神次元ゲイムネプテューヌV 白き災厄の翼   作:草原銀子

4 / 6
  第三話 混沌の紫

 銃声が高らかに厳かに。

 廃墟で対峙する四つの影。

 三人の少女と、一人の男。

 引き金を絞るのは、傷だらけの男(スカーフェイス)

 男は勝利を確信したように口元に笑みを刻んでいる。男の名はゲオルギウス。紅の十字架という名の女神規制団体を率いる主犯格である。

 抜けるような青空の下。革新する紫の大地プラネテューヌに、真っ赤な鮮血が降り注いだ。

 

 女神の死――

 

 文字通り、一つの国が終焉(おわり)を迎えることを意味する。

 それがもたらす影響は多大で多岐に渡る。

 プラネテューヌに生きる国民としての縛りが解かれ、どこの国にも属さない無所属の人間たちとして放りだされるということ。プラネテューヌが消滅し、行き場を無くした流浪の民で溢れかえるということ。女神の庇護下に置かれていたことで約束されていた安寧と安息が失われてしまうということ。

 プラネテューヌの住民として登録していた戸籍や個人情報はもう意味を為さない。

 国が無くなってしまっては、そんな肩書きなんて、ただの情報でしかない。価値が失われ、形骸化したガラクタでしかない。

 たくさんの人々が、厳しい世界で生きることを余儀なくされてしまうのだ。

 

「「――プルルート!!」」

 

 ノワールとイヴの悲痛の叫び。ほとんど悲鳴と変わらなかった。悪夢の光景を前に、わなわなと震えることしか許されなかった。

 目の前では凶弾を受けたプルルートが体勢を崩し、その場に膝を屈している。痛みに喘ぐ声。むき出しとなった肩口を押さえながら、傷口から広がり続けようとする血を懸命に止めようとしている。

「ううっ……」

「大丈夫なのっ、プルルート!?」

 血相を抱えたノワールが歩み寄る。

「うん、ちょっと掠っただけみたい~」

 血の滲む肩紐を押さえ、プルルートは微笑んで見せた。額に浮かぶ脂汗が痛々しい。

 プルルートが撃たれた部位は肩。出血こそひどいものの、プルルートの言葉通り、傷自体はたいしたことなさそうだ。

 そこで、ノワールはある違和感を覚えた。

 まさか敵はこの超至近距離で狙いを外したというのか? 頭に狙いを定めていたにも関わらず、肩に狙いが逸れたのは何故か。

 そしてこの夥しい出血量。プルルート一人だけが流したモノにしては、いささか量が多すぎる気がしないでもないが。

 そんなノワールの疑問に答えるように、

 

「ぐああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 更なる苦痛。紫の少女とは比較にならない血しぶきをまき散らし、赤い水溜まりがその勢力を拡げつつある。

 目の前で苦悶の叫びが上がった。ゲオルギウスが血飛沫(しぶき)を上げる右手を掴みながら、声にもならない苦しみの咆哮を上げている。

 そこは腹部とは違い、生身の右腕。今度ばかりは本物の苦痛が彼に襲いかかっている。

「え、何? どういうことなの?」

 ノワールが困惑しきったように漏らした。プルルートやイヴでさえ、ぽかんとした間抜け面を晒している。

 当のゲオルギウス本人でさえ、

(何が起こったというのだ……!)

 突然の痛みに苦しみながらも、その眼の奥にはたしかな戸惑いがあった。

 つい先ほどあのイヴとかいう白い少女の、背後からの不意打ちを許してしまったが、そのお返しとばかりにこちらからも不意をついてやったつもりだった。

(ツキが回ってきた)

 今度こそ誰にも邪魔されずに、滞りなく処刑を開始できると確信していた。よりにもよって大本命の女神を。

 にも関わらず、このザマだ。

 女神を撃ったはずが、気づけば自分が撃たれていたのだから。

 あれさえなければゲオルギウスが狙いを外すことなく、女神を処刑出来た。

 しかも”遺失物”の力が及ばない部分を正確に狙い撃たれている。まるでゲオルギウスの手の内を見透かしていたかのように――生身の右手をだ。

 見渡しても、それらしき人影はどこにも見当らない。

 一体、自分はどこから撃たれたというのか?

 

「……」

 

 狂乱と喧騒に包まれた舞台。混乱が深まる一同の中で、白い少女だけがじっと眼を凝らして、とある一点を見つめていた。

 唯一人だけ、イヴは真実(こたえ)に気づいていたのだ。

 廃墟の隣に位置する、背の高いビル。それ自体は何の変哲もない建造物である。

 問題なのはその屋上。

 イヴの視線に答えるように、ビルのてっぺんからきらりと光が瞬いた。

 どう見ても自然に生み出された光ではない。人工的に生み出された光であることは明白だった。おそらくスコープか何かから太陽光が反射されたものだと見切りをつける。

(あれは狙撃銃(スナイパーライフル)か)

 あんな高所から、しかも男の右手をピンポイントに撃ち抜くなど、およそ凡人に出来うる技ではない。相当の技量と経験を積んだ人物なのだろう。木の上から、アリの眉間を撃ち抜くようなものである。

 こんな平和ボケした国で、それだけの技量と技術を兼ね備えているのは唯一人。

 そんな離れ業をやってのけた射手を、イヴは嫌というほど知っていた。

 そいつはプラネテューヌで唯一の、傭兵家業を営んでいる人間だ。おそらくイストワールに頼まれてわざわざこんなところに出張って来たのだろう。

 そのときだった。何を思ったのか、狙撃主はちかちかと目の痛くなるような光を必要以上に明滅させてきた。

 おそらく向こう側には、こちらが気づいたこともスコープを通して見ているのだろう。

 たとえビルの屋上だろうとも、狙撃銃に備えられたレンズならばこちらの一挙一動などお見通しであるはず。細かい指の動きから、正確なスリーサイズまで分かるはずだ。

 だとすればおよそ考えうる原因は唯一つ。

「あいつ……私を挑発してるのか?」

 イヴは鬱陶しそうにため息をつきながら、片手をかざして光を遮った。

 例えるならば高速道路(ハイウェイ)で走り屋たちが競争(レース)の合図として常套手段としているパッシング。隣の車線でちんたらと走る車両を煽るとき、ウインカーを光らせるアレにひどく酷似しているように思えたからだ。

