神次元ゲイムネプテューヌV 白き災厄の翼   作:草原銀子

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  第二話 背徳の白

 紅の十字架と名乗る女神規制団体が38名もの人質を取り、プラネテューヌの東にある廃墟に立てこもってから数時間後のこと――

「ちょっ、もう13時じゃない!」

 ノワールの怒声が廃墟の外で響いた。

 現在、ノワールとプルルートの二人で”紅の十字架”が立てこもっているという廃墟のすぐ近くで散乱しているドラム缶のひとつに身を潜めている。

 敵の警備網は抜け目なく、標的のいる廃墟の敷地周辺には武装した荒くれたちが、鋭い目つきでネズミ一匹たりとも見逃すことのないよう、あたりを監視している。

 なんとか監視(かんし)の目をかいくぐり、上手いこと二人は廃墟に近寄ることが出来た。廃墟の周りにはありとあらゆるガラクタが散乱しているため身を隠すための遮蔽物には事欠かなかった。そのおかげで侵入自体は容易だった。

 だが、肝心の建物の間近には厳重な警備網が敷かれており、本丸には踏み込めずにいる。

 二人は下手に踏み込まず、敵の本拠地に攻め込むための絶好の機会をじっと窺っていた。

 もしここで目立つような行動を取ってしまえば、道中の見張りをやり過ごした意味がなくなる。

 最悪、前と後ろから取り囲まれて蜂の巣となってしまうことは想像に難くない。無闇に敵を刺激すれば人質の命がどうなるかも分かったものではない。

 そうなれば全てが水の泡となるだろう。だからこそ、ここは慎重に事を運ぶべきだった。

 二人はただひたすら待っていた。ドラム缶の陰に身を寄せて、そのときを待ち続けていた。

 イストワールの言葉が本当ならば、何らかの合図が送られてくるらしい。

 しかし、いつまでたってもイストワールのいう合図とやらが送られてくる気配はまるでない。

 そうこうしている内に、紅の十字架が指定した時刻がやってきた。

 13時――

 それは人質の命が尽きる時間。

「どうすんのよっ、捕まってる人が殺されちゃうわ!」

 おろおろと落ち着かないノワールに、

「ノワールちゃん。静かにしないとテロリストさんにバレちゃうよ~」

 しーっと口の前でひとさし指を立てながら、プルルートがたしなめるように言う。

「これが落ち着いていられるわけないじゃない。大体、プルルートはのんきすぎるのよ。もしこれで人質の身になにかあったら、それを口実に女神規制団体がこれ見よがしにつつき回してくるわ。一番不利になるのは、この国の女神であるあなたなのよ!」

「ノワールちゃんはあたしのことを心配してくれてるんだね」

 プルルートが嬉しそうに頬を緩めた。突然の不意打ちに、ノワールは恥ずかしそうに視線をおろおろとさまよわせた。

「そっ、それはっ……まあ、そのっ、友達だし。友達のことは見過ごせないっていうか心配っていうか」

「ありがとう、ノワールちゃん。でもきっと大丈夫だよ」

 そのときだった。廃墟から複数の人影が現れたのは――

 紅い十字架のマークが描かれたバンダナの男が五人と、顔が傷だらけの男が見えた。

 きっとあれが犯行声明に出てきたゲオルギウスとかいう主犯格の男だろう。

 その中に、スーツを着た女性教師が混じっている。おそらくあれは人質の一人だろうか。

『プラネテューヌの女神と、思考を放棄した豚共に告げる!』

 ゲオルギウスが拡声器に向かって叫んだ。

『我々の指定した時間に女神は現れなかった。よって宣言通り、これから人質の処刑を開始する!』

「ええーっ!? ちょっとちょっと、これは流石にまずいんじゃないの!」

 ノワールは今にも飛び出していきかねないくらい慌てふためいている。未だにイストワールのいう合図とやらが送られてくる兆しはない。

 もしかしたら始めからそんなものはないのかもしれない。そんな疑念さえ浮かんでくる。しかし、

「だいじょうぶだよ~、ノワールちゃん。あたしの予感が正しければ、そろそろ合図が来るはずだよ」

 ノワールとは対照的に落ち着いた表情で、緊迫化していく現場をプルルートはただ静観していた。あるいはただ暢気なだけなのかもしれないが。

『これは我々にとっても非常に不本意な結果である。だが、我々は本気だ。我々が本気だと示すためにも、あえて苦渋の選択を選ぶことをここに宣言する。彼らの死は決して無駄ではない。この腐りきった女神制度を根本から覆すために――世界を変えるために必要な犠牲だったのだ!』

