―――ずっと、ずっと。見てみぬふりをしてきた。
軽い鞄を片手に、夕焼け色に染まった空の下を、ゆっくりと闊歩しながら、ひとりごちる。
―――気づいたのは、随分昔の話だ。説明するまでも無いような、些細な事をきっかけにして、俺は彼女の正体を知った。
たどり着いたアパートの自分の部屋。その扉の鍵穴に、小さな鍵を差し込み、ひねる。
ガチャリ、という冷えた金属音が響き、ロックが外れた。
―――その時は、少し驚いた。彼女からは、そういう奴ら特有の、嫌な感じがしなかったから。
部屋に入った俺は、荷物を脇に置き、脱いだ上着をハンガーにかけた。もう着ることも無いのに、しわにならないよう気にしてしまうのは、癖になってしまっているからか。
テーブルに置かれたデジタル時計の表示は、午後六時を少し過ぎている。……今日は、少し早めに帰ってきたのだ。
別段、急ぐ用事があったわけではなく、二課でやるべき仕事がなかったというわけでもない。むしろ、今は忙しい方だ。俺が抜けたしわ寄せがいくであろう同僚たちに、少し申し訳なさを感じ、ため息を吐く。
「ただ、なんとなく……。今日は帰った方が、良いような気がしたんだ」
誰に聞こえるはずもない、無意味な言い訳を唇が紡いだ。神様でも見ているのか、いや、そういえば俺が神だったな、と下らない問答を頭の中で展開しながら、キッチンへ向かう。
―――ただ、放置して置く訳にも行かなかったから、色々と探りを入れた。彼女がやろうとしていることも、それが生み出すであろう被害も、全部知った。
電気をつけ、奥にある冷蔵庫を視認する。最近はコンビニで買ったものばかりだったから、今日くらいはちゃんとしたものでも食べよう、そんなことを考えながら、俺は冷蔵庫の戸を開けた。
「なんにもねぇ………」
最低限の調味料すら存在しない、人間味が微塵も感じられないその中身に、呆然と言葉を漏らす。
何か買いに行くか、とも思ったが、このアパートの立地条件はあまり良くなく、一番近い食品店でもそれなりの時間がかかる。
しかし、いい大人が全力疾走で道を走るのはいささか見苦しいし、瞬間移動やら高速走行を使うのも馬鹿馬鹿しい。
「……どっかに食いに行くか」
数秒悩み、俺は結論を出した。
賑わう、という言葉はあまり相応しくない、まばらな人の波を横目に歩を進める。平日の夕方なのだから当然ではある。
二課へ通勤する時には通らない道をあえて選んだので、立ち並ぶ建築物には新鮮味を感じた。そういえば、来たばかりの頃は、知っている地球とは随分と違った街の様子に驚いていたような気がする。
ウルトラマンの感覚からすると、本来なら一年二年等あっという間に過ぎるようなものでしかないのだが、俺達のように地球で人間として暮らしていると、だんだんと長く感じるようになるのだ。
過去―――と呼べるかどうかは怪しいが―――に思いを馳せながら、しばらくあるき続けていると、ある店の名が目に止まった。
「ふらわー」、というお好み焼き屋だ。
いつの間にかワーカーホリックじみた生活を送っていた俺は、流行りの店には疎い、というより自分の街に何があるのかすらよく知らない。
だから、自宅から徒歩二十分程の、近いとも遠いとも言えない場所にある、さして目立つ訳でもない店の名前を覚えていることは、普通ならあり得なかった。
だが、この店は別だ。別に行きつけとかそういうわけではない。というか入ったことも意識して見たこともない。
この「ふらわー」は、俺の勤務する特異災害対策機動部二課の装者、立花響が懇意にしている店なのだ。
快活、天真爛漫という言葉を体現しているかのような彼女は、その性格の通りよくしゃべる人間だ。故に話題に挙がることも多く、少なくとも数十回は聞かされている。
当人はこの店のお好み焼きを絶賛しており、友人である小日向未来と、たまの贅沢以上の頻度で通っているそうだ。
また、店の店主……立花はおばちゃんと呼んでいた、からも常連、お得意様として認識されているらしく、ネフシュタンの少女、雪音クリスが行き場を失ったときには、なんと部屋を貸し与えてくれたのだという。
流石は立花のコネクションと言うべきか、そのおばちゃんも相当の人格者である。侵略宇宙人たちにも見習ってほしいものだ。
…………と、まあ、ここまで長々と語ったからには、もう理解していると思うが。
「すいません、席空いてますか?」
俺は、今日の夕食をここで取ることに決めた。
しかし、この二年で自然と敬語が口から出るようになったな。あいつらが見たらどんな反応をするだろうか。
グレンは……、まあ大爆笑するだろうし、ナイトは二度見するだろう。ジャンボットとジャンナインは……、どうだろう、パッと思いつきはしないが、突飛なことを言われるのは目に見えている。あ、我々の知るゼロとの一致率0パーセント、とかか?
