ほむほむに転生したから魔法少女になるのかと思いきや勇者である 作:I-ZAKKU
1万7千文字の大ボリュームでお送りいたします。
わたしはひなたちゃんと勇者お目付け役の巫女として、大社の本部に怪我をしたみんなの事を報告しに行かないといけなかった。本当は早くみんなの様子を見に行きたい、昨日から目を覚まさない杏ちゃんや球子ちゃんがどうなのか気になって気になって、不安で仕方がない……。
「まどかさん、無理をしなくてもいいのですよ? 報告なら私一人でも……」
「……ううん、わたしは巫女なんだから……心配だけど、行くよ。ひなたちゃん一人だけに押し付けるのも、なんだか嫌だし…」
……ワガママは言えなかった。巫女としてみんなの役に立つんだって決めた以上、勇者として頑張ったみんなに倣って、わたしも役目は果たさないといけないから。
『……ごめんね、まどかさん、ひなたさん……私も巫女なのに、二人に押し付けちゃって……』
「そんなこと…! むしろ私達の代わりに皆さんのこと、よろしくお願いします……若葉ちゃんの事も……」
「ほむらちゃんも病院に向かっているから、よろしくね水都ちゃん…」
電話口で申し訳なさそうに謝る水都ちゃんも、本当ならわたし達と一緒に大社に行かなくちゃいけなかったんだけど、一緒には行けなかった。
昨日の夜わたし達が受けた神託……ひなたちゃんが見た、勇者の中の不和の危機。水都ちゃんが見たのは若葉ちゃんの……恐ろしい神託が見えてしまったから、ほむらちゃんと歌野ちゃんと一緒に様子を見に行ってほしいって、わたしやひなたちゃんから言ったの。歌野ちゃんは先に一人で行ってしまったらしいけど……。
「では、行きましょうか」
「うん……」
昨日の神託ほど、不安を感じたものはない……それも3つも。
だから考えてしまうの。ずっとずっとみんなの身に降りかかる、とてもとても悪い事の連続を。傷を付けて心を蝕んで、みんなを深い闇の底へと引きずり込もうとしている。まるで、世界の運命が敵になったみたいに。
こんな考え、しちゃいけない事だって分かっているのに……自然と頭に浮かんできてしまう。わたし達の日常が壊れてしまったらって……そんな恐ろしい考えが過ってしまう。
それを引き起こしている、みんなを傷つけた女の子が……わたしは……。
「ねえ、ひなたちゃん……」
「………」
わたしが神託で見たのは……
「暁美さんは、どうしてあんな酷いことを……」
「まどかさん、やめてください」
間髪入れずに遮るひなたちゃん。その表情は険しくて、不用意な事を考えようとしていたわたしに対して怒っているようにも聞こえて……。
「……皆さんの中で、若葉ちゃんの次に付き合いが長いまどかさんですから、私にはわかります。あなたが今、何を感じているのか」
「…………」
「あの人の事なんて、考えたところで何も良い事なんてありません。関わらないことが一番なんです」
「で、でも……っ!」
「藪蛇をつついての自滅なんて誰にも褒められたものではないんですよ」
わたしはどうしても……考えるのも口に出すのをやめるのも、出来なかった。
悲しくて苦しくて、胸が締め付けられるの……それはみんなが深く深く、悲しんでいるから……だけどきっと、それだけじゃないの……。
「なんでみんながあんなに傷付かなきゃいけないの……? どうして暁美さんは……あんな風に誰かを平気で傷つけるような人になったの……?」
「……知りません……考えたくもありません…」
「信じられないの……。信じたくないの……。人を自分の手で傷つけるなんて、わたし、考えただけでも胸が痛くなるんだよ……なのに、あの子は……痛くないの……?」
「…………あなたは……どうして、あなたは…そんなにも………!」
わからないんだよ……わたし達を力づくで拒んでたった一人で孤独に戦い続ける、あの子には何が見えているの? 誰かを傷つけてまで前に進もうとするあの子は……何を憎んでいて、何に怯えていているの……?
そんな風になってしまったあの子の後ろには、どんな暗い闇が渦巻いているの……?
