その柱、鬼子につき。   作:瑠璃色砂糖月

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6話「柱合会議……?」

 柱合(ちゅうごう)会議(かいぎ)

 半年に1度、当主・産屋敷(うぶやしき) 輝哉(かがや)の元で開かれる柱の会合である。そこでは鬼殺隊の今後を決める、重要な報告や議論を行っていた。

 そこに毎回参上しない柱がいる。

 

 鬼柱・日向(ひなた) (あさひ)

 

 彼女は柱は柱でも、鬼殺隊の怨敵……鬼舞辻(きぶつじ) 無惨(むざん)の娘という特異な生い立ちの女性である。

 始祖の鬼の娘というわけで、本来なら鬼殺隊には相応しくない女だが、現当主の輝哉は寛容に彼女を受け入れ、柱という役職を与えてくれたのだ。

 その偉大さと懐の広さに旭も感動したもの。だから、輝哉のことを他の柱と同等、いやそれ以上に尊敬している。

 だから、その分過保護になるわけで……。

 鬼の娘という特殊な血筋の彼女は、誰よりも己のことを警戒していた。

 自身がどのような行動を起こすのか、また鬼舞辻が何かしら自身に呪いをかけていたら……と思うと無闇矢鱈と産屋敷家には近づけなかった。

 鬼舞辻と産屋敷はお互いに牽制し合い、お互いにその喉元に食らいつこうとしている。彼女はそれを自身のせいで崩したくない、鬼殺隊に大打撃を与える切っ掛けになってはいけない、と思っていた。

 つまり、柱合会議は自主的に参加していないのだ。

 自身が居るとお館様に危険が迫るかもしれない、という考え故の行動。

 しかし、柱合会議の内容もとても大事なものであることには変わりない。

 というわけで、いつも旭担当の鎹鴉(かすがいがらす)が会議の内容が綴られた手紙を受け取ってくるのだ。

 

 ただ、最近は……。

 

 

 

*****

 

 

 

 旭は軽く死んだ顔で目の前の光景を見ていた。

 

「よー、旭! 地味に久しぶりだな! 元気そうで何よりだ!」

「帰れ」

「待て待て待て待て」

 

 すぐさま開いた門を閉めようとしたが、その前に目の前の男が隙間に足を入れたため、閉めることができなくなった。

 

「そう邪険にするなっての。いつものことじゃねぇか」

「少し前まではこれが異常だった」

「んなこと言う、な"っ。いっででででで! おい馬鹿野郎! 本気で閉めようとしてんじゃねぇ! 俺の足を粉々にする気か!?」

 

 

「なっちまえど畜生が」

「お前ほんと口悪ぃな!?」

 

 

 心底嫌そうな顔で吐き捨てた旭は必死になって門に力を入れた。しかし、この男もかなりの怪力だ。力ずくで門をこじ開けようとしている。半分鬼の彼女であっても、そう簡単にはいかない。拮抗していた。

 しかし、閉めねばならぬのだ。ここで躊躇していたら旭に面倒が起きるのだから。

 

「こいつ、ほんっと女辞めてやがる……!」

「宇随は何を言っている! 旭さんはしっかり女性だろう!」

「……旭は、女だ。男じゃない」

「んなこと知ってんだよ! この怪力加減を言ってんだ! 女じゃねぇだろ!」

「おい宇随、それは日向さんだけではなく甘露寺も侮辱していることになるのだが? どういうつもりだ貴様。何様のつもりだ。撤回しろ。さっさと撤回しろ。女性が怪力で何が悪い。何を無視している速く撤回しろさもなければ斬る」

「そうだぞ、宇随。その力強さも旭の長所だ。馬鹿にするんじゃない、彼女に失礼だ。今すぐ謝れ。じゃなければ宇随、お前を斬らなければならない」

「いや、伊黒と鱗滝は何にキレてんだよ。むしろ旭にキレやがれよ、俺じゃなくて。状況考えろ……うおっ、ホントに刀抜きやがった!? 馬鹿かお前ら!?」

 

 

「ふんっ!!」

「あ"っ!?」

 

 

 旭、勝利。

 宇随が他のことに気を取られた隙に門を閉じた。鍵もして開けられないようにする。これでようやく安心した彼女はホッと息を吐いた。後は諦めて帰ってくれるだろう。

 旭がパンパンと手を払っていると、門の向こうから例の人達が騒ぐのが聞こえてきた。

 

「いやお前ら手伝えよ!! 何呑気にのほほんと見てんだ!! 旭が一筋縄でいかないの知ってるよなぁ!?」

 

「あら、すいません。だけど、私は非力ですので、手伝ってもお力にはなれないと思いまして……」

「……あれ、どうして僕はこんなところに……。ここ、どこだっけ……? 何しに来たんだっけ……?」

「ご、ごめんなさい宇随さん! で、でも、どう手伝えばいいか分からなくって……! ほんとにごめんなさいっ!」

「うむ! 甘露寺と同意見だ! 宇随、すまなかった!」

「南無……旭には困ったものだ」

「……俺に関係ない」

 