「はい、空いてますよ……、あら、初めての方ですか?」
奥から声が聞こえた。どうやら席はあるらしい、そのことに安堵しつつ、「はい、知り合いに勧められて」と肯定の返事をしておく。
食にこだわりの強い立花のお気に入りという話だから、混んでいて入れないのではと内心冷や汗をかいていたが、存外店は空いていた。
知る人ぞ知る、というやつなのか、単純に平日だからという理由もあるだろうが。
「知り合い……、ひょっとして響ちゃんかしら?」
と、気が緩んでいたせいか、その言葉に必要以上に驚いてしまった。ビクぅ!!とまでは行かないが、へ?という間抜けな声が出るほどには。
「お、いや、なんで知って……」
思わず崩れかける敬語。脳内で「まだまだだな、ゼロ」と叱咤してくる親父と師匠の姿が浮かんできたが、とりあえずスルーし、取り繕いながら尋ねる。
「いや、最近すっごくカッコいい男の人と知り合ったって聞いたものだから、つい。すみませんね、驚かせてしまって」
「いえ、こちらこそすみません」
なるほど、そういうことか。この姿は製作者がそうなるように設定したものだから、あいつらからしたら願ったり叶ったりの反応だろうが、面と言われる俺はやはり気恥ずかしい。……無論、顔に出すことなどしないが。
しかし、やはりこの口調は性に合わねえな。こういうのはもっと、メビウスみたいな……、いや、あいつは素であれだからな。なんて言うか、こう、猫被ってる感じのやつ……。
未来から来た後輩やら地底育ちの後輩やらサイバーでデータな後輩やら後輩らしい後輩やら宿敵の息子である後輩やら接点薄い後輩やらを思い浮かべるが、当てはまりそうなやつはいない。強いて言うなら猫耳が居たくらいか。
(つうか癖強いな……)
全く、最近のウルトラマンは個性的なやつばかりだ。まあ、それが悪いわけでも無く、親しみやすいというメリットもあるのだが。
お前が言うな、等というツッコミが聞こえたような気がするが、多分幻聴だろう、多分。
今は平和を守る、という意味では暇にしているだろう彼らに思いを馳せながら、案内された席に座る。
こういう店の勝手はあまり分かっていないので、注文を終えるまでに時間がかかると思っていたが、そこはふと思いついた方法で上手くいった。
すなわち、
「立花がいつも頼んでるやつで」
こういう方法だ。何がおすすめなのか聞いておけばよかったとも思ったが、これで全て解決だろう。
妙案を捻り出した自分に称賛を贈りつつ、準備のためか奥に消えていったおばちゃんに会釈をする。
―――俺は彼女が何を起こすかを、知って放置した。止めることもせず、それによって出る犠牲すらも黙殺し続けた。ウルトラマン失格だ。
―――でも、それでも、やらなくてはならない事があった。今の彼女では駄目だったから、待たなくてはならなかった。
「はい、じゃあ焼きますね」
「あ、お願いします」
早いな、という素直な驚きは、おばちゃんの手に持ったボウルを見た瞬間、納得に変わった。そりゃあ目の前に鉄板があるんだ、ここで焼くに決まっているだろう。
いかんな、うだうだと思い悩んでいるせいか、どうにも迂闊になってしまっている。
一旦思考を切り、前のお好み焼きに目を向ける。
……オーブが得意そうだな、こういうの。
ちゃっちゃと具材を混ぜ合わせる彼女の手際の良さに目を奪われていると、声がかけられた。
「常連さんは自分で作る人もいるんですよ」
「へえ、それじゃ立花達も?」
「いえ、あの子はもちろん食べる専門です。ふふっ」
まあ、確かにそうだな。やはりあの少女には作るより食べている姿の方が似合う。面と向かって言うと流石に文句を言われそうな気もするが、口には出していないから問題ないだろう。許せよ立花。
話している間に一枚目が焼き上がったようだ。ソース、マヨネーズ、鰹節と青のりをかけてもらえば準備は万端。立ち上る匂いは食欲を刺激し、口内に唾液の分泌を促す……事はない。
