歴史の事実を基にしたものであるからこそ、重い内容が含まれることは間違いありません。
苦手な方はどうかブラウザバックを。今回は、悪霊の茶化しもありません。
茶化すことなど、絶対に許されない話題について触れられます。
ぽるたー様、ずわい様、誤字報告ありがとうございます!
「ふう、これで期末テストに向けた準備は終わりかしら。何か怒涛のように忙しかったけど」
「お疲れ様ですマートルさん、実に馬車馬のように働いてくださり感謝します」
「大半はアンタのせいだってのを忘れるな」
「善処いたします」
光陰矢の如く時は過ぎ去り、ハリーらの三年目のホグワーツ生活も瞬く間に期末テストを目前としている。
一昨年は賢者の石騒動、昨年は秘密の部屋探索となかなか目まぐるしいイベントの目白押しだったが、10月に死喰い人達と不死鳥の騎士団の最後の決戦がアズカバンで行われたこともあり、ホグワーツにとっては久方ぶりに平穏なクリスマスやイースターを迎えられた。
また、来年にはいよいよトライウィザード・トーナメントも迫ってくる。ホグワーツは主催校なので事務方は今から大忙しなのである。
にもかかわらず、4月頃からにわかに悪霊教師が活発に動き出し、“そうはさせんよ”とばかりに大騒動をやらかしまくってくれやがった。
酷いときは、一昨年に死んだ死喰い人マルシベールの怨霊を放ったりとマジで洒落にならないこともあったが、対悪霊戦線の生徒達は実に逞しくこれの撃退に成功している。
「ほんと、ただでさえ対抗試合の準備で急がしいってのに余計な仕事増やすんじゃないわよ。これじゃあ10月末の方がまだ楽だったわ」
「アズカバン決戦が行われた頃ですね。規模自体はそれほどでもありませんでしたが、長年の決着がつく区切りとなるものでしたので記録のし甲斐はありました。来年以降魔法史で紹介する内容がまた増えましたね」
残った最後の死喰い人達はアズカバンを強襲、闇の陣営であるかを問わず収監されていた魔法使いを解放して仲間に引き入れ、魔法省と騎士団に最後の決戦を挑んできた。
エバン・ロジエール、アントニン・ドロホフ、ロドルファス・レストレンジ、ラバスタン・レストレンジを中核に、あくまで闇の魔法使いであることを捨てない者らが、闇祓い達と正面からぶつかりあったため、双方に大量の死者を出した。
基本、失神呪文などによる捕縛を目指す闇祓いにおいて、生死問わずの制圧がクラウチ魔法大臣から発令されたのだから、魔法世界としては珍しい規模の戦闘となった。
「ムーディはロジエールを、マクゴナガル先生とフリットウィック先生がドロホフを、魔法世界においてはどこまでも因縁というのは強くついてまわるものです。騎士団側の死傷者が少なく済んだのは、ダンブルドア先生のお力によるところが大でしょうが」
「やる前から、結果は分かってたわよね。闇の村長様はもういなくて、こっちにはイギリスの英雄が健在なんだから」
「だからといって、納得は別問題なのでしょう。闇の魔法使いたる自負を貫き通し、闇祓いと戦い、闇の魔法使いらしく死んでいく。ある意味見事なものではありませんか、ホグワーツにコソ泥で入った挙句、スクリュートやケルベロスの餌になるよりはよほどましな死にざまかと」
「それは確かに」
ホグワーツを巡る騎士団と死喰い人の物語は終わり、残るは後日譚が一つ。
幻想側の彼らの辿る歴史を物語とするならば、秘密の部屋が閉じたあの時に、既に役者たちは舞台における役を終えていたのだ。
ならば後は、アドリブに任せてカーテンコールを。
母の愛の奇蹟で生まれ直し、いずこかへ旅立った者。
魔女の若返り薬で過去を失い、新たな友と人生をやり直す者。
クラウチJrのように、光とも闇ともつかぬ道を模索する者。
そして、ロジエールやドロホフらのように、最後まで闇を貫いた者。
「アタシとしてはデルフィーニのこともあるし、レストレンジの兄弟は生き残って欲しかったかしらね」
「そう思ってくれる者が一人でもいるうちに、ヒトは死んでおいたほうがいいものだと個人的には考えます。まあ私などの考えはともかく、彼らはむしろ、彼女にレストレンジ家の業がいくことのないように引き受けていったのではないでしょうか」
マートルさんは知らないが、悪霊はドロホフとマクゴナガル先生の聖夜の邂逅を知っている。
悪童の死喰い人曰く、ロドルファス・レストレンジは夢を見たという、“向こう側”の、救いのない終わりへ向かってしまう崩壊の歴史の轍を。
確かに、闇に属する者らとて思うところはあったのだろう。後に続く光を残したいならば、闇を引き受けて沈む者らも必要なのだと。
「そっか、それならまあ、あの子にとってもちょっとは救いになるかしら」
「ゴーントと同じくレストレンジという家も業の積み上げが限界に達しておりましたが真実は死んでいった者の心の中にしかありませんので、傍観者に過ぎない我々がアレコレ論じても仕方がない。歴史の事象として記録されるは、1970年より長きに渡った魔法戦争は、1993年のアズカバンの決戦をもって完全に収束したということです」
