『時計塔のオブジェクト記録』
【魔女の若返り薬】
不老不死の探求の項でも述べたが、女の権力者は老いさらばえることを最も恐れた。
動機は様々なれど、古来よりある魔女の術の中でも、永遠に美を留める不老の手段を追求したその執念の結実。
成功例は幾つか伝わるが、当然、それ以上の失敗例がある。
古の時代に権力者の女性が求めたものである以上、最初に自分で試すはずもなく、従僕や奴隷なりを用い人体実験を行うのは当然のこと。
数ある失敗の中でも顕著なものに、記憶喪失の類が知られる。
若返りの薬が正しく機能すれば記憶などはそのままに肉体のみが回帰する。
記憶の保存が上手くいかなかったとしても、少なくとも若返った当時までの記憶は維持できるはずなのだが。
しかし脳内の記憶システムとは未知の部分も多い。若返り薬の副作用により、かつての己を完全に忘れてしまう文字通りの“生まれ変わり”の例もあったとか。
そうした場合への対処として考えられるのは、事前の記憶の保存である。
上級術者が憂いの篩などに記憶を保存するように、別の器に“必要な記憶”を保管しておき、若返った後で肉体に戻す。
そのような方法により、幾度も若返りを繰り返した魔女もかつていたらしいが、それでも魂そのものの摩耗からは逃れられなかった。
『若返りを望む者よ、心せよ』
『時を刻んできた肉体の時間を戻すとは、己を殺すに等しいのだと』
『それはつまりカイロスの時計を、体内時計を壊してしまう危険を孕むのだと』
*----------*
「マートルさんは既にトイレに到着、番犬の起動も無事に終わったようです。侵入者についてその後どうですか、ヘレナ校長?」
「敵は8人ですが、3手に分かれたようです。カロー兄妹は先の爆発の震源へ、マクネア、セルウィン、ルックウッドの3名は3階に来ました。狙いは秘密の部屋の入り口でしょう。ヤックスリー、トラバース、ロウルはどうやら地下室へ向かっています」
4階の廊下は悪霊たちの領域。スクリュートやアクロマンチュラに加えて処刑器具、拷問器具たちも生贄の血を求めて次々と出撃していく。
それらの姿を見守りながら、時計塔の悪霊にして裏側管理人のノーグレイブ・ダッハウと初代校長のヘレナ・レイブンクローの両名は、地図に移る死喰い人の動向を観察していた。
魔法の城が迎撃体制に入った場合、幽霊たちは基本的に防衛機構の一部として画一的に動き始める。特にこの両名は組み分け帽子の代行として司令塔の役割を果たすが、序列はあくまでヘレナが上で、ダッハウは彼女の代理人という形での裏側管理人である。
そのように、創始者ロウェナ・レイブンクローが定めたのだから。
「地下室へ? ふむ、スリザリンの談話室で人質を取るつもりにしては進路が妙ですね」
「ですが、そちらが本命の可能性はあります。必要の部屋を通過した際に捉えましたが、亡き母の髪飾りがホグワーツへ戻ってきました。今はアレクト・カローが持っているようですが、似た魂の波動をコーバン・ヤックスリーからも感じます」
「ほう、敵は随分と焦っていると見えます。闇の帝王の復活の為に最重要と言える品々をここに投入してくるとは」
創始者の一人、ロウェナ・レイブンクローの遺品である叡智の髪飾りは、長らく必要の部屋にて保管されてきた。
その魔法の性質上、ホグワーツで最も叡智を求める生徒が望んだ場合に部屋は姿を表し、持ち主に相応しいかどうかの謎掛けを挑んでくる。
「ここ数十年で、かの部屋を開いて髪飾りを持ち出した生徒はトム・マールヴォロ・リドルのみ。正統継承者であられる貴女がここにいる以上、あくまで“貸し出し”扱いですが、勝手に魂を分与するというのは貸し出し規則的にどうなのです?」
「まるで図書室の本の返却忘れや私物化を語るように淡々と言う、貴方らしいですねダッハウ。ですが、叡智の取り立てはレイブンクローの流儀ではありません」
「求める者には叡智を隠さず。なるほど、探求という側面では闇の魔術であろうと等価に見るからこそレイブンクローはスリザリンと距離が近い」
侵入してきた8人の大半はスリザリンのOBだが、先導役はレイブンクロー。
対して、教師や闇祓いが既に迎撃に動いているが、こちらはやはりグリフィンドールが主力となる。
「後は、因縁の結ばれるままにというものですか。決闘クラブの中止の旨は通知してありますが、位置的に考えて既に会場へ向かっていた生徒達が鉢合わせる可能性は―――ふむ、期待を外しませんね」
地図に映るは、ハリー・ポッター、ロナルド・ウィーズリー、ハーマイオニー・グレンジャーの三つの名前。
秘密の部屋の入り口であるトイレと、そこへ向かう死喰い人との中間におり、このまま行けば確実にぶつかる。
「恐らくは対悪霊戦線のためにマートルさんが決闘クラブに来るかどうかを確認していたのでしょうが。しかし彼らだけではない、他にも近くに秘密の部屋探索組がちらほらいます。パーシー・ウィーズリー、セドリック・ディゴリー、双子に加えてクィディッチ組も、そして一年生のジニー・ウィーズリーとルーナ・ラブグッド」
