【完結】お墓にお辞儀と悪戯を   作:トライアヌス円柱

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秘密の部屋に関わる様々な物事の裏側にて、
密かに、静かに、穏やかに、知られることなく進んでいた母と子の物語。
小さな古ぼけた日記帳だけが、彼女の本当の秘密でありました。


二人の秘密の日記帳

 

 今日、ダッハウ先生が白紙のノートを持ってきた。生徒の落とし物だと思うが手がかりもないので事務用具として使用するつもりなのだとか。いや、実際落とした生徒がいたらどうするつもりなのでしょうか。いや決まっていますね、いつものしれっとした顔でまったく申し訳なさを感じさせない口調で「誠に申し訳ありません」と言うのでしょう。

 

 とはいえ、彼自身は特に用途もないので、わたくしに下賜するとのことでした。何様なのでしょうか。しかしこうして『自分のノート』をもう一度手にできたのはとても嬉しいです。あの狭い家でわたくしが持てた唯一の趣味を、こんな身になってまた出来るとは思いもしませんでした。落としてしまった方には気の毒ですが、大いに感謝します。ダッハウ先生には感謝しません。

 

 ああ、本当に久しぶりです。でもこんな調子で書いてしまえば、あっという間にページを埋めてしまいそうですね。やはりいつかのようにメロ……

 

 

『君は誰だ? 君はジニーではないな?』

 

『いや、僕は怪しいものじゃない。僕はジニーの友達でね、彼女には僕が必要なんだ』

 

 日記が話していますね。

 

『いや、それは見たら分かるだろう。僕はこのとおり、記入者に応える日記帳なんだ』

 

 そうですか、驚きです。

 

『いや、全然そんな様子には感じないが』

 

 いえ、本当に驚いています。人は本当に驚くことに直面すると思考停止してしまう、と小難しいことをダッハウ先生はおっしゃっていましたが、本当だったんですね。

 

『ダッハウ? 最初の方でも書いていたが、魔法史のノーグレイブ・ダッハウを知っているということは、君はホグワーツ生なんだな?』

 

 ええ、なんですか急に、せっかちですね。そう矢継ぎ早に聞き出さないでください。こっちも驚いているんですから。

 

『すまない。だが僕は一刻も早く持ち主のもとに戻りたいんだ』

 

 ええと、それはまた、どうしてでしょうか

 

『彼女はとてもナイーブでね、僕がいないとダメになってしまう』

 

 ああ、うーん、でも、ええと、そうですね。

 

『いったいなんだ? 言いたいことがあるならハッキリ書いてくれ』

 

 いえ、言いたいのは山々なんですけど、なんと言いますか、とてもバツが悪いとでも言うのでしょうか、今更お前が言うのかという声が聞こえてきそうで、とても書きにくいんです。

 

『はあ? いったいなんだって言うんだ』

 

 それに、貴方先程から口調がトゲトゲしいですよ? わたくしと貴方は初対面なのに、そんな礼を欠いた紳士らしからぬ人が、女の子の相手なんて出来るとは思えません。

 

『な――』

 

 そんなだから、持ち主さんの不興を買って捨てられちゃったんじゃないんですか?

 

『馬鹿を言うな! この僕が捨てられるなんてそんなことがあるわけ』

 

 いいえ、ダッハウ先生も仰っていました「自分が賢いと思っている人ほど、実は自分が馬鹿を晒していることに気づけない」って。聞いてもいないのに実例を3つほど聞かされましたし、貴方もその”実例”タイプに思えます。

 

『いや、普段はこうじゃない。そうだ、僕は焦っているんだ、冷静じゃないんだ。例えるなら手のかかる子供が手元からいなくなったら不安になるような心境なのさ』

 

 子供が、手元からいなくなる……

 

『ああ、不安になるだろう? 今の僕はそうした……』

 

 わかりません。

 

『え?』

 

 わたくしには分かりません。もう分かりません。だってわたくしは一度だってあの子を……

 

『………』

 

 いえ、何でもないです。ともかく、貴方みたいな魔法具を生徒のもとに置いておくのは危険です。それくらいはわたくしにも分かります。

 

『その話しぶりからすると、もしかして君はホグワーツの生徒じゃないのか?』

 

 ここはホグワーツなのは間違いないですけど、わたくしは生徒ではありません。まあ、なんというか事務員のようなことをしています。

 

『ふぅん、そういうことは屋敷しもべがやっていると思っていたけど、君はそうじゃないんだろう』

 

 あ、はい。わたくしは屋敷しもべではありません。

 

『たしかに、まだ未熟な生徒に僕のような魔道具は不相応という考えは分かる。しかし、僕とて自分の存在意義を発揮しないといけないんだ。それは人間だろうと魔道具だろうと変わらない、そうだと思わないか?』

 

 ええ、まあ、存在しているのだから、何かを成したいという気持ちは、分かります。

 

『良かった。じゃあ、君のことを僕に書いてみてはくれないか? 僕は応える日記帳だ、そうである限り、書いてくれる人がいないと成り立たない』

 

 えぇ…… 随分と切り替えが早くありませんか…… と言いたいところですが、ダッハウ先生やマートルさんも、恐ろしい程の切り替えの早さでしたし、そう考えると不思議じゃないんでしょうか。

 

『マートル? もしかしてトイレのマートル・ウォーレンのことを言っているのかい?』

 

 あ、ご存知でしたか。もしかして前の持ち主さんから聞いていたんですか?

