ボーイ8メンタルアウトアウト   作:真夜中のミネルヴァ

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シングルライフアズゴッデス(最終回)

 

         ⅩⅩⅧ

 

 

 昨日に続き県内の史跡巡りをし、時間の都合で食事はバス内でホテル側が提供したランチのサンドイッチを摂り、京都に着いたのは二時過ぎ。

 新超超高速鉄道(しんちょうちょうこうそくてつどう)中央リニアの発車までの一時間足らずの間に、駅の土産物店で同僚や友人への買い物などをして慌ただしく列車に乗り込んだ。

 万事遺漏無し、予定どおり――。

 帰京の途についた操祈は、座席のリクライニングを倒してしばし寛いでいた。なじみのスタンドカフェチェーンで買った冷えたカフェオレがいつになく美味しく感じられる。

 前日にも増しての強行軍だったが、幸いにして今日はバス酔いする生徒も無く、また元気旺盛な生徒たちも五泊六日の長旅にはさすがに疲れたのか終始おとなし目で、操祈の指示にすなおに従ってくれたので大声をあげる必要もなく、粛々と最終日のスケジュールをこなしていた。

 長かった――。

 そして公私ともにいろいろなことが一度に起きたように感じる一週間だった。

「あの、食蜂先生」

 操祈が閉じていた瞼を開くと、一組の女子生徒の一人が(かしこ)まった様子で自分を見ていた。

「お休みのところ、起こしてしまったでしょうか?」

「いいえ、いいのよ、ちょっと目を閉じていただけだから、なぁに東風(こち)さん」

「これ、村脇先生から食蜂先生にって」

 少女は手にしたオレンジをふたつ操祈に示した。

「それと先生から伝言です、おつかれさまでした、あともう少しですから頑張りましょうって」

「ありがとう、でも困ったわね、お返しするものが無くて……村脇先生こそいちばんお疲れのはずなのに……あの、先生にはありがたくちょうだい致しましたと御礼をお伝えして、それから足をひっぱってばかりで申し訳ありませんでしたと」

「はい、わかりました……あの、それと……」

 少女は言いにくそうにもじもじしていたが、何を言いたいのか察して

「追試のことなら大丈夫よ、来週の土曜日の放課後に行う予定だけど、中間テストでやった問題をしっかり復習しておけば、満点は取れなくても八割以上は纏まるはず、だから心配しないで。わからないことがあったらいつでも聞きにきてちょうだい」

「ありがとうございます、先生」

 学園生活というのはなにかと行事が多い。時にその合間を縫って授業をしているように感じることがあるほど。

 とりわけ秋は大きなイベントが幾つも控えている。

 以前は合同で行っていたものが、また各校独自に行うようになった体育祭、その後は文化祭、そうこうしているうちに十二月になって、クリスマスや年越し行事などが重なって生徒たちが浮き足立ってくるなか、期末試験をこなさなければならない。

 単位を落としそうな子のフォローアップもしなければならないし、個人面談やレポートの評価もある。

 また自身の教務実績に関する年度ごとの報告書も仕上げなければならなかったし、学校内外の教員間での勉強会やら親睦会、父兄会、自治体である学園都市や業者との折衝など、教師というものはさながら前線の下士官のように忙しいのだ。

 ちょっと油断すると仕事が滞留して、たちまち雪だるま式に増えてしまう。自身が生徒だった頃には窺い知ることのなかった教師生活のバックヤードだった。

 幸いなことに多くの折衝案件はリモートで処理できるようになって、対人ストレスは軽減されているものの、やっと修学旅行の引率が終わったと思ったら週明けからはまたいつもの学校生活がはじまる、それを想うと、休みが一日だけって、少なすぎるぅ、と悲鳴を上げたくなった。

 たぶん操祈のデスクのパソコンには未読書類がうんざりするほど溜まっているはずなのだ。

 三時五十一分、品川到着、所要時間四十八分。

 最高速度時速六百十キロの旅は快適だが、あまりにも短かった。

 その後、学園都市までのリムジンバスに乗車して一時間余り、常盤台に戻ってきた時には五時を廻っていた。

 トラブルなく、ほぼスケジュールどおりに全うできた一大イベント。

 生徒たちは校庭で解散となり、各自、宿舎に戻って行ったが、引率の教員たちにはまだ事務処理が残っていて、教員室に戻ると操祈は自身のパソコンを立ち上げた。到着メールを告げるメッセージは見なかったことにする。

