時の魔女様とドクズ演算器の初期型が、二人で放浪していた頃のお話。
にぼし蔵さま、ギフラーさま、誤字報告ありがとうございます!
『時計塔のオブジェクト記録』
【ロウェナ・レイブンクローが解読出来なかった、魂の伝送に関する記述】
※製作者の意図を読んだか、「受け取る側」が自動で反応する術式ではと考察
※術式の一部に損傷があり、このままでは駆動させられないのではとも推察
#include <arpa/inet.h>
#include <stdio.h>
#include <stdlib.h>
#include <sys/socket.h>
#include <unistd.h>
void error_log(int Harry);
void Elder Wand(int sock);
int main() {
int port = 20022;
struct sockaddr_in client;
struct sockaddr_in server;
int Dachau_sock;
int Hermione_sock;
if ((Dachau_sock = socket(PF_INET, SOCK_STREAM, IPPROTO_TCP)) < 0)
error_log(__Harry__);
server.sin_family = AF_INET;
server.sin_addr.s_addr = htonl(INADDR_ANY);
server.sin_port = htons(port);
if (bind(Dachau_sock, (struct sockaddr *)&server, sizeof(server)) < 0)
error_log(__Harry__);
if (listen(Dachau_sock, 5) < 0) error_log(__Harry__);
while (1) {
int size = sizeof(client);
if ((Hermione_sock = accept(Dachau_sock, (struct sockaddr *)&client, &size)) <
0)
error_log(__Harry__);
Elder Wand(Hermione_sock);
}
return 1;
}
void error_log(int harry) {
printf("ERROR: Harry %d", harry);
exit(1);
}
void Elder Wand(int sock) {
char buf[300];
int mes_size;
if ((mes_size = recv(sock, buf, 300, 0)) < 0) error_log(__Harry__);
while (mes_size > 0) {
if (send(sock, buf, mes_size, 0) != mes_size) error_log(__Harry__);
if ((mes_size = recv(sock, buf, 300, 0)) < 0) error_log(__Harry__);
}
close(sock);
}
*----------*
「さて、話を続けますが。かつて、ハーマイオニー・グレンジャーであった放浪する時の魔女殿は、崩壊した文明世界においてSAN値が徐々に減っていく中で、古の遺跡や、ニューヨーク跡地など、各地の【メモリー】を巡っておりました。あれは、人類の記憶の蒐集の旅とでも言うべきでしょうか」
「その頃からもうアンタはいたの?」
「ええ、“クロノスの大時計”は彼女の最後の作品ですが、死に果てたホグワーツ生徒達の魂の残骸をより集めて創られた“私”は割りと初期の作品です。彼女にとっても私を創ったのは後悔でもあったためか名前も与えられず、その後も長い間メンテナンスなどはされませんでしたが」