 段々、熱を帯びてゆくゲオルギウスの声。

 荒くれが女性教師の頭部に拳銃を突きたてるのが見える。女性教師が恐怖で泣き叫ぶ声が聞こえてくる。

 あの男がちょっとでも指に力を込めればその命が散らされてしまう。まるで虫でもひねり潰すかのように、人間が殺されようとしている。

「……もうこれ以上、黙って見ていられないわ」

 痺れを切らしたようにノワールが立ち上がった。

「えっ、ちょっとノワールちゃん!」 

 呼び止めようとするプルルートだが、覚悟を決めたノワールは止まらない。

 そんなとき――

 天を割るように高らかな銃声が響き渡った。

「い、今のは銃声?」

 だが、女性教師は撃たれていない。今の銃声にびくっと身を震わせて縮こまっている。

ゲオルギウスや荒くれの男たちも突然の銃声に面食らったように背後を振り返っている。

(どういうことかしら?)

 ノワールは首を傾げる。

 何か内部でトラブルが起こったのだろうか。

 どうやら”紅の十字架”にとっても予定外の事態だということ。音の発生源は廃墟の中からだということ。

 そして敵の関心は、廃墟内部の音に惹きつけられている。

 はっとノワールは確信した。おそらくこれは――

「今のが合図よ! プルルート!」

 ノワールがドラム缶の陰から飛び出した。

「あ~っ、待ってよノワールちゃん!」

 遅れてプルルートも走り出す。

 距離にして50メートルといったところだろうか。

 ノワールたちと、ゲオルギウス率いる荒くれ集団との距離はそう離れていない。

 二人に気づいた荒くれの男が怒号を上げた。異変に気づいたゲオルギウスが振り返った。

「ほう、あれはプラネテューヌの女神と――人間が一人ついているようだな。よもや、そちらから出向いてくれるとはな」

 方眉を下げてニヤリと微笑んだ。

「お前たち、女神を無傷で捕らえよ! 人間の方は殺しても構わん。撃て! 撃てぇっ!」

 ゲオルギウスの号令とともに、雨のような一斉射撃が二人に降りかかる。

 ノワールはジグザグに蛇行しながら銃弾をかわし、ときには近くにあったドラム缶で身を隠しながら確実に距離を詰めていく。

 だが、敵に近づけば近づくほど銃弾は激しさを増していく。敵との距離はもう間近。それでも後一歩のところで近づけそうにない。敵の攻撃が激しい。

 こちらには遠距離の敵に攻撃できる手段がない。

「これじゃ埒が明かないわね……」

 ドラム缶に身を隠しながら、ノワールが忌々しそうに舌打ちした。

「プルルート、あなたはここで隠れてなさい。私が近づくからあなたは”魔法”で援護して!」

「う、うん」

 プルルートが頷いたのを確認してから、ノワールはドラム缶から身を躍らせた。

 そこへすかさず敵の集中砲火が飛んだ。飛んで火にいる夏の虫とばかりに銃撃の雨が雪崩(なだ)れ込んだ。

 ノワールの五体を蜂の巣に変えるかと思った銃弾は――その直前で消滅した。

 銃弾がノワールをまさに貫かんという瞬間だった。

 ノワールの前方に不可視の盾が現れ、飛んでくる銃弾をことごとく弾いたのだ。

 その後ろにはプルルートがぶつぶつと何かを唱えるように、せわしなく口を動かしている。

《ディフェンスシールド》――それはプルルートの得意とする呪文の一つである。

 対象の正面に物理障壁を展開させ、あらゆる衝撃から身を守ることを可能とさせた魔法の盾(おまもり)

 この盾の加護を受けている限り、その中にいる対象を何人であろうと傷つけることは許されない。

 さながら聖なる騎士を守る盾のように。まさしくプルルートの――いや、女神”アイリスハート”の真骨頂が発揮された瞬間である。

「ナイス! プルルート!」

 ノワールは突っ走った。盾の効力が効いている間に、銃撃の中を真っ直ぐ突っ走っていく。

「あいつ、銃弾が効いてないぞ!」

「そんな馬鹿な!?」

「銃弾の中を一直線に突っ込んできやがるだと?」

 ぎょっとしたように男たちの目が見開かれた。銃弾が飛び交う中を、ひとりの少女が平然とした顔で突っ込んでくるというホラーを目の当たりにして、さすがの荒くれたちも度肝を抜かれたらしい。