「お前が余計なことを言うからだろう。お前の責任だ、間抜け。他人(ひと)のせいにするんじゃない」

「まだ旭への謝罪の言葉を聞いていない。言え」

「甘露寺にも謝れ。土下座して詫びろ」

 

「お前らは黙っとけ!! なんか腹立つわ!」

 

 人の家の前で騒ぐな。さっさと帰ってほしい。いつまで居座る気だ。

 そう思うくらいには、旭はげんなりしていた。獪岳は真菰と一緒に任務に行っており、いない。さて、どうしようかと思っていると、外から不穏な声が聞こえてきた。

 

「宇随、退けェ。俺が開ける」

「いやだから……閉じてんだって。見りゃ分かるだろ。旭のやつ、俺達が来るって分かってんだ。もう門なんか開けねぇぞ」

 

「あァ? 何言ってんだ、ぶち壊すに決まってんだろォ」

 

「「……は?」」

 

 宇随の呆けた声に旭の声も重なる。屋敷へ戻ろうとしていた足が止まり、門を振り向く。

 ……不穏な空気。

 

「おらァァッ!!」

 

 ドギャゴッ!!

 

 直後、門が吹き飛んだ。……いや、語弊だ。門が吹き飛ぶ勢いで開いた、の方が正しい。その衝撃で門が可動域を越えて開いて壊れた。

 ……まあつまり、結局のところ、壊れたのだ。

 

「邪魔するぜェ」

 

 それを成したであろう……いや、確実に成した人物は、我関せずというように門の中へと踏み込んでくる。

 風柱・不死川(しなずがわ) 実弥(さねみ)

 その男を見て、旭は己の口元がひくりと引き攣ったのが分かった。

 

「不死川……お前……」

「あ"? さっさと門開けねぇお前が悪ぃだろ。修理の申請と費用は出してやるから気にすんな」

「そういう問題じゃない。帰れと言ったんだ、私は」

「ごちゃごちゃうるせェ。いい年した女が我が儘言ってんじゃねぇよ」

 

 そう吐き捨てて、ずかずかと遠慮なく屋敷の中へと上がり込む厚顔無恥な男に、これでもかと深いため息を吐く旭。

 その瞬間、ぬうっ、と旭の背後から現れた太い腕が首に巻きついた。それに驚いたのは初めの一瞬。すぐに誰かに気づき、彼女は遠い目をした。

 

「てんめぇ、旭。この俺様の足を壊そうとしていたなぁ。この祭りの神である俺様の足を」

 

 シャラリと玉が連なる髪飾りが揺れる。ずいと旭の顔を上から覗き込むように見下ろすのは、音柱の宇随(うずい) 天元(てんげん)である。

 

「……君が門の間に足を挟み込んだからだろう。私のせいにしないでいただきたい」

「はああああ? 嫌だね。あれは確実にお前が悪い。詫びとして今度泊まりに来い」

「断る」

「来いっつうの」

「断る」

「嫁がお前に会いたいっつってもか?」

「……。……断る」

「よし、今度泊まりに来いよ」

「断っただろうが……」

 

 身長6尺以上もある男……宇随はしたり顔でぽんぽんと旭の頭を撫でると、口笛を吹きながら玄関をくぐった。

 それを見送った直後、どん、と腰辺りに衝撃が走る。

 

「旭さんっ」

「……無一郎か」

 

 満面の笑みで旭にしがみつき、ぐりぐりと頭を擦り付ける少年……時透(ときとう) 無一郎(むいちろう)。14歳、剣を持って2ヶ月で霞柱にまで登り詰めた、正真正銘の剣の天才である。

 いつものぽやっとしたあの雰囲気と表情はどこにいったのだろうか……と他の人は思うかもしれないが、旭を視界に映すと大抵こうなる。

 時透は大変旭に懐いているのだ。

 

「旭さんっ、旭さんっ」

「どうした」

「大好きっ!」

「そうか、ありがとう」

「ふろふき大根食べたい!」

「そうだな……柱稽古のついでに食べに来るといい」

「旭さん大好き!」

「そうか、ありがとう」

 

 ぎゅうぎゅうと旭の体に回した腕に力を込める時透。それで満足したのか、パッと離れると「約束だよ! 僕が忘れてても旭さんが絶対覚えててね!」と笑って屋敷の中に入っていった。

 直後、旭の耳に「あれ、俺何してたっけ……?」という時透の呟きが聞こえてきた。もう忘れたのか、と旭は逆に感心していた。どういう仕組みなのか、是非とも誰かに解明してもらいたいものだ。

 

「旭さん久しぶり~っ! 相変わらずモテモテですねっ! 私とってもキュンキュンしちゃった!」

「うむ! 妬けてしまうな! 俺も抱き締めてもいいだろうか!」

「全くどういうつもりだ。俺達も暇ではないのだ。俺達が来たらすぐに門を開いて待っているべきだろう。余計なことで手間取らせるんじゃない」

 

 続いて、旭に話しかけたのは3人。

 桃色の髪で、毛先と瞳が若草色の女性。

 炎のような髪色と瞳をした男性。

 小柄で口元を包帯で覆い、白蛇を首に巻きつけている男性。

 順に恋柱・甘露寺(かんろじ) 蜜璃(みつり)、炎柱・煉獄(れんごく) 杏寿郎(きょうじゅろう)、蛇柱・伊黒(いぐろ) 小芭内(おばない)である。

 3人共に全く別の話をするため、旭は少し困ってしまう。

 