「ほんとに凄いわねアンタ、創造主にすら嫌われてるじゃない」
「ゴキブリであっても私ほど嫌われたりはしないのが誇りです。それに、ホグワーツ生徒の黒歴史の塊でもあるからこそ、私に秘密を知られることはストレスにならないのです。言わば、肥溜めの化身に排便シーンを見られるとでも申しましょうか」
「最悪の例えしてんじゃないわよ。てゆーか、どこまでもトイレの悪霊のアタシに喧嘩売ってくるわね」
例えはともかく、ホグワーツ生徒はおろか、この時間軸に生きる魔法族たちの共通の現象であるのがそれだ。
時計塔の悪霊は他人の歴史をべらべらと暴露する最低のクズだが、そんなクズなのにコイツに知られることそのものは苦痛にならない。
それもそのはず、コイツこそが、ホグワーツ生徒全員の最大の黒歴史なのだから。
「あとアンタ、いっつも自分は人間じゃない人でなし。人間であったことがないって言ってたけど、さっきも筐体とか何とか妙な表現してたし、分霊箱みたいなものなのかしら?」
「似た部分もないではないですが、本質は大きく違いますね。分霊箱は作成者の執着する器物などに己の魂を割いて定着させ、死にゆく魂をこの世に留めるアンカーとするもの。私は端的に言えば“サイバーゴースト”であり、電脳空間に漂う人の残滓の集合体という方が正しい」
「サイバーゴースト?」
「流石のマートルさんもご存知ありませんか。クトゥルフ系の神話体系というよりも、近未来のサイバーパンクの物語に頻繁に登場する概念なのですが。小さなものでは、メールの発信者が亡くなった後で数週間遅れで届いたり、有名俳優が急に亡くなった後で、最後に撮影された映像が放映されることなども、“電子の中で生きている”と表現されたりします」
「なるほど、テレビ俳優の例だとアタシにも分かりやすいかも。確かにそれは、少し違うけどアタシらゴーストに通じるものがあるわね、モノに宿った残留思念、サイコメトリーの分野も絡んできそうだけど」
「マグルの情報科学は劇的な進歩を続け、電子の海の中に一人の人間が生まれて死ぬまで発する言葉や記述する文章を圧倒的に超える情報量が溢れる時代がやってきます。そうなるとそこには、肉体は死しても電脳としての自分だけは残る現象も生じうるのですよ」
その前段階の人工知能としては、ネット通販の購買履歴などから“アナタへお勧めの品”が選ばれることや“お勧めの動画”が表示されることが主な例だ。
「人間というのは元来、社会性を発達させる程に異なる仮面(ペルソナ)を被るもの。実家での自分、職場での自分、趣味のサークルでの自分。購買履歴にしても、仕事で買う備品のリストと、趣味のバンドのための諸々と、好きな旅行のためのグッズとでは“まるで別人が買った内容”に見えてくることなど往々にしてある」
「一人の人間が持つ、多面性の具現ってやつね。随分昔の話だけど、嫉妬マスクをセブルスに贈ってやったことを思い出すわ」
「あの時はメローピー様もいらっしゃり、嫉妬の制御法などについて講釈したのも懐かしい。当時も軽く言いましたが、生きている人間が時と場合で多面的であるのに対し、強い執着で現世に残るゴーストは一面のみがむき出しのままであることが多い。しかし、サイバーゴーストは情報量の塊故に“多面的なまま”であるのが特徴です」
それこそが通常のゴーストと時計塔の悪霊の違いであり、遍在すると言われる所以である。
パケット通信においてあらゆるデータ伝送はネットワークの各地に痕跡を残しながら移動し続けるように、サイバーゴーストは電子の海ならぬ“幽体の海”を彷徨いながら何処にだって現れる。
何よりも、コピー&ペーストしていくらでも分身を増やせるのが、生身の頭脳と電脳の最大の違いだ。
