英雄である彼には婚約者が居る。
 彼は清廉潔白で、誠実だ。
 だからきっと私には振り向いてくれない。
 けれど、どうしても彼が欲しい。

 ――だから手段を選ばず、奪う事にした。

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 シチュエーション小説なので短いです。


恋人がいるなら、抱いてくれる状況を作って既成事実を作れば良いじゃない系僧侶

 パーティメンバーであるメルトが呪を受けた。

 

 運び込まれたのは地方の小さな医療教会支部、その寂れた石造りの個室で英雄――セスは唇を強く噛み締め、ベッドに横たわるメルトを見下ろす。頭に巻かれた包帯、それは片目を覆い隠し、もう片方の目は虚ろに揺らいでいる。全身は焼け爛れ、特に右半身など酷いものだ。部屋にはセス、メルト、そして医療教会の術者である支部長がひとり。

 メルトの治療を担当した支部長は横たわる彼女を痛ましい目で見つめた後、セスに向かって告げた。

 

「――呪火に心の臓を焼かれました、火傷等の外傷は兎も角、内臓に食い込んだ呪を解呪する方法がありませぬ、恐らく……明日の夜には、もう」

「ッ!」

 

 思わず、セスは支部長の首を掴み暴言を吐き出しそうになった。それを、強く拳を握り締め堪える。ぎちりと歯茎が軋んだ、余りにも強く噛み締め過ぎたのだ。

 不意に、天井をぼんやりと眺める彼女が口を開いた。

 

「……セス」

「っ、メルト!」

 

 セスは震える声で言葉を紡ぐ彼女の傍に駆け寄り、その手を掴んだ。信仰者である彼女は近接戦闘を行う事が無い。故にその指先は柔らかく、美しかった。メルトは駆け寄り、己の手に縋りつくセスを見て、それからその背後の支部長に声を掛けた。

 

「支部長、私は少し、彼と、話が……」

「……分かりました、何かあれば御呼び下され」

 

 そう言って支部長は一礼し、個室を後にする。部屋に取り残されたセスはメルトの手を握り締めながら、「すまない、すまないッ……!」と繰り返した。この負傷は、別段セスが原因になった訳ではない。ただただ、運が悪かっただけだ。敵の攻撃が予想以上に激しく、前線の余波は後衛の彼女にまで及んだ――ただそれだけの話。

 メルトは涙を流し嗚咽を零すセスの手を指先で撫で、ぽつりと呟く。

 

「私も、明日までの、命……ですか」

「っ、大丈夫だ、絶対に俺が――」

「いいえ、良いんです」

 

 セスの言葉を遮って、メルトは柔らかく微笑んだ。その笑みは余りに痛々しく、見ていられない。それはもう死を受け入れている様にセスには見えて、言葉が喉の奥から出て来なかった。

 

「ただ……ただ、ひとつだけ、お願いがあるんです」

「何だ? 何でもする、叶えてやる、言ってくれ……!」

 

 儚く笑い、死にゆく仲間が告げる最後の願い。それは是が非でも叶えなければならない望みだ。セスが涙を流しながら強い覚悟を持って答える。メルトは頷き、その瞳を真っ直ぐ向け、告げた。

 

「――抱いて下さい」

 

 その言葉を口にした瞬間、セスは明確に動きを止めた。メルトの手がぎゅっと、セスの手を強く握りしめた。

 

「私、死にたくないです、でも、明日にはきっと、死んでしまいます、私も術者の端くれですから、自分の体の事位分かります、だから最後に……愛した貴方に抱かれて、死にたいんです」

 

 ゆっくりと、包帯の下で焼け爛れた皮膚を痙攣させ彼女は言う。メルトは本気だった、本気でそれを望んでいた。それが分からない程セスは鈍くない。メルトの指先が弱々しくセスの指先に絡み、その肌を擦った。

 

「ごめんなさい、最後までこの恋慕の情は隠しておくつもりでした、けれど最後の最後に――欲が出てしまったんです、だから……だから私に同情して下さい、貴方に婚約者がいるのは知っています、愛が無くても構いません、私に後悔を残させない為に、仕方なく、事務的でも良いんです、ただ、抱いてくれれば、それで――それだけで私は、悔いなく死んで逝けます」

 

 こんな体に興奮して頂けるかは、分かりませんが。

 メルトはそう言って、傷だらけの胸元を晒す様にして笑った。火傷は乳房にも及んでおり、その半分は焼け爛れている。メルトの瞳から一筋の涙が零れる、彼女はセスの瞳から視線を切って、反対を向き呟いた。

 

「今日の夜、もし、抱いて頂けるなら――待っていますから」

「………」

 

