その少年は、人里でも人一倍好奇心の強い子供だった。
寺子屋の先生を質問攻めにしたり、両親の仕事を手伝ってみたり、才能の欠片もない魔法や妖術を教えてもらおうとしたり……とにかく、見たことない物や知らない事に対してとても興味を示す子供だった。
そんな少年が特に興味を持っているのが人里の外の世界だった。
人里から一歩でも外に出れば未知の世界が広がっているのだ、好奇心の塊のような少年が興味を持たない訳がない。
少年はいつも外の世界へ出てみたいと思っていた。
だが、大人達はそれを許さない。何故なら人里の外は妖怪の蔓延る人外魔境の領域。大人達でさえ妖怪に襲われて命を落とすといった事も少なくないのだ。そんな場所へ非力な子供である少年が行けばどうなるかなど分かり切っている。
もちろん、人里の近くで大人の眼があり安全だと判断された場所ならば多少は外に出ることは出来る。しかし、そんな限られた場所だけでは少年の好奇心を満たすことなど出来なかった。
故に、少年はその好奇心を抑えきれずに誰にも告げず、誰にも知られないように一人で人里を抜け出した。
少年は何も考えずに人里を飛び出した訳ではない。
妖怪が活発に動くのは基本的に夜の間、逆に言えば日の出ている間は比較的安全だという事。ならば、日の出ている間に行き、帰って来られる場所ならば問題ないと考えたのだ。
そして、少年が決めた目的地は博麗神社、妖怪退治を生業とする巫女の住む場所。
そこならば地図もあり、多少時間は掛かるだろうが日の出ている間に着けるはずだからだ。
それに加え、そこの巫女の人なりも人里の者から聞いている、その生活も。
神社を参拝する者はほぼ皆無であり、深刻な金銭難に悩ませているらしい。人里から離れた場所に立地しているので当然と言えば当然の話だが。
そんな訳で、両親の仕事を手伝って稼いだお小遣いを持っていけば無下には扱われないだろうという算段もあった。
そして今、少年は太陽の下、外の世界を闊歩している。
初めての外の世界。たったそれだけの事だけでいつもはただ流れゆく風も、何処からともなく聞こえてくる鳥の囀りも、何もかもが少年にとって新鮮なものに感じさせた。
進みゆく道の中で今まで見たこともない動物や植物に触れて、少年の興奮はもはや抑えきれないものとなっていた。
妖精は度々見かけるが、妖怪が現れる気配はない。少年の旅路は全て順調に進んでいく。
予想だにしなかった事態が少年に襲い掛かるまでは。
地図にあるはずの道が無い。いや、道が分からないのだ。長く使われていなかった影響からか草木が生い茂り、道を覆い隠してしまっている。
たったそれだけの事で少年の旅路は絶望的なものとなってしまった。
拙いことに、もう既に日が沈み始めている。
このままでは人里に帰るにしても途中で道が分からなくなってしまうだろう。そもそも、人里へ戻る体力も残っていない。野宿などもっての外だ。
もう博麗神社を目指すしかない。地図を信じるならばかなり近づいているはず。であれば、人里へ引き返すよりも神社を探す方がまだ助かる可能性が高いと考えたからだ。
そして、少年は最後に残った希望を胸に、博麗神社を探し始める。
だが、現実というのは決して甘くはなかった。少年の幻想は見事に打ち砕かれる。少年は博麗神社を探し、彷徨い続けたが一向に見つからない。日も完全に沈んでしまった。もはや自分が何処にいるかも分からない。それでも少年は歩き続ける。
