”とか“醜女”とか言おうとしてた?」

「言ってねぇだろ」

「言おうとしたでしょ」

「黙れ不細工」

「それ、ブスと変わらないよ」

 

 真菰の追及に舌打ちする獪岳。彼は歩く足を止めると、ぐるりと首と肩を回す。すると、ゴキゴキと凄まじい音がなった。

 

(……こんな重いもの、旭さんは片手で振り回してるんだよな……)

 

 改めて俺の師範は凄いと思い直した獪岳。真菰も立ち止まって、部屋の中を見渡していた。

 

(……普通の家みたいなのが、なんか不気味……)

 

 どこをとっても、違和感の感じない立派な造りの部屋。中をぐるりと見渡していると、獪岳から「おい」と声がかかった。目を向けたと同時に大きな音がした。獪岳が次の部屋への襖を蹴り倒しているのだ。今まで真菰が開けていたので、その豪快な開き方に少しばかり刮目する。

 どこか男らしさを感じた。……錆兎の影響だろうか、と思うくらいには豪快だった。

 

「何ボーッとしてやがる」

「……ううん、なんにも」

 

 ない、と言おうとして止めた。獪岳のその先の、次の部屋から何かが伸びていた。

 彼に向かって。

 

「獪が───」

 

 雷の呼吸 弐ノ型 稲魂

 

 真菰が呼ぶよりも早く、彼は瞬時に放てる5連撃を振り向き様に乱れ撃った。

 赤黒い血飛沫(ちしぶき)が舞うのを見ながら、獪岳は後ろへと跳び、もう一度抜刀。

 

 雷の呼吸 肆ノ型 遠雷(えんらい)

 

 遠距離斬撃を前方一面に放つ。黒い雷が轟き、部屋が一瞬で滅茶苦茶になり、切り刻まれる。

 ずたずたにしたその部屋から、白い霧が漏れる。白霧はぐにゃりと波打つと、手の形に変わり、獪岳へと襲いかかった。

 獪岳が再び技を出そうと刀を構えたが、ふいにその構えを変えた(・・・)

 

 水の呼吸 参ノ型 流流(りゅうりゅう)()

 

 舞うような足捌き、淀みなく流れる水の如く。真菰の水の刃が、獪岳へと襲いかかる白霧の手を全て斬り落とした。

 

 雷の呼吸 陸ノ型 電轟雷轟(でんごうらいごう)

 

 直後、空気が震えて雷鳴が轟く。黒き稲妻が四方八方を食い荒らし、無差別に全てを壊していった。まるで雷神の憤怒の如し。あらゆるものを抉り消し飛ばしていく。

 屋敷の一部が雷刃の威力に耐えきれず崩壊する。

 獪岳は平然と、真菰は慌てて崩壊に巻き込まれないようにと庭へ逃げた。

 

「ちょっと獪岳! 私も巻き込まれるところだったよ!」

「知るか。まあ、助けてくれたのは感謝してやるよ」

 

 傲慢不遜な言葉に真菰は口を尖らせた。この、上から目線な言い方さえ改めれば、もっと接してくれる人は増えると思うのに。

 真菰を見もせず、ただ真っ直ぐに自身が崩壊させた部屋の一部を見ている獪岳の横顔。彼女はそれから目を逸らして、彼と同じように屋敷へと目を向けた。

 白い霧が充満していき、直後、晴れていく。

 屋敷の中には、着流しを着た誰かが立っていた。

 白い長髪が靡いた。金色の瞳、黒の瞳孔は猫のように長い。額には2つの角、肌も青白く不健康そうだった。

 

 ───鬼。

 

 2人は刀を構え。

 彼は絶対零度の瞳を2人に向けている。

 

「貴様等……私の作品をよくも足蹴にしてくれたな」

「は?」

「……作品?」

「決まっているだろう、この屋敷のことだ」

 

 ふん、と鼻を鳴らして、鬼は2人を卑下した。

 

「この美しい屋敷を見学に来たのかと思い、招待したというのに……。靴も脱がず、挙げ句の果てには襖を踏み倒すという蛮行……赦すまじ!!」

 

