今年の課題曲は例年通り全部で五つある。
Ⅰ・スケルツァンド
Ⅱ・マーチ・シャイニング・ロード
Ⅲ・インテルメッツォ
Ⅳ・マーチ「春風の通り道」
Ⅴ・メタモルフォーゼ~吹奏楽のために~
の五つで、今回北宇治はⅠを使用した。課題曲の選定には自由曲とのかみ合わせや長さの兼ね合いなども存在している。所属してる演奏者の割合や実力、持っている曲の雰囲気や部の得意不得意など、そういういろんな要素があるので一概には決められない。今回スケルツァンドが選ばれたのも、きっとそういう色んな要素を検討した結果なのだろう。
とはいえ、全部やるにあたってその辺は気にしなくてもいい。ただ、好き勝手に改造しては意味がないはずだ。しっかり指定の通りにやることに、課題曲を練習材料として使用することの意味がある。時間にシビアになるというのは来年に向けても大事な視点だ。タイムオーバーで失格などになっては諸方面に顔向けできない。
「今年からの取り組みということで、課題曲全習得を行うそうです。期間は今月中。長くても来月の一月まで。冬休みを挟みますが、出来る限り冬休みは休養と沖縄演奏、定期演奏会への練習をしたいそうなので。また、桜地さんは練習の都合上演奏者として演奏してもらいます。その間の指揮は私が臨時で行います。何か質問はありますか」
高坂先輩の堅い声が響く。彼女の存在はやはり緊張感をもたらす。
「誰がどのパートを吹くかはどうしますか。先生がお決めになるのか、それとも……」
「それに関しては、随時変更する可能性がありますが、まずはパート内で割り振るようにするのが良いでしょう。とは言え、自分の担当だけ演奏出来ればいいや、という姿勢ではなくどの部分でも絶対に吹けるようにしてください。でないと、これに意味がないので」
高坂先輩を陣頭に立たせて申し訳ないが、この非常に練習が大変な取り組みには一定数の不満とか反発も考えられる。彼女なりにそこを考慮してくれたのか、自分を悪者にして構わないということだそうだ。もちろんそんな事にはしたくないので、出来る限り部員たちの感情は汲み取りたい。
「今回の練習は特に一年生を対象にしています。ハードかもしれませんが、確実に実力向上につながります。来年以降で悔しい想いをしないように今から取り組んでください。また、沖縄では秀塔大附属との合同演奏の可能性を聞いています。そこでソロやソリがあった時、北宇治の生徒が当たり前のように選ばれることが私の理想です。いいですか」
「「「はい!」」」
ピシャリという高坂先輩の言葉に、全部員の背筋が伸びる。特に他校と一緒にやる際、指名される奏者でありたい。そういう想いというかプライドみたいなものは大半が持っているだろう。なにせ、全国金の部員なのだから。
そして、パート内で譜読みと簡単な割り振りを行って、練習が始まる。課題曲自体は良い演奏が大量に出回っているし実際に全国大会で耳にしている。曲について全く知りませんという人はいないし、一回は全員聞いている状態だ。そこから文句ないと言える演奏レベルまで、どれだけの期間で持っていけるか。しかも四曲同時並行である。かなり勝負どころではあった。それこそ、大会期間と同じように。
「Ⅱのこの特徴音の実音Hは2ndのフルート、3rdクラリネット、2ndトランペットしかないです。ここで変に強調しない。今は凄く不自然に聞こえていました。一年生の、元初心者には少ししっかり伝えますが、演奏における1stとか2ndはそのまま上手さではないです。分かっているかもしれませんが、どうしても感覚として抜けがちですので、改めて言います。2ndや3rdがしっかりとしていないと、演奏が崩壊します。全体の響きを感じつつ、自分の音も聞く。特に滝野さん」
「はい……っ!」
「あなたを2ndに配置した意味をちゃんと考えてください。ここの響きを理解している奏者になってもらい、次に繋げる。それが狙いです」
「はい」