「甘露寺は久しいな。煉獄はとりあえず恥ずかしい真似をするな。伊黒は帰れ」

「どういうつもりだ貴様」

 

 結局、一言ずつ3人に告げることにした。

 ど直球に言う旭に伊黒は眉間に皺を寄せる。旭はため息を吐きながら言う。

 

「……冗談だ、1割ほど。伊黒だけではなく全員帰ってほしいんだが」

「馬鹿か貴様は。柱としての責任感というものが無いのか。大体こうなったのも貴様が柱合会議に来ないからだろう。あの方の心遣いに感謝しろ」

「あー、分かった分かった」

「分かってない。大体貴様は……」

「甘露寺、伊黒を連れていってくれ。頼む」

「わっ、分かったわ! 伊黒さん、行きましょっ」

「待て甘露寺。俺はまだこの馬鹿に……いや、後からでもいいか。行くぞ甘露寺」

 

 ネチネチ口撃は流石の旭でも堪えるのだ。

 甘露寺に頼んで屋敷内に強制連行してもらった。伊黒は甘露寺に弱いことは知っているため、大人しく甘露寺に腕を引かれていく。

 さて、後は……と目を入り口の方に向けて、ぎょっとする。

 目の前に黒い壁……もとい、煉獄が立っていた。

 黒い壁だと思っていたものは隊服か、と旭は少し体を仰け反らせてようやく気づく。そして、その距離の近さに旭は眉を寄せた。

 

「……近いぞ。距離感を考えろ」

「抱き締めても構わないだろうか!」

「……私、断っただろう?」

「よもや! では嫁に来てください!」

「行かない」

「よもや!」

「何度も言っているだろう……はぁ」

「む」

 

 ため息を吐く旭は(おもむろ)に煉獄の頭に手を伸ばすと、そのまま癖のある髪をわしゃわしゃと撫でてやった。

 それに煉獄はピシリと固まる。

 

「この程度でいいならいくらでもやってやろう。……許可なく頭に触れて悪かったな」

「……いいえ。旭さんが触れてくれるのなら、いつでも大歓迎です」

 

 にっこりと、太陽のように笑った煉獄に、旭は再び息を吐いた。

 ……たまに見る、この大人の色気が旭は苦手だった。いつもの元気の良さはどこへ消えた、と問いたいのを抑えて、屋敷に入れと促す。

 

「旭さん、相変わらず大変そうですねぇ」

「おっ……!?」

 

 耳元でこしょこしょと囁かれ、肩を跳ね上げた旭。バッ、と耳を押さえて振り向けば、くすくすと笑っている蟲柱・胡蝶(こちょう) しのぶの姿があった。

 

「胡蝶、旭に悪戯を仕掛けるんじゃない」

「あら。ごめんなさい、鱗滝さん。反応見たさについからかってしまいました」

 

 諫める声と共に旭の元へやって来たのは、水柱の鱗滝(うろこだき) 錆兎(さびと)冨岡(とみおか) 義勇(ぎゆう)である。

 錆兎がしのぶに向かってきつめの視線を飛ばすが、彼女は特に堪えてもいないようでにこにこと笑みを崩さない。

 冨岡もしのぶと旭を見て一言。

 

「……厄日だな」

「冨岡さん? それ、どちらに向けて言ってます? 距離が近い私への当てつけですか? それとも旭さんを慮っての労いの言葉ですか? もしもーし、聞いてますー? そんなだから皆さんから嫌われるんですよ」

「……俺は嫌われていない」

 

 「ねぇねぇ冨岡さん」と悪戯心(?)の矛先を冨岡に向けるしのぶ。その間に錆兎は旭に苦い笑みをしてみせた。

 

「大勢で押し掛けてすまないな」

「そう思ってるなら是非とも帰ってほしいんだが……。まあ、しょうがない……のか?」

「はは……今度わらび餅を食べに甘味処に行くか? ……できれば、2人で」

「ん? 君がよければ私は構わない。任務が無い日にでも行くか」

「決まりだな」

 

 ニッ、と満面の笑みを浮かべる錆兎に旭も笑い返した。彼が時折見せる、この子供のような笑みが旭は好きだった。つい微笑み返してしまう。

 ちなみに錆兎は後ろ手で拳を作ってガッツポーズをしていた。

 

「義勇、そろそろ中に入るぞ」

「……ああ」

「あらあら、鱗滝さん。冨岡さんに内緒で逢い引きのお約束ですかー?」

 

 錆兎が声をかけてくれたことにホッとしたような表情を微かにする冨岡。

 一方でしのぶは茶々を入れたが、錆兎は首をかしげただけだった。

 

「別に隠した訳じゃない。義勇にも後で伝えるつもりだった」

「そうですか。相変わらず、お2人は仲が良いようで安心しました。じゃないと、冨岡さんが1人孤独になってしまいますからね」

「……俺は孤独じゃない。錆兎と……旭がいる」

 