 話しているうちに感情が昂ってきたのだろうか。最後には叫び、ギリギリと歯軋りをした。その際に見えた鋭い犬歯。それを己の中に渦巻く激情と共に剥き出しにする。

 

「貴様等、今までやって来たあの凡庸共と知り合いだな?」

「……門の前の遺体、あれは全てあなたがやったの?」

「当然だ。何が悪い」

 

 鬼はふん、と鼻を鳴らす。

 

「おかしなことを聞くな、女。逆に私の芸術を理解しない畜生共を生かす価値などあるのか? この静寂で調和の取れた美しい屋敷の中で喚き散らし物を壊す……そんな輩を排除したまでだが?」

 

 真菰はすっ、と目を細めた。

 屋敷を壊したくらいで人を殺すその感性が理解できなかったのだ。屋敷は壊れても直せばいいが、人は殺せば2度と生き返らない。

 あまりの言い草に真菰が閉口していると、獪岳が面倒くさそうに吐き捨てる。

 

「ごたごたぎゃーぎゃーぴーぴーと……よく回る口だぜ」

「……口を慎め、凡人。誰の前だと思っている。天才芸術家、燈霧(とうむ)の眼前だぞ」

「知るかよ。そんな名前、聞いたこともねぇ。さてはお前、そこまで有名じゃねぇんだろ」

 

 今度は獪岳が鼻を鳴らす番。

 鬼……燈霧と名乗った鬼は顔をしかめた。

 

「まあそりゃそうか。こんな所までわざわざ足を運んで評価してくれるような人はいないだろうしなぁ」

「死ね、(ごみ)が」

 

 血鬼術 白霧(しろきり)

 

 燈霧の体から濃霧が発生。直後、手の形になると獪岳へと襲いかかった。彼は「はっ」と軽く笑い飛ばすと、迎撃の構えを取り、呼吸を深めた。

 

 雷の呼吸 弐ノ型 稲魂

 

 5連撃でその手を全て斬り落とし、獪岳は後方へ退く。

 燈霧は顔中に血管を浮かび上がらせて、唾を散らして喚いた。

 

「貴様は生かして帰さん!! 塵芥(ちりあくた)の存在で私を馬鹿にしたこと、死んで後悔しろ!!」

「こっちの台詞だぜ!! その頸斬り落としてやる!!」

「もう、血気盛んだなぁ」

 

 「獪岳、旭さんの刀持ってるの、忘れてないかなぁ」なんて、呑気に言いながらも彼女は燈霧に肉薄した。

 その素早さに燈霧は目を見開く。

 

 水の呼吸 壱ノ型 水面斬(みなもぎ)

 

 横一閃。

 頸を狙った一撃を燈霧は避けることもなく、平然と受けた。

 すっぱりと、首が刎ねられる。

 しかし、真菰は目を驚愕で見開いた。

 

「っ!?」

 

 手応えがない(・・・・・・)

 確かに頸を斬っている。宙に舞う生首がその証拠だ。それなのに、振り抜いた刀から感じるこの軽さは異常。

 真菰と目が合った燈霧は口元に嘲笑を浮かべていた。

 途端に燈霧の体を構成していたものが解けて霧になり、真菰を強襲する。

 

 水の呼吸 肆ノ型 ()(しお)

 

 瞬時に斬撃を流れるように繰り出し、その場から離れる真菰。その背中にとん、と重みと固いものが当たった。……獪岳だ。

 背中合わせで2人の周囲を囲む霧に向かって刀を構える。

 

「おい女狐! あの鬼どこ行きやがった!」

「霧になっちゃったから、分かんない」

「ちっ、使えねぇ……。しかもこの霧がうぜぇ」

「取り敢えず、蹴散らしてから……む」

 

 ふと、空気が変わった。

 途端に霧が晴れる。いや……斬り飛ばされた。

 チン、と鍔鳴り。

 2人の目の前に現れたのは、宍色髪の男と半々羽織りの男。

 

 水の呼吸 拾ノ型 生生流転(せいせいるてん)

 

 回転する度に、攻撃する度に威力を増す技。荒々しい波を連想させる刃と流麗に流れる川を思わせる静かな刃が霧を吹き飛ばしたのだ。

 

