Ⅴ
「そうね、あの頃は私を含めて高い能力を持った子が、あちこちにたくさん居たから……」
操祈は席を譲って少女を自分の隣に招いていた。
「エイジオブジャイアント、巨人たちの時代、そう言われているんですよね」
「らしいわね、でも時代といえるほど長続きはしなかったし……だってほんの一、二年の特異なできごとよ。それに巨人だなんてとんでもないわ。実際はヒトでなしやロクでなしばかりがたくさんいただけ……間違いなく私もその中の一人よ」
「そんな、先生が碌でなしだなんて」
少女は黒ぶち眼鏡の奥の細い目を、驚きに大きくしていた。
「買いかぶらないで、あの頃の私は自分の力に酔っていて、振り回されていることにも気がつかなかった身のほど知らずのただの子供よ。今は力を失って良かったと心から思うわ」
能力者たちの殆どすべてが十五歳前後をピークにして急速に力を失っていき、その後の数年の内に無能力者のレベルまで堕ちていった。とりわけ上位の能力者ほど急速に。
学園都市の科学者たちはプロジェクトの予想外の破綻を前に非常な危機意識から、さらに莫大な資金と人員を投じて必死の対応を講じたが、結局いかなる試みも奏功することなく、彼らにとって虎の子とも言える貴重な能力者の子供たちが普通の人間になっていくのをただ呆然と眺めていることしかできなかった。
十数年に及ぶ巨大計画の結果、得られたのは、子供たちの特殊能力の発現には思春期バーストが関連しているとみられること、殊に超能力者を多数輩出した黄金世代の子供たちには、何らかのウイルスが関与することで相乗効果がもたらされているのだろうと思われること、の、大きく二点だけだった。
特に後者は一時は有力な仮説として期待され、当該ウイルスの同定まで為されたにもかかわらず、現象が生体で再現されることはついになかった。
長い時間と金と人とを惜しげもなく注ぎ込んだ挙げ句の結末が、ただ、――みられる、――思われる、では科学側の敗北は明らかである。
誰が、いつ、どのようにして、どのような能力を発現するようになるか、それら一切の定式化を得られぬままに時間ばかりが過ぎていくなかで、研究者たちの情熱は次第に萎んでいった。
事ここに至ってようやく彼らは、現象への意識の関与を考慮する必要性を渋々ながら認めはじめたのだった。もしも『現象』に何らかの形で個人の『意識』が関与しているとしたら、研究の迷宮入りは必至となる。
プロジェクトは次々に打ち切りとなり、その後、学園都市は多国籍企業群や軍、国までをも巻き込んだ例の一大スキャンダルの暴露によって特例の多くを失い、心ある学者や医師を除いて多くのプロジェクト参加者が都市を去っていった。
あるものは僻地へ、そしてあるものは獄中へ――と。
現在、能力研究の規模は往時の五百分の一以下にまで縮小されているという、事実上の終了案件だった。
実験素体供給の中心でもあった常盤台中学も、今は共学化されて周辺にある一般校と殆ど変わらなくなっている。
操祈の記憶では、常盤台では三年前に一人、高位能力者と言われるレベル3の男子生徒の発生が確認されて以降、レベル2以上の能力者は認められていない筈だった。そのレベル3の生徒も、能力が観られたのは僅か二ヶ月半ほどの間に過ぎず、発現の安定度も低くて、操祈の知るレベル3とは相当の違いがあるもののようだった。
「紅音さんは能力に興味があるのね」
「先生が心理系最強の能力者だって伺っていたので……私も、心理系、みたいなので……でも先生とは比較にもならないくらい些細な力なんですけど……」
同性として、そして同種の能力を持った先輩としての話を聞きたい、ということのようだった。操祈にとっては身構える必要のない守備範囲の話題である。
「先生は、例えば他人の心の中を覗く、なんてことができたんですか? 大切にしている秘密を本人には気づかれずに知る、なんてことを……?」