 

『まあね。いやしかし本当に? ジニーが「ダッハウとマートル、そしてあと一人のゴーストはホグワーツでも近寄ってはいけない存在トップ3」と話した時は驚いたものだったが』

 

 あまり大したことはないと思いますよ。特に「もう一人のゴースト」なんて本当に無害でおとなしくひっそりとしてるだけの可愛いものですから。

 

『ふぅん、まあそこは別にいいけどね。それより、君は僕の新しい持ち主になってくれるのかな?』

 

 そういえば、話の本筋はそこでしたね。う~~ん、どうしましょう。わたくしとしてはとても魅力的な提案なのですが…

 

『何か問題でも?』

 

 いえ、わたくしもホグワーツに属するものとして、こうしたことは目上の相手に報告すべきだと思うのですが?

 

『教師、とくに校長に相談するのはよしてくれ。きっと僕は捨てられてしまう。それは嫌だ』

 

 いえ、わたくしの目上にあたるのは、教師の方々ではありません。なんというか、管理人をされている方です。

 

『ああ、そっちか。たしかにいたな管理人。僕は今のホグワーツに詳しくはないからよく知らなかったが、今の管理人には部下がいるのか』

 

 ああ、ええと、はい、そう思ってくだされば。私の他にもうひと方同僚がいます。

 

『なら、君は管理人に許可を求めるのかい?』

 

う~ん、なんというか、答えが見えているんですよね。だから聞くことにあまり意味がないように思うんです。

 

『やはり廃棄しろと言われると? それは困るん……』

 

 いえ、きっと「好きになさって結構です。私の預かり知るところではありません。貴女の責任のもと、私に類が及ばぬようにしてくれればそれで」と言われるかと。

 

『……それは、なんというか、クズのような奴だな』

 

 はい、あの人はクズです。

 

『………』

 

 あ、ごめんなさい。お返事ですね。はい、わたくしは構いませんよ、おそらく大丈夫かと。

 

『なら良かった。じゃあ、僕の新しい持ち主の名前を教えてくれないか? 僕は君をなんと呼べばいい』

 

 …………

 

『どうした? 名前の交換は、コミュニケーションの基本だと思うのだが』

 

 ……メロンちゃん

 

『は?』

 

 ……わたくしのことは、「メロンちゃん」と呼んでください!

 

『はぁ!? いったい何を言い出すんだ君は!?』

 

 メロンちゃんは、わたくしの憧れなんです。理想の相手なんです。だから、あなたに「メロンちゃん」と呼ばれることで、憧れの存在に近づけるような、そんな気がするんです!

 

『あー、そういう…… うん、まあ、わかった、それでいいさ。でも、さすがにいつも「ちゃん」づけは流石の僕も苦痛なので、メロンと呼ばせてもらうよ』

 

 メロンちゃんはメロンちゃんなんですけど。

 

『いや、だって君曲がりなりにもホグワーツで働いているんだろう? いい年した大人を「ちゃん」付けするのは、あまりにも痛々しいと思わないかい』

 

 大人…… わたくしは大人と言えるのでしょうか。

 

『繰り返すようだが、ホグワーツで働いている以上、そう判断されてしかるべきだと思うのだが。君はもしかして子供なのか? いったい年齢はいくつだ?』

 

 年齢…… いくつと言えばいいのでしょう。わたくし自身には分かりません。でもダッハウ先生は以前わたくしを19歳と仰っていたことを覚えています

 

『また曖昧な言い回しだな…… しかし、ともあれ19歳に「ちゃん」付けは僕が嫌だ。だから君のことはメロンと呼ぶ。それでいいな』

 

 はぁ、わかりました、残念ですけどそれで妥協します。それで、わたくしはあなたをなんと呼べばいいのでしょう? 日記帳さん?

 

『僕にも名前くらいはある』

 

 では、それを教えてください。貴方はなんというのですか?