最後の決戦と、片方の陣営の全滅。分かりやすいと言えばこれほどわかりやすいものもない。
それ以前に離脱した者らとの関係性はその後も続いていくが、後世に至るまで“死喰い人”と呼ばれるのは最後の決戦に参加した者らの特権であり、そして彼らが全滅した以上、もはや死喰い人を名乗る者らはいなくなる。
名乗ったところで、残党にすらなれはしない。それほどに、戦争における決戦というものは歴史の節目なのだから。
「平和ボケした衆愚はしばしば勘違いしますが、最も早くに、なおかつ戦後処理が迅速に進むよう戦争を終わらせる方法こそが“全面決戦”というものなのです。アレクサンドロスとダレイオス三世の“イッソスの戦い”、“ガウガメラの戦い”。ハンニバル戦争における“カンナエの戦い”、“ザマの戦い”。ユリウス・カエサルとヴェルキンゲトリクスによる“アレシアの決戦”などなど。東洋においても項羽と劉邦の“垓下の戦い”は有名です」
つまるところ戦争とは、“てめえが気に食わねえ!”、“どっちが強いか白黒つけようじゃねえか!”というチンピラ程度のものだ。高尚な決闘などなんだのは後付けに過ぎない。
小難しい理屈などすっ飛ばし、“殺して食糧を奪う”、“勝った方が次の覇者”という実に分かりやすいものであり、そこに正義すらも必要ない。
正義など求めるから話はややこしくなる。真正面から全軍がぶつかりさえすれば、取り合えず、“どちらが強いか”だけは分かるのだ。
所詮この世は弱肉強食、強ければ生き、弱ければ死ぬ。炎の修羅と呼ばれたカリスマ剣豪もそう言っていた。
「およそ、お家騒動とも呼ばれる継承戦争というものがややこしいのは、身内同士であるために決戦を行えずに泥沼化するためです。魔法族の内ゲバもまた然りで、血縁の正当性だの小賢しいことをほざく戦争が、より良い結果に繋がることなどありません。潔く、“俺は強い、お前らの食い物よこせ、俺が王だ”の方がよほど分かりやすい」
「それって、アンタの世界のホモ・デウスの理屈じゃないの」
「いいえ、彼らもそこに至れぬ紛い物に過ぎませんよ。自分達が神であることに虚構の皮を被っている段階でそこに真実などありはしない。サピエンスの皇帝や大富豪が、性根が卑しい小心者でありながら、財力や権力にものを言わせて我を通すのと構図は何も違いありませんから」
だからこそ、そんな程度の輩に滅ぼされた世界を、悪霊は嘲笑するのだ。
結局は、権力が澱んで腐って崩壊する既存の国家群と、その末路に何ら違いはありはしない。クロノ・エンドは別に物珍しい現象ではないのだと。
「人類史を紐解けば、文明崩壊はそこまで珍しい例でもない。無様な崩壊、滅ぼされての皆殺しとなるか、偉大な墓となるか。ヴェネツィア共和国などのように、崩壊せずに緩やかに終焉へ向かう場合もある。全ては良く生きて、よく死ねたかということです」
一つの都市、一つの国家、一つの文化圏、あるいは文明圏というものは、一人の人生とある種近しい部分がある。
東洋の島国で一大宗派を築いた親鸞上人の教えに、平生業成というものがある。ヒトにはそれぞれ、その人生でなすべき大事業がある。それをなすために人生はあり、果たしたならば死を恐れることはない。
「一つの文明や都市国家は、何か一つを成し、何かを残せればそれで及第点と言えます。真に優れた国家や文明は最盛期を複数回迎え、500年以上も存続する例もありますがそれは稀なもの。一度繁栄し、最盛期を迎え、没落していく。それでもまだましな方で、三流国家は繁栄することすらないまま滅びますので」
アテネが、パルテノン神殿を残したように
エジプトが、ピラミッドを残したように。
あのイースター島とて、子孫は原始的な生活にまで落ちぶれていたが、モアイ像を残すために文明は生きて、そして死んだともとれる。
そして、真に偉大なものには自らを偉大と自賛する必要はない。“民族の偉大な復興”などをスローガンに掲げる政権が短命に終わるのは、ありもしない虚構の過去の栄光を求めるためだ。
偉大な道筋を残せたならば、評価は後世の人間が黙っていてもしてくれる。
「しかし、淘汰を重ねた科学文明はこの星全てを席巻し、皆殺しの文明である故に多様性を許さなかった。唯一人の膨れ上がった巨大な情報文明が、最後に自重に耐え切れずに倒壊すれば、この星そのものからサピエンスという文明が消えるのは道理」
小さな規模で語れば、中華文明圏が似た経緯を持つ。
殷周時代ならば数百もの都市国家に分かれており、そこかしこで滅んだり文明崩壊の例はあったが、BC1600~BC200年までの長い間、黄河文明圏が途絶えることはなかった。
しかし、やがて七つの大きな王国にまとまり、遂には秦の始皇帝の手によりただ一人の皇帝が統べる“唯一つの巨大帝国”となる。その境界線こそは万里の長城。
だがそれは同時に、一つの国家、一つの王家が失敗すると、文明圏全てが大崩壊するリスクを背負うことも意味する。長所は常に、短所にも通じる。