「ええい、お前たち! 静まれ静まれ! 敵の目の前で取り乱すんじゃない!」

 ゲオルギウスの叫びも虚しく、部下たちの混乱は悪化の一途を辿るばかり。

 荒くれたちが戸惑っている隙に、ノワールは駆けた。50メートルという距離をあっという間に走り抜けて、ついに”紅の十字架”の懐にまで踏み込んできた。

「接近戦に持ち込めればこっちのものなんだから!」

 ノワールが腰からレイピアを抜き放つ。それは細身で先端が鋭く尖った刺突用の片手剣。

 ノワールが荒くれたちの脇を駆け抜ける。すれ違いざまにその細い刀身が蛇のように(うごめ)き、(いかずち)の如くどこまでも伸縮した。

 否――あまりの速さに、男たちの目には、自分のすぐそばを光が通過したようにしか映らなかった。

 時間にしてわずか一秒といったところか。実際にはその瞬きの刹那に、ノワールの剣閃は上下に何往復も振動。

 そして荒くれたちの武器を様々な角度から切り込みを入れ、一瞬にして細切れの鉄くずに変えていた。彼らには理解がとても追いつかない光景の連続だった。

 見たところ外傷を負わされた形跡はどこにもない。しかし、原型もつかないほどスライスされた黒片(かけら)が、自分の手の平から零れ落ちていくのを唖然とした表情で見ていることしか出来ない。

 刃を振るったことさえ悟られない――まさに光速の一突き。ノワールはたったそれだけの動作で、敵を傷つけることなく、武装したテロリストを無力化してしまった。

 それこそがノワールの剣技でありノワールの剣の特性。敵を斬るのではなく、敵の急所を突くことに特化した剣。その名もレイピアである。まさか彼らも女神でも何でもないただの少女がこれほどの戦闘力を有していたとは夢にも思っていなかったことだろう。

 いまだ混乱冷めやらぬ荒くれめがけて、ノワールは勢いよく大地を蹴った。

《レイシーズダンス!》

 かけ声と共に、目にも止まらぬ鋭い連続蹴りが荒くれたちの腹部に叩き込まれる。内臓が乱暴に揺さぶられ、胃液が食道をせり上がって来る。男たちが苦悶の呻きを漏らしながら、腹を抱えて倒れこんでしまった。

 これで人質の周りを固める”紅い十字架”の構成員を全員倒した。

「よし、後は人質を救出すれば――……」

 そこで、ノワールの言葉が遮られる。

 気づけば、人質の姿がどこにも見えない。荒くれたちに気を取られていたことほんの数瞬――そこには女性教師の影も形もありゃしない。

 一体どこに消えたというのか。

 そんなノワールの疑問に答えるように、かちゃり、という冷たい音が聞こえた。

「感心したぞ、小娘。その若さで、ただの人の身でありながら、よくそこまでの力を身に付けられたものだ」

 そこには顔が傷だらけの男がいた。女性教師の頭に拳銃を突きつけながら勝ち誇ったような笑みを浮かべている。

「正直なところ、ただの小娘と侮っていた。女神ならいざ知らず、まさか一介の少女にここまでやられるとは我輩も思っていなかった」

 筋骨隆々な肉体と、それを誇示するような精悍な顔立ち。

 そいつは”紅の十字架”のリーダー。

 ゲオルギウスである。

(いつの間に!?)

 ノワールが動揺も露わに、大きく目を見開いた。てっきり自分の放った攻撃に巻き込まれたものだと思っていたのだが……どうやらそれはただの思い過ごしだったのか?

 現に、この男は平然とした顔でそこに立っている。嫌らしいまでの余裕を傷だらけの顔に滲ませて。

 人質を取って優位な立場にいることへの余裕か。はたまた何か奥の手を隠し持っているのか。それともただのバカか。

「この卑怯者! 今すぐその人を離しなさい。大人しく言うことを聞くならば今回の件も穏便に済ましてあげる」

「言うことを聞けと乞われて、大人しく言うことを聞くと思うか? さすが思考を放棄した豚の言うことは一味も二味も違うな。我輩が女神の言うなりになる訳なかろう!」

 しかし、とゲオルギウスは方眉を伏せた。

「さすが女神アイリスハートに仕えるだけあって、一筋縄じゃいかないってことか。どうやら、その可愛い顔にまんまと騙されてしまった我輩(わがはい)たちが間抜けだったらしい」