「勇敢な子達です。例のあの子については?」
「そちらについてはブラック班が対応しています。ニンファドーラ・トンクスとシグナス・ブラックの名前についてご覧いただければ、彼らの狙いも分かりやすい」
悪霊の指し示す先には、探索組の生徒達の元へ向かう教師や闇祓い達の名が記される。
死喰い人、探索組生徒、教師と闇祓いが忙しなく動いており、これらを同時に把握するのは“人間であれば”困難極まるだろう。頭脳があと二、三個は必要になってくる。
「さて、面白くなってまいりました」
「不謹慎ですよ。真面目になさい」
だが、時計塔にとってはさほど困難なことではない。何しろそこには、151もの“意識”が常に渦巻いているのだ。
ノーグレイブ・ダッハウは遍在する。この城の中であるならば、151の目となりて多くの事象を同時に認識することとて不可能ではない。
ただまあ、観測するだけでコイツは何もしないのだが。
*----------*
「イタタ、すっごい爆発だったけど。ルーナ、大丈夫?」
「わたしはへーき、それよりも、あっち」
巨大な爆発音と衝撃に吹き飛ばされる形になった少女二人、ジニーとルーナに見たところ大きな怪我は見られない。
吹き飛ばされたその瞬間、城の床や壁が衰え呪文(スポンジファイ)をかけられたように自動的に柔らかくなっていたことに、果たして少女らは気付いていたろうか。
ただし、廊下は半壊も同然で巨大な亀裂が入っており、飛翔術を使えない彼女らには容易に越えられない断崖となってしまっている。
「ようやく見つけた! おい、ベラトリックス、覚醒しているのか!?」
「問題ない。まだ意識が混在している部分もあるが、我が使命は秘密の部屋を開くこと」
「本当に? 兄と私をはめるつもりはない?」
「何だアレクト、拷問官が疑うか? それはラバスタンの仕事であろうに」
「何よ、偉そうに。帝王様の真似事? それとも代理人気取り? 半年も潜入していたのに何の成果も挙げられなかった年増が」
「お前たちとて、クリスマスに為す術もなく無様に撤退したではないか」
「だから、予定通りアンタが中から手引してればギボンが捕まることもなかったっての」
「おいアレクト、今はそんな事を言っている場合ではないぞ。コイツの意識がベラトリックス本人かなんてどうでもいい。何しろ帝王様の分霊箱に半年以上も触れていたんだ、自我が混ざってもおかしくないさ」
スリザリンの少女に駆け寄ってきたのは、侵入してきた死喰い人のうちの二人、アミカス・カローとアレクト・カロー。兄と妹でカロー兄妹と通称される。
武闘派というよりも、磔の呪文を用いた拷問が得意であることから、拷問官と呼ばれることが多い。
「それでだベラトリックス、日記は何処にある?」
「残念ながら今は手元にない。ロケットならばここにあるが」
少女が胸元から取り出したのは、重い金でできており表にはヘビのような形をした「S」が緑の石ではめ込まれて輝いているロケット。
スリザリンに由来のある品だと、ひと目で分かる重厚な作りである。
「日記は悪霊共の巣にある。今すぐに秘密の部屋を開きバジリスクを解き放つべきだ。さすれば悪霊共も簡単に一掃できよう」
「可能なのか? 要は日記だと聞いていたが」
「お前たちも分霊箱を持っているのだろう、今の我ならば蛇語を使うことも出来る。ロケットと髪飾りがあれば充分よ、指輪があればなおよいがな」
「ふん、ベラトリックスの癖に知恵が回るようじゃない。ええ、髪飾りは私が預かっている。これも帝王様のおかげかしら」
「アンタのおつむが足りていないだけじゃなくて? おおっと、いかぬいかぬ、まだたまに意識が混在することがあるな」
ホグワーツ創始者の一人、ロウェナ・レイブンクローの髪飾り。
身につけた者には叡智を与えると言われるが、今はただ所有しているだけだからか、アレクト・カローという死喰い人の知能が上昇しているわけではないらしい。
そもそも、分霊箱となった時点で何処まで本来の機能が残っているかは謎であるが。
「そんなでは困るぞ、秘密の部屋を開くのはお前にかかっているんだからな」
「わかっている。しくじりなどせん」
「ともかく行きましょうか。ところで、向こうのオチビサンたちはどうする? 殺しちゃう?」
爬虫類のような冷たい殺意を漂わせながら、女の死喰い人が子供達へ目を向ける。
向けられた少女二人は身を震わせるが、それでも目を逸らしはせず、気丈に杖を構えていた。
「あれって、死喰い人のカロー兄妹よね? デルフィーニを何処に連れて行くつもりなのよ」
「違う、あれはデルちゃんじゃないよ」
「どういうことルーナ?」
「雰囲気が全然違う。デルちゃんはあんな悪戯っ子みたいな空気じゃないもの」
「ごめん、よく分かんない」