 セスは言葉を返す事が出来なかった。ただメルトの手を握り締め、佇む事しか出来なかった。

 

 ■

 

「セス様」

 

 部屋を後にしたセスに、扉の前で待機していた支部長が声を掛ける。何があった、とは言わない、言えない。セスは視線を下に向けたまま静かに告げた。

 

「……彼女に何かあったら、直ぐに呼んでくれ」

「えぇ、分かりました」

 

 その場を支部長に任せセスは回廊を歩き出す。石畳の床はセスが歩く度に甲高い音を鳴らす。一歩、二歩、三歩――廊下の角を曲がり、個室の扉が見えなくなったところでセスは壁に寄りかかった。胸を支配する感情は――一体、何だ。

 抱く――抱く? 誰を……メルトを?

 メルトは素敵な女性である、それはセスも認めるところだ。しかし、抱きたいかと問われればどうか。無論、ひとりの男性としては魅力的に映る。しかし彼女が言ったように、セスには婚約者が存在するのだ。セスは二人の女性を同時に愛する事が出来るような人間ではない。セスは愛した人に対し、誠実でありたいと思っている。

 メルトを抱くということは、己の婚約者を裏切りるという事だ。

 ――出来る訳ないだろう。

 セスの理性がそう断言する。しかし同時に本能が囁いた。

 ――ならこのまま、見殺しにするのか。

 

「っ、くぅ……!」

 

 頭を抱え、ずるずると座り込む。彼女を救う術は――ない。呪火は彼女の心臓を捉えた、例え高位の信仰者であっても解呪は難しいだろう。仮に上手く行くとしても、一日二日でどうにか出来る症状ではないのだ。今から都市部に駐在する信仰者を呼びに行っても間に合うまい。ならばメルトの結末は決まっている。

 このまま呪火に全身を蝕まれ――死ぬ。

 

 そんな今際の彼女が、最後に望んだそれさえ自分は己の矜持を理由に跳ねのけるのか。

 

 セスは己がとてつもなく無力な存在に思えてならなかった。英雄と呼ばれ驕ったか、己を慕う女性ひとり守れず――唇を噛み締め、嗚咽を漏らす。節を曲げるか、頑なに守るか。どちらを選んでも明日の夜にはメルトが死ぬ。

 ならば――ならば、自分は。

 

 ■

 

「――メルト様」

 

 セスの透けた背中を見送り、個室へと踏み込んだ支部長は静かに彼女の名を呼んだ。途端、先ほどまで苦悶の表情を浮かべ、涙を流していたメルトの様子が一変する。片眼を覆っていた包帯を毟り取り、それを布団の上に放った。火傷跡が刻まれたそれを無造作に撫でつけ鼻を鳴らす。彼女が焼け爛れた皮膚を撫でつけると、その痕は一瞬にして消え去り、元の白い肌へと戻った。

 

「扉に施錠を、お前も夜まで部屋の前に立っていなさい、誰も入れるな」

「畏まりました……しかし、本当に宜しかったのですか?」

「何がだ」

 

 先ほどと打って変わって、冷酷ともいえる口調で答えるメルト。彼女はじろりと支部長に鋭い目線を向ける。初老の彼はしかし、その視線を受け乍ら穏やかな口調で以って言った。

 

「このような、呪を詐称し同情を買う様なやり方など――」

「セスの婚約者はフェンドルドの御姫様だ、医療教会の権力であっても太刀打ちできない、そんな女からぶん捕るには手段など選んでいられないだろう、違うか?」

「しかし……」

「諄い」

 

 尚も言い募ろうとする支部長に、メルトは腹の底から響く声で断じた。

 

「私はセスを愛している、例え婚約者が居ようと構わない、そんなもの程度で揺らぐほど私の愛は軽くないのだ、そしてどんな手段であろうとも――最後に隣に立っているのが私であれば、それで良い」

「……は」

 

 支部長は深く頭を下げる。メルトはそれを横目に、張り付いた包帯を次々と解いて行った。

 メルトは呪火を受け、明日の夜にも死んでしまう重傷を負った――真っ赤な嘘だ。

 正確に言えば呪火は受けたが、それはメルト個人で治療可能な軽傷であり、心臓どころか僅かに腕と脇腹を焼いた程度であった。無論、その状態で重症な筈がない、しかしメルトはこの負傷を好機ととらえた。呪火を受けた瞬間、メルトは信仰の力を逆転させ、『さも重傷を負ったかのような皮膚』を再現した。そして自身の根城である医療教会に己を運び込ませ、そこの支部長であった彼に「呪火が手の施しようもない程浸食している」と伝えさせたのだ。自分の寿命が残り僅かであると信じさせる為に。