「プルルートは関係ないわ。これは私自身の努力の賜物(たまもの)よ」

 得意げに黒髪を払ってのけるノワールに、

「ほう? なんとも頼もしいお嬢さんだ。それに良い目をしている。人一倍に自信家で、その奥には隠しきれぬ野心の炎が渦巻いている。実に人間らしくて気に入ったぞ」

 かかっ、とゲオルギウスは呵呵大笑した。

 面白いやつを見たとでもいうように。他ならぬゲオルギウス自身にもぎらぎらとした野望がその瞳に燃え盛っている。

「どうだ、小娘。我輩と共にこの堕落しきった女神制度を壊し、根底から世界を変えてみないか? 君にとっても悪くない話だ。もし我が軍門に下るならば、その暁には”紅の十字架”の副官の座を与えよう。我輩と君が組めば、向かうところ敵なし。このゲオルギウスの右腕として存分に力を奮い、世界を再び人間の手に取り戻すのだ」

「世界を私の手に、か。少し形は違えど、私の夢を実現させる大きな一歩であることは疑いようもない事実。実に魅力的な提案ね。いつ現れるかも分からない女神メモリーを探すよりも、よっぽど手間のかからない方法だし、よしんばそれを見つけたところで絶対に女神になれると決まったわけでもないし。だから、あんたの言葉を無下にする理由が私にはない。もしこの提案に目を輝かせないヤツがいるとすれば、それは底なしの大馬鹿よ」

「ノ、ノワールちゃん!? 何を言ってるの!」

 ドラム缶の向こうからが驚いたような声を上げたのはプルルートだ。信じられないとばかりに、まん丸の目を大きく見開いている。ノワールから放たれた耳を疑ってしまうような言葉に、もの凄い衝撃を受けているのは誰の目にも明白だ。

 その一方で、ゲオルギウスは勝ち誇った笑みを浮かべている。ノワールの様子に確かな手応えを感じたのだろう。

 プルルートは額からだらだらと汗を流しながら、ノワールの背中をじっと見守っている。表情はこの位置からでは窺えない。何を考えているのか全く読み取れない。

 ノワールはプラネテューヌを本気で裏切るつもりなのだろうか?

 だとすればそれは罪のない37名の人質の命を代償にして、プラネテューヌを――いや、文字通り世界を敵に回すことを意味する。

 もしそんなことになれば覚悟を決めなければならない。女神”アイリスハート”として身に秘めた力を解放しなければならない。人質の命を救い出すためにも、この緊迫した場を制圧しなければならない。

 二人の緊張に満ちた視線が、一人の少女に集中。

 黒髪の少女が出した答えはただ一言。

「だが――断る!」

 ぴしゃりと、ゲオルギウスの言葉を拒絶した。

 断固たる意思と、確固たる意志の下に。

 剣のように鋭い声音で、男を切り捨てた。

「たしかに世界は魅力的だけど、そのために人質の命を見捨てるだなんて野蛮人のすることよ。ましてやプルルートと戦うだなんて言語道断。彼女は私の親友よ。そのためなら底なしの大馬鹿にだってなるわ!」

「ノワールちゃん……」

 プルルートが感激に目を輝かせている。

「か、勘違いしないでよね! べ、別にプルルートのためなんかじゃないんだからねっ!」

 照れくさそうに頬を朱色に染めるノワール。

「自ら豚となる道を選ぶか、小娘。どうやら豚は豚でも、意思のある豚らしい。実に厄介な敵を我輩たちは相手取ったようだ」

 やれやれとゲオルギウスは残念そうに首を振った。それでも男の闘志は微塵も揺らぎはしない。

「けれど、君たちが不利であることには変わりない」

 丸太のように太い腕に、がっしりと女性教師が押さえつけられている。しかももう片方の腕で拳銃を突きつけているというオマケ付きで。

「さあ、この状況をどう打開する?」

 そうだ。意気込んであんな大見栄を張ったはいいものの、ノワールたちにこの状況を突破できる決定打がなかった。ましてや人質が取られていては尚更手の打ちようがない。

 ちらりとノワールは後ろに視線を走らせた。頼みの綱はプルルートだけ。祈るような目で薄紫の少女を見つめるノワールだったが、

「プラネテューヌの女神よ。そこでこそこそと隠れて魔法を詠唱しようとしても無駄だ。もしそんなものを我輩に撃つ算段を画策しているならば、今すぐ止めておくことだ。魔法の発動が確認された瞬間、我輩は容赦なく引き金を引くぞ」

