ホグワーツの魔法史には、実技がある。
何を言っているかさっぱりわからないと思うが、実技がある。
あらゆる常識を破壊するところから、魔法の城ホグワーツの生活は始まるのだった。
「初めましての人も、そうでない人もこんにちは。私はノーグレイブ・ダッハウ。ビンズ先生に代わり、新たに就任することとなった魔法史の教師です。どういう存在かはまだ魔法省が定義出来ておりませんので、ゴーストとポルターガイストの中間程度と認識しておいてください」
新入生の魔法史初授業は、四寮全員の合同形式。
やや大きめの教室に様々な色が混ざり合うが、グリフィンドールの赤とスリザリンの緑のみは綺麗に真ん中から二分される形で、曰く付きの授業は始まりを告げた。
「まず簡単に授業内容について説明しましょう。本講義では期末試験にて考査の大半を担うこととなりますが、宿題やレポート課題、日々の勉強への姿勢なども当然考査に含めます」
期末試験、大半の生徒にとっては実に嫌な言葉だが、それは他の科目でも同じこと。
「点数の配分で言えば、座学が60%、実技が40%となる予定です。配分については年度ごと、寮ごとに多少の差が出ますので一概には言えませんが」
実技? 今、実技って言った?
説明を聞いていた学生たちの脳裏に、等しく疑問符が浮かぶ。
「あの、先生、なぜ実技が?」
「良い質問ですミス・スプラウト。ハッフルパフに1点をあげましょう。出来る限り挙手の後に質問をしていただけると助かりますが、思わず浮かんだ疑問があるならば率直に口に出して貰って結構です。例え授業の流れを遮るものであったとしても、それに足るだけの質問ならば否はありません」
「あ、ありがとうございます…」
咄嗟に質問の声を上げてしまった女生徒の名は、ポモーナ・スプライト。
スクリムジョールとは知り合いであり、既に変身クラブに籍を置いている勉学に意欲的な女の子である。
「質問に答えますが、それは歴史というものが、人々の人生の行動と決断の積み重ねであるからです。確かに書物というものは大切であり、文字なくして歴史というものはありえません。文字が登場しない文化や時代の考察は、考古学と呼ばれる分野となります」
余談であるが、魔法史の6年生、7年生となると、【魔法考古学】とでも評すべき分野を解説することになる。すなわち、あらゆる物事における書物にて説明されていない裏の歴史、仮説、逸話、そして幻想についての話も。
「過去の歴史の出来事を知るだけならば、本を読み知識を得ることで事足りるでしょう。しかし、それでは歴史を学んだことにはなりません。過去の教訓に学ぶのは、現在の課題と困難に活かすためです。いくら過去を知ったところで、同じ轍を踏んでいては学ぶ意味がないというものです」
ゴースト教師の言葉と共に、「過去に学ぶは、すなわち決断である」という文字が魔法で浮かび上がる。
知るだけでは不十分、今の決断に応用できてこその歴史だと。
「という訳で、授業を受ける皆さんには様々な歴史的出来事を解説しますが、然る後に【追体験】をしてもらいます。やり方は様々、模倣する場合もあれば、過去の記憶の世界に入ることもあり、ゴブリンの反乱についてならば、ゴブリン役と魔法使い役に別れての劇という形もありえます」
トロールと戦った生徒がいれば、追体験しましょう。
アクロマンチュラに追いかけられた生徒がいれば、追体験しましょう。
バジリスクと戦った生徒がいれば、追体験しましょう。
吸魂鬼の大群に囲まれた生徒がいれば、追体験しましょう。
ドラゴンと戦った生徒がいれば、追体験しましょう。
闇の魔法使いの集団に囲まれ、死の呪文の中を切り抜けた生徒がいれば、追体験しましょう。
※あくまで、例えです。
「いきなり最初からハードな追体験はないので安心なさい。歴史に学ぶ本質は、決断を求められたタイミングにおいて知り得た情報を精査し、自分ならばどう行動し、どうなっていたかをシミュレートすることです。歴史にイフはありえないと思考停止することなかれ。歴史は繰り返すものなのですから、全く同じは在りえずとも、似たような局面、参考になる過去の事例は確実に存在するのです」