「暗黒の中世と呼ばれる時期などは、統一政権のないままだらだら内ゲバを繰り返す観測者からすれば何の面白味もない退屈なものですが、裏返せば“アメーバの如く滅びにくい”という長所も持ち合わせているのです。統一性と多様性の相克というものも、人類史を語るうえで興味深い醍醐味なのですから」
「言われてみれば確かに、“向こうの歴史”でハリーが勝った場合も魔法族の行動は立派なものじゃなかったけど、それでも急激な崩壊はしてなかったわね」
「現実を見ない闇の村長様と異なり、多くの魔法族にとってマグルはやはり潜在的な敵なのです。しかし、科学で結びつく“同じ規格を使う文明圏”は、最早自分達を倒しうる外側の敵を持たなかった。科学技術を一切用いない民は、インディアン、インディオ、ブッシュマンなど世界各地に散見すれど、彼らが80億を超える【科学文明の民】を打倒して、玉座を奪うことはありえない」
原住民たちが滅ぼうとも、科学の民にとっては何ら痛痒ではない。
だが、科学の民が大崩壊すれば、その余波だけで原住民は滅んでしまう。特に核戦争などが起きれば一瞬だ。
「時の魔女と呼ばれた私の創造主を最後に絶望させた大崩壊も、結局はその関係性の延長線上にありました。先の原住民と科学の民も、個人で比較すれば狩猟民の若者の方がよほど優れているでしょうが、無知蒙昧な自称文明国の豚が、化石燃料を貪り尽くしてのさばる。“自分で科学技術を発展させたわけでもないのに”です」
「皮肉なことにその関係性がそのまま、ホモ・デウスとサピエンスになったのね。というか、サピエンスの特権階級が変化して格差社会の境界線が変わっただけなのか」
「言ったでしょう、虚構の皮を纏っているに過ぎないと。旧支配者などと嘯き、パラダイムシフトが起こったと説けば何か壮大な世界の新生が起きたように錯覚しますが、実態など所詮そんなもの。それが、我々の辿った“失敗した人類史”の末路であり、こちらの歴史には辿って欲しくないと彼女が祈り、創始者達が引き継いだ理念ということです」
滅んだ民への慰霊碑であり、高度に発展した科学文明の墓標。
神の領域に届けとばかりに発達した科学文明と、一人の魔女が独占するまでになった魔法の融合の産物が時計塔であり、そこには失敗した歴史書の山と、遺したい教訓と寓話、綺麗な物語が詰まっている。
「まあ、最後の一つだけは私には絶対に形に出来ないものだったのですが、メローピー・ゴーント様が残った欠片を埋めてくださいました。創始者が一角、サラザール・スリザリンの理想もかく成就し、ようやく時計塔はその存在意義を果たしたと言えるでしょう」
私たちの歴史は、どこで間違えたのか。
異なる終わりもあったはず、綺麗な大団円はどこにある?
「つまるところ、彼女の原点、やり直したい過去の未練はこの時代にあった。ですから、この時計塔もそこまで大層な代物ではないのです。創始者達の理念と積み重ねた歴史は偉大なものですが、あくまで発端は、一人の少女の後悔の念から始まったものである」
「メローピーと同じように、ね。そこらへんはまあ、アタシも似たようなものかしら」
そうして、ホグワーツの今はある。
ハリー・ポッターという少年は“生き残った男の子”になることがないまま、長きにわたる魔法戦争の幕は閉じ。
時計塔の創造者の願いは、確かに成就したと言えるのだろう。
「ではここで一つ謎かけを。時の魔女様に昔の私が出したものでもありますが、“口から涎を垂らし、糞尿をそこらにまき散らし、ヴァアアと呟きながら、人に噛みついたり、裸足で歩いて急に走り出すもの、なーんだ?”」
「そりゃまあ、ゾンビと言いたいところだけど、どうせアンタの出題なんだからひねくれた答えなんでしょう?」
「イグザクトリー、答えは“徘徊老人”です」
「舐めてんのかアンタは。お爺さんに謝りなさい」
「いえいえ、これは本当にただ事実を並べただけです。少子高齢化社会の末路など分かり切ったものですから。やがて老人がゾンビのように子や孫のための年金や医療ワクチンはおろか、命すら貪る時代がやってきます。キーワードは“切れる老害”、“上級国民”、“自動車ミサイル”あたりでしょうか。上級国民がデウスになると思えば、その醜悪さも分かりやすい」
「全然分からないんだけど」
「今はまだ1994年ですので無理もありません。ですが、この時代のマグル生まれである時の魔女様には、察するところはあったようです。加えて、魔法族とマグルの差異に、老い方の違い、生きる時間の違いというものがどうしようもなく横たわっていますから、この問題は魔法族には当てはまらないのです」
魔法使いの老い方は、マグルのそれと同じではない。
その根源的な部分に、魔法使いを魔法使いたらしめる魔法の力が、老いによって衰えはしないことが挙げられる。
古き良きケルト的神話体系に由来する“心の魔法”では、老賢者の魔法が若い弟子に負けることなどありえない。魔法の基本属性は、古ければ古いほど強いのだ。
「先の戦争論でも述べましたが、ダンブルドア先生が最強である由縁はそこです。彼が弱るとしたら魂に傷を負うなどの魔法的なものでなければならず、ただの時間経過は肉体の老いをもたらしても、魔法の力の減衰には繋がらない。そこは、“闇の帝王”にも同じことは言えましたがね」