「大丈夫か、2人共」

「……よく耐え抜いた」

 

 水柱の錆兎と冨岡である。

 真菰はパッと顔を輝かせて、獪岳は「遅ぇ…」とぼやいた。

 

「……旭さんは?」

「ああ、そこに居るぞ」

 

 錆兎の目線の先には、勿論、旭。

 獪岳はすぐさま彼女に駆け寄ると、体を確認する。服装の乱れや傷がないことに頷き、背中に背負っていた鬼斬り包丁を外して差し出した。

 彼女はそれを受け取ると、手慣れた様子で背中にくくりつける。

 

「ありがとう」

「いいえ、継子ですから。余裕です」

「後で肩を揉んでやろうな」

「………」

 

 獪岳はじろりと旭を睨むと、ふいと彼女から離れていった。照れ隠しである。

 それに真菰が「素直じゃないなぁ」なんて呟けば、「おい水女、ちょっとそこに座れ」と獪岳が刀を抜きかける。

 

「で、鬼はどこだ? 先程の状況を見るに、白い霧に姿を変える血鬼術だと推測するが」

「そうだよ。私達も霧でここまで連れてこられたから、間違いないと思う」

「そうか。真菰、体に異常はないか」

「うん。屋敷が作品だとかなんとか言ってたから、多分連れてくる以外に何もなかったと思う」

「作品?」

「なんか……芸術家っぽい感じの鬼だった」

 

 真菰が情報を共有する。

 それを聞いた水柱2人は、旭を見遣った。

 

「旭、鬼の居場所は分かるか? おそらく屋敷のどこかに本体があるはずだ……」

「……いや、わざわざ捜す必要はないだろう」

「……どういうことだ?」

 

 彼女は己の愛刀を抜き放つ。

 

「鬼は芸術家気質で屋敷を大事にしている。そうだな、獪岳、真菰」

「……はい」

「? そうだよ、旭さん」

「それだけ分かれば充分だ。要するに向こうから来ざるを得ない状況を作ればいい、ということだ」

 

 彼女はニィ、と悪寒を覚えさせる笑みを浮かべて、大刀を肩に担いだ。

 そして、獪岳へと目を向けた。

 それに、獪岳も彼女に似た凄惨な笑みを顔に浮かべる。

 

「ブッ壊す。そっちの方が手早く済む」

 

 鬼の呼吸 肆ノ型 死屍(しし)累々(るいるい)

 

 雷の呼吸 陸ノ型 電轟雷轟

 

 雷が迸り、死へと誘う斬撃が巻き起こる。

 周囲無差別に放たれた剣嵐が屋敷を引き裂き、崩壊させる。美しく敷き詰められた丸い白石が巻き上げられ、綺麗に磨き上げられた板や屋敷を支える柱が木っ端微塵と化す。

 錆兎達は咄嗟に身を屈めてその場に硬直した。こうなった時は逃げるよりもその場に留まって縮こまっていた方が吉。無駄に器用な2人は、ある箇所だけに斬撃がいかないように出来るからだ。動いた方が危ない。

 

「……豪快だな」

「適当だろ、これ。真正面から仕掛けるというのは男らしいが……」

「獪岳って絶対旭さんの影響受けてる……」

 

「すっきりしたな」

「そうですね」

 

 無茶苦茶な正面突破にも彼らは慣れたもの。長年付き合ってきているのは伊達じゃない。

 

「貴様らぁぁぁあああ!! 私の屋敷に一体何をするぅぅうぅ!!」

「あ、出てきた」

 

 旭の狙いどおり、憤怒の形相で出てきた鬼。早い登場である。

 

「どいつもこいつも何故私の芸術を理解しない!!」

「大勢の人を食っておいて、そんな都合の良いことがよく言えるな」

 

 錆兎が吐き捨てれば、燈霧は唾を撒き散らしながら怒鳴った。

 

「黙れ凡人共がぁぁああぁあ!! この屋敷から出て行けぇぇぇえええ!!」

 

 血鬼術 白蟲霧(はくちゅうむ)

 