“参考になる過去の事例”にされた先輩方は、たまったものじゃないだろうな。
ゴースト教師の言葉を聞きながら、ルーファス・スクリムジョールは歴史に学ぶという行為の業の深さについて考えていた。
流石に自分だって、過去の黒歴史を新入生のための“歴史の教訓”にされるのは嫌だ。
「とにかくまずは、身近な歴史から学んでいきます。そして、自分達ならばどうしていたかを、骨身に染みて考えてみましょう。最初の課題は、【ホグワーツの歴史】。テーマとなる軸は、グリフィンドールとスリザリンの対立です」
そして叩き込まれる、爆弾のような議題。
教室の生徒達全員が、引きつったような顔になっていた。
まさか初授業で、タイムリーどころではない時事ネタをぶち込んでくるとは思わなかったろう。
「ホグワーツ四寮の中で最も仲の悪いこの二つ。歴代の寮生にはどのようないがみ合いがあり、対立があり、友情が在り、時には恋愛があったのか。皆さんも興味はあるでしょう。ミスター・スクリムジョール、如何です?」
嫌な質問に指名された。
率直にスクリムジョールは思った。
「はい、興味がないと言えば、嘘になると思われます」
無難
彼の選んだ答えは、ただただその一言に尽きるものだった。
「大変素直でよろしい。対立する二寮に加えて、ハッフルパフとレイブンクロー。あえて分かりやすく分類するならば、ハッフルパフはグリフィンドール寄りの中立であり、レイブンクローはスリザリン寄りの中立と言えます。貴方達新入生は、これからの学生生活においてそれを嫌というほど体感していくことでしょうが、ならばこそ、【過去の歴史に学んで現在に活かす】ことの最適な事例足り得るのです」
言ってることは分かるが、仮にも教師がそれを言う? 対立状態が分かってるなら少しは改善の努力しろよ教師陣。
誰もが脳裏に同じ言葉を思い浮かべるが、質問に出す勇者は残念ながら皆無だった。
「ホグワーツに入学したばかりの貴方達は、まだ歴史を己の身体で体感していない。故に、まずは過去を学ぶのです。先達がいかに過ごし、決断し、行動してきたかを知るのです。例えば……ミスター・レストレンジ、貴方の知る最も有名な先輩の名を一つ挙げてください」
「ええと、はい、ドロホフ先輩でしょうか」
問われたスリザリンの少年、ロドルファス・レストレンジは咄嗟に浮かんだ名前を挙げた。
深く考える時間もなかったが、しかし熟考したところで答えは変わらなかったろう。
「スリザリン生としてならば正解と判断します。スリザリンに1点を与えましょう。“今現在、スリザリンで最も有名な生徒はアントニン・ドロホフである”。この認識に異論のある方、ありましたら挙手をお願いします」
当然、上がるわけもない。
それはただの事実であると同時に、例え他に該当人物がいたとしても、この雰囲気で挙手して反論する生徒がいたら凄い。
スクリムジョールとて、ここで「ミネルバ・マクゴナガル先輩こそが有名です!」だなんて空気を読まない発言はしない。そもそも彼女はグリフィンドールだ。
「彼の率いる“防衛クラブ”が、レイブンクローのフィリウス・フリットウィック率いる“決闘クラブ”とぶつかることが多いのは周知の事実。ちなみに私は止めませんよ。対立、闘争、大いに結構。戦争こそは歴史の華というものです、どんどんやりましょう。安全圏から戦争を眺めること以上の娯楽はありません」
とんでもないことを断言したドクズ悪霊。
本当にコイツが教師で良いのか、誰がコイツを教師にしやがった。あ、ダンブルドア先生だった、どうしよう。
グリフィンドール生の脳裏に様々な疑問が湧いては嵐のごとく通り過ぎていくが、授業はそんな彼らを待ってはくれない。
「そして、もし自分がその立場にいたならば、どうしていたかを考えるのです。グリフィンドールとスリザリンは、対立すべきだったのか、和解すべきだったのか、それとも、決別すべきだったのか。あるいは根本の問題を問うてみるのもよいでしょう。例えば、このように」