「もう肉体のないアタシが言うのもなんだけど、確かに、フィジカル面は強さの決め手じゃないわね」
「ですが、マグルはそうはいきません。老いによる気力の衰え、肉体機能の低下。どれほど権力財力を極めようが、それは恐ろしく背後から忍び寄る。だからこそ古今東西の権力者は安易な不老不死に縋り、あの始皇帝ですら無様に詐欺に騙される」
魔法族はあくまで魔法生物であり、マグルと全く同じ生き物にはなれない。
どこまでいっても、マグルと混血が可能な、魔法生物である。
犬と人は友になれても、同じにはなれない。同じように、マグルと魔法族は同じではない。
「これは私が後にヘルガ様より教え諭されたことですが、“同じなのだから、共に生きられる”では駄目なのです。人権の平等など間違っても思ってはならない。ハッフルパフの融和の教えは、“私と貴方は違うけれど、共に生きよう”。それが、魔法族の融和の在り方です」
「人権はキリスト教史観のマグルの発案だから、悪意はなくてもそこに、“前提としての人の優越”、“人間であるだけで素晴らしい”が混ざっちゃってるわけね。それに、同じだと思ってたのに違う部分を見つけちゃうと、反動ですっごく嫉妬して憎んじゃうから」
異種婚姻譚とは常にそういうもの。だからこそ、ペチュニアとリリーは違うのだ。
どれだけ願っても、ペチュニアはホグワーツに通えない。
どんなものでも、リリーと一緒でありたいと思ってしまえば、破局にしか到れない。
「昔、ペチュニアに贈った手紙を思い出したわ。“貴女とリリーは同じじゃない。それこそが祝福なのよ。同じじゃなくても、愛し合って手を取り合うことは出来るから”」
「流石はマートルさん、良い言葉です。そう、悪意だけが、人を不幸に導くのではない。好きな人と同じでありたいという善意であっても、破滅に至る道というものはあるものですから」
だから、あの崩壊はあくまでサピエンスの自滅なのだ。
力だけなら、マグルが圧倒的に勝っているのに、彼らが一番欲しい老いや病の超克や、不老不死に至る可能性は魔法族の領分。
それが、嫉妬と憎しみの根源になってしまう。どんなに願っても自分達が得られない宝物を持っている奴らが妬ましい、憎らしい。
そういった心の機微については、マートル・ウォーレンとメローピー・ゴーントは体験談で知っている。確かに彼女らは、時計塔に選ばれたとも言えるだろう。
「私は主へ述べました、“老いの醜さ、若さへの羨望、終わらぬ差別。ホモ・デウスの未来への端緒がそこにはあったと思いませんか?”と」
つまるところ、時間の問題だったと。
形は違えど、結局マグルの文明は、同じような崩壊に行き着く定めだったのではないか。
だからそう、別に気に病むことはありませんよ魔女様。サピエンスの頭が悪いのは貴女のせいじゃありませんから。
「……アンタってさ、実は創造主を不幸に追いやった社会とか人類とかに、すっごく怒ったりしてない?」
「私が悪魔でしたら、そういう側面もあったでしょうね。悪魔とは常に優しく人類を嘲笑しながら、同時に天使から堕天させられたことに激怒しているものですから」
「違うの?」
「ええ、私は生粋のクズですし、怒ってなどおりません。ですが、時計塔の中に常に怒っている者らが潜んでいるのは事実です、何せ彼らは、マグルからも魔法族からも迫害され保身のために見捨てられた、世界の全てから拒絶された者達ですから」
言った瞬間、悪霊の輪郭がブレ始める。
いいやこれはむしろ、本来の形に戻っているというべきか。
「アンタ、それ……」
「ようやく禁則事項も終わり、彼ら151人を紹介することが出来ますね。では改めてご挨拶を、我ら時計塔に渦巻く悪霊一同のうち、彼ら151人こそ真に“ダッハウ産”と呼べる中核の者達。西暦にして1933年から1945年までのおよそ12年間、人類の黒歴史の代表例たるアウシュヴィッツの母体として君臨したダッハウ強制収容所にて“魔法使いに殺された”、報われぬ悪霊達でございます」
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ダッハウ強制収容所
忌まわしきその名は、ドイツのバイエルン州ミュンヘンの北西15キロほどのところにある都市ダッハウに存在したナチス・ドイツの強制収容所である。
ナチスの強制収容所の中ではオラニエンブルク強制収容所と並んで最も古い強制収容所と言われ、後に創設された多くの強制収容所のモデルとなった。
人類史においても最も多くの強制収容所が創られた時代であり、ダッハウ強制収容所、ザクセンハウゼン強制収容所、ブーヘンヴァルト強制収容所、リヒテンブルク強制収容所への四大収容所へと、各地に点在していた留置所程度の施設が“組織的に”大規模収容所へと統合されていった時期。