はあ、せめて空腹感くらいは搭載してほしかったな……。恨むぞ、ヒカリ。
とはいえ、美味そうと俺が思っているのも事実。空腹は最高のスパイス、という言葉に好奇心は湧くが、無いものは仕方がない。
「いただきます」
綺麗に割った割り箸を、湯気をのぼらせるお好み焼きに伸ばす。軽く力を入れるだけで柔らかい生地は容易く切れた。さして時間もかからず一口大に調整したそれを、口に運ぶ。
「…………………美味い」
行儀悪くも、咀嚼している最中だというのに、思わず声を漏らしてしまった。呟いた俺の横で顔を綻ばせるおばちゃんが目に入り、暖かい気持ちになる。
もっと色々と見て回りゃよかったな……。
思えば休みも取らずに仕事三昧、司令の言葉も無視して調査、探索、調査の繰り返し。
流石に怒られ無理やり与えられた休日はアメリカにあるセレナのいた組織の情報収集に消えた。幾ら何でも余裕の無さ過ぎる二年間だ。あまりの馬鹿さ加減に自分が嫌になる。
もう少し、ゆとりを持って生きるべきだったろう。せっかくの地球だというのに、とてももったいない事をした。
そんな後悔の念をお好み焼きとともに噛みしめる。
美味い! うん、こういうときは食うに限る! ヤケ食いは体に悪い? はっ、こちとらウルトラマンだ。体調不良なんざあり得ねえんだよ!!
―――結果
「………うう、食いすぎた」
この様である。
育ち盛りの高校生の如く―――と言ってもそれが具体的にどれくらいの量かは解らないが―――食ったせいか、腹が重い。あいつら、消化器系は普通にしやがるとか嫌がらせか?
途中から心配げな視線を送っていたおばちゃんに、大丈夫大丈夫と見栄を張って立ち上がり、そのまま会計を済ませる。
いつの間にか、店には俺だけになっていた。となると長居は無用、俺も帰るか。
「ごちそうさまでした」
戸を開け、振り返り挨拶。これだけは、忘れてはならないものだ。
「あの、すみません」
背を向け、今度こそ店を後にしようとしたところで、呼び止められた。何だ、お釣り……、は貰ったし、忘れ物もしてないと思うが……。
「あの子達を、お願いします。最近、なんだか大変みたいで……。あの二人には、笑顔でほしいんです」
………ああ、優しい人だ。本当に、いい
ここに生きる人達が、ここを第二の故郷足らしめていると、心からそう思う。
けれど、俺は彼女の願いに、応えられないかもしれない。俺は俺の目的を、いや、そんな大層なものでも無い、強いて言うなら願いのような、曖昧な何かを優先してしまったから。
―――それは俺の勝手で、独断で、誰の益にもならない、ただの自己満足。
―――そして、俺の人生最初で最後の、何があっても通したい、わがままだ。
決意は、揺るがない。
「待たせたな」
その一言が、絶望に染め上げられたリディアンに伝播した。膝を付く少女を庇い立つは、白銀の髪をなびかせ、宝玉の輝きを瞳に宿す青年。
「なぜ、貴様がここに……。貴様は………」
「殺したはず、ってか?」
「―――っ!!」
驚愕を隠しきれず、狼狽の様子を見せるフィーネに、青年―――零は告げる。
「あれは人を殺すためのもんだ。俺には効かねえよ」
―――とはいえ、普通に風穴開けられたけどな。
言外に、自分は人ではないことを示しつつ、自嘲気味に彼は語る。その左腕には、いつの間にか銀の腕輪が出現していた。
「基本的には俺は中立なんだが……、流石に月ぶっ壊そうとするような奴を、野放しにしておく訳には行かねえんだよ」
突き放すような言葉。表情がにわかに鋭く引き締められ、眼光に厳しい光が宿った。戦場に立つ者、それを見ていた者すべての視線を一身に受け、神々しい光輝を放つブレスレットに手を翳した零は、
―――
直後、閃光と共に、彼の体に赤と青、銀の三色で彩られたボディスーツが装着される。そしてそのまま、力強く前に踏み出した。
一歩目。踏み込まれた足が地面を捉えた瞬間、出現した銀の鎧に包まれた。
二歩目。同上
三歩目。出現した鎧が、今度は胴体を覆った。同時に、二本の刃が虚空から顕現する。