トランペットは出来る限りパートとしての実力を落としたくない。そんな高坂先輩の強い想いが垣間見える。基本的に誰がどの部分を担当するかは現役部員の、それも各パートの専権事項だ。ただ、トランペットだけは高坂先輩の意向も多少働いたようで、さやかさんは2ndになっている。
「それと、坂本さんも」
「は、はいっ!」
「秋子みたいになりたいんでしょう? なら、一個一個を精緻にやる。あの子がどんな曲でもスッと理解してすぐに吹けるのは、基礎をこれでもかというくらいガチガチに固めてるからです。あと、あなたはJの後半でもっとフォルテにするように」
「はい!」
秋子先輩は今や今年のB編成組における希望の星だ。とは言え、あの人も一年生からずっとAなので、そういう意味ではエリート街道ではある。でも高坂先輩の下にいるイメージが強かったためか、憧れの存在になっていた。実際は演奏会とかだとちょくちょくソロをやっていた。高坂先輩が1stなのは高音が得意だからで、逆に言えば秋子先輩はどちらかと言えば低音域が得意な奏者だった。
とはいえ、1stが一番目立つ部分が多いので、そこにトップ二人をぶち込むという判断は間違っていなかった。現に、それで金を獲れているのだし。さやかさんを2ndにしたのも、色々思うところがあるのだろう。
兄さんにその話をしたら、「高坂さんも分かってきた。段々味がするようになってきたねぇ」とご満悦だった。味とは何だろうか。色々苦労の痕跡がにじみ出ているのかもしれない。可愛い子には旅をさせよ、を地で行く指導は期待の裏返しなのだろう。
「コントラバス。あなたの存在の有無で発音が変わるのに、存在感が薄い。もっと前に出て」
「はい」
「トロンボーンはDで新しくオーケストレーションが変わって加わるようになっている部分、繰り返しのある楽譜で新しい要素が出て来たならそこは聞かせどころです。強弱も上げる、かといってあげ過ぎない。バランスをイメージしつつ、息の量を調整する。その作業を欠かさないで」
「「「はいっ!」」」
「Ⅱは特にペースが後半ずっとTuttiだからこそ、ペース配分を考えてください。全力で演奏するのと、無計画に演奏するのは違います。全員、そこは意識して」
「「「はい!」」」
高坂先輩の指導はかなり手厳しい。Ⅱでこれなので、難易度の高いⅢやⅤがどうなるのか、今から不安ではある。とは言え、実力強化には欠かせない。私も一奏者として、そして高坂先輩と同じ指導者として、二つの視点から曲の様子や練習の様子を見るようにしている。中々大変だけれど、昔取った杵柄なので何とかなっているのが幸いだった。
ドラムメジャーの仕事は忙しい。単純に自分の演奏をするだけではなく、各パートの様子も確認したい。これは兄さんの頃から続く伝統ではあるけれど、あの人は自分の演奏が無い分そこは楽だっただろう。それでも直に話して、演奏を聴いて、傍で確認することで気付けることもある。
「ホルン隊はⅣのハーモニーが大分よくなりましたね。屋敷さんと三木さんの指導が優秀なおかげでしょうか」
金管は高坂先輩の得意分野ではあるけれど、あの人もいつも暇っていうわけではない。なんだかんだ進学準備で忙しそうだ。ホルン隊は瞳先輩と森本先輩が抜けてただでさえ人数が少なくなっていたけれど、それでもそこまでダメージは感じない。「隊」と呼ばれるように、団結力があるのがホルンのいいところだ。
「あとうちのハーモニーもいい具合です。トロンボーンと低音パートに話を通して、合同で合わせてみると良いかもしれません。あとうち部分を長い音にしたりして」
「南中の練習楽譜、使えるかな」
「はい、それでいいと思います」
屋敷さんの問いに頷く。南中時代にとにかく出来ることを一つでも多く、という想いで色々手を出した。上手く行ったものもあるし、そこまで効果が無かったかなと思うものもある。ただ、それもこれも状況次第だ。南中で上手く行ってもここでも同じとは限らないし、その逆もまた然り。ここは毎年トライアンドエラーで頑張るしかない。