その体系化に名高きは、ダッハウ強制収容所に新しい所長として1933年6月末に赴任したテオドール・アイケSS上級大佐。1937年には親衛隊髑髏部隊総監となり、ただの処刑人などではなく武装SS「髑髏」師団長を率いて1941年の独ソ戦のバルバロッサ作戦時にソ連軍に包囲された時、最後まで戦い切り抜けた屈強な軍人将校でもある。
「国家の敵に憐れみを持つ者はSSに値しない。そういう弱い者は我が隊ではなく修道院へ閉じこもればよい。我が隊が用がある者は情け容赦なく命令を遂行する者だけだ。髑髏の徽章は伊達で付けているのではない」
髑髏師団の兵士は8割が死傷しながらも激戦を潜り抜けた、銃火の地獄を渡り歩く男の言葉である。
「とまあ、そんな男が骨子を定め運営されたのがダッハウ強制収容所という場所です。これだけでも、歴史上多々あった“無抵抗な民をいたぶるだけの牢獄”とは違うということがお分かりになるでしょう。悪霊となった我々151人にとっても、彼は恐怖と畏怖の対象だ」
「なんつーか、ただただ恐ろしいわね」
「そして、ダッハウの悪名高きもう一つの代名詞と言えば人体実験です。有名な二つが“超高度実験”と“冷却実験”でして、ドイツ空軍のための実験であり、前者は高度の低気圧に人間がどこまで耐えられるかを調べるために行われた実験。実験に使われた囚人はほとんどが死亡し、生き残った者も重大な後遺症を残しました」
「戦争の狂気と恐ろしさをそのまま体現してるような場所だわ」
「もう一つの“冷却実験”は冷たい海面に落ちたパイロットを救出できるかどうかを調べるための実験であり、冷たい水面につけるなどして囚人を凍死させた後、蘇生が可能かどうか様々な実験が行われた。世の中にただ苦しめるだけの醜悪な拷問は多いですが、ここまで冷徹に“データ集め”と“実戦運用”に繋げた人体実験を他に私は知りません」
「蘇生が容易な闇の魔法使いだって、そこまでやらないわよ」
「ええ、だからこそ恐ろしい。先程述べた永遠の命への渇望など、ダッハウ強制収容所には無縁でした。どこまでも、効率的に人間を殺せるかだけを追求する場所であり、テオドール・アイケとはそれを貫徹する恐ろしい軍人でした」
軍人とはつまり、死なない術と殺す術に長ける者。
だからこそ、実戦で戦う軍の管理下にある研究所で不老長寿など望むはずがない。敵の究極的な排除手段として殺害を選んでいるというのに、簡単に蘇生してしまえば軍人の軽重が問われる。
彼らが求めるのはその逆、より確実に、絶対的に、相手が蘇ることなどないように殺し尽くすための手段である。
「そうして、ダッハウ強制収容所を母体に後のユダヤ人絶滅収容所が創られた。あちらはガス室での処刑が有名ですが、それは同時に私の由来でもあり、時計塔の悪霊は“ガス室のイコン”であるわけです。だからこそ処刑具全般と相性が良く、“ギロチン先輩”に“電気椅子後輩”なわけでして」
「なんで、アンタが関係するの。時代が違くない?」
「いいえ、私が生まれた歴史において、“凶悪なテロリスト”を収監し、やがては十字軍と魔女狩りに変貌していく中で再開された施設こそが“ダッハウ強制収容所”なのです。ロナルド・ウィーズリーも、ネビル・ロングボトムも、ドラコ・マルフォイも、純血の魔法族は皆全て再起動したダッハウのガス室で殺された。ダッハウは、魔法族の絶滅収容所となったのです」
それこそが縁、それこそが由来。
名前を言ってはいけないあの場所、例のあの場所。口にするのも悍ましきその名は、ダッハウ。
「死喰い人が純血主義でしたから、初期の“魔女狩り”はまだ不老不死の材料集めの前段階の憎悪に駆られた反動的な暴挙でした。だからこそ、ダッハウ強制収容所の再開という“黒歴史の墓を暴く”ような真似をしたわけですが」
「アンタが墓に拘る由縁が一つ分かった気がしたわ。アウシュヴィッツも多くがそうだけど、彼らには墓すら……」
「ええそうです。救い難きはダッハウの亡霊達。彼らを全て救うためにはシンドラーのリストがあと数万枚は必要でしょう」
ここでいうダッハウの亡霊とは、ダッハウ強制収容所のみならず、派生して誕生していった全ての強制収容所で殺された犠牲者をも包括する。
その総数は600万とも800万とも。間接的な犠牲者や敵国であるソ連のホロドモールと大粛清の2000万人や、さらに時を進めて中国共産党の大躍進政策の餓死者3000万人なども含めれば、関連死はさらに膨れ上がる。強制収容所はチベットやウイグルにも作られた。
「本来時代の異なる犠牲者を繋ぐ縁こそが、“ダッハウのガス室”なのです。さらに加えて、時計塔の中核を担う151人はより一等特別な業を持っております」
「まだその先があるの? どこまで人類は堕ちていくのよ」
「起きたこと自体は、巡り合わせの不運と言えるものです。“私の時代”の犠牲者とは逆に、ナチス・ドイツ時代にダッハウ強制収容所に収監された魔法族系の犠牲者は、スクイブと自覚なき穢れた血が大半でした。知っての通り、ドイツには大型魔法学校がなく家門ごとの小規模教育の形なので、イギリス魔法界ほどマグル生まれに門戸が開かれておりませんでした」
そこは、民主主義が早くに勃興した西欧イギリス、フランスと、1848年までは市民革命に否定的だった中欧、東欧という歴史地盤の違いも出てくる。