刃のそれぞれが腕の周りを旋回し、そこに鎧を装着させていく。手甲までが装備されると、刃は空へと舞い上がり、形成されていたヘッドホンに嵌め込まれた。
全行程を終え、戦闘可能状態に移行した零は、開いた右手を前に突き出し、左手を腰だめに構えるファイティングポーズを取り、口を開いた。
「
銀に煌めく脚部装甲が大地を砕き、零の身体を加速させる。同時に、右腕のパーツが変形し、一振りの刀身を形造った。
接近の気配を感じ取り、予備動作の時点で防御体勢をとるフィーネ。鎧に接続された鞭上の刃が集合し、盾を創り出す―――
―――ASGA………
「遅い!」
薄紫のバリアが、形成と同時に霧散した。音を超えて振るわれた刃が、彼女の防御より遥かに早く、彼女の身体を切断していたからだ。
数カ所に決して小さくは無い刀創が走り、噴き出した血が鎧の破片と混じりながら地面に落ちる。
しかし、彼女が纏うは完全聖遺物、ネフシュタン。完璧な融合による無限の再生能力が、またたく間に傷を治癒していく。
全快した肉体をフルスロットルで稼働し、フィーネは鞭状の刃による反撃を放った。ヒュン、という風切り音と共に、紫色の軌跡が虚空に描かれる。
しかし、その一撃が零を捉える事はなく、虚しく地面を砕くだけに終わった。
瞬間移動じみた速度で視界から消失した零を探すために、視線を彷徨わせるフィーネは、背後から感じた気配に振り向く。
「ガッ!?」
同時に、吹き飛ばされた。強烈な回し蹴りが彼女の脇腹を抉り、中身を露出させている。更に零は、攻撃の際に掴み取っていた鞭を、勢い良く引いた。
地に叩きつけられていたフィーネは、体勢を立て直す暇もなく零の目の前に引き寄せられる。
「立花のやり方が、一番効果的だな」
そんな呟きとともに、彼は眼前に迫ったフィーネの腹に、容赦なく拳を打ち込んだ。
超重量の小手が生み出す衝撃が体内で炸裂し、銃弾すら無傷で防ぐはずの鎧が、薄紙の如く破られる。
腹にぽっかり空いた風穴から鮮血を撒き散らし宙を舞う彼女を、零はなぜか追撃することなく落下まで見送った。
ショック死すらあり得るほどの重傷を、ネフシュタンの治癒力によって再生しながら立ち上がるフィーネに、彼は冷たく告げる。
「それじゃあ、俺には勝てねぇぞ」
ギリィ、と歯ぎしりの音が、二人だけの戦場に響く。フィーネのものだ。抑えきれぬ赫怒が、彼女の美貌を歪ませる。
「お前が、立ち塞がるのか!? 恋など出来すらしない、人外の化物が!!」
憎悪の滲むその言葉に、彼はふっと、苦笑した。諦めの混じった、ため息のような笑み。そうして彼は、応える。
「ああ、俺はそんなものは知らない。なにせ母親の顔もよく知らねえんだ。親父との馴れ初めって奴も、結婚するに至った顛末も、何一つ聞かされちゃあいない」
彼の胸に刺さった抜けない棘のような何か。会いたいと、思ったことは数知れず。でもなぜか、言い出すという決心がつかなかった。
「それに俺は、只人と生きるには長生き過ぎて、同族と生きるには時間が足りない。まあお前の言うとおり、永遠に恋なんてものはできねえよ」
あっさりと、彼はその事実を認めた。お前の気持ちなど分からない、とそう告げたのだ。例え、解りたくとも。
「だが……」
「……?」
表情から笑みを消し、逆説の言葉を告げた彼に、フィーネが訝しげな視線を送る。
「お前は知らない。己を殺して使命に殉じる苦しさを」
―――結局、水掛け論だ。知らないものは、知ることすらできないものは、同仕様もない。
彼女の目的が、その想いからなるものであれば、彼がそれを理解することは不可能に近い。
だが同時に、彼女が知らず、彼が知っている感情も存在する。
相互理解ができないからこそ、争いが起きる。つまり彼は、その感情を知らないことが、戦いを止める理由にはならないと、そう告げている―――
「―――そして、お前は知っているはずだ。永き時を生き続けたお前ならば。かつて共に歩んだ者たちに、置いていかれることの苦しさを!!」