もしも無事に神社に着いて巫女に出会ったら文句の一つでも言ってやろう、そんなことを考えている時だった。
急に視界が一段と暗くなり、幼い少女の声が大気を震わせる。
「ねぇ、あなたは取って食べてもいい人類?」
その声は、少年にとって最悪の事態が訪れたことを告げた。
少年の直感が全身に警鐘を鳴らす。
こんな真夜中に幼い少女が出歩くはずはない。そもそも食べてもいい人類だと? そんな事、人間ならば決して言うことは無いだろう。
つまり、コイツは――妖怪だ。
そう判断した瞬間、少年は全速力で駆け出し、妖怪から逃げる。
妖怪を前に非力な人間が出来ることなどただ一つ、全力で走り、逃げる事だけ。そして、一度妖怪に捕まってしまったが最後、どんな抵抗も空しくただ蹂躙されるのみ。
「確かいつかの紅白は、夜に動いている人類は食べてもいいって言ってたよね」
颯爽と走り去る少年を見て、妖怪はふとそんな事を思い出す。
別に好き好んで人間を喰う訳ではないが、目の前に現れた格好の獲物を見逃す理由など無い。ならば、取るべき行動は一つのみ。
「あはっ、それじゃあ楽しい楽しい鬼ごっこの始まりだね♪」
妖怪はそう言って少年を追い始める、ここに少年の命を懸けた逃走劇が幕を開けた。
少年は走る。迫りくる闇から逃れるために。
草木を分け、身体中に切り傷を作りながらも走り続ける。
まだ助かる可能性が万に一つでもあるのならば諦める訳にはいかない。やり残したことは山ほどあるのだ。それなのに、こんな場所で死ぬわけにはいかない。
「あはは~、待て待て~♪」
時折、そんな妖怪の楽しげな声が聞こえてくる。少年は全力で走っているにも関わらず、その声は一向に離れてはくれない。
もはや少年の体力は限界に近い。だが、この声を聞く限り妖怪はまだまだ余裕だ。
このままでは絶対に助からない、何とかしなくては――
そう少年が助かる方法を模索している時、ふと違和感に気付いてしまった。
一体何故、自分は妖怪から逃走を続けられているのだろうかと。
もちろん、少年は全力で走ってはいる。命が懸っているのだから、当然の事だろう。だが所詮は子供だ、妖怪から逃げられるはずがない。
百歩譲って妖怪の足が少年よりも遅いと言うのならまだ分かる。しかし、少年を追う妖怪は少年とほぼ同じ速度で移動してはいるが、かなり余裕があるように思える。
そんな妖怪が少年に追い付けない訳がないだろう。
結論から言えば、少年は妖怪に遊ばれている。
先に妖怪が冠した通り、妖怪にとってこれは鬼ごっこ。少年にとって命を懸けた逃走劇であっても妖怪にとってこんなものは所詮ただのお遊び以外の何物でもない。
妖怪は逃げ惑う少年を追い続け、それを楽しんでいるのだ。
少年がそれに気付いた時、妖怪に出会ってしまったその瞬間から希望など存在していなかったことを理解する。
その事実は少年に重くのしかかり、思考が止まる。
瞬間、少年は何かに足を捕らわれ、転倒してしまった。
それでも少年はすぐに立ち上がり、なおも逃走を続けようとするが――
「つ~かま~えた。これで鬼ごっこは終わりだね。もう逃げちゃ駄目だよ?」
妖怪に腕を掴まれてしまい、それは阻まれてしまった。
少年は必死に掴まれた腕を振り解こうとするが、掴まれた腕は全く動かない。殴ってもみるが、やはり意味など無い。少し痛そうにはするが、それだけだ。
