私の実体験に基づき幾つかを添削しております

不快な表現も有るやもしれません

時間を大切になさいたい方はお読みになることを推奨出来ません


下らんもの?まぁ、付き合ってやろう
と思われましたらお付き合いくださいませ

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ぶっちゃけ、自分語りの様なものです

ほぼ実経験に基づきます

ですので不快な表現も御座います

重ねてご了承ください


歩み

常に学校にて問題になる『いじめ』について考える事がある

 

私も義務教育期間中はいわゆる『いじめ』というものを受けてきたらしい

 

らしいとは何だ?と思われる方も多いと思う

しかし私にとって暴力を振るわれる事はそれだけ身近だったのだ

 

流石に警察沙汰や救急車のお世話になることは無かったのは、幸いというべきなのだろうか

 

私は小学校一年の頃に、同級生の子に追いかけ回されていた

 

向こうはふざけていたのだろうが、此方は怖かった事は今でも覚えている

 

学年が上がるに連れ階段から突き落とす、用水路の中に落とす、石を投げつける。等と無駄に種類を増やされていたのを覚えている

 

冬の田んぼに落とされて頭を打った事もあった

下級生からも石を投げつけられる様になった

 

クラスや同級生の女子からは『バイキンマン』等と呼ばれていた事もあった(まぁ、これは中学校卒業まで続いたのだが)

 

よくもまぁ、昔の私は我慢出来たものだと今更ながらに思う

 

『いじめ』を親や学校が知らなかったのか?と思われる方もおられるだろう

 

結論からいえば親も学校も知っていた

 

唯、家の両親は子供の社会に大人が出るのを良しとしない人物であった

 

故に学校から息子さんが『いじめ』をうけているのですが。と言われても「息子が助けを求めるまでは申し訳ないが放っておいて構わない」とか言っていたのを覚えている

 

あの当時は読書をする事で現実逃避していた様に思う

 

今も残る逃避癖はこの頃に始まったのだろうと思うと情けなくなる

 

小学校六年になっても何も変わらなかった

 

担任が変わり者で皆が協力しなければ直ぐに授業を投げていた

 

正直な所、私にとっては地獄だった

皆から嫌われてる、疎まれてる。と思う人間が協力出来る訳も無いし、しようとも思わなかった

 

その頃には自分の『キャラクター』というものを演じ始めた

 

底抜けに明るい馬鹿な人間。下手をすればキチガイに思える様な人間だった

 

 

ただ、小学校四年から六年には救いもあった

 

学外にて『体操教室』というものを始めた

 

一般的なそれと違い、運動の苦手な子供向けの教室だった

 

学校の人間がいなかったのは泣くほどに嬉しかったのを今でも覚えている

 

 

中学校に入り、一学年三百人程の学校であった為に暴力から逃れる事が出来ると思っていた

 

まぁ、無理でした

 

折角強くなろうと入った剣道部で暴力を振るわれればザマ無い話でした

 

もう、痛いとかリアクションするのも疲れて来たのを今でもたまに夢に見る

 

1年の頃はまだ良かった

 

が、2年以降は酷かった

委員会なりで遅れてくれば部室に入った瞬間に木刀か竹刀が飛んでくるか、両サイドから柔道の畳で潰される

 

部活前に柔道の練習と称して柔道場の畳の下に入れられて上に三人位乗って潰される

 

さぞや、やってる方からすれば楽しかったんだろうと思う

 

真似したいとは欠片もオモワナイが

 

 

学校では表立っての暴力は控え目になったが、あの頃の私には全員敵に見えていた

 

無論、極一部だが、愚痴を聞いて貰ったりもしたが、虚しかったのを覚えている

 

まぁ、その分『気持ち悪い』だの『病原菌』だのと言われていたようだが

 

個人的には、直接暴力を振るう奴等よりも、女子達に当時は殺意すら抱いていた

 

我ながらよく自制出来たものだと感心せざるを得ない

 

 

まぁ、そんな地元で生きたく無かったのか寮のある学校に進学した

 

 

 

逃避癖のあるような輩の行ける所では無く、無為に2年を浪費し、家の金を無駄にかけただけだった事は正直な所申し訳なく思う

 