 濃霧が発生。それは無数の白い虫に変わる。数にして数千。それはギチギチと顎を鳴らして、全員に襲いかかった。

 

 水の呼吸 参ノ型 流流舞い

 

 水の呼吸 玖ノ型・(かい) 水流飛沫(すいりゅうしぶき)(じん)

 

 水の呼吸 拾壱ノ型 (なぎ)

 

 雷の呼吸 弐ノ型・(かい) 稲魂(いなだま)万雷(ばんらい)

 

 鬼の呼吸 伍ノ型 狂乱怒濤(きょうらんどとう)

 

 水が舞い、雷鳴が幾重にも轟き、鬼の如し怒濤の連撃。それが一瞬で白霧虫を蹴散らし、霧を晴らした。

 それに燈霧が呆けている暇もない。

 己のすぐ傍に冨岡の姿があったからだ。

 

 水の呼吸 肆ノ型 打ち潮

 

 燈霧は思わず見惚れてしまう。

 冨岡の技はとにかく美しい。流れるような動きはまさしく流水。努力し磨き上げられ、洗練された技の麗しさは歴代柱でも頂点を争う。

 現に、敵に見惚れられたその連撃は、相手の四肢を綺麗に切断していた。

 すぐさま錆兎が上空から強襲。神速の力強い踏み込み、そして跳躍。それだけで足裏の石が砕けて、地面が揺れたような錯覚が起きる。

 

 水の呼吸 捌ノ型 滝壺

 

 上から叩き落とすように振り落とされる彼の刀は、確かに硬い鬼の体を両断した。その衝撃で地面にヒビが入り、割れる。ただその一撃に全身全霊をかける、技の中でも威力最高のこの捌ノ型は、錆兎に使われることで更に威力に拍車をかける。斬撃に沿うように裂けた地面がその証拠だ。

 更に追撃。

 両断され硬直した鬼に向かって、旭が腰で構えるように大刀を持ち、冨岡の後ろから飛び出した。

 

 鬼の呼吸 壱ノ型 鬼殺(おにごろ)

 

 豪快に横一線に振り抜かれた鬼斬り包丁が、鬼の頸に食い込んだ。直後、半分にされた頭達が宙に舞う。鬼の呼吸はとにかく威力や手数重視。一撃の重さならば岩の呼吸にも勝るとも劣らない。その中でも、壱ノ型は威力が高かった。

 水柱と鬼柱の見事な連携。

 頸を斬られた燈霧は、目を見開き、口をパクパクと動かしながら塵となり消えていった。

 

「旭、他に気配を感じるか?」

「……いや、あの鬼1体だけだったようだ。……ん」

 

 周りが明るくなる。

 彼らが目線を上げると、日光が燦々と降り注いでいた。あれほど太陽を拒絶していた霧が晴れていたのだ。

 それで不思議と気が緩まり、お互いに顔を見合わせて笑ってしまう。

 

「……終わったな。皆、怪我はないか」

「ないよ、錆兎。でも、思ったより強くなかったね。あんなに沢山隊士がやられてたのに」

「殺しただけで食ってはいなかったんじゃねぇか? 見た感じ偏食そうだったぜ」

「……旭、鮭大根」

「後で沢山作ってやる。まずはお館様に報告だろう」

「待て待て、隊士達を土葬してやろう。一応隠も呼んでいるが、あの数だからな」

 

 穏やかな会話。

 錆兎と旭が指示を出しながら、5人は門の前へと向かう。

 失った命は戻らない。

 儚く、脆い。

 しかし、だからこそ、美しく大切なものなのだ。

 今在るこの時間を、是非とも大切にしていきたい。

 なんでもない、この日常を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 後日談、其の壱。

 

***

 

 炭治郎、善逸、伊之助が蝶屋敷に来た時である。

 

「あっ、あの人、善逸の兄弟子じゃないか?」

「えっ、獪岳?」

「あ? どれだ?」

「ほら、あれ」

 

 炭治郎が指差した先には、黒髪に太い眉、気の強そうな目つきをした男……確かに、獪岳が居た。目を閉じて壁にもたれかかっている。

 いつもの黒の隊服は着ておらず、灰色の着流し姿であるのが不思議だった。今日は休日なのだろうか。

 