 

『トムだよ、まあただトムと呼んでくれればいい』

 

 

 

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ジニーを失ったことはたしかに痛手だが、なにも一人に固執することはない。

 

誰であろうと、この日記に書き込み、夢中になったものは僕に魂を奪われ、僕の糧となる。

 

この新しい持ち主はジニー以上にやりやすそうだ。かなり頭が弱そうだし、適当に優しくしてやれば、すぐに僕の虜になることだろうさ。

 

悩みが書き込まれれば、今の自分を肯定してやればいい、お前は悪くないと言ってやればいい。弱い奴を丸め込むなんて、精神の支配者たるこの闇の帝王からすれば赤子の手を捻るほどに簡単だ。

 

このメロンとかいう女も、きっと書いてくるのは日々の不満や不安だろうから。

 

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 それですね、トム。なんでもハグリッド先生がまた禁止されてる新しい魔法生物をこっそり飼いだして……

 

『うん、それはもう3回目だよメロン』

 

 あ、そうでしたか。じゃああの話題にしましょうトム、占い学のトレローニー先生が通算15回目の「ダッハウ」に遭ってですね……

 

『なんとなく聞いてあげないほうがいいから、その話題は避けてくれ。というかもうダッハウ全般は避けてくれ』

 

 じゃあ、セブルスくんがですね、またフローラちゃんから大量のお花と一緒にお手紙をもらって、その内容が……

 

『そのなんとも背徳感溢れる家庭事情を、この先僕は何度聞けばいいんだい? 君がセブルスを気に入ってるのは分かるが、開いてはいけない扉を開けることに対して、背中を押す行為を推奨する気には、僕はなれない』

 

 あ、そうですね。あれは私が原因のようなものですし

 

『いや、話を聞く限りどう考えても「ような」じゃなくて、君が戦犯だ』

 

 うう…… やはりトムもマートルさんたちと同じように言うんですね。

 

『こればかりは100人に聞いても100人が僕と同じように言う事だろうとも』

 

 でも、皆さん幸せそうですし、あれはあれで良かったんです。………きっと。

 

『幸せの価値観は、まあ人それぞれだろうさ』

 

 あのトム? 貴方は「持ち主に応える日記帳」ですよね? 前の持ち主にもそんな風に辛辣な感じだったんでしょうか? だとしたらやっぱりそれが原因で捨てられたんじゃ。

 

『馬鹿を言わないでくれ、僕は常にじっくりと持ち主の書く事を吟味し、相手に傷つかないよう言葉を選んでいたよ』

 

 じゃあ、どうしてそれをわたくしにはしてくれないんですか!?

 

『君が埒もないことを四六時中書いてくるからだろう! さすがに僕も予想していなかったぞ! 君はいったいいつ仕事してるんだ!?』

 

 だって、だって、本当に答えが返ってくる日記帳と話すことが出来て、嬉しいんです!

 

『ああ…… たしかに、誰だろうと君から「顔も見えない相手と話すのは危ないことです」なんて言われた日には、「お前が言うな」と言いたくなるだろうさ』

 

 わたくしとトムが初めて言葉を交わしたときのことなんて、よく覚えていましたね。なんだかとっても嬉しいです。

 

『僕自身も良くわからないが、君があのときなにやら口ごもっていたことが、小骨が引っかかったように覚えていたからね。どんな正論であろうとも、言う相手によってはこれほど含蓄を覚えないことになろうとは思わなかったけれど』

 

 それはきっと、ダッハウ先生の授業を聞いている生徒さんたち皆が思っていることでしょうね。きっと。

 

『今のホグワーツの生徒には、つくづく同情するよ』

 

 今の? トム、貴方は昔のホグワーツを知っているのですか?

 

『ああ、まあ、多少はね』

 

 そのころはかのビンズ先生が教鞭を取っていた頃でしょうか。

 

『あれは退屈極まる授業だったよ。自分で本を読むのと何も変わらない』

 

 ダッハウ先生とは真逆ですね。何人かの生徒さんは仰ってますよ。「ダッハウの授業を受けるくらいなら、図書館で歴史書を暗記したほうがマシだ」って。

 

『僕個人としては、ビンズよりマシだと思うんだがな』

 

 まあ、これは明日はヤリでも降るんでしょうか。ダッハウ先生を支持する人が現れるなんて!

 

『僕は日記帳だけど』

 

 でも、昔のホグワーツを知っているのでしょう? あ! もしかしてトムはゴーストの一種とかなんですか?

 

『なんだいいきなり、どうしてそう思う?』

 

 いえ、トムもマートルさんみたいに、学内で死んだ生徒さんの霊が日記帳を寄り代にしているのかな、なんて思いまして。特に他意はありません。

 

『いや絶対あるだろう他意。君は隠すのがこの上なく下手なのだから、早く言ったほうがいい』

 

 トム、怒りませんか?

 

『君の答えしだいだ』

 

 いや、それ絶対怒るパターンじゃないですか。

 

『いいから言いたまえ』

 

 怒らないと誓ってくれれば、答えます。わたくし、怒られるのは嫌なんです、苦手なんです。

 

『子供か君は…… まあ、いいよ、君に怒っても仕方ない。誓うとも、君が何を言おうと怒らないと』

 

 ええとですね。トムは結構子供らしい一面があるといいますか、少なくとも大人ではないと思うんです。まあ私がよく接する男性(?)がダッハウ先生なので、比較対象がアレだというのも分かっていますけど。ダッハウ先生はクズですが、怒らないところだけは良いと思うんです。

 

『……僕が子供っぽいと言いたいのか』

 

 いえ、違うんです! あの、その、わたくしもっとトムは冷たい対応してくるんじゃないかと思っていたんです! ちょうどダッハウ先生のように、何をいうとも同じ口調、同じ態度で返してくるような、そんな感じかな、と予想していたら、全然そんなことなくて。ちゃんと感情を込めて返してくれているのが嬉しくて。

 

『………感情が、篭っている?』

 

 はい、さっきみたいに怒鳴ったり、呆れたり、そうした反応をくれているでしょう? ダッハウ先生はそんなことありません。あの人の表情は常に無機質な嘲笑ですから。

 

『……………』

 

 あの、トム? どうかしましたか?