 しつこい上に、もの凄くウザったい。やられてみれば誰もが首を縦に振ることだろう。

 射撃の腕は達人級であれども、性格の方が性悪を通り越してななめ上にねじ曲がっている。悲しいかな、天は二物を与えなかったということか。

 そんな難アリの人物なのである。

「あー……ぶっ殺したい」

 イヴは片手で顔を隠しながら、真顔で物騒なことをつぶやいたのだった。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 一方、イヴたちのいる廃墟から、丁度隣に位置するビルの屋上にて。

 怪しげな影がひとつ。

「ヒャヒャヒャッ、イヴのやつマジでキレてやがるし。半端ねー、マジぱねーっすよあの迫力。一瞬チビるかと思ったわー」

 そこではスナイパーライフルのスコープを覗きながら、下品なことをのたまわる口が一つ。

 ”紅い十字架”の主犯格――ゲオルギウスの右手を撃った凄腕の狙撃主その人である。

 プラネテューヌで唯一の傭兵家業をやっているという雇われ兵隊だ。

 イストワールから依頼された仕事を速やかにこなし終わってからというものの、自分の眼下にいる白い少女へ太陽光を反射させる嫌がらせ(あそび)に興じているところであった。

「ヤベッ、あいついま眉間ひくつかせてやがる。うおー、こわいこわい。こりゃマジで殺されるんじゃね?」

 口ではそう言いながらも、イヴへの煽りを止めようとはしない狙撃主。口元にいやらしい笑みを貼り付けて、スコープに映る対象をおちょくることに夢中になっている。

 いくら相手が無慈悲なテロリストであるとはいえ、人間ひとりを傷つけたばかりである。にも関わらず、冷静を通り越して一本ネジが外れているとしか思えない言動と行動。

 明らかに尋常とは思えない精神の持ち主である。

「これって例えるなら、俗に言う玉ヒュンものだわー。金玉が縮み上がるくらいこえーっす。まあ、つっても、あたし(・・・)そんなモノないからよく分からねぇけどなー!」

 ヒャヒャヒャッ、と狙撃主(しょうじょ)は壊れたテープレコーダーみたいにやかましい笑い声を上げた。

 驚嘆すべきことに、そいつはあどけない少女だった。年齢は15、16といったところだろうか。

 口うるさくて下品な彼女とは対照的なことに、清楚な黒髪が人目を惹きつけて離さない。服装は黒いセーラ服を身に纏っていて、丈の長いスカートを着用していた。

 男性ならば誰もが夢見る理想の女性像……それに綺麗なまでにピッタリと当てはまるような出で立ち。

 いわゆる黒髪の乙女である。

 そしてこの少女を象徴するものといったら、大きなヘッドホンを耳あてのように装着していることか。

 そんなときだった。狙撃主の悪質極まりないイタズラを(いさ)めるように、

『シリウスさん。何をやってるんですか……』

 呆れた声が聞こえてきた。

 それは声なき声。無線機から送られてきた無線通信によるデジタルボイス。

「おいおい、イストワールさんよ。悪いが今は取り込み中なんすよ。忙しいから後にしてくんな」

 シリウスと呼ばれた狙撃主(しょうじょ)は、耳に装着されたヘッドホン、もといインカムに向かって気だるそうに語りかけた。それでもイヴを煽る手だけは止まらない。

『あなたがイヴさんに妙な嫌がらせをしているのは知っていますよ』

「なーに言ってるんすかー。あたしはただあいつらの周囲に敵が隠れ潜んでいるやつがいないか注意深く目を光らせているだけっすよ」

『わたしには全部お見通しですからね。シリウスさん』

 ぴしゃりとしたイストワールの声が、冗談でもないことを告げていた。一体どこから見ているというのだろう。なかなか抜け目がない。

 けれど、それでもシリウスは退かなかった。やれやれと物分かりの悪い雇い主に呆れたように肩をすくめながらこう言ったのだ。

「イストワールさん、こればっかりはいくらあんたでも止められねー。イヴのやつを煽ることはあたしの生き甲斐みたいなものでね。それをやめろっていうのは、あたしに死ねって言ってるようなのと同じなのさ」

『今月の給料全引きにされてもいいならどうぞご勝手に』

「嘘ですごめんなさいお願いしますからマジでそれだけは勘弁してください何でもしますから!」

『じゃあ、今すぐやめてくださいね』

「あい……」

 優しげな声とは裏腹に、何か薄ら寒いものを感じたのか、雇い主の冷酷な要求にシリウスは渋々従った。

 生活費の大半をコレでまかなっているため、報酬がゼロというのはかなり痛いことである。だから雇い主をこれ以上刺激しても何のプラスにもならないと判断し、イヴに向けたスコープをあさっての方角へと変更する。

「いやー、イストワールさん。マジぱねーっすわー。さすがプラネテューヌのナンバーツーと噂されているだけあって、その迫力にさすがのあたしでも玉ヒュンしてしまいますわー」