 冨岡が旭に一瞬視線を寄越したが、すぐに屋敷の玄関へと向かった。

 そっけない言葉だったが、3人は見た。冨岡の耳が赤くなっているところを。

 

「全く……。胡蝶、俺は義勇を追いかけるが、一緒に来るか?」

「そうですねぇ。行きましょうか」

 

 しのぶと錆兎も冨岡の後を追いかけるようにして、玄関へと消えていった。

 旭はそれを見届けた後、振り返る。

 後の柱は1人しかいない。

 

「すまないな、旭。失礼するぞ……」

 

 両手を合わせて、じゃりじゃりジャラジャラと数珠を鳴らす、岩のような巨体を持つ男性だった。

 岩柱・悲鳴嶼(ひめじま) 行冥(ぎょうめい)

 彼は両目から涙を流しながら旭に話しかけた。

 

「こんにちは、悲鳴嶼さん。どうにかして皆が私の屋敷に集まらないようにする方法はありませんか」

「南無……。それは私には難しい……。私ではなく、今度お館様に直訴するといい」

「……私が産屋敷邸に行けないと知って言ってます……?」

 

 旭の口元が引き攣る。この人は優しく強いのだが、時折こんなことを言う。出来ないと分かって揶揄してくるのだ。

 旭がため息を吐くと、悲鳴嶼の大きくごつごつした手が彼女の頭の上に乗った。

 

「旭は、頑張っている……。彼らもそれは分かっているから、大丈夫だ」

「……」

「私としては、旭がもっと自分を大事にしてくれると、嬉しく思う」

「……」

 

 もっと自分を大事に。

 これまで何度も何度も言われた言葉だった。

 

「……そうですねぇ」

 

 でも、彼女がそれに頷いたことはない。

 

鬼舞辻(クソおやじ)が死んでくれれば、その結果私がまだ生きていたら……考えます」

 

 どうしても、頷けなかった。

 

 旭は皮肉げに片方の唇の端を吊り上げると、鋭い犬歯が見えた。

 

「旭……」

「悲鳴嶼さん。手に触れてもよろしいですか」

「……ああ」

 

 まだ頭の上に乗っている悲鳴嶼の手を取ると、それを両手で握り締めて、玄関に向かう。

 

「もう柱は全員居ますからね。後は私と悲鳴嶼さんだけです。一緒に行きましょう」

「……そうだな」

 

 悲鳴嶼は旭の手の温もりに微笑んだ。

 

 

 

*****

 

 

 

 いつからこうなっていたのかは分からない。少なくとも、旭が望んでやったことではない。

 初めは輝哉の鎹鴉が資料や会議の内容を送ってくるだけだった。

 そして、いつしか鴉は来なくなり、代わりに悲鳴嶼がその書類を持ってくるようになった。悲鳴嶼も滅多に顔を合わせない旭のことを心配してやって来ていたので、無下にすることもできず、屋敷に招いてお茶を出していた。

 しかし更に、その悲鳴嶼に各柱がついてくるようになった。

 最終的には全柱が旭の屋敷にやって来るようになってしまった。

 何度か輝哉に最もらしい言い訳を考えて文を送ったのだが、全部言いくるめられて撃沈した。柱達の侵入も許してしまっている。

 

 “第二次・柱合会議”

 

 そう呼ばれるようになってしまった、柱合会議の後に行われる鬼屋敷での擬似柱合会議。

 と、仰々しく言っても、実際はただの食事会に等しい。本当の柱合会議とは程遠い、ただただ皆で話し合い、菓子を摘まみ、じゃれ合っているだけの会である。

 

 よそでやってくれ。

 

 それが鬼屋敷の主人・日向 旭の心内(こころうち)なのだが、その柱達は『お館様に言われたから』と必ずやって来るのだ。

 ……そろそろ諦め時なのかもしれない。

 今日も今日とて、旭は絆される。

 

 

 

*****

 

 

 

「腕相撲しようぜ」

 

 唐突に宇随が言った。

 その誘いに全員は顔を彼に向けるが、一部はすぐに元の位置に戻した。

 

「何言ってんだ、ガキかよ」

「不死川の言う通りだ」

 

 そう吐き捨てるのは実弥と伊黒である。

 

「うむ! 面白そうだ! 俺は賛成だ、是非ともやってみたい!」

「力勝負か……男らしいな。俺も賛成だ」

 

 一方で乗り気なのは煉獄、そして意外の錆兎であった。

 残りは無視である。

 それも把握済みだったのか、宇随はにやにやと笑ってこう告げる。

 

 

「ちなみに1番になった奴は旭と1日逢い引きできる」

 

 

『……は???』

「嘘じゃねぇぜ。俺はちゃぁんとお館様に頼んだからな」

 

 全員が再び宇随を見た。

 彼はにっこりと満面の笑みで手元にある薄っぺらな紙をひらひらと振ってみせる。

 それを比較的近くにいた実弥が剥ぎ取って、机の中央に置いた。それを全員で覗き込む。

 

『先日の非番で旭がまた無茶をしたらしくてね。腕相撲大会の勝者は非番の旭のお目付け役をやってほしい。できれば町にでも連れ出して、鬼殺のことを一時的にとはいえ、忘れさせてあげておくれ』