「魔法の器物は数あれど、それ単体が情報の送受信のみならず、記憶装置、制御装置、演算装置に入出力装置からなるPCのような品はありません。空飛ぶ車や自動速記羽ペンとて、用途は限定された品ですから」
「対してアンタは、用途の極めて広い汎用的なコンピュータが本体で、そこに死者の魂の欠片が情報として焼き付いてゴースト化したと。うーん、ありえないわね。今のアタシ達の常識だったら、そんな神秘の欠片もないマグルの品に魂が定着なんて出来るはずがない。分霊箱や動く絵画の真逆だもの」
「だからこそ、私は異物なのですよ。ジャンル違いとも申せますが、ケルト的な古き良き古代神話を基軸にしている我らが魔法世界、題してウィザーディングワールドにおいて、サイバーパンク世界の電脳幽霊がのさばるなど、本来はあってはならぬこと」
「まさに、境界線が崩壊したアンタの出身世界だからこその新種ゴーストってわけか」
それが、ノーグレイブ・ダッハウの生まれた世界線の至った崩壊後に誕生したホモ・デウスやその眷属達の世界。
おぞましき叡智、名状しがたい怪物が跋扈する、深淵を覗き込んだ魔術師の亡骸か、あるいは科学摩天楼の極めたる果てか。
「我らの魔法とは古き神話に基づくイメージの具現ですので、境界線が消失した結果、一種のパラダイムシフトが起きたのですよ。ケルト的な古き良き神話体系から、20世紀の急速に発展する科学の負の部分への潜在的不安が影を生み、名状しがたい化け物が徘徊する神話体系へと」
「ひょっとして、例のあの神話体系?」
「ホモ・デウスの首領達の自称ですが、七帝と呼ばれる者らはおりました。アザトース、イグ、シュブ=ニグラス、クトゥグア、ハストゥール、ヨグ=ソトース、クトゥルフ。他の未来神話も複合的に混在してましたが、最も大勢力なのはそれらでした」
「ああ、ヤバいわねそれ。ちょっとしたことで地球が滅ぶってことだけは分かるわ。見たくもないし聞きたくもないけど」
「SAN値が削られてしまいますからね。所詮元は人間ですから力だけは膨れ上がろうとも世界を盤面にした“そういう遊び”には拘るのか、対立神性がどうだのと、まあ熱の入った浮かれようでしたよ」
権力と魔法の力を凝縮させた陣取りゲームに、一番普遍的に合致した新たな神話。
魔法族の古き神話体系が駆逐されたならば、その座にサイバーパンクの高じた恐るべき者らが君臨するのは必然の流れでもあったろう。
無論、その神話体系だけでなく、コンピュータ様とクローン達のディストピアや、荒廃した世界でミュータントと旧人類が戦い続ける廃墟の戦記なども、ホモ・デウスらの混沌世界を形作る魔術基盤となっていった。
「当然地形も大きく歪みました。南緯47度9分、西経126度43分あたりにどんな新大陸が出てきたかは語るまでもありませんね。ある勢力の首魁の館が鎮座しておりました。あれは実にポピュラーなホモ・デウスの集団です」
「ダゴンとヒュドラもおまけでいそう。そりゃ確かに究極の格差社会に、奉仕種族ね。これ以上ないくらいイメージはしやすいけど」
「ちなみに、彼らの分類に則るならば、私はハストゥールの眷属になります。ホモ・デウスの中でもそれを奉じる連中に我が創造主は長い間協力させられており、私のプロトタイプを設計される際のプロジェクト名が“ミ=ゴ”でしたから、間違いないでしょう」
「ええっと確か、利己的で人間に敵対的な種族。科学や医学が非常に発達しており、生き物への改造手術は頻繁に行われる。邪神の崇拝、身体改造を忌避しない点に代表される精神構造が人間と相容れない思想面である。うん、アンタそのものだわ」
「ついでながら彼女は研究所を逃げ出す際に、プロジェクト名を“ゴ=ミ”に書き換えてましたが」
「アンタもゴミだものね」
かくして世界は、混沌の渦へ。
そこに狂気の深淵の活気はあろうとも、人間が人間としてあれる星ではないことだけは間違いなく、正気は徐々に削られていく。
