戦姫絶唱シンフォギアUF   作:あたまくら

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 シンフォギアはモブに厳しい、と揶揄されるけど。別に主要キャラに優しいわけでもないんですよね。


















八話:笑顔が力になるのなら

 

 

 ただひたすらに突き進んで、ただひたすらに守り抜いて。

 

 

 そうしたら、いつの間にか、終わりが見えていた。

 

 

 そこでふと、振り返ってみたのだ。

 

 

 すると、今まで積み重ねたものが、置いて行かないでくれ、とこちらを見つめていた。

 

 

 でも、もう止まるには遅すぎた。

 

 

 手に持つ切符は片道で、帰りの分なんてものは無い。

 

 

 だから俺は、誰かにこの想いを、受け継いで欲しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ひび……き?」

 

 翼が悲痛な叫びを上げるのと同時、戦場を囲む紫の壁の、外側で。

 小日向未来は呆然と、ぐったりと横たわる親友の名を呼んだ。

 広がってゆく血溜まりの端で、横向きに倒れる彼女は、ピクリとも動かない。吐き零した鮮血に彩られた口元とは対象的に、その顔色は青白く染まっている。泥に汚れくすんだ茶髪の間から、僅かに覗く瞳にもう光は宿っていなかった。

 それらを認識して初めて、彼女は起こった事実を理解する。

 

 「響、響ぃ!? しっかりして、響ぃっ!!」

 

 焦燥をその顔に滲ませながら親友の元に駆け寄ろうとして、彼女は自分達を隔てる壁の存在を思い出す。

 躊躇なく振り下ろされた右手が、薄紫に発光する障壁を叩いた。弦十郎の拳すら阻むそれが、彼女の細腕一つで歪むはずもなく、ただ鈍い痛みだけが返される。

 それでも彼女は、その壁を叩き続ける。掛け替えの無い友の名を呼びながら、瞳からこぼれ落ちる涙を拭おうともせずに。必至に、小日向未来は壁に拳を打ち付け続けた。

 痛ましさすら感じさせるその様子に、彼女の横に立つ弦十郎は、内心のやるせなさを堪えるように目を閉じた。

 

 そして、ちょうどその瞬間。トクン、と、止まっていたはずの心臓を拍動させ、立花響が、僅かに身動ぎした。

 どうしてか、希望よりも不気味さを強く感じさせる彼女の有様は、しかし未来のにじむ視界にも、弦十郎の閉じた瞳にも、映されることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『………………ぇ…………』

 

 身体が、動かない。脳がいくら命令を入力しても、壊れた各部はそれを遂行できない。

 耐え難い痛みと苦しさに、何度も何度もぬめりを帯びた液体が口から吐き出される。

 

 『ねぇ………』

 

 靄がかかったようにはっきりとしない感覚が、しかし朧気に掛けられる声を認識した。聴いたことのある、しかしはっきりとは思い出せない声だ。

 同時に、視界に誰かの顔が入り込む。その顔は、身を横たえた私を、屈んで覗き込むようにして見つめていた。

 

 「だ……れ、です………か…………?」

 

 掠れた、弱々しい声で、私はそう尋ねる。同時に、この場所が、自分が先刻までいた戦場ではないことを理解した。そうで無ければ、こんな悠長な会話などできるはずも無い。

 眼の前の存在は、おかしそうに、楽しそうに嗤って、口を開いた。

 

 『誰でも良いじゃない。

 ―――そんなことより、何かお願いは無い?』

 「おね…………、が、い………?」

 

 じっ、と近づけられた顔に、どこか見覚えがあるような気がして。困惑と共に、私は問われた言葉を反芻する。

 

 『そ、お願い。何でも良いよ、大体の事は叶えてあげられる。

 でも、早めに決めてね。時間、もうあんまり無いから』

 

 ああ、そういえば。先程よりも、更に意識が薄れているような気がする。まるで、何かに塗り潰されているみたいに。

 縋るものを求めて、重たい手を動かす。追って、ちゃぷん、と、水っぽい音が響いた。

 訝しげに、見上げていた彼女の顔から、視線を下げて、気づく。

 

 血溜まりが、そこにあった。吐きこぼした液体が注がれて出来た、鮮やかな赤い海。

 でもそれに、実体は無い。これは身体じゃなくて、心が流したもの。ズタズタになった胸の内側から、とめどなく溢れ出したものだ。

 

 「そう………、だ……」

 『何?』

 

 思わず漏れた呟きを、耳聡く聞きつけ、少女が続きを促す。

 

 「れい……、さ…ん…………」

 

 この傷は、あの人に付けられた。何も語ることなく、私達に背を向けた、憧れの人に。

 蹴られたことよりも、何よりも、そのことが痛かった。固めた心の奥の、柔らかいところに、彼の拒絶が突き刺さった。

 

 『それで? あの人をどうしたいの?』

 

 思い返した事実に、傷を重ねる胸を押さえる私に、彼女は最後の問を投げかけた。

 

 

 「わた………、し…、は」

 

 ―――どうしたい、のだ?

 それに対する答えを、私はまだ持っていない。

 

 話す。訳を聞く。説得する。

 思い浮かんだそれらは、自分でしかできないこと。だが今の彼を相手にして、一足飛びにその段階まで至ることなど不可能だ。

 まず最初に、止めなくてはならない。抑え込まなくてはならない。

 そのためには、何が必要だ? 今の自分には何が足りない?

 熱に浮かされたように上手く働かない頭が、それでも曖昧な思考から一つの答えを導き出した。

 

 「………………を」

 『ん?』

 

 良いのだろうか。どこか、違っているような気がする。そもそも問の答えにすらなっていない。

 けれど、駄目だ。意識が定まらない。思考が纏まらない。次第にこれが一番の解決法に思えてきた。

 彼女は優しげな微笑を湛えたまま、振り絞るようにして言葉を紡ぎ出そうとする私を待つ。

 要領を得なかった呻き声が、漸く意味を持った言葉の羅列となって、口から吐き出された。

 

 「ちか……、ら……を」

 

 欲しい、ものは。繋ぐための、握るための手を、彼に届かせるのに、必要なものは。

 

 「()()……、くだ……さ、い」

 

 それ以外に、考えつかなかった。

 

 『あは』

 

 私の返答を受けた彼女の口が、三日月の形に歪み、長い犬歯を口の端から零れさせた。湧き上がる愉悦が滲み出たような、狂気を感じさせる笑みだった。

 

 『数ある選択肢の中から、(ソレ)を選んでくれるとはねぇ……。

 オッケー、任せて。あなたのお願い、喜んで叶えてあげる。()()()()()()()()()()()()―――』

 

 どこか感慨げに呟いた彼女が、私の願いに是と答えた瞬間、張り詰めていた意識の糸が、ぷつりと途切れた。

 かすれた瞳が映す視界は更にぼやけ、脳は思考を完全に放棄した。身体中を苛んでいた苦痛は残滓すら残さず消失し、同時に意識が風に吹かれたように霧散する。

 機能停止に陥った私は、あとに続けられた言葉の意味を膾炙することすらできなかった。

 

 『―――()()()()

 

 無論、最後に聞こえた、その声の意味も

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翼は、絶叫した。戦場で、一分の隙すら見せてはならないはずの、死地で。

 本来なら、彼女がゼロから意識を切ることは、ありえないはずだった。味方が蹴り飛ばされたとしても、防人として戦場に身を置き続けてきた翼は、鉄の意志でその事実を意識の外に追いやっただろう。

 

 ―――だが。

 

 (なんの音だ、あれは……?)