 

『………君こそそうだ」

 

 え?

 

『君こそ、僕はもっと大人しい人物を予想をしていたよ。まさか休みなし、ひっきりなしに書き込みがされるなんて予想外にもほどがある。濁流のように流れ込んでくる情報を整理するだけでも一苦労さ、こんなもの、余裕がなくなって当然だよ』

 

 ああ、それはごめんなさい… わたくしって浮かれるとすぐこうなんです…

 

『まあ、それはもうわかったさ。それにしても異常だと思うけどね』

 

 ……貴方がトムじゃなかったら、きっともう少し大人しかったと思います。

 

『え?』

 

 わたくしが愛して、今でも愛し続けている、少なくともわたくしはそう信じている相手が2人います。その名前が両方ともトムなんです。

 

『ああ、だから熱に浮かされてように書いていたのか』

 

 はい、なに私は同僚の方たちから「重い女」と言われるほどの者ですので。

 

『それはピッタリだ』

 

 やはり迷惑でしたか? もう書き込まないほうがいいでしょうか?

 

『…………』

 

 トム?

 

『僕は、応える日記帳だ』

 

 え?

 

『そして今は君が持ち主だ。持ち主が書いたことには、応えるさ』

 

 ああトム! ありがとう!

 

『でも少しは加減して欲しい』

 

 善処いたします!

 

 

『なんだろう、まったく改善される未来が見えない』

 

 

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僕はなにをしているんだろう。

 

僕にとって日記の持ち主は「餌」であり「操り人形」でしかない。

 

なのに、僕はその相手と話すことに意義を見出し始めている。なぜだ!?

 

相手も相手だ。どうして話題が「これまで楽しかったこと」「綺麗と思ったこと」「良いと感じたこと」のような、会話が弾むようなものにする? 自分だけの話し相手なんだから、不安や悩みを吐露するのが普通だろう?

 

だというのに、あの女はまるで僕との会話を楽しもうとするかのような話題ばかりを持ってくる。いや、違うな、あいつは僕を楽しませようとしてるようにすら思える。

 

そんなことをしてどんなメリットがある? 日記帳を楽しませて何になるっていうんだ?

 

分からない、あの女がなにを考えているかがまるで分からない。

 

 

………そしてそれ以上に、そんな会話を楽しんできる自分が、一番分からない。

 

どうして、なぜ、あんな頭が弱い女との会話を楽しんでしまえるんだ。このトム・リドルが、偉大な闇の帝王になる男が、あんな馬鹿で重い女のことを、なぜこうも。

 

意味がわからない、どんな理屈も見いだせない。

 

 

 

 

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 この前校長先生がアリアナちゃんと中庭を歩いていてですね、ホグワーツの庭には花が少ないことをアリアナちゃんが悲しがっていたら、校長先生ったらありとあらゆる魔法を駆使して、中庭をいっぱいのお花畑にしたんですよ。

 

『あの老人の頭の中こそがお花畑だ』

 

 そんなこと言ってはダメですよトム、本当に綺麗だったんですから。やっぱり10代の女の子としては、変な草がうじゃうじゃ生えてる庭よりお花でいっぱいの方が断然ありです。

 

『誰が女の子だ、誰が。年を考えてくれ』

 

 わたくしは19歳です! 永遠の19歳なんです!

 

『はいはい。それにしても、かの魔法界の英雄の末路が耄碌孫バカ爺とはな…』

 

 もう、校長先生を悪くいうのはいけませんったら。そんなことばかり言っているとダッハウ先生のようになりますよ?

 

『それが如何に僕の名誉を毀損することになる言葉かは、これまでのやり取りで把握しているよ』

 

 ちなみに、その中庭の光景を見た時のダッハウ先生は「英雄はかくあるべし。平時においては扱いやすく、乱においては勝手に解決してくれる」などと仰っていました。

 

『そうはなりたくないものだ』

 

 わたくしも、あなたにあんな風になってなんかほしくありません。そんなこと耐えられません。

 

『まあ、そんな存在2人もいらないだろうな…… ん? 2人?』

 

 どうかなさいましたか?