死喰い人達の会話の内容までは少女たちにはよく聞こえず、断崖を挟んだ遠目から状況を察するより他はない。
なんとなく、ロケットだの日記だの言っていることと、秘密の部屋を目指していることくらいは辛うじて聞き取れるが、細かい事情までは一年生の少女にはさっぱりだ。
「一刻を争う、後回しだ」
「アミカスが正しい。一年生のガキに出来ることなど何もない。すぐに秘密の部屋へ向かうべきだ」
「ふん、残念だけどまあいいわ、行きましょう」
この侵入は時間との戦い。残虐非道のカロー兄妹と言えどそこは弁えているのか、踵を返して駆けていく。
ジニーとルーナにとっては、先の爆発で廊下が寸断されていたのは幸運だったと言えるだろう。もし彼女らが駆け寄っていれば、人質に取られるか、磔の呪文か、あるいは死の呪文の運命が待っていた可能性が高い。
「待ちなさい! デルフィーニを何処に連れて行くのよ!」
「秘密の部屋って言ってた。でもこの崩れちゃった廊下、わたしたちには直せないかも――あ、パーシーだ、セドリックもいる」
「ジニー! ルーナ! 無事か!」
そこへ駆けつけたのは、パーシー・ウィーズリーとセドリック・ディゴリー。
悪霊が地図で見ていたように、彼らも決闘クラブの会場へ向かうべく割りと近くにを歩いていた。爆発音を聞いて最も早くに来られたのがこの二人らしい。
「私とルーナは無事よ! でも、デルフィーニが連れて行かれちゃったの!」
「連れて行かれた? ということは、死喰い人が来たんだね?」
「うん、ええっと、たしかバッカヤロー兄妹」
「それはつまり、カロー兄妹のことだねルーナ。それで、どっちに言ったか分かるかい、ジニー」
ルーナの微妙にズレた情報を修正しつつ、セドリックが尋ねる。ここはジニーに聞いたほうが早いと思ったようだ。
「あっちの廊下を走って、右の方に行ったわ。秘密の部屋を目指すとかどうとか言ってたけど」
「……分かった。僕らが追おう。フレッドとジョージもすぐに来る、君等は二人と合流してすぐにこの場を離れるんだ、いいね」
「でも――」
「聞き分けてくれジニー、先生方には僕らが守護霊を飛ばして説明するから」
彼とて日々悪霊戦線を戦うグリフィンドールの監督生、いざという時の即断即決は獅子の得意とするところ。特にダッハウ相手には絶対必須の技能だ。
そして、ハッフルパフの模範と呼ばれる四年生の秀才は、友のためならば戦うことに迷いはない。彼もまた、何度悪霊の放った怪物と戦ったことか。
ちなみに、どういうわけか尻尾爆発スクリュートはセドリックを好んで追い回す。前世からの因縁でもあるのか、優勝杯に絶対触れさせるなと誰かの遺言が残っているのか。
「パーシー、どうしようか。レパロで直すには時間がかかる」
「浮遊呪文で飛び石の浮橋を作ろう。幸い、瓦礫はそこらにある。ウィンガーディアムレビオーサ!」
一年生の少女たちには無理でも、六年生ともなれば断崖を超える方法はいくらでもある。
死喰い人に連れ去られた少女を救うため、上級生二人は死喰い人と戦う覚悟で追うことを決めたのだった。
*----------*
「くっそ、越えられるのも時間の問題だぞこれ! ハリー、生ける屍水薬はもうないのか!」
「あと三つしかない! 一応ダッハウ先生対策にいろいろ持ってきてはいたんだけど!」
「とにかく時間を稼ぎましょう! ロン、貴方はドラゴン花火をお願い! わたしたちじゃ死喰い人を倒すなんて無理なんだから専守防衛で!」
「オッケイ! そらいけ、双子謹製の特別版だ! インセンディオ!(燃えよ)」
同じ頃、マートルのトイレに繋がる三階廊下の一角では、まるで銃弾の飛び交う塹壕戦の様相を見せていた。
とはいえ、飛び交うという表現には多少語弊があるかもしれない。片側の陣営からは次々に失神光線や爆裂呪文が叩き込まれるが、塹壕に籠もっている生徒側からは眠り薬だの仕掛け花火だのが飛んでいく。
マクネア、セルウィン、ルックウッドらの三人の死喰い人の進路に、運悪く居合わせてしまったハリー達。ホントに彼は運がない。
向こうからは即座に失神呪文が飛んできたが、その瞬間に廊下の一部がひとりでに動き出し、まるで生徒を守る塹壕に姿を変えるが如くに変形していったのである。
そればかりではない。両側に飾ってあった甲冑なども動き出し、生徒を守る盾として壁を即座に形成した。死喰い人らにとっては予想外だったろうが、対悪霊戦線で処刑器具などが動くところを目の当たりにしているハリー達にとっては“いつものこと”だ。
「よっしゃ命中! ザマアミロ悪霊! くたばれダッハウ!」
「ロン、違う違う。相手死喰い人だから」
「ごめん、いつもの癖で」
「この際どうでもいいわ。これも定番だけど、死喰い人の相手をする方がダッハウ先生よりかはずっとましよ」
何せ、魔法史の授業の最中に突然机や椅子がガタガタ動き出したり、挙句の果てには床に穴が開いて生徒を下の階に落っことすことすらある学校である。本当にここは教育機関なのか?