『まったく、ホントに口が減らないんですから……』

 これでもう少し静かであれば年相応の女の子なのに、とでもいうふうに溜息をついた。

『ところでシリウスさん』

「んぁー?」

『現在の状況を教えてください』

「はいはい、今から確認するからちょっとタンマ」

 シリウスは銃口を廃墟に向け、スコープを覗きこんだ。

 眼下では、四つの影が緊張状態の中で互いに睨みあい、対峙しているところだった。

 ノワールとプルルートとイヴの三人は武器を手にしたまま、口々に何かを言っている。

 それに応えるようにゲオルギウスが何かを叫んでいる。

 見たところ、口論の最中なのだろうか。

「んー、見た感じぃ、派手な動きはもうないみたい。四人で何かを言い争っているようだけど……」

 この距離では目視できても、何を言っているかまでは聞き取ることは出来ない。

『そうですか。三人とも無事なようで安心です』

 イストワールが安堵の息をついた。

 だが、そんなイストワールとは対照的に、シリウスの感心は別にあった。

 三人の安否など、今は正直どうでもよかった。

 シリウスの興味の行き先は、傷だらけのあの男――ゲオルギウスである。

 驚嘆すべきは右手を撃ち抜かれているにも関わらず、それをものともさせない迫力と剣幕でしきりに何事かを叫んでいる。とんでもない精神力(タフネス)の持ち主である。

 それほどに女神を憎む理由とは何なのか。そんなボロボロの身体になってまで伝えたいものは何なのか。あの男をここまで衝き動かすモノとは何なのか。

「……真相を語るのは、全身に刻まれたその傷ってところかなー」

『どうしました、シリウスさん?』

「いや、何でもないっすよー。ところでイストワールさん。あの三人、甘ちゃん過ぎるんじゃないすかー? あんな律儀に敵の話し合いなんかに応じてないでさぁー、身柄を拘束するなり何なりすればいいのに。どうせ相手は手負いだし、これ以上放置しておいても何するか分かったもんじゃないし、余計な事される前に仕留めてしまえばいいのにさぁー。撃ってきたのは向こうなんだから、こっちは正当防衛ってことで何してもオーケーっしょ?」

 シリウスが照準をゲオルギウスの頭に定め、何のためらいもなく引き金に指をかける。

「――頭をズドンと一発やっちゃえば、何の心配もなくなるのにねー」

 その声音に、先ほどまでのような、おちゃらけた嘘や冗談を交えているような感じはない。別人の如く、氷のように冷え冷えとした寒気が、顔を覗かせていた。まるで黒衣をまとった死神のように生気のない表情が。

『……やめてください、シリウスさん。彼を殺してしまえば他の女神規制団体からの反発は避けられません。そうなったらプラネテューヌが更なる争いの火種に包まれてしまうかもしれないんですよ』

「へーへー、分かってますよ。小娘の他愛ない冗談になに本気になってるのさぁー」

 かと思えば、いつも通りのふざけた笑顔がそこにはあった。先ほどの冷たさが嘘のように。

『くれぐれも、彼らの命に別状がないようお願いします』

「りょーかーい……って言いたいところだけどー、そうも言っていられなくなったかも」

 異変を察したシリウスが、スナイパーライフルを廃墟のいたるところにくまなく走らせている。

 彼女の目には明らかな異常が起こりつつあった。

 廃墟の入り口や、敷地周辺にいた”紅の十字架”の構成員たちが、先ほどの銃声を聞きつけて集まりはじめようとしている。

「あちゃーっ、こりゃマズイんじゃないすかー? 平和主義がこんなところで裏目に出るとはねー。あちらさんはどう見ても殺る気マックスだよー」

 多勢に無勢。あれだけの数を相手取れば、いくらあの三人であっても、無事ではいられないだろう。

 あれだけ好転していた状況が一気に最悪なモノへと一転。

 このままではゲオルギウスを無傷で捕らえることなど夢のまた夢。人質奪還という当初の目的どころか、無事にここから脱出することすら困難を極めるだろう。

「うーん。今の装備だけで、あの数全部を捌ききるのはちょっと辛いかなー……」

 この騒ぎを巻き起こした主犯格の頭をいよいよ本気で吹っ飛ばすかどうかを本気で思案し始めたとき、

『大丈夫です。シリウスさん』

「は?」

『すでに”準備”は整いました。彼女たちにはその”時間稼ぎ”をしてもらったので』

「意味わかんねーっすよ。どういうことなんすかー?」

 訳が分からなそうにシリウスが小首を傾げたそのときだった。

 武装した無数の男たちが廃墟一帯を取り囲んでいたことに気づいた。

 それはプラネテューヌが誇る私兵――”紫の自警団”である。

 規模にして一個小隊。数にして45名。

 あれほどの規模と数を、今までどこに潜伏させていたというのだろうか。

 呆気に取られる彼女の前で、”紫の自警団”の面々たちが速やかに行動を開始。訓練された無駄のない動きであっという間に廃墟周辺を潜伏。まるで周囲の風景と同化しきっていたかのように、それは近づいたことさえ気取られぬほど、惚れ惚れとしてしまうような手際だった。

 集団にして一つの群れ。一個の群れで在りながら集団に在らず。それは一つの巨大な意思を持った生き物のように。

 無遠慮で礼儀知らずのテロリスト共をあっという間に包囲してしまったのだ。

 そして、それらを見事に先導し、統率した指揮官の存在をシリウスは見逃さなかった。

 彼女のスナイパーライフルに映し出されたのは――たったひとりの老人である。

「あのもうろくジジイ……まだ生きてやがるとはねー」

 まだまだ衰えを感じさせない堂々たる物腰。厳めしい顔つきと針のように鋭い目つき。それが彼を弱々しい老人ではなく、一介の頼れる指揮官へと仕立て上げていた。

 そのときだった。

 老人が振り返った。

 それは鷹の眼光。猛禽類のように鋭い目だった。

 何者かの視線に気づいたかのように、シリウスのいるビルの屋上へと目を向けてきたのだ。

 得体も知れぬ気迫に押され、シリウスは何故か咄嗟に照準をずらしていた。

「へぇー……やるじゃないっすかー。視線だけでこっちに気づくとはね」

 ヒャヒャヒャッ、と愉快そうに笑い声を上げた。その額には玉のような汗が張りついていた。

「いくら命があっても……あいつとだけはやり合いたくないっすね」

 少女にあったさきほどまでの軽薄さは、彼方へとなりを潜めていた。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「むぅ……これは一体、何の冗談なのだ?」

 ゲオルギウスが信じられないモノを見るような目で、じろりと周囲を見回している。

 それは圧倒的な光景だった。

 自分を取り囲むようにして現れた男たち。まるで煙のように、当たり前のようにそこに姿を現したかのようだった。

 いずれも全員が武装しており、手に握られた銃器を”紅の十字架”の構成員の面々に向けている。容赦なく突きつけられた銃口に、荒くれたちは成す術もなく両手を挙げて降参することしか出来ない。

 当のプルルートやノワールやイヴたちはといえば、それぞれ安心しきった表情を浮かべており、

”最後の最後でおいしいところをもっていかれてしまった”

 なんて悔しげな顔をしているほどの余裕さを取り戻している。

 まさかあの三人は、こいつらが展開されるまでの時間を稼いでいたというのだろうか?