 

 響の生み出した僅かな猶予を活かすために、彼女の中身の潰れる音を、意識の外に追いやった。骨のひしゃげる音も、血の逆流する音も、圧迫された肺から空気が押し出される音も、全て、聞こえないふりをした。

 

 しかし、その音だけは、聞き逃がせなかった。機械仕掛けの鎧が砕ける華奢な破砕音とは異なる、何か硬質な塊が砕けるような、高い音。

 そんな不気味な音が、()()()()()()()()()、奏でられたのだ。

 

 故に翼は振り向き、直視し、認識してしまった。彼女の瞳から、光が消えたことを。取り返しのつかない深手を負ったことを。

 

 そして、自分がゼロから視線を逸し、声を上げている事に気づいた瞬間、翼は自分の死を確信した。

 

 直後、彼女の視界は、爆風に塗り潰された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――その一射は、偶然だった。

 

 

 イチイバルの装者、雪音クリスは、この戦いに追いつけていなかった。肉体的な意味でも、精神的な意味でも。

 そもそも彼女は、敵対者が何者なのかすらよく分かっていない。先程まではこちらに加勢していた男が、なぜこの土壇場でわざわざ敵に回ることを選んだのか、全く理解が追いつかない。

 とはいえ、各々驚愕や悲哀の表情を見せる他の装者達は、とても彼の詳細を聞けるような状態ではなかった。

 故に彼女のこの戦闘における闘志は、他の者が秘めるそれに、一歩劣る。

 しかしそれでも、やらねばやられる、という状況を固められてしまえば、敵の素性などあまり大きな問題ではない。むしろ無駄な葛藤を持ち込まずに済む分、コンディションに与える影響は少ないといえた。

 

 最大の障害は、彼女のギアの性能の問題だ。

 他に比べて劣る、などということは一切ない。遠距離から大火力を叩き込む彼女のギアは十分に強力だ。ただその特徴上、彼女はこういった多対一の戦闘では援護に回らざるを得ない。

 近接戦が可能であれば違ったのかも知れないが、クリスは結果として、未だにただの一射も放てていなかった。

 

 防御という明確なプラスを生む行動が存在する前衛とは違い、後衛には全ての行動に行うべきかそうでないかの是非が付随する。

 

 単純に言えば、取れる行動が制限されるのだ。

 味方と敵が打ち合っている最中に絨毯射撃など以ての外であるし、敵だけでなく味方の動きも予測して撃たねばならない。

 無論それを可能とする能力をクリスは備えているのだが、今回に限っては相手が悪過ぎた。

 

 最初に叩きつけられた殺気に、戸惑いを捨て戦闘態勢をとったクリス。

 直後、ゼロの姿がかき消え、ほぼ同時に背後で交錯音が響いていた。理解が追い付かぬまま、半ば反射的に振り向いてみれば、眼前にはゼロの刃を受け止める翼の姿が。

 瞠目し硬直する彼女の傍らをすり抜けるようにして、奏が加勢に入る。

 そこでようやく、クリスは我に返った。敵対者の異常なまでの速度と、それを辛うじてだが受け止めた翼に対する畏怖を押し殺して、彼女は二人の助勢に入ろうとした。

 ―――そして、気づいてしまった。

 

 『どこに撃っても意味が無い』ということに。

 

 まるで隙がない。当てられる射線、どころか相手の行動を阻害することができる場所すら見出だせないのだ。

 どこを狙おうと、今行っている動作に一切の影響が無いように対処される、それを確信させてしまうほどの実力差が、両者にはあった。

 

 (どうすりゃいいってんだよ……)

 

 そんな状況に、クリスは内心で悪態をつく。

 ダメ元で撃ってみる、という考えは最初に放棄した。全くそうなるとは思えないが、翼達が彼女の援護があると判断して、その集中を僅かにでも緩めてしまうかもしれないからだ。単純に気が散る、という可能性もある。

 万が一にも、彼女達の不利になるような行為を行ってはならないと、クリスは半ば脅迫観念のように自分に言い聞かせる。

 それは、コップに溢れる寸前まで張られた水に、指を突っ込むようなものだ。

 スレスレで保たれている危うい均衡に―――たとえ間もなくそれが崩れるのだとしても―――刺激を与えるような蛮勇を、彼女は持ち合わせていなかった。

 

 しかし、ここで新たな疑問が、鎌首をもたげる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 (やめろ、考えるな)

 

 クリスは生まれた疑問を、即座に拒絶し、胸の奥に押し込めようとした。

 だが、人間は意志に反する行為を、無意識に取ってしまう不合理な生物だ。

 一度頭に浮かんだその思考は容易には引き剥がせず、むしろどんどん大きなものとなって、彼女の脳のリソースを割いていく。

 

 もし、撃たずに現状を維持したとして、期待していた援護が来ないことに、翼達が集中を切らしてしまったとしたら。

 彼女達に限ってそれは無い、クリスはそう自分に言い聞かせるが、それは前者も同じことだ。撃ったとしても、撃たなかったとしても、それは一切のプラスを生まず、万に一つのマイナスを生み出す。

 八方塞がり、否、もっと酷い。此度は、留まることすら許されていないのだから。

 

 ―――いっそ、アタシをここから排除しちまうか。

 

 一瞬、破滅的な案が脳を過った。即座にそれを、最も行うべきではない行為と思い直す。

 そんなことをすれば、全員の意識を自分に集中させることになってしまう。

 

 「何考えてんだ……」

 

 彼女は募る焦燥から自棄になりかけた思考を、独り言を呟くことで落ち着かせた。しかし、状況は変わらないどころか、さらに悪い方向へと進みつつある。

 

 「あ…………」

 

 唐突に、クリスの口からか細い声が漏れた。

 心中の葛藤に意識を向けていた間に、奏が蹴り飛ばされていたのだ。

 何も出来なかった自分に対する諦念や虚脱感、怒りの入り混じった感情を、なんとか次の一手を導き出す為の力に変え、彼女は有効打になり得る射線を探す。

 

 無駄、意味無し、撃たない方がマシ、解らない。状況が動いても、クリスが何もできないという事実は変わることなく彼女を苛む。

 

カアン!

 

 硬質な激突音が、不毛な模索を続けるクリスの耳朶を打った。ゼロが奏に放った追撃を、翼の小太刀が間一髪で弾き飛ばしたのだ。

 

 (畜生がッ……!!)

 

 今のは自分にもできた、それを認識し、彼女は思わず毒づく。自分があの追撃を撃ち落としていれば、翼は一手速くゼロに攻撃を仕掛けられていた。

 自分が戦場に参加する、千載一遇のチャンス、それを逃してしまった。

 焦りから視野が狭まっていたことを自覚し、歯噛みする。後悔しても遅いと割り切れぬのは、己の未熟さ故か。

 

 思索に費やした僅かな時間の内に、翼とゼロの剣戟が始まっていた。一合目、翼が大きく打ち負け、一気に劣勢に陥った。

 彼女が次の斬撃を躱せ無いのは、近接戦を不得手と自覚しているクリスの目にも明らかだった。

 反射的に引き金に指をかけ、そこで一瞬、躊躇う。この段階になって尚、本当に撃つべきかという疑念が、汚泥のように彼女の心にへばりついていた。

 

 答えられぬ問を前にしたとき、人はそれをやり過ごそうと画策する。曖昧にはぐらかし、さも悩んでいるように周囲にアピールし、時間切れを待つ。

 彼女も、そうしてしまった。あれ程嫌った、憎んだ、唾棄すべき、大人と呼ばれる有象無象共と同じ様に。

 その代償が、仲間の命によって払われるということを、理解していたというのに。

 

 振るわれた翠緑の光刃が、体勢を崩した翼の首を刈り取らんと迫る。交錯の衝撃に痺れた両手は、得物を取り落とさぬように握るのが精一杯。防御など望むべくも無い。

 もはやクリスの援護は間に合わない。今更慌てて射撃を行ったところで、彼の刃はそれが届く前に翼の首を断ち切るだろう。

 そうして、彼女は撃たなかった自分を、撃てなかった自分を、必至に正当化する。

 

 (どのみち…………、結果は同じだ)

 

 自分を救い上げてくれた人達の想いが開花させた、この力。それを裏切ってしまった虚無感が彼女の心を埋め尽くしていく。諦めに表情を曇らせ、クリスは力なく項垂れた。

 

 (アタシは、何も………… ―――ッ!?)

 

 留まらぬ自責の念に、眼の前の戦場を放棄し、後ろ向きな思考に沈もうとする彼女は、しかし折れる寸前で、叫びを聞いた。

 

 「だあああああああああああッッ!!」

 

 弾かれるように上げた視線の先には、拳を握りしめた少女が―――立花響が居た。

 憎悪に駆られ、暴力に狂い、それを正しい行為だと信じていた以前の自分を、その歪んだ価値観ごと叩き潰し、目を覚まさせた彼女は。

 血を吐くような死闘の末に和解をなした相手を、憧れていた存在に砕かれ、誰よりも打ちのめされているはずの彼女は。

 それでも闘志をその目に宿し、絶望的なまでの力量差すら物ともせず、果敢に立ち向かっていた。

 その在り方は、クリスの、否、誰の目にも、太陽のように輝かしく映るのだろう。

 響の勇姿を目にした彼女の、諦念に呑み込まれた心に、一筋の希望の光が指した。

 

 

 ―――そしてその光は、すぐさま途切れ、儚く消えた。

 

 

 「…………え?」

 

 飛来した困惑が、か細い声となってクリスの口から漏れ出した。

 響の一撃のタイミングは、完璧だった。あの状態からでは、回避も迎撃も不可能だ。そのはず、だった。

 

 しかし、現実は違った。

 

 人体の構造上ありえぬ軌跡を描いたゼロの足先が、響の胸元に比喩なしで突き刺さった。グシャリ、という不気味な音が、離れた場所に立つクリスの耳にも、嫌にはっきりと聞こえた。

