新章『悪魔の章』開幕です。どうぞよろしくお願いいたします。
first 後を濁さず
「そもそも、この世界に存在するものは全て、それこそ人も動物も植物も鉱物も、果ては現象や幻想でさえ本質的には同じものだ」
深き深き樹海の中。尋常であれば知られることのない場所で、一人の青年――カーターが黒板を背に授業を開いていた。
生徒は少女が一人。巫女服を着た、およそこの場には相応しくないはずの存在――祐理だ。
「その本質っていうのが『霊気』だ。その昔アリストテレスが提唱し、否定されたもの。しかし、完全な正解ではないが、そう間違った事は言ってなかったんだな」
話していて喉が渇いたのか、近くにあったガラスのコップを持ち上げるカーター。ところが容器の中には何も入っておらず、彼の渇きを潤せるはずがなかった。
しかし次の瞬間、祐理の目に信じられない光景が映る。
空の容器に顔を顰めたカーターだったが、仕方ないといった様子で意識を集中させる素振りをみせた。すると、容器の中にひとりでに透明の液体が湧いて出たのだ。
祐理の驚きを尻目に、こくこくと液体を飲み干すカーター。やがて彼女の表情に気付いたのか、どこか悪戯っぽい眼差しを注ぎながら説明する。
「んくっ。アリストテレスは霊気――エーテル、或いはアイテールとも言うんだが、これを天空にのみ満ちる輝ける元素と定めていた。しかし、実際にはこんな風に全てのものの
「……霊気を操る事が出来れば、どんな事も可能なのですか?」
「応とも。勿論、個人の力量に依るが、さっきみたいに水を生み出したり、火、気、土を生み出すことを中心に、全ての自然現象――いや、もっと大きく『概念』を操る事が出来ると言っても過言じゃない」
「概念、ですか」
思う所があるのか、落ち着き払った様子でその言葉に考え込む仕草を見せる祐理。そんな彼女をカーターは喜悦を込めた眼差しで見守っていた。
しかしこれが聡明なエリカであったならば、その言葉の異常性に気付けただろう。全ての『概念』を操る――それは万象を操るということ。それは魔術師が、魔女が、生涯掛かっても到達し得ない極致。それをさらりと言ってのけるカーターにも、そしてその可能性を秘めているという祐理にも、彼女は最大級の警戒をしたことだろう。
「んじゃ、今日はここまで。次の日までにさっき俺が言った『概念』の意味を考えてくること。いいな」
「……はい、わかりました」
早速カーターに言われた『概念』について考え始めている様子の祐理。そんな彼女を見たカーターは満足そうに頷き、彼女を見守っていた。
◇◆◇◆
「魔術を教えて欲しい?」
祐理がカーターにそう詰め寄ったのは、侯爵が去り、星琉の治療が為されている時だった。
頼まれた当のカーターはと言えば、腕組みをしてうなり、考え込んでいる。値踏みするように怪訝な眼差しを祐理に注ぎ、瞑目してから返答した。
「……悪いが、俺がお前に教えられる魔術は何もない」
「ですが、オルドラ様はこの書をお書きになられたのですよね? でしたら――」
「あー、何か勘違いしてるようだから言うが、ぶっちゃけ俺は魔術師としての才能は全くのゼロだぞ」
カーター・オルドラという人物は日陰の者である。今でこそ広く名の知れている彼だが、そもそもその原点は『出来損ない』だ。
カーターはその昔、絶望的に身体に恵まれなかった。幼い頃は貧弱、病に罹りがち、何度も死の淵に立ったものだ。それでもなんとか生き延び、時が経ってとある魔術結社に所属すれど、剣も、槍も、棒も、徒手も、ありとあらゆる武の才能が欠如していた。
師からは落伍者の印を押され、同輩からは憐憫と嘲笑。庇護すべき親ですら、失望と諦観を見せ付けた。やがて、カーターは自分以外の全てを捨てた。親も、師も、同輩も、故郷をも捨てて世界へと旅立ったのだ。
カーターは魔術師としては三流以下である。何せ、この世界の魔術師というのは魔術と武術、両方を極めて一流となるのだから。
しかし、彼に一切の才能がなかったかといえば、それは否である。
彼は、誰にも劣らぬ明晰な
それは、彼の生まれ持った才能だっただろう。幼い頃の臨死体験のせいだろう。併せて、偶然か必然か幽界を覗き、その才能と経験で少しだけ理解『出来てしまった』せいなのだろう。やがて、彼は己の才覚を存分に振るい、その拠点を幽界へと移す。それは余りにも異例な事だった。
そも、幽界とは『生と不死の境界』。肉体より精神、物体より霊体の方が優位な世界であり、たとえ魔術師であろうと特別な霊薬を服用し、『世界移動』という高度な魔術の使用が不可欠だ。
更に、幽界は人間が住まうべき場所ではない。長く存在すれば精神に主導権を握らせてしまい、肉体を崩壊させてしまう。だが、彼はその特徴を理解し、理論を構築し、幽界の理に則って逆らう事なく、肉体と精神を確立させ、自己という存在を確定させた。
