一つの灯りもない、新月の夜のような闇の中に、ぼう、と浮かび上がる二つの影。体つきも、顔のつくりも、身にまとう奇異な装備すら鏡に映したかのように瓜二つの両者。しかしその表情だけは、まるきり別のものだった。
―――一方は、決意と覚悟を固めきった、精悍ささえ感じさせる面持ち。
―――もう一方は、瞳を困惑に揺らした、呆けたような覇気に欠ける面持ち。
まだ幼さの残る柔和な顔立ちが、前者は青い情熱を、後者はあどけなさを醸し出している。不思議なことに、真逆の印象を与える二人の様子は、どちらも見るものに違和感を与えない。
向かい合う少女達の間に満ちるのは、痛いほどの静寂。もとより音の無いこの空間に、彼女達の片割れ、ガングニールの装者である立花響が放った言葉が完成させたものだ。
―――力を、貸してほしい
呆気に取られ、押し黙り、言い切り、それで満足したかのように答えを待つ。
数秒の空白の後、それを少女―――ガングニールに宿る『神殺し』が破った。
「何を……、言ってるの?」
真っ当な返答だった。破壊衝動と、底抜けの善意だけで形作られた者の発言とは思えぬほどに。あるいは、マイナスにマイナスをかければプラスになるように、狂気が裏返ったのだろうか。
「今の貴方の状態、理解してる? 体の中身がどろどろのぐずぐずにすり潰されて、血液と混ざり合ってるんだよ? 辛うじて脳だけは守りきったけど、もう手の施しようなんて無い。あと一分もつかどうか―――」
重ねられる言葉は、紛れもない事実だ。骨も臓器も、侵食していたガングニールの欠片も何もかも、駆け巡った衝撃に完膚無きまでに破壊されている。無事な皮膚を一枚めくれば、スムージーのようになった中身が溢れ出すだろう。
風前の灯火、と言うよりもう消えている。響の精神をよりどころとするこの場所も、すぐに霧散するのだ。
何より、一番の問題はそんなことではない。
少女は、立花響が助けを求めたものは、瀕死の彼女の肉体を蝕む、病巣など比べ物にならぬ程の害悪だ。もしゼロとの戦闘が起こらず、傷を負わなかっとしても、響はあと数年も生きられなかっただろう。
けれど。
「―――ッ」
現状を捲し立てていた少女が、唐突に口を噤む。
眼の前の彼女が、一切の動揺も、悲哀も見せなかったから。
彼女は、立花響は、浮かべていた毅然とした表情を崩し、そのあどけない顔に相応しい、天真爛漫な笑みを見せた。
「うん、知ってる」
その言葉に、少女が息を呑む。彼女が言葉を途切れさせたことで生まれた間隙を埋めるようにして、響は続けた。
「だから力を貸して欲しい。私を
そう、彼女は願いを繰り返す。己の身体に巣食い、人であることを奪い去ろうとしていた存在に、助力を請う。
理由は、告げた通り。ガングニールが無ければ、胸の歌が浮かばなければ、あの日、幼い少女と共にノイズに襲われた時が、立花響の命日になっていただろう。
そして、先刻ゼロに負わされた致命傷を治癒することも、叶わなかった。
たとえその代償に、正気を奪われ、命を削られたとしても、埋め込まれた遺物の欠片が響の命脈を繋ぎ続けたことは、紛れも無い事実なのだ。
けれど、誰もがそんな風に、割り切れる訳ではない。少なくとも今、立花響の目の前に立つ少女は、その強い心を持った人間の範疇には、含まれていなかった。
自分という、得体のしれない存在の力を借りることで、何を対価に支払うことになるか、分かり切っているだろうに。それを何でもないかのように、あっけらかんと受け止めて見せる彼女の異様さを、少女は受け入れられなかった。
「どうして………」
苦鳴じみた問いかけが、彼女の口から漏れた。
「どうしてそこまで出来る? たった、
少女は既に、その行動原理を聞かされていた。生きるのを諦めないという誓い、だけではない。もう一つ別の要因が、走馬灯として映し出された光景の、最後の一枚が、立花響を死の淵から呼び戻したのだ。
「―――ただ零さんが、哀しそうにしていたというだけの理由で!」
それは、捏造された記憶だ。響の心を折るために、他ならぬ響自身が作り出した、存在しない光景。
響は一度たりとて、彼の憂いに満ちた姿を目にした事は無い。彼はいついかなる時も、強かった。その強さを翳らせることなど無かった。
だが、しかし。それは彼が一切の憂いも、葛藤も持ち合わせていないということを、そのまま意味する訳ではない。
―――否、意味しないのだ、決して。
誰だって、言い出せない何かを、胸のうちに秘めている。その事実に、例外は無い。彼はただ、彼女の目の前では、それを見せようとしなかっただけだ。
その理由を、推し量ることはできない。だって彼女たちは、彼の事なんて、何も知らなかったのだから。
余分な重荷を背負わせたくないという気遣いだったのか、それとももっと別の、想像もつかないような何かが潜んでいるのか。
例え真実がどうあろうとも、立花響は、それを知りたいと思ってしまったのだ。自分達に刃を向けた彼が、隠し通そうとした思いを、他ならぬ彼自身の口から、聞き出したかったのだ。
「うん、それだけ」
だから、響はその問いに、一片の曇りもない肯定で応える。浮かべた笑みを崩すことなく、変わらぬ調子で。
はぁ、と、問うた少女の口から、諦めの滲んだ溜め息が漏れた。
彼女も、本当は分かっていた。目の前の存在は、どうしようもない程のお人好しだということを。そんな、不確定な事実のために、自分の全てを賭けられるような人間だということを。
呆れた。しかし納得せざるを得なかった。二年間、内側から響を観測し続けてきた彼女は、未熟だったはずの意志が、堅牢極まりないものへと昇華したことを、はっきりと認識していた。
そんな少女の感情の変化を知ってか知らずして、響が口を開く。