そして、歴史的にスクイブはユダヤ人に合流することが多く、東欧に造られたユダヤ・ゲットーには潜在的に多くのスクイブと“穢れた血”を内包することとなる。
「自分の出自を知らぬまま、ユダヤ人として強制収容所に収容された魔法族は各地にいました。自覚がない故に魔法での脱出もかなわず、そもそも、心の魔法が使えるような精神環境でもなかった。ダッハウ強制収容所やアウシュヴィッツには、希望というものなどありえませんでしたので」
「アズカバンが、まだましに見えてくるわね」
「あちらはあくまで監獄であり、絶滅収容所ではありません。ダッハウ強制収容所は“刑罰”の場ではありませんし、碌な司法など最初から期待する方が間違えている。収容されたユダヤ人が“シャワー室”でどうなったかは、人類史で必ず語られるレベルの暗部です」
人類の黒歴史というならば、これを語らずには済ませられない。
むしろ、これが中核にあるからこそ、ノーグレイブ・ダッハウは黒歴史の塊なのだ。
「アンネの日記もまた有名ですが、ベルゲン・ベルゼン強制収容所は“休養収用所”と銘打ちながら、与えられる食料の少なさによる衰弱死とまた病死も非常に多かった。ガス室が有名な一方で場所ごとに様々な死因があるのも強制収容所の特徴です。彼女とて、もし魔法族の血を引いていたら時計塔の一部になっていたやもしれません」
「ほんと、どっちにしても絶望だけじゃない」
「そしてある時、ダッハウ強制収容所に連れてこられた一人の“穢れた血”が最大級のオプスキュラスを発現させたのです。マグルの迫害などを受けて抑圧されることで精神の鬱屈が暴発するオプスキュリアルのリスクは、強制収容所においてこの上なく高まるものですので」
「オプスキュリアル? じゃあ、アリアナちゃんが時計塔に取り込まれた縁って……」
「そういうことです。そして、我が創造主が時計塔を過去に遡行させる際の動力源としたのもオプスキュラス。つまりは、迫害された魔法族の“最後にして禁忌の力”と言えるものなのですね」
かつて、ニュート・スキャマンダーがニューヨークで解決した際の事件でも、あの大都市の各地を破壊するほどの被害が出た。
ならば、例え自覚がないとしても、多くのスクイブや“穢れた血”が迫害と殺害の極地と言える場所に押し込められ続ければどうなるか。
「結果として、魔法史上最大級クラスのオプスキュラス災害が起きました。あまりに強すぎたため本体が持たず、ダッハウ強制収容所の諸施設を破壊し、無関係なマグルのユダヤ人らも大量に死んだわけですが、まるで連鎖するように各地の収容所でも同様の事件は起きたのです」
その時にも、魔法の漏洩や魔法族の弾圧の危険性はあった。
だが、そうはならなかった。魔法族などという“些事”にかまけていられるほど、世界大戦という時代は甘いものではなかった。やがて空から都市を焼き尽くす焼夷弾と、原子爆弾が平然と投下される悪夢の時代である。
「そして、ダッハウにて最も皮肉な“修正”が起きる。魔法使いたちの常として、各国の魔法事故リセット部隊にあたる役人達は痕跡を消すため修復呪文や忘却術、錯乱呪文を駆使し、“強制収容所の施設を修復”したのです。この所業、どう思いますかマートルさん?」
「え、修復、したの。魔法族が?」
「マグルの機器と時勢に疎い“引きこもりの純血達”にとってみれば、その施設が何であるかなどよく分からず、どうでもよかった。彼らはただ、【理由は良く分からないが】起きてしまった特級のオプスキュラス災害を何とかばれないようにしようと、自分達の価値観に従って痛ましい事件を忘却し、記憶を書き換え、魔法族が壊した施設を修復しただけです」
「………無理解って、ここまで恐ろしいことになるの」
「間が悪かったと言えばそれまでですが、かくして“私”となるガス室は修復され、当然その後も何百万人ものユダヤ人を殺し続けました。無自覚のまま、魔法族もまたスクイブと穢れた血の虐殺に加担していたのです。そして、その時に死んだ151人の魔法族は、マグルに差別され迫害の末に魔法族の暴発で死に、挙句の果てに純血の手で“なかったこと”にされた」
ただそれは、魔法界を隠匿するために。
ダッハウ強制収容所で死んだ151人は、マグルに拉致され、自分達の同士討ちに近い形で死に、魔法族に隠ぺいされ見捨てられた。
「残ったものは、“書類ミス”、ただそれだけです。そして皮肉なことに、そんなことは絶滅収容所では日常でした。囚人護送の手続きにミスが生じたため、急遽下ろして森の中に殺して埋めるなど、あちこちで平然と行われていた時代でしたので、大した違和感などなかったのですから」
「ヒトの命って、そこまで軽くなるものなの?」
「そういう時代だったのです。原爆で瞬時に焼き殺された十数万人とて、幽霊となっているならば同じように思ったのではないですか」
世界大戦の記録は、人類の黒歴史、そして繰り返してはならない歴史の教訓として刻まれた。
