ⅩⅤ
レイが、変なことをする子には見えないですって――!?
少女の言葉は操祈にとっていちばん弱いところに刺さっていた。事実はまるで逆だったからだ。
たしかにレイが心のやさしい男の子、というのは間違いない。思いやりがあって、いつも操祈の身をいちばんに案じてくれている。
やや伏し目がちで、内気そうに見える温和な表情とおっとりとした声色は、猛々しい雄の性を意識させずに女に安心感を与えるもの。
紅音が言うように女子の間で人気があるというのも頷ける。
でも……。
女が褥を共にするパートナーとして、レイは、ある意味でいちばん危険なのかもしれない相手だった。
優しくて、大切にされていると思わせて、でもけっしてイヤだとは言わせない、女の我を通すことを許してくれないのだ。
ベッドの上で愛しあう中、さすがにこれは――というようなことを求められて、女の本能から、あるいはレイのような男の子がするには相応しくないと感じて操祈が身を守ろうとすると、そんなとき少年は機嫌が悪くなったり無理強いをしようとする代わりに、いっそうやさしくなるのだった。
もっと軽い別の愛撫に熱中するフリをして、合間にさらに酷いことをちらつかせて操祈の体に訊いてくる。
「これはだめですか?」「じゃあ、こっちは?」「それなら、ココをこんなふうにしたらどうでしょう? 操祈先生」「ね、こうするとステキでしょ?」――。
そんなことを繰り返しているうちに、最後には彼女の方が折れてしまって、最初の要求をそっくり受け容れてしまうことになっているのだ。
思い通りの姿にされて、望む通りのことをされてしまう。
後になって思い出した時には、体にカーッと火がつくほどの恥ずかしいことを自らすすんで応じてしまっていた。
要するにレイは、あの歳にして女の扱いに馴れていて、女の体の泣き所をイヤになるほどよく知っているのだ。
刹那、午後のことがまたフラッシュバックしそうになって、操祈はぎゅっと目を閉じた。
うっかりすると喉の奥から、ひっ、と悲鳴を発してしまいそうなほど心がかき乱されてしまう。
今日のできごとは、けっして誰にも知られてはいけない、悟られてはいけない秘密、レイと二人だけの大切なプライバシー。
それなのに、オーラリーダー能力者の少女の居る前で、発作のように烈しい羞恥の奔流に襲われるのは最悪だった。
操祈は肩を竦め、身を小さくして俯くと、すっかり上気させてしまった顔を前髪で隠して、週明けの授業で教材に使うつもりで用意していた例題を反芻することで、なんとか波をやりすごそうとしていた。
「先生は……密森くんのこと、どう思われているんですか?」
少女が繰り出したのは有利なポジションを得た自信からか、この期に及んでそれを訊くか、というような緩い問いだった。
「……そんなこと……あなたは、わかってるんでしょ……」
こちらの思いを何もかも見通してしまう少女の視線が怖かった。予想していた通りの、完敗。手も足もでないほどに打ちのめされている。
それでも操祈は、きっとこれも運命の意趣返しのひとつかもしれない、と受け容れていた。
昨日までの自分が積み上げた負債を今の自分が支払わされているのだから……と。
でも、できれば劣後に――。
そう願わずにはいられないほど、自らの罪深い行いが生んでしまった赤字の総額は厖大だと思う。
年端もいかぬ少女のオイタと割り切れぬほどの、人生の汚点、忸怩だった。
「いいえ……今までのはみんな、ただの私の空想にすぎませんから……本当のことは何もわかりません……」
「………」
「それに今はオーラは見えていませんから……だから、先生がどうお感じになられているかも、分りません……でもびっくりです、操祈先生が、そんな必死な女のコみたいなカワイイ顔をされるなんてっ」
「からかわないで……」
半袖ブラウスの中の膨らみが、二の腕の間に挟まれてやわらかな曲線を描いて盛り上がっている。やや興奮気味なのか、起伏のリズムが少し速くなっていた。
優雅な胸の陰影の変化には、少女の目も惹きつけられている。
「いまは見えていないって、どういうこと?」
「眼鏡をしていますから」
「……?……」
「わたし、近視なので眼鏡をしていると視界がすっきりするんですけど、その代わりに人のオーラは見えなくなってしまうんです」
「でもさっきは……あなたは眼鏡をしていた筈よ、バスに居たときは……」
「あれは度の入っていない方の眼鏡です。オーラを見る時にはそうしているんです。視界の解像度を犠牲にして……でもどうして視界がクリアになるとオーラが見えなくなってしまうのかは分りません……きっと自己暗示か潜在意識か何かのスイッチが入っちゃうんじゃないかなって思ってるんですけど……」
少女が能力を使っていないとわかると、操祈もいくぶん緊張を緩めることができるようになったが……。
「お話はそれだけ――?」
「いいえ、本当にお伝えしたいことはこれからです」
操祈の顔がまた警戒にこわばってくる。この上、何をきり出してこられるかと、つい身構えてしまうのだった。
「あの……まだご返事をいただいていないのですが……さっきの問いの……」
「さっきのって……?」
「操祈先生は密森くんのことをどう思っていらっしゃるのかっていう……オーラではなくて、本当のお気持ちを知りたいんです。愛しているんですか? それとも、ただの一時の気の迷い、火遊びのようなものなんですか? もちろん、今だけの話で秘密厳守です。私は誰にも言ったりしません。信頼してください。これでも信用第一でやってきたプロなんですから」
まだ幼さの残る少女の口から、信用第一のプロというような、そぐわない言葉が発せられると操祈にも自然に笑みがこぼれてしまう。
しかし詰め寄られると、こういうことは逆に言葉にしにくくなるものでもあるのだった。
気持ちを言葉にかえるのは、いつでもそんなに容易いことではないからだ。
言葉はしばしば心を裏切るし、逆に心はときとして言葉を卑しめようとする。
しかし操祈は、今は偽りのない自分の心をはっきりと言葉にする時だと決心した。ずっと能力を使わずにいた少女に、自分から偽りつづけることはできなかった。
「愛しているわ……とても……」
「それは密森くんを一人の男性として、対等の恋人ということで愛しているということですか?」
「そうよ……おかしいでしょ? こんな年増のオバサンが男の子のことを好きになるなんて……立派な性犯罪者……」
「なに言ってるんですか先生っ、操祈先生はまだ二十二歳じゃないですかっ、オバサンだなんてとんでもないですっ、ウチの男の子たちにとっての憧れの女神で、私にとってもアイドルなんですからっ……それに深く愛しあっている恋人たちを離ればなれにするような条例は、そもそも間違ってますから従う必要なんてありませんっ」
少女が気色ばむように言って、逆に操祈は苦笑する。
「それでなぁに、これでご満足いただけましたか?」
「はい、そういうことなら私に、先生に是非にも聞いていただきたい提案がありますっ」
「提案?!」
「私にお手伝いさせていただけませんか? 密森くんとのデートをお取持ちする役を任せてくださいっ」