「どうして暁美さんは、こんなにも痛いってことを無視するの……」
「私はそんなこと、知りたくはありません!!!!」
ひなたちゃんの怒声が、わたしを襲った。一瞬他の音が何も聞こえなくなるほどの叫びにわたしは驚いて……ひなたちゃんの目から、一筋の涙が伝っているのに気付いた。
でもその顔はすぐに見えなくなった。ひなたちゃんの両手が私の肩を強く掴む。少し痛むくらい、強く……それでも激情を何とか抑え込もうと、その腕は震えていた。それで顔を見せないように項垂れて、ひなたちゃんは震える声で、呟くように喋り始めた……。
「私はもう……嫌なんです……! これ以上誰かが……あの人の手で傷付けられるんじゃないかって思う事すら……!」
「ひなた…ちゃん……」
「あの人は本気で人を殺すことを厭わないんですよ……! まどかさん、あなたが彼女に心配して寄り添おうとしても、平然とその手を払い除けて殺すような事だって十中八九起こりうるんですよ!!」
その声は本当の本当に、怖くて仕方がないって気持ちが滲んでいて……。
こんな弱々しい、何かに怯えて震え続けるひなたちゃんは初めて見た。これまでひなたちゃんも暁美さんへの怒りを口にしていた事はあったけど、それだけ、ひなたちゃんもとても大きな不安や恐怖を抱え込んでいたんだって、突き付けられた気分になってしまった…………わたし、自分の嫌な事を考えるばっかで、ひなたちゃんの不安な気持ち……考えてなかった……大切な、友達なのに……。
「……ごめんなさい……ひなたちゃん……」
「…………」
ひなたちゃんは返事をしてくれなかった。だけどだんだん肩を掴む手の力は緩まっていって……項垂れた顔は上げないまま、言った。
「……まどかさん……あなたは、優しすぎます。とても純粋で、どんなことがあっても穢れることが無い、綺麗に透き通った唯一無二の心を持っているのですから……。そのような素晴らしい友人と巡り合えたことは、私達の誰もが誇りに思っていることでしょう……」
そこで一旦言い淀んでから、ひなたちゃんは絞り出すように続けた。
「まどかさんのその純粋さが……優しさが、時には残酷なものだと……思ってしまいます」
「……えっ……?」
「……紛れもなく、あなたという人間の本質その物なのでしょうね……。決して変わる事のない魂の表れが、今もこうして在り続けているのですから」
ゆっくりと顔を上げてくれたひなたちゃんの目は、今にも泣きそうなほど潤んでいた。だけど涙は流していなくて……とても大きな、憐れみが籠った目でわたしを見つめていた。
「あなたは誰よりも優しい人です。ですが、その優しさがいつかもっと大きな悲しみを呼び寄せてしまうかもしれません……」
「………そんな…こと……」
「くれぐれもお気を付けてください……そうなってしまわないよう、私も心の底から祈っております……」
そう告げてひなたちゃんは、先に歩いて行った。わたしはその背中を……ただ見つめることしか出来なくて……。
……ひなたちゃんの言ったことは、正しいことだと思った。きっとわたしが暁美さんのことを思い続けていれば、また新しい悲しい出来ごとが引き起こされてしまうのかもしれないって……。そんなことになるくらいなら、これ以上関わらない方がいいんじゃないかって……そんな風に感じて……。
(……それでも……今のままじゃあ……)
誰でもいいから、教えてよ……どうすればみんなが幸せになれるのかを。だけど当然そんな悩み事を全部綺麗に吹き飛ばしてくれるような答えを教えてくれる人なんているわけがない。辛い気持ちを背負ったまま、ひなたちゃんの後ろを重い足取りで歩くことしかできなかった。
大社本部に着くまでの歩いている間、この時初めて、わたしとひなたちゃんとの間に会話は無かった。
◇◇◇◇◆
「なんで私に黙ってたぁ!!!?」
「「っ!?」」
「ふぅーーっ!! ふぅーーっ!!」
それはまるで地獄の鬼もかくやと言わんばかりの形相で、怒りの籠った血走った眼でわたし達を睨み付けてくる。同じ巫女の仲間であるはずのわたし達に対して向けるそれは、まるで親の仇でも見つけたかのよう……ううん、それ以上の怒りが渦巻いているのを、わたしもひなたちゃんも確かに感じ取ってしまった。
「あ、あの…いったい何の「とぼけるなぁッ!!!!!」ひっ…!?」
「まどかさん……」
怯え竦んでしまうわたしの前に、ひなたちゃんの手が差し伸ばされる。そのままわたしの身体をそっと後ろに退がらせるように押しやって、睨んでくる彼女……美佳ちゃんと向き合った。
その時に見えたひなたちゃんの横顔……時と場合によっては誰よりも冷静に事態を俯瞰して、大人相手でも毅然とした態度で臨む時と同じ、真剣な表情……。でも、その凛とした面持ちには僅かに揺らぎが……不安や焦りが必死になって隠れているっていうの、わたしにはわかってしまう……。
「花本さん、一旦その、落ち着いてはもらえないでしょうか……。もちろん私に説明できる事であれば、包み隠さずお話し「落ち着け!? 包み隠さず!!? 今までずっと言わないで隠していたくせに、勝手な事ばかり言わないで!!!!」うっ…!」
「っ、よ、美佳ちゃんやめて…!」
「うるさいッ!!!! あなた達が付いていながらこんな……!! こんな神に仇成すが如き大失態を!! その自覚があるのかって聞いてるのよ!!!!」
怒りの余りかひなたちゃんの胸倉を乱暴に掴み上げて、今にも殴り掛かりそうなくらいの剣幕で迫る美佳ちゃん。怖くなって、必死になってその腕を掴んで抑えこめられたから拳がひなたちゃんに飛んで行くなんてことにはギリギリならなかったけれど、でも美佳ちゃんの怒りはどんどん燃え盛っていく。