 

 ……要約すると、そんなことが書いてあった。

 それに旭は頭を抱える。どうやら思うところがあるらしい。

 旭を除く柱全員が、彼女をじとりとした目で見た。

 

「……おい日向ァ」

「私は非番時に巡回して大怪我なんてしていない」

「駄々漏れなんだよこの大馬鹿モンがァァ!」

「げぅっ」

 

 襟元を掴まれ、女としてあるまじき悲鳴が漏れた。その間もギリギリと頸を絞めていく実弥は鬼畜か何かなのだろうか。

 

「テンメェ……何度言っても分からねぇらしいなァ。酔うか? 酔わせてやろうか? なァワカメ頭、ア?」

 

「現在進行形で酔いかけている。今ほろ酔い状態だ退け」

 

「旭さん、それはいけない! 今度俺の家にさつま芋を食べに来るといい! 千寿郎も喜ぶ!」

「ふろふき大根を作ってくれるって約束は? ねぇ旭さん」

 

「……考えておく。ちょっと待て、首が」

 

「あらぁ? そんな報告、私は受けていませんけど? 旭さん、どういうことですか? 蝶屋敷の皆が納得する理由がお有りなんですよね? 是非とも聞かせていただけませんか? ねぇねぇ旭さん」

 

「待て首が絞まってる」

 

「旭さん、怪我は大丈夫なんですか!? 駄目ですよ、無茶なんてしたら! キュンキュンしませんよ! 今度から非番は一緒に町に出掛けましょ! ねっ?」

「日向さんは柱としての自覚が足りないと思うのだが? どういうつもりだ。柱ともあろうものが己の体調管理も怪我の具合も分からないと言うのか? 全く馬鹿らしい。こんなことにお館様と甘露寺の手を煩わせるんじゃない」

 

「ちょっと手を緩めろ不死川……」

 

「不死川、もう少し手を緩めてやれ。そろそろ旭が気絶するぞ。酸欠で」

「邪魔するんじゃねェ鱗滝ィ……こいつは今ここで絞め落とさねぇといけねェ」

「……不死川は旭をどうしたいんだ」

「黙ってろ冨岡ァ!! 手元が狂うだろうが!!」

「理不尽!」

「南無阿弥陀仏……南無阿弥陀仏……」

「……え、死んだ?」

 

「ぎりぎり死んでない縁起の悪いことを言わないでくれ宇随」

 

 なんとか実弥は他の柱に宥められて、旭の頸から手を離した。「やだ、旭さん頸元に痣が出来てるわ!」と甘露寺に言われたので旭は喉元を軽く擦ったが、大丈夫そうだったので放っておくことにした。そうしたら、甘露寺が青ざめて旭の頸元に水で濡らした布を当ててきたので、伊黒が旭のことを射殺さんとばかりに睨み付けてきた。

 あまりのガチ絞めに実弥が他の柱(水柱、音柱、炎柱、岩柱、蟲柱)に軽く絞られたのは置いておく。ちなみにしのぶ、額に青筋を浮かべて拳シュッシュをしていた。

 

 

 

 ……という、ちょっとしたなんやかんやがありながらも、「んじゃ、腕相撲大会やるのか?」と宇随が改めて全員に問いかければ、全員が頷く結果になった。

 ちなみに旭は「私が優勝すれば休日は1人で好きに過ごしていいな?」ということで参加を決めた。

 

 

 

*****

 

 

 

 くじで決めた対戦相手。1度負ければそのまま敗退。残った勝者で再びくじを引いて相手を決め、最後の2人になるまでくじを続ける。奇数なので1人余ってしまうが、そこは運が良かったということで勝者組に入ることになった。

 

 旭も初めは順調だった。

 

 初戦が伊黒。瞬時に倒したのは良いものの、先程の甘露寺の件もあってか、かなり恨まれた。後で甘露寺や食事処の情報を渡さなければ、と旭はこめかみをぐりぐりと指で押さえた。

 

 2戦目がしのぶ。彼女は初戦は運良く余りを引いて勝者組に残った人だ。非力なのは旭も分かっていたので、優しく倒そうと思ったら───

「勝ったらどうなるか分かってますか?(黒笑)」

「勝ったら後でたぁぁくさんイイコト(意味深)をしてあげますねぇ♪」

「勝ちを譲ってくれたらあのことは皆さんにばらさないであげますけどどうします?」

 ───などと開始前に精神的に倒しにかかってきた(かなり本気だった)。そのため、恐怖で腕が震えて負けかけたがそこは反射神経でなんとか勝ち取った。……他の柱に慰められた。

 

 運命の3戦目……この時点で残ったのは悲鳴嶼、宇随、旭である。……ほぼ予定調和であった。

 柱の中で特に力の強いこの3人は、怪力において他の追随を許さないのだ。特に悲鳴嶼は揺るぎない、自他共に認める超絶怪力の負け知らずである。

 そういうわけで、運命のくじ引きである。旭からすれば余りであろうがやろうがどっちでも良かった。

 ここまで来れば勝つのは悲鳴嶼である。

 宇随も彼とそれなりにいい勝負はするものの、今のところ全敗である。

 宇随が勝つと3人の嫁に土下座する勢いで謝り倒さなければならない未来が必須だが、悲鳴嶼が勝ったらのんびりした逢瀬が待っているであろうから、そこまで心配はしていなかった。