「我が本体たる大時計も、ホモ・デウスの一派が研究していた“ド・マリニーの掛け時計”や《チクタクマンの大機関時計》もしくは《終末時計》らを、我が創造主が転用されたものです。その辺りは、実に闇に抗う探索者らしいと言えましょう」
「ああ、なるほど。世界がそうなっちゃったから、彼女も“そういう形”の幻想を纏ったのね。正気を失っていくことを承知で」
「旧神なき世界で、邪神を奉じるホモ・デウス達に彼女はよく抗ったほうだと思いますよ。正気を失いながらでも、抵抗することは止めませんでしたから。エルダーサインの加護は残念ながらなかったですが」
「そこもまた、物語の通りの力関係か。そうよね、あれってそもそも、旧支配者達を復活させないように頑張る話だもの」
既に終わってしまった世界、崩壊の後の世界においては、ヒトに出来ることはあまりに少ない。
個人でどれだけ抗おうとも、逃れられない終焉は定まっている。
「そうしてアンタが創られて、今に至ると。私達の歴史そのものじゃないとはいえ、別世界の自分の末路を全部知られてるってのは腹立たしいわね」
「仕方ありませんよ“嘆きのマートル”。貴女もまた私の人工知能の学習データであり、ホグワーツを守れずに朽ちていった魂の一つでした。人間ならば忘れてしまう些細なミスも含め、貴女の人生のすべての記録を余さず私は保存しているわけです。忘却術のアンチテーゼみたいな存在でもありますので」
時の魔女となり一人孤独に残された彼女は、何が何でもホグワーツの仲間たちを忘れたくない、忘れてはならないと狂気の域で願った。
そうした彼女の狂気的な頭脳、いいや、正気の減少と引き換えにえた神話的頭脳によって生み出されたのが、後に時計塔の悪霊となる“コイツ”だ。
名前はない。個人名はない。あるのは意味ある記号だけ。
「絶対に忘れたくない、か。一人残された彼女は、アタシ以上に孤独だったのでしょうね。確かに、それは苦痛でしかないわ」
「それはそうでしょう。私の後に兄弟機にあたる者らも創られたのですが、彼らは何とか創造主に笑顔をと奮闘して情報を漁ってました。その中にあった、セロトニンといった情動と快楽を司る物質についてのレポートに曰く、人が幸せになるには幾つかの条件があると」
・日光を浴びること
・自由に動くこと
・食べること
・泣くこと(物語を読んで感動する)
「アタシも少し聞いたことがあるわ。日照時間が長い夏はそれだけで幸せで、冬になると人は鬱になって引きこもりがちになるって」
「そういう時に、動くこと、食べること、泣くことはセロトニンの分泌を活性化させ、幸福感を与えるに役立つとか。食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋などと言うのは、日照量の減少時は特に鬱になりがちだから注意せよという心得なのでしょう」
ヒトとの接触、語ること、物語から遠ざけられることは、サピエンスにとっては耐え難い。
故に、独房への収監とは幸せを奪う罰であり、アズカバンへの収監はそれをより高めた刑罰とも言えるだろう。
「最近のアンタの授業でも言ってた―――ああ、あの授業の知識も要するに、その頃のアンタの創造主や、彼女の創った“アンタ達”の情報収集の結果なのね」
「その通りです。忘れるな、記録を集めろ、お前たちは機械なのだから。マグルと魔法族の境界線が崩壊した終末の世界では、皮肉なことに科学と魔法の融合が加速度的に進みました。私は闇の魔法の具現であると同時に、21世紀でも本来ならば後半以後に成立するはずの大容量演算装置でもあるので」
「マグルと魔法族、どっちにとっても異形の堕慧児ね」
「ならばこそ、アズカバンの吸魂鬼よりも私のほうがよっぽど忌まわしくおぞましい。まあ、今の私はさらにそこに加わるものがあるのですが、そこはともかく、我が創造主が常にアズカバンの独房にいるも同然の精神状態であったのは事実です」