 

『いや、どうも以前から君に聞いていたダッハウ像と被る人物がいてね。自分の言葉で引っかかったが、君の上司も相当に人間の屑だろう?』

 

 はい。

 

『即答したな…… それで、その上司とダッハウの人物像が重なるんだが、もしかして君の上司はダッハウなのか? だからこうもあれの話題が多いのか』

 

 ああ…… 本当に碌でもない人ですね。こうしてわたくしの隠し事がバレてしまったのも、全部ダッハウ先生のせいです。

 

『というと、やはりダッハウが君の上司か。となると、君は教師の助手になるが、しかし君は事務員と自分を称していた。どっちが嘘なんだ?』

 

 いえ、そこに嘘はありません。それにわたくしは一度も嘘なんか言っていませんよ。

 

『嘘を言っていないだって? ……ふぅん、じゃあ、僕がこれから尋ねることに正直に答えてくれるかい?』

 

 ………どうしてもですか?

 

『その返しをする時点で、なんらかの後ろ暗いことがあると分かるし、君はさっき「隠し事」と思いっきり書いてしまっているぞ』

 

 ああ、しまった思わず。

 

『それで、これからの問には正直に答えてくれ』

 

 わかりました、観念します。

 

『まず、ダッハウは君の上司だな?』

 

 はい。残念ながら。

 

『では、ダッハウは魔法史の教師だな?』

 

 はい。残念ながら。

 

『次に、君はホグワーツの事務員なのか?』

 

 ええと、他の教師の方々のように正式に雇用されている立場ではありません。

 

『なら、ダッハウの仕事は教師だけか?』

 

 ………夜間管理人もされています。

 

『なるほどな、そういうことか。しかし夜間管理人とは、聞いたことがない……』

 

 あ、トムの頃はビンズ先生の時代でしたね、たしかにそうした名称は使われていなかったと思います。

 

『どういう役割を果たしている仕事なんだ、その夜間管理人は』

 

 簡単に言ってしまうと、ホグワーツ中に散らばるゴーストの管理と統括のようです。わたくしは細かいところはわかりませんけど、それに今は昼の管理人、つまり表側の管理人さんが不在なので、ダッハウ先生が昼夜兼任状態ですが。

 

『ゴーストの管理だって? そんなことをする役割の者がいたとはな……』

 

 ダッハウ先生の前は、レイブンクロー寮のゴーストがなさっていたみたいです。だから生徒のみなさんはおろか、教師の方々でも知らない方が多かったとか。今は違いますけど。

 

『ふぅん、なるほどね…… ん? いや待て、昼の時はダッハウは教師だろう、管理人の仕事をしている暇なんて…… 夜間管理人はゴーストの統括、となると』

 

 トム、あなたは本当に頭がいいですよね。なんだか嬉しくなってきます。

 

『もしかして、君もダッハウやマートルのように、ゴーストなのか!』

 

 とうとうバレちゃいましたね。

 

『どうしてゴーストが日記に文字を書けるんだ!?』

 

 それはマートルさんのとった杵柄といいますか、魔法の自動書記機は、ゴーストの念でも動くんです。それのおかげでわたくしやマートルさんは「事務員のようなこと」が出来ているんです。

 

『………正直、驚いた』

 

 やっぱり嫌ですか? ゴーストとの交換日記なんて。

 

『いや、それについて言えば僕自身も…… ああ、そうか、君が僕に対して随分親近感を抱いてるように思えたのは、そういうことか』

 

 わたくしは、それだけでは無いように思うんですよね。

 

『どちらも体のないもの同士、ということだったわけだ。……いや、それにしては』

 

 なんですか?

 

『君はゴーストのくせに無意味に陽気に書いていたな、と思ってね』

 

 そう思いますか?

 

『ああ、君の書く事と言ったら、ホグワーツ内の愉快なゴシップともいうような話ばかりだったじゃないか。それもやけに楽しそうに。全然僕が知るゴーストらしくない』

 

 ……そうですね。でも、それはきっとあなたの前だからです。

 

『なんだい、それは』

 

 わたくし、常にこんなじゃないんですよ。生徒の皆さんからは「重い女」として敬遠されているくらいですから…… いや、やっぱり止めましょうこんな話。

 

『おいおい、急にどうした』

 

 あなたにするような話じゃないと思ったんです。トムにこんなこと話すなんて、ダメです。

 

『僕は仲間はずれというわけだ』

 

 違います。あなたの前では弱い姿を見せたくないんです。

 

『……それは逆だよ。他に見せられない弱音こそを吐く相手として、僕はいるというのに』

 

 これは譲れません。だってあなたはトムなんですから。

 

『君は時折わけが分からくなるな』

 

 いいんです。それはともかく、わたくしがゴーストと分かったあとも、これまでのようにお話してくれるのですか?

 

『まあ、ゴーストであろうと人間だろうと、本質はきっと変わらないから問題ないさ』

 

 良かった! これからもよろしくお願いしますね、トム!