 鮮血を、傷口と口元からとめどなく溢れさせる彼女の身体が、浮いて、落ちるまでの一部始終。時が引き伸ばされたかのように、緩慢に行われるそれを目にしたクリスの内側で、何かが切れた。

 

 「うあああああああああああああああっっ!!」

 

 咆哮と共に、彼女は漸く引き金を引いた。そこに一切の思考はなく、意図はなく、策もなかった。

 ただ彼女の心と同様に、激情のままに暴発したに過ぎない。先程までの思索の全てを無意味と化す行為、しかし捨て鉢となったクリスに後悔は無く、妙な清々しさを感じてすらいた。

 故に、それは紛うことなき偶然だった。奇跡、と呼び替えても良い程の。

 その放たれた一射が、()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 響が致命傷を受けた事に動揺し、明確な隙を晒した翼に、ゼロは何故か追撃の素振りを見せなかった。

 右手の刃を振るうこともなく、左手に新たな武器を生成することもない。取った動作は、ただ翠玉の左眼を微かに見開いたことのみ。

 そして同時に、その瞳と同色の光が迸った。眼光が具現化されたかの如く、彼の瞳から一筋の光線が放たれたのだ。

 文字通りの光速で宙を駆ける極細の光は、翼に一切の反応を許さず、心臓目掛け真っ直ぐに伸びる。

 小数点から数字を10桁近く引き離す速度の一閃を、翼が回避する術はない。

 

 ―――だが、翼が命を落とすことは無かった。

 

 彼女の胸元に迫るエメラルドの軌跡に、赤い光が割り込んだ。クリスの撃ち放った光弾だ。奇跡的なタイミングでゼロと翼の間に到達したそれが、致命の緑光の行く手を阻み、接触する。

 直後、出自も構成材料も根本からかけ離れた二種のエネルギーが、物理法則の外側で反応を起こし、壮絶な爆発を発生させた。

 視界を塗り潰す爆風に驚愕する間もなく、翼は全身を衝撃に叩かれ、意識を喪失して無防備に吹き飛ばされる。

 まともな対応を行えず、即座に戦闘不能に陥った彼女とは対象的に、ゼロは表情を変えず、刃を一閃させ爆風の影響を遮断した。

 爆発の余波が収まり、視界を妨げる黒煙と粉塵が晴れる。ゼロの視線が、己の一撃を辛うじて防いだものに向けられた。

 先程までは意識に入っていなかった、入れる必要は無いと判断していた少女に対する警戒を、彼は極僅かではあるが引き上げたのだ。

 否、追加した、と言うべきか。

 そもそも彼は、彼女がこの戦場に参加している、とすら認識していなかったのだから。

 

 

 

 

 

 逆上、後悔、放心、困惑、歓喜、恐怖。

 眼の前で繰り広げられた光景に対する、彼女の感情の変化は、概ねこのようなものだった。

 もはや誤射と呼ばれても反論できないほどの、怒り任せに撃ち込んだ弾丸が、あまりにも不自然な爆発を起こした。

 呆気にとられるのも一瞬、気付けば翼が爆風に煽られ、宙を舞っていた。脱力し切った身体、彼女が気絶していることは明らかであり、それを認識してはじめて、彼女は自分の成したことを理解した。

 

 (ああ……、なんだ)

 

 不謹慎、と言われても詮無いことではあるが、彼女は翼の死を確信していた。

 あの体勢から持ち直すには、それなりの時間と集中が必要だ。そしてそれを割くことを許すほど、敵対者は甘くない。

 その彼女が、死を免れた。それはつまり、自分の一射がゼロの攻撃を相殺、とまではいかなくとも、その威力をある程度減退せしめたということだ。

 クリスは漸く、この戦場に、戦士の一人として、参加したのだ。

 

 風切り音。眼前に銀の影が出現する。脅威となりうる可能性が存在するのであれば、それがどれだけ小さくとも、今のゼロが見過ごす理由にはならない。

 わざわざ距離を詰めたのも、彼女の近接戦闘の技術が低いことを考慮に入れてのことだった。

 

 スッ、と。

 滑らかな、惚れ惚れするほどの動作で、彼が腕を振りかぶる。

 

 (……あたし、役に立ったじゃん)

 

 その思考を最後に、クリスの意識は断絶した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゆっくりとした動作で、彼女は立ち上がった。そして顔を上げ、剣呑な光を宿した両眼で、こちらに背を向ける青年を見据える。

 一拍おいて、青年―――ゼロが振り返り、奏と視線を合わせた。相変わらず、その表情は張り付けた能面のまま。

 視界の端を過ぎった赤いものが、緩やかな弧を描いて地面に落下する。ガジャッ、と、落下の衝撃と、それに砕かれた機械仕掛けの鎧が、鈍い音を奏でた。

 彼に弾き飛ばされたクリスが、意識を刈り取られ、受け身も取れずに地に落ちたのだ。

 一瞬だけ、奏は地に伏せる少女に視線を送る。

 僅かだが、肩が上下していた。息の根は止まっていない。しかし戦闘不能であることは明らかだ。

 

 『……大丈夫か?』

 

 限定解除により後付された能力で、奏は念話を試みる。無論、誰からも答えが返ってくることはない。

 全身の装甲を砕かれ、仰向けに倒れた翼。血溜まりに沈んだ、生死すら定かではない響。

 彼女達に順に視線を移し、奏はギリィ、と激情を抑え込むように歯を軋ませた。

 

  

 ―――天羽奏は、この状況をどこか楽観視していた。

 戦場を長く離れていたこと。ゼロに命を救われたこと。響達がクリスと和解を果たしたこと。 

 彼の本気の殺意を浴びて尚、彼女は心の内で、どうにかなるのでは無いか、と考えていた。

 

 その結果がこれだ。

 蹴り飛ばされ、地に落ち、起き上がるまでの間に、仲間達は全滅した。尤も、彼女が全霊を尽くしたところで、この筋書きにはなんの変化も起こりはしない。

 だが、死力を尽くせなかったという事実は、彼女の胸に重くのしかかる。

 沸々と、心の奥底から、煮え立つように湧き上がる憤怒は、誰に向けた物か。視線の先に悠然と立つ青年、もしくは自分自身かもしれない。

 行き場の定まらぬ激情が、堰を切ったように、言葉となって溢れ出る。

 

 「なんで……、なんでだ? 零。何がしたいんだよ。何が目的なんだ? あたしらと敵対する理由はなんなんだ? 教えろよ。言ってくれなきゃ、解かんねえよ……」

 

 重ねられる問いに、しかしゼロは、無言を貫くばかりだった。身を切るような冷たさを孕んだ瞳には、何の感情の変化も見られない。

 

 「…………………そうかよ」

 

 そんなゼロの様子に、奏はそれだけを呟いた。やりきれなさと、諦念。二つの感情がせめぎ合う、切なさを秘めた呟きにも、彼は反応を返さない。

 奏が、もう語ることは無いとばかりに、手に持つ槍を構えた。それを見たゼロもまた、翠緑の光を収束させ、一振りの光槍を生み出し、構える。

 その行動に、奏はほんの一瞬だけ表情に驚きを滲ませ、即座に引き締めた。

 

 膠着は無く。

 次の瞬間、二人は同時に大地を蹴った。

 

 

 

 ボジュッ、と、空気を焦がしながら、奏の槍がゼロへと突き出される。過たず急所への最短経路を辿り、現状の出力で実現しうる最速で。お手本通りの、完璧な突き。

 

 ―――故に、最高には程遠い。

 

 槍を持つ腕を伸ばし切り、刺突が最高速に達する、その直前。

 自らに迫る鋭刃の、その穂先の先端、極小の一点を、ゼロが穿ち抜いた。

 硬質な交錯音、弾ける火花、ついで、奏の槍が跳ね上げられる。急所に到達した瞬間の最大威力を見越して放たれた一撃と、それを迎撃する瞬間に最大威力を発揮するよう放たれた一撃。  

 同時に放たれた両者の内、どちらが勝るか。結果は明らかだった。

 

 「ぐっ…………」

 

 続く一撃を、身体を捻り辛うじて躱す。無理な回避が各部の靭帯に無視し難い負荷を与え、耐えかねた奏が呻き声を漏らした。  

 

 最速の一撃を繰り出し続けるだけでは、戦いには勝てない。緩急をつけねば、それは完璧から、ただ読みやすいだけの攻撃へとなり下がる。

 その緩急の程度は、培ってきた戦闘経験、つまりは勘で決定するしかない。

 そしてそれは、今の彼女ではどう足掻いても手に入れることのできないものであった。

 

 この時点で、彼女の勝利の目は既に消えていた。

 当然だろう。力量で上を行かれている相手に、機先を制されてしまったのだから。

 