わたし一人なんかの力じゃ、情けないことに今の美佳ちゃんをとてもじゃないけどこのまま抑え込めそうにない。
でも……美佳ちゃんの大きな罵声を聞きつけてか、奥の方からから何人かの大社の巫女の子達が恐る恐る顔を覗かせていた。その中の一人がひなたちゃんを掴み上げているんだって気づいた途端、一層顔色を変えてこっちに駆け寄ってくれた。
「ばっ…!!? やめなよ花本ちゃん!!!」
「あ、安芸さん……!」
気さくで明るくて、面倒見が良い頼れる巫女の先輩の安芸真鈴さん……。安芸さんも美佳ちゃんを抑え込むのを手伝ってくれて、後ろから羽交い絞めするように美佳ちゃんを引き剝がしてくれた。解放されたひなたちゃんは膝を突いて咳き込んでしまって、焦りを拭えないまま側で屈んで背中を擦る。
美佳ちゃんは安芸さんを振り切ろうと唸りながら抵抗していたけど、安芸さんも抜け出せないよう全力で引き付けてくれている。そうしてくれてるおかげでひなたちゃんも少しは呼吸を整える時間を得られたけど、安芸さんに羽交い絞めされながら、美佳ちゃんの怒りの形相は全く変わらず、ただただわたし達を睨み付けてきていた。
「離してください!!! 離せ!!!! 私は今!! この二人に説明を求めているんです!!!」
「そんなに怒鳴り散らしながら詰め寄られたんじゃ、二人だって説明なんて出来っこないでしょ!? 一旦落ち着きなって……!」
「これが落ち着いてなんていられる訳がないでしょう!!? 私を差し置いてお目付け役に選ばれたくせに、結局は……!!」
そこまで言って、美佳ちゃんはぐっと押し黙る。わたし達をこれでもかっていうくらい睨みつけて……一瞬ため込んだ言葉を吐き出すように、美佳ちゃんが叫んだ。
「郡様が他の勇者様に襲われて重傷を負わされて入院していたなんて!! あなた達は知っていたんでしょう!!!?」
「!? なんで美佳ちゃん、その事を……!」
「っ…」
わたしは驚きを隠せなかった……。それは美佳ちゃんが知っているはずがないこと。もしも勇者がバーテックスじゃない、他の勇者に襲われて動けなくなったなんて世間に知れ渡ってしまえば、バーテックスから世界を守る勇者達への期待や信頼は失われ、大社の沽券に関わる大問題になる。
だから大社は暁美さんに怪我をさせられた千景さんと若葉ちゃんの事は偉い人達の間だけに留めて、最初から事情を知るわたし達以外には決して広がらないよう厳重に情報規制を掛けていたはず……。
「やっぱり……そうなのね……!!」
「えっ……」
「……か、鹿目ちゃん……あのね、昨日からこっちの巫女たちの間でね、噂が広がってたの……。勇者の郡ちゃんと乃木ちゃんが、仲間割れで大怪我をしたって」
「広がってたって……どこから……」
「鹿目ちゃんと上里ちゃんが付いてるんだしって……あ、アタシは信じてなかったんだけど……今の鹿目ちゃんの反応……マジなの……?」
「あっ……!」
ひょっとしたらまだ有耶無耶にできたかもしれなかったのに、思わず不用意に漏らしてしまった一言で、疑念を確信に変えてしまった。しまったと後悔してももう遅い……安芸さんも、奥の方で恐る恐る様子を見てている巫女の子達も、その目を見開いて固まってしまっている。
そして美佳ちゃんは……美佳ちゃんは、もうわたし達のことを完全に敵を見るような目で睨み付けてきていた……。
「あなた達!!! 勇者様のお目付け役という重要な役目を担いながらこの醜態は何!!? 神樹様に選ばれた勇者様の心身を支え、あの方々が常に万全な状態を維持するのがあなた達が命を賭してやり通すことでしょ!!!? それがどうして!!!!ああぁ!!!畏れ多くも勇者様が互いに不審感を募らせ争い合う事態を未然に防ぐ事を怠ったばかりか、その罪が露見する事を恐れひた隠しにする!! !!許される事だと思っているの!!!?」
「よ、美佳さん違います……! 誤解です! 私達だって……」
「口先だけで何をどう取り繕うというのよ!?!? そんなつもりがなかったなんて言わせないわよ!!!!」
激昂する美佳ちゃんに何を言おうとしても、今の彼女には決して聞き入れてもらえない。ひなたちゃんもそれはわかっているから、やるせなさを感じながらも言葉を呑み込んでしまっている……。
「やっぱり私が……私がお目付け役として勇者様をお支えしてさえいれば…………うっ、ぅ……郡…様……郡様ぁ……!」
美佳ちゃんは勇者のみんなのことを、ものすごく神聖的な存在として捉えている。特に、彼女が見出した千景さんの事は崇拝と言ってもいいほど……。
だから美佳ちゃんは、自分の立ち位置なんて関係なく、自分が勇者を正しく導くことができなかったことが悔しくて悲しくて憎たらしくて……まるで自分を呪うかのように涙を零して、安芸さんの腕の中で崩れ落ちてしまう。
……違う……美佳ちゃんに自分を責めなくちゃいけないような悪い点なんて、本当に一つも無いはずなのに……。苦しまなきゃいけない理由なんてあっていいはずがない……どうして美佳ちゃんも、こんな………。
………どうしてもこうしても……繋がっているんだ……全部……。生まれ出した歪みも、悲しみも……みんなの心と身体がばらばらで、ぴったりと重なることが出来なくて……。その中で不幸ばかりが生みだされていってしまっていて……。
そして今、その不幸の芽はわたし達の中でどんどん大きく育ち始めてしまっている……。
「…………鹿目ちゃん、上里ちゃん……もしかしなくてもだけど、仲間割れを起こした勇者って、諏訪の勇者と一緒に来たって言う北海道の勇者……なんだよね……? その、鹿目ちゃんの妹ちゃんと、そっくりな子……」