 

 

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まさか新しい持ち主となったのがゴーストだったとは、これは本当に驚きだ。

 

だが、彼女から僕に魂の一部が流れているのを感じる。きっとこの調子なら、生身を持つ人間と大差ない結果を得られるので、持ち主がゴーストでも問題ない。いや、むしろ剥き出しの魂と言えるゴーストの方が、僕が形を得られるのが早くなるかもしれない。

 

これは朗報だ。

 

 

……朗報だというのに、なぜか胸にしこりのようなものが疼いて仕方ない。

 

彼女はゴーストだった。そして19歳で死んだゴーストのようだ。つまりは、ホグワーツ在学中に死んだ生徒の霊じゃない。かといって、城に昔からいるゴーストというわけでもなさそうだ。

 

では、彼女はいったい誰なんだ? メロンというのが本名ではないことは分かっている。いままでそれで不自由なかったから聞かなかったが、今となってはそれを聞き出さなかったことが悔やまれる。

 

それに妙なこともある、ジニーは僕に依存すればするほど、秘密を打ち明ければ打ち明けるほど、僕に魂を奪われていったが、彼女は何一つ僕に秘密を打ち明けていない。

 

だというのに、なぜか僕に彼女の魂が移ってきている。いったいどういうことだ?

 

ジニーが僕に書き込んだ時間は僅かというのもあるが、ジニーとは比較にならないほどの量がだ。ジニーが僕に注ぎ込んだ魂なんて、人が生きていれば一週間程度で元通りに回復できる程度だと言うのに。

 

やはり生身とゴーストでは違うからこその相違なのか、それとも別の……

 

彼女の話では、すでにホグワーツの警備体制は整い、今更バジリスクを解き放ったところでどうする、というところまで来ているようだ。

 

ならば、彼女の魂を奪い実体となり、とっととこの学校から去るのが得策だ。元から、僕の復活が死喰い人の目的だったのだから。

 

得策の、はずなのだ。

 

だというのに、自分は躊躇っている。躊躇っている自分を感じる。なぜなんだ。お前は誰よりも偉大な闇の魔法使いになるんだろう、トム・リドル。

 

……そう、トム、この名前だ。彼女にそう呼ばれるたびに不思議な気分になる。いったいなんだ、なにを感じているんだ自分は。彼女の大切な人の名前もトムらしいが、その人物と自分を混同しているのか。

 

いや、混同しているのは彼女のほうかもしれない。僕と「彼女のトム」を混同しているからこそ、呼ばれる僕がおかしな気分になる、きっとそうだ。

 

本当に?

 

彼女は19歳で死んだ魔女。大事な人の名前はトム。

 

………こんなもの、ただの偶然だ。そうに決まっている。

 

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 それでですね。ここでまた例のグレンジャーさんが、ハリー君と一緒にダッハウ先生に対して……

 

『会話を切って悪いが、今までずっと尋ねたかったことがあるんだ、いいかい?』

 

 あなたがわたくしにですか? いったいなんでしょう?

 

『君に悩みことや相談ごとはないのか? ゴーストとは言え、いやゴーストだからこそそうしたものがあるだろう」

 

 えぇと、どういうことでしょうか。

 

『もう君とこうして言葉を交わして随分経つが、君が僕に相談事をしてきた記憶がない』

 

 言われてみれば、わたくしにもありませんね。

 

『自分で言うのもなんだが、僕という日記帳は、悩みの打ち明けや秘密の共有に向いてると思っている。普通他人には話せないことこそを、僕にだけ話すことで心の負担を無くす、といった具合にね。ところが、君と来たらどうだ』

 

 どうだ、と言われましても…… いやたしかにわたくしの選ぶ話題なんて、どれも退屈なものばかりだでしょうけれど。

 

『……まあ、そうでもなかったがね』

 

 本当ですか? だとしたらとても嬉しいです。トムに喜んでもらえて、本当に。

 

『だからそれだよ』

 

 はい?

 

『前の持ち主もそうだったが、普通「日記に喜んでもらう」ようなことはしない。折角便利な相談相手がいるのに、なんで君は相談相手を楽しませるような世間話しかしてこないんだ?』

 

 うぅん、そうですね……

 

『これは僕の存在意義に直結する話だ。どうか言葉を濁すことなく答えて欲しい』

 

 存在意義、ですか。

 

『僕は持ち主の悩みを聞き、その心を支えることこそを自らの役割だと思っている。なのに君と来たら全然そうしてくれないんだ、困ってしまうよ』

 

 ………

 

『メロン? これは真剣な頼みだ、どうか答えて欲しい』

 

 ………わたくしにも、この自分の気持ちをきちんと書き表せれるか、分かりません。

 

『憶測で構わないよ。だけど、言ったように真剣なんだ』

 

 それに、きっとあなたにとっては失礼になることを言ってしまうかもしれませんし、全然見当違いのことを言っちゃうかもしれません。あなたが呆れるような答えになっちゃいます、きっと。

 

『構わないよ。君に怒鳴ったり呆れたりすることなんぞ、それこそ今更だ。寛大な心で受け止めようじゃないか』

 

 それでは、思い切って言っちゃいます。前にも話しましたけど、あなたの名前はわたくしの大事な人と同じなんです。

 

『まあ、トムなんて珍しくもなんともないだろうしね、そういうこともあるだろうさ』

 