 流石のゲオルギウスでさえも、この状況には驚愕を禁じえない。

 しかし、彼はこの男たちに全くの心当たりがない訳ではない。

「まさかこいつらは”紫の自警団”か? ……そのような存在がいることは、こちらの情報でも掴んでいた。あくまで自衛を目的とした集まりと聞いていたが……我輩の予想とは大分異なるな。これはどういうことなのだ、紫の女神よ」

「ええっ~? あたしぃ~?」

 突然話を振られたプルルートが動転したように、おたおたと目を泳がせている。

「答えよ。女神」

 ゲオルギウスの険しい声。

 返答次第によっては容赦しない、とその傷だらけの顔が語っていた。

 その瞳には誰の目にも明らかな、色濃い憎しみ渦巻いていた。権力と武力を欲しいままにする者への、たしかな憎悪が。

「う~んとぉ、あたしたちが困ったときに助けてくれるお手伝いさんかな~?」

「――紫の自警団とは、プラネテューヌにおける防衛組織よ」

 プルルートの代わりに、ノワールが口を開いた。

「国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し、プラネテューヌの防衛を主たる任務とするの。必要に応じて公共の秩序の維持に当たるものとされ、人命救助や災害救助などの平和活動を副次的任務とする。なお、構成員はあくまでもプラネテューヌの市民から有志を募って募集しており、誰もが強制的に自警団に就かなければいけないってわけじゃないわ」

「そうだ。――そのための自警団だ」

 ふいに、しわがれた声が聞こえた。

 それを合図に、自警団の群れが縦に割れた。波を半分に割ったように、等間隔で整列された兵士の中から現れたのは一人の老人だった。

 そいつは、つい先ほどシリウスの照準に気づいて振り返った男であり、同時にこの紫の自警団を束ねる指揮官でもある。

 老人の名はファウスト。紫の自警団のまとめ役である、団長だ。

「貴様らの犯行声明、余すところなくしかと聞かせてもらった。我が国の国民38名を人質に取り、さらにはプラネテューヌの所有物である建造物を許可なく占有した」

 針のように鋭い相貌がテロリストたちに突き刺さる。

「その罪は重いぞ」

 指揮官の宣告。

 文字通りの重罪判決。それは聞く者を身体の底から威圧させるような響きがあった。

 溢れ出るまでのたくましい軍人気質。老人特有の頼りなさや、弱々しさといったものとは無縁。

 その皺だらけの顔に刻まれたものは歴戦の古強者(ふるつわもの)相貌(かお)

 あれはただの老人ではない。直感がそう告げていた。

 だが、ゲオルギウスは全く動じない。

「自警団だと? はっ、笑止千万!」

 怖気づく素振りを見せるどころか、濁流の如き笑い声を上げて見せた。

「これのどこが自警だというのだ! 明らかに 我輩の目にはどう見ても一個の軍隊にしか見えないぞ!」

 そう――それこそがゲオルギウスの目論見であった。

 自分の思いのままに出来る軍事力を保有していると聞けば、女神規制団体の抗議行動が目に見えて活発化することだろう。

 女神規制団として一目名を置かれている”紅の十字架”の頭領の言葉となれば、その発言力は計り知れない。

 他ならぬこの男の口からその情報がもたらされれば、それだけでもプラネテューヌを揺るがす一大事となるのは誰の目にも明らかだ。

 

 ”小国プラネテューヌの女神が、北の大国ルウィーと戦争の準備をしている――”

 

 それが嘘偽りであれ、真実であれ、火に油を注ぐ結果となることは間違いない。

 今はまだ静観を決めている他の過激派団体を突き動かすための原動力となるだろう。

 もしかしたら女神規制団体の中でも最大の力を持つと噂される”七賢人”が重い腰を持ち上げる可能性だってある。

 ただし、この男が生きてここから出られればの話であるが。

「大人しく投降しろ、ゲオルギウス。もう貴様に勝ち目はない。今ならば女神様の恩赦により罪は軽くなるだろう」

 有無を言わさぬ重圧。ファウストがゲオルギウスを睨みつけた。

「それがお前たちの理由(いいわけ)か。その野蛮さ、まるで獣だな。だが、獣は獣でも、飼い慣らされた獣はただの家畜だ。よかろう、ならば我輩がお前たちに正義の鉄槌を下すまで!」