「っ!? …………安芸さん、知っているんですか……?」
もう隠したところで意味は無いって思ったのもあるけど、わたしは安芸さんの質問に対してそっと頷く。けれども、安芸さんがこの事を知っていたのは意外だった……。8人目の勇者という存在は広まっているけど、他の勇者に対して非協力的な暁美さんの事は世間にはまだ、知れ渡ってはいないことだから……。
「……前にあの子が大社に来た時、烏丸先生とアタシ達巫女数人で出迎えた事があるのよ……なんか、とにかくヤバい奴だった」
「それって……怪我した人は……」
「……篠原ちゃんがちょっと……烏丸先生が矛を収めてくれたから良かったけど……いや良くは無いんだけど……」
「……烏丸先生が……? 良くはない……とは?」
「………いや、それがさ…………」
「……真鈴さん…?」
「………」
徐々に顔を曇らせながら、安芸さんは言った……それはひなたちゃんの問いかけの答えじゃない、脈絡のない言葉だった。
きっと安芸さんは当時のことを思い返ながらわたし達に話そうとして……だから、その時彼女の目に映っていたあの子の姿が必然的に、はっきりと表れる。勇者だけじゃなく、非力な巫女すらも、他者を平気で傷つける最低な姿が。そんな人がもし、彼女達の近くにいたと考えてしまえば……
安芸さんは唐突に……とてもとても、とてもとても、大事な事を聞き忘れていたなって、ふと思い出したかのようで……。
「……ねえ、球子と杏ちゃんは……? 大丈夫……? 怪我してない……?」
「「……ッ!!」」
……わたしもひなたちゃんも、安芸さんからのその質問を前に平静を装うなんて、とてもじゃないけど出来なかった。わたし達が大社に来る度に決まって聞かれた微笑ましい質問は、この瞬間ばかりはあまりにも残酷で……
「…………え、待って……何その反応……鹿目ちゃん……? 上里…ちゃん……?」
安芸さんは球子ちゃんと杏ちゃんを見出した巫女でもあって、離れていても二人の事をとても大事に想って、二人の事をずっとずっと、心配していて……
「ねえ……ねえってば……!」
「それ……は……「答えてってば!!!!」」
安芸さんはもう既に放心してしまったかのように、美佳ちゃんを離さない事を忘れてしまったようで、羽交い絞めは解かれてしまう。
そのまま一気に悲壮感に包まれた安芸さんは、わたしの肩を掴んで、縋る様にして揺さぶって……。
「…………ふたりとも…………きのう……」
やっとそれだけ零れ落ちた、悲壮感で塗り潰されてしまった最悪の答え。それを聞いた途端の安芸さんの絶望した表情……。わたしもそれを見て、もう泣きたくて、叫びたくて……。
安芸さんに対して何もしてあげられない。ただ、彼女の次の反応を待つ事しか出来なかった。そして……
「なによ……それ…………」
わたし達から出ていた雰囲気は、それはもう十分すぎた……二人がただの軽い怪我なんかじゃない、言葉にするのを躊躇うぐらいのとても酷い大怪我を負わされたんだって、何も知らない安芸さんも察してしまうには……。
「なによそれぇえ!!!!!!」
怒りに満ちた安芸さんの慟哭が、大社内に木霊した。
安芸さんの胸の内に蠢き始めた、酷くて耐え難い苦しみと痛み……それが誰の目から見ても明らかになるほど、安芸さんの姿は見ているだけでこっちも酷く辛くなる。心境だって、考えただけでも涙がこぼれてしまう……!
でも安芸さんは、その目にはいっぱいの涙を湛えながら、わたしを……ひなたちゃんを、睨み付けて……
「……どこ」
「え……」
「球子と杏ちゃんを傷つけたアイツは!!どこにいるんだって聞いてんのよ!!!!」
悲劇の連鎖はここでも繋がっていく。大切な人が悪意で傷つけられて、平然でいられるわけがない。わたし達だって、この悲しみも怒りも全く同じ物を昨日味わったんだから……。
それでも、安芸さんが味わってしまったそれは、わたし達なんかよりも比べ物にならないくらい激しく……危うさしか感じられなかった。
「真鈴さん! 気持ちは分かりますが落ち着いてください!!」
「落ち着いてなんていられる訳がないでしょ!!? なんだって球子達がそんな目に遭わないといけないのよ!!!? ねえ何でよ!!!?」
「……っ、……そんなの……」
「納得いかないっての!!!! ぶん殴って問い詰めてやらないといけないのよアタシは!!!!」
「!! ダメですそんなことをしたら!!!」
「何が……ダメなのよ!!!?」
さっきまでの美佳ちゃんと同じくらいに荒れて……だけど、安芸さんを支配している感情は致命的なまでに危険だった。そんな事をすれば、あの子は戦う力のない巫女であろうとも……
「知ってるんでしょう!!!? 教えてよ鹿目ちゃん!!! 上里ちゃん!!!!」
「…………ダメ…です………それだけは、絶対に……!」
「なんで……なんでよぉお!!!!」
悲痛な安芸さんの叫びは、わたし達の心を深く抉る。だけど、だからこそ、安芸さんに伝えてしまったら100%取り返しのつかない事になってしまうって確信が持ててしまう。
強く肩を揺さぶられても固く口を閉ざし続けて……。安芸さんはそんなわたしの態度を見て、とうとう……怒りがやるせない感情に押し負かされて、再び膝を突き、項垂れてしまった……。
「なんで…っ! どうして黙りこくるのよぉ……!」
「……だって、そんなの………球子ちゃんも杏ちゃんも、悲しむことになるからに決まってるからじゃないですか……!」