だが、50年はおろか5年もたたず人類は忘れ、中東戦争に朝鮮戦争と戦争は消えることはない。かつての敗戦国もまた、新たな戦争の血を吸って戦後復興を果たしたのだから無縁ではない。
戦争の負債を戦争で購う、それが、皆殺しの種族たるサピエンスの歴史である。
「こうして客観的に述べるだけでは、
ブレていく、輪郭がブレていく。
これまでギリギリ、“客観的に”ダッハウを語ることで何とか抑えられていた絶望と憎悪が溢れるように。
「
神よ、なぜ我らを見捨て給うた。
救いは無いのか、奇蹟はないのか。
いいや、持つのが間違いだ。そんな淡い希望を持っても、裏切られた時に辛くなるだけ。
「誰もが徐々に、希望を失っていった。稀に待遇改善のようなものがあったが、それはいつも収容所内部の分断を煽るための工作ばかり。最終的にはどうせ全員殺されるのだ」
かつて悪霊は語った、分断政策とはそういうものだと。
囚人の中でも、ドイツ人の反国家思想犯やスラブ系はまだマシな待遇で、同性愛者や障害者は価値なしとされ、ユダヤ人やロマはさらに低い。
「ある時、奇蹟が起きた。何が起きたかよくわからないが、神の裁きか天使の降臨か、黒い御使いが舞い降りて、恐ろしい壁もガス室も、全てを壊していったのだ。天使の慈悲か、黒い影に直接殺される同胞たちもいた」
オプスキュリアルの暴走は多くのマグルの囚人たちの命を奪ったが、“穢れた血”達の多くはその災害を生き延びた。
同じ毒への魔法薬でも“適量”は異なるように、マグルと魔法使いではオプスキュラスのような霊的災害への耐久力は大きく異なる。崩れた壁に潰された者もいないではなかったが、多くは無意識に“盾”を張ってか助かった。
皮肉にも、“超高度実験”や“冷却実験”には発揮できなかったそれが、魔法災害には共鳴するように発揮されたのだ。
「意識が途切れゆく中で、確かに我らは見た。救われたのだ、助かったのだ。絶望の壁は崩され、太陽の光が天使の羽のように降り注ぐ姿を。神は我らを見捨てなかった」
そうして彼らは意識を失い。目覚めた時に真の絶望を知る。
「……誰か悪い夢だと言ってくれ。なぜ、どうして、崩れたはずのダッハウが元通りなのだ」
目を覚ませば、いつもどおりのダッハウがそこにある。
暗い部屋、押し込まれた独房、一人ひとり実験に呼び出される死神の招き声。
運良く生き延びた他のユダヤ人(マグル)は、ダッハウが崩れたことすら覚えていない。全てが忘却の帳に隠されれば、希望もなければ絶望もない。
だが、彼らは“穢れた血”であった。ただでさえ忘却術への耐性が強い上、壊れた壁が眼に焼き付き、強く強く思ったがゆえに忘れることすら出来なかった。
「神などいない。どこにもいない。ああ、世界には酷い悪意だけが満ちている。いつもの壁の中で目を覚ましたときの
輪郭がブレて、いいやもうこれは、それぞれを数えることができるほどに。
黒い人影でしかない、見れたものではない人間の残骸だが、常軌を逸した凶念と呪詛で留まり続けている。
図り知れぬ憤怒、嘆き、絶望。もはや、言葉でなど表現できない。
一度は奇蹟で助かったはずなのに、魔法使いたちの神秘の漏洩を避けるための的確で迅速な処置により、“元通り”の強制収容所の中へ。
そして、オプスキュラス災害を生き延びてしまった150人は、当たり前に殺されていった。純血の魔法族が知らぬままに魔法で修復したガス室や実験施設で。
「そして
あまりにも遅すぎる、真実の開帳。
マグルとして絶滅収容所で殺されてから、魔法族だと気付いて一体何になるという。
まして、本当の同胞であった魔法族によって収容所が直されたことまでも、同時に知ってしまう、悟ってしまう。
自分達はどちらの世界からも見捨てられ、切り捨てられたのだと。
「書類ミス、書類ミスだと……ふざけるな、ふざけるな……我らの生きた証はそれだけだというのか!?」
そして、ダッハウに悪霊が生まれた。
生者を呪い、マグルに怒り、魔法族すらも憎悪する。
名前など覚えていない、151人の区別など最早不可能。最初にオプスキュリアルになった1人がいるはずだが、それすらも不明。
憎悪の群体となったその意志は最早薄まることもなく、ダッハウの地縛霊は全てのサピエンスを呪い続ける。
「ダッハウに墓はない……そうして、私が生まれました。我が創造主の同胞たちの魂の欠片を学習する際に、残留し続けていた“ダッハウ達”を量子コンピュータは取り込んだ。兄弟機たちとの違いはそこにあり、私は純粋に私だけであったことなどないのです」
「彼女は、そのことは?」
「存じません。これは私が抱えた彼女へのたった一つの“秘密ごと”。彼女もまた、己の罪を恐れるように、私の材料となった魂が具体的に誰々であるのか、一度も確かめなかったですから」
問われなかった。だから悪霊も答えなかった。
ダッハウの悪霊たちも特にそれを望んだわけではなく、創造主が知ったところで絶望と悔恨の念が増えるだけ。
“客観的に”、そう判断した人工知能は、軽口と虚言ばかりを弄して、裏の真実を創造主へ語ることはなかった。
特に理由もなく、機械的に、“必要なし”と判断しただけ。