 ゲオルギウスがそれを押し返すように、真っ向から睨み返した。

「退路を絶たれたこの状況を、人は絶望と呼ぶだろう。だが――我輩の前では絶望に在らず! 我輩の辞書に絶望の二文字は在らず!」

 何を思ったのか、ゲオルギウスは走り出した。

 そこに一切の迷いも、一秒の逡巡とてない。

 紫の自警団が群れをなして大挙する中へ。猪の如く、脇目も振り返らずに突貫した。

 突然の凶行に、自警団の面々たちがどよめいた。

 この数を相手に突破を敢行するなど狂気の沙汰。無謀や無策を通り越してただの自殺行為である。

 気が狂ったとしか思えない。

 さすがのファウストも、こればかりは少し面食らったように表情を強張らせた。

「……血迷ったか。蛮族め」

 が――すぐに引き締め、敵を見据える。

 敵の狙いはただ一つ。強行突破。その一点に尽きる。

「貴様ら、遠慮はいらん。――その男を撃て!」

 指揮官の叱咤の声に、忠実なる部下たちからは、何の逡巡も迷いも見られない。

 訓練された無駄のない動き。洗練された動作と物腰。

 猪のように迫り来る敵めがけて、機銃の一斉掃射を浴びせた。

「絶望の中にこそ希望在り! 死中にこそ活路在り! 我が活路は目の前に在り!」

 だが、男は止まらない。それどころか巨木のように頑健なその脚は加速の一途を辿りつつある。

 銃弾の雨の中を真っ向から突進。

 全てに挑むような目で、獣のような咆哮を上げていた。

《我が名は憎悪――》

 どこか病んでいるような、魔的な響き。

《我が名は魔槍――》

 それは世界に挑戦するような(まなこ)。紅蓮の炎の如く燃え盛る怒りを。

 そして男は憎しみの名を口にした。

《掌握せよ――”ヴァジュラ”!》

 その刹那。

 稲光にも似た光が(はし)り、ゲオルギウスの全身を銀光が包んだ。

 まるで荒れ狂う雷のように猛々しく。復讐の宣告を上げるが如し荒々しさでもって、それはそこに顕現した。

 時間にして、ほんの一瞬。

 その中から姿を現したのは、白銀に輝く鎧武者だった。

 息を呑む声が、有象無象の群れの中からどこからともなく上がった。

 どちらが先に反応を示したのだろう。テロリストか自警団か。

 だが、真に驚くべき現象が群集の目を打った。

 なんと、激しい火花を散らしながら、降りかかる銃弾が(ことご)く弾かれていくではないか。

 全身を余すことなく覆う、白銀の甲冑と兜が、装備者の身を守ったのだ。人間の柔肌をいとも容易く穿つ鋼鉄の弾丸を――まるで玩具のように造作なく払いのけたのだ。

 四方八方から迫る掃射をものともせず、白銀の鎧武者は、我が王道を行かんとばかりに邁進し続けている。

 まるで魔法のような光景に、本物の驚愕が紫の自警団たちの顔によぎったのは言うまでもない。

 おとぎ話に出てくるような中世の騎士が忽然と姿を現したのだ。

 そんな幻想的な光景に誰もが現実を忘れ、固唾を呑んで魅入ってしまった。

 馬鹿げている。

 あまりにも現実離れした光景に、この場に居合わせた皆がそう思ったことだろう。

 けれども、そんな思考と相反するように、そいつはどんな現実よりもリアリティを持った存在として否応なしに立ちはだかっていた。

「ええい、貴様ら! 呆けている暇があるならそいつを撃て! 撃つのだ!」

 ファウストの号令で、不測の事態から立ち直る兵士たち。

 慌てながらもすぐに機銃の掃射を再開。

 しかし結果はまるで変わらなかった。白銀の装甲の前には銃弾は何の意味も成さない。

 一体、何発銃弾を無駄にしたのだろう。

 ようやく兵士たちは悟った。嫌が応にも。否応なしにも。

 銃が効かない。現代兵器では太刀打ち出来ない。あの鎧武者を止める術がない。

 自分たちでは、あの男に勝てない。

 そうこうする内に、鎧武者が刻一刻と迫る。

「そこを退け、豚共! 我輩の道を阻むな!」

 雄々しい咆哮。雄叫びにも似たそれは喝采。 

 とても手負いとは思えない気迫と迫力でもって突撃を敢行。まさに猪突猛進。

 誰にもその進撃を止めることなど、出来やしなかった。

 あれは人の手に負えるシロモノなのであろうか?

 そんな化け物を前にして、ファウストがその答えに辿りつくまでにさほど時間を要しなかった。

「全員、退避! 退避――ッ!」

 指揮官の怒号――ほとんど身体ごと投げ打つような体勢で。雲の子を散らしたように兵士たちが飛び退いた。

 時間にして一刹那。

 回避行動に移るファウストは、見た。

 兜の隙間から覗く眼光と、真っ向から視線が交錯した。

 傷だらけの男の(かお)

 そこにあるのはゲオルギウスの勝ち誇ったような笑み――

 己の道を塞げるモノがないことに、何の疑問も抱かぬ表情があった。

 対して、ゲオルギウスの前には背の高い壁。

 どこからどこまでがその領分であるかを仕切る壁。いわゆる区切り板のような物。

 物言わぬ壁は侵入者を阻むかの如く、巨人のように雄弁に立ちはだかっている。

 ファウストの脳裏に、ある想像が雷鳴のように駆け巡った。

「あやつ……まさか壁を破るつもりか?」

 ありえないと思った。

 とても現実的ではない。飛躍した発想だ。コンクリートを人間の――ましてや素手で叩き割るような輩がどこにいるというのだろうか。

 指揮官としてはおよそ恥じるべき思想である。

 だが、銃弾をも弾く装甲。それならばそんな不可能をも可能へと変えてしまうかもしれない。

 何を疑うことがあろうか。

 そんな最悪な悪夢を、目の前のアイツはたった今、実現して見せたばかりではないか。

《天地魔道の狭間より、我の声を聞く者よ。()の覇道を阻まんとする、諧謔(かいぎゃく)の使徒に裁きを与えよ》

 白銀の甲冑は謳う。

 それは復讐の調べ(ボレロ)。憎悪の旋律。

 熱に浮かされるような怒りを乗せて。

 男は蹂躙せしめた。

《今ここに顕現せしめよ――”雷帝招来(らいていしょうらい)”!!》

 ゲオルギウスの腕に、槍のようなモノが現れた。ここではない、どこともしれない何処から現れた。次元の狭間を切り裂いて、人の意思を超越した存在が、ひとりの男の呼び声に応えたかのようだった。