 そんな頼みの綱も、ゲオルギウスの厳しい言葉であえなく絶たれてしまう。

「そ、そんな~」

「どうした、女神よ。我輩のようなちっぽけな男一人どうにも出来ないのか? 人間一人を救い出せることすら出来ぬのか? 案外、神とやらも不便なものだな」

 何が可笑しいのか、かかかっ、と不敵な笑い声を上げた。

 そこで、ノワールは違和感を感じた。

 何がおかしいのかはっきり分からない。上手く形に出来ないが、目の前の男から、何か危うい前兆のようなモノを本能で感じ取った。

 まるで、一か八かの賭けに出ようとする者が浮かべる挑戦的な眼差しに思えてきて――

「さて、そろそろ茶番は終わりにしよう。約束の時間はとうに過ぎているのだからな」

 その言葉で、時間が凍りついた。

 ゲオルギウスの手に握られたモノが、怪しく黒光りしている。

 間違いない。この男はどこまでも本気だ。

 二人が男の意図に気づいたときにはもう遅かった。

「ちょっ、待ちなさ――」

 ノワールが制止の声を上げながら走り寄るのも虚しく、

「我輩はやるといったらやる男なのだ――ッ!!」

 眼前では冷酷にも、傷だらけの男が引き金に力を込めた。

 高らかに、高らかに、銃弾が鳴り響いた。

 もうもうと白煙が立ち昇り、空に吸い込まれていく。

 ノワールとプルルートが呆気に取られた顔で立ち尽くしている。

 銃声。

 音の発信源はゲオルギウスの後方――

 ゲオルギウスは傷だらけの額に脂汗を流しながら、信じられないモノを目の当たりにしたような顔でおそるおそる振り返り、

「なん……だと?」

 痛みに喘ぐように苦しみの息を漏らした。巌のように屈強なその身体も、今では耐え難い苦痛と屈辱でぴくぴくと痙攣を繰り返しているばかり。

 そこには幽霊のように白い少女が立っていた。その手には銀色に輝くリボルバーが握られている。ゲオルギウスの後ろで、銃口から煙をくゆらせながら挑発的な笑みを浮かべていた。

 否――それはよく見れば単なる銃だった。その銃は明らかに普通の銃としての規格を遥かに超えた規格外のサイズであった。

 四十五口径という馬鹿げた銃を持つ少女――それは何ともおかしく不釣り合いな印象を見る者に抱かせることだろう。

 銃身には絡み合うバラの紋様が彫られており、まるでイバラのお城が何かを封じ込めているような、そんなよく分からない印象を見るモノに抱かせている。

 背後から撃たれた。

「そんな――馬鹿な」

 その理解に至った途端、ゲオルギウスが驚きに眼を開きながら、その巨躯は力なく倒れこんだ。

 大きな音を響かせながら”紅い十字架”の主犯格は崩れ落ちた。大男の腕から解放された女性教師が安心したように息を吐くと脱力しきったように失神してしまった。

 実にあっけない幕切れだった。

「ふん、簡単すぎて欠伸が出るな」

 白い少女は退屈そうに言いながら、手馴れた動作でリボルバーを背後のホルスターらしき物に仕舞い込んだ。銃を仕舞う容れ物にしては、やけにでかすぎるように思えないでもないが。

 それにしても人一人を殺したというにも関わらず、その美貌は陰ることなく怜悧な輝きを放ち続けている。人間を殺したにしてはあまりにも飄々とし過ぎた態度だった。

「――イヴ!? あなたなんでこんなところにいるのよ!」

 ノワールが心の底から驚愕しきった顔で、白い少女の下へと走り寄ってきた。

「なんだ。誰かと思えばノワールか」

 イヴ――そう呼ばれた白い少女は、特段驚いたふうもなく、退屈そうな表情を崩すことなくノワールを見つめている。

 どうやらノワールと、このイヴとかいう少女は知り合いだったらしい。

「なんだとはとんだご挨拶じゃない、イヴ。ここで何してたのよ。さっきの銃声はあなたがしでかしたことなの?」

”紅い十字架”の荒くれたちがまさに人質の処刑を開始しようかというとき、突如として背後から鳴り響いた発砲音……結果としてノワールたちは彼らの不意をつくことには成功したが。

「ああ、そうだ。プラネテューヌの危機と聞いて、いてもたってもいられなくなってな。女神アイリスハートへの信仰心から、勝手に身体が動いていらぬ手助けをしてしまったというわけさ」