また、魔法の文字が空中に羅列されていく。
いつまでも対立するくらいならば、争いの種になるならば、寮制度そのものを解体すべきか。
あるいは、ホグワーツが終わるべきなのか。
いやいやそれとも、対立を内包しながらも結束する姿こそが、ホグワーツなのか。
全ては、今を生きる者達の決断次第である。
「これは、国家機構にすら言えることですが、建国の理念と民の生命を守れないのであれば、国家それ自体に存続する意味などありはしない」
さらに、言葉は続く。
「同様に、ホグワーツ創建の理念と生徒の生命を守れないのであれば、ホグワーツそのものに存続する価値もありはしないということを意味します」
ゴーストの観測者が、傍観者の立ち位置ゆえに言の葉を紡ぐ。
ある種それは、無責任とも言える諫言であり、ならばこそ賢者の言葉と定義出来るのかもしれない。
賢しらなことをべらべらと言えるのは、当事者でないが故の特権なのだから。
「私とて、闘争を止めはしませんが、生徒の生命は守りますよ。最悪の場合でも魂さえ残っていれば、マートルさんの同僚が増えて、事務労働力が追加されます。実に良いことです」
今ここに、絶対にホグワーツで死んでやるものかと、全生徒の心が一つになった。
なるほど、共通の外敵を作ることで結束できるというのは、真理なのかもしれない。
「そして、あらゆる共同体、機構というものは、構成員の総意によっては瞬時に破却、解体されうるものであるということを忘れてはいけません。やろうと思えば何時だって何だって変えられる。変わらなければならないのは、何時だって自分自身なのです。故に想像し、考えましょう。そして、ホグワーツの今を貴方達が作り、未来は貴方達の子供世代が作るのです」
最初の授業は、己の教科に対する理念を述べるのがホグワーツの伝統であるならば、これが魔法史教師ノーグレイブ・ダッハウの理念。
初代のゴースト教師とは趣の異なる、実践に重きを置いた歴史の教育論であった。
そして、このドクズ悪霊の居ないホグワーツに作り変えたいと、誰もが思った。
「まだ11歳の貴方たちには難しいかもしれませんが、しっかり学んでいきましょう」
学ぶにしても、コイツからは学びたくないなあ。
皆の心がまたしても一致する。実に嫌な一体感だった。
「私は決して、貴方達が11歳だからと軽んじるつもりもなければ、甘やかすつもりもありません。ホグワーツ創建の時代、1000年前であれば、12歳とは大人と同じ仕事を始める年齢とされておりました。肉体構造自体は、その頃と変わっていない訳ですから、大人と同じこと、同じ考え方が、やってやれなくはないのです」
ゴーストに言われても、説得力があるんだかないんだか。
「馬鹿な大人に比べて、頭の良い11歳の方がよっぽど“大人らしく”あることなど、世界中のいかなる時代でもままあること。それを、年齢だけでまだ子供だからと軽んじるは愚かしさの極みというものでしょう。この私を見てみなさい、大人など別段たいしたものではないのです」
凄まじい説得力だった。
思わず、大半の生徒が頷いていた。シンパシー抜群である。
「断言できますが、無駄に歳だけを重ねた存在は、老害、老醜としか呼びようがありません。国家機構の制度上、年齢の区分が必要となる局面は往々にしてありますが、こと歴史教育という分野に限って言えば、馬鹿は何歳になっても馬鹿であり、賢明な者は10歳にして歴史書から教訓を学び取ります」
ならばと、魔法史の教師は本題に入る。
「以上を踏まえて、貴方たちに問いを投げます」
生きる上で、あるいは基本ともなる問いを。
「「「「「 貴方たちは、愚か者ですか? 」」」」」
たった一人が発した言葉のはずなのに、幾人も、下手すれば151人もの声が重なる。
ここは境界線のホグワーツ。ゴーストは遍在し、幽霊教師ノーグレイブ・ダッハウは夜間管理人。