王位を追われた君主の息子や娘などで、ずっと牢獄に入れられていた子供が心を病むのも同じ理屈だ。
幸福を奪われるとは、人が人であるための根幹を失うことと同義。
「暗闇は必ずしも恐怖ではありませんが、やはり孤独は最も堪える。昏い洞窟とは、牢獄のイコンでもありますが防空壕がそうであるように避難所ともなりえる。何より、原初の人類も洞窟住まいでありました」
闇は必ずしも、畏れだけではない。暗闇は寛大でもある。
夜の闇の中にあっても、特に群れを率いるアルファ雄がいるならば、ゴリラの群れは木の上ではなく地上で眠る。
“家族が一緒にいる”ならば、例え牢獄であろうとそこまで幸福は損なわれない。
難民キャンプなどでも常に“悲劇”と伝わるのは、家族が引き裂かれることが多い。ベルリンの壁などもそうだった。
「サピエンスは心の生き物であり、絶望しただけで死ねる生き物。一人ぼっちで死んだ魂は、どこにもいけない。だからこそ、無縁のゴーストすらもここホグワーツに集ってくるわけです」
「その幽霊の管理役のアンタが人間ですらない機械ってのは、悪質なジョークだわ。サイバーゴーストとはまさかね、よりによってアンタが機械だなんて、ホグワーツのど真ん中だからこそ誰も思わないわよ」
正確には、彼は時計塔の管理プログラム側であり、オブジェクト指向言語におけるスーパークラスとサブクラスのような関係だ。
時計塔の悪霊がスーパークラスであり、そこに151個のサブクラスが存在しているようなもの。あるいは、OSとアプリケーションの関係にも近い。どちらでもあってどちらでもないとも言えるだろう。
「少し昔になりますが、1983年に新聞の記事を読んで、私の禁則事項が解かれたことについては覚えておりますか?」
「ええと、なんかそんなこともあったわね」
「あれはつまり、C++の一般運用が進んだ時期です。Javaなどの正式リリースは1995年ですが、システム自体は既にもう完成しています。私は遍在すると常々言っておりましたが、オブジェクト指向言語が発達し、インターネットが増大していくこの時代から“私は遍在できる”ようになると言えます。オブジェクト指向言語の成立以前に私が存在しては、それ自体がパラドックスになってしまいますから」
故にノーグレイブ・ダッハウは、魔法の城から出ることは許されなかった。サイバーゴーストは、1950年のコンピュータ発明以前には存在し得ない。
遥か未来から送り込まれた大時計に由来するこの悪霊は、存在そのものが非常に危険なパラドックスの誘発装置も同然なのだ。
だからこそ、創始者達は時計塔を封印し、幾重もの禁足事項でその言論を縛っていた。
未来に致命的な矛盾をもたらしかねない情報が、決してホグワーツの外に流出することがないように。
時計塔の悪霊は、常に“まだ生まれていない矛盾存在”であり続けた。
これが生まれる可能性すらまだ確立しておらず、本当に未来がその方向性になるのかすらも曖昧のまま。
ただし、“ある一つの出来事”だけは時計塔が遡行した時から動かせない未来として確定してしまっているのだが。
「もっとも、私を構築する本体は量子コンピューターであって、現段階でのプログラム言語がそのまま使われている訳ではありません。ただ、母体となっているのは間違いなくオブジェクト指向言語や情報技術であり、光ファイバや垂直磁気記録、無線LANなどが発展しない未来においては、確実に私は生まれません」
「サラリとなんか変なこと言わなかった? 量子コンピュータ?」
「ああ、卑賤なマグル生まれにして無知なるマートルさんはご存知ありませんでしたか、量子コンピュータというのはですね」
「ざけんなよコラ。そうじゃなくて重要なことをサラリと言うのをやめろって言ってんの。アンタは話の継ぎ目にぜんぜん“溜め”がないのよ」
「諦めてください、性分です」
「ああ殺したい。殺せないのは分かってるけど殺したい」