やがて、彼は幽界を起点とした研究を始めた。即ち、魂魄に関する研究である。研究材料には全く困らなかった。何せ、幽界自体が魂魄そのものを扱う世界なのだから。
更に、幽界は果てなく膨大だ。人間としての一生を掛けようと、何千何万の年月を掛けようと全てを知ることは不可能だろう。研究が終わる事は全くなかった。
幽界を巡って、妖精王に拝謁する事もあった。眠りに就いているまつろわぬ神だった者を見つけたこともあった。エルフの国や、忘れ去られし妖怪や魔物の郷を訪れた事もあった。
どれだけ時間が経とうと気にしなかった。むしろ、時間という概念を意識の外に放り出していた。
だからだろうか。気付けば、彼の肉体はその成長を止めていたのだ。
驚きはしたが、悲観はしなかった。不老不死というわけではなかったし、ただ単純に老化が極端に遅くなったまでのようだったからだ。むしろ、そういう身体になってからこれまで以上に研究は進んだ。まるで何かに導かれるかのように、カーターは日に日に新たな発見をしていったのだ。
やがて彼は辿り着く。世界の全史、虚空の記憶。始源から終末までの運命を全て記したその場所へ。
この世では、『
彼ら彼女らは魔術界では大きな意味を持つ。例えば歴代の『地』の位を極めた最高位の魔女、『天』の位を極めた魔女。悟りを開きし者。神の声を聞きし者。
カーターはその『隔世者』となっていた。つまり、世界でも最高位の魔導を極めし者に。
――魂魄を探求し、魔導を極め、私たち最高位の魔女と同列に並びし者……さしずめ『冥』の位を極めし魔導師、といった所か。
こう発言したのは当代の『地』の位を極めし魔女だったという話で、これによりあまりにも例外すぎる彼の魔術界での二つ名が決まったのだ。当の本人は知ったことじゃないと一蹴したらしいが。
それはともかくとして、祐理もここまでの仔細は知らないものの、カーターが師事するにはこれ以上ない存在であるということは理解しているのだ。それは彼も承知のはず。では何故……?
「だから、それがそもそもの間違いなんだって。『地』の魔女は同列だなんて
「魔術が……一つだけ?」
そんなことが信じられるのだろうか。これだけ力を持っていると言われる魔術師が、たった一つしか魔術を使えないなど。
驚愕を露にする祐理を尻目に、カーターは大きく息を吐く。といっても、そこに込められた感情は負のものではなく、こちらに同意するかのような物だった。
「そりゃ信じられないよなぁ。まぁ、俺の場合は『至ってしまった』のと、かつそれが一つに見えないから問題な訳なんだが……」
では、その具体的な内容とはどういう物なのだろうか。食い下がる祐理に、カーターはとんでもないことを言った。
「自身の内界から真理を汲み出し、外界に発現させて干渉する――『
「何……ですか、それ。そんなの――」
――まるで神の如き全能の魔術ではないか。
「おいおい、俺の話聞いてたか? 『この世の道理に則した』って言っただろう。つまり、老いるし、死ぬし、生き返らないし、生き返らせられない。定義出来る事にも限界があるし、カンピオーネや神々にも抗えない。まぁ、普通の人よりかは外れてるだろうが、それでも
「で、では、何故この魔導書を――『霊典・幽現目録』を著されたのですか? 自身の内界から、つまり、オルドラ様にしか使用できないのであれば、この書を残された意味は何なのでしょうか?」
祐理の疑問は当然であった。魔導書に記されている物には様々な意味がある。例えばそれは神への賛美、怪物への畏怖、悪魔との契約など。ただし、それが魔術師の魔導書であるのならば意味は一つしかない。つまりそれは、魔術師自身が後継者を生み出すための手段――遺産なのだ。
だが、カーターの言葉が真実であるのならばこの魔導書は全く意味を為さない物となってくる。遺すべき魔術がカーターにしか使えないというのならば、形にする意味がないのだ。
「あー、それは……ぶっちゃけて言えば実験という名の悪ふざけだったんだよ。
どこか遠い所に目を向けてぼやくカーターに思う所はあったが、ぐっとそれを飲み込む。今度はカーターが祐理に疑問を投げかけた。
「そもそもだ、万里谷祐理。お前はどうして魔術を習いたいんだ? お前は媛巫女という日本で特別な立場にあり、それに則した呪術を習得すればそれでいいだろう。態々畑違いの分野に出す必要も、余裕もないんじゃないのか?」
「それは……」
痛い所を突かれた。カーターの言葉は最もであり、何一つ間違った所はない。祐理は未だ半人前で修行中の身であるし、呪術と魔術では術式体系が違うのだから、そこを一から理解しようとすれば相応の時間が掛かるのは必然。けど、それでも……。