 ヒュッ、と、奏の頬の直ぐ側を、翠の穂先が通過した。僅かにかすめたのか、皮膚に一筋の線が刻まれ、赤く滲む。

 その裂傷が生んだ痛みを、皮膚が神経に伝達するより早く、彼女は身を屈めた。直後、頭上をゼロの槍が薙ぎ払う。急な動作に追いつけず、頭上の空間に残留していた髪の数房が、それに巻き込まれて切断された。

 視界に入り込む橙色の糸を煩わしく思いながら、今度は転がるようにして斜め後方に移動。回転する視界の中で、先程まで彼女がいた場所に槍が振り下ろされ、地面が豆腐のように断たれた。

 もし一秒でも反応が遅れていれば、自分も同様に両断されていたことを否応なく理解させるその光景に、奏は冷や汗を流す。

 

 彼女は気付いていない。実際には、与えられていた猶予は、その想像の十分の一にも満たないということに。

 最初の激突から奏が下がるまでの攻防は、一秒足らずの間に行われた出来事だ。

 ウルトラマンエックスカプセルによる適合係数の上昇と、限定解除による性能の飛躍が、彼女の戦闘能力を跳ね上げていた。音速を優に超える別次元の攻防を交わせたのも、そのためだ。

 それを奏が自覚していないのは、無意識の適応や、ギアによる自動調整、ゼロとの隔絶した力の差が要因となって、実感が得られていないからだ。

 彼女が曲がりなりにも戦えている理由の大半は、ギアのスペック上昇に帰結する。

 そうで無ければ、翼に技量で劣る今の奏に、ゼロとまともな戦闘を繰り広げることなど望むべくも無い。他の装者と同じく、瞬きの間に意識を刈り取られるのが関の山だっただろう。それほどの差が、彼女達とゼロの間にはあるのだ。

 そしてその差は、たかだか一つのカプセル程度で覆せるものではない。

 

 

 再度の交錯。今度は同時ではなく、ゼロが先に動いた。当然のように打ち負け、体勢を崩した奏に、容赦のない追撃が襲いかかる。

 扇を描くように振り抜かれた槍を、そのまま後ろに倒れ込みながら回避する。鼻先数ミリ上を通り抜けた翠緑の光に冷や汗を流す間もなく、薙がれた空気が弾け、彼女の顔を打ち付ける。

 両足を踏ん張れるような状態にない彼女の身体は、その風圧に耐えかね地面に叩きつけられた。

 頭部を打撲したせいか、一瞬意識が飛びかける。が、無論敵は待ってくれない。

 直後、ぶんっ、と空気を裂いて、鮮やかな翡翠の煌めきが、振り下ろされた。

 

キィィィンンッ!!

 

 甲高い金属音と共に、火花が弾けた。とっさに槍を掲げた奏が、その柄でゼロの一撃を受け止めたのだ。

 尋常ではない衝撃が彼女を介して地面に伝播し、無数の亀裂を刻み込んだ。骨折を疑うほどの激痛が駆け巡った腕に、彼女はそれでも力を込め、絶えず肉体を苛み続ける重圧に耐え忍んだ。

 兇器は徐々に柄に食い込む。槍が悲鳴じみた異音を響かせ、彼女の焦燥を深めていく。

 辛うじて自分の命を繋ぎとめているそれが断ち切られる前に、この状況を脱しなければならない。

 起死回生を賭けて、奏は軋みを上げる両腕に、粉砕覚悟で全霊を込め、押し込んだ。

 

 ―――そしてその賭けに、彼女は敗北した。

 直後、彼女の全身に途切れることなくのしかかっていた負荷が、消失した。唐突に槍を引き戻したゼロが、行き場を失った力に振り回される奏の横腹に、痛烈な蹴りを叩き込む。

 

 「ガッ……!?」

 

 絞り出すような苦悶の声と共に、彼女の身体は風に煽られる木の葉の如く宙を舞った。

 ほとんど浮き上がることなく、地面すれすれの軌道を描いて空中を駆けた奏が、急角度で地に突っ込む。数度、水切りのようにバウンドを繰り返し、ようやく彼女は停止した。

 

 「……っああ…、ゲホッ」

 

 全身をしたたか打ち付けた奏が、咳込みながら身を起こす。気を失わなかったのは、性能向上の恩恵か。

 ズキズキと痛みを訴える脇腹を庇うように抑え、立ち上がろうとして漸く、彼女は目の前に立つ存在を認識した。

 顔を上げた奏の視線の先では、無機質な瞳で彼女を見下ろすゼロが、断頭台の様に手に持つ光槍を掲げていた。

 

 (ここまでか……………)

 

 蹴り飛ばされたときに手放した槍は、手の届く場所にはない。新たな武具を作り出す猶予も、今の彼女には与えられていない。

 つまりは、詰みだ。彼女の敗北は決定した。

 

 (―――それでも…………)

 

 しかし彼女の目に、絶望は無かった。その瞳にはまだ、確かな闘志が、爛々と燃え盛っている。

 

 「諦められねえよ、なっ!!」

 

 なけなしの力を腕に注ぎ、同じギアを纏う後輩、かつて守った少女の様に、奏は固く握りしめた拳を突き出した。

 悪足掻きだ。そもそも槍を主体にした戦闘スタイルを取る彼女は、拳撃に習熟していない。

 込められた力はあまりにも乏しく、彼に傷をつけるには遠く及ばない。

 故に、ゼロはそのささやかな抵抗に意識を割くことなく、手に持つ槍を振り下ろす―――

 

パシィッ

 

 ―――はずだった。

 だが彼は、その苦し紛れの一撃を、わざわざ攻撃の手を止めて、受け止めていた。

 拳に宿る、得体の知れない力。それがゼロに防御という行動を選択させ、僅かな時間を稼いだ。

 

 そしてその数瞬が、奏の生死を分けた。

 

 ゼロが掴んだ拳ごと、奏の身体を引き上げる。

 反撃の手を封じ、そのままとどめを刺そうとした彼は、しかし次の瞬間、彼女を放り出し、大きく後ろに飛んだ。

 直後、その間に割り込むようにして、黒い影が着弾する。轟音と共に地面が砕け散り、巻き上げられた破片が辺りに飛び散った。

 身体を揺さぶる衝撃に仰け反った奏が目を開けた、その瞬間。

 

 

 「■■■■■■■■■■■■―――ッッ!!」

 

 もうもうと立ち込める土煙に隠された何者かが、咆哮した。

 否、その正体等、解り切っている。この戦場に、今このタイミングで、参戦できるものなど、たった一人しかいない。

 ただその事実を、彼女が認めたくないだけだ。

 

 身も心も凍りつくようなその雄叫びに、倒れ伏していた二人の装者が、弾かれるように覚醒した。

 驚愕の表情を貼り付けたまま、彼女達は轟音の発生地、無数に走る亀裂の中心へと目を向ける。

 

 ボゥッ!! と。

 内側から爆ぜ飛ぶようにして、視界を妨げる煙が晴れた。そこに立っていたのは、獣のようなナニカ。

 光という光を執拗に排除した、混じり気のない漆黒に肉体を染め上げ、瞳に血の色の狂気を宿した彼女は。

 

 「そん………、な………」

 「う……、そ…だろ……」

 

 紛れもなく、立花響その人であった。

 呆然と声を漏らし、翼とクリスは座り込んだまま硬直する。眼の前の事実に打ちのめされる彼女達に、立ち上がれるだけの力はない。

 激情や、デュランダルを原因として引き起こされる暴走現象。その詳細については、何一つ分かっていない。

 言葉を掛け、触れあえば、正気を取り戻させることは可能だ。だが、そんな悠長なことをする猶予は、この戦場には存在しない。

 彼女を狂気の坩堝から掬い上げることは、彼女達にはできないのだ。

 装者たちはそれを理解し、力無くうなだれた。 

 

 ただの一咆えで、その場全ての人の心を圧し折る程の衝撃を与えた響。

 その視線が、唯一感情の動きを見せなかったゼロに向けられる。ガクリ、と体を前に大きく傾け、鉤爪の如く曲げた五指を地に突き刺した。

 食いしばられた牙が、ギリィ、と耳障りな音を立て、隙間から呻き声を漏らす。

 次の瞬間、彼女は背後の奏には目もくれず、視線の先の銀影に飛びかかった。跳躍の衝撃で抉られた地面が、微細な破片となってへたり込む奏に吹きかかる。

 

 「ゲホッ、ゴホッ……」

 

 堪らず咳き込む彼女を尻目に、両者は激突した。

 