ついには嗚咽を漏らして、泣き始めてしまう安芸さん……。わたしもひなたちゃんも、今はただ、そんな安芸さんを傍観するしかできなくて……。
そこに大社の大人の人たちが、何事かと駆け込んできた。あんなに大声が響いていればそれは当然ではあるんだけど、とにかくその人たちは安芸さんや美佳ちゃんの事情は深く知らない様子だったから、泣いている安芸さんを介抱したり、他の巫女の子達に話を聞き出そうとしていた。
わたしとひなたちゃんは当初の予定通り、みんなの事を報告しに向かえって言われたんだけど、行こうとする前に彼女に呼び止められた。
「……上里さん、鹿目さん……」
「花本さん……」
「美佳ちゃん……その……」
美佳ちゃんは少し時間が経った分、幾分かは冷静になってくれていたみたい……でもその表情には困惑の色がはっきりと滲み出ていて、きっとあの安芸さんの反応に戸惑っていたのかもしれない……。それでも美佳ちゃんは、さっきまでとは違って申し訳なさそうに口を開いた。
「……今までの話を聞いてて私、きっと誤解していた所があったんだと思う……。その事に関しては、ごめんなさい……言い過ぎたわ」
「……いえ、花本さんの心境を想えば、仕方のないことだと思います……」
「……神様から与えられた力で、平然と人を傷つけることを厭わない勇者様……その方が、郡様や他の勇者様を……」
言葉の節々に、美佳ちゃんの声が震えている……。きっとそれは怒っているんじゃなくって、その勇者として相反している在り様を未だに信じ切れていないんだと思う……。美佳ちゃんの勇者に対する敬意は本物だから……。
だから美佳ちゃんは、今度はどこか責めるような口調で、わたしとひなたちゃんにこんな事を言ってきた。
「でも……勇者様が誤った道に足を踏み入れようとするのなら、それを引き留めて正しい道へと導くのが、あなた達お目付け役の役目でもあるんじゃないの?」
「…………」
「あなた達はその勇者様を、命を賭してでも止めなければならない立場にいるんじゃないの?」
自分ならそれができると確固たる意志を露わにして、美佳ちゃんはわたし達がきちんと大社から与えられている任を果たそうとしていたかを聞いてきている。わたしは一瞬詰まってしまいそうになったけど、ひなたちゃんが代わりに答えてくれた。
「……勝手な事を言わないでください」
「………」
「確かに勇者はたった一人だとしても、大変貴重な存在ですから……あなたの仰る通り、私達はその役目を担っていると言えるでしょう。ですがそれが必ず失敗すると判っていながら! なおかつその代償が私一人だけの命では成り立たないと判っていながら! 実行できるわけがないじゃないですか……!」
「………っ」
ひなたちゃんのその答えに、さすがの美佳ちゃんも押し黙ってしまう。
「……そろそろ失礼させていただきます。行きましょう、まどかさん」
「……うん」
……だけど、わたしの胸の中はちくちくと痛んでいた……ひなたちゃんの答えにじゃなくて、美佳ちゃんからのその質問に対して……。
ふと、前に暁美さんから言われた言葉を思い出した……命を賭けもしない勇者の腰巾着のクセに、偉そうな事を言うのね……って……。
わたし、本当に何もやっていない。勇者のみんなは戦って、なのにわたしはただの一度たりとも命を賭けた事なんかない。そんな考えが頭の中をぐるぐると回り始めた。
◇◇◇◇◆
悪い事は積み重なって、連鎖反応を起こして……どんどん悪化していく。
なんとか報告を済ませ、みんなの様子を見に行こうとなったわたし達を待っていたのは、何倍にも膨れ上がった思いもよらない悲劇だった。
「…………なにそれ……ほむらちゃん、嘘だよね……?」
『……私だって、あんなの嘘だって思いたいよ……。タチの悪い冗談だって、乃木さんと郡さんに本気で怒鳴りたいよ……』
「だって、歌野ちゃんと若葉ちゃんは……そんなのわたしが……一番よく知って……」
若葉ちゃんと千景さんが、一方的に歌野ちゃんを傷つけた……歌野ちゃんの事を、裏切り者だと決めつけて……。
声の震えが止まらない。心臓がバクバクと激しく高鳴って、手足が酷く震えて……
「……これが、神託の正体ということなんですか……」
「………しんじられ…ないよ……」
そして何より信じられなくて、頭がどうにかなりそうなくらいに混乱している。だって若葉ちゃんと千景さんはそんな人じゃない。特に若葉ちゃんは……ずっとわたし、隣で見ていた……。小さな通信室の中、お互い顔も分からないのに、何度も何度も言葉を交わした、想いを通わせ合ったあの時間をわたしは知っている。
親友として固い絆で繋がった二人を、わたしは誰よりもよく知っている……なのに、そんな二人が……
「歌野ちゃんは……今は……」
『まだかなり、落ち込んでる……それなのに私達には大丈夫だって気丈に振舞おうとしてるのが、見ていて逆にキツイよ……』
ほむらちゃんからの悲痛な報告に、わたしはもう、放心するしかなった。苦しくておかしくなりそうで、逆に涙は流れてこない。ほむらちゃんの言葉を何一つとして、信じたくなんかなかったんだ……。
……でもそんなこと、目を逸らして逃げたって、起こってしまった現実は何一つとして変わらない。ほむらちゃんはきっと本当の事しか言っていないんだから……。
『……やっぱりどうしても心配だから、今日はこのまま白鳥さんの所に泊まって一緒に居ようって思うの。藤森さんもいるけど、私も放っておけなくて……』
……うん、きっと今誰よりも苦しくてつらいのは歌野ちゃんだ。完全に慰めきることはできないだろうけど、少しでもいいから歌野ちゃんには元気を取り戻してほしい……。ほむらちゃんのその提案はありがたかった。