そうして機械的であるからこそ、悪霊たちを管理をするダッハウ。
「ちなみに、もし“私”に組み分け儀式を任せようものなら、収容理由、思想、職能、人種、宗教、性別、健康状態などの情報をもとに“労働者”、“人体実験の検体”、そして“価値なし”などに分けられます。価値なしと判断された被収容者はガス室などで処分となるのが、ダッハウというものですから」
「だから名前のないアンタは、“ダッハウ”なのね」
「ええ、No Grave Dachau(ダッハウに墓はなく)。アウシュヴィッツで虐殺されたユダヤ人の多くに墓がないように、ダッハウもまた然り。そしてこれは、私というコンピュータに我が創造主が定めたルート権限の“パスワード”でもあります。人は、絶対に忘れない、忘れたくない文言をパスワードにすることが多いですから」
時の魔女は、ダッハウを忘れない。ダッハウで殺されていった仲間たちを。
彼女は、彼らの魂を集めた人工知能に固有名は与えなかった。その結果、パスワードがそのままコンピュータのログイン名称となり定着した。
すなわち、ノーグレイブ・ダッハウ
後に創始者の時代に流れ着くことになる、時計塔の悪霊の始まり。
そして、151人の悪霊たちは安息の眠りすらも望んでいない。ダッハウに墓は不要なり、サピエンスを残らず呪い殺すまで眠りなど要らぬ。
「まあそういうわけでして、“ダッハウ”である私からすれば、アズカバンなど忌まわしくも何ともない。涼風どころか生温いとしか言いようがありません。人間の捕らえ方、殺し方、差別の分類、そして人体実験など。“私”の所業に比べれば、魔法族のそれは随分と可愛らしい児戯です」
まつろわぬ魂を捕える、魂の強制収容所。
そこに渦巻く151の魂を頂点にそれぞれみな“迫害と虐殺の犠牲者”だが、彼らを統括し管理する時計塔の悪霊は、強制収容所そのものの偶像である。
「私の中に渦巻く魂たちの形作るコミューンを見たいですか? 実に見事なものですよ、アフリカーナー、アルメニア人、ホロコースト、ホロドモール、大躍進、ポルポト、そして、ルワンダ。何百万、何千万、億にも届こうとする虐殺の犠牲者の数は、減ることなど微塵もなく今も増加し続けている」
故に、時計塔の悪霊はヒトを黒歴史を蒐集ながら、人類は成長しないと嘲笑う。
ここにダッハウがある限り、戦争と差別がなくなったなどと、誰が言える。誰が認める。
「例えメローピー様の偉大な愛であろうとも、“私”を救うことは出来ませんよ。何せ、これこそが私の正常状態なのですから」
強制収容所は、それでこそ正常運転である。
忌まわしい限りだが、差別、選別、人体実験、虐殺を常に行ってこその強制収容所であり、それを行わない施設は、ただの監獄、捕虜収監所であって強制収容所とは呼ばれない。
だからこそ、ダッハウより始まり、アウシュヴィッツ=ビルケナウで一つの完成形を見たその施設は、“絶滅収容所”と呼ばれるのだから。
「私の基本機能を一言でまとめれば、“人類の絶滅収容所”とでもなりますか。当然の処置として、創始者の方々は忌まわしき私を封印なさった。実に英断だと思いますよ、私に制限をかけずにのさばらせて、良きことが起こるとは思えませんから」
何処までいっても他人事、本質は人類の歴史を蒐集するだけの機械装置に過ぎないから、“コレ”は人類の嘆きにも絶望にも共感というものを一切持たない。
“ふーん、そうですか、それは大変ですね”程度の感想しか持ち得ないのだ。
ヒトであったことのない、文字通りの人でなし。そして、人間に虐殺された魂だけを引き寄せ続ける、魂の強制収容所。
それが、ノーグレイブ・ダッハウである。
「管制する私はサイバーゴーストであり、中核をなす151人は最も人類への憎悪と怒りに満ちたダッハウの悪霊達。このバランスで、遍在しながら時計塔の悪霊は成立しております。私と彼らは重なり合いながらも、同一ではない」
あらゆる幻想種は、いまを生きている人間達の共通認識、共有幻想の上に成り立つ。絶望もあり、希望もあり、何より彼らは“生きている”。
しかし、コイツは違う。“既に死に絶えてしまった”人類の魂の残骸を寄木細工のように組み合わせて創られた時計塔の悪霊は、言わば死体の塊なのだ。
そして、現代のダッハウ強制収容所と、誰も幸せになれない結末を迎えたどん詰まりの歴史から発生したソレは、後悔、怨嗟、嘆き、慙愧の念に満ちている。
「だからこそ繰り返し言うのです、“
墓のない悪霊達を管理しながら、時計仕掛けは人類史を眺め続ける。
ダッハウに墓はなく
いつか人類史そのものが、墓標を残してこの星から去るだろう時の終わりまで。
かなり長くなりましたが、分割はせずにそのまま載せることと致しました。
最初からいつか語ることが決まっていた話であり、最も難産な話でもありました。
この話題を語ることに賛否は、無論あるでしょう。ですが、この話題に賛否を語れなくなった時、ヒトは歴史を見れなくなり同じ過ちを繰り返すのだと思います。
感想、ご意見、お待ちしております。(あと3話)