「武川さんも音に振り回されなくなってきましたね」
「そう、ですか?」
「はい。演奏の主体が楽器ではなくあなたになっています。これは大事な事ですよ。Ⅳに関していえば、Tiroの一小節前のところ、ここを上手くやると木管楽器の連符が際立ちますので、そこをもう少し詰めましょう。まぁでも今言えるのはそれくらいですね」
部内でも少ない初心者の一人である武川さんが成長曲線を綺麗に描けているというのは私としても嬉しい事だ。北宇治に憧れてここに来てくれた子が、その一員として活躍してくれるというのは、何度聞いても胸が熱くなる。そしてそういう姿を見るたびに、かつての自分もそうだったと思いなおすきっかけをくれるのだ。
高坂先輩もガッツに関しては高評価している。あの人、割とこういう根性! みたいな姿勢のタイプが好きなんだろう。指導は理論派だけど。益々師匠に似てきてる。言うと若干気持ち悪い顔になる時があるので言わないけど。憧れに近付けるという嬉しさは私も分かるが、高坂先輩はなんというかこう……重い。
それはともかく、ホルンの同期たちも後輩の成長は温かく見守っているようだ。三木さんの指導もちゃんと有効に作用している。
「土屋さんも同じところが若干まだ引っかかります。自分でも分かっていましたよね?」
「うん。どうしよっかなぁって」
「じゃあ、バスドラムとかスネアドラムであたまうちとあとうちをやってみれば? どうかな」
「いいと思います」
土屋さんの悩みには小原さんが解答を出している。彼女もかなり成績の良い生徒だ。いつもホルン組の勉強会をしていると聞いている。そして、小原さんの提案は私の考えとも近い。自分たちで解決策を出せるのなら、それに越したことはないのだ。
「いやぁ、多少は私らも上手になって来たっしょ~」
「そうですね。それはその通りだと思います」
深町さんの冗談めかした言葉にも同意できた。確かにホルン組は上手くなっている。
「ありがとうね」
「へ?」
「覚えてる? 黒江先輩と二人で練習見てくれた時。モチベが持たないって甘えたこと言った私の言葉、ちゃんと受け止めてくれた。あの時、目を逸らさないでくれた。それだけでさ、私たちみたいなのは嬉しかったし、頑張ろうって思えたから」
「そう、ですか」
あの時は高坂先輩への怒りとか、そういう感情が強かった。なんとかモチベーションを保ってほしくて、鎮痛剤代わりになればいいと思っていった。そこにあったのは彼等を救いたいとか寄り添いたいみたいな優しさではなかったと思う。むしろ、補佐とは言え役職を持っていたのだから、という責任感みたいなものだった。それでも届いていたのなら、あの時目を逸らさずに彼らの眼を見つめた意味はあったのだと思う。
「それは……良かったです。出来ればそのまま自分の成績も見つめて、小原さんの助けを借りずともテストを突破できるようになって欲しいですが」
「ちょ、それは言わないお約束……」
湿っぽくなってしまう前に、少し空気を入れ替えた。あの時の私は冷静じゃなかったし、きっとみんな冷静じゃなかった。あの時しっかり自分を貫けていた人が何人いただろう。あの高坂先輩ですら、揺らいでいたのに。逆に言えば、あそこで揺らがない強さこそが、最後に秋子先輩を勝利に導いた要因なのかもしれない。私もまだまだ修行が足りなかった。
「それはともかく、Ⅳに関しては今出たところを修正していきましょう。段々これが続くと修正速度も速くなっていくので、そこまでは耐えです。あと、Ⅲでもそうですが自分の中のテンポや流れを見失わないように。あくまでもメトロノームは添えです。主体は自分。そこを忘れないでください」
「「「はい」」」
「では、引き続きよろしくお願いします」
ホルンパートの練習教室を後にして、手に持った紙にメモをする。ホルンの現状、個々人の状況、問題点と改善点、今後の対応などをざっくり書いた。細かくは後で整理すればいいだろう。兄さんは手書きだったけど、私は面倒なのでタブレットとかパソコンでまとめることが多かった。次はトロンボーン、その後はフルートに一回戻る。そうしたら全体練習で先生から指導を受け、幹部打ち合わせが自主練時間にある。それが終われば高坂先輩