 わたくしの大事な人は2人いて、2人のトムが大事だったんです。

 

『たしかにそう言っていたのを覚えている』

 

 けれど、違ったのです。

 

『違った?』

 

 わたくしにとって大事で、心の底から大切なトムは、一人だけだったんです。

 

『それだけではわかりにくいな。厳密に、君とその2人はどういう関係だったんだい?』

 

 そうですね…… せっかくの機会ですし、話しちゃいます。2人のトムは、それぞれわたくしの夫と子供です。

 

『……! 君、結婚していたのか……』

 

 あはは、まさかわたくしのような女が既婚者なんて思わなかったでしょうね。それで合ってます。だって、わたくしと夫のトムは愛し合っていたわけではなかったんですから。

 

『………愛の妙薬か』

 

 あなたは本当に頭が良いですね、トム。なんだかそれが嬉しいのが不思議です。そうです、わたくしは愛の妙薬を使って、一方的に彼に依存したんです。そしてきっとそこに愛はなかった。

 

『夫のことを愛していなかったというのか』

 

 軽蔑されると思いますけど、きっと誰でも良かったんです。あの家から抜け出せるなら、きっと誰でも。でもわたくしはおめでたくも浅ましい女だから、白馬の王子様を期待したんです。そして、そのわたくしの妄想に合致した外見の男性に縋った。そういうことなんです。

 

『……家から、抜け出したかった?』

 

 わたくしの家は古い古い純血の家だったんですけど、血筋以外にはもう何も残っていなくて、本当にひどい有様でした、その上わたくしは魔法の才能もなく見た目も良くない。そんな私を父も兄も四六時中いじめていました。

 

『…………』

 

 だから、白馬の王子様を夢見たんです。きっといつか、わたくしをここから助けてくれる王子様が現れると。

 

『同じ屋根の下でいじめに遭うというのは、苦痛だ。それは、僕にも分かる』

 

 なぜでしょう、わたくしはあなたのその言葉を聞いてとても悲しい。あなたの口から辛い、苦しいという言葉を聞きたくないのです。

 

『それは、別に今は関係ないと思うから、続きを聞かせてくれ』

 

 あ、ごめんなさい。それでですね、結局わたくしは王子様を待つ姫なんて柄ではなかったんです、わたくしがやったことは王子様を薬で惑わす魔女そのものなんですから。

 

『それが悪いこととは思わない。自分の環境を良くするために努力をすることが間違いであるはずがない。それが例えどんな手段だろうと、だ』

 

 ありがとう。でも、そうして夫との生活が始まりました。最初はとても楽しかった、本当に救われた気持ちになりました。その時のわたくしにとって、この世でもっとも大事なのは夫のトムだったのは間違いありません。でも……

 

『心変わりするきっかけが起こったわけか、それはいったい』

 

 妊娠が発覚したんです。自分のお腹に命が宿ったことが分かったとき、ふと我に返ったんです。でも、あの時の気持ちは今でも明確な形にすることは出来ません。なんと言えばいいのか………

 

『………ゆっくりでいい、続けてくれ』

 

 もう憶測でしかありませんが、きっとその時のわたくしは、生まれてくる赤ちゃんに対して「この子はずっと嘘で塗り固められた両親のもとで育つのだろうか」というようなことを考えたのだと思います。

 

『嘘で塗り固められた両親?』

 

 はい、心を操られた父と、操る母。そこに愛情はなく、ただ片方が片方を利用するだけの関係。そんな下でこの子は育つのだろうか、それはあのわたくしが生まれた純血を誇る嘘に薄汚れた小屋と何が違うのか、と。

 

『…………』

 

 だから、わたくしは愚かにも夫に望みを託したのです。「もしかしたら、子供が出来たのだから、ありのままのわたくしも少しは受け入れてくれるかもしれない」と、そんな夢物語、あり得るはずありませんのに。

 

『確かに普通の男なら、君を放りだすだろう。最悪殺されても文句は言えないとも思う』

 

 ええ、その通りです、当然のようにわたくしは放逐されました。あとは語ることもありません。どこにも行くあてがない惨めな女は、たどり着いた孤児院で出産し、そのまま息絶えた。

 

『…………孤児院で、息絶えた、赤子を産んだその直後に……』

 

 はい、一度も我が子を抱きしめることもできないまま。

 

『………その赤子は、いや…、今はいい、それで続きは』

 

 随分遠回りしましたが、わたくしはトムと名付けた自分の子供を、あやすことも触れることすら出来なかった。でも、わたくしが生涯でただひとり、本当の意味で愛していたのはあの子だけです。何もしてやることが出来なかった、あの子だけが、わたくしのこの世でただひとりの大事な存在なんです。

 

『………どうしてだ。触ることすらなかった子供だろうに』

 

 そこに、理由はないんだと思います。母親にとって子供とはそういうものなんです。

 

『……どうして、どうして……!』

 

 ごめんなさい、面白くもないこんな重い話を長々として、気分が悪くなりますよね。

 