 しれっと心にもないようなことを白い少女は言ってのけた。しかももの凄く偉そうな顔で言うものだから、ノワールは苛立ちは募るばかり。

「嘘おっしゃい。あんたにプルルートへの信仰心が欠片もあるとは思えないわね」

 そう。何を隠そうこのイヴとかいう白い少女は、女神への信仰と間逆の行動ばかりを取り続けていることをノワールは嫌というほど思い知らされている。かといって”紅い十字架”たちを始めとする女神規制団体のように女神の存在を嫌悪したり、行動や権限を抑圧するような荒事ではなく。

 有り体に言うならばプラネテューヌへの寄生。”ニート”みたいなことをしているのである。

 ある日突然、なんの前触れもなくプラネテューヌに転がり込んでからというものの。

 女神であるプルルートの家に入り浸り、その権力と権限を濫用し、衣食住は自分の思いのまま。働かずして食い、腹が満たされれば眠りに就く。

 そんな具合に、イヴは堕落しきった毎日を謳歌しているのだった。本人はその現状に罪悪感を感じた様子はなく、当然の待遇として受け入れているという始末。

 なまじ犯罪行為などではないため、それを悪だと断定して取り締まれるわけでもなく。まだまだ許される範囲である限り、むしろ一番性質が悪い存在なのかもしれない。

 しかし、とノワールは内心でひとりごちる。

 分からないのはこのニート少女が何故こんなところにいたかということ。よりにもよって”紅の十字架”が潜伏していたお目当ての廃墟に潜り込んでいたのか。しかも怪しまれることなく人質に紛れ込むという手際のよさ。

 都合が良いにも程がある。まるで彼らが行動を起こすよりも以前から、事前にその存在を察知し、敵の動きを把握していたとしか思えない手際である。

(いやいや)

 そんなわけがないでしょう、とノワールは心の中で首を振った。こんなニート少女が機転の利いた存在であるわけがない。なんせ放っておけばプラネテューヌの教会でいびきをかきながら寝ているようなだらしのない女の子なのだから。いや、女の子らしさの欠片も残されていないし、そもそも女の子であることすら放棄しているようなヤツだ。それだけは絶対にありえない。

 そんなときだった。ノワールの思案を遮るかのように、

「イヴちゃ~ん、やっほ~」

 微妙に張り詰めた空気を破るのはどこか穏やかで間伸びした声。そんな場違いにも程のある、空気の読めない声を発したのは、プルルートその人であった。

「なんだ、プルルートもいたのか」

 イヴは眠そうにプルルートの言葉に答えた。

「あらら、イヴちゃん。おねむだったの~?」

「ああ、私がこの廃墟で寝てたらいつの間にかこいつらに連れ込まれてな。気づいたら人質として部屋に監禁されていたというわけさ。で、あまりにも乱暴に叩き起こして来るもんだからついついカッとなって手が出てしまった。やれやれ、せめて昼寝くらい好きにさせてもらいたいものだが」 

「あら~、そうだったの~?」

「そもそも、誰かさんが私を教会から追い出したりしなければこんな廃墟で寝る予定はなかったんだがな」

「ええっ~、イヴちゃん追い出されてたの!?」

「そうだ。誰かさんが罪のない私を勝手に追い出したんだ」

 じろり、と恨めしげな目でノワールを睨みつけるイヴ。

「そんなもの当たり前でしょう。働かざる者食うべからず。こっちも慈善事業じゃないからね。食費、光熱費、寝床の提供――その他諸々の出費。一日中、教会に入り浸って何もしないあんたなんかにプラネテューヌの教会の敷居を跨ぐ権利なんてないのよ」

 当然だとばかりに腕を組むノワール。

 嫌味ったらしいことを言っているが、心底嫌っているからではない。これだって多少なりとも彼女なりにイヴのことを考えての言葉だった。

 不摂生で堕落した生活ばかりを送っていたイヴを更生させるために言っているのである。

 だからこそ、彼女はイヴを教会から追い出した。心を鬼にして、一週間の出入り禁止を下した。

 それを言った当初は感情的な部分も手伝ってついつい強く言いすぎてしまったものだが、勿論本気ではない。せいぜい二日か三日くらいで、あるいは向こうから帰りたくなれば帰ってくるものだと勝手に目処をつけていたのだが、まさか出入り禁止一日目にして再会を果たすとは。しかもこんな辺鄙な場所で寝泊りをしていようとは流石のノワールも予想だにしていなかったが。