 いや、ソレをただの槍と呼ぶにはおこがましい。

 それよりもっと小振りな獲物――金剛杵である。

 バチバチと空気を焼き焦がす臭い。鼻をつくような電撃の唸り。

 素人目であっても、尋常じゃない力の働きをそこに感じられる。とんでもないエネルギーが、その小振りな獲物に凝縮されていることが分かる。

 神にも匹敵するような力――いや、天上に座する者をも引き摺り下ろしかねない冒涜。

 それをゲオルギウスは恐れ多くも、不躾(ぶしつけ)にも腕を振りかぶり、目の前を阻まんとする壁めがけて投げ放ったのだ。

 果たして、悪夢は起こり得た。

 壁は大きな音を立てて、根元から崩壊した。

 砂塵は舞い、砂埃が吹き荒れ、大気が揺れ動いた。それはさながら断末魔のように重く尾を引いて。

 巨人のように立ちふさがっていた壁はまるで、紙細工のように――いや、紙粘土のように、いともたやすく砕け散った。

「我が覇道を阻む者――無し」

 すっかり風穴が開いた壁めがけて、ゲオルギウスは感慨深そうにつぶやいた。

 力に酔い痴れた者の眼。またはそれを恥じ入るように。

 己の手で切り開いた活路。無理矢理こじ開けられた扉の前で。

「……勝ちは見えた! 者共、我輩に続け! ここから脱出するぞ!」

 紅の十字架の頭領の一喝した。まるで雷に打たれたかのような衝撃に、一連の行動に見惚れていた荒くれたちが我に返る。

 雄々しい雄叫びに答えるように、構成員たちが再び動き出した。

「ボスをお守りしろ! あの方の道を何としてでも死守するんだ!」

 己の体を投げ打つことで退路を切り開いた頭領に報いるべく。

 ゲオルギウスは笑みを浮かべながら、背中を向けた。その堂々たる歩みは凱旋する騎士のようだった。

「あいつらを逃がすな! 追え! 追え!」

 そうはさせぬと、紫の自警団の面々が動き出す。

 先ほど悪夢を目の当たりにしたにも関わらず、腰を抜かした者は一人もいなかった。

 このまま悪漢が逃げる様を黙って見過ごせるほど、彼らは弱くなかった。

 すぐさま正気を取り戻し、彼らの前に立ちはだかる。

 女神への忠誠心と崇拝だけを頼りに、武器を手に取った。

 両者は次々と、思いのまま行動を開始した。

 ろくに統率の取れぬ混乱の只中、戦いの火蓋が斬って落とされた。

 

 ◆ ◆ ◆

 

「ヴァジュラ……といったか」

 ファウストがゆっくりと身を起こしながら、つぶやいた。

 その名は悟りの意。

 仏の教えが煩悩を滅ぼすとされる神話――伝説の法具である。

 神話では、ヴァジュラは帝釈天(インドラ)の愛用した武器とされていて、それは聖仙(ダディーチャ)の遺骸でできており、雷を操る魔槍だと語り継がれていた。

 かつて蛇の形をした悪魔が暴れまわっているときに、帝釈天(インドラ)はヴァジュラを用いてその悪魔を粉砕したそうだと、遠い昔、ファウストは人伝えに聞いたことがある。

 あの男は恐れ多くも、その名前を名乗っている。

 悪魔を殺したモノの名を。

 神を忌み嫌いながら、神の力を従えている。

 これは何の冗談だろうか。そう思わずにはいられない。

「あれが”遺失物(ロストメモリー)”だ」

 イヴの声だった。いつの間にファウストの背後に立っていたのだろう。

「そりゃまた随分とおっかない代物だな」

 内心の驚きを隠しながらも、応えた。

「古代人の忘れ形見。文明に取り残された太古の夢。知る人ぞ知る悪夢の大量殺戮破壊兵器。この世で唯一、女神メモリーと対を成す存在とも言われている。程度の差があるものの、ひとたび手にすれば神と等しき奇跡を起こすのだとか。そして、かつて世界を滅ぼした災厄だと、様々な諸説が行き交っているが、そんなことはどうでもいい」

 何故、彼女がそんなことを今語るのか。答えは、炯々(けいけい)と宿る瞳にあった。

「今、あれを止められるのは私だけだ」

 イヴは走り出した。混乱が渦巻く戦場へと。

「おい、お嬢ちゃん。どこに行くつもりだ」

 ファウストがぎょっとしたように呼び止める。

「指揮官。お前は皆を守れ!」

「まさか……一人で行くつもりか?」

 老獪の問いに、イヴは立ち止まらずに、一瞬だけこちらを振り返った。

 その氷のように怜悧な美貌に、ファウストは釘付けとなった。

 年甲斐もなく、少女の顔に見惚れていた。

 いや、ただその少女が美しいというだけの理由ではない。

 何故だか、少女の――その達観したような表情が年老いて見えたのだ。

 いやいや、と首を横に振る。

 たんなる目の錯覚だ。あまりにも馬鹿げている。

(わしも年老いてきたようだ)

 そうしている内に、彼女は道を阻もうと立ちはだかる荒くれたちを殴り飛ばし、蹴り散らしながら、颯爽と奥に進んでいく。

「……ああ、任せろ」

 頷いた。指揮官としての役割を果たすべく。

 まず周囲の状況を確認する。

 一言で言うならば乱戦――

 味方は混乱から立ち直り、ドラム缶などの物陰に隠れながら、逃亡を試みようとする敵に発砲を繰り返している。

 敵はゲオルギウスの開いた穴へ後退しながらも、頭領を守るようにしてこちらへ威嚇射撃を行っている。

 なんとしてもこの先に通すつもりはないらしい。

 敵の狙いは頭領をプラネテューヌ国外へ脱出させること。

 それこそが”紅の十字架”の勝利条件。文字通り、すなわちプラネテューヌの敗北に繋がる。

 その為の徹底抗戦。

 敵味方の損害状況――双方とも少なからず負傷してはいれど、未だ大事に至った様子はない。

(それでも、状況は最悪の一言に尽きるな)