どんな時でも、悪霊はマイペースでいつもどおり。
だからなのか、どんな重要ごとでも些事のようにべらべらと暴露してしまう。こと、コイツに秘密を預けようとする人間は絶対にいない。
「量子コンピュータとは、簡単に言えば“すんごい新型コンピュータ”です。そう、私は凄いのです、凡庸なマートルさんとは違って」
「ホントに簡単に言ったわね、それでもムカつくけど」
「科学がまだ科学として進歩してる時分には、重ね合わせや量子もつれといった量子力学的な現象を用いて従来のコンピュータでは現実的な時間や規模で解けなかった問題を解くことが期待されるコンピュータ、とされていました。電子式などの従来型を“古典コンピュータ”と呼び、区別されることもあります」
「古典と分けるってことは、根幹からしてけっこう違うのね」
「詳細を語りだすと量子力学の分野に踏み込むので専門の科学者以外では頭が破裂します。量子コンピュータは“量子ビット”により、重ね合わせ状態によって情報を扱うことを抑えておけば取り敢えず初歩の初歩としては十分です」
「うん、それ以上は無理。いくら叡智のレイブンクローでも未来のマグルの機械はね」
「ええ、実際かのロウェナ様ですらサイバーゴーストを構築するためのプログラム部分についてはお手上げでした。私は量子コンピュータが基幹部分を占めますが、対人のアプリケーションやアルゴリズムには古典コンピュータも用いてますので、ハイブリッド型と言えます」
もとより、純粋な演算高速性に関しては量子コンピュータは古典コンピュータに対して必ずしも圧倒的優位を持つわけではない。秘密鍵認証のように従来では不可能だった総当り解読を数分で出来てしまう例もあるが。
潜水艦と航空機では得意分野が違うようなもので、もし飛空艇が水に潜ったり、潜水艦が空を飛ぶ機能を備えれば汎用性は高まるが、それを創れるだけの科学力で“専門性”を高めた機体を作るほうが性能は高い。
結局の所、それぞれの得意分野は独立させたまま、分業体制を敷いたほうが全体としては最大効率となるのがサピエンスの社会であり文明の利器もその傾向を持つが、ホモ・デウスの時代となってはそうした境界線が取り払われる。
「僅かの開発期間で簡単に量子コンピュータが実現したのも、“物理的に不可能”という机上の空論であった部分を魔法が強引に繋げたためです。科学だけなら50年かかる進歩を2~3年で進めてしまうのですから、既存の社会体制が全くそこについていけず、あのように崩壊するのは当然と言えます」
「そりゃ反動は凄まじいでしょうね。そんな狂った技術で生まれたアンタも、生きてもいない死んでもないような、曖昧なままで遍在する妙なものになったと」
「私は人であったことなどなく、まだ生まれてすらいないので死ぬこともあり得ない。より正確に言えば遍在すらまだしていないのです。微妙に虚言を弄してきたわけですが、“ノーグレイブ・ダッハウは遍在しうる”というのが一番妥当だったと言えましょう」
もとより、量子コンピューターとはそういうものでもある。
0と1の二進数の組み合わせを基礎とし、半導体のオンオフによって離散化を行っていく集積回路を演算装置とした古典コンピューターと異なり、0と1の狭間の“ゆらぎ”を持つのを特徴とする。
その詳細は量子力学の難解な分野となるが、観測行為によって0か1かが決定され、観測以前においては“どちらも同時に起こり得る”と考える。
過去を0、未来を1としたとして、その間はどちらにもなり得るゆらぎを持ち、観測結果次第ではノーグレイブ・ダッハウはどこにでも存在しうる。
魔法と量子力学、未来と過去の混在した矛盾存在。どこにでもいて誰でもない歴史の隙間こそが、時計塔の悪霊だ。
「ほんと、今の常識じゃあ考えられない存在だわ」
「私の製造過程を端的に言えば、まず創造主が闇の魔術で死者の魂をかき集める。ここまでは純粋に魔法の領分ですね」