まして、ハリー達はマートルのトイレに行こうとしていたのだから、こういうことがあってもおかしくないと警戒しながら進んでいた。悪霊の巣に近づいた双子が動く城にやられた前例などはいくらでもあるのだ。
もっとも、獅子寮三人組にしても外敵から生徒を守ろうとして動く城の機能を見るのは、初めてのことであったが。
「でもまあ、ホントにホグワーツって生きてるんだな。頼もしいぜ」
「ダッハウ先生曰く、死んでても動くらしいけど」
「これがただの壁だったりしたら、今頃ボンバーダでわたしたちごと粉々にされてるわ」
「そしたら僕ら、晴れてダッハウの仲間入りか」
「ホントに死んでも嫌だよそれ」
「もう手遅れなマートルには悪いけど、そうなりたくなかったら戦うのよ、“ダッハウ化”だけは御免だわ」
ここがホグワーツでなかったならば、大人の死喰い人達を相手に二年生が持ちこたえられるはずもない。
だが、魔法の城では救いを求める者には必ず助けが与えられる。ましてこの子らは例え城の助けがなくとも勇敢に戦う勇気と知恵を備えている。
ならばこそ―――
「ハリー! アレみろ!」
「牝鹿の守護霊……ってことは」
「後もう少しね、頑張りましょう!」
ホグワーツを守る教師たちが駆けつけるのは当然のこと。もとより敵地に潜入してきたのは死喰い人である。戦況の硬直化はすなわち敵の増援到着に等しい。
ありていに言って、地の利が悪すぎる。例え圧倒的戦力を有しての侵攻だったとしても、力押しでは難攻不落のホグワーツは打ち破れない。
死喰い人が事をなしたいならば、あくまで城のルールに則った潜入でなければならなかった。防衛機構に気取られた時点で、正面の戦いでは二年生の子供にすら勝てないほどのハンデを背負わされたも同然なのだから。
「……なあ、敵、一人減ってないか」
「え? ……言われてみれば確かに」
「まさか、迂回した?」
ならばこそ、敵もただの暗愚ではない。およそ教師のものらしき守護霊を見た段階で、この場の不利を悟ったのだろう。
彼らの目的は秘密の部屋への入り口を抑えることであり、分霊箱を持った“本命”を部屋へと送り届けることにある。例えそれが叶わないとしても、陽動となって不死鳥の騎士団の戦力を引きつけるのが役割だ。
こちらの分隊を率いるのはレイブンクロー出身の死喰い人、オーガスタス・ルックウッド。彼はあくまで叡智の寮の卒業生に相応しく、己の役割を忠実にこなすことに徹しているようであった。
*----------*
「クソが! なんて忌々しい城だ! こんなの聞いてないし知らないぞ! 何時からこうなった!」
吐き捨てるように叫びながら、魔法省危険動物処理委員会の死刑執行人、ワルデン・マクネアは目的地へと辿り着く。
同僚の二人、セルウィン、ルックウッドらに遭遇した生徒ら(正確には、そこに駆けつけるだろう教師たちも含め)の相手を任せ、彼は単独で3階のトイレへと。
恐らく、残った二人は捕まるか、高い確率で死ぬだろう。現れた守護霊がセブルス・スネイプのものであることは死喰い人らとて察している。
ならば、ジェームズ、シリウス、リーマスのいずれかがあの場に現れるのも時間の問題。ただでさえ実力伯仲している騎士団の精鋭を相手に、ホグワーツ内部という地の利の条件では勝てるはずもない。
「だが、ただでは終わらんぞ、せめて一矢報いてやるとも」
暗い執念を漂わせつつ、魔法生物の処刑人は件のトイレの扉を破壊する。
何せ凶悪な悪霊の巣であると聞いている。礼儀正しく扉をノックして開くような真似はしない。中には恐らく、去年確認されたというアクロマンチュラやらスクリュートだのが待っている可能性が高いのだから。
破壊した扉の残骸が、少しでも怪物共を怯ませれればと爆煙の先を見てみれば―――
「はーい、いらっしゃいませ地獄の門へ。生憎だけど、冥府の入り口への通行料が足りてないみたいね」
そこには、物理的な瓦礫などものともしない霊体の少女の姿と。
「食べちゃっていいわよ、フラッフィー」
仮にも教育機関の校内にこんな怪物を飼っていいのか。
死喰い人であり、魔法生物の処刑人である彼をして、今際の際にそんなことを思わせるほど威容を誇る、三ツ首の巨大ワンちゃん。
ギリシアの神話では地獄の番犬として伝わる、宝物や境界線の守りに特化した怪物、いいや、もはや怪獣というべきデカさ。
ハグリッドご自慢の“フワフワのフラッフィーちゃん”である。
「残念だったわね貴方、マルシベールと同じく“何も為せなかった組”にまた一人追加よ。アタシとしてはこき使える事務員候補が出来て嬉しいけど、あのクズに何て嘲笑られることやら。今から長い地獄を覚悟しておきなさいな」
凶悪な牙を備えた三つの首に同時に噛みつかれ、肉体が瞬く間に割かれていく様を、なぜか“上から見下ろすように”認識しながら。