 このまま乱戦が続くようならば一度撤退して体勢を立て直すべきだ。

 こちらとしても損害は可能な限り抑えて、無用な犠牲者を出すのはあまり望ましくない。

 しかし、このまま黙って引くわけには行かない。

 敵の目的はプラネテューヌからの脱出。

 ここから近いのは東門。敵はそこから脱出を図るはずだ。

 だが、一番問題なのはこの廃墟から東門の間。

 その途中に()()()があるということだった。

(敵は人質を取ることもなんとも思わないようなやつだ。きっと利用してくるだろう。……無視は出来ないな。それに一人で突っ走っちまったイヴちゃんのこともあのまま放ってはおけない)

 ちらりと背後に視線を移した。

 後方ではノワールとプルルートがいる。幸いにも大事には至っていないが、最悪なことに二人とも敵に囲まれていた。

 いずれも男たちは、鉄パイプや拳銃を持っている。

 それでも流石というべきか。大勢の敵に囲まれながらも、その全てを容易くあしらっている。

 ノワールのレイピアが奔るたびに、拳銃は真っ二つにスライスされ、振り下ろされた鉄パイプはチーズのように裂かれ、いずれもガラ空きとなった腹部に鋭い蹴りを叩き込まれている。

 敵に致命傷を与えることなく、程々の力だけで戦闘不能へと追いやっている。

 華麗でありながら、優しい剣捌きだった。

 見事な不殺(ころさず)の構え。味方としてはこれ以上もないほど頼もしい限りである。

 そのとき、ファウストは気づいてしまった。

 ノワールとプルルートの近くで、息を潜める伏兵の存在に。

 ドラム缶の陰でじっと息を殺しながら、拳銃をノワールの頭へと狙い定めている。

 彼女達からすれば、丁度死角の位置にある。気づくわけがない。

(お嬢ちゃんたちが危ねぇ!)

 迷うまでもなかった。ファウストは伏兵の元へと走り寄った。

 伏兵がすかさず振り返る。苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちをしながら、ファウストに向けて銃を突き出す。

 距離にして一メートル。よほどの下手糞でもない限り外しようのない絶対死線圏(デッドライン)

 ファウストが相手の銃を掴みとるように右腕を伸ばしてきた。

 だが、僅かに遅い。

 伏兵が引き金にかけた指に力を込めたほうが早かった。

 乾いた音が廃墟に数回響き渡る。暴力的なまでの破壊音。人体をことごとく蹂躙する死の足音。

 けれど、どれ一つとしてファウストの肉体に傷一つつけることすら叶わない。

 銃弾は確かにファウストに直撃した。

 弾丸が発射されたその瞬間――彼は手の平を開き、その全てを受け止めていた。

 ぷすぷすと白煙を上げながら弾丸がめり込む手。何食わぬ顔で老人は二ィっと笑んでみせた。

「ば、馬鹿な……」

 目の前で、銃を握りしめながら、伏兵は驚きに身体を戦慄かせている。

 相手の予想通りの驚きっぷりにファウストの中にある嗜虐心が刺激されるのを感じた。

(だが、これでは終わらんよ)

 若者をからかいたくなる年長者と同じ心境のそれだった。彼はこの相手をもう少し苛めてやりたくなったのだ。

 ファウストは拳を握りしめ、手の平にある物を握り潰した。まるで果実を握りしめるかの如き動作。たったそれだけのことで弾丸はあっけなくスクラップと化した。

「う、うわあああぁぁぁぁっ!!」

 恐慌のあまり伏兵が何度も何度も発砲する。

同じ戦法(ワンパターン)が通用すると思うてか、小童(こわっぱ)

 老人がすかさず左腕を伸ばし、がっしりと伏兵の頭を鷲づかみした。

「むんっ!」

 腕に力を込めたその途端――伏兵の身体が痙攣した。まるで鋭い電流を浴びせられたかのようにその五体が震え、壊れた操り人形のように滑稽な踊りを見せたかと思うと、だらだらと(よだれ)を垂らしながらその場に倒れこんだ。

 完全に気を失っていた。けれど、どこにも外傷はない。見るも摩訶不思議な事態であった。

「ほっほっほ。まだまだ若い者には遅れを取らんよ」

 老人にしてみれば赤子をひねるくらい取るに足らないことだったのだろう。息一つ乱すことなく得意げに笑い声を上げている。

 それは大陸武術にある発勁(はっけい)と酷似していた。身体の中にある気の力を送り、相手にぶつけるという太極拳の一種。

 この技は特に筋力を必要としない。必要なのは技術だった。

 過酷な試練に耐えうる強い精神力と、どんな逆境でも動じない鋼の肉体が。

 事もあろうか、それをこの老人は可能としていた。

「ファ、ファウストさん? そんなところで何をしているの?」

 騒ぎに気づいたノワールがびっくりしたような顔で視線を向けてきた。その周囲には荒くれたちが痛みに呻きながら地に伏している。自分達に群がる敵は一通り一掃したようだ。

「なに、瑣末なことだ。お嬢ちゃんの柔肌を覗き見る不届き者を一匹始末しただけのこと。そんなことよりも――」

 ちらりと顔を前に向けた。ゲオルギウスが開けた大穴。紫の自警団と紅の十字架が、未だ激しい攻防戦を繰り広げている場所へと。

「ここは危険だ。いつ流れ弾が飛んでくるかも分からん。ノワールちゃんはプルルート様を連れて逃げてくれ」

「私のことなら心配は無用よ。ファウストさんこそプルルートを連れてここから逃げてちょうだい」

「いやいや、そういう訳にもいかんでな。わしは手下どもの命を預かる身。指揮官が部下を置いて戦場を離れるわけにはいかんのだ。それに、イヴちゃんのことが気になる」

「イヴがどうかしたの?」

「イヴちゃんはあのゲオルギウスとかいう悪漢の後を追っていった。気づいていなかったのか?」

「な、なんですってぇ!?」

 ノワールが目を見開いた。どうやら周りの敵に精一杯でイヴがどこにいったか気づく暇すらなかったようだ。

(うーむ、確かに剣の腕は目を見張るものがあるが、ちと注意力が足りないみたいだのう)

