暗い、暗い森の中。
一人の少女がフラフラと俯いたまま歩いていた。
白く、長い髪。その髪の毛の先端だけが虹色という謎の姿をした少女。
その少女の行く先に、一つの人影が現れた。
「……君は……そこで、なにをしている?」
「……」
少女はその声に顔を上げた。少女が見たのは額に炎のような痣、花札のような耳飾り、そして黒い刀を持った若い人間だった。
「……別に…何も」
「…そうですか。ここには鬼が出るという噂です。早急に立ち去るように。」
人間はそう言い、周囲を見渡した。
「…鬼?」
「えぇ。人を喰らう鬼です。ここに出る鬼は、白い髪の鬼だとか。謎の剣技を使う、とてつもなく強い鬼。何故か遭遇した者達は痛手を負うだけで喰われてはいないようですが。」
「……そう」
少女は人間を見つめた。
「あなたは……鬼狩り?」
「…?えぇ、まぁ…」
「…そう……」
少女は言葉をあまり発さずにそこに佇んでいた。
「……早く」
「もしも」
人間が何か言おうとしていた時にかぶせて少女が言葉を紡いだ。
「もしも…その鬼が私だと言ったら?」
「は…?」
人間が惚けたような声をあげた時、少女の手元に紫色の靄のようなものが集まった。
「…」
それを見て人間は警戒心をあらわにした。
「…あなたが探しに来た鬼は私。」
「なるほど……人間のふりをするとは知能が回るようで。」
「それはどうも…」
少女が言ったとたん、人間は赤くなった刀を抜刀し、少女に襲いかかった。
「ゴォォォォォ」
「……」
独特の呼吸音。その後、少女の首が斬られていた。
「“日の呼吸 肆ノ型 灼骨炎陽”……彼女の魂がこれで救われればいいが……」
「…私が救われる?」
「!?」
首を斬ったはずの少女の声が少女のいた位置とは別の方向からした。人間がそちらを向くと、首を落とされてもいない少女の姿があった。
「…いったい…」
人間が少女がいたはずの方を見るとそこに少女の首も少女の身体も存在しなかった。
「……“
「……まるで、日の呼吸の幻日虹のようだ」
人間はそう呟いた。
「…私に戦う意思はない」
「……それを証明することはできるか?」
少女は沈黙を保った後、刀を消して人間の方へと歩いてきた。
「…っ」
「…ついてくる?」
少女は近づいてそれだけ言うと森の奥へと歩を進めた。人間は不審に思いながらも抜刀したまま少女についていった。
「……」
「……」
無言で歩き続けてしばらくすると、一番大きな木の場所、その木の穴の前にたどり着いた。
「……ここは私の住処。私が今いる活動拠点。」
「…何故、教えた?」
「私はもう人を喰らうつもりはない。人を喰らっていたのはもうかなり昔の話。時間は忘れた。今はいつ?」
「……今は、宝徳2年(1450年・縁壱20歳)だ。」
「…正応から、何年経った。」
「正応?…詳しくはないが…200、くらいだろうか。」
「…もう、そんなに経つのか…」
少女は天を見上げてそう呟いた。
「…あなたは、鬼狩り?」
人間はその言葉に頷いた。
「…名前は?」
「……」
「私は…
「…
「そう…縁壱さんというのね。」
少女───虹架は虚空から水を発生させ、炎を発生させ、お湯を沸かしたのちに少しいびつな形のお椀に茶葉と共に入れ、縁壱の方へ差し出した。
「粗茶だけど。」
「……」
縁壱は椀を受け取ったが、そのままでいた。
「毒なんて入ってないよ。…私は奴とは違う。」
そう言いながら虹架は同じ工程をもう一度繰り返して茶を入れ、その中身を啜った。
「…鬼狩り達を痛めつけたのはお前か?」
唐突に問う縁壱。虹架は表情を変えずに虚空を見た。
「鬼狩りを…あぁ。この森に入ってきたあの人たち?…そうだよ。あの人たちを痛めつけたのは私。」
「…なぜそのようなことを?」
「…この森は私の力で導き手がいなければどんな生物でも迷うようになっている。迷いに迷って、私と出会えなければそのまま餓死してしまうような迷いの森。」
そういうと虹架は近くにあった木の幹に腰を下ろした。
「あなたも───縁壱さんもそう。あの時私に出会わなければ、一生この森を彷徨っていたかもしれない。」
「…それが、君の血鬼術だと?」