「それは俗にサイキック、テレパスって言われているものかしら? 私の能力とは少し違うわね……私の力はもっと物理的だったから……」
操祈は話をしようとして、開きかけた口を閉ざした。昔年の悪行の仔細を生徒に明かすことには、やはり躊躇いがあった。
「物理的って、例えば他人の心を自由に操るとか、記憶を操作するとか、そういったことですか?」
「え? まあ……そうね……」
控えめだと思っていた少女から予期せず踏み込まれて、言葉に詰まりながら操祈は首肯する。
「すごい……」
「少しも凄いことなんかじゃないわ、醜い能力よ……心の未発達な子供にあんなに大きな力を持たせようだなんて、いったい何の冗談かしらって思うわ。きっとあの頃の大人たちは私たちにさぞ苦労したことでしょうね。でも、それを利用しようとしていた彼らも私たちに輪をかけてロクでなしばかりだったから、自業自得という面もあるんだけど……」
会話が途切れてしばしの沈黙が続いた。少女が何かを言おうとしていて、どうすべきか迷っているのが伺えた。
「わたしになにか訊きたいことでもあるの……?」
「……私、先生がうらやましいです……私なんかがそれを口にするなんて、身のほど知らずにもほどがありますけど……でも、うらやましいです……だって私ってこんなだし……力だって無いに等しいくらいだし……」
何と応じるべきかはかりかねて、操祈の口も重くなる。少女が何を求めているのかが判らなかった。
「……力が、欲しいの……?」
少女は頚をふるが、それが本音かどうかまではわからない。
「あなたは心理系のレベル1能力者、だったわよね? 例えば他人の心の中をもっとよく知りたい、とかそういうこと? その為の能力強化トレーニングの方法とか……?」
少女は再び首を横にふった。
「私、テレパシーなんかさっぱりなので、他の人が心の中で何を思っているかなんてわかりません、それに知りたいとも思いません……だって、きっと聞こえてくるのは悪口ばっかりにきまってるから……ただ……」
少女は俯いたまま暫く口を閉ざしてしまった。
どうやら学園生活にストレスを感じているようで、操祈は少女が再び話し始めるのを辛抱強く待つことにした。こうした場合、本来はカウンセラーが対応するのが筋だが、今は仕方がない。
やがて――。
「もし私が先生みたいだったら、きっと学園生活がもっとずっと愉しくなるんじゃないかなって……ただの妄想です……」
「あら、あなたはクラス委員を立派に務めているじゃない? 成績だってすばらしいわよ、えーと、たしか直近の中間テストの成績は、学年で四番、だったかしら?」
少女はこくりと頷いた。
「すごいじゃない! 私は常盤台での成績はそりゃひどかったのよぉ、あなたの足下にも及ばないわ……能力を使っていつもいい加減にやっていたから、いざ力を失ってからは、それはもうたいへんっ」
操祈の明るい笑顔に、少女も口角を上げて頬笑んだ。控えめな笑顔だったが、少女らしい初々しさが花開いたように思えた。
「それでも先生は高校は飛び級で、大学もたった二年で卒業されてるじゃないですか、やっぱりさすがです」
「それはもう遅れを取り戻そうとただただ必死だったからよ、おかげで振り出しに戻ってまた常盤台からやりなおしみたいになってるけどぉ」
操祈の軽口に、少女はやっと歯並みを覗かせる。
「私、先生の母校だから常盤台を選んだんです」
「……?……」
「先輩はずっと憧れのアイドルだったから」
「うーん……」
「常盤台のレベル5、メンタルアウトの食蜂操祈……学園都市の女王……素敵でした……」
「今になってそんな大昔のことを言われても……」
「小さい頃、先生がたくさんのお付きの方たちを従えて街を歩いているのを見かけたことがあって、すごいなぁ、こんなに綺麗なお姉さんが居るんだなって、ずっと眺めていたのをよく覚えています」