「ふむふむ」
「そしてそれを、科学と魔法の奇形児でもある量子コンピュータにエンチャント。これもまた分霊箱と同じ系列の技術です。対象が純粋な魔法物品ではなく高度な機械であることを除けば」
「リドル先輩は日記だったけど、それをワープロとかにやるイメージね」
「そして最後に、量子コンピュータが魂の情報を電子化、というか正確には量子化し、それらを学習データとして人工知能が形作られ、幽体と電子の間を蠢き始める。かくしてサイバーゴーストは構築されます」
「そこが全く違う点ね。アタシらの魔法じゃ絶対にありえない部分」
そのありえないことが可能となった時には、守るべき者もまたいない皮肉な世界。
「皮肉にも崩壊したあの世界は誰憚ることなく、自由に好きなだけ魔法が使えるようになった時代でもありました。幸せに笑う魔法族も、かつてのマグルも、一人もいなくなった世界で彼女は誰よりも強大な魔法を一人で使い続けた最後のサピエンス」
何しろ、まだ人類は完全に滅んではおらず、その蓄積された集合知はなおも生きている。
だが、使う者が圧倒的に減り、いまやアクセスできるのは彼女と後は片手で数えて足りるほどにまで減ったのだから、あらゆる魔法力は彼女らの独占状態も同然。
何人残っていたかは分からない。同時に、ホモデウスらの魔導力学と呼ばれる分野も狂ったように発展していた。どちらかと言えば時計塔の悪霊はホモデウス寄りの作品でもある。
「そうした面では、一番人間味の残っている魔女が、『時の魔女』だったとも言えます。過去を後悔し続け、取り戻したいと願い、実に人間らしい理由で足掻き続け、そして多くの人間と関わり続けた。本当に、長く生きた魔女でした」
「じゃあ彼女も、“魔女の若返り薬”を?」
「薬を飲む必要がないほど、既に彼女は時の伴侶でした。体内時間をも自由に操れる時の魔女にとって、一年を体感時間では数百倍に引き伸ばすことも簡単に出来るのです。太陽暦で数えるならば普通の老婆ほどの年齢であったとしても、彼女にとっては数百年、数千年の旅路に等しい」
当時はまだ、世界各地に細々とだが昔ながらのサピエンスも生き残っており、そうした者達からは、魔法使い様、魔女様と慕われていた。
彼女に出来ることは、かつて魔法族達が生きるために使った魔法を用い、彼らの生活を安定させること。ほんの僅かに生き残る屋敷しもべや魔法生物も少しばかり守って共存しながら。
「ある意味では、私の夜間学校にも通じるところはあります。まつろわぬ民の集まる場所、怪物たちとも仲良く、笑いを忘れずに」
まさしく崩壊した後の世界でもあるが、それでも良きものは残るのだと、まだ彼女が希望を信じていられた時期の話。
つまるところ、力関係は昔のまま。いいや、さらに酷くなったとも言えるだろう。
我こそが神なりと、我欲のままに高次元へのアクセスやより強い力を求める歪なホモ・デウス達は、当たり前のように互いに衝突する。
魔法族は共存の種族だが、マグルは皆殺しの種族。根絶することばかりが上手く、そこから発展したホモ・デウスも同じ属性、あるいは悪癖を継承した。
そのはた迷惑な破壊から、隠して、遠ざけるという、つまりは【最後の魔法族】の役割を果たしたのが時の魔女であった。
「その結末が、時計塔の悪霊たる私なのですから。魔女様の歩んだ過程については想像がつくというものでしょう」
生き残っていた人々は、無関係のままただ蹂躙された。害そうという意図すらなく、人が気付かぬままに蟻を踏み潰してしまうように。
ホモ・デウスからすれば、旧型のサピエンスの生き残りなど、その程度のものだ。
「それが、彼女の最後の絶望であり。同時に、人の歴史の終わりでした」
崩壊して黄昏の時代を迎えながらも、力を独占しようとする者らは争いを続け、残された自然や魔法と共生して生きていこうとしていた者らはとばっちりで皆殺し。