「うん、わかった……わたしも友奈ちゃん達の様子を確認したら、そっちに行くよ」
『……病院は……今日は、止めておいた方がいいと思う……高嶋さん達には悪いだろうけど、今の乃木さん達には……』
……そんな風に言ってしまわないといけないくらい、若葉ちゃんも千景さんも本当に危ういんだ……。
「…………だったら、わたしも心配だし、一緒に歌野ちゃんのとこに泊まりに行っていいかな?」
『……それは、うん、もちろんだよ。お父さんには私から連絡するね』
「ひなたちゃんは……」
確認をとろうと、ひなたちゃんの方を向く。
だけどひなたちゃんは、わたしの事なんか見ていなかった……何かを考えこむように目を瞑って、下を向いて……。
「……すみませんまどかさん、ほむらさん。私はこのまま大社に残ります」
「えっ?」
「少しばかり、話を聞きに行かないといけない人がいますから」
「そ、そうなんだ……」
「……それに、ほむらさんの懸念はもっともですが、若葉ちゃん達の元にも……私は行きます」
『……はい、わかりました』
そう言ってほむらちゃんは電話を切って、ただただ思い空気だけが残ってわたし達に纏わりつく。
……ひなたちゃんにとっても受け入れたくない話なのは間違いない。それでもひなたちゃんは若葉ちゃん達を避けて通るわけにはいかないって、固く決意を持つことができる……本当にすごいなぁ。ひなたちゃんは、いつも……。
でも、その前の話を聞きにいかないといけない人って、なんだろう……。最初から行くつもりだったら前もって言われているはずだから、急な用事なんだろうけど……。
「……では、そういうわけですので……歌野さんをよろしくお願いします」
「うん……ひなたちゃんも病院のみんなの事、お願い……」
ひなたちゃんはそう言って大社の中へと消えていく。わたしはその背中を呆然と見送りながら
……不安な気持ちが、どっと押し寄せてきた。
「……合流しなきゃ……ほむらちゃん達と……」
トボトボと重い足取りで、歌野ちゃん達がいる第二寄宿舎に向かっていく。暗くて重い、どんよりとした色の感情が、頭の中にじわじわと広がっていく。
(…………なんで、こんなことになっちゃったのかな……)
その想いが、暗い闇にゆっくりと溶けていく……。
(………こんなのじゃ、なかった……わたし達の世界は、もっと……)
前だって、不安といえば不安な気持ちはあった。みんなが世界を滅茶苦茶にした、たくさんの人の命を奪った怪物に立ち向かわないといけなくて、みんなは無事でいられるのかって、もしも誰かがいなくなってしまう事があればって、怖かった。
実際に歌野ちゃん達との通信が途絶えたあの時は、何もかもが真っ暗になったかのように見えて……他のみんなも、いずれはその闇に飲まれてしまうんじゃないかって、何もかもが怖くなった。
それでも、あの日あの時、わたし達は取り戻せた。実は無事だった歌野ちゃんと水都ちゃんともようやく出会えて、みんなで力を合わせてバーテックスを倒して、高らかに勝利を叫んだあの日の光……それがわたし達がずっと望んでいた光景。いつまでもいつまでも、みんなが揃って、笑っていられる世界。
わたし達はこれからも大丈夫だって、そうやって……確信させてくれた光は……
ぽつぽつと……冷たい雨が降り始めた。
「っ、傘……」
空は気が付けば鉛色がほとんどで、このままなら1分も経たない内に本降りになる事だろう……。
俯いたままの顔を少し上げて、鞄の中から折り畳みの傘を取り出そうと
正面の方に、人の姿があった。
傘を取り出そうとしていたはずの手は止まる。寄宿舎に向かおうとしていたはずの足も、石のように固まる。
ずっと俯いていた視線は、徐々にこっち側に歩いてくる人から瞬きすらもせず、刹那の瞬間すらも外れない。
「…………」
「……あ…………あ…………」
ただの偶然だった。わたしも、彼女の方だって、決して会おうと思ったわけじゃない。本当にたまたま……だけど、わたし達が同じ町の中にいる以上、この邂逅の起こる可能性は0じゃない。
「…………暁美……さん……」
零れ落ちた彼女の名前。わたしの視線は外れない。まるで時が止まったかのように、見開いたままの瞳で……わたしは彼女の姿を捉え続けている。
「…………」
何が見えているのか……彼女の光の無い視線が、茫然と立ち尽くすわたしの姿を捉える。わたしが彼女を怯えるように見ていることにも、当然気づいて……
彼女は持っていた傘を差して、わたしの視線を遮った。見られたくない物を見られないように……見たくもない物を、見えなくするかのように。
わたしは立ち尽くす。彼女は足を止めず、真っ直ぐこっちの方に歩き続ける。
息をするのも忘れてしまいそうになるほど重苦しいプレッシャーが、わたしの身体を縛り付ける。金縛りに近いような状態で、わたしはただ、彼女がすれ違うまで……
距離がほぼ0になって
「…………」
また1メートル、2メートルと離れていく。
彼女はわたしの事なんか気にも留めず、ただ歩いて遠ざかっていく。
だって彼女は、わたし達の事なんか本当にどうでもよく思っていて
誰かが居なくなってしまっても、まったく痛みを感じさせなくて
たったひとり、ひたすら間違い続けている。
わたしは………なにも……
わたしの身体を叩きつける雨が、強くなった。
「……ま……待って……」
「………」
「待ってってば!!!!!」
叫んでいた。迷いなく、言葉通りのつもりでその声をぶつけた。それが決してやっちゃいけない事だって、わかっている……
だけどわたしには……!!