 空中で振りかぶられた右腕が、ドス黒い軌跡を描いて、ゼロ目掛け振り下ろされる。

 数センチほど伸びた爪が、虚しく空気を裂き、風切り音を奏でた。ゼロが、僅かに上体を後ろに反らしただけで、響の凶手を躱したのだ。

 彼は空振りの影響で体勢を崩した彼女の首を、上から抑え込むようにして蹴りつける。

 ミシィ、という嫌な音を響かせ、黒く染まった肢体が顔面から地に叩きつけられた。

 先ほどまでの耐久力なら、頭蓋を砕かれていただろう一撃。いくらスペックが向上しようとも、その衝撃を耐え切るには届かない。

 蹴られた頚椎が音を立ててへし折れ、上下からの圧力が頭骨に罅を入れる。砕かれた地面が歪な形状へと変わり、押し付けられる顔の至る所に突き刺さった。

 その与えた損傷、十二分に命を奪えるだろう深手を把握しながら、しかしゼロは攻撃の手を緩めない。

 軸足はそのままに足を跳ね上げ、即座にそれを振り下ろす。断頭台めいた勢いで落とされる踵が、地に伏す響の背に着弾した。

 内包された衝撃が爆ぜ、背骨ごと彼女の中に潜む異物を微塵に粉砕し、身体を地面にめり込ませる。容赦の無い、過剰なまでの追撃。やり過ぎだ、と、誰もがそう思った。

 

 ―――ただ、彼だけを除いて。

 

 攻勢にあったはずのゼロが、唐突に後ろに飛び退いた。不可解とも取れる行動に対する答えは、直後に示される。

 ゴバッ、と、轟音を響かせ、地が爆ぜた。距離を取ったゼロの元に到達する程の勢いで巻き上げられる土砂。それを突っ切る様にして、深々と抉られた地面から影が跳躍する。

 顕になった彼女は、全くの、無傷だった。

 

 そもそもの話、彼女は既にゼロによって致命傷を負わされている。止まっていた心臓が何らかのショックで動いたのだとしても、その他の重要な器官をずたずたに引き裂かれた彼女の身体に、ここまで荒々しく動き回れるだけの機能など残っているはずもない。

 つまり響の現状は、その傷が完治したということの証明にほかならないのだ。

 

 ダメージを感じさせない―――既に癒えているのだから当然だが―――俊敏な動作で、ゼロに肉薄する響。

 まともな思考を放り捨てた彼女は、もとの戦闘スタイルも相まって、がむしゃらに懐に潜り込もうとする。

 しかし、無策同然の単純な吶喊が、格上である彼に通用するはずもない。

 大幅な戦闘力の向上と引き換えに、仲間との協調、ギアの変形、更には真っ直ぐな想いまでも失った今の彼女は、師たる弦十郎の型落ちそのもの。

 大振りの爪撃は最低限の動作で透かされ、代わりとばかりに顎を蹴り上げられる。意識を飛ばす程度では収まらず、首から上をちぎり飛ばせるほどの衝撃に見舞われ、可動域ぎりぎりまで彼女の顔が傾いた。

 脳を激しく揺らされ、脱力し切ったはずの彼女の身体が、しかしマリオネットのように動き出す。

 身体の各部が、それぞれ意思を持ったかのような、統制の取れない挙動でゼロに殺到した。

 

 「■■■■■■ッ!?」

 

 ―――次の瞬間、響は宙を舞っていた。

 

 他の者が相手なら撹乱できたかもしれないが、彼には子供騙しにもなりはしない。

 惑わされることなく攻撃を掻い潜ったゼロの拳は、彼女の顔面を過たず捉えていたのだ。

 

 死に体を晒す響に、容赦の無い追撃が襲いかかる。

 実際には、飛行能力を獲得した以上、宙に浮かされることはそれほど致命的な問題ではない。

 

 ただ、万全の体勢だろうが何だろうが、ゼロの前では全て等しく、死に体なのだ。

 

 伸ばされた右脚が、神速を以て振り切られる。摩擦によって空気中のチリを自然発火させたそれは、紅蓮の弧を描き響の脇腹ヘ直撃した。

 熱したナイフをバターに押し当てるかのような滑らかさで、黒い肢体に炎上した脚が潜り込んでゆく。そのまま上下に両断されるかに見えた響の身体は、しかし寸前で差し込まれた右腕を犠牲にして、かろうじて繋がった。

 纏わりつく炎が傷口を炙ったせいか、血しぶきを撒き散らすような分かりやすい惨状にはならなかったが、それでも千切れかけた胴や宙を舞う腕は、各々に少なくない衝撃を与えた。

 

 息を呑む奏と翼、逆上するクリス、恐慌に陥る未来。

他の者に関しても、表に出た行為に多少の差異はあれ、それを成した原動力は同じである。

 即ち、立花響の死だ。

 

 常識的に考えれば、彼らがそう判断するのは無理からぬ事。あれだけの傷を受けて、生きていられる者などいるはずも無い。

 

 だが、今彼らの眼の前で死合う両者は、共に理外の存在。

 

 故にその悲哀は、その憤怒は、裏切られる。

 

 

 重力に引かれた響の身体が、着地した。二本の足で、地を踏みしめて。垂れ下がりかけた上体が継がれ、起き上がる。

 その光景に、垣間見えたものに、人は戦慄した。

 

 焼き潰されたはずの断面を突き破り、水平に走った傷を接合したものは、金色の鉱石。およそ人の体内に含まれるはずの無い物質だった。

 その正体は、二年前に響の体に埋め込まれたガングニールの破片。起動と共に宿主の中で肥大化し続けてきたそれは、既に彼女の肉体を侵食し尽くしていた。

 受けた損傷を埋めることでその版図を広げ、響と同化する。生きた聖遺物となることで、更に出力を向上させる。そうして作り出された莫大なエネルギーが、死に瀕した彼女を蘇生したのだ。

 けれどそれは、小さな蠟燭に灯った火に、ガソリンをぶちまけるが如き蛮行だ。ほんの一時、その火は激しく燃え盛るだろう。豪々と、ちっぽけな蠟など跡形もなく溶かし尽くしてしまうほどに。

 そして、消えるのだ。燃料も火種も残らず使い果たして、呆気なく、消えるのだ。

 

 断たれた腕が、生えた。燃料(彼女の身体)を喰い潰して。全快した肉体を躍動させ、響は再びゼロに飛びかかる。

 それはあまりにも無謀な、突撃だった。

 

 ゴッ、と、鈍い音がして、彼女の顔に足がめり込む。腕よりも、脚のほうが長い。そもそもの体格差もある。

 正面から殴り合うのは、あまりにも分が悪い。

 そんな当然の事実すら理解できない今の響に、勝ち目など無かった。

 逆の足で放たれた蹴りが、仰け反る響の顔面に直撃する。首が捻れて後ろに回り、すぐさま元に戻った。

 砕かれた骨の補強が終わると同時、肉薄したゼロが手刀を振り下ろした。咄嗟に後ろに跳ぶが間に合わず、響は肩から胸にかけてを深く切り裂かれる。

 反撃を許さず、再度距離を詰めたゼロは、固く握りしめた拳を腹に叩き込んだ。華奢な身体がくの字に折れ曲がり、吐瀉物混じりの血が地面を汚す。胸の裂傷は、まだ塞がっていなかった。

 距離を取る間もなく、次の攻撃が繰り出される。息もつかせぬ連撃。その度に臓器が弾け、骨が粉砕される。再生が追いつかなくなるまで、そう時間はかからなかった。

 着々と()()()()()()命。見る間に歪に変形した彼女の身体に、もはや迎撃の余力は残されていない。一部位の治癒を優先したとしても、彼の瞳は即座にそれを読み取り、狙いを定めてくる。

 

 そうしてついに、全ての部位が破壊された。拳撃、蹴撃はもちろん、頭突きに体当たり、噛みつきさえも行えない。四肢が繋がっていようとも、響の現状は達磨と変わりなかった。

 一方的に―――今までのように怯ませ続けて生み出した状況では無く―――ゼロが行動できる瞬間が、生まれた。

 

 そっと、壊れ物を扱うかのような優しい手付きで、彼は響の腹部に手を添わせた。以前の焼き直しのような、拍子抜けてしまう光景。

 ―――けれど込められた力は、まるで別物だった。

 

パシャン

 

 水風船が弾けるような、軽い破裂音が響いた。不自然に間が空いて、響が宙に浮かぶ。叫ぶこともなく、呻くこともなく、吠えることもなく、無音のまま空中を滑る彼女の身体が、瓦礫の山に激突した。

 無秩序に積み上げられたそれに、必然的に生じる隙間に潜り込み、ピンボールのように奥まで転がり落ちる。

 接触の際に駆け巡った衝撃が、彼女の中身を粉砕していた。肉も、骨も、それ以外も何もかも、ドロドロにすり潰されて血液と混じり、液状化していた。

 後付けされた再生機能など、追いつくはずもない程の、致命傷。

 一瞬、死を前にした反射か、汚泥のような破壊衝動の底から、響の意識が浮上した。

 

 『残念、ダメだったかぁ』

 

