ベル君に「まだだ」を求めるのは間違っているだろうか 作:まだだ狂
三日月が道化のような笑みを浮かべている丑三つ時。
人も神も皆が等しく夢の世界に旅立っている静かで寂しい
コツ、コツ、コツ。
地面を叩く
誰も居らず、誰も歩かぬ、孤独な街路を進む人影は、時を刻む時計のように正確な足取りで、目的地へ向かって歩いていく。
コツ、コツ、コツ。
死の気配を感じさせる不気味な音が、夜の冷気を配下のごとく率いて、
誰も、闇夜を進軍する者の姿に気付かない。彼らは皆、夢の民。現実の意味を忘れてしまっているから。
コツ、コツ、コツ。
星々の瞬きでさえ捉えられない、空白の時を往く者。姿形を暗い黒と同化させて、地面に貼り付く影のように気配を希薄し進む様は、暗殺者に似ている。
歩く、進む。
歩く、進む。
歩く、進む。
やがて。
音が消える、辿り着く。
「……」
夜に生きる人影が足を止めた先に佇んでいるのは、三階建ての屋敷だった。
第二章の幕を下ろす最後の舞台は、【ソーマ・ファミリア】の
そして、影が拝謁を願うは灰被りの少女を縛る盲目なる神、ソーマだ。
「ぐほっ!?」
「ぐあっ!?」
屋敷の扉を守る門番を一切の抵抗を許さず気絶させ、扉を開き、侵入した先で待っていたのは……。
「どうしたんや、こんな夜更けに。ドチビが心配しとるんで、きっと」
朱色の双眸で人影を──両眼から雷光を迸らせるベル・クラネル──を捉えながら、薄ら笑いを浮かべる神物。
「初めましてや、ベル・クラネル。うちのアイズたんがようお世話になっとるみたいやな」
「『
ロキだった。
「ソッチの名前で呼ばれるのは何万年振りやろ? 久しぶりすぎて、今の今まで忘れてたで」
語る言葉の声音は軽快。顔に浮かべる表情も柔らかい。だが、それらすべては嘘、偽り。開かれた鋭いまなこには猜疑の光だけが冷たく宿っている。
「なぁ、ちょいとお姉さんとお話しようや」
「『断れば、おまえの番犬が牙を剥くか?』」
ちらり、とロキの背後に視線を送れば、獰猛な笑みを浮かべる【
「それは、あんた次第やなぁ」
「『……良いだろう。
「賢い子でうちも助かるわぁ。人様の家で、乱暴なことしたないからな」
「『ほざけ』」
そう言って、ベルは二刀を鞘に収めて腕を組んだ。早く話せ、と雷光ほとばしる双眸がきびしく訴えかける。
「そう急かさんでもええやん。まだまだ夜は長いんやから、軽く世間話でも……」とロキが茶化せば、ベルは殺意を膨れ上がらせた。
「わかった、わかった。世間話はせぇへん。さっさと本題に入ろか」
「『最初から、そうしろ』」
ベルが眉を顰めながら言った。
「……おたく、ここに何しに来たんや。自分の
「『神ソーマに会うためだ』」
「……会うためっちゅう割には、刀握り締めたりして随分と物騒ちゃうか?」
「『なにが言いたい』」
ベルが問う。
「そんなもん、一つしかない。…………ソーマのアホを殺すつもりやろ?」
四秒の沈黙。
後に口を開いたベルは、本心を語る。
「『殺すか、殺さないかは奴の発言次第だ。俺はただ問うだけだ、自らの愚かな行いを理解しているのか。理解していないのか。その是非をな』」
「そんなん、殺しますって言うてるもんやん。ソーマの返答なんて分かりきっとるもん」
趣味にしか興味を抱かぬ仙人のごときソーマのことだ。殺意を込めた問いかけを前にしても、馬鹿正直に思っていることをペラペラと喋るに決まっている。
ロキの脳内に、首と胴が別れを告げるソーマの姿が浮かび上がった。
「なぁ、教えてくれん? どうして、殺そうとするんか。その理由を。ソーマは確かに
「『
そや、とロキは頷く。
「あいつらの方がよっぽど害や。そっちを先に潰すのが道理ってもんやないか」
「道理、か……」と呟くベルの表情が僅かにゆがむ。
「『確かにおまえの考えは正しい。……だが、今はまだ可能な状態にない。この身体を動かせる時間は限られている。今の俺にできるのは、家に引き籠もっている愚かな神を裁くことぐらいだ』」
「やっぱ、そういうことかいなぁ。はぁ……面倒くさっ!」
そう言って、ロキは頭を掻き毟る。
「なぁ、お前は一体何者なんや。なんでベル・クラネルに寄生みたいなことしとるん」
問いは詭弁を得意とするロキのものとは思えないほど切実だった。
ベル・クラネルに、我が子の内の三人が懸想してしまっているのだ。彼女たちの恋路が不幸で舗装されていないのか、確かめる必要があった。
あくまでも、ソーマを助けるのはついで。美味しい酒が飲めなくなるのは困るから、という理由が比重の殆どを占めている。もしも、酒がかかわっていなければ、ロキがベルの前に姿を現すことはなかっただろう。
自ら動いて助けようと思うほど、ソーマと厚い繋がりがあるわけではないのだから。
「答えろ、お前は何者や!」
沈黙するベルに、神威を叩き付けるロキ。
その様子を見て、何かしら返答しなければ先に進まないと感じ取ったベルは溜息を一つ洩らしたあと、口を開いた。