「―――今までの
彼女が今日まで拠り所にしてきたものは、生きるのを諦めないという誓いは、天羽奏から受け継いだものだ。纏うガングニールもまた、同じ。どちらも彼女自身のものではない。
「―――けれど、私が振るうのは槍じゃない」
それでは駄目なのだ。与えられたそれらが、何物に変え難い程の価値を持っているとしても、ただそのままの形で、壊れ物のようにしまって置くだけでは、足りない。
故に、彼女は。
「―――繋ぐこの手が、私のアームドギアだ」
託されたものを、自分の中で変化させる。
ついぞ発現することの無かった、槍。けれど、あの日から始まった戦いの中で、彼女を支え続けてきたその拳は、決してその代用品でも、型落ちでもない。
それは彼女なりのシンフォギアのあり方で、紛うことなき無双の撃槍なのだ。
「私は―――」
当然、受け継いだ想いも、同様に。
「―――私らしく生きることを、諦めない」
これが、立花響が出した、答えだ。もはや二度と揺らぐことの無い、余りにも強固な決意。年端の行かぬ少女のものとは思えぬ程に重い、覚悟。
だからこそ、彼等は応えた。虚空に揺蕩う超越者達の意識は、確かに彼女の存在を認めた。
すぅっと、暗闇に閉ざされた空間に、虹色の光が差した。思わず目を奪われる神々しさと、直視しても眩むことのない優しさを併せ持った、希望のような輝き。
遅れて、手が降りてくる。人一人、包み込んでしまえそうな程に、大きな手が。
『―――――――――』
聞こえたその声は、朧気で、内容を聞き取ることは出来なかった。でも、伸ばされる手が何を意味しているのか、分からないはずがない。
淡い光を帯びた銀色の手の、その指先に、響はそっと触れた。
そうして、空いたもう片方の手を、己の写し身たる少女に差し出す。向けられる視線に、ぴくり、と、彼女は身を震わせた。
少女は、突然現れたその存在が、何者なのか知らない。それでも、自分など及びもつかないような強大な存在であるということは、理解していた。
そして、そんな存在と結びついていながら、それでも未だ、響が己の助力を求めているということも、理解していた。
突っぱねることもできた。響はただ自分の意志を示しただけで、彼女が手を貸す義理は無い。
ただ、揺り動かされたのだ。絶対にブレない、その信念に。
数秒の逡巡の後、彼女は恐る恐る、響の手を取った。
それはつまり、彼女が己の主として、自分の宿るガングニールを駆る者として、遂に響を認めたということだった。
一拍、間をおいて。
彼女達は、その言葉を紡いだ。
二つの繋ぎ合う力で以て、本来なら互いを見つけることすらできなかった彼等と彼女等を、一つにするために。
『「「―――ユナイト」」』
欠片は解け、更に微細な粒子へと変じてすり潰された体細胞と結び付いていく。その侵食を、同化を、響の体は受け入れた。
融けあった二つの物質が新たな分子を生み出し、破壊し尽くされていた肉体を再構成する。創造と再生に要するエネルギーは全て、溢れ返る膨大な巨人達の力が賄った。
生み出された心臓が力強く鼓動を打ち、追って復活した臓器も各々の役目を再開していく。以前とは比べ物にならぬほどの強度を獲得して構成された骨肉が、空気の抜けた風船のようになっていた彼女の体に形を取り戻させる。
より神々しさを増した武装が彼女を鎧う。淡い燐光をまとった髪が倍以上に伸長し、遂に開かれた瞳は金色の輝きを帯びた。
そうして、立花響という存在の蘇生は―――否、新生は、完了した。
次の瞬間、彼女が発した光が、孕んだ熱で以て、己を囲う瓦礫の山を爆ぜ飛ばす。
変わり果てた姿を知己に晒し、悠然として宙に立つ彼女は、対峙する銀色の青年を睥睨し、告げる。
まだ、終われないのだと。諦められないのだと。
だって彼女は、彼が秘めていたことを。
何一つとして、知らないのだから。
啖呵を切った響が、力強く拳を握りしめた。自らの力を、確かめるように。自分がどこに至ったのかを、噛みしめるように。
視界の中心に収めた、憧れたる青年の姿。それ目掛け、彼女は翔んだ。
彼は避けなかった。避けられなかったのだ。その速攻に、腕を交差させ防御行動を取る以上の対応を、行えなかった。
振り抜かれた拳が隕石めいた熱と重さで以て、重ねられたゼロの腕を撃ち抜く。気の遠くなるほどの永きに渡る修練で培った技術、法則の埒外にある天賦の念力、それらをもってしても尚、殺し切れない衝撃が、彼を襲った。
ぱんっ、という空気の弾ける音と、ドゴッ、という凄絶な打撃音が響く頃には、ゼロは地を削り、大きく後退していた。
内側から爆ぜたかのように無惨に破れた袖口と、そこから除く、仄かに赤く色づいた肌。
それは立花響という人間の少女が、圧倒的な迄の力を抱く超越者に肉薄したことの、何よりも明白な証明だった。
しかしまだ、辛うじて届いただけだ。変化に意識を割かれていたゼロの、不意を打つ形での初撃。そうで無ければ、当たることさえあり得なかった。
ゼロに付いたこの掠り傷とも呼べぬ損傷が、彼女が一人で出し得る最大の戦果なのだ。
故に響は、助力を求める。元より一人で闘うつもりなど、微塵も無かった。倒れ伏す者、膝を着いた者、立ち竦む者、今は最早自らを動かす力すらない、彼女の仲間達。
けれど彼女らの目には、未だ闘志の光が宿っている。
宙に浮く響が、高度を上げた。黒雲に覆われた、今にも泣き出しそうな空を背にして、彼女は地を睥睨する。
すぅっと、その背から、光が伸びた。幾つにも枝分かれ、空いた隙間に膜のような光を張り巡らせながら、響の身の丈を数倍するほどの長さに。
やがて完成したそれは、蝶のような艶やかさの、羽だった。振り撒かれる光が、鱗粉のように虚空を漂い、やがて満身創痍の装者達の元へ降りぐ。