 

「……宇随か」

「お手柔らかに頼むわ」

 

 苦い顔をする旭の前にはニッと快活に笑う宇随の姿。

 ちなみに今回の余りは悲鳴嶼であった。涙を流して数珠をじゃらじゃらと擦り合わせている。

 

「旭さん、頑張って! 女は強いのよ! 底力よ!」

「日向さん、甘露寺に応援されたんだ。負けたらどうなるか分かっているな? もし宇随ごときに負けたのなら俺は一生貴様を許さない」

「よもやよもやだ! 宇随、旭さんに怪我させないようにな!」

「旭、勝敗の前に無茶をし過ぎるなよ」

「……旭、頑張れ」

「旭さん、宇随さんに負けないでね。頑張って!」

 

「宇随さん、なんとしてでも勝ってくださいね。なんだったら筋肉増強剤を打ち込んでもよろしいですよ?」

「クソがァァ……。宇随、負けたらぶっ殺す」

 

「南無阿弥陀仏……怪我をしない程度にな……」

 

 

「うっわ、旭贔屓過ぎんだろ」

「知るか」

 

 いくら宇随の方が体格も良く力が強い男だと言えども、これはないのではないか。

 宇随がドン引きする程の旭応援団(唯一、悲鳴嶼が中立)に旭は無視することにした。この程度で反応するのも面倒になってきたのだ。

 旭と宇随が手を組む。机に肘を立てて、がっしりと、しっかりと手を握り込んだ。

 そこへ悲鳴嶼がやって来て、握り締めた2人の拳に掌を被せた。

 

「負けても勝っても恨みっこ無しな」

「今更な話だな。当然だろう」

「では、行くぞ……」

 

 始め、と悲鳴嶼の掌の重みが少しばかり軽くなる。それと同時に肘を着いていた部分の、頑丈で分厚い机が粉砕した。

 

「っぐ、ぉ……!」

「ん、ふ……っ!」

 

 周りの応援が凄まじくなる。

 宇随の剥き出しの腕に血管が浮かび上がり、旭の額から汗が滴る。

 呼吸は勿論、“常中”を極めている柱であるため、使っても構わない。

 それでも両者、最初の拳の位置から全く変わっていなかった。

 

「くっそ……! お前、ほんっと女捨ててるよな……!」

「お前に言われるまでもない……っ!」

 

 シィィィ、フシィィィ、という独特な呼吸の間に会話を成せるだけの余裕はお互いにあった。完璧な膠着状態に、2人だけでなく他の柱も固唾を飲んで見守っていた。

 

「す、凄いわね、旭さん……あの宇随さんと対等に相手できるなんて……!」

「ん? 甘露寺は知らなかったのか? 旭は宇随と勝負した時、10回中7回は勝つんだぞ」

「そうなの!? 鱗滝さん!」

「……旭は、強い」

「……いや、あれは少し姑息だと思うが……?」

「え? 姑息?」

 

 ギギギ、と拳と腕が震えている両者。僅かに宇随の腕が押し負けている。

 

「何が姑息なの? 伊黒さん、旭さんは正々堂々と戦ってるわ!」

「いや、そうなのだが……すまない、言い方が悪かったな。日向さんが無意識的にそういう姑息な手を使っている、ということだ」

「……無意識に?」

 

 首をかしげる甘露寺。一方で、伊黒の言葉を聞いた錆兎が口の端をひくつかせている。

 

「……ああ、それは確かにあるな。伊黒の言う通りだ」

「……卑怯だな」

「うむ! 確かにあれは卑怯だ!」

「卑怯ですねぇ」

「卑怯っつーか、狙ってんじゃねぇのかァ?」

「南無……」

「ええっ!?」

 

 甘露寺は目を見開く。まさかあの旭が汚い手を使うとは思わなかったのだ。しかも、他の柱も同意している。一体どんな手を使うのか、と甘露寺が旭と宇随の対決をじっと見つめた。

 

「ん、ふぅ……!」

「っ、テメッ……!」

「んっ、なんだ、宇随……!」

 

 甘露寺は食い入るように旭を見つめた。

 全身全霊を込めることによって顔が赤らみ、汗のせいで髪が頬にペタリと張りつき、時折口から漏れる吐息は熱を含んでいる。

 

(……え? 旭さん、凄く色っぽい……?)