 

それから翌年、定時制高校に入学した

 

定時制高校だから詰まらない『いじめ』等の事は無いと思っていた

 

一年の頃、早速

 

偶々仲良くしていた女子がターゲットだった

 

どうでもよいので普通に接していたら

「あの子は○○しているから話しない方がいいよ」

何て有難い話をしてきた

 

全く、どうでもよかった

 

 

 

が、その子も追い詰められたのか学校を辞めた

 

 

友人ではあるが、当時は冷めていたので

『あ、辞めるの。その程度で辞めるなら辞めれば』

程度にしか思わなかった

 

此方は高卒が欲しいのだ

一々他人のケツ拭きなどするか

 

そう思っていたな

 

 

 

2年になって去年いじめ(何て表現すればいいか分からない)をしていたグループ内で一人が孤立していた

 

ま、ご苦労様なこって

 

その程度にしか感じもしなかった

 

 

で何故か孤立していた子と話をするようになり、暫くして辞めた

 

なんでも元カレがどうとか言っていたな

 

 

 

 

3年になり、私は4年修了過程としていたので卒業まで後一年となった

 

この年私は『モンペ』と呼ばれる人種に初めて出会った

 

 

 

 

結論のみ書くが疲れた

何故か後輩のために授業中に呼び出されて教員から相談を受け、放課後暇な時に後輩の母親から相談を受けた

 

 

学校が信用出来ん?教員が信用出来ない?

 

じゃ、学校辞めて他所行けよ

 

何で教員とか相手の生徒を辞めさせようとするんですかね?

 

学校の下らない諍いごときに弁護士呼ぶなや!

 

これが3年の時の感想です

 

 

 

 

でも、4年の時の方がもっと疲れたのは、なんでだ?

 

卒業の年、私は21。車の免許取得、部活動、委員会、アルバイト

割りと忙しい一年だったが、思い返せるのは手の掛かる後輩の事のみです

 

 

向こうは新卒。つまり16。

相談を後輩の男子から受けた。学校で上手くやっていけるか不安。そんな感じ

 

聞けば中学3年不登校が4人。1人は車椅子の子でした

 

夏位までは馴らす為に昼休みとかでも一緒に行動していた

 

んで、秋口に文化祭があって、自分のクラスで出し物の手伝いをしていたら、久方ぶりに教員よりお呼び出し

 

何事かと思えば、私のグループ(教員サイドにはそう認識されていた)の3年が1年の教室に遊びに行ったりしていたらしい(逆かも)

 

私のグループ?

私、4年、21

後輩、3年、18?

女子4人、1年、16

男子1人、1年、16

な感じだった

 

もう一人いたが、後輩の友人であまり近寄りたくないような印象があった

 

 

この頃には卒業後の事を踏まえて、グループから距離をとり始めた

 

 

教員情報によるとクラスに馴染んでない。との事だった

 

 

正気を疑った

 

どう見ても来年が悲惨になりそうだと感じた

 

 

 

元々私は4年で毎年何だかんだでトラブルに出くわすので教員とのある程度のパイプを持っていた

 

当然、トラブルメーカーの様な扱いも受けていたのですが

 

1年からすれば何時も遊びに来て一緒に遊んでいる3年と、たまに説教もする4年。どちらに懐くかは自明だろう

 

当時も思っていたが、私はそれでよかった

結果関係ない1年も少なからず私の存在を考える必要があったから

それはそのまま抑止力になる

 

が、一方で年上とばかり仲良くしている人間。にいい感情を持てる人間はそういない

 

私はてっきりクラスでのコミュニティにも溶け込めたと思っていたが、そうでなかった

 

 

そして後輩と立ち位置について言い争いになった

 

私は自分が居なくなる前に準備をすべきだ

 

後輩は来年、同じことをするから大丈夫

 

 

お互いに譲らず、平行線となりそのまま卒業した

 

 

 

 

その後、後輩から5月頃にヘルプコールがあったが

全くどうでも良い話だ

 

 

 

 




御目汚し失礼しました

私も一度人生を振り返りたく思い、筆を取った次第です

ウザイ等でも構いません

思った事をお聞かせ願えれば幸いで御座います

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