 間延びした、軽薄な声。今まさに事切れんとしている、自分の声。それが、最後に彼女が感じたものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翼は膝をついた。立ち上がろうとして、失敗したのだ。崩れ落ちる寸前の上体を、地面に突き刺した刀で支える。

 

 「ぐぅっ……」

 

 ただそれだけの動作を行うのにも、尋常ではない苦痛が付随する。臓器を損傷したのか、口の端からは血が滴り続けていた。

 

 「立……花っ……」

 

 かすれた声で、絞り出すように、後輩の名を呼ぶ。だが、当然返事はない。飲み込まれる様にして瓦礫の中に消えた彼女の生死は、その下手人にしか解らない。

 翼が、瓦礫の山から視線を移す。青色の両眼が見据えているのは、響を吹き飛ばした張本人―――ゼロだった。

 彼女の視線に気づいたのか、銀色の青年が振り返った。殺したのか、それとも手心を加えたのか、無機質な輝きを放つ瞳から、その答えをうかがい知ることはできない。

 軋みを上げる身体に負担をかけぬよう呼吸を整え、問を投げかけるための気力を捻出する。目を覚ましたのは響の咆哮が気つけとなっただけで、負ったダメージが回復した訳ではない。

 空すら軽々と駆けられた身体は鉛のように言うことを聞かず、思考は今にも飛びそうだ。全身を苛んでいたはずの痛みも、もはや感じられない。警告を発することをやめた痛覚は、肉体の各部器官は、既に翼の生存を諦めているのだ。

 だからこそ、問わねばならない。この意識が霧散し、消え果てる前に。どうせ死ぬのだから、なんて理屈で割り切れるようなものでは無い。

 霞がかった視界に、薄っすらと映り込む銀色の影を見つめ、翼は口を開き―――

 

 「てめぇっ!!」

 

 血に濡れた唇が震え、気道をせり上がる息を音へと変化させる、その寸前、怒気を帯びた声が、翼を遮った。

  

 「あ…………」

 

 声が、漏れた。耳朶を打った激情の籠もった叫びに、元の鮮明さを取り戻した視界の中で。彼の、黄金と翠玉の両眼は、変わらぬ輝きを放っていた。

 その美しさが、確信させたのだ。立花響は生きている、と。そして、自分も生き永らえる、と。

 根拠の無い楽観。死の淵での現実逃避。それは、そのどちらでも無かった。

 彼女は、無機質な、機械じみた彼の瞳の奥底に、確かな光を見たのだ。かつて彼に教えられた、心を。

 

 「れ、い…………」

 

 その確信が、彼女を持ち堪えさせた。刀の柄にかけた手になけなしの力を込め、無理矢理に身体を起こす。

 まだ、立てる、足掻ける。であるならば、諦めはもう捨てよう。剣を引き抜き、翼はもう一度、それを構えた。

 そうして立つのが、今の彼女の限界。震える足は、自重を支えることすら危うい。それでも翼は、血の滴る両手で柄を握り締め、倒れぬという意志を示し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 既にゼロの視線は声を発した者―――クリスの方に移っていた。銃爪に指を掛け、照準に収めたゼロを睨む彼女の瞳に、冷静さは無い。

 

 何もできなかった。一度ならず、二度までも。

 

 本能のまま、獣の如く暴れ狂う彼女に怖気づいたのか。それとも、ただ追随することができなかっただけか。

 どちらにせよ、それは己の無力故。尋常とはかけ離れた域の速度と威力の応酬を前に、それが響の敗北で終わるまで、呆けていることしかできなかった。

 

 なんて無様だ。自分には、これしか無いというのに。

 見るものを奮い立たせる、不思議な力を持った響とは違う。歌で、暴力のためでは無い、魅せるための歌で、人々を惹きつける翼や奏とも違う。

 

 ―――あたしは何も持っていない。

 馬鹿みたいに泣いて騒いで、壊すためだけに歌って残ったのは、あれほど憎み、嫌悪してやまない暴力だけ。

 そしてその唯一残ったものすら、何の役にも立ちはしなかった。こんな自分を友と呼んでくれた、あの少女の力になることもできやしない。

 だから、せめて一矢報い無ければ。そうしなければ、自分の存在する価値を示せない。否、見出だせないのだ。他ならぬ彼女自身が。彼女だけが、弱い自分を許せないのだ。

 沸々と煮え滾る、己への怒り。その苛烈な感情を闘志に変えて、クリスはゼロに銃口を向けた。

 完全な一対一。もう、躊躇う必要はない。気遣うべき仲間はすべて目の前の敵に倒された。

 

 次の瞬間、ゼロの姿がブレた。遅れて、銃声。その機構通りに吐き出された弾丸は、虚しく空を貫く。

 激情を隠そうともしない今の彼女は、とても読み易い。少なくともゼロの戦闘勘を持ってすれば、軌道から発射のタイミングまで何もかも、手に取るように解るだろう。

 そして、そんなことはクリス自身が一番良くわかっている。感情を制御し、冷徹に行動を起こせる程、自分が器用でないことも。

 だから、躱されることも織り込み済み。撃ち放った右とは逆、左手に握っていた拳銃は、全くの別のものに変化していた。ゼロが瞬時に距離を詰めて来ることを見越し、右手が反動で持ち上がると同時に、装備した()()()()()()で弾丸をバラ撒く。

 狙ったのは、己から見て右側。一丁では制圧できる範囲は限られている。どちら側から来るか。こればかりは運頼みだった。

 だが、彼女はこの策に、五分以上の可能性があるとみていた。()()()()()()()()()()()。翼の窮地を、闇雲に撃った一発で打破した。ならばきっと、今度も当たる。

 根拠も確証もない、馬鹿げた楽観。けれど、そもそも己の実力のみで、この化け物を相手にしようというのがおかしいのだ。

 

 (せめて今くらい、贔屓しやがれっ!!)

 

 ドブ沼に叩き落され、どん底まで沈んだ。その時でさえ、そいつは何もしてくれやしなかった。信じられるはずもない。

 けれど、こんな絶望的な戦い。神にでも祈らなきゃ、やってられない。

 果たして、天におわしますとかいう巫山戯た傍観主義野郎は、どうやらツケを払うことに決めたらしい。

 

 形成された弾幕が、銀色の影を捉えた。その間も銃身は絶えず回転し、弾丸を吐き出し続ける。確かな質量を持った金属塊の先端が、虚をつかれたのか静止の様子を見せないゼロに接触し―――

 

キィンッ

 

 ―――弾かれた。

 

 「は?」

 

 思わず、彼女は間抜けな声を漏らした。音を置き去りにした弾丸は、迫る青年に到達した端からあらぬ方向へと飛散していく。

 威力より量を優先したのが裏目に出た。だが、一発一発が対物ライフルに匹敵する弾丸の嵐を、生身で突破するなど、いくらなんでも非常識過ぎる。

 

 「がっ…………!?」

 

 横薙ぎの鋼雨を突っ切って伸ばされたゼロの右手が、クリスの喉元を捉えた。気道が塞がれる、が、頸動脈は圧迫されていない。落ちるまでに猶予はある。

 そう判断したクリスが、咄嗟に右手の銃を構えようとするが、遅かった。首にかけられた手は、あくまで、動きを封じるためのもの。本命、引き絞られた左手が、彼女の胸目掛け突き出された。

 

 (ああ…………)

 

 死んだ。そう確信した彼女は、しかし怯むことも、怖気づくことも無かった。間近にある能面の美貌を睨み据え、歯を剥き出しにして、不敵に笑ったのだ。

 ―――次の瞬間、ドッ、と鈍い衝撃が、身体を貫いた。

 

 「げほっ、ごほっ」

 

 喉輪が外れ、地に投げ出されたクリスが咳き込む。()()()()()()()()()()()()()()()()()()を交互に見やりながら。

 

 「なに、が……?」

 

 呆然と呟く少女の眼の前には、円筒状の小さな機械が六つ、宙に浮かび、燦然と輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒い塊が、滑らかな放物線を宙に描いた。そこで漸く、奏は驚愕の呪縛から解き放たれた。

 彼女は明確な目的も無く、ただ反射的に身を起こそうと試みる。

 

 「づっ……!?」

 

 支えにしようと動かした腕が、凄まじい激痛を訴えた。ゼロの一撃を受け止めた際に、既に砕けていたのだ。死が目前に見えたあのときは気にする余裕もなかったが、奏の身体はもう限界だった。

 ベチャリ、と、吐き出された血糊が地面に落ちる。壊れた身体を無理に動かそうとしたことで、傷ついた内臓に負荷がかかったのだ。

 

 「く、そ………」

 

 使いものにならない自分の身体に、思わず彼女は悪態をつく。

 だが、頭は冷えた。少なくとも、考え無しに駆け出し、ゼロに目をつけられるという最悪の事態は回避できた。痛みにより落ち着いた頭で、彼女は現在の状況を分析する。

 翼は満身創痍。今すぐにでも駆け寄って手を貸したいが、辛うじて自力で立つことのできる彼女より、自分の方が重傷なので自重する。

 クリスは健在。気勢を上げゼロに挑むだけの余力がある。だが、冷静さを失っている。あの状態では一秒持つかすら怪しい。

 好転する様子を全く見せない最悪の現状に、奏は焦燥だけを募らせていく。響に至っては生死すら定かでは無いのだ。

 それに、こうやって策を考える時間すら殆ど無い。

 

 (まずい……!)

