ボーイ8メンタルアウトアウト   作:真夜中のミネルヴァ

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年下の彼

          Ⅲ

 

 

 少年の名は密森黎太郎(みつのもりれいたろう)

 操祈が担任をしている三年生のクラスの教え子の一人だ。

 この秋には十五歳になる男子にしては、同学年の中では幼く見える方。眼鏡、ちょっとクセのある黒髪をやや長めにした、小柄で細身の少年だ。

 容貌からの印象通りに温和で大人しい優等生である。パッと見は、ごくごく普通の中学生の男の子。 

 だが、それだけではないことを今の操祈は肌身をとおしてよく知っていた。

「なにかお飲みになりますか? 既製品ですけど冷たいアイスティーなら用意してありますけど」

 二人きりでいるときも少年は操祈に対して敬語を使う。ただ、堅苦しい態度と実際の行動とは必ずしも一致していないところが実にしたたかなのだ。

「ありがとう、いただくわ」

 渡されたハンガーに紺のスーツをかけながら、応接セットの長椅子の端に腰を下ろした。

 エアコンの効いた部屋にホッと一息。

 氷の浮いた冷たい飲み物は、さながら干天の慈雨のように操祈の火照った体に心地よく染み渡っていった。

「今日は、またいちだんと暑かったから……」

「タクシーを使われなかったんですか?」

「そう思ったんだけど、誰かに目撃されてたりすると後で言い訳がめんどうでしょ、だから……あなたはどうやって来たの?」

「ボクはみんなとはぐれたフリをしてから、後はもう一目散の全力疾走です」

「それはお疲れさまなことね」

「だって、ぜったいに先生を待たせるわけにはいかなかったから」

 ぜったい、というのを強調して言って、少年がどれほど懸命であったのかが窺えた。

 好ましく思う少年からギャラントリーを示されるのは、八つも年上の大人の女からすると少々くすぐったいが、もちろん悪い気がする筈もない。

 それだけでもここに来た甲斐があったと感じられるものだ。

 操祈のとなりに座った少年は旅行中に気になったエピソードのひとつ、ふたつを打ち明け、操祈はそれに対して教師としてのアドバイスをしたりする。

 気の合う生徒との和やかな世間話。

 このままおしゃべりをするだけで終わってもかまわない、愚痴を聞いてもらえるだけでもありがたい。

 かえってその方がいいのかも……。

 操祈はそんな気にもなってくる。

 けれども、そういうわけにはいかないことも感じているのだった。

 

 

 

 

 

          Ⅳ

 

 

「先生、お茶のお代わりはいかがですか?」

「ありがとう、いただくわ……あなたはいいの?」

「ええ、ボクは後で別のをたっぷりいただきますから、そっちの方がボクには好みなので」

「そう? じゃあ、わたしもその時にお相伴させていただくことにしようかしら」

「あの、それはムリなんです、先生にはあげられません」

「あら、わたしにそういうイジワルを言うの、ふーん、そう、それならいいわよぉ、こっちにも考えがあるんだから」

「えー、こまったなぁ……」

「少年、元レベル5をなめないことね、女には奥の手があるんだゾ」

 背筋をピンと伸ばして目線をくいっと上げて、傍らの少年に流し目を送る。憧れの眼差しで見上げる少年のひたむきな容子が、操祈の胸の扉をノックしていた。

 他愛もない言葉のやりとりだったが、そうでもしていないと間が持たないのだった。

 ここに来た理由を思えば、やはり女の身、相手のことを意識しないではいられなかった。レイと二人だけになっているのは、けっしてお喋りをしたりお茶を飲むためなどではない。

 だから言葉が途切れてしまうとすぐに微妙な空気がたちこめてしまいそうになる。

 操祈は気まずくなるのを嫌って、ソファから立上がるとあらためて室内を見回した。

「変わったお部屋ね……」

 と、素直な感想をもらした。

 室内は雑然としていてまるで物置のようだったのだ。

「ウエブ契約の民泊だからシティホテルってわけにはいかないですね」  

 窓のない広いフロアーの真ん中に無造作に置かれたセミダブルベッドの他にも、なぜこんなにたくさん置いてあるのかしらと思う、幾つもの椅子やらロングベンチやらといったようなものがゴチャゴチャ据えられていて、中には一体何の為にあるのか器械体操用の平行棒にしか見えないようなものまで置かれている。

“部屋のオーナーが小遣い稼ぎに不要品置場を活用しているってところかしら……”