結構目まぐるしい予定表だけれど、これが私の毎日。これでも暇な方だ。けれど充実感はある。こういう疲労感は好きだった。
「トロンボーン、よろしくお願いします」
「「「よろしくお願いします」」」
「早速ですが、Ⅲの前奏にあるファンファーレ的な四分音符の部分、もっと前に出ましょう。現状、トランペットとサックスに負けていますので、そこは自信を持っていいと思います」
トロンボーンは葉加瀬さんがパートリーダーとして率いている。ただ、実力的には一年生の浅野君の方が上かもしれない。それは全国大会前のオーディションの結果が証明している。葉加瀬さん的には生きた心地がしないだろう。それでも二年生の中では上手い奏者に分類されている。三年生が一定数いたことの割を食った形ではあるけれど、そこで入れないのはやはり今後を考えると懸念ではあった。
葉加瀬さんも悪い人ではないけど、性格的に結構ハッキリと物を言うタイプだし、浅野君と上手くやれているのか心配していたけれど現状は大丈夫そうだ。まぁ何かあれば北山君経由でこっちに情報が入ってくるだろう。
「とはいえ、吉川さんを始め大分音量が出るようになりました。修行の成果が出ているようで何よりです」
「いつか必殺技みたいなの出せるかな?」
「……必殺技?」
「なんかさ、あるじゃん。ほら、高坂先輩とか吉沢先輩とか、ああいう人って必殺技みたいに演奏がバシッと決まっている時ない?」
「そ、そうですか? 私はあまりそういう作品は見ないので何とも」
そういえば、兄さんのメモに書いてあった。吉川さんはアニメが好きで、結構色んな作品を見ているらしい。だから、そっち系をモチベーションに繋げられるかもしれない、だそうだ。アニソンは確かに吹部でも取り扱うことがある。主に野球部の応援とかだけれど、部員のコンセンサスが取れればどんな曲でも理論上演奏は可能だ。月永君曰く、龍聖ではよくあるらしい。男子校ってそうなのだろうか。
「えー、桜地先輩は今期のOPの作曲してるのに?」
「知りませんでした……。あぁでも、なんかプロジェクトの立ち上がった大きなアイドルゲームの作曲は依頼されたとかなんとか……詳しくは分かりませんけど。私が見るのは彼氏に勧められた時くらいですし」
私の言葉に残念そうな顔をする吉川さん。なんなら彼女の影響で同じパートの布袋さんも染まりつつあるらしい。これは早晩葉加瀬さんも染まるパターンだろうか。そんな二年生の様子とは裏腹に、一年生の三人が驚愕した顔を向けてくる。
「なんです?」
「さ、桜地先輩って彼氏いるんですか?」
「はい」
「ペットのさやかちゃんいるでしょ、あの子のお兄さんだよ」
「「え~!?」」
葉加瀬さんがにま~っとしながら教えた言葉に、一年の女子二人は声をあげる。同時に浅野君は肩を落としている。
「あの堅物で練習一辺倒だった南中の部長が、ちゃんと恋愛してるんだから人って分からないよねぇ」
「色々あったんです、色々」
「それを言ったら希美先輩も同じか。南中の元部長ってそうなる運命なの? てことはサリーも出会うのかな?」
「たまたまですよ、たまたま。はい、この話はここまで。真面目な話に戻りましょう」
放っておくと葉加瀬さんのペースに巻き込まれてしまう。南中出身者は全員なんとなくキャラクターが濃い。なんでこうなったんだろう。というか、葉加瀬さんと私は全然タイプも違うのに、よくここまで一緒に来てくれたと思う。
「現状の練習は何をメインに?」
「今はⅢのFかな。木管の子と一緒にやってる時もある」
「分かりました。そのままで問題ないと思います。ただ、Fの11小節目からはトランペットと一緒にファンファーレ担当になります。そこではさきほどの部分と同じようにやや弱い。トロンボーンは支えになる時とメインに出てファンファーレキャラクターとなる時の差がありますから、そこでそれぞれのキャラクターをしっかりと使い分けることが大事です。今何をしていて、誰がスコアの上では仲間なのか。そこを見極めましょう。特に一年生、とにかく今は色んな曲に触れ、その中で経験値を積んでください」