「どうしてあなたは、あんな酷い事をしたの!?」
もう何もかもがわからないんだよ!!!
「……昨日の今日で、一体どういうつもり」
我関せずだった彼女の足が、止まった。顔は見せない……振り返らない。背中しか見せず、何の感情も籠っていない淡々とした声が呟かれる。
「乃木若葉との決闘での約束って、何だったのかしら?」
「……それは……」
……わたし達は彼女と関わっちゃいけない……その決まりをまさに今破っているわけで……。
昨日の杏ちゃんの事だって、元はといえばこれから……。恐怖する気持ちが強くなり、足が震え始めた……
「………そんなこと、わたし…関係ないから……!」
まさに口から出まかせっていうやつで、何やらわたしはとんでもない事を口走る。自分でも訳が分からない……ただ無我夢中で、思ってすらいない事なのに口からぺらぺらと言い訳が吐き出される。
「だってあなたが関わらないようにするって約束したの、若葉ちゃんとひなたちゃんと歌野ちゃんの三人だけなんだもん!!」
「………はぁ?」
「だって、聞いたから……! あなたが若葉ちゃんに言った約束は、あなたたち全員が私に関わらないこと だって……!」
無感情だった彼女の声に、ハッキリとした苛立ちを感じた。それでもわたしの口は止まらない……怖いから……
「その全員の中に、わたしは居ないよ…! だって約束したその場に居たのって、若葉ちゃんとひなたちゃんと歌野ちゃんの3人だけなんだから!」
……ううん、それだけじゃない。今の暁美さんの事が、どうしても納得できないからだ。
答えを知りたいから、だからわたしは……
彼女が持っていた傘を、その場に投げ捨てた。
「だから……答えてよ!! どうしてみんなが悲しい目に遭わなくちゃいけないの!!? どうしてみんなを平気でッ!!?」
目の前が一瞬眩く光り、花弁が舞う。次の瞬間、暁美さんの左手が、わたしの首を絞め上げた。片手なのにとても強い力で、このまま首を握り潰せる事だってできそうなくらいの圧迫感があった。それもそのはず、服装がさっきまでとは違う。神秘的な戦装束……彼女は今、怪物を葬る勇者の力をその身に宿しているのだから……
「呆れて物も言えないわ。そんな屁理屈が罷り通ると本気で思っているのだとしたら」
「かっ……ぁっ……!! はなし……て……!」
呼吸が全くできなくなる。左手だけでわたしの身体は地面から浮かされて、必死に抵抗しようともがいても逆に首に食い込む指の力が強くなって、窒息感はより強くなる。力が全く入らなくなる……。
「昨日言ったばかりなのよ……次あなた達が何か仕出かしたら、今度は巫女から消すって……知らなかったの?」
「あ………ぅあ……!」
「目障りなのよ。耳障りなのよ、本当に。不快でしかない」
声が出ない……誰かに助けを求める事さえ……。
唯一わたしの近くにいる人が見つめてくる視線にあるのは、もはや逆に嫌悪感を感じさせない、虚無でしかなった。不快だなんて行ったけど、もうそんな物を感じる必要が無くなるから……このまま首を潰すか息が止まるのを待つだけ。それで何もかもが終わるから……。
「死体は盾の中の永久に取り出さない果てのどこかに捨てておくからいいとしても……多分連中は気づくかしら。そうなったら抗争は起こすだろうけど、満開も使うだろうし特段苦戦する要素は無いわね」
「……っ! ………!」
「……ただの独り言よ。別にあなたが気にすることじゃないわ。もうこの世界からいなくなるんだし」
視界が滲む……どうしようもない息苦しさと、絶望感で。
この子の言う通り、わたしがいなくなってしまって、その原因が彼女にあるなんてみんなが気づけば、みんなが怒るだろう。怒ってそのまま、彼女に報復しようとして、返り討ちに遭ってしまう……。
……あ、はは……笑えないよ……わたし、なんで……何でこんな、絶対にやっちゃいけないって分かっていた馬鹿な事をしてしまったんだろう……!
わたし1人の命だけだったらまだ良かった……。ただの自業自得で終わるんだから……。
だけどわたしのせいで……みんなが……。馬鹿だよ……わたしって本当に馬鹿だよ……救いようがない……!
意識が遠のき始める。
「……さようなら、鹿目まどか。できればここではない、違う世界で出会ってみたかったわ」
目の前が真っ暗に……。
最後にわたしの頭の中を過ぎったのは
「……ほ…む……ら…………ちゃ」
支えてあげたかった、わたしの
体が突然落下したかのような感覚と一緒に、首を締め付ける痛みと窒息感が無くなった。
「っ!? は……っ ぅ、ケホッ……げほっ…!! はぁ、はぁ!!はぁ……!!!」
お尻から倒れこんで、痛い……! ただそれ以上に激しく咳き込み、止められていた呼吸を必死に繰り返して息を整える……
………って、わたし……離された……? あのまま首を絞められるか握り潰されるか、殺されるって、思って……え……?