死喰い人、ワルデン・マクネアは何も為せることのないまま、怪物の餌となってその生涯を終えた。
「それにしても、秘密の部屋の入り口の番犬にケルベロスってのも滑稽ね。あのパイプの奥にはアタシを殺したもっと凶悪な怪物がいるってのに」
マートル・ウォーレンは知っている。ここまでが、怪物を配置できる限界点なのだと。
そもそもにして、今は城の守り手と認識されるアクロマンチュラは、このトイレにすら寄り付かない。スクリュートですら、入り口のあるここに長居はしたがらない。
怪物たちは本能で知っているのだ、この先には恐ろしいものがいると。
「ここで待機できるだけでも、貴方は偉いわよフラッフィー。後はノーバートくらいかしらね、流石にドラゴンの炎は危険だから遠慮願いたいけれど」
*----------*
「よおヤックスリー。魔法戦争以来だな」
「シリウス・ブラックか、闇祓いの猟犬は随分と鼻が利くらしい」
そして、今宵侵入を果たした8人の死喰い人の中では首魁と言える古参の幹部、コーバン・ヤックスリー。
トラバースとロウルの二名を率い、地下牢へと進んでいた彼の前に現れたのは、まさに天敵と言える職業に就く男だった。
「わざわざホグワーツに入るとは、飛んで火に入る夏の虫という言葉を知らないのか?」
「ふん、そちらこそ獅子身中の虫という言葉を知らぬのか」
互いに高度な戦闘技能を身に着けた魔法使い同士が出逢った場合、こうした舌戦から始まる例は珍しくない。
何しろ、常に互いに無言呪文で盾の呪文を張っているのだから、単純な失神呪文などの打ち合いでは千日手になりかねない。如何にして相手の意表を突いて盾の隙間を突くか、あるいは、隙を見せるのを覚悟で死の呪文や爆破呪文などを叩き込むか。
魔法使いの戦いとは、つまるところは読み合いと探り合いだ。それは将棋やチェスにも通じるものがあり、しかし同時に運動神経や直観も当然重要になるため頭でっかちが勝ち続けられるほど甘くもない。
「トラバースも今頃、ジェームズと遊んでもらってることだろうさ。分かってるだろうが、詰んでるぜお前ら」
「覚悟の上の突入よ。もとより、無事で済むなどと思っておらん」
「なるほど、まあそんな感じだとは思ってたが、随分と焦っているんじゃないか。失敗に次ぐ失敗で、御主人様に愛想を尽かされたか?」
「……貴様の知ったことではないわ」
「図星か?」
「黙れい!」
死喰い人とて人間である以上、痛い本心を突かれるとやはり激高するもの。
そして、魔法使いの決闘が読み合い探り合いであるならば、頭に血がのぼって攻撃箇所を凝視してしまう側がどうなるかなど、分かりきっている。
「がっ、はぐ」
抜き打ち。
まさにそう言って差し支えない早業で、シリウス・ブラックはヤックスリーの放った死の呪文を紙一重で躱し、空いた盾の隙間に失神呪文を叩き込んでいた。
「だからお前たちは負けるんだ。アバダケダブラは決闘で使うには向いてないってのに、相手を殺そうとすればするほど、無意識でそれを使おうとしてしまう」
許されざる呪文は、殺意や憎悪を糧に強くなる。
だがそれは翻って言えば、殺意や憎悪に飲まれていき、戦場において冷静な思考や判断から遠ざかっていくことにも繋がる。
死喰い人が処刑人や恐怖の対象とはなれても、戦争には勝てない究極的な理由がそこにある。
東洋のとある武人(復讐の鬼)に曰く、手はきれいに、心は熱く、頭は冷静に。
殺意は、収束して敵へ向けてこその武器である。撒き散らされる殺意は災厄としては脅威だが、戦技としては三流だ。
「例外はロジエールとドロホフくらいか。殺人鬼に殺し屋と、例えヴォルデモートがいなくても、アイツラだけは俺達闇祓いの敵で在り続けるんだろうな」
*----------*
「これは、横穴なのか?」
「少なくとも探索中にはこんな穴はなかったはずだ。それに、ついさっき開けられたくらいに新しい」
ジニーとルーナから話を聞き、デルフィーニを救出すべく追ってきたパーシーとセドリック。
先行する死喰い人、カロー兄妹が目指すのは3階のマートルのトイレかと思われたが、意外にもその足取りは地下へと向かっていた。
「ひょっとして、例の秘密の部屋に繋がるパイプに横から入るために?」
「在りうるね。マートルのトイレには怪物がうよついているから、迂回するつもりなのかも」
彼らの推測は、大凡において正しい。
今宵の死喰い人の襲撃の目的は、あくまで秘密の部屋を開けてバジリスクを開放すること。そして、主の魂の込められた日記を元に秘密の部屋にて復活の儀式を行うことである。
仮に日記が上手くいかなくとも他の分霊箱で行えるようにと、ヤックスリーは指輪を、カロー兄妹は髪飾りを預かってきていた。さらに、以前から日記とロケットは潜入を果たしていたのだから、その本気度が伺えるというものだ。
ただし、それがほんとうに帝王ヴォルデモートの指示であればの話であるが。