「――私は、星琉さんの支えになりたい」
「……ほぅ」
小さく呟くように、しかし確かな決意を込めて吐露すると、カーターは冷徹な表情で声を漏らした。
びくりと体が強張る。しかし、ここで後ずさってはダメだと直感した祐理は、負けじとカーターを睨み返す。
「ふむ、『芽』はある……か。まぁいいだろう」
はぁ、と一つ大きく息を吐いてから、カーターは諦めたような、しかしどこか嬉しそうな様子で応えた。
「お前が勤めている神社――七雄神社だったか。そこに
「そ、それって……」
その言葉の意味する所に気付いた祐理は息を呑む。それを見たカーターはニヤリと笑みを浮かべ、続く言葉を放つ。
「折れるか咲くかは知らないが、お前には確かに『至る』才能がある。この世界の理と深淵、叩き込んでやるよ」
「あ、ありがとうございます! オルドラ様!」
勢いよく、されど上品に頭を下げる祐理にカーターは苦笑する。確かに、講義とはいえ自分の教える事は、世の魔術師が羨んで仕方のない知識の宝物庫。が、様付けされるのは慣れていないのでむず痒い。
「様付けは止してくれ。普通に先生と呼んでくれればいい。俺はそこまで高尚な人間じゃないもんでな」
「分かりました、先生。これからよろしくお願い致します」
エリカ辺りが聞けば何をおかしな事をと否定する所だが、魔術師の価値観を持たない祐理はすんなりとその言葉を受け入れたのだった。
◇◆◇◆
あれからしばらく経つが、祐理の成長は芳しい。一を聞いて十を知る、とまでは行かないが、『世界』に対しての知識を着々と身に付けている。
しかし、『知識を付けるだけ』ならば誰にでも出来る事なのだ。問題は『どうやって霊府に至り、己の形を識るか』だ。こればかりは外の人間がどうこう出来る事ではない。基本的に、己を識る事ができるのは自分だけなのだから。
「(さて、これが良い方向に繋がればいいんだがなぁ。もしくは咎められるか?)」
目の前で概念について纏めている祐理を見て、星の名を持つカンピオーネを思い浮かべる。彼は、祐理の今の状況をどう思うだろうか。何か特別な思い入れを抱き、闘争から遠ざけようとしているようだが……。
「あの、先生」
「ん、どうした?」
少しばかり回想に浸っていると、祐理から問い掛けが訪れた。概念についての事だと思っていたカーターだったが、どうやらそれは違ったらしい。
「星琉さんの事なのですが、二日ほど前から学校をお休みされていて……体調でも崩されたのでしょうか。何かご存知ではありませんか?」
「……ああ、なんだ。てっきり教えてるもんだと思ってたんだが、そうじゃなかったか」
面食らい、意外そうにそう言ったカーターに、祐理は引っかかる物を感じた。しかし、それはほんの小さな違和感ですぐに消えてしまったが。
そして、カーターは祐理の予想だにしない事実を語る。
「星琉は今――」
◇◆◇◆
快晴の空の下、黒のパンツに白のインナー、水色のシャツと夏らしい服装の星琉は、黒のキャリーバッグを引き下げて彼よりも背の高い人々の間を歩いていた。
彼が今いる場所は、日本から遠く離れた異国の地。時差16時間、距離にして成田空港から5451マイル離れたアメリカ合衆国はカリフォルニア州に位置するロサンゼルス国際空港。
入国審査を滞りなく済ませた彼は、空港内のとあるカフェで一席分の結界を作り、コーヒーを飲みながら本を読んでいた。
「あなたが、セイル・キラで間違いないかしら?」
頭上から掛けられた声に、星琉はゆっくりと視線を持ち上げる。彼の目に入ったのは眼鏡をかけた理知的な女性だった。ショートヘアの燃えるような赤髪。クールビューティーという言葉こそ相応しい彼女は、やや硬い表情で星琉を見ていた。
結界を判別出来る、という事は、魔術の世界の関係者という事になる。甘粕と邂逅した時にも使用した方法だ。星琉は友好的な笑みを浮かべて挨拶をする。
「こんにちは。あなたがベスト教授……では、ありませんよね?」
「ええ、私はあなたの迎えとして来たの。教授は大学の研究室で待っているわ。すぐに行きましょう」
そう言って先を急ごうとする彼女だったが、何かを待つような星琉の眼差しに、思い出したかのように新たに言葉を発する。
「ああ、名乗り遅れたわね。アニー・チャールトン、教授の研究助手をしているわ。よろしく」
――これが、後に星琉が『ウラヌス』と尊称されることとなる事件の始まりだった。
三章は過去編だと言ったな……すまない、あれは嘘になってしまった。
というわけで、原作主人公よりも一足早く海外進出でございます。お休みから復活したと思ったらこのオリ設定の山。ど、どうか受け入れていただければ幸いです。質問でも何でも受け付けますからお願いします!←
では、詳しい話は活動報告にて。読了ありがとうございました。