心の中で操祈は頭を抱えていた。
中二病の症状が最も深刻だったころを知るものが、よりにもよって自分の教え子の中に紛れこんでいようとは。
「おねがいだから、その話は他の子たちにはしないでね、授業ができなくなっちゃうわ、営業妨害よ」
「でも、みんな知ってることだと思うんですけど……先生のファンは男子だけに限りませんから。学校のアーカイブで映像検索するとき、たぶん先生のお名前が検索語のトップになってると思いますよ」
「――?!」
「先生がウチの先輩だってことは、先生ご自身がおっしゃられていたことですから」
操祈はあらためて自分と生徒たちとの違い思い知らされた気分だった。
これが世代差というものか、と。
以前の自分であれば、学内のことで知らないことは無いほど情報戦では常に優位に立っていた。
今、それが全く逆転してしまっている。
すぐに管理部に掛け合って自身についての情報の全削除を申請したいところだったが、多分、受理されることは無いだろう。
これも身から出た錆――。
人生におけるバランスシートの赤字の返済期限が来ているようだった。
"お願いだから、請求書は分割で……一括返済なんて無理よ、さもなきゃ破産申請するんだからっ、そうなったら元も子もないでしょ、交渉の余地ありよねっ”
「だからって担任教師の子供時代の映像を生徒がわざわざ掘り返したりするの?」
「私、いっぱい持ってますよ、先生の映像……」
少女はスマートフォンを取り出すと、操祈にメンタルアウト画像ファイルを示した。厖大なデータ量に思わず目を覆いたくなる。
「あ、そうだ……先生……この写真なんですけど……」
少女はファイルを探って画像のひとつを面にした。
画面には、テラスで仲間たちと寛いでいる時の、勝ち気で怖いもの知らずの愚かな少女の姿が捉えられていた。
操祈は半ばなげやりな気分で旧悪と向き合った。
「おきれいですよね……薔薇は蕾のうちから薔薇なのだって……」
他者の評価が自己評価より遥かに上をいくのは落ちつかないものだった。
「その写真がどうかしたの……?」
「ええ、この写真、とってもいい写真だなって思うんですけど、ただ、ちょっと変なところがあるんです……」
「変?」
「え、先生のことではないですからっ……ただ、ここ、ご覧になっていただけますか?」
少女が指し示したあたり、写真の隅に目を遣ると、遠景の木陰が斜めに切り取られる形で画面に入っていた。
「あなた、まさか心霊写真だなんて言いたいの? お化けは私の専門範囲を超えているんだゾ」
「その……人が映っているんです……」
操祈は凹んだ気分を紛らわせるつもりで冗談を言ったつもりだったが、少女は逆に真顔になっていた。
確かに、見ようによっては木陰に人影があるように見えなくもないが、こうした類いは大概、目の錯覚か見る側の思い込みと定まっている。
オカルトについては操祈は実際的で否定も肯定もしないが、もしトラブルがあるのならそのとき対処すればいい、そう考えている。
「仮にそこに幽霊が映っていたからって、大丈夫、大昔の話でとっくに時効よ、祟りなんて気にしないわよ」
「この写真、ブロック画像なので被写界深度関係無く背景もクローズアップできるんですけど……それで、ここを拡大して……先生、良くご覧になっていて下さい、画像補正を行いますので……」
少女は真剣な顔をしたままで指先を巧みに操って映像を操作していた。
黒く影になっていた部分から次第に人型が浮きあがってくる。操祈の目にも確かに人の姿のように見え始めていた。
人影は拡大されて、さらに鮮明になっていく……。
制服の襟元、顎のライン、髪……。
次第に最適化されていく画像を追いながら、操祈の端整な白い瓜実顔が次第に疑惑から当惑へ、やがて驚愕へと変わっていき、そして最後に愁いの表情のままで凝固まった。
「これ、どう思われますか、先生?」