光の粒が、彼女たちの肌に触れ、溶けるようにして消える度、刻まれた傷が癒やされていく。
最初に、受けた傷の少なかったクリスが、ついで奏が立ち上がる。翼は顔を上げて、太陽の如く輝く響の姿を視界に収めた。
――まだ、やれる
そう、声に出すことなく、しかし鮮明に、その意志を示す。人の枠組みを超えた何かになる覚悟は、出来ているのだと。
応えた響の羽から、三筋の光帯が放たれた。指向性を持った光は、少女たちと響を繋ぎ、翅を形作っていたエネルギーの全てを、均等に分け与えた。
放出と、再分配。その総量は変わらず、しかし同じではない。
立花響という個の持つ力は、確かに減衰した。だとしても、それが仲間の存在というアドバンテージを帳消しにすることは、有り得ない。
光の渦が薄紫の天蓋を突く。余波が空間を震わせ、地を砕いた。吹き荒れたのは、熱風。高温の、重い風。急激に気化した地面が水蒸気爆発と同様の現象を引き起こし、切り離されたこの場所の地形を、跡形も無く変えた。
破壊の中心に立つ三人の戦姫は、己の肉体に流れる莫大な力を確かめるかのように、一歩一歩を丁寧に踏みしめ、地に降りた響の側へと向かう。
飽和したフォニックゲインと、二つの繋ぐ力の影響で引き上げられた、適合係数。そして、既にリミッターの外れていたシンフォギア。
その三つの要因が、この土壇場で奇跡を引き起こした。
エクスドライブを凌駕する、人間という存在が出し得る限界すれすれの力。欠片に過ぎぬはずのそれらは今、完成形を上回った。
究極にして、最終の決戦形態。
『ウルティメイトエクスドライブ』とでも呼ぶべきそれが、四つ、目の前の神すら超えてみせんと、揃い踏みしていた。
数瞬の後、並び立った装者達は、今までの変化を手を出すことなく見詰めていたゼロへと、視線を送る。
「私は、あの人を止めたい」
最初に口を開いたのは、響だった。その金色の瞳は曇りなく輝き、真っ直ぐな光を絶やさない。
「だから、力を貸してください」
「おう、解った」
意外なことに、真っ先に答えたのは、ここまで唯一積極的ではなかったクリスだった。
「あいつが誰かはよく知らねえ。けどさ、あいつはあたしの目の前で、フィーネを砕いたんだ」
「…………うん」
響が頷くのを確認して、彼女は続ける。
「殺したのかどうか、それを聞くのは後でいい。とりあえず、一発ぶっこんでやらなきゃって、思ったんだよ」
周りの奴らはみんな甘ちゃんで、きっとあの銀の青年に対して、非情になりきれない。別にそれは悪いことでは無いし、むしろ尊いものだと思っている。
けれど、家族だったのだ。利用されていたのだとしても、少なくとも彼女は、そう思っていた。
それに一人ぐらいは、あの冷徹に見えて、案外恋愛脳な女のためだけに闘うやつがいても、いいんじゃないか。
落ち着いて、思考を整理する時間が与えられたからか、クリスは既に、闘う理由を見出していた。
「うん、それでいいと思う」
そんな彼女の決意を、響は朗らかに笑って肯定した。彼女が持てない思いを、代わりに背負ってくれているのだと、そう思ったのかもしれない。
彼女たちの様子を見届けた奏が、少しの躊躇いの後、声を発した。
「…………勝算は、あるか?」
「無いな」
彼女の問いに、翼が即断した。誰もそれを咎めず、否定もしない。紛れもない、事実だからだ。
「だが、負けていい理由にはならない」
続いた言葉に対する反応も、同じだ。その理由もまた然り。
勝てる勝てないなんて議論は、結局必要ないのだ。勝ちの目なんて微塵も無かったとして、はいそうですかと諦められるわけが無い。
勝てない、
「そう、だよな。どのみちやるしか無いんだし」
そして、問うた本人もそんなことは分かっている。問答はここまで。それで解決するのなら、こんな馬鹿げた力など欲していない。
後は、剣と、槍と、銃と、そして拳で決めるのみ。ゆったりとした、余裕すら感じさせる動作で、彼女たちは構えを取った。
にわかに闘志を顕にした戦姫を前にしたゼロは、かかってこいとでも言うように、微動だにしない。
何もかも、先程の対峙とは逆転していた。その結果までそうなるかどうかは、彼女達がどれだけ死力を尽くすかにかかっている。
バキッ、と神々しい輝きを放つ具足に包まれた響の足が、大地を踏み抜いた。
それが決戦の火蓋を落とし、最後の退路を断ち切った。
僅かに突出した響が、鉄槌の如く握りしめられた拳を引き絞る。両者の間に存在していた十数メートルの距離。その中間点を通過した瞬間、即座に彼女はそれを打ち放った。
眼前に迫った初撃に対して、ゼロは迎撃を選択していた。響のそれよりも、数段洗練された動作で、閉じられた五指が形作る凶器が放たれる。
結果として、ほぼ同時に行われた二人の拳打は、互いに伸ばし切られる寸前、威力が最大に達する瞬間に激突した。
ボグァッ!! と。
発生した暴力的な衝撃が、隔絶されたこの空間の全てを、舐め回すように蹂躙した。
既に歪に抉られていた大地が、変形の痕跡諸共消滅する。微塵に砕かれた地面だったものが、転化された熱エネルギーによって影も形も残さず蒸発した。
気化によって空間内の体積が爆発的に増す。しかし、その圧力を以てしても、装者とゼロを覆う障壁は小揺るぎもしない。
行き場を失った気化岩石は、灼熱の風となって吹き荒れる。球体の内部の圧力、温度は天井知らずに激上し、一瞬で死の世界へと塗り替わった。
けれど、その程度の地獄に倒れる者など、そこには一人たりとて存在していない。地球の内部コアじみた環境、それがどうしたというのだ。
今の彼女達は、そしてゼロという超越者は、とうに生物の辿り着ける限界を凌駕している。