「ともかく、横穴のことは先生方や闇祓いの方々に伝えよう」
「分かった」
クリスマスのときと同じく、二人は守護霊を出現させ伝言を託す。
これで仮に自分達に何があったとしても、後続の誰かが必ずやデルフィーニを救い出してくれるだろう。
「行こう」
「ああ」
だがそれでも、彼らには大人に任せてここで待つという選択肢はなかった。
ホグワーツの結束は固く、揺るぎない信頼こそが強さである。
色々と騒動が尽きなかった秘密の部屋探索組であり、特にパーシーやセドリックは喧嘩や揉め事の仲裁に何度駆り出されたか分からない。まあ、総回数ならばハーマイオニーが一番なのだが。
だがそこには、笑い合う喜びがあった、冒険の楽しみがあった。何よりも、仲間との絆があった。
デルフィーニ・スナイドがスリザリンだからと、死喰い人の身内だからと、助けに行かないなどという道はあり得ない。
疑心と差別は、皆殺しの滅びへと至る道だ。
「どうせばれないように進むのは無理だ。明かりをつけていこう」
「そうだね、ルーモス(光よ)」
そして長いパイプを下り終え、秘密の部屋の開かずの扉へ繋がる隧道へ。
勇気のグリフィンドールと、協調のハッフルパフ。
属する寮を象徴するように、死喰い人のいるであろう通路の奥へと、慎重に二人は進んでいく。
「いたぞ、一人、二人、三人――、四人」
「どうやら、一人合流したようだ」
彼らは知る由もないが、合流した死喰い人はロウル。地下に向かった三人のうち最後の一人であり、横穴を作ってカロー兄妹を待っていた“本命”だ。
彼もまた、突入後にヤックスリーから指輪を預かっている。死喰い人の目的は、8人の誰でもよいから分霊箱を秘密の部屋へと届けることにあった。
そして今、ここには髪飾り、指輪、ロケットの三つが揃ったことになる。中核となるべき日記がなくとも、これならばスリザリンの扉も開くと聞いている。
「……」
「どうしたベラトリックス、さっさと蛇語で扉を開けろ!」
「まさか、この期に及んで闇の帝王へ魂を捧げることに怖気付いたというのではないだろうな!」
「巫山戯るんじゃないわよこのメスガキが!」
しかしどうにも、様子がおかしい。
三人に増えた死喰い人らが非常に苛立っていることは、パーシーとセドリックの二人にも簡単に察し得た。
何しろ、明かりを消しているわけでもないのにこちらに気付かないくらいである。
「デルフィーニを、ベラトリックスと呼んでる。どういうことだ?」
「分からない。錯乱してるのか、勘違いしてるのか」
と同時に、二人からすれば多少意味不明な光景である。
ジニーの言っていた通り、デルフィーニがカロー兄妹に秘密の部屋へと連れ去られたのは間違いなかったが、そのデルフィーニをベラトリックスと呼び、扉を開けるようにと怒鳴っている。
仮に、死喰い人の言葉が正しく、デルフィーニの正体が死喰い人の幹部ベラトリックス・レストレンジだったとして、だとしたら何でこの場で仲違いする必要があるのか。
何かがおかしい、取り違えられたように状況が噛み合っていない。
「とにかく、チャンスだ。1,2の3で行こう」
「気付かれる前に、だね」
状況には不明な点が多いが、ここでじっとしていても始まらない。
増援を待つという手もなくはないが、デルフィーニが無事でいられる保証もまたない。そもそも、彼女がベラトリックス・レストレンジであるというのが二人からすれば半信半疑なのだから。
彼女を助けるために来た、ならば初志貫徹するまでのこと。
「ステューピファイ! 麻痺せよ!」
「エクスペリアームス! 武器よ去れ!」
「む、プロテゴ!」
「ちぃ、敵か!」
「甘いわね!」
だが流石に、不意打ち一つで倒せるほど甘い相手ではない。
ここは秘密の部屋へ繋がる通路。優しく生徒を守り、時に援護してくれるヘルガ・ハッフルパフの守りの呪文は存在しない。
何処までも冷徹な、魔法の実力差の明暗がそこには現れる。
「デルフィーニから離れろ死喰い人!」
「その子は僕らの仲間だ、傷つけたら許さないぞ!」
「何だガキか」
「なるほど、お友達を助けに来たか、愚かな」
「クスクス、正体も知らずに友情ごっこ、傑作ね」
真実を知る優越感からか、嘲笑いながら三人の死喰い人は杖を構える。
そしてその瞬間、彼らの運命は決したと言えるだろう。
「ステューピファイ! 麻痺せよ!」
「あぐっ」
「んぐっ」
「え?」
一瞬の早業。
杖を直接身体に突きつけ、盾の内側からのゼロ距離の失神呪文。
これを受けてはいくら無言呪文で盾を張っていようがひとたまりもない。流石に三人同時までは厳しかったようだが、それでもロウルとアミカス・カローの二人は完全に予想外の方向から奇襲を受け地に伏せた。
残ったのは、半ば呆然としているアレクト・カロー一人である。
「ベラトリックス貴様、裏切ったか!」