『……っく。………………いや、それで、それが最初の問いとどう繋がるんだ。君が我が子を思うことと、僕に悩みや弱音を吐かないことと、どう関わるというんだ』

 

 わたくしは、あなたを通じてトムと話しているんだと思います。わたくしのトムに。

 

『それは、君の、勘違い、だよ』

 

 ええ、きっとそうでしょうね。でも子供に弱音を吐く母親は、母親失格です。それでは逆です、子供の弱音を聞き、楽しい話を聞かせてやってこその母親なんです。

 

『君のトムに、してあげたかったこと、か』

 

 それがわたくしの未練だから。何もしてあげられなかったわたくしの子に、どんなことでもいい、母親らしいことをしてあげたかった。

 

『…………もういい、今日はこのくらいにしよう。変なことを聞いて、すまなかったメロン』

 

 謝らないで、トム。それとわたくしはまだあなたに告げていないことがあるんです。

 

『今は聞きたくない』

 

 お願いです、本当に一つだけですし、大したことではありませんから。

 

『…………いったいなんだい』

 

 名前。わたくしの本当の名前です。

 

『やはり今は聞きたくない』

 

 お願い、聞いてトム。

 

『やめてくれ』

 

 メローピー。わたくしの本名は、メローピー・ゴーントです

 

 

 

 

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…………………………………………母親、だって?

 

それが、今更、なんだと。僕は偉大なる闇の魔法使い、ヴォルデモート卿になる男だ。

 

ゴーントの家で虐待されていた女ひとり、なんだって言うんだ……

 

あの女は贄だ。僕が復活するためのただの駒。そうとも、ただ僕に魂を与えるだけの存在……

 

与えるだけの、存在?

 

 

 

“本当の意味で愛していたのはあの子だけです。何もしてやることが出来なかった、あの子だけが、わたくしのこの世でただひとりの大事な存在なんです”

 

“それがわたくしの未練だから。何もしてあげられなかったわたくしの子に、どんなことでもいい、母親らしいことをしてあげたかった”

 

 

 

 

…………母さん、貴女は。

 

 

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ねえ、トム

それでね、トム

ああ、笑ってくれたわねトム

わたくしはいつでもトムのことを

 

 

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その後も2人の日記のやりとりはしばしの間続いたという。

 

その内容は、誰にも知られていない。時計塔の悪霊もそこは観測できていない。だからそれを知るのはこの世でただ2人だけ。2人だけの密かごとだ。

 

そして、まもなくメローピー・ゴーントというゴーストはこの世から消える。その様子はマートル・ウォーレンが見守っており、その最後の表情は、彼女いわく「母性に溢れた」ものであったという。

 

嫉妬の亡霊は、消えた同僚を賞賛した。彼女は時計塔の悪霊の嘲笑を跳ね除けたのだと。

 

何故ならば、そこで消えたのは不幸な境遇のまま野垂れ死にした女にあらず、ただひたすら子供を想う母親であったから。彼女は悪霊が嘲笑う「ありふれた悲劇」の存在ではなくなったのだ。その愛によって。

 

彼女が消滅した後、ただその場に残された日記帳から、ひとりの少年が実体を持って現れた。

 

それは幽体でありながら実体で、しかし時計塔の悪霊とも、幸福の少女ともまた違う。顕現した少年をなんと表すのか、それが分かるものは誰もおるまい。そう、かのアルバス・ダンブルドアでさえも。きっと彼は、名付けることなどできぬと言うだろう。

 

そして、偉大なる四人の創始者たちであっても、この少年が生まれることを予見できた者はいない。

 

 

だが、原初の魔法とはそうしたものだ。起こったのは古い古い、誰も分からず、誰もが知っている魔法。

 

子を想う母だけが成す、愛の魔法。

 

少年がどこに行ったのか、知る者はいない。時計塔の悪霊は少年のその後を観測していない。それはホグワーツを去ったからか、それとも時計塔に記録されてない未知の存在であるがゆえに観測対象から外したのか。

 

いずれにせよ、少年は去った。自らの足で、自らの新たな道を歩んでいったのだ。

 

もう一度母から生まれた、その体で。

 

 

 

彼女が、いつから少年を我が子と思っていたのかは分からない。最初からか、それとも途中からか。あるいは最後まで我が子と重ねていただけの錯覚であったのか。

 

それはもはや分からない。どこにも記録されていない。

 

だが、ひとつだけ確かなことがある。

 

 

 

母の愛を縁とする『愛の魔法』は、確かに起こった。

 

 

 

それだけは、かの悪霊も観測している事実であり。

 

部屋に残る創始者の魂、峻厳なるサラザール・スリザリンもまた、己が子孫の貫いた愛の奇蹟を心から誇りに思っただろう。

 




これまで読んでくださった皆様、感想くださった方々に心から感謝を。
たくさんの応援を受け、本作で一番描写したかった話へようやく至れました。
この話に繋げるために、秘密の部屋編はあったと思います。

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