 

 それに気づいた瞬間、甘露寺はキュンッ!!と胸を高鳴らせた。キャアと叫びだしそうになる口を必死に押さえて我慢する。流石に真剣勝負を邪魔したらいけない。

 甘露寺は旭の醸し出す、滅多に拝むことが出来ない大人の色気にやられたのだ。少し頭がくらくらしている。

 他の柱は瞬殺されているから分からなかったが、力が拮抗する相手ならば、こうなることがあるのだろう。それにしても色気が増している。端的にやらしい。

 

「いい、かげんっ……負けを認めろっ……!」

「旭、お前それっ、反則だからなっ……!?」

「ん、くぅ……! なに、がだ、私は反則行為など、していな、いぃぃ……!」

「~~ッッ、こいつは、ほんっと……!」

 

 ヒクリと宇随の口元が引き攣る。仮にも好意を寄せている女。そんな彼女の喘ぎ声らしかぬものを聞かされて心を乱されない訳がない。

 なんだこれは。試練なのか。

 忍になるための、あの地獄のような精神修行よりもある意味辛い。

 もはや宇随は力を込めるためではなく、己を落ち着かせるために全集中の呼吸を使用している。

 男性達は宇随に同情の目を向けた。これでは腕相撲に集中も何もないだろう。

 

「んん~~ッ!」

「~~っだああああ! やっぱ無理だわ!」

 

 ダァンッ!!

 

 宇随の手から力が抜けて、旭の手がそれを押し倒す。その際机が粉砕したが、まあ予備があるから大丈夫だろう、と旭は荒く息を吐きながら思った。

 

「っはあ……私の、勝ちだな。あ"ー、疲れた……」

「てっめぇは本当……ずるだからな、あれ……!」

「……何を言っている。私は反則などしていない」

「無自覚だからこいつは……!」

 

 (タチ)が悪い。

 

 ほぼ全員が同じことを考えた。

 旭は意味が分からない、というように眉を寄せて首をかしげていた。

 

「じゃあ最後……悲鳴嶼さんだな」

「ああ、それなんだが……」

「ん?」

「代理を立ててもいいか?」

 

 珍しい、と旭は思った。他の柱も悲鳴嶼に目を向けている。

 

「この勝負、おそらく私が勝つだろう」

「いや……おそらくではなく、必ず勝つと思いますけど」

「そうか……。しかし、それだと1人で休日を過ごしたい旭にも悪いだろう。だから、私が推薦した人物と腕相撲をしてもらいたいのだ。それだと私の勝ちが決まった勝負にはならないはずだ」

「なるほど……」

 

 「どうだ?」と悲鳴嶼から問われて、旭は頷き返した。他の柱を推薦したとしても、自分が今疲労していたとしても、負ける気はしなかった。それに、悲鳴嶼の心遣いも受け取っておきたい。

 

「構いません。それで、誰を推薦するんですか?」

「輝利哉様だ」

「……は?」

 

 旭が呆けて目をぱちくりさせていると、悲鳴嶼がその場から少し身をずらす。

 ……そういえば、どうしてそんなところにいたのだろう、と旭は今更ながらに考える。

 悲鳴嶼が居たのは玄関に一番近い部屋の入り口だった。そんな、出るのを防ぐような位置に、基本悲鳴嶼が居るわけがない。

 と、なると、悲鳴嶼は後からやって来る誰かを隠したかったのだ、と考える以外ないだろう。

 旭は姿を現した人物を見て、ひくりと口元を引き攣らせた。

 

「き、輝利哉様……」

「こんにちは」

 

 にこにこと笑った、黒髪の少年が立っていた。

 産屋敷(うぶやしき) 輝利哉(きりや)

 その人を見た瞬間、柱の全員がその場で膝を着く。彼は尊敬するお館様こと輝哉の息子であり、次期産屋敷家当主となる御方だ。たとえ子供であろうと礼儀を損なってはいけなかった。

 輝利哉は父親譲りの笑顔を作って、ゆるゆると首を横に振った。

 

「どうか顔を上げてください、柱の皆様。どうか楽になさって。私はまだ当主ではありません。今はただの産屋敷 輝利哉です」

 

 その言葉に全員が渋々顔を上げた。

 輝利哉は嬉しそうにニコニコと笑い、部屋の中に入ると真っ先に旭の元へと向かった。

 

「では、旭様」

「はえ?」

 

 ずい、と机に肘を置いて旭に向かって手を差し出し、そしてキラキラした目で見つめる輝利哉。それに固まり放心していた旭だが、直後首を痛める勢いで悲鳴嶼に振り返る。

 

「悲鳴嶼さん、どういうことだ! こんなの聞いてない!」

「言ってないからな。輝利哉様が私の代理だ。遠慮せず思う存分やってくれ」

「謀ったなこの野郎……!!」

 

 あっけらかんと言う悲鳴嶼に声を荒げて掴みかかろうとする旭、それを押さえる錆兎と冨岡。

 宇随は大爆笑して、実弥はニタニタと悪い笑みを浮かべ、時透は吹き出し、伊黒は「自業自得だ」とため息を吐いた。

 「これって良いのかしら……?」と甘露寺がわたわたすれば、「良いんですよ。旭さんの日頃の行いの結果です」としのぶがぴしゃりと応えた。

 「旭さん、輝利哉様を傷つけないようにな!」という煉獄の声が羽交い締めされた旭の心にむなしく響いたのは言うまでもないだろう。

 

 

 

 

 

(え、なんだこれ。結局私はどうすればいいんだ? 勝った方がいいのか? それとも輝利哉様に勝たせた方がいいのか? まずお体は大丈夫なのか?)