「ごあいにく様、わたしはベラトリックスじゃないの。騙してごめんなさい二人共、ほーら、この顔見たら魔法警察へ」
言いつつ、少女の身体が変化していく。
スリザリンのローブを纏った一年生の少女から、成熟した大人の女性へ。パーシーとセドリックもよく知る、闇祓いの女傑。
「ニンファドーラさん!」
「何で貴女が!」
「き、貴様は、ニンファドーラ・トンクスか!」
予想外の流れの連続ではあるが、元より聡明な二人はすぐに悟る。
ニンファドーラ・トンクスは“七変化”。そして、秘密の部屋探索の際に、“この顔を見たら魔法警察”と言いながら、誰の顔によく変身していたか。
それならばそう、不信だった違和感も、一本の線に繋がる。
「そこは色々あってね、死喰い人の侵入があったら私がデルフィーニと“すり替わる”ことになってたの。ほら、このロケットも含めて」
「な、なんですって」
「貴女達が間違えるのも無理ないかしら。これ、偽物だけど本物だから。よーするに、1000年前にブラック家で作られて、サラザール・スリザリンへ贈られた品の兄弟というか、同型なの」
1000年前から存続している家は、スリザリン直系のゴーントの家のみではない。
それがサラザール・スリザリンに由来するロケットであることは事実であっても、同じような品が他の純血名家にないとは限らない。
分霊箱としては偽物だが、スリザリンに由来するロケット、という意味では本物と言える。
“デルフィーニとの入れ替り”に際し、この案を考え付いたのはシリウスの弟、レギュラス・ブラックだ。屋敷しもべのクリーチャーと話していたら閃いたという。
「ほんと、ブラック家は馬鹿みたいに純血主義だから、宝物庫やらに1000年以上も前の品をずっと保管している。まあ、こ~して役立ったのは皮肉だけど。ああそれと、本物のデルフィーニはうちのお爺さまの元で眠ってるから安心して。失神させたのはわたしだけど、そこは多めに見てくれると助かるわ」
「こ、この、ペテンにかけたわね!」
「騙される方が迂闊なのよ、さあ、観念して――ッ!?」
「な、なにが――」
瞬間、空気が凍りついた。
激高して杖を振り上げたアレクト・カローも、油断なく杖を突きつけて失神呪文を放とうとしたニンファドーラ・トンクスも。
離れて見ていたパーシーとセドリックもまた同じく。
空気が冷たい、そして、重い。
まるで、冥府の底に迷い込んでしまったように、視界すらも曖昧になってくる。
そして聞こえてくる、巨大な“ナニカ”が這いずるような音。
見てはならない、絶対にそれを見てはならない。
それは警告か、それとも死刑宣告か。
「二人共、伏せなさい! 目を閉じて絶対に開かないで!」
辛うじて、絞り出すようにニンファドーラが二人へ忠言を飛ばす。
彼女とて恐怖がない訳ではない。だがそれでも、絶対にここで生徒を死なせるわけにはいかない。
それだけが、今にも凍えそうな己の心を繋ぎ止める楔であった。
【敵わぬと知りつつも、杖を取り立ち向かう。グリフィンドールの資格あり】
【例え寮は違えども、仲間の守りを第一とする。ハッフルパフの資格あり】
【組み分けに違いなし。粛清は不要なり】
シューシューという音、いいやそれは声なのか。
蛇語を使えぬ者には理解できるはずもないが、しかし、魔法の城の成す業か、聞こえぬはずの声、いいや、部屋の主の意志が確かに伝わる。
【闇祓い、その血は―――純血のブラックとマグルの混血………学ぶ者をば選ぶまい、ハッフルパフならば其は道理である】
後に、ニンファドーラ・トンクスは語った。もし自分がスリザリンに組み分けされていたら、血を穢した者としてあそこで死んでいたかもと。
【愚かにして卑賤。分霊の何たるかも理解せず、形ばかりを取り繕う愚昧。蛇の一員の資格なし】
部屋の主が視た、恐るべき金眼を開いて。
例えその眼を視ずとも、“視られた”時点で終わりなのだ。組み分け帽子にスリザリンへと選ばれながら、蛇の何たるかを学ばなかった愚か者へ裁きは下る。
忘れるなかれ、ここは秘密の部屋。
サラザール・スリザリンの領域にして、子供を守るヘルガ・ハッフルパフの守りはありはしない。
湿原の覇者は、身内に対しても冷徹なのだ。
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「かくて、裁きは下りましたか。サラザール様のおっしゃる通りに、でしたね。ヘレナ校長」
「少々驚きました。まさか、外側より開かれることなく、内側から開かれるとは」
顛末を見届け、いいや、“感じ届け”というべきか。
城の端末である者達は、今頃全員が震え上がっているだろう。
ホグワーツの持つ最終防衛機構の恐ろしさに、城の主の冷徹さに。偉大なる創始者の力に。