その言葉の意味を、新入生が理解するのはもう少し後のこととなる。
「己を愚者だと認めるならば、歴史に学ぶ必要はありません。己を知恵ある人間の一員だと自負するならば、先人の言葉と体験に耳を傾けなさい。そこに必ずや、己の人生を決める指標となる、教訓があることでしょう」
歴史とは、先に生きた人間たちの物語の総集編であるならば。
そこに必ず、後の者達が参考とすべき答えの片鱗があると。
「さて、伝統の演説はこのくらいとして、授業に入りましょう。まずは昨年度の新入生、ハッフルパフのマンダンカス・フレッチャー氏が大広間スリザリンテーブルに仕掛けた糞爆弾事件。この犯人が最初は同級生のコーネリウス・ファッジ氏、次にグリフィンドールのエドガー・ボーンズ氏であると疑われ、冤罪事件となった事例について見ていきます」
ほんとに、直近の生々しい事件である。
登場人物が知り合いであるスクリムジョールにとっても見れば、苦笑いを抑えつつ先輩方の黒歴史を拝聴するしかなかった。
ちなみに、エドガー・ボーンズも、マンダンカス・フレッチャーも“決闘クラブ”の一員であり、当時からスリザリンとは“敵対的”な生徒であった。なので、完全に冤罪というわけでもなかったりする。(運が悪く、間も悪いことに定評のあるコーネリウス・ファッジについては完全な冤罪だったが)
仕掛けたのはマンダンカス・フレッチャーに間違いないが、そもそも糞爆弾をホグワーツ内部に密輸したのはエドガー・ボーンズである。(当然、持ち込み禁止品)
これを“冤罪事件”と主張したのは当時のグリフィンドール。後に主犯ではないことは調べで分かったものの、“共犯事件”であると主張したのは当時のスリザリン。主犯が自寮ゆえに、両者の間に入って調停出来なかった穏健派ハッフルパフ。
唯一の中立的な立場から捜査を委ねられたレイブンクローからしてみれば、心底どうでもいい案件であった。フリットウィックさん、お疲れさまです。
特性の異なるそれぞれの寮と、だからこその立場と役割の違い。
これもまた、四寮の混在するホグワーツの歴史であり、卒業した後の笑い話となる愛すべき日常風景でもあるのだった。
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「おやマートルさん、貴女もお墓参りですか。先人に敬意を払うのは良いことです」
「んなわけないでしょう。ゴーストの墓参りって意味不明でしょうが」
印象的な初授業から、彼らゴーストの時間感覚で“少し経った”頃。(つまり、半年は経過しており、そろそろイースターが近い)
ホグワーツの広大な敷地内に存在する墓所にて、“ホグワーツの幽霊管理人”にして“曰く付きの悪霊教師”を兼任するノーグレイブ・ダッハウと、トイレのマートルさんは今日ものんきに日向ぼっこしていた。
昼の墓場でゴーストが日向ぼっこ、幽霊の定義はもはや常識の彼方に飛んでいったらしい。
「タバコ休憩というか、息抜きってとこよ。あたしにとってはこことか地下牢が心地よいしね。男爵様があまり地下から出たがらない気分も分かるわ」
「貴女は地縛霊ですからね。本来は死んだ場所であるトイレから離れるほど薄れてしまう訳ですから、それもまた仕方ないことでしょう」
「そういうこと、まあ、あのトイレから半実体化して自由に動けるようになったことだけは、アンタにも感謝してあげてもいいわ」
「おお、有り難い。これからも事務員として馬車馬の如く働きたいとは、雇用主として感無量ですね」
「絶対嫌」
「おお、なんと酷い言葉でしょうか」
「アンタは酷いって言葉の意味を少しは考えなさい。あるいは鏡を見なさい」
「何も映りませんよ?」
「例えよ、例え、んなこたあ分かってるっつうの」
打てば響くというべきか、これもまた気のおけない会話というべきか。
ついでに言えば、ノーグレイブ・ダッハウは雇用主ではない。別にマートルさんにしても、ホグワーツで雇用されている訳でも給料を貰っている訳でもない。