「暴れないで欲しいな~、……えいっ♪」
それを鬱陶しいと思った妖怪は軽く腕を振るった。本当に軽く、まるで纏わりつく羽虫でも払うような、そんな気持ちで。
だが、たったそれだけの事で少年の腕はへし折れ、地面を転がっていく。
全身に激痛が駆け巡り、少年はもはや立ち上がる事すら出来ない。
少年は残った力を振り絞り、妖怪へと視線を向ける。
月明かりに照らし出された妖怪は、その声の通りの可愛らしい少女の姿をしていた。金色の髪とそこに結ばれた血のように真っ赤なリボン、同じく血のように紅い瞳、それに人里ではあまり見ないような服装をしている。
確かに人の形をしてはいるが、実際に対峙してみればこの少女から漂う妖気から、誰もが人外の存在であると疑わないだろう。
「大丈夫? まだ死んでないよね?」
妖怪が優しく少年に声をかける。
だが、これは断じて気遣いなどではない。彼女はせっかく手に入れた玩具が壊れていないか心配しているのだ。
逃れられない死を前に、少年はただ妖怪の少女を見つめる。
もはや抵抗どころか動くことすら出来ない。それならば、最後の瞬間までこの光景を目に焼き付けよう。
それがひたすらに自らの好奇心を満たす為に生きた少年の最後の選択。
少年の身体が闇に飲まれていく。少女の口が歪み、口角が吊り上る。
「あはっ、怖くて声も出せないのかな? それじゃあ……いっただっきま~す♪」
少女の口が開き、少年に最期の瞬間を告げた。
まず手始めに左腕が喰われる。予想以上の激痛が全身を巡り、思わず悲鳴を上げてしまう。
その声を聞き、少女は気を良くしたのか続けて左肩にかぶり付く。痛い、痛いと先程と同じように悲鳴を上げる。
少女が顔を覗き込み、満足げに嗤う。その歪んだ口は少年の血で真っ赤に染まっていた。
「うんうん、とってもいい顔になってきたね。でもまだまだかな? もっと恐怖して頂戴。もっと絶望して頂戴。そしたらもっとも~っと美味しくなるから♪」
闇に飲まれ逝く中、少年は思う。
あぁ、嫌だ。死にたくない。
この世界には見たことのない物があったんだ、まだこの世界には行ったことのない場所があったんだ、まだこの世界には知らないことが沢山あるんだ。
だから、だから、だから。まだ、死にたくない――
▽▽▽
気が付くと、目の前に見慣れた布きれを纏った肉塊が転がっている。血に塗れ、もはや人の姿を留めてはいないが、その布きれから自らの身体だったものだと認識できる。
そうか、これが話に聞いていたあれか。この世に強い未練を持って死ねば亡霊になってこの世に留まるっていう。
あぁ、つまり――
「やっぱり私、死んじゃったのかぁ」
そうだ、あれは現実、決して夢などではなかった。
私は妖怪に喰われて死に、亡霊となった。まぁあれだけこの世に未練があれば亡霊になるのも仕方ないことなのだろう。
だが、せっかく亡霊になったのだ、壁をすり抜けたり、人を化かしたり……人の身体では出来なかった事をやってみたい。
まずは手始めに先生でも化かしに行こう。
いったい先生はどう反応するのだろうか? 驚くのだろうか? それとも亡霊になった私に対して説教でもするのだろうか?
そんな事に思いを馳せながら、私は
立ち上がる? 亡霊には足がないと聞いていたのだが。
「あれ?」
そうだ、考えてみれば何もかもがおかしい、違和感だらけだ。
私はこんなに高い声をしていたか?