「腕相撲なんて初めてです。旭様、お手柔らかにお願いしますね」

「アッ、ハイ」

 

 目を輝かせながらワクワクしている輝利哉に勝ちを譲った。

 ……譲るしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 後日談、其の壱。

 

***

 

 実弥と打ち稽古をしていた時である。

 そろそろ休憩しよう、と旭が手拭いと水筒を実弥に投げつけた。

 彼はそれを難なく受け止めると、水筒を(あお)ろうとして……動きを()めた。

 

「……おい、日向」

「ん?」

 

 既に水筒に口をつけていた旭が実弥の方を見た。顔にかいている汗が頬を伝う。

 

「……どうした。水が足りないのか」

「……いや」

 

 なんでもねェ、と実弥は顔を手拭きで拭った。その様子に首をかしげつつも、旭はもう一度水を飲む。

 実弥が再び旭へと目を向けた。

 旭が水筒を天に掲げれば、ごくり、ごくり、と晒された白い喉が嚥下するところに自然と目が惹きつけられる。しかし、彼の目がそこへに惹きつけられたのはそれだけが理由ではない。

 

(……もう痣は引いてんなァ)

 

 先日の腕相撲大会の直前に、実弥がつけた痣である。あの時は本気で絞め落とすつもりだったので、腕相撲の時はくっきりとそれが白い喉に残っていたのだが、今では跡形も無い。

 それに実弥は安堵すると同時に、少し残念に思っていた。

 喉元に自身がつけた痣。

 それを見た時、なんとも言えない高揚感……独占欲や征服欲と呼ばれるものが実弥の胸を支配した。一時的にとはいえ、彼女が自身の所有物であるかのような気がしたのだ。

 まるで彼女が、自身が与えた首輪を着けているような……。

 

「変態か俺はァ」

「どうした突然」

「なんでもねェ」

 

 ぐしゃぐしゃと自身の髪を掻き混ぜて、考えていたことも纏めて霧散させる。今度首元を飾るものでも贈ろうなんて考えていない。考えてなんかいない。脳内で必死に却下する。

 旭はやはり首をかしげて、様子がおかしい同僚を見ていた。

 

 

 

*****

 

 後日談、其の弐。

 

***

 

「よく来てくれたね、旭」

「……あ、ああああの、あ、の……」

「そんなに緊張しないでおくれ。私達は遠いとは言え、血の繋がった家族なんだ。旭の声が聞けたことが私は嬉しいよ」

「そんな畏れ多い……」

 

 嵌められた、と旭は目の前で微笑む現当主・産屋敷 輝哉の姿を見て思う。

 彼女の隣には、悲鳴嶼の姿があった。

 あの腕相撲大会では悲鳴嶼の代理である輝利哉が勝った。つまり、非番の1日を悲鳴嶼と過ごすはずだったのだ。

 ……そう、はず(・・)だった。

 非番である今日。あれよあれよといううちに、いつの間にか産屋敷邸へと招待されていた。彼女はそれを理解した瞬間、すぐさま回れ右をしようとしたのだが、傍にいた悲鳴嶼から捕らえられてあっという間にお館様の眼前に突き出された。

 抵抗したが、輝哉の前で暴れることも出来ない。しょうがなく旭は「私がおかしい行動をしたら遠慮なく取り押さえてください」と悲鳴嶼に頼んだ。

 

「旭、もっとこっちに来てくれないかな?」

「いや、あの……」

「頭を撫でるだけでいいんだ。……ああ、旭はもう女性と呼ばれる年齢だからね。他人に頭や髪を触られるのは嫌だったかな? 気づかなくてごめんね」

「い、いえ、その……失礼します」

 

 もうどうにでもなれ、とりあえず悲鳴嶼さんはぶっ潰すと思いながら旭はお館様の眼前に跪くと、彼は優しく頭に手を置いた。

 

「今日は本当に来てくれてありがとう、旭。綺麗になったね」

(あ、これヤバい結構ヤバい耳と頭が溶ける……)

「輝利哉が喜んでたよ。初めて腕相撲して楽しかったって。行冥も私の我が儘を聞いてくれてありがとう」

「勿体なきお言葉……」

 

 旭からは見えなかったが、悲鳴嶼は涙を流しながらジャリジャリと数珠を鳴らしていた。

 先の腕相撲大会……悲鳴嶼は輝哉に頼まれていたのだ。輝利哉も参加させてあげてほしい、旭を屋敷に連れてきてほしい、と。

 それを理解した瞬間、旭はやはりそうだったのか、と悲鳴嶼をぶん殴りたくなる腕を必死に押さえた。輝哉の前で暴力沙汰など起こしたら最悪だし、何よりまだ頭を撫でられている。

 

「それじゃあ、行こうか。向こうであまねと輝利哉達が待っているから。撫でさせてくれてありがとう、旭」

「い、いえ……」

「行冥の分も用意してあるからおいで」

「……では、折角ですので」

 

 悲鳴嶼が頷いたところで、息女であるひなきとにちかが呼びに来た。

 旭が立ち上がり、隣に来た悲鳴嶼の横腹に肘を入れると、「すまなかった……」と一言謝られた。

 さあ、これから家族水入らずの食事の時間である。

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