 

 撒いた弾幕を素通りされ、クリスがゼロの手に捕らえられた。引き絞られた左手が放たれ、彼女の胸を貫通するまで、もう幾ばくも無い。

 伸ばそうとした手は、激痛を訴えるだけでピクリとも動かない。動いたところで間に合いはしないだろう。

 引き延ばされた様に緩慢な視界の中で、彼の手刀がクリスの胸に突き込まれる。

 

 (誰かッ!!)

 

 言葉になる前の、奏の悲痛な願いが、彼女の内心で紡がれた。

 

 ―――助けてくれ。

 あたしは足掻いた。彼女も足掻いた。みんな、足掻いた。

 でも、どうにもならなかった。あたしたちだけじゃ無理だ、届かない。だから―――

 

 ―――誰でもいい。力を、貸してください

 

 

 その思いは、まだ声として発されてすらいない、彼女の懇願は、誰にも聞こえるはずがない。彼女自身もそれを理解していた。

 

 『………………ト』

 (………へ?)

 

 だから、己の内で響いたその音に、驚愕を隠せなかった。

 誰にも届かぬはずの、その叫び。けれど今の彼女の中には、それを聞くものが居た。

 

 『ユナ……イト』

 

 次の瞬間、奏の視界を閃光が埋め尽くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『―――なんでお前が、生きているんだ?』

 

 その問いを投げ掛けられたのは、何時のことだったか。

 あのライブ会場に集った人達の大半は、私のようにノイズの襲撃を生き延びた。

 けれど、三千人。それだけの人が、その命を失ったのだ。あの青色の光が無ければ、もっと多くの人が、未来を奪われていたのだろう。

 そしてきっと、それを問われることも、()()()()()()()()()()()()()()

 家族か、恋人か、友人か。掛け替えの無い誰かを喪った、名前も知らない誰かが、私の前で零した言葉。

 無意識だったのか、その人はすぐにハッとした表情に変わり、逃げるように去っていった。

 

 だけど、もし。あの人が答えを求めていたとしたら。

 

 その時の私は答えられなかっただろう。

 

 だって自分は、特別だったから。

 愚かしくもあの場所に留まった私は、間違い無く死ぬはずだった。自分の命を優先することを選べない、歪な性根が、私を死へと導く筈だったのだ。

 だというのに、私は生き延びた。戦姫たる二人に、銀色の髪の、あの人に救われて。

 彼女達の奮闘によって、命を救われた人は一定数いるだろう。ノイズの多くは、誰も巻き添えにすることなく、二人の手によって炭の塊へと帰したからだ。

 だが、直接救われたのは、彼女らの戦いを目にし、彼女に庇われ、命を拾ったのは、私だけなのだ。

 そのやましさ故に、あの時の問いは、私の胸に深く突き刺さった。

 

 けれど今なら、迷うことなく答えることができる。憧れたる、夕焼け色の彼女がくれた言葉を。

 

 ―――生きるのを諦めなかったから。

 

 例え臓腑が崩れ、骨と混じり合っていても。肉も血もぐずぐずに掻き回され、生など望むべくも無いとしても。

 私はもう、この誓いを、この言葉を忘れないという約束を、違える訳にはいかないのだ。

 

 休息を、終わることの無い安らぎを求めてか、私の身体は、私の意志に反して微動だにしない。完膚なきまでに破壊された肉体には、何の感覚も残ってはいなかった。

 最も、僅かでも痛覚が機能していれば、私は激痛に喘ぎ、このように冷静な思考を保つことなどできなかっただろうが。

 

 (あれ………、未来?)

 

 走馬灯。脳裏に様々な光景が、次々と映し出される。一拍おいて、それが自分の知る人達の、それも負の感情だけを表情に刻んだ記憶だと気づいた。

 どうやら匙を投げたのは、肉体だけでは無いようだ。精神すらも、私自身の心を折ろうと画策しているらしい。

 しかし、肉体も精神も生を諦めたというのならば、それに抗うこの意志は、一体私の何なのだろうか。

 魂魄の片割れ? それにしては占める割合が少な過ぎる。今以て死への抵抗を辞めないこの意志は、しかし心全体に比べれば、遥かにちっぽけなもの。

 もう一つの人格、というのも無い。二課に所属する際のカウンセリングで、精神に―――少なくとも、それと分かるほどはっきりした―――異常は確認されなかった。

 というか、難しい単語を並べたところで、私の頭の出来ではまともな答えなど得られるはずも無い。

 そもそも今自分は死にかけているのだ。どうにかして生きる道を見つけなければならない。

 それだけの思考を行う間にも、どんどんと意識が薄れていく。脳そのものに靄がかかるような感触。それが馬鹿の一つ覚えのように―――否、正しくそれだ―――生を諦めない私の意志さえも、包み込んで溶かしていく。

 そのままふわり、と、浮かび上がるようにして私の意識は―――

 

 『―――あ』

 

 浮かんだ意識が霧散する寸前、私を折り砕かんとする己の精神は、致命的なミスを犯した。

 私を絶望させるために、過去を捏造したのだ。今まで、ただ一度として見たことのないものを、見せてしまったのだ。

 それが私を、何よりも奮い立たせると知らずに。

 

 

 思考を妨げていた靄が取り払われ、私という存在が、今度は肉を伴って浮上する。散り散りになりかけた意識は再び集結し、形を成した。

 

 「待って」

 

 私に背を向け、今にも立ち去らんとしている少女を、呼び止める。

 この場所は自らの精神が生み出した世界、さっきのが奥底だとすれば、ここは中間くらいだろうか。

 他に人が存在するのはありえない。ならば彼女の正体は、きっと。

 

 「なん、で…………」

 

 振り返った少女の、驚愕を滲ませたその顔を、見紛うはずもない。だが、鏡、窓、液晶、その他諸々の手段はあれど、それを直接拝むことは不可能に近いだろう。

 

 ―――一分の相違も無い、自分自身の顔など。

 

 「『なんで生きてるのか?』って?」

 

 あっけらかんと、なんの疑念も抱かずに突きつけられた問いに、私と同じ顔をした少女はビクリ、と身を震わせた。

 まるで得体のしれないものを相手取っているかのようだ。どちらかというと、それは彼女にこそ当てはまると思うが。

 

 「あなたの正体を教えてくれたら、私も教えてあげる」

 

 未だ瞠目したままの彼女に、さらに言葉を重ねる。少女は観念したのか溜め息を一つつくと、僅かに笑みを浮かべ、余裕を取り繕って口を開いた。

 

 「解った。私は―――

 「と言っても、大体想像は付いてるんだけどね」

 

 彼女の言葉を遮り、私はなおも続けた。催促しておいてこの態度、流石に胸が痛むが、相手に余裕を与えるわけにはいかないのだ。

 

 「あなたは、ガングニールだ」

 

 まず、核心を突く。間髪入れず、詳細を重ねる。

 

 「なぜあなたに自我が芽生えたのかは解らない。けど、考えられる可能性はそれしか無い。私を塗り潰した破壊衝動は、デュランダル無しでも湧き上がってきたから」

 

 自分を飾り立てろ。知識人ぶって、動揺を誘え。相手に付け入る隙を与えるな。

 

 「聖遺物にも、人のそれとは比べるべくも無いとしても、意思のようなものがあるのかな? それとも後付け? 例えば、あなたが言っていた『神殺し』みたいな」

 

 『神殺し』。その単語を口に出した瞬間、彼女の瞳が、僅かに揺らいだ。

 勝った、その瞬間、そう確信する。

 

 「そう……だよ」

 

 自分の正体を、何もかも見透かされたと、そう思い込んだ少女が、これ以上自分を暴かれるのは耐え難いと言うように、独白を始めた。

 

 「私は、ガングニールに刻まれた呪い。主神の武装であったはずの聖遺物を捻じ曲げた、人々の言語。

 『この槍は神の子を刺し殺したロンギヌスである』なんていう、バカげた勘違いだよ」

 