彼女はただ、この自治領にゴーストとして生息しているだけである。
この墓地もまた、歴代の森の番人やしもべ妖精のものであり、あるいは終生をホグワーツで過ごした教師のものもあった。
今、“悪霊のダッハウ”が清掃している墓も、彼の先任者カスバート・ビンズのものである。彼は肉体を自室に置き忘れた後、遺骸はここに埋葬されたのだ。
この男にも先代への敬意は人並みにあるらしく、ビンズ先生の墓の清掃だけは欠かしていない。
「墓参りと言えば、貴女のご両親はマグル世界でまだご健在でしたか」
「ええ、有り難いことにね。今でも向こうにある私の墓に、健康を願って毎日祈りを捧げてくれてるわ。親より先に死んじゃった不孝者に、有り難いことよ。……もう14年も経つのにね」
「そこに貴女は居らずとも、14年ですか。私達にとってはともかく、死すべき定めの人の子にとっては長い時間ですね」
「あたしと違ってアンタには、人であったことがないんだっけ?」
「左様です。船の妖精ローレライなど、純粋に幻想寄りの半実体霊魂はそこまで珍しいものでもありませんが、私はかなり変則的な亜種ですよ。何しろまあ、発生した場所が場所であり、由縁が由縁です」
「話には聞いてるけど、マグルの側でも随分ととんでもないところだったんでしょ」
「まさに、“例のあの場所”、“名前を言ってはいけないあの場所”という忌まわしき名ですよ。ゴースト冥利に尽きると言えばその通りですがね」
「うへぇ」
苦虫を噛み潰したような表情になるのは、まだ彼女に人であった頃の感覚の名残があるからか。
いずれにせよ、同じ悪霊という括りではあっても、互いは“異種同士”であるというのは共通認識になっている。
そして同時に、異種同士が共生し、混在することにこそ魔法世界の特徴はあり、ホモ・サピエンスという唯一の同族しか認めないマグル世界との究極的な違いであった。
「思えば、魔法世界の墓というのも興味深いものです。そこに遺骸も魂もないことは分かっていても、それでも人は墓を作る。ゴーストに成って、私のお墓の前で泣かないで下さいと言ったところで、止められるものでもない」
「そもそも、私のために泣いてくれるならやっぱりこっちも嬉しいしね」
「生きる者が死者に囚われ過ぎないのであれば、鎮魂歌が悪いものであるはずもありません。それはむしろ、サピエンスの文化の中でも最も綺麗で高潔なものといって良いでしょう。ああいや、サピエンスに限らずでしたか、ネアンデルタール人も、お墓に花を供えたらしいですから」
「ネアンデルタール人? どこの人間?」
「アルフレッド・ラッセル・ウォレスとチャールズ・ダーウィンが進化論を発表した頃からの有名な方々ですよ。魔法界では著名ではありませんが」
「ふうん」
如何にも興味ないという感じで適当に相槌を打つマートルさん。
実際、興味がないのだろう。
「マグル出身の貴女ならば、名前くらい知っていてもおかしくないのですが」
「うちのパパとママはそんなに現代の学説に興味なかったのよ、昔からある聖書の教えの方を子供に読み聞かせるくらいにね」
「なるほど、貴女の生まれた1927年頃のイングランドの田舎ならば、そんなものですか」
「何? 田舎ディスってんの? それとも叡智のレイブンクローをディスってんの?」
「いえいえ別に、私とて発生したのはホグワーツですから。ここはホグズミード村に隣接する自治領にして、魔法界の都市部と辺境の境界線。決して都会とは言えない陸の孤島ですしね」
「ま、そりゃそっか」
「それよりも、やはり死者への祈りの方に興味があります。貴女に祈りを捧げてくださっているご両親には、他にお子さんがいらっしゃったと記憶していますが」
「幸運にも、ね。あたしが入学した頃は一人娘だったけど、三年生になる頃には弟がいたわ」
「なるほど、それは確かに、幸運と言えるでしょう」
「その一年後にあたしは死んだけどね。あの子にもう会えなくなっちゃったことは、ゴーストになった“心残り”の大きな部分だったわ」