 そして――自身の命を人質に、抱いて欲しいと懇願する。

 それが、メルトの仕掛けたセスという男性を篭絡する為の策略であった。

 

 セスという英雄は清廉潔白であり、誠実である事を好む。そんな彼に恋愛攻勢行為(アプローチ)を仕掛けるなど自殺行為。だが、そんな彼でも今際の懇願――明日の夜には息絶える大切な仲間が、せめて後悔を残さず逝きたいから抱いて欲しいと言えばどうか。

 悩むに違いない、どれだけ誠実であろうと、清廉潔白を良しとしようと、この願いだけは簡単には跳ね除けられない。そして数年彼と旅をしたメルトには自信があった、彼は自分の為に節を曲げるだろうと言う自信が。

 秤に乗っているのは彼の『矜持』とメルトの【願い】。

 そしてそのバックグラウンドには婚約者と瀕死の仲間。

 セスは優しい人間だ、特に仲間に関しては人一倍過保護だ、甘いと言っても良い。自分の矜持とメルトの願いを秤に掛け、その節を曲げる事を躊躇う人間ではいられないのだ。

 

「セスはきっと、絶対に、私を抱いてくれる」

 

 そう言ってメルトは己の下腹部を撫でつけ、妖艶に笑った。

 

「孕めば私が勝つ……セスはそういう人間だ」

 

 孕み、子を産んだ女を置いて他所の女と結ばれる程、セスは精神的に傲慢になれない。だからこそたった一度、一度でも良い――抱かれ、孕めばメルトは勝てる。

 例えその相手が、一国の御姫様であろうと。

 

「……行け、夜まで誰も入れるな、例えセスであってもな」

「――御身の言葉通りに」

 

 ■

 

 夜半、誰もが寝静まった時間。コンコン、とメルトの眠る個室、その扉がノックされた。淡い魔術灯のみが室内を照らし、横たわったメルトの顔を照らす。「どうぞ」とメルトは震える声で告げた。その姿はセスがこの部屋に来た時と同じ、片目を包帯で覆い、首より下も同じ。醜い火傷跡が刻まれている。

 扉をゆっくりと開けて入室して来たのはセスだ。彼は心なし蒼褪めた表情で――しかし、その瞳だけは覚悟を秘めた、強い光を湛えて――部屋の中へと踏み込んできた。後ろ手で扉を閉め、メルトの枕元に立つ。静かにベッドの縁へと腰かけたセスは影に覆われたメルトの頬を指先で撫でた。

 

「……来てくれた、という事は――【そういう返事】と捉えて、良いのですね?」

「………」

 

 メルトの手がゆっくりと彼の手へと伸び、その指先を掴む。力は弱弱しく、少し力を籠めれば振り払う事も出来るだろう。しかしセスは何もせず、ただ辛そうにメルトを見るばかり。

 

「駄目ならば、駄目と、そう仰ってください」

「………」

 

 セスは何も言わぬ。メルトは上に着込んでいた緩いシャツをはだけさせ、セスの首に手を伸ばした。その時傷が痛んだのか、メルトの表情が一瞬歪む。セスはそれを見て自ら体を倒し、メルトへと覆い被さる形となった。

 メルトは儚く微笑み、彼の首に腕を掛ける。

 数秒、二人は視線を交差させた。どんな感情を秘めているのか――きっとそれは、一方通行で知られていただろう。セスの感情を、メルトだけが知っている。メルトのそれを、セスは知らない。

 

「今から、口づけをします――これが最後です」

「……あぁ」

 

 潤んだメルトの言葉に、セスは短く頷く。それは彼女の望みを受け入れ――自身の矜持を曲げた事を意味する。だからメルトは歪みそうになる口元を引き締め、囁くのだ。

 

「私を愛していなくても構いません、貴方は私に同情しただけです、可哀そうだから一時の情けを私に下さったのです――だから貴方は何も悪くありません、何も気にする必要はありません、たった一晩、私を慰めてくれた……それだけの、話ですから」

「………」

 

 セスは強く目を瞑り、メルトの肩を抱いた。互いの唇がゆっくりと触れる、酷く甘美で、柔らかい。

 

 メルトは目を瞑りながら――己の勝利を確信した。

 





 見て! 英雄に一目惚れして王様を脅してまで彼を登城させ、外堀を埋めて英雄と婚約者になって、「あぁ、やっとあの方と夫婦の情を交わせますのね……!」と期待に胸を膨らませて身悶えしている御姫様がいるよ! かわいいね!

 ……彼のパーティーメンバーである僧侶(信仰者)が彼の子を身籠った為、英雄本人の願いにより婚約は破談になりました。姫様は激怒し、僧侶には討伐命令を、英雄には無傷での捕縛命令が出されました。私の性癖のせいです。あーあ。


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