その問いに虹架は少し悩んでから首を横に振った。
「違う。私の血鬼術は“属性”。この世に存在する属性を操れる。」
「…」
「…ついてきて」
虹架はそう言って立ち上がり、どこかへと向かい始めた。縁壱は慎重にそれを追った。
「……言い忘れてたけど、私は奴の支配からは外れてる。奴は私の動向を知らないし、私はそもそも奴が嫌い。…そんなこと言っても、信用されないのは分かってるけど。」
「支配…?」
「奴の名前を呼べばその鬼は殺される。“呪い”、なんて言ってる人もいた気がするけど。私が奴の名前を呼ばないのはただ単に奴のことが大っ嫌いだから。」
「……」
そのまま歩いていると、黒い石のある場所へとたどり着いた。
「ここは?」
「私が殺してしまった人たちの墓場代わり。これでも、今の状態になるまで3年はかかった。それまでは私も他の鬼と同じだったから。」
虹架はそう言って黒い石の前に腰を下ろし、目を閉じ手を合わせた。
「……私は、さ。」
「?」
「私は喰らった人間の名前や人生が分かるの。私が喰らうとき、その人間の記憶や情報が流れ込んでくる。だから、ここにあるのは全部その人達の名前で間違いない。流石にこの森に全員分の墓石を用意するのはつらいから一つにまとめた。…死体は、無いけど。」
虹架は顔を上げ、黒い石の最後の方に書かれている名前の一つをなぞった。その名前を縁壱が読む。
「…“
「…これは……私の後悔。私が食べてしまった人で、私が完全に正気を取り戻す鍵になった人。」
「……泣いて…いるのか?」
縁壱の言う通り、虹架は涙を流していた。
「…どんなに泣いても、どんなに後悔しても……私がこの人達を殺してしまったという事実は覆らない。…いくら私でも、この人達を生き返らせることは叶わない……」
そう言って虹架は黒い石から手を離し、手を強く握った。
「…だから私は奴が憎い。私を鬼にした……ううん、私達を鬼にした、鬼舞辻無惨が。」
そう言って虹架は立ち上がり、縁壱の方を見た。
「…それで、どうするの?」
「?」
「私を倒すの?それとも私を見逃すの?」
「……見逃そう。」
その言葉に虹架が驚きの表情をした。
「…いいの?貴方に言ったことが全て本当かは分からないのに。」
「その時は私が君を殺す。」
「…そう。」
「…またここに来てもいいだろうか?」
「どうぞ。…なら、最後に一つお願いしてもいい?」
「なんだ?」
「…その前に場所を変えようか。こっち。迷いの森になってるこの森は私が一緒にいないと確実に迷うから。」
虹架はそう言ってすたすたと歩いていった。縁壱は慌ててそれを追った。
「……そういえば、この森は何なのかとか聞かないの?」
「あぁ…」
「そう…」
しばらく歩き続けると、少し開けた場所に出た。
「ここは私がいつも技の鍛錬に使っている場所。…縁壱さん。あなたの剣技……日の呼吸、でしたっけ。それを見せてはいただけませんか?」
「日の呼吸を…?」
虹架は頷いた。それを見て縁壱が考えてから呟いた。
「ならば、君の技も見せてはくれないか?」
「…私の剣技は属性が使えなければ見せても使えるものではない…それは鬼になる前から知ってる。それでもいいの?」
縁壱はそれに頷いた。
「…そう。なら、私から。」
虹架はその場の地面に刺さっていた刀を抜いて構えた。
「スーーーーー…」
初動、息を吐きながら刀に炎を纏いながら空間を抉る。
「スーーーーー…」
次に、息を吐きながら光を纏った刀で揺らしを加えた振り方。
「スーーーーー…」
刀を一度納め、青い光を発してからの高速居合。
「スーーーーー…」
跳びあがり、風を纏って空中から撃ち落とすような斬撃。
「スーーーーー…」
「……呼吸として息を吸っていない?」
縁壱は五つ目の技を行っているときに気がついた。虹架は、
「スーーーーー…」
跳びあがり、高所から刀を地面に打ち付け、地面を破壊。その破片が周囲に飛び散った。
「シューーーーー…」
呼気音が変わり、闇を纏って一突き。
「スーーーーー…」
呼気音がした瞬間、虹架の姿のある場所が少しずれた。
「シューーーーー…」
再度呼気音がすると、多量の乱撃。乱撃と共に蒼い彼岸花が撒き散らされる。