戦場の激変、響とゼロの拳を中心として撒き散らされた衝撃波。その双方を物ともせずに潜り抜け、翼と奏が銀の青年へと己が得物を振り下ろす。
打ち合いに競り負け、後方へと弾き返された響と入れ替わる形で到達した剣と槍を、彼は虚空から抜き放った刃で受け、そのまま押し返す。
未だ力はゼロが大きく上回る。そも、個人のスペックで彼に追いついている部分など、彼女達は何一つ有していない。
揺らぐ体勢、晒された隙を突いて、ゼロの脚が半月を描く。交錯による仰け反りすらも推進力に変えて、完璧な動作で振るわれた蹴撃は、しかし虚空を薙ぐだけにとどまった。
後ろへ吹き飛ばされた響が、首のスカーフを伸ばして二人に巻きつけ、無理矢理離脱させたのだ。
返しの一撃を透かされたゼロに向けて、彼女たちの背後から赤い弾丸が飛来する。後方に控えるクリスの射撃。吹き荒れる暴風など意にも介さず直進する鉛の粒に、ゼロは追撃を諦めその全てを撃ち落とす。
これで振り出し。どちらにも消耗は無い。隔絶している筈の力を連携で埋め、戦姫達がどうにかまともな戦闘を繰り広げることできる領域に達したことの証左であった。
―――立ちにくい。
着地した響が、消失した地面の底、新たな足場へと変わった紫色の障壁に、率直な感想を漏らす。
「あ」
スカーフで絡め取っていた仲間を自分から少し離れた場所に下ろし、彼女は大口を開けた。同時に、その瞳孔の奥に赤い光が宿る。
「あ、うああ゛あ゛ア゛ア゛ア゛――――――ッッ!!」
直後、鋭利な犬歯が覗くその口内、喉奥から、濁った咆哮が吐き出された。加速度的に音量を増す絶叫と呼応するようにして、彼女の体温が上昇していく。
摂氏数千度の大気が比べ物にならない程の高熱、シリウスの中心すら凌駕する勢いで熱エネルギーを生産する戦姫の周囲が、激変した。
めいっぱいの力で叩きつけたスーパーボールの如く跳ね回る原子の殻から、構成要素が片っ端から振り落とされる。
ぶっ壊れた原子の残骸が、放射能を撒き散らしながら他の残骸とぶつかり合った。それらと、障壁に阻まれて空間内に満ち溢れたフォニックゲインが、異常反応を引き起こす。
球体の内部の物質は、残らず在り方を根本から捻じ曲げられ、得体のしれない金色の塵となって地に落ちた。
例外は、降り積もった塵の中から飛び立った、四人の装者と、ゼロのみ。
髪や突起に纏わりついた生成物を煩わしげに払い、響は堆積した金粉へと、再度咆哮した。
無音の遠吠え。融けて、固まる。振動を伝える空気が完全に変質した結果、再凝固した金色の塊は、凪いだ湖面のように滑らかな表面を露出させて、大地へと変わった。
呼吸の必要は無い。そして彼女たちの歌は、もはやどこへでも響き渡る。踏み込んだだけで砕け散る地面も、行動を阻害する空気も、要らない。
だから彼女は、不要物を結び合わせ、全く別の大地を創造した。化け物じみた筋力に耐えうる強度と、絶望的なまでの高温への耐熱性を兼ね備えた、理想の物質、即ち―――
―――ガングニールで。
障壁の外側で戦況を見守っていた者達は、ぽかん、と間抜けに口を開ける他なかった。それ程までに、内部で起こった変化は激的なものだったのだ。
彼らの驚愕をよそに、宙に浮いていた当事者達が地面に降り立つ。
再び並び立った装者と、ゼロが睨み合った。整地された足場とブーツの底が、カツン、と硬質な音を立てて打ち合わされる。
黄金の平面に映り込むのは、影ではなく鏡像。向かい合う戦士と、
「藤尭ぁっ!!」
赤熱した岩塊、月の欠片が視認できる距離に存在していることを確認するや否や、彼は部下へと呼びかけた。
「―――っ! 三分です!!」
即答されたその数値が意味するところを、誤るはずもない。答えを受け取った弦十郎が、壁の向こう側の装者へと叫んだ。
「聞いていたな! 三分、それが猶予だ!! なんとしてもそれまでに終わらせろ!!」
音としては届かぬその言葉、しかし意思は伝わっている。
十分過ぎる、と、奏が笑った。誰もそれを油断と諌めはしない。決着が着くまでに、それだけの時間を有する可能性が皆無であると、そう確信しているからだ。
『…………行きますよ』
『『『応!!』』』
響の声に、彼女達が頷く。直後、全員の姿が掻き消えた。
これが答え。球の外と中で時間の進み方が違うのではと思わせる程の、ゼロに食らいつけるだけの神速。今の戦姫にとって、三分は永久に等しい。
己のスピードに置き去りにされぬよう、感覚を限界にまで研ぎ澄ませ、彼女達はゼロへ飛びかかった。
交錯、当然のように吹き飛ばされる響だが、あとに続く翼達が追撃を許さない。ゼロが追いすがる前に得物を叩きつけ、続く一撃で響と同様の末路を辿る。そして食らいついた奏が、翼への追撃を阻止した。
その繰り返しだ。飛びかかり、吹き飛ばされ、また飛びかかる。援護が追いつかなくなった場合は、クリスが射撃で牽制する。この動作を四人でループし、ぎりぎりの戦闘を続けていた。
実際のところは、いつ破綻するかも分からない綱渡りのような戦法だが、そのリスクに見合うメリットは存在している。
これを続けていれば、勝ててしまうのだ。
消耗が四分割されているから、削り勝てるというような単純な話ではない。それなら交錯の度に一発貰っている装者達が先に力尽きてしまう。
鍵は彼女達の間で共有されている情報、ガングニールに秘められた『神殺し』だ。物々しい名称に違わぬ特性を持つこの能力は、なぜかゼロに対して効果を発揮する。具体的には、接触しただけで彼にダメージを与えることができるのだ。
つまり、彼女たちの持つ、唯一の勝機。黄と橙の閃光が彼と接触する度、何かが剥がれ落ちていく。入り混じる紅と蒼の軌跡がゼロを釘付け、致命的な一打を封じ続ける。
