たまには何処かへ行きたい物だと、思う。
大概それは、何かから逃げたいときに、そう、逃走願望として現れる物だ。それは得てして、ままならない現実だったり、どうしようもない過去だったり、そういった物から、少しでも目を背けるために存在している。
逃げきれればいいのだが、生憎、俺は足が遅い。すべてを振り切って疾走するのには、何もかもが遅いのだ。
それに……仮に逃げたとしても、逃げた先にある俺の未来なんてものは、結局のところ……既に終わっている物だ。
だからせめて、最後に感慨に耽られる場所を探そうと思ったのである。
「んー、新幹線に乗ってなら首都でもいいですねぇ」
旅行雑誌を読みながら、俺はコーヒーを啜る。
コーヒーを味わうのにブラックが一番なんて、野暮なことは言わない。そもそも、俺はそこまでコーヒー好きでない。だから、遠慮なく砂糖とミルクを入れて、飲む。味わいなどいらないとばかりに、飲み干すのだ。
「どこかへ行くの?」
傍らで番茶を飲んでいた博麗が、気まぐれに尋ねてくる。
「ええ、まぁ。そろそろ思い出づくりにでも行こうかな、と」
「…………思い出づくり?」
怪訝そうに向けられてくる視線に、俺は笑顔で答えた。
「博麗さんと同居してから、約半年……まぁ、そろそろ良い頃合いなんじゃないですかね?」
「…………」
博麗は何も言わない。
ただ、その透き通った瞳だけが、こちらに向けられている。
「もう十分、対策も取れたことでしょう。なら、俺は俺がやるべきことをするために、身辺整理をしようと思いましてね」
「アンタは……」
一拍置いて、試すような口調で問われた。
「アンタはそれでいいの?」
「元々そうであるべきことだっただけですよ」
出会い頭に殺されなかったのは、そのためだったのだから。
半年も時間をかけたのは、博麗なりの執行猶予だったのかもしれないし、あるいは、準備に手間取ったからかもしれない。
ただ、そういう始まりだったのだから、終わりはそうであるべきだ。
俺が殺されることで、完結すべきなのだ、この日常は。
「あっそ。まぁ、死にたいのなら止めないわ。殺す日時はこちらで決めるけど」
「なら、なるべく早く旅行に行かなきゃですねぇ」
淡々と、俺と博麗は言葉を交わす。
死ぬか、殺すか、なんて、物騒な話題を。
うん、これでいい。これが俺たちの日常であり、そういう目的でずっと一緒に暮らしていたのだから。
「じゃあ、旅行どこ行くか決めたら、アタシに教えなさいよ」
「へ?」
何かおかしな言葉が聞こえた気がする……なんだ、幻聴か。
「何呆けた顔しているのよ? アンタが旅行行くなら、アタシも付いていかなきゃダメでしょうが。元々、そういう意味で一緒に暮らしているんだし」
「いや……いやいやいや、博麗さん! ちょいとお待ちよ、博麗さん!」
「あによ?」
じとー、とこちらを見つめてくる眼差しはいつも通り冷たいのだが、気のせいか、何時も以上に機嫌が悪いような? どことなく、険があるし。
「さすがに付き合ってもいない男と、二人で旅行はどうかと思いますよ、淑女として!」
「半年間、付き合ってもいない男とずっと同居してたのに?」
「そ、それとこれとは別でしょうが!」
「はぁ?」
ごふっ……この巫女、的確に鳩尾を抉りやがった。人差し指一本だけで、どすりと来やがった、なんて力だよ……うぅ、ちくしょう。
「すぐ暴力だ……半年間、実力行使が絶えない日常でしたよ、この暴力巫女」
「こんなの幻想郷じゃ日常茶飯事よ?」
「妖精が出会い頭に弾幕かましてくる世界の常識で語らんでください!」
「断るわ。アタシの常識はアタシが決めるもの」
さらりと、不遜に言い放つ博麗。
いつもそうだ。何物にも囚われないような言動でこっちの意図をあっさりかわして、その癖、自分の主張だけは通してくる。
本当に、厄介な同居人だった。
でも、だからこそ俺は――――
「わかりましたよ」
観念した。
こうなった博麗はどうにもならない。
おとなしく要求に従おう。
「近場の旅行でよかったら、謹んでエスコートさせていただきますよ、巫女様」
「よろしい」
笑顔の一つも見せず、博麗は仏頂面で頷く。
まったく、こんな時ぐらい、愛想笑いすればいいのに。もっとも、俺はこの半年間、今まで一度も博麗の笑顔なんて見た時は無いのだが。
まぁ、人生の最後くらいこんなことがあってもいいだろう。
こんな幸いがあっても。