否、違った。
それでも彼は、わかり合う可能性を捨てなかった。それはもしかすると、自分と同様に二課に潜んでいた者への、僅かな同族意識だったのかも知れない。
「……ッ!?」
そしてその言葉に、フィーネはとっさに反論できなかった。
先史文明期、天に届く塔を砕かれ、統一言語を奪われたあの日から、数え切れぬほどの人間を、ただ一つの目的のために利用してきた。命を奪った者の数も、計り知れない。
けれど、関わり合ってきた者たちの中で、最後まで仲間として隣りにいた者も、少なくは無かった。彼らがその生を全うしたとき、そこにほんの少しだけでも、別れを惜しむ気持ちが無かったと言えば、嘘になる。
なぜなら彼女には、愛があった。いくら非情になろうとも、その根底にあるのは、愛する気持ちだったから。
「………黙れ」
故に彼女が放ったのは、拒絶の言葉。歩み寄ろうとする彼を、かつて慕い、今もなお身を焦がすほどに想い続けている人物に、どこか似ている彼を、突き放す。
「それでもっ! 私は、あの方の隣にぃ――――――ッ!!」
鞭刃の先端、そこに莫大なエネルギーが収束し、渦を巻く。最初の襲撃の際、雪音クリスが使用した技。
しかし、またたく間に形成された巨大な光球は、かの少女のものとは比べ物にならないほどの威力を内包している。
「そうかよ」
その様子を、宝玉の双眸で見据えていた零は、短く、冷めた声音で、そう吐き捨てる。限りなく無表情に近いその美貌は、しかしどこか、悲しげだった。
伸ばした右手に装着された剣が、先から二つに割れて、弓のように変形する。
違った。それは弓そのものだ。両端から光の線が伸び、繋がって弦を作り出すと、零はそこに同じく光で形成した翠緑の矢をつがえた。
そのまま、空に浮かぶフィーネに照準を合わせ、引き絞る。
―――NIRVANA GEDON
―――アローレイ・ウルティメイトゼロ
彼の光矢が流星の如く尾を引いて放たれるのと、フィーネの光球が鞭刃の先端から放られるのは、同時だった。
大気を引き裂きながら宙を駆けるエメラルドの矢が、視覚不可能な速度で光球に到達。
拮抗は、存在しなかった。
一切の抵抗なく、まるで豆腐に箸を突き刺したかのような滑らかさで、矢はフィーネの攻撃を貫き、爆散させる。
発された爆風と余波、そして閃光にフィーネが目をすがめたその瞬間、彼女の左胸が
「か、はっ」
遅れて、彼女が苦しげに息を吐き出す。肺と心臓の半分が蒸発したせいか、その顔色は蒼白い。
無論再生は可能だろうが、その間に追撃されることを警戒したのか、フィーネはソロモンの杖を振りかざし、ノイズの召喚を敢行した。
またたく間に彼女の眼前を極彩色の異形が埋め尽くす。攻撃ではなく、再生の時間を稼ぐための壁を形成したのだ。
「―――ッ!?」
しかしその目論見は、粉雪のように降り注ぐ膨大な黒炭に掻き消された。ノイズの群れを残らず吹き散らした力の奔流は一切の威力を減じさせず、フィーネの身体をも弾き飛ばす。
回転する視界の中、彼女が黒い霧の奥に視認した銀の戦士は、
「それは……何だ? お前は……、何者だ?」
そこで初めて、フィーネは零と、零の纏うものの正体を問うた。
それこそ最初期から異端技術に関わり続けてきた彼女は、自分の纏っているものの性能が桁外れで有ることを誰よりも理解している。だからこそ、それを遥かに凌駕するような聖遺物の存在に、驚嘆を隠すことができないのだ。
「初めに言ったはずだ。これはウルティメイトギア。
二課に秘められたもう一つの完全聖遺物、平行世界への扉を開く『ギャラルホルン』ですら辿り着けない、方向性すら異なる宇宙で作り上げられた、シンフォギアを前身とする武装だ」
ついでに俺はそこ出身の異星人だ、とおよそ卒倒ものの事実を、彼は臆面もなく告げた。
本来なら、異星『人』と言う表現は彼にとって正しくないのだが、いちいちそれを説明する必要もないと判断したのだろう。