 ここ迄上手くことが運ぶとは思っていなかった。一抹の罪悪感と共に、私はその幸運を享受する。

 私が知っていたのは、自分に酷似した彼女の存在の朧気な記憶と、そして『神殺し』という意味不明な単語だけ。

 これだけで彼女の正体に行き着くのは、例え頭脳が火事場の馬鹿力のような現象を起こしたところで不可能だ。

 だから、彼女自身に語ってもらう必要があった。ただ純粋に問うたところで、煙に巻かれるのがせいぜいだろうから。

 

 「それだけじゃない。ロンギヌスとの同一視程度で起こる哲学兵装化では、自我の発露なんて夢のまた夢。

 私がこうやってこの場所に居るのは、あの青い光、千原零とかいう男と、そして未熟だった私を形作った、あなたのおかげ」

 

 ああ、なるほど、と。私はいたく納得した。ポロポロと、呆気なくだまくらかされて情報を吐き出してしまうこの単純(バカ)さ加減は、私が元になっているからか、と。

 おまけに、ここでもあの人が関わっているとは。今の私のあり方すらも彼に影響されたものだ。すべての大元は結局、零さんに収束するらしい。

 しかし、それにしても喋り過ぎでは無いだろうか。鏡写しとしても、あまりに間抜けだと流石に悲しくなってくるのだが…………

 

 「さあ、私は話したよ。だからあなたも、早く教えて」

 

 そう言われて、私は自分が持ちかけた取り引きを思い出した。間抜けなのはこちらだったらしい。僅かな羞恥を感じつつも顔には出さず(少なくともそう努力して)、私はそれに応じる。

 

 「私が生きているのは―――」

 

 告げた言葉に、示した情景に、彼女は戸惑いを見せた。あまり納得はしてくれなかったのか。その表情は未だに怪訝なままだ。

 こちらとしては、別に理解を求めている訳ではないし、それで構わないのだが。それを立ち上がる力に変えられる人は、きっとほとんど居ないだろうから。

 

 「………どうしたの?」

 

 そんな言葉が、口をついて出た。

 彼女が疑念を孕んだ瞳で、何かを問いたげに私を見つめているのに気づいたからだ。どうやら浮かんでいた訝しみは、私の答えに向けたものではなかったらしい。

 彼女は少しの間逡巡する様子を見せ、やがて決心がついたかのように、口を開いた。

 

 「私に、何をして欲しいの?」

 

 彼女は、気づいていた。鏡写しであるが故か。それとも、生まれついて間もない、純粋な敏さ故か。

 虚をつかれて、私は一瞬押し黙る。

 ただその驚きは、それを彼女が言い出すことを予期していなかったせいで起こったもので、そう問うてくれる事自体は、むしろ願ったり叶ったりだった。

 だって私は、本題に入る為のタイミングをずっと、計りかねていたのだから。

 先程の、虚飾で以て相手の正体を引きずり出すような真似は、もう出来ない。この問題だけは、私の本音で、向き合う必要があるのだ。

 それは、けじめだ。内心がどうであれ、私なんかを宿主として、私なんかを模範として、曖昧だった自己を形作った彼女に対する、当然の敬意だ。

 

 「私は、貴方に」

 

 すっと、言葉を紡ぎ出した私に、彼女は息を呑む。この短いやり取りの間で解ったことだが、彼女は私の身体をどうこうすることはできない。

 意識が飛ぶような事態が怒らない限り、彼女が私を差し置いて主導権を握ることはできないのだ。

 そして、その存在を感知されてしまった今。彼女の処遇は私にかかっていると言っても過言では無い。

 元となった呪いとやらが、例え何千年来のものだとしても、彼女自身は、まだ生まれて二年かそこらの、ちっぽけで未熟な意識でしかないのだ。

 それに数倍する時を生きた私がその気になれば、彼女を抑え込み、逆に塗り潰すことも可能だろう。

 だから彼女は、震えている。幼い子供そのものの仕草で。『神殺し』なんて御大層な名を背負う、少女の形をしたナニカは、恐怖と共に私の沙汰を待っている。

 そんな目の前の存在に、私が告げたのは。

 

 「―――力を」

 

 前回と同じ、その一語。彼女は前のような歓喜を見せず、ただ困惑だけを表した。

 以前の答えは、彼女が途切れる寸前の、曖昧な私の意識を誘導し、強引に得たものだ。

 誰よりも私という人間の在り方を知っている彼女は、素面の私からその言葉が出たことに、違和感を覚えずには居られなかったのだろう。

 

 だが、私はその動揺に、配慮しない。結局不意打ちめいた形になってしまうが、それでも脇道にそれる訳にはいかないのだ。

 最短で、最速で、真っ直ぐに、一直線に。私はこの想いを伝えたい。

 

 「私は貴方に、()()()()()()()()

 

 ずっと、私の側にいることを。嫌々だったとしても、不本意だったとしても。

 受け入れてくれた優しいあなたと、私は手を繋ぎたいのだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クリスをゼロの兇手から護った、六つのカプセル。

 奏の胸の内から顕現した、一つのカプセル。

 

 それらの放つ荘厳な煌きが、緊迫感に満ちていた戦場に、一瞬の空白を生み出した。降ろされた光の帯は、憔悴しきった戦姫達に休息を与えるための、幕間を告げるかのようで。

 

 『―――Gatrandis babel ziggurat edenal……』

 

 そして、そのぽっかりと空いた穴を埋めるようにして、絶唱(ウタ)が響く。燃え尽きんとする命のような、儚げで、力強い、神秘的な絶唱(ウタ)が。

 

 『―――Emustolronzen fine el baral zizzl……』

 

 紡がれる声の主の正体など、分かりきっていた。

 意地らしい拙さの消えた、けれど変わらぬ真っ直ぐさを感じさせるその美しい調べに、誰もが言葉を失う。

 

 

 『―――Gatrandis babel ziggurat edenal……』

 

 最後の一小節が紡がれる、直前になって。漸く彼女達は我に返る。この旋律を奏でる少女の現状に、思い至ったのだ。

 瓦礫の山に呑まれた彼女の受けた傷は、どれほどのものか。致命傷とも思えた最初の痛手より、遥かに深刻であることは想像に難くない。

 そんな状態で、ただでさえ反動の大きい絶唱を使えば、どうなるか。奏はかつて、死を覚悟した。翼はそれに、絶望を抱いた。クリスは実行し、空から堕ちた。

 彼女達の思考は一致する。壁の外の二課の人間たちも、同様だった。

 

 ―――止めなくては

 

 だが、それを為すことは不可能に近い。外にいる者達は無論のこと、中にいる装者の面々も、もはや指すらまともに動かせぬほどに消耗している。

 

 『―――Emustolronzen fine el zizzl……』

 

 そんな人々の焦燥を置き去りにして、絶唱(ウタ)は終わりを告げた。それと同時に、浮かぶ七つのカプセルが、虹の如く鮮やかな光の尾を引いて、彼女を秘めた残骸の真上へと集う。

 音の余韻を堪能するかのように、それらは一瞬の間を空け、そして―――

 

 

 『ショウラッ!!』

 『トァッ!!』

 『イィィサァアッ!!』

 『ジュアッ!!』

 『シュワ!!』

 『シュァアアッ!!』

 『ハァアアッ!!』

 

 

 ―――一斉に、起動した。

 

 力強い掛け声と共に現れる、希望に満ちた力に溢れた、巨人たちの幻影。並び立つ彼らは、視線を上向けるゼロを睥睨する。

 その後、巨人達は幾つもの色彩を放つ光粒へとその身を窶し、響の元へと降りてゆく。注がれる膨大なエネルギーが、最後の一粒まで彼女に取り込まれた、その瞬間。

 

 パァンッ、と。

 

 光が弾けた。

 

 

 彼女の姿を隠していた瓦礫の山が、跡形もなく消し飛ぶ。とてつもない輝きの奔流が、そこに立つ者全てから、五感の一つを奪い去った。

 

 「…………あ」

 

 少しして、眩んだ瞳が視力を取り戻す。変わり果てた少女の姿に、呆然とした呟きが、誰からともなく漏らされる。

 

 

 「まだ、諦められません」

 

 まるで、虚空に足場があるかの様に、宙を踏みしめ、立つ彼女は。

 微動だにすることの無かった表情に、僅かな驚愕を滲ませる銀の青年を見下ろし、告げる。

 

 「だって…………、だって私は」

 

 消えゆく意識の中で、最後に映し出された、あの幻想。一度だって見せられたことのない、その感情。

 けれどそれは、彼の中に確かに存在していて。ただそれを、悟らせぬようにしていただけなのだ。

 

 

 英雄、と。そう呼ばれる者たちは。

 守るべき人々の笑顔を力に変えて、闘うという。

 

 ならばきっと、彼らは。

 

 その者達の哀しみに満ちた顔を目にしたとき。

 その涙を拭い、心からの笑顔を見んがために。

 

 

 「―――私はまだ、あなたの憂いを知らない!!」

 

 

 奮い立つのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 







 
 

 
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