 けれども、そんなノワールの図らいは、

「ノワール、勘違いしてもらっては困る。早寝早起きは三文の得。寝る子はよく育つと昔から言われてるだろう。だから私は自分のために寝ている。いわば、私の仕事は寝ることだ」

 イヴの(おごそ)かな声で水泡に帰した。とても落ち着き払った声で。ムカつくことにえっへんと、ぺたんこの胸を堂々と反らしている。

「何であんたはそんなに誇らしげなのよ! 普通そこは罪悪感を感じるところじゃないの!」

 額の血管がピクピクとひきついているノワール。

「何を言う、ノワール。身体のためにも睡眠は重要なことなんだぞ。風呂上がりの牛乳が最高なのと同じように。それをたっぷりと味わってから、深い眠りにつくのもまた重要な職務だ」

「あんたの胸がそれ以上、大きくなるわけないでしょうがっ!!」

「何故そこで私の胸の話が出る! 今はそんなもの関係ないだろうが!」

「イヴが毎日風呂上りに牛乳を飲んでいるのはそういうことだって、あたしは知っているのよ」

「ノワール。どうやらお前は死にたいようだな。いや、今すぐ死ね。(ちり)も残さず死ね!」

「あら、案外気にしているのね。まあ、私はそんな低俗なものどうだっていいんだけどね」

 物(すご)い剣幕で背後から熱気を立ち上らせるイヴに、黒髪の少女は事もなげにそう答えた。ノワールはといえば、手の平に丁度覆いかぶさるくらいの可愛らしいモノをもっていて、世間が求めるニーズをおおよそクリアしているといえるだろう。

 だからこそ、世の中の女性が抱えるそうした悩みとは縁遠いのかもしれない。

「ノワールちゃ~ん。もういい加減イヴちゃんと仲直りしなよ~」

 じれったそうにプルルートが口を挟む。

「ノワールちゃんだって、イヴちゃんがいない間、ずっと寂しそうにしてたじゃない~」

 ぽんっとなんの前触れもなく飛び出してきた爆弾発言に、黒髪の少女が思いっきり鼻白む。しかも本人には悪気がなくいたって真面目なあたり物凄く性質が悪い・

「ばっ、そそそんなわけないじゃないの! こらっ、プルルート。何をデタラメ言ってるのよ!」

 こんな風にムキになって否定したら、そうだと言っているようなものである。ノワールもそう気づいているのだが、突然のことで思考が白熱するあまり上手い切り返しが咄嗟に思い浮かばない。

「ほう。私がいない間そんな感じだったのか、ノワールのやつは」

 案の定というべきか。ニヤニヤと横目で笑っているイヴに、

「うん」

 ちょっと見ていられなかったよアレは~というふうに躊躇いもなくプルルートが頷いている。

「だから違うってばっ!!」

 耳まで真っ赤になりながらぶんぶんと首を振り続けるノワールだったが、

「ま、まあ、今回の件については結果オーライってことで許してあげるわ。あんたにしては、珍しく良い働きをしたみたいだし」 

 頬をぷっくりと膨らましながらそう言った。正直助けられたのはこっちだしね、と心の中だけで照れくさそうにつぶやきながら。

 銃声は一度ではなく、二度も響いた。

 イヴがあそこで不意をついてくれなければ、最悪な結果になっていたことだろう。しかも二度も助けられた。

 色々とイヴの行動には疑問が残るが、助けられた恩もあるので、それはひとまず良しとしてしておく。

「おや、今日は珍しくノワールがしおらしいぞ。これは雪でも降るな」

「ええっ、ノワールちゃん雪を降らせることが出来るの~?」

 面白そうな顔で言うイヴと、とぼけたことを真顔で言うプルルート。

 こうなってはさしものノワールでさえ、いささかツッコミが追いつかない。ただでさえ天然なアレの気があるプラネテューヌの女神を味方につけられては最早、八方塞がりで手のつけ所がなくなってしまう。

 いじられすぎて黒髪の少女の思考回路がオーバーヒート寸前に追い込まれていく。こうなってはノワールに口論での勝機はまったく見いだせない。

「あーもうっ、あなた達! いい加減に――」

 好き勝手なことばかりを言い続ける二人にノワールがトマトみたいに真っ赤っかになりかけてたそのとき――

 

「――敵の前で会話に洒落込むとは、我輩もなめられたものだな」

 