「どうしたんだろう。怪我でもしたのかな? 話しかけてみるか?」

「バカバカバカ、ほんっと炭治郎! おっかねぇよ炭治郎! 話しかけたらまたカスだの馬鹿だの消えろだの言われるに決まってるじゃん! やだよ俺! 罵倒されると分かって行かねぇからな!?」

「でも、一応知り合いで先輩なんだし……」

「いいんだよ放っておいてさぁぁあ! お前ほんと度胸あるよな!? 怖ぇよその真面目さが!」

「あ? おい、権八郎。あの狐女、お前の知り合いじゃねぇか?」

「え?」

「狐?」

 

 建物の陰から出てきたのは、狐の面を頭に着けた美少女である。

 黒髪に青い瞳。ふわふわとした優しくもミステリアスな雰囲気を纏った人である。

 この人も隊服ではなく、花柄のかわいらしい着物に袴というハイカラな服装だった。可憐、という言葉が炭治郎の頭の中に浮かび上がる。

 

「あれ、真菰だ。私服なんて珍しい……」

「真菰さん!? こんなところで遭うなんて運命!? しかも私服!? やだかわいいが溢れてるんだけど!? 俺ちょっと話しかけて……」

 

 

「獪岳、待った? つき合わせてごめんねっ」

 

 

 ───善逸がピシリと固まった。

 その間にも、時間は流れている。

 

「チッ……遅っせぇんだよ、ノロマ。ぐずぐずしてんじゃねぇよ。町に行く時間が減るだろうが」

「だからごめんねって言ってるのに……。だから獪岳は私以外で友達がいないんだよ」

「うるっせぇ。付き合ってやったんだから、とっとと行くぞ。旭さん待たせてんだ」

「旭さん、旭さんねぇ……むぅ」

 

 ……つき合ってるのか?

 

 さっさと蝶屋敷を出ようとする獪岳。

 その後ろを少しむくれながらも着いていく真菰。

 炭治郎も善逸も、あの伊之助でさえも(意味が分からずただ見ているだけかもしれないが)、ただ呆然とその光景を眺めることしかできなかった。

 

「わっ」

 

 真菰がふらつく。慣れない履き物をしているからだろう。炭治郎が咄嗟に駆け寄ろうとして……足を止めた。

 

「危ねぇな」

「あ、ありがとう」

「ふらつくならそんなもん履いてくんじゃねぇよ。馬鹿か」

 

 獪岳が真菰を抱き止めたのだ。善逸がぎょっとした。

 

(あの獪岳が、女子を助けた……だと……?)

 

 善逸が知っている獪岳とは、傍若無人ですぐに人を傷つける言動をしている、善逸史上最低最悪の自己中心的な男だ。善逸は彼のことを尊敬こそしているが、それでも大嫌いだった。

 ……その獪岳が女の子を、人を助けた?

 にわか、到底信じられることではないが、しかし事実である。現在進行形で目の前で起こっていることなのだ。

 

「服におしろいつけられちゃ困るからな。旭さんの前で変な格好してられねぇだろ」

「もうっ、旭さんが大好きなのは分かるけど、私だっておしゃれしてるんだからね!」

「はっ、馬子にも衣装」

「むうっ……! 本当、女心が分かってないよ、獪岳は。そこはお世辞でもかわいいって言ったら、女の子は喜ぶんだよ?」

「俺が褒めるのは旭さんただ1人だ。他の女なんてどいつもこいつも不細工にしか見えねぇ」

「うわ、最低……」

「まあ、お前はその中でもマシな方だけどな」

「……ほえ?」

「おら、行くぞ。ぐずぐずしてんな、水女」

「ね、ねぇ! 今なんて言ったの? 獪岳! ねぇ、私のこと褒めた!? ねぇってば!」

「そう聞こえたのか? お前、1回頭調べてもらった方がいいぜ。幻聴の症状が出てる」

「わ、やっぱり最低だ……」

 

 ……付き合ってるのか?(2度目)

 