「「「はい!」」」
色々なパートを見ているけれど、まだ今のところ大きな問題は出ていない。大変という声は聞くけれど、単純に練習をすればいいだけなので、メンタル面にも大きな影響をもたらしたかつてのオーディション云々の頃よりはマシ、ということなのかもしれない。
さて、ここまでは順調。しかし全員敢えて触れていない話題がある。それは課題曲Ⅴ。現代音楽ということで中々難易度の高い曲だ。拍子が64分の4だったり、32分の15だったり、意味が分からない。理解すれば出来ない事もないけれど。とはいえ、毎年課題曲Ⅴが難しいのは恒例だ。今年に至っては全国をⅤで演奏した高校で金は一個もない。清良も龍聖も秀塔大も選ばなかったと言えばその難易度が分かるだろうか。
だからこそ、やる意味はある。どんな曲でもすぐに演奏出来る実力を身につけさせたかった。
「誰かしらベースを弾ける子を確保したいんだよなー」
課題曲練習祭りを続けているある日、定期演奏会係の鈴木君に相談された。彼とはもうかれこれ五年目の付き合いとなる。決して真面目とは言い難い態度の中学時代にはいつも悩まされていたけれど、なんだかんだでしっかりと先輩とも戦える実力がある。困っている子を放置しない精神性もあるし、あの面倒くさい顧問相手に私が頭を下げてもいいかなと思える存在ではあった。北宇治に入部したばかりの頃は同じパートの大滝さんに迷惑をかけていないか心配だったけれど、なんだか最近は上手くやれているようだ。
「川島先輩の後継、ということですか?」
「そそ。なんかいい感じのヤツいない?」
「そうですね……そのまま後継ということで月永君にやってもらうのはどうでしょうか。弦楽器同士ですし」
「求かぁ。受けてくれっかなぁ。コンバスに命かけてる感じあるし。いや、命かけてるのは川島先輩の方か? ま、どっちにしても、今までやったことないのをいきなりってのも気が引けるっつーか、経験者がいればいいなとは思ったんだけど」
「そうですね。誰かしら師匠になれる人がいればいいんですけど、川島先輩もお暇ではないでしょうし、そもそも三年生に頼ってばかりでは……あ」
「なんかいい人、いた感じ?」
「えぇ、まぁ、一応は……」
「じゃ、頼んだ!」
調子よく手を合わせると、鈴木君はピュ~っと風のように去ってしまう。彼はいつも大体こんな感じだ。一応いないわけではない。弦楽器、特にバンド系で使う弦楽器に詳しく、奏法も用法も心得ている人材。ピンポイントで私の知り合いに存在するじゃないか。吹奏楽部の活動に巻き込んで良いのかは分からないけれど、相談してみるだけ悪くないかもしれない。
と、いうことで昼休みにお願いしてみた。
「というわけなんですが、お願いできないでしょうか?」
「モチいいよ~」
「ありがとうございます」
拍子抜けするくらいにはあっさりと、私の頼れる揚羽は頷いてくれた。月永君は川島先輩の後任を捜している、という線でお願いしたらこちらも了承してくれた。この前のアンサンブルコンテストで多少なりとも関係値を作れてよかったかもしれない。それに低音パートがどういう感じで回っているのかちょっと心配なところもある。鈴木コンビは連携できているだろうけど、来年コンバスの後輩が来た時に月永君が上手くやれるのか、或いは周囲が多少なりともフォローできる体制を構築できているのか。そこは気になる点だ。
放課後の低音部の練習教室に、主に規律に厳しい我らが鬼軍曹副顧問との相性の問題で、普段そこには絶対いないであろう人物が立っていた。
「てなわけで、大親友たってのお願いってことでババーンと練習教えちゃいまーす。吹部の皆は初めましてだよね~。久石っちゃんはおひさ~。それじゃ、始めよっかぁ」