 地の底から響くような怪物じみた声。

 長期に渡る獲物との持久戦で、猟師(ハンター)が上げる勝ちどきの歓声。

 それは獲物の隙を捉えた会心の笑み。

 かちゃり、と冷えきった鉄の音を響かせながら、プルルートの後頭部に銃を構えるのは、顔面が傷だらけの男だった。

「「ゲオルギウス!?」」

 イヴとノワールが同時に叫んだ。両者は驚愕に目が見開かれている。戦闘不能に陥ったはずの男が、何食わぬ顔で起き上がったことに驚きを隠さずにはいられない。

 腹を打ち抜かれたはずのゲオルギウスだが、腹部に外傷はまったく見られず、無傷そのもの。打ち込まれた弾丸がシャツをわずかに抉りとっただけである。破けたシャツの下に何か光るものが覗いている。防弾チョッキか何かの類であろうか?

 いや――違う。あの輝きはもっと最悪なモノだ。少なくともイヴの特製の銃弾を喰らって、防弾チョッキ程度がまともに受けきれるはずがない。

 

(あれは”遺失物(ロストメモリー)”か)

 

 唯一、その正体を見抜いたイヴが舌打ちをした。

 それは古代人の忘れ形見。文明に取り残された太古の夢。失われた記憶。

 またの名を負の遺産。知る人ぞ知る悪夢の大量殺戮破壊兵器。

 あれならばイヴの銃弾をものともしないのも、素直に頷ける。

 

遺失物(ロストメモリー)”――

 

 最初にその存在を発掘した考古学者は、畏怖と畏敬の念を込めてそう呼称したのが始まりだったという。

 あの男が身にまとっている銀の輝き――下手をすれば、近代的な兵器よりも厄介な代物である。

 その存在は一個見つけるだけでも人ひとりの人生を費やすほどの年月が必要とされており、市場では一生遊んで暮らせるほどの莫大な額が”遺失物(ロストメモリー)”一個のために左右しているのだと噂されている。豊かな暮らしを夢見て、巨万の富を手に入れようと己の全人生を投げうつ命知らずの冒険家も少なくはない。そしてそれを追い求めた命知らずが消息を絶つことも、この世界ではそう珍しくもない話だ。

 それほど希少価値の高いアンティークアイテムを、ゲオルギウスは当たり前のように身につけている。一体どこで手に入れたというのか。

「そこの白い小娘が、我輩の不意をつくまでの流れは見事だと言わせてもらおう。――だが、甘い! 我輩が同じ立場ならば、迷うことなく頭部を打ち抜いていただろう。その甘さが敵につけ込まれる隙をつくることとなるのだよ」

 我が意を得たり、とゲオルギウスは口元を歪ませた。

「若き女神よ。すでに話し合いの余地は残されていない。何分、我輩の方も話し合いをしているだけの余裕が無くてな」

 もし人質作戦が失敗した場合、最初からこのような凶行に出るつもりでいたのだろう。一見、無謀と言えなくもないが、最後の悪あがきとしてはこの上なく上等な効果を発揮していた。

 この三人の中で唯一厄介な力――女神化を持つプルルート。おそらくこの傷だらけの男は、彼女に女神化されてしまう前に決着を着ける気だ。

 ラッキーは三度も訪れない。この窮地を覆せる者はどこにもいない。こちらの手札は既に出し尽くしてしまったのだから。

 これは物語の世界ではない。どこまでも残酷な現実の世界なのだから。

「人々を(たぶら)かす諸悪の根源に告げる。その罪、己の死を(もっ)(あがな)うがいい!」

 ゲオルギウスが引き金を引く手に力を込めるのが見える。その分厚い手から死が放たれようとしている。

 ちっぽけな百グラムの鉛玉。それだけで人間は容易く死ぬ。簡単に殺せてしまうのだ。たとえ対象が女神であったとしても。その身体が人間と同じ柔肌である限りは。

「プルルート!!」

 イヴとノワールが疾風の如く駆けた。

 必死だった。目の前で今まさに生み出されようとしている悪夢を止めさせるべく。

 しかし、当のプルルートはいやに落ち着いた表情でそれを見守っていた。

 死の照準を背後から当てられているにも関わらず。やけに達観しきった顔で笑いかけて、恐ろしいほどこの場に似つかわしくないほど眩しくて、誰よりも全てを悟りきった表情だった。

 

「――……ごめんね」

 

 何かが破裂するような音が廃墟にこだました。肉が弾け飛び、鮮血が炸裂したことの証明。

 悪夢が、プラネテューヌに満ちていった。




遅れてスミマセン。次こそは急ぎたいです。
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