「『俺が何者であるか、おまえが知ったところで意味は無い』」
「意味があるとか無いとかどうでもええから、さっさと答えろ……」
唸る、神言。増幅する、神威。
「『…………俺が何者であるかは、ギリシャの神々が知っている』」
「なんやと?」
それ以上は語れないと告げるように、ベルは首を振った。
(……ドチビらが、知っとるやって……そんなん、思い当たるのは一つしかないやろ……)
神々の間でまことしやかに囁かれる噂につけられた名称である。語られる内容は様々だが、どの噂でも共通している点が一つあった。それは、天界が統合する以前に、ギリシャの神々の間に何かが起こったということだ。他の神々には決して教えられない、何かが。
(……ホンマは今すぐにでも正体吐かせたいんやけど。……この様子じゃ、無理そうやな。あんま強引に聞きだそうとしたら、うちの首が胴とおさらばしてまう)
眼前の少年が何者ではあるかは依然として不明なままだが、少なくともベルが二重人格である疑いは晴れた。
これだけでも大きな前進だ。
「『話はこれだけか? 満足したというのなら、道を空けて貰おうか』」
「あー……すまんけど、それは出来ひんのや」
「『なに?』」
収まっていた殺意が、再びその身から溢れ出す。
無意味な問答に時間を費やされた挙げ句、当初の約束を反故にされたのだから、ベルが怒るのも無理はなかった。
「『話が終われば、通してくれるという話ではなかったか?』」
「それは勘違いや。うちはお話しようって言うただけで、通すなんて言った覚えはないで」
記憶を遡る限り、確かにロキは「通す」と口にしてはいなかった。
「『……立ち塞がるというのならば、おまえは俺の敵ということになるが』」
そう言って鞘に収めていた二刀を再び握ろうとするベルを見たロキは、両手を挙げて「降参! 降参! うちらに戦う意思は一セルチも無い!」と叫んだ。それも涙ぐみ、情けない表情を浮かべて。
「『どういうつもりだ……』」
「んなら話、聞いてくれる? うちを殺さないって約束してくれる? でないと、赤ちゃんもドン引きするぐらい、みっともなく泣き喚くで」
「『……わかった、話を聞こう。だからそのわざとらしい演技を止めろ』」
面倒臭そうな表情を浮かべながら、ベルは言った。
途端、言質を取ったと言わんばかりにロキは態度を一変させて、大人しくなった。
「まず、うちらが通せんぼうしとるのにはちゃんとした訳がある。何も意地悪したいわけないんよ」
「『……聞こう』」
「ソーマの奴を思いっきし説教しまくって、自分が何やらかしとるのかを理解させた。口約束なんて軽いモンやないで、しっかり誓約書を書かせた。『
ベルに近づきロキが差し出してきたのは、一枚の誓約書だった。
「『……』」
そこには、『
「それだけやない。数日後にはギルドの厳しい厳しい監査が入る予定や。違反行為したわけやないけど、元々【ソーマ・ファミリア】の素行は問題視されててな。遂にギルドも重い腰を上げたってわけや」
あとはうちが言わなくても分かるやろ? とロキが耳元で囁く。
「『俺の行動に益はない、か……』」
「それどころか、害を及ぼすだけや。そんなん本意や無いやろ、自分も」
「『……ふん、上手く立ち回ったものだな。流石は
「やめてぇや。そんなに褒められたら照れてまうやろ」
口が減らない女神が、とベルは吐き捨てるように言って身を翻した。
「『今回はおまえの奔走に免じて、ソーマは見逃してやろう』」
だが。
ベルは顔だけ振り向かせて、言った。
「『もしも奴が改心していないと分かれば、今度こそ俺は俺の役目を実行する』」
刀のように鋭利な視線が、ロキの瞳を射貫いた。
「『では、俺はこれで失礼する』」
今度こそ、交わす言葉は無いとベルはロキから視線を切り外へ向かって歩き出す。
コツ、コツ、コツ、と地面を叩く靴の冷たい音色が響くたびに彼我の距離が離れていく中で。
「…………なぁ。どっちが、本当のベル・クラネルなんや?」
そう訊ねずにはいられなかったロキに、ベルは去り際、こう答えた。
「『それを見定めるのが
「あぁ、もう! 何やねん! 一つ問題解決したら、また新しい問題が湧いてきおるやんか! どうないせいっちゅうねん! アイズたんと一緒に征くなら、そうせいや! なんで、変なモンに操られとんねん! 何がどうなっとるっちゅうんや!」
「ったく、あいつが去ったら直ぐこれかよ。ぎゃーぎゃー喚くのは
「うっさいわ、ボケ! バカ! アホ! うちが何したっていうねん! 毎日慎ましく生き取る善神をこんなに酷使するなんて、おかしいやろぉおおおおおお! うわぁああああああああん!」
我が子の背に泣きながら飛び乗ったロキ。
「はぁ……しょうがねえ、神様だぜ全く。……ほら、とっと帰るぞ」
「最近のベート、優しくて好きや……」
「………………気のせいだろ」
満天の星のもと、道化の神と凶い狼がゆっくりと黄昏の館へ帰っていくのを、三日月が愉快そうに見守っていた。
二章 十二時に鳴り響く、白銀の鐘音 閉演