 この様子だと流れ弾に当たって本気で死にかねない。とにかくノワールをこの乱戦に留まらせるべきではない。

 そう判断したときのことだった。

 

「ねえ、ノワールちゃ~ん。ファウストおじさ~ん……」

 

 ふいに、プルルートが会話に割り込んできた。

 顔を俯かせているためどんな表情をしているのかいまいち判別がつきにくいが……そんなことよりも、何故だかその身体は小刻みに震えていた。

 はっきりいって異常である。異様な寒気が立ち込めるほどには。

「もうさぁ~、色々ゴチャゴチャしてて頭が爆発しそうだよ~。あたし訳が分からなくなっちゃった~……」

 プルルートが笑顔を浮かべたその瞬間、周囲の空気が一瞬にして張り詰めた。

 その現象を例えるなら嵐の前の静けさ。何かとんでもない災害の予兆。天変地異の前触れ。

 それはまるで獰猛な野獣が秘めたる牙を出そうとしているようだった。

「だからぁ~、変身してもいいよねぇ~?」

 その言葉で、二人が凍りついた。

 それが意味するモノはつまり、自分の身体の奥底に隠された力をさらけ出すということ。

 本当の姿を現すということ。

「「ちょっ、待――ッ!!」」

 二人が制止の声を上げたときには遅かった。

 プルルートの周囲をまばゆい光の粒子が包みこんだ。莫大な力の奔流がそこで蠢いているのを感じる。

 光の粒子が装甲に形成されていき、プルルートの身体を申し分なく覆っていく。

 それがプロセッサユニットと言われる女神専用の武装であり、勝利をもたらしてくれる絶対の切り札。

 その場にいた誰もが息を呑んだ。

 ノワールやファウストだけではない。

 紫の自警団の面々や、紅の十字架の構成員たちさえも我を忘れて魅入っていた。

 やがて、光の瀑布の中からソレが姿を現した。

「ふふ、うふふふふ……」

 全身を覆う――いや、絞め付けるようなソレは漆黒のボンテージ。その際どい隙間から覗く、弾けんばかりの女体が激しい自己主張を訴えている。

 艶かしいワガママボディ。

 視界に収めているだけで、何か得体の知れない背徳的な疼きが体の芯から沸きあがってくるような気さえする。

 だが、その冷たい美貌に浮かぶのは媚びではない。男を誘惑するようなソレとは程遠い。

 蔑むような眼。地を這うゴミを見るかのような冷ややかな眼光。

 全てを踏み潰してやるとでも言わんばかりに冷酷な輝きを称えた微笑。

 これで片手にムチを持っていたら完璧だったことだろう。

 あんなにゆったりのんびりしていた少女がこのような姿になるとは誰が予想していただろうか。

 プルルートらしさの片鱗は、今やどこにも見受けられない。

 まだ別人だと言われた方がすんなり腑に落ちるというものだ。

 しかし、間違ってはいけない。これは同一人物。プルルートが女神化した姿なのだ。

 そう。彼女こそが――女神アイリスハートである。

 そもそも女神化とは、人々の信仰を自分の身体へ宿すことではじめて起こり得る奇跡である。

 例えば、プラネテューヌの守護女神であるプルルートは、プラネテューヌの国民からの信仰を受けて女神化を果たすことが出来るということだ。

 その力の度合いは、国民からの信仰の熱さによって、決定付けられる。もっと単純に言ってしまえば、国民から一人でも多く崇拝されている女神はとても強大な力を有していることになる。

 つまり良き指導者で、民からの信頼を得ていればいるほど、その国の女神の持つ力は強大なモノとなるということである。

 極々稀にその例に当てはまらない女神もいるが……それはさておき、女神である限りは国民なくして女神足り得ることなど不可能。

 これは女神である限り、覆すことの出来ない絶対不屈の原理である。自らの力を維持するためにも女神は常に国民からの信頼を高める努力に日夜励んでいるというわけだ。

 話は逸れたが、この女神化というやつもかなり曲者(くせもの)だった。

 性格の変質――

 この現象に個人差はあれど、ほとんどの女神はまるっきり人が変わったようになるのだという。

 理由は誰にも分からない。二重人格の一種だとか、強大な力を得たことによる副作用だとか様々な憶測が飛び交っているが、未だ真相は闇に包まれたまま。

 世界の七不思議として君臨しており、その解明に至った者はいない。そもそも女神自体が稀有な存在であるため、学者連中はおろか触れることさえ叶わないのだが。

 特に、プルルートにおいては人格の変化が顕著であった。

 蚊の一匹とて殺せないような少女が、本場のSMの女王でさえ裸で逃げ出すほどのバケモノに変化するのだから。

 そして彼女は全てを睥睨(へいげい)していた。その頬は不敵にも、わずかに上気してうっすらと扇情的な赤みを帯びている。

「あわわわわ……っ」

 ノワールは泡を食ったように取り乱している。ファウストや紫の自警団たちも、目の前にいる敵のことを忘れ、顔を真っ青にして立ち尽くしている。

 突然の異変に、紅の十字架の構成員たちの顔から色が消え失せた。

「あれが――プラネテューヌの女神なのか!?」

「なんと禍々しい……」

「ついに本性を現したか」

 荒くれたちが口々に叫ぶ。

 プラネテューヌの女神――それは恐怖の代名詞。

 彼女は救世をもたらす女神ではなく、敵も味方も平等に、全てを混沌に突き堕とす悪魔のような存在だということ。

 彼らはその意味を、身をもって思い知らされることになる。

「だめよぉ、そんな顔しちゃ。優しいあたしでもついつい、苛めたくなっちゃう……!」

 混乱に包まれた舞台が一転。

 苛烈を極めた戦場は、一人の女王の顕現によって、更なる混沌の淵へと追いやられた。




次の投稿は月・火を予定。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。