マートル・ウォーレンはマグル生まれ。両親からすれば一人娘が全寮制のホグワーツに通い、そして校内で怪物に殺されたという悲劇だった。
当時のホグワーツが、ウォーレン家にどんな説明と謝罪をしたかは彼も伝え聞いているものの、ダンブルドア氏の誠心誠意の謝罪の言葉がなければ、その怒りと慟哭はやがて呪いとなって別の誰かに降り掛かっていたかもしれない。
あいにくと、当時の校長アーマンド・ディペット氏は、“マグル生まれの生徒が一人死んだ”ことの意味を、真に理解は出来ていなかったようだ。
マグルの両親にとって、娘を魔法界の学校に預けることが、どれだけの不安が伴うか。その信頼を損なうとは、どういう意味を持つか。
1942年頃、ナチスドイツとの全面戦争の真っ只中、空爆と戦死者が日常という時勢でなければ、大問題となっていただろう。
とはいえ、魔法世界側とてグリンデルバルドの魔法大戦の真っ只中であり、それどころではなかったというのも事実だが。
「如何でしたか、十数年越しに弟と再会できた感想は」
「……だからアンタは嫌いなのよ」
「大勢の生徒たちが生活しているからこそ“心の場”が生まれる。その日々の想いを貴女が掬い取り、家へ還る幻想の列車の薪となる。いやまったく、古き魔法とは大したものです。今を生きるホグワーツ生たちはただそれだけで、過去に亡くなった同胞を救う力の源となっているのですから」
魔法界側ならば、ハロウィンの夜。あるいは、ヴァルプルギスの夜。
マグルの両親がいる家ならば、クリスマスの夜か、復活祭の頃。
世界に数多ある、“お盆の先祖還り”に似た伝承の幻想に便乗する形で、ゴーストは家族の元に還る。
その現象を指して、『ゴーストの墓参り』と呼ぶ者もいた。
彼女が再会できたのは、弟が自分と同じ歳になった頃、今から2年前のこと。
その時の両親の喜び様を述べることは、無粋でしかあるまい。
「全部パパとママのおかげよ、12年間も、一度も私のことを忘れてくれなかったから」
「“縁”は固く結ばれ、それを標に貴女は帰ることが出来た。いやいや、親の愛情とは素晴らしい。例え忘却術であろうとも、彼らの想いを消せるとは思えませんね。そして、その瞬間に助力できたのは私としても喜ばしい限りです」
「……ふんっ、パパとママに手紙を書けるようになったことだけは、感謝してもいいわ」
彼女が文句を言いつつも、ホグワーツの裏方事務作業を引き受ける理由がそれだ。
自分が書いた手紙を、両親に出せること。例えゴーストになっても、貴方達の祈りのおかげで、こうして毎日楽しくやっていますと伝えられること。
それこそが、彼女にとっては何にも代えがたい、奇蹟であったから。
「ツンデレにジョブチェンジですか」
「いっぺん死になさいアンタは」
「マグル世界に生まれ、ホグワーツで死に、ゴーストとして再誕し、そして夜間学校へ。幽霊に期末試験はありませんが、墓場で運動会は楽しめますよ」
誰のための夜間学校か、如何なる祈りがそれを繋ぐか。
ここは、魔法世界のホグワーツ。
現実と幻想との、境界線のホグワーツ。
「なにはともあれ、ダンブルドア先生は偉大な人です。貴女のご両親へ彼が説いた言葉は、こうして成就したのですから」
マグルの身では、触れることも叶わぬ幻想の世界。
ならばこそ、信じて祈って欲しいと。我々不甲斐ない教師たちへの怒りはごもっともだが、どうか、幻想の織り手である貴方達が信じて欲しい。
純粋な祈りは、必ずや縁となって実を結ぶと。
「あるいは彼自身が、今も同じ夢を祈っているのかもしれませんね」
ゴーストの墓参りが、救いとなって還ってくるその時を。
今は遠き彼女が、いつか祈りと共にこのホグワーツに新入生として通って来れるようになるその日を。
「誰がために墓はあるのか、さてさて、ホグワーツの歴史は応えてくれるでしょうか。偉大なるゴドリック、ヘルガ、ロウェナ、そしてサラザールよ」
答えを期待しない問いを宙に投げながら、幽霊教師は静かに墓を磨く。
ああ、今日は墓参りには良い日よりだ。