運良く削り勝てる手段が存在していたという、ただそれだけの話。けれど、その望外の幸運を活かし切れている事実は、彼女達の連携の賜物だ。
何度も向かってくる少女達を尽く振り払い、しかし痛打を与えられない。響と奏が触れた箇所から、青い光が散った。それは今のゼロが、
その光が、少しずつ、ゆっくりと失われていく。けれど、完全に消し去られはしない。剥離する毎に、己の中にそれに抗うための力が作られていくことを、彼は自覚していた。
だが、それでは駄目なのだ。この状況が継続することは、何が何でも避けねばならない。現状を打破しなければ、これまでの全てが無意味になる。
数えて、十三度目の交錯。赤い尾を引く銃弾の幕をかい潜った先には、響の拳が待ち構えていた。拳速に、彼女自身の速度が上乗せされたその一撃に、ゼロは回避を諦め、受け流しの姿勢に入る。
『―――ッ?!』
しかし接触の寸前、ゼロの姿が掻き消えた。標的を見失った拳打が、一切の手応えなく虚空を穿つ。
躱す予兆は無かった。完全に、受けて衝撃を殺し切るための体勢を取っていた。捌かれるという予想が外れたために、少し体勢が揺らぐ。
ならば、彼はどうやって移動したのか。
脳裏に過ぎったその疑問を、彼女は即座に脇に追いやり、球内の各所に視線を走らせた。手品の種を知る意味は無い。それを考えさせ、思考の対象を逸らすこともまた、策略の一つなのだから。
響はすぐさまゼロの姿を視界に捉えた。この空間は狭過ぎる。互いがどこに立っていようと、密着しているのと変わりない程に。
故に、隠れることも、逃れることもできない。
しかしそれは、慮外の出来事だった。彼の切った、瞬間移動という隠し札は、彼女達の意表を突いていた。
確かに一瞬、戦姫は銀の青年を、見失ったのだ。
その一瞬で、彼は一手、先んじた。
ゼロが立っていたのは、球の最上部。頂上の、裏側だった。見上げた装者の頭上には既に、翠緑の光刃が無数、降り注いでいた。
滑らかに迎撃の動作を取った彼女達は、同時に違和感を抱く。刃の軌道が、甘いのだ。明確に当てる、という意志が感じられない。
しかし、面での制圧と考えるには、全く数が足りていなかった。直撃するものだけを選別し、それらを破壊できるよう構えはしたが、違和感、否、既視感を拭い去れない。
だが、その答えに辿り着ける者は、この戦場にはいなかった。ヒントが足りないのだ。戦姫が見たのは、二つのうちの一つだけなのだから。
バラ撒かれた刃の雨に意識を逸らされた彼女達は、ゼロが僅かに目を見開いた事に、気付けなかった。続く一撃への対応を、行えなかった。
―――故にこそ、
次の瞬間、何が起こるのか。彼の左眼から、何が放たれるのか。
戦場に立たず、しかし一瞬を除いてずっと、見守り続けていた男は、それを知っていた。
そしてその結果を覆すだけの力を、二課司令、風鳴弦十郎は持っている。
その剛脚が、地を踏み抜く。横で立ち竦む小日向未来を抱え、破壊から遠ざけながら。
薄紫の、透明な球体。その底部に接していた地面が、無惨に砕け散っていた。
同時に、支えを失った光球が、落ちる。正確には、中のガングニールが、だ。固定され、不動を保ち続けようとする障壁がしかし、自然の法則に従おうとする神殺しに、凌駕された。
故にそれは、その他凡百の物質と同様に重力に掴まり、自由落下を始めた。
結果、ゼロの視線が僅かにズレた。意識の外にあった存在の干渉が生み出した誤算は、先行した一手を完全に無に帰した。
彼の左眼から撃ち放たれた緑光が、虚しく宙を駆ける。散開した刃のどれにも触れることなく、
たった一筋、戦場を仕切るかのような翠の軌跡を残し、消えた。
『――ッ! 今だ!!』
失策を悟った装者達が、頭上のゼロに殺到する。痛恨のミスを犯した彼は、咄嗟に点在する光刃の全てを、起爆した。
爆ぜた凶器は、真空故に一切の抵抗なく、その爆風を伝播させた。未知のエネルギーがぶつかり合って炸裂し、生まれた煙が目を潰す。
けれど、そんな苦し紛れの妨害では、まるで足りない。そんなものに止められるようなら、彼女達はここに立っていない。
黒煙を突っ切って、赤い銃弾が飛来する。数発が身を捩ったゼロの身体を掠め、真白の皮膚を切り裂いた。新雪のような一片の曇りもない肌に、ほんの一瞬、紅い血の珠が浮かび――――――直後、光となって霧散する。
露わになった体表は、無謬。時が戻ったかのように、走った裂傷は消えていた。
彼は不滅。そこに確かな損傷を、癒えぬ傷を打ち込めるのは、響と奏―――『神殺し』を宿す二人のみ。
ボッ、と、立ち籠める黒雲を穿ち、空の青が覗いた。否、その青色の正体は、妖しく光を弾く、剣の切っ先。目の覚めるような蒼穹の刀身が、一閃される。
白刃取る余裕は無い。透明な鞘から引き抜くようにして精製した刃を、その軌道に交差させ、受け止めた。
『なぜ躱す?』
交錯の瞬間、そんな問い掛けが、彼の思考に挿し込まれた。眼前の少女が叩きつけた疑問は、順当なものだ。
ゼロに傷を残せるのは、ガングニールを纏う装者だけ。逆に言えば、そうではない翼とクリスの攻撃は、当たるに任せて無視してしまっても問題はないのだ。
しかし彼は、二人の攻撃にわざわざ対処する。余分な動作を挟むには、追い詰められているにも関わらず、だ。
さしたる反応も見せずに、冷静に手を移動させ、ゼロは競り合っていた刃を捌き切る。打ち落とされた得物と薙がれる翠刃を交互に見やり、翼が回避に移った。
続けて打ち込まれた蹴りにあえて吹き飛ばされつつ、彼女は再び己の思考を送り込む。
『ああ………、やはりお前は零では無い―――そして、
その言は、断定された事実は、過たず核心を突いていた。それでも彼は、動揺を一切見せない。看破されることさえも織り込み済みだったのだろう。