「この波動はマートルさんには些か酷やもしれませんが………なるほど、彼女は何も感じなかったそうです。これは興味深い現象ですが、恐らくはあそこが“正規の入り口”であるためと推察します」
「正規の……なるほど、バジリスクが独りでに起動したのはつまり」
「ええ、一種の“墓泥棒対策”のようなものなのでしょう。侵入者達が一番忘れていたことは、バジリスクもまた“宝を守る魔法生物”であるということ。スフィンクスの守るピラミッドに、正規のルート以外の横穴を掘って盗掘を試みればどうなるか。やれやれ、歴史に学ばぬとは愚かなことです」
入り口であるマートル・ウォーレンのトイレが固められていると予測したからこそ、繋ぐパイプへと横穴を掘って侵入した。
だが、その時点で正式な手続きを経ていない“墓泥棒”も同然なのだ。いくらパーセルマウスであったヴォルデモートの分霊箱を持とうとも、部屋が認めるはずがない。
「秘密の部屋は言わば、サラザール様の玄室も同然。継承者として敬意を持って入る意思表示をするならば、蛇語を用いて入口の扉を順に開いていかねば話にならない。彼らにも魔法史の授業で教えたはずなのですがね、偉大な墓への敬意を忘れるなかれと」
「本当に、貴方は墓についてだけは真摯なのですね、ダッハウ」
「当然でありましょう。私はノーグレイブ・ダッハウ。墓を忘れる私など、未来永劫ありえません」
部屋は未だ正式に開かれぬまま。
されど、裁きは下された。
時計塔の悪霊は、ただただ顛末を観測する。
「さて、それでは私は後始末に向かいます。なにはともあれ城の防衛機構が働いたならば、その処理は管理人の職分ですので」
幽冥の死者たちはかく語る。
ここは地図にない魔法の城ホグワーツ、悪霊の棲家である。
そして、冥府の入り口には番犬があり。
正式な手続きを踏まずに冥府へ降りた者がどうなるか、古今東西相場は決まっている。
「愚かな三人、哀れな三人。アレクトとアミカス、そしてロウル。貴方達はマルシベールにすらなれはしない。あの邪視で殺されたならば魂まで砕かれてしまい、だが同時にその魂は石化の呪いで縛り付けられる。未来永劫、永遠に、時の終わりまで貴方達は秘密の部屋から出ることは叶わない」
外で戦い、捕まった者らは遥かに幸運だったと言えるだろう。
少なくとも、血の通う人の世界で、人として終わりを迎えることは出来るだろうから。
「生きる者なき、冷たい石だけの連なる秘密の部屋。ああ本当に、心から尊敬いたしますよサラザール様、墓とはかくありき。そこに念を込めるのは温かな血を持つ生者の領分なのですから」
死者は冷たく語ることなく、生者がその死を偲んでこそ、墓というものは意味を持つ。
ゴーストがそこに在り続けるとは、つまるところ、まだ死んでいないと主張するようなもの。ならばそこに本質的には墓はない。
マートル・ウォーレンは、幽体としてではあるが、まだ生きているとも言えるのだから。
「後は貴女の望みのままに、メローピーさん。秘密の部屋に選ばれたのは貴女なのですから、私は干渉しませんし、許されもしない」
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今宵の騒動に、一切かかわることのなかった部屋がある。
優しい女性に頭を撫でられ、そのまま眠りこけていた亡霊少女は、パチパチと静かに暖炉が燃える音にふと目を覚ました。
部屋は、とっても静かで温かい。ここが、血の通わないゴーストだけがいる空間なのだと思う者はいないだろう。
そして、一人の女性が穏やかに微笑みながら、手を止めることなく書き物を続けている。
「……ケンドラお母さん、ありがとう。ずっとわたしを守ってくれて」
その姿を眺めながら、アリアナ・ダンブルドアは今は亡き自分の母へと、言葉を捧げていた。
普段の無邪気な彼女とは異なる、何かを悔いるような、でも今の幸せをかみしめるように。
「わたしは幸せだよ。アル兄さんも、アバ兄さんも、ずっとずっと、ずっとわたしを待っていてくれたの」
メローピー・ゴーントという女性は、母親が子をあやすように、愛おしげに日記に触れている。
いつもアリアナにとっても優しいメローピーだが、そんな彼女にも見せたことのないほど優しい眼差しで。
「わたしのやるべきことも分かったから、ちゃんと、お父さんを迎えにいくよ」
秘密の部屋は開かない。
サラザール・スリザリンの持つ冷徹で荘厳な気配は、この部屋には少しもない。
スリザリンの継承者が悪意も害意も戦意も望まず、敵の排斥など心の中に欠片もないならば、秘密の部屋が開く道理はなかった。
秘密の扉を開くための鍵は、ずっと掛け違っていたのだ。
冷徹な殺意を以て部屋は開く、されど純粋な愛によって部屋は開かず
それでもなお、扉が開くことがあるとすれば
継承者が全ての役割を終え、創始者の墓が眠りについたときだろう
次話で、秘密の部屋に関する死喰い人騒動の答え合わせになります。