そもそも私とは一体なんだ? 口調もどこか女っぽくなっている。私はもっと男っぽい口調だったはずだ。
確か……どんな話し方をしていた? 全く思い出せない。
とにかく、違和感の元凶である足下へと視線を落としてみる。
そこにはちゃんと足が付いていた。しかし、それと共に視界に入った自分の着ている服は人里ではあまり見ないような女物の服。しかも、私を喰った妖怪が着ていた服とよく似た服を着ていた。
遅れて流れ落ちる金色の髪が視界に入る。これもあの妖怪に良く似た髪だ。確か、長さもこれくらいで――
この時点で私は、自分の身に何が起こったかを推測できた。
水の流れる音が聞こえる。近くに川があるようなので、自らの推測の正否を確認するために川へと向かい、水面に自分の顔を映す。
するとそこにはあの時の妖怪が、あの時と変わらぬ紅い瞳でこちらを見つめている。
その口は紅に染まっているがあの時の歪んだ笑みはない。むしろ、かつて少年が形容されたことのあるような――
玩具を見つけた子供のような笑みを浮かべていた。
▽▽▽
目が覚めてから、一時間ほど、自分なりに今の状況の整理とこの身体で何が出来るのかを試し、いくつか分かったことがある。
まず一つ目、正直なんと言えばいいか分からないが……私を食べた妖怪になってしまったこと。この表現には語弊が多く存在するとは思うが、この現象をどう表現すればいいのか私には分からない。
とにかく、私はこの妖怪の身体を自らの意志で動かすことが出来る。
次に二つ目、私は私を食べた妖怪の記憶を持っている。
妖怪の名はルーミア、闇を操る妖怪。妖怪としての実力は弱の中ぐらいらしい。
そして記憶があるということはこの妖怪の力の使い方が分かるという事。どれも面白いものだったが一番気に入ったのは空を飛ぶ能力。
妖怪としては特別な能力ではないらしいが、今まで生きてきた中でも屈指の体験だった。さっき死んだばかりだけど。
三つ目、これはどうでも良いが、口調が人間であった時とは変わっている。
それが女になったからなのか、ルーミアの記憶を持っているからなのか、はたまた別の理由からなのか……興味はあるが、考えたところで答えはでないし、分からないので今は気にしないことにする。
そして、最後の四つ目――
「もう、人里には帰れないわね」
私は既に人外の存在、人間であった少年は死んだ、例え精神が人間であろうとも、いくら人の形をしていようとも、人喰いの、人ならざる者が人間の世界にいられる道理などあるはずがない。
先生は半人半妖だとは聞いたが、先生は人を喰わない。それに対し今の私は人喰い妖怪だ、比べるまでもない。そもそも私があの少年だと言って信じる者などいないだろう、見た目はともかく性別まで変わっているのだ。
それに、仮に信じてもらえたところでやはり、人喰い妖怪が人里にいられるわけがない。
行ったところで、殺されることなど目に見えて分かる。
だが、そんな状況になっても私は全く悲観していない。むしろ歓喜に打ち震えていた。
例え女になろうとも、例え妖怪になろうとも、人喰いの存在に成り果てようとも私の心にはかつて抱いていた未知への探究心が今も変わらずあり続けているから。
故に私は歓喜していた。命の危険を冒してでも知りたかった世界を渡り歩くために必要な力を手に入れたのだから。
もはや私にとって、両親や親しかった人々に会えなくなることなど些細な問題だった。
私は妖怪として生き、この世界を巡ろう。
当初の予定とは全く違うが、そんなことは関係ない。
例え姿形が変わろうと私の願いは一切変わらない。この世界には未知が溢れている、そして私はその未知を知りたい。だからこそ私は人里を飛び出したのだ。
まずはルーミアと仲の良い妖精達の住む湖に行こう。どうやらここから近いようだし、何よりも彼女達にも興味がある。
場合によっては一緒に来てくれるかもしれない。妖怪の力を手に入れたとはいえ、この世界には強い存在が山ほどいる。故に少しでも自分の助けになってくれる者がいるならば心強い。
これから旅立つ未知の世界へ思いを馳せながら、霧の湖と呼ばれる場所へと向かった。
最後まで読んで頂き、誠にありがとうございます。
私の初めての作品なのですが、いかがだったでしょう? 面白かったですか? つまらなかったですか? それとも暇潰し程度にはなったでしょうか?
自分でも拙い文章だとは思ってはいますが、何とか読み物にはなるように頑張って書くつもりなので応援して頂ければ幸いです。
なお時系列は紅霧異変が解決されてしばらくたった後の話となっており、少年の東方キャラの知り合いは慧音と妹紅、アリスの三人のみです。
また、人里と妖怪の関係はあまり良くなく、人里にほとんど妖怪は住んでいません。住んでいて人に紛れて生活している者や慧音のようにかなり友好的な者だけとなっています。
感想や質問、アドバイスその他諸々いつでも歓迎しています。