剣の冴え同様、彼女はそういう部分も鋭い。ゼロはそれを、実感は伴わずとも知っているのだから。
銀髪宝眼の美貌、完璧な肉体、それを動かす意識は彼女達の知るゼロでは無く、そこから分離した全く別の存在だ。
いつ成り代わったのかは判然としないが、少なくとも、フィーネとの会敵から始まるこの一連の戦闘の間のどこかで、零は己の身体の主導権を譲った―――否、奪われた。
故に今、戦姫達と打ち合うゼロは、全ての攻撃を躱さねばならない。彼を揺るがし得るものは、『神殺し』だけではないのだから。
彼女らの宿す昇華の光、巨人達の想いが、触れる度に意識の奥底に追いやられた零を引き戻す。奪った肉体の制御権が、少しずつ手から離れていく。
そしてそれは、装者全員が、余すことなく受け継いでいるものだ。
最初から、この戦いは装者四人とゼロだけのものではなかった。そうであったのならば、既に決着はついていただろう。彼女達の、完敗という形で。
だが、事実として戦いは続いている。互角以上に、彼女達はゼロと渡り合っている。食らいついてきた弦十郎の助けも、確かにその要因の一つではあるのだけど、最も大きいのは、それじゃない。
ゼロの中で、その肉体が完全駆動するのを妨げ続ける彼が、少女達の知る零が居たから、今の結果があるのだ。
翼を吹き飛ばし、けれど休む間も無く、黒煙を引き裂いた響と奏が突っ込んでくる。『神殺し』と、内部に封じた零を奮い立たせる巨人の光。その双方を宿した、ゼロに対する最大打点を有する二人が、それぞれ拳と槍を構えた。
不可避、だが、これ以上は食らえない。
この一撃で決まる、と言うわけではないが、今まで通りの性能を維持できなくなる。そうなれば、あとは押し切られて終いだ。
『『ハァアアアアッ―――――!!!』』
ここが真空でなければ、きっとそんな咆哮が響いたのだろう。突き出される得物同様、二つ重なって。
このときばかりは、神の擲つ投槍ではなく、神をこそ穿ち抜く処刑の槍として機能したギアが、限界を超えて稼働する。
二条の槍が、眼前に迫り。
やむを得ず、ゼロは切り札を切った。
突如迸った閃光が、ほんの一瞬だけ、少女二人の視力を奪った。銀の青年の姿を見失い、しかし研ぎ澄まされた他の感覚が、彼を補足し続ける。
今更、目眩ましなど。たとえ五感が機能を停止したところで、彼女達は止まらない。そんな程度で、装者達を突き動かす意志が、揺らぐ筈も無いのだ。
だから二人は、迷いなくゼロ目掛け直進する。
そして、当然ゼロも、そうなることを理解していた。
穂先と拳が、何か硬いものに突き当たる。
不動にして、不壊。尋常ではない強度と質量を有したそれが、響と奏の渾身の一撃を、容易く受け止めていた。
『え………?』
白光が薄れ、視界が元の姿を取り戻す。
彼女達の目の前にあったのは、荘厳なまでの威光を放つ、白銀の盾だった。
ウルティメイトイージス。或いは、バラージの盾。
そう呼ばれる、今のゼロをゼロたらしめる神秘の具現。
故に彼女達の行く手を阻む白銀は、『神殺し』を受け付けない。そもそも、もしこれが純粋な神の産物だったとしても、その哲学兵装が通用することは無かっただろう。
『神殺し』は、あくまでこの世界の法則における特効でしかない。
青い宝玉の嵌った左右の突起が開く。矢をつがえた弓のような形状、ファイナルウルティメイトゼロモードに移行したイージスを、ゼロが振るった。腕甲と柄での防御を間に合わせ、しかし通り抜けた衝撃が彼女達を引き剥がす。
バチリ、と、イージスが青白い光を帯びる。翼の復帰まで多少猶予があった。クリスの牽制射撃の弾速では、チャージの余波を潜り抜けることはできない。
この瞬間、彼は僅かな溜めを挟み、極大威力の一撃を放つ事ができた。生み出した光の弦に手を掛け、引き絞る――――ことなく、彼は手を止めた。
―――ザッ、ザッ、と、これみよがしに足音をたて、背後から迫る者の存在を、知覚してしまったから。
反射。即座にイージスを光と還し、左手首から吸収する。詰められた距離は、ぎりぎり許容範囲。まだ抑え込める。
絶好のチャンスをふいにしたゼロに、装者達が困惑を抱く。
不可解な行動に、なにか裏があるのかと勘繰ってしまうのだ。こと戦闘技術において、彼女たちと彼との間には圧倒的な隔絶があることを、知っていたから。
『というか、何で最初からアレを使わなかったんだ?』
落下中の肉体に急制動をかけながら、奏がそんな疑問を発する。
盾として使うのはもちろん、鎧として纏ってしまえば『神殺し』を完封できただろう手段を、なぜ無駄に腐らせておく必要があったのか。
ごく自然に抱くべきその疑問に、しかしまともな返答が行なわれることはなかった。
『分かりません!』
『ええ…………』
堂々と、開き直ったかのような返答を行う響に、奏が絶句する。
余波を貫くために、弓に変形させたアームドギアの弦を引き絞っていたクリスは答えもしない。
光粒を取り込むゼロの左手首を、何故か食い入るように凝視していた翼に至っては、彼女の問いを全く聞いていなかった。
目には目を、歯には歯を、弓には弓を。
かけ違えたボタンのように、ちぐはぐな行動を繰り返すゼロに向けて、クリスがその赤弓を構える。
『知るか、よっ!!』
奏への返答と、同時。張り詰めた弦が手放され、光矢が箒星めいた尾を引きながら、翔び立つ。赤い軌跡は阻むもの無き道を瞬く間に踏破し、ゼロの元へ達した。
閃光が炸裂する。次いで、クリスが舌を打った。
撒き散らされた衝撃と赤の残滓の中心、直撃を食らったはずのゼロは、忽然と消えていた。
上顎に押し当てられた舌先が、僅かに糸を引きながら離される、その瞬間。
『お前、もう引っ込めよ』
当然の結果だった。何故なら彼は、既に