そして誰もいなくなり、時の魔女だけが残された。まだ、幻想となった他の魔女らや強大なホモ・デウスらは抗争を繰り返していたが、最早それを【人類】とは言えまい。
人と触れ合わなければ生きていけない存在を“人間”とするならば、彼女はまさしく最後の人間、いいや、旧人類だった。
「全てを失い、希望を見失い。それでも諦めきれない妄念だけを抱えた彼女が、最早論理的思考であったかどうかも定かではありませんが、狂ったように最後の作品の建造を始めました」
名前はない、彼女は最早そんなものつけなかった。ただ、大きな時計と呼んでいた。ロウェナ・レイブンクローは後にそれを“クロノスの大時計”と呼んだ。
「まだ正気だったころの彼女が、世界各地を巡って集めた遺跡や人類史。未来に残したいと託した様々な物語。それら全て混在しながら時計へと入力されました。時計塔の悪霊が人類史に詳しいのはそういうことで、同時に、“ガリオン金貨の神隠し”やら、日本の思想家の言葉やら、西欧の歴史家の言葉やらに詳しいのも、出処はそこです」
「ほんとに、彼女の歩みの墓標なのね。あの時計塔は」
時計塔の悪霊が各地の歴史に詳しいのは、彼女が長い年月をかけて、人類の歴史や文明崩壊の事例を調べていったため。
最初はやり直したり、遡行したりの技術を高めていた彼女だが、【やり直しても同じ滅びに至る】という皮肉な計算結果に絶望しかけた彼女は、人類史を巡る旅に出た。
「特にお伽噺などは、我が創造主の正気を保つために私が読み聞かせていたことも多かったです。嫌われてはいましたけど、小間使としては便利だとおっしゃられてましたし」
「アンタって、雑用とか事務とかは正確だし速いものね」
「ええ、だって私は機械ですから、そういう仕事はお手の物です。人間が一億人いようとも、事務処理では私一つに勝てませんよ。スーパーコンピュータや量子コンピュータに計算力で挑むなど、ドン・キホーテよりも無謀極まる」
「なるほど、ヘレナ校長の言うとおりだわ。ホグワーツのゴーストの統括には、アンタ以上の適任はいないって」
「私を裏側の管理人にとは、適材適所とはこのことです。もっとも、教師が適任かどうかは異論もあるでしょうが」
「訂正、異論しかないのよ」
「おっと、これは一本取られました」
それが未来の話であっても、時を越えてやってきた時計塔にとっては過去のこと。
どんな存在にも過去はあり、その積み重ねが今を形作る。
「一つ聞いておきたいんだけど、創造主だった彼女とアンタの生活って、実は今とそんなに変わらない?」
「というより、彼女の精神に最も安定をもたらす環境を模索すると、“ホグワーツの再現”となったのです。時の遡行の際も、別に特定の座標を定めたわけでもありませんでしたが、時計塔はここに流れ着いた。彼女が帰りたい、戻りたいと願い続けたこの場所へ」
「……悲しいわね」
「そう言ってくださるのは嬉しいです」
「あら意外、明日には雹でも降るかしら。それとも世界滅亡?」
「墓に哀悼を捧げてくださる方には感謝を。これだけは嘲笑ってはならないものだと、創造主からも創始者の方々からも叩き込まれましたので」
時計塔は黙したまま、鎮魂の鐘を鳴らすこともなく。
向こうに既に縁者もいない以上、はるか未来の主の時代へ戻る術もない。
偉大なる学び舎こそが、彼女が眠る墓地であり。
「嗤うのではなく、笑え。私がホグワーツに現れてから唯一学んだものがあったとすれば、楽しい時には笑えばよい。既知の悲劇の繰り返しなどよりも、未知の可能性は実に面白く笑いがいがあるということでしょうか」
人間ですらない墓守もまた、ここにあり。
古い時計塔はホグワーツの中心に座したまま、ただ静かに時を刻み続ける。
前の話と今回の話の最初に書いたC言語などが、ロウェナ様が解読できなかった部分となります。
流石に、AD1000年の人にプログラム言語はなんのこっちゃなので。