滲む視界の中で、ゆっくりと顔を上げる……そこには変わらず、あの子が左手を伸ばしたまま、わたしを見つめて
「………え……」
真っ赤に染まった二つの瞳が、見開かれている。
赤黒い、ドロッとした液体が、彼女の両目から
「………ぇ……………え………?」
鼻から。口から。耳から。頬に貼られたガーゼから。首の皮膚を破ってそこから。
ありとらゆる所から、血を……噴き出して……
「………は…………ぅごぼっ!!?」
「!!!?」
口から赤黒い血の塊を、吐き出した。バシャッと水たまりに落ちて、地面の一部が赤黒く染まって……まるで糸が切れた操り人形のように、彼女の身体はその水たまりの上に崩れ落ちた。
「っ!!? ね……ねぇ…!!?」
「…………ぅ……く……ぁ…………な、なにを……した………鹿目……まどか……!?」
息も絶え絶えで、充血しきった両目は完全に虚ろ……。倒れ落ちた体を起こすこともままならないようで、本当に苦しそうで……今、何が起っているの………?
「こ…の……!!」
戸惑って尻餅を付いたまま起き上がらないわたしに、彼女の憎悪の籠った左手が伸ばされた。だけどそれはものすごくゆっくりで、握り潰すどころか掴むことすらできるのかどうか、とても弱弱しい手……だけど憎しみだけは、恐ろしいくらいに感じてしまうほどで……。
ベリッ!
「ひっ……!!?」
ものすごく嫌な音が耳に届いた。その音が聞こえるのとまったく同時だった……憎悪を以って伸ばされた彼女の左手の人指し指の爪が、ひとりでに弾けるように剥がれ落ちたのは……
左手が地面に落ちる……もう、ピクリとも動かない……
「……なにが…おこって……わたしの…からだ……」
そういってガクッと……彼女の意識は遠くに落ちて、地面の上に完全に横たわって……
「……な……なに……? なんなの……?」
……いったい何が、起こったの…………明らかに普通じゃないことが、彼女の身に……。
無数の雨が、意識の無い彼女を襲い続ける。雨の音しかしない世界の中、わたしはただ呆然と、この現実を受け入れられずに座り込むだけしかできなかった。
「………ね……ねぇ……?」
何も理解できないまま、横たわる彼女の身体に手を伸ばす。その手が彼女の顔に触れ……
「!? ……えっ?」
反射的に勢いよく手を引っ込めた。
手が触れた瞬間……ものすごく、冷たかったの……。そりゃあ、雨でびしょ濡れだから冷たくなって当然ではあるけれど……でも、その冷たさはただ雨に濡れたからだけじゃない。別の……もっと不吉な何かを感じ取れる冷たさがあって……だから手を引っ込めてしまった。
ふつふつと嫌な予感が募り始めた。
「……暁美…さん……? ねえ、ちょっと……」
横たわった体を仰向けに……感じた予感を否定したくて……彼女の胸の上に、そっと手を置いた。
……徐々に呼吸が荒くなるのを感じた……外れていてほしかった予感は、当たっていたから。
「……心臓……動いてない……!?」
それは、つまり……
ゾワッと、背筋が凍り付く。激しい恐怖に包まれて、強く、強く、繰り返し彼女の胸を押した。
心肺蘇生法……やり方がこれでいいのか激しい混乱のせいで全然頭が回らないけど、とにかく無我夢中で胸を押し続ける。
「あ、暁美さん!! ねえ、起きてよ!!! 目を開けて!!! ねえ!!!!」
ダメ……そんな事、絶対にダメ!!!! 確かに彼女は、みんなに酷いことをいっぱいした!! わたしの事だって、本当に殺そうとしたのかもしれない……でも!! だからって彼女だって人間なんだから、理由があってもなくても、こんな風に理不尽に死んでいいわけがない!!!!
こんな絶望に包まれた世界なんだ……誰だって、精一杯頑張って生きてかなくちゃいけないんだよ!!!!
「暁美さん!!! 暁美さん!!!!」
「…………ぅ……ぅ」
「!! 暁美さん!!」
反応が……心臓が動き始めて…………
「…………こ…こ……わた……し」
「……な……え……?」
胸の上に置いている手には、鼓動を感じない……。暁美さんの意識は……戻ってる……でも、心臓は……まだ………
「かな、め……まど……かはっ!」
「っ、しっかりして…!」
……暁美さんは生きてる……でも、顔色はずっと酷いし、このままではきっとまずい。はやく病院に連れて……
(……今の若葉ちゃん達がいる病院に、暁美さんを連れて行ったら……)
ほむらちゃんから聞いた話からして、それはものすごく悪い事に繋がってしまうはず……! 他のどこかの病院は……、情報が洩れるかもしれない……もしも勇者が倒れたなんてなれば、世間は大騒ぎだ……!
……だったら……他には……!
「うん……しょっ!!」
全力を込めたら何とか彼女を背負うことができた……体力が無いからできるかどうか怪しかったけど、思ったよりも暁美さんは軽かった。
「……なに……を」
「……わたしの家に連れて行くから……がんばって…!」
まともな治療なんて出来ないけど、何も出来無いわけじゃないし、ここに放置するよりかはだいぶ良い。今はとにかく安静にさせて、その間に他の大丈夫そうな病院を大社に頼んで探してもらえば……!
「ふざけない…で……! よけいな……おせわ……はなして……!」
「馬鹿言わないで!!!! そんなこと、出来るわけがないでしょ!!!?」
「………」
できるわけがない……苦しんでいる人を見捨てるなんて……!
雨が降りしきる中、彼女を背負ってわたしは走る……。わたしはわたしの、やるべきことをやり通さないといけないんだから……。