故に、対策を講じぬはずがないのだ。効果の割れた手札は、もはや通用しない。
四人の感覚を重ね合わせ、さらに響と奏で警戒する範囲を等分した。実質八倍の索敵効率に、人一人という巨大な存在が捉えられぬ訳がない。
そして、狭すぎる戦場。密着しているのと何ら変わりない彼我の距離を鑑みれば、転移による座標のズレなどただの誤差だ。
虚空からゼロが現れると同時に、その存在を感知した奏が特攻した。高温を帯びた刃が陽炎に揺らめき、穂先に宿した光が流星の如く墜ちる。
パッ、と、散ったのは火花。差し込まれた光刃が可視化された悲鳴の如く上げるそれが、重力に引かれてゼロに降りかかる。
間一髪で間に合わせた防御、と、そういうにはいささか余裕があった。この回避に対応されることも、想定の内にあったのだろう。
会心の一撃を受け止め、ゼロは少女を弾き飛ばさんとして、刃に力を込めた。
『……………くっ、ぅ』
だが、振り切れない。先刻まで幾度となく繰り返した打ち合いのように、得物を押し込むことができなかった。
力を削がれたとはいえ、まだ充分勝っている。立花響ならいざ知らず、目の前の天羽奏に劣っているという事はあり得ない。
『負けるかよ…………』
そんな、現実と想定の齟齬を認識したゼロに向かって、奏が吠えた。
徐々に、銀の青年が地へと押し下げられていく。留められていた彼女が、勢いを取り戻していく。
『あたしらの生きる場所を壊す、その理由も語れねえお前に! 口も聞かねえお前に! なんの信念もぶつけてこねえお前なんかに……っ!!』
白光を纏う大槍を止める腕が、
流し込まれる激情に、内側が、熱く震えた。
数瞬後の、起こり得ぬはずの未来を視たゼロが、ぴくりと、目を見開き―――
『負けて……、たまるか――――っ!!』
―――拮抗が、砕け散る。
弾き飛ばされたのは、ゼロ。打ち下ろされた長物の暴威に、その肉体が真っ直ぐ地に向けて、叩きつけられた。
何故、押し負けたのかを、彼は理解できない。力でも無く、技術でも無く、ただ少女の持つ曇りなき意志に負けたのだということが、分からない。
だってそれを理解するためのものを、彼は落として来たのだから。
空中で身体を回転させ、足から衝撃を殺しつつ着地する。沈めた上体を起き上がらせるより速く、装者の追撃がゼロを襲った。
黄金の大地、ガングニールがうねり、波打つ。あるべき姿に帰らんと、不定形に蠢く。
鋭利な先端が、ゆっくりと形を成して、ゼロを取り囲んだ。無数の槍の穂先が、急造の処刑台に向けて並ぶ。
その変化を起こせしめたのは、立花響。肉体の延長に近いそれを、当然彼女は自在に操ることができる。
見上げたゼロと、見下ろす響、二対の金色の視線が交錯した直後、彼女は突き出した右手を握り締めた。
バキリ、と、内側で反響した何かが砕けるような異音を皮切りにして、並ぶ凶器がゼロに殺到する。
転移は悪手。そう、彼は判断した。その場しのぎにしかならない回避を繰り返したところで、不利になるのは制限のある自分の方だ。
翔ぶのも駄目だ。上を響に抑えられている。この位置関係では、どの方向へ躱そうと地に叩き落され、同じ展開を繰り返す羽目になる。
つまり、迫る無数の穂先を回避する手段をゼロは持ち合わせていないということだ。一撃でも致命となる神殺の刃を全て、甘んじて受ける必要がある。
だがその事実は、問題にならない。
未だ手にある刃を伸長させ、小剣と呼べる刃渡りと柄を生み出し逆手に握る。
ぐるっ、と、時計の針が回るように。翠緑の軌跡が真円を描いたその直後、黄金の槍衾が、残らず断たれて地面に落ちた。
これが、その理由だ。ゼロに対し凄まじい優位性を誇る『神殺し』だが、その適用範囲はあくまでも攻撃面に限られる。防御面では有している以上の強度を発揮することはできない。
想いと奇跡が形作った究極の鎧ならいざ知らず、遠隔操作で生み出した急造品、それも干渉力不足か至近距離には出現させられなかった半端な武装を、ゼロが砕けぬ道理も無い。
崩れていく残骸を気にも留めず、彼は振り切った腕をだらりと下げ、次を待つ。後手に回った結果、今は全員が
神域の超感覚を空間内に張り巡らせ、装者達の一挙一投足を掌握しにかかる。一人に回すだけだった警戒を、全員に向けざるを得ない、そういう状況だった。
だから、その、隙とも呼べぬ、けれど僅かに意識が散逸する瞬間が生まれる。
そしてそれを、彼女は―――風鳴翼は、待ち望んでいたのだ。
嵐に遭った竹林の如く薙ぎ倒された槍の群れに、限界まで上体を伏せ、気配を殺しきり、身を隠していた彼女が、動く。
散り散りになって舞うガングニールの残骸が、ゼロの感覚を誤魔化していたため、未だ翼の所在は看破されていない。
銀の青年の知覚から、蒼の装者の存在が消え失せた、この一瞬。翼は渾身を以て踏み込んだ。
足が地から離れ、同時にあらゆる抵抗から解き放たれる。
翼を認識できないことを認識したゼロが、反射的に振り向くが、時すでに遅し。
一歩絶刀、腰だめに構えられていた彼女の剣は、とうに振り上げられていた。
逆袈裟の軌道と重なるのは、青年の
けれど、ゼロは即座に彼女の真意に気づく。彼にとっては脳も心臓も仮初めの器官であり、さほど重要なものではない。
だが、左手首には。ついさっき顕現させたばかりのウルティメイトイージスが、未だ収められているのだ。
攻撃のチャンスを不意にしてまで格納を優先したその武装。たとえ詳細は知らずとも、それが今のゼロの人格を維持するための大きな役割を果たしていることは、明白だった。
だから、待っていたのだ。膠着した戦況を揺るがす決定打を、彼の唯一の弱点に叩き込むこの時を。
食い込んだ刃が、肉を掻き分け潜り込む。血管、神経、形だけの組織を食い破り、中心へと近づいていく。