 2人はそのまま蝶屋敷から出ていく。最後まで炭治郎達の視線には気づくことはなかった。

 3人はしばらく固まっていたが、ふと、炭治郎が呟く。

 

「……つき合ってるのか? あの2人」

「やめてぇぇぇぇえええ!!!」

 

 善逸が頭を抱えて絶叫した。その声量に流石の2人もギョッとして肩を跳ね上げた。

 

「嘘だ嘘だ嘘だぁぁぁあ!! いやぁぁぁあ獪岳が真菰さんと!? あのミステリアスでふわふわしててめちゃめちゃかわいい真菰さんと!? うっっっそだろぉぉ信じられるかぁぁあああ!! あ"ーーーーーー!!!!(汚い高音)」

「お、おい、善逸! 落ち着いてくれ! 獪岳さんが誰とつき合ってもいいじゃないか! 確かに真菰は俺の姉弟子で、ちょっと信じられないけれど、お互いに好き合ってるなら良いことだと俺は思うぞ!」

「悪夢!? 夢!? もしかして俺夢の中!? ねぇ誰か俺のこと殴ってくれない!? 今すぐこの夢から覚めたい!!」

「これは現実だぞ、善逸!」

「よっしゃ! 山の王に任せろ!」

「げぶぉ!?」

「伊之助ーーー!!」

 

 派手に騒ぎだした3人。

 この後、額に青筋を浮かべたしのぶから怒られたのはまた別の話である。

 

 

 

 

 

「あれ、蝶屋敷が騒がしいね。どうしたんだろ……」

「知るか」

「あ、真菰。用事は済んだのか?」

「あっ、旭さーん!」

「すいません、旭さん。待ちましたか?」

「いや、それほど待ってない。じゃあ街に行こうか」

「はーい♪」

「はい」

 

 

 

*****

 

 後日談、其の弐。

 

***

 

「旭は元気みたいだね。よかった」

 

 産屋敷邸にて。

 今回の報告書を妻のあまねに読んでもらい、輝哉はそれを聞いて微笑んだ。

 

 日向 旭。

 

 柱を務める、重い生い立ちと宿命を持つ女性。

 何より、あの鬼舞辻と血が繋がっているというのなら、彼女は輝哉とも血の繋がった遠い家族と言える。

 心配しないはずがなかった。

 できればこの屋敷にも招いて食事を共にしたいのだが、本人が頑なに断っているため実行できないでいる。どうにかして、せめて1度くらい家族全員で共に食卓を囲みたいのだが……と日々策を練っている。

 

 彼女が鬼舞辻 無惨の娘だと分かったのは、初めて顔を合わせた時だった。

 

 輝哉の父親がまだ存命の頃、初めて出会った。

 女性ではなく少女と言える年齢の彼女は、今にも死にそうな目をしていた。

 全てに絶望し、全てに嫌悪し、ただただ謝罪を繰り返す、人のためにと贖罪だからと己を傷つける、そんな少女だった。

 

(もう10年も経つのか……)

 

 だが、今はどうだろう。

 継子に恵まれ、周りから慕われ、気遣われている。

 手紙では本人は嫌だ面倒だと書いていたけれど、鴉から聞く旭の近況はとても充実しているように感じた。

 

「あまね、手紙を送ってくれるかな」

「はい。旭様にですね? 内容は」

「そうだね……。今度、輝利哉(きりや)達の護衛をしながら街に連れていってもらえないか……なんて、どうだろう」

 

 産屋敷家は代々短命の血筋。だからこそ、教育を厳しく、より速く1人前になってもらわなければならない。しかし、彼らもまだ子供である。世間を知らず、知識だけを詰め込んでも仕方がない。

 勉強の息抜きや社会見学と称して、たまに街に連れていくのも良いことだと輝哉は思ったのだ。

 そんな輝哉の考えを理解したのか、あまねはうっすらと微笑んで言う。

 

「ええ、いいかもしれませんね。その帰りに食事に誘ってみるように輝利哉に伝えておきましょうか?」

「それはいいね。旭にもう一度会えるといいんだけど」

 

 2人は微笑み合い、愛しい家族に送る手紙の内容を考え始めた。

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