“一週間、開けてないんだから、もう二、三日、見なくたって問題ないのっ”

 バタバタバタ、とA4で十ページほどの質問票にコメントを打ち込んで、経理報告書の確認をするなど、全ての後処理を終えた操祈が自室に帰ってきた頃には夜の八時を廻っていた。

 シャワーを浴びて汗を流し、自分の匂いのする部屋着に着替え、髪はまだ十分に乾ききっていなかったが、かまわずベッドに突っ伏した。

 きもちいいっ――。

 そうしてしばらく枕に顔を埋めていてから寝返りを打って仰向けになる。見なれた天井が目に入って、やっぱり自室はいいな、と独りほくそ笑むのだった。

「おなか空いたなぁ……」

 夜十時近くにもなってからでは調理をする気にもならず、重い食事を摂るのも気が引ける。

 果物でもないかと冷蔵庫を開いたが中は殆ど空っぽだった。

 仕方なくミルクにチョコレートパウダーを加えたものを温めて飲むことにする。

「あ、そうだ……村脇先生からオレンジを戴いていたっけ……」

 まだ荷解きをしていないキャリーケースをそーっと開けて、中にあったオレンジだけを取り出して、すぐにぴしゃりと閉じた。閉じるのがダイジ、と自分に言い聞かせる。

“パンドラの匣を開けると不幸になるの、だからあたしはいま必要な幸せだけを取り出したのよ、やっぱり操祈ちゃんかしこーい!”

 十分ほどの後、カウチの前のローテーブルの上には、カットしたオレンジと、飲みかけのホットチョコレートに数枚のクッキー、それに琥珀色の液体をブランデーグラスに三分の一ぐらいまで注いだものが置かれていた。

 

“あら、なぁに、それが食事のつもり――?”

 もう一人の自分が絡んできた。

 

 いいでしょ、だって冷蔵庫になんにもなかったんだもん……。

 

 カウチの上で体育座りをして、にょっきり白い素足を並べたお行儀の悪い格好のまま、大儀そうにクッキーとオレンジに手を伸ばし、コニャックで流しこんでいく。

 濃いアルコールが喉を通り過ぎるときの焼けつく感じが久しぶりで、ちょっとした快感になっていた。

 

“こんな姿をあの子が見たら、きっとガッカリするわよねぇ……一気に恋が醒めてふられちゃうんだゾ、干物女なんか願い下げだって――”

 

 そんなことないもん……レイくん、だいじにしてくれるんだもん……そう言ってくれたんだもん……。

 

 操祈は、心の奥底から湧き出てくる煽り言葉を無視して、さらにグラスを傾け続けた。

 二杯目……そして三杯目……。

 こんな風にして、いつかあの子と一緒にお酒、呑むことができるのかな……?

「五年後か……」

 ひとりごちる。

 ずいぶん先のことで、それを想うとまた心がもやもやしてきて落ちつかなくなりそうだったので、深く考えるのは止めることにした。

 レイくんが二十歳(はたち)で、わたしが二十七、八……まだまだイケるわよね……。

 大丈夫――!

 慢性的な睡眠不足に長旅の疲労、それにアルコールも手伝ってしだいに意識が朦朧としてくる。そのままカウチで沈没していた。

 ハッと気がついた時には午前二時を廻っていた。

 頭が重く、生あくびをして伸びをすると、操祈はトボトボとベッドへと向かうのだった。部屋着のままバタッと倒れこみ、布団にくるまって丸くなる。

 

“あらぁ歯も磨かずに寝るのぉ!? いったいどこの未開の種族かしらぁ――?”

 

 そんな声を無視して、操祈は深い眠りに落ちて行った。

 




 約一ヶ月もの間、おつきあい有難うございました。読み手があることで励まされて書き続けることができました。18禁シーンを書き加えたR18ver.はR18の方で公開するつもりでおりますが、時期は未定です。次回からは『ボーイ8メンタルアウトアウト~学園都市編~』を連載する予定です。
 よろしければまたお付き合い下さい。





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