「スーーーーー…」
次の攻撃に入ると同時に彼岸花は消え、虹架が変則的に動いた。
「シューーーーー…」
十、一番最初の炎よりも強い炎を纏い乱れ舞い…
といったように長い間息を吐き続け、
「…今できているのはこれだけ。」
「これは…一体?呼吸、なのか?」
「…私はこれに名前という名前は付けてない。」
「…一つ、聞かせてほしい。」
「?」
「四十一番目のあの上方向への技…あれの名は?」
「…“
「虹…」
縁壱はそこで考え込んだ。
「……虹の呼吸」
「え?」
「どうだ?この名は。」
「…私の技は呼しか用いない。呼気に合わせて技に属性を乗せる。それを呼吸と呼べるの?」
「ならば、君が作ればいいのではないか?呼しか用いない呼吸…即ち“呼の呼吸”を。」
「…そう。」
虹架は考え込みながらその場所を離れた。
「…縁壱さんの番。」
「…そうか」
縁壱は開けた場所の中心に立って刀を構えた。
「…縁壱さんの刀…」
「?」
「構えると赤くなるのね。」
「…それを言うなら、あなたの刀も炎などを纏うではないですか…」
その言葉に虹架は首を横に振った。
「あれは私の血鬼術……ううん、数少ない人間が持つ“属性”。属性を手を通して刀に流すことであれは起こる。」
「…そうですか。」
そういうと縁壱は前を向いて呼吸し始めた。
「ゴォォォォォ」
独特な呼吸音と共に技が放たれる。
「……うん。やっぱり…さっき、たった一つを見た時から思ってた。」
縁壱が技を出しているのを見ながら虹架が小さく呟いた。
「…きれい。まるで、踊りみたい。…太陽の神にささげる神楽舞、かな」
そうして時間が経ち、縁壱が十二個の技を出し終えて刀を納めると、虹架が小さく拍手した。
「ありがとう。すごく綺麗だった。」
「…そうですか。」
「…ついてきて。」
そう言って虹架は元来た道を戻り始めた。縁壱はそれを追う。
「…これ、外に着く前に渡しておく。」
虹架が渡したのは丸い石。
「これは?」
「この森に落ちてるただの石。だけど、この森とこの森に元々あったものは私の支配下にある。この森の迷いの効果と一度外に出されたものは
「…そうか。」
「その石があるからって迷いの効果…迷いの結界を無効化できるわけじゃない。だから来たときはその場から動かないでくれると嬉しい。」
「分かった。」
そう話しているうちに、森の外が見えてきた。森の境界から、日の光が差し込む。
「…あぁ、昼なのね。」
「…ここまででいい。」
その言葉に虹架は首を横に振った。
「だめ。迷いの結界はこの森全体に影響してる。」
「だが、君は…」
「私なら大丈夫。
その言葉に縁壱は立ち止まった。
「…日の光が効かない?」
「そう。属性の応用でね。私の周囲に闇の結界を張っておくと日の光を遮ってくれるの。」
「…便利ですね。君の血鬼術は…」
「それ。」
虹架は不意に振り向き、縁壱に指を突き付けた。
「?」
「君、っていうのをやめてほしい。私のことは虹架でいい。」
「…ならば、私も縁壱でいい。」
「そう。」
そう言った後、虹架と縁壱は入口まで歩き、森の外まで出た。
「…本当に、日の光は効かないのだな。」
「……じゃあ。またいつか。」
そう言って虹架は再度森の中に入り、ため息をついて森の奥へと消えた。
「人を喰わない鬼……虹架……一度お館様に話してみるか…?」
縁壱はそう呟いてから森を離れた。
「……はぁ……」
虹架はというと、気絶した人間を背負って森の外へと向かっていた。
「鬼だとわかったと同時に襲いかかってくるとか……ほんっとやめてよ……気絶した人間って運ぶの大変なんだから……」
その呟きは誰にも聞かれることはなかった。
今回は縁壱さんと虹架の出会いを描きました。
ちなみに“属性”と鬼縫 虹架の血鬼術“属性”の違いですが、実際そこまで違う点はありません。虹架はもともと人間だったころにも属性を扱えていました。ですが、全ての属性を完全に扱えていたわけではないのです。虹架の血鬼術は“元々使えなかった属性を扱えるようにする”こと。つまりただの能力拡張なのです。
それでは、また次回お会いしましょう