「窓がないと、長逗留するには息が詰まるわ」

「あまりここで何日も宿泊する人が居るとは思えないですけど」

「ふーん、それでホテルの経営が成り立つんなら私がどうのこうの言うこともないんだけど……」

 ベッドサイドテーブルにランプスタンド、壁際に書棚があって興味を惹かれる。

「あら、本棚があるじゃない……本の趣味は人を現すから……どれどれ……この部屋の持ち主はどんな本を読んでるのかしら……先生にみせてごらんなさい……」

「あ、先生、それには触れられない方が……」

「あら、だめなの?」

「ダメってこともないんでしょうけど……きっと先生の趣味には合わないので……」

「そう……ならいいわ……」

「それより先生、シャワーを浴びられますよね?」

 背中にそう訊かれた操祈は、不意打ちを食らったように一瞬、言葉をのみこんだ。

「え、ええ――」と、反射的に応じてしまってから、その返事が日常から非日常へと切り替わったサインなのだと判って、にわかに胸の鼓動が速くなる。

 もう先生と生徒ごっこはおしまい。

 今からは――。

 少年はそれを実に巧みに、彼女がイヤとは言わない、言えないタイミングを狙いすましたように、さりげなく忍ばせてきていた。

「じゃあ石鹸とかシャンプーとか、いま用意しますね」

 年は下だが、やっぱり相手の方が一枚上手だと認めざるを得なかった。

「脱衣所もシャワーブースも狭いので窮屈かもしれませんが……」

「ええ、ありがとう……平気よ、そういうのは……」

 平静を装おうとすると、かえって意識して態度がぎこちなくなってしまいそう。操祈は少年に背をむけたまま、書棚にあった本のタイトル背表紙に目を転じていた。が、気持ちが揺れて文字面がなかなか頭に入って来ないのだった。

「どうぞ、用意ができましたので」

「うん……」

 操祈が振り返った時、少年は既に彼女の教え子の一人から、恋人の顔に変わっていた。褥をともにしたことのある男と女になって互いの瞳の色を探り合うようにして見つめ合う。

「先生……」

「……なあに……?」

「キス、してもいいですか?」

 操祈にはもうそのプロポーズを拒むという選択肢は与えられていない。

「いいわ……いいわよ……」

 彼といちばん最後に口づけをしたのは、先週末、学校の図書館でのこと。高い本棚の影で偶然すれ違った時、以来。

 たとえほんの一瞬でも、好き、を確認できるのは女にとって心躍る嬉しいもの。

 そしてここでは他人の気配を恐れることなく、すなおに愛情を表現することができるのだった。

 操祈は目を閉じると従順に頤を差し出すようにして、少年の唇が触れるのを待った。操祈の方が十センチほども背が高かったため、少し身をかがめるような姿勢になって。

 少女のように――胸をときめかせて。

 ところが――。

 素足の膝のあたりにふわりと空気が動くのを感じて目を開けると、彼女の足下に跪いた少年がワンピーススーツのスカートを捲りあげようとしていたのだ。

「ちょっと、なぁにっ」

 ぎょっとなった操祈はあわててスカートの前を抑えると半歩身を退いて少年から距離をとった。

「だって先生、いまキスしていいって言ってくれたじゃないですか」

 少年のぬけぬけとした物言いに、瞬間、返す言葉を失ってしまった。

 何をされようとしていたかわかって、ポッと頬をバラ色にしながら、

「そんな、ふざけないでっ」と声をあげて叱る。

 身をまもろうとするしぐさが女らしく、抗う姿がかえって少年の目と心を楽しませていることにも気づかずに、操祈は眉を顰めて少年をキッと睨みつけた。

「あなたって、ホントにエロガキなんだからっ」

「だってボク、いつもキスしていいですかって先生にちゃんと諒解をとってからしてますよ」

「そんなことっ……」

 場面の記憶が鮮明に甦ってきて、操祈の白面の美貌が羞恥のために耳朶まで朱に染まっていく。ベッドでのふるまいをあからさまに言われるのは女にとっては身を切られるような辱めだった。

「ボク、先生のにキスするの、大好きだから」

「なにを言ってるのよぉ……もう、ほんとにイヤな子ねぇ……」

 操祈からそんなふうに言われても、レイは悪びれたようすもなく寧ろ嬉しそうな顔をしていた。

「やっぱり先生はとびっきり可愛いな……」

 少年はつっと立上がると、動揺から立ち直れていない操祈を残して足取りも軽く浴室に消えてしまった。

 ややあって、

「先生、シャワーの時、ヘアキャップ、お使いになられますか?」

 と、何ごともなかったように訊いてくるのだ。

 けれども操祈は、ニンマリしているレイを見たとたん、また悪い胸騒ぎを覚えて身を硬くする。女の本能が緊急事態を告げるサイレンを鳴らしていた。

 人が満足した猫のような顔をしている時というのは、自分を含めてたいてい碌なことを考えていないものなのだった。

 

 

 

 

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