「そう……、か」
そしてそれは、フィーネにとっては愕然とするべきもので、けれど彼女は、何故か納得してしまっていた。
続いて発しかけた「なるほど」というつぶやきを、すんでのところで飲み込み、余りにも穏やかな語調で漏らした自分の言葉に、驚愕する。
視線の先にあった、伸びた前髪から覗く零の瞳は、彼女の動揺をすべて見透かしているようで、それが余計に、騒ぐ心を波立たせる。
そんな自分に嫌悪を感じ、思わず目を逸らしたフィーネに、静謐な声がかけられた。
「一応言っておくが、俺はお前の言う神とは全く違うぜ」
「…………解っている。私が求めるのはあの方の心だけだ、お前ではない」
その返答には先程までの憎悪や、苛烈なまでの激情は宿っていなかった。持て余していた感情に、整理がついたのかもしれない。
「で、どうする? お前が何をしようと俺が止める。そしてそれを阻むことはできない」
突き放すような、説得するような。その語勢は相反する二つの形容を内包していて、それが彼の非現実さを強めていた。
ふっと、薄い笑いがフィーネの唇から零れる。余裕の取り戻したのか、少しばかり
「そうでもない。ギャラルホルンですら辿り着けない宇宙、と言ったな。方向性すら違う、と。
―――だったらそれ、長くは持たないんじゃない?」
沈黙、僅かな間をおいて、嘆息。彼女の指摘の正否を、その態度が何よりも明らかにもの語っていた。
「流石は櫻井理論の提唱者様だ。そのとおり、ぶっちゃけとっくに限界だよ」
言って、彼はこほっ、と咳き込んだ。口元を抑えていた手が離され、掌がフィーネに向けられる。そこには、べったりと血糊がついていた。
自動調節機能があるとはいえ、それは起動を何度も繰り返さなければ効果を発揮しない。使用すれば間違いなく二課に察知されてしまうそれを、頻繁に行うわけにもいかなかった彼がギアを起動した回数は、まだたったの三回だ。
例えるなら、着ぐるみを着て車の運転をするようなもの。慣れればなんとかなるかも知れないが、一回二回の練習で実行に移せば、どうなるかは火を見るよりも明らかだろう。
「では、私の勝ちだ。お前が消えれば、もはや私を止められるものは一人もいなくなる」
軽い皮肉の混ざった零の自白に、フィーネは少しの後悔を滲ませながらも、無情に告げた。
これで終わりだ。彼女の大願が果たされるには、もう一度カ・ディンギルを組み直す必要があり、それには長い時間がかかる。そしてその計画に、零の存在は邪魔以外の何者でもない。
言わば、最後通告。語ることは既になしと、フィーネは無言で鎧に接続された鞭刃を握った。
そんな、覚悟を決めた様子の彼女を前に、しかし彼は笑った。くつくつと声を漏らし、不敵な笑みを浮かべていた。
「嘗めるなよ、人間」
簡潔にして、冷徹。常人ならば怖気に支配され、身体を動かすことすら叶わなくなる程の威圧感と共に放たれたその言葉に、フィーネは落胆の様子を見せる。
「やはり、お前は違う。あの方は、傲慢では無かった」
寂寥感の漂う声で、零に、というよりは自らに言い聞かせるかのように声を漏らすフィーネ。確かに彼らしくも無い、傲慢さを感じさせる言い草だ。
―――
「いや、傲慢なのはお前だよ。空に佇む神ばかり見上げて、同じ地を歩く人を見ていなかったか?」
続いたその言葉に、彼女は訝しげに顔を訝しげにしかめ―――
「おォォおおおおおおあああああァァっっ!!」
―――るより先に、背後より響いた絶叫に、弾かれたように振り返った。
視線の先には、人影が一つ。仄暗い空を背に接近するそれが纏うは、目を焦がす程に鮮やかな、夕焼けすらも霞ませる橙色の鎧。そしてそれと同じ色彩を放つ長髪をなびかせる彼女は、元二課装者、
身の丈を越える程の大槍を振りかざし、荒々しい気勢とともに吶喊してくる彼女に、零は応えるように告げる。
「
光を反射し、眩く煌めく槍の穂先が、瞠目するフィーネ目がけて、一切の呵責なく突き出された。