直後、ほとんど何の抵抗もなく切り進んでいた刀身が、全く別の感触に止まった。本来ならそれに実体はなく、しかし翼に宿る巨人達の力が、神秘に触れる権利を与えていた。
彼女の剣は今、バラージの盾を捉えた。
接触の瞬間、何かがイージスに干渉した。この世界の法則、哲学と呼ばれる絶対の摂理が、ある名前を聖盾に押し付けたのだ。
だって、そうだろう? 風鳴翼が纏うのは、アメノハバキリ。贄と捧げられるはずだったクシナダヒメを救ったスサノオが、荒『神』ヤマタノオロチを討つ正にその時に振るった剣だ。
ウルティメイトイージスは、盾であると同時に弓であり、そして剣でもある。神がその身の内に秘めた神剣を、アメノハバキリで斬ろうというのならば、その剣はもはや、ムラクモ以外の何物でもない。
おまけに今ハバキリの装者に手を貸しているのは、光線の一斉照射をあろうことか
そしてそれを、イージスは受け入れた。そもそも、これはイージスにとって利益しか産まない同一視だ。
アメノハバキリは他の聖遺物とは違い、完全な形で発見されることはありえない。スサノオがヤマタノオロチの尾の最後の一本を斬りつけたとき、その中にあったムラクモとかち合い、折れてしまったからだ。
故に、アメノハバキリでムラクモを斬ることは、決してできない。
神の手で作られた武装であるため、一定の確立した意識を持つイージスは、その事実を読み取り、独断でムラクモの名を借りた。
それが敗北の危険を孕んだ、判断だということに気づけずに。今の所有者同様、確定した運命すら変える人の力を、理解できないが故の、過ちだった。
がつ、と、ムラクモとなったイージスと翼の刃が打ち合わされる。過去の焼き直し、逸話を正しく再現せんとする世界の法則が、抜けるような青色の刀身に罅を入れた。
否、刀身だけではない。走った亀裂は瞬く間に、刀そのものである翼の肉体にまで伝播した。剣が折れるとき、それを纏う少女もまた、へし折れる。
だが、しかし。彼女の握る剣に刻まれているのは、アメノハバキリの銘だけではない。
過去を乗り越えた、運命を変えた、そんな戦士達の振るった聖剣と王剣の銘が、確かにそこに刻まれている。
だから、当然。そんなちっぽけな、神話の一ページに定められただけの結果を、塗り替えられないはずがないのだ。
ムラクモであっても、ではなく。ムラクモであるからこそ、示してみせよう。逸話通りの結末を待ち、信じる世界の、度肝を抜くような答えを。
『お、おおおおぉォォオッ―――――!!』
砕けかけた剣が、一閃される。反対側まで徹された手首が、ずるりと落ちた。なめらかな断面が晒され、血の赤が周囲を染める。
堂々と掲げられた刃は、限界を迎えたのか、形を失い崩れ消えた。
バギン!! と。何か、致命的な音が、彼の肉体の中で木霊した。焦燥と、苛立ち。初めてまともな感情を顕にしたゼロが、背後の翼へと視線を向ける。
ムラクモ断ちの負荷に耐えかね、膝を付いた彼女は、動けず。彼の一撃を躱せる道理はない。
『う、おらぁっ!!』
―――当然、翼一人に気を取られた彼が、響達の追撃を躱せる道理もなかった。
目の前の拳が、穂先が、銃口が、我先にと自分へ殺到するのに、防御姿勢すら取れない。イージスを破壊された影響は、今の彼には大き過ぎた。
命令を受け付けない己の身体を、叱咤する暇もなく。戦姫の渾身が、ゼロをまともに捉えた。
削れる、揺らぐ。
肉体を打ち抜いた衝撃に喘ぐ暇もなく、壊れぬ壁と激突し、そのまま地に落ちる。着地すらおぼつかず、無様に膝をついた。
せり上がる血反吐に咳き込み、黄金を赤く汚す。
内臓の九割が破裂し、骨が数十本単位で砕かれていた。それ自体は大した問題にはならないとしても、だ。
何もかも仮初め、上から貼り付けただけの人の姿など、どれだけ壊れようがいくらでも補填が効く。
だが、彼女達の一撃は、その化けの皮を抵抗なく穿ち抜き、ゼロの本質にまで届かせた。目には見えぬ、されど看過できない損傷が、彼に刻まれていた。
無理矢理に、綻んだ身体を引き起こす。皮は繕い、貼り直した。けれど口の端の血は消えず、視界は定まらない。それでもと、顔を上げて、彼は。
『―――待たせたな』
己が紡いだその言葉に、限界を悟った。
ぐっ、と、背後から肩を掴まれる。同時にかかるのは、人一人分の重み。本来なら身じろぎ一つで振り払えてしまうような、無きに等しいその重さが、今この時だけは、惑星のそれのように感じられた。
動けず、かけられた手に引かれるまま、体が傾ぐ。入れ替わるようにして前に出るのは、自分と全く同じ姿形の、青年。
彼は無造作にゼロを押しのけ、邪魔だと言わんばかりに、後ろへと突き放した。抗う余力など無く、仰向けに倒れた彼が、衝撃に目を瞑る。
―――待ってくれ
願った。ここで終わりたくないと、否、終わってしまいたいと、そう望んでいた。だからなりふり構わず、人のように手を伸ばし、目を開けて。
その背中が、遥か彼方にあることを、認識した。
がくり、と力無く、伸ばした腕が下ろされる。ゼロであって、ウルトラマンゼロではない彼は、そこでもう、諦めてしまった。
そうして、
先程の言葉を発したのは、装者たちの知るゼロだ。憧憬の帰還を認めた彼女達の表情が、目に見えて晴れた。
一名を除き、歓喜が覚悟を塗り替える。例外であるクリスは、浮足立つ仲間に呆れたような視線を向けていた。
そんな少女達の様子に、ゆらりと立ちあがったゼロは、笑った。不敵に、でもなく、壮麗にでもない。
どこか余裕があった、これまでに見せてきたものとは違う。剥き出しの戦意に濡れた、獰猛な笑み。
ハッピーエンドには全く似つかわしくない、そんな表情を端正な顔に貼り付けて―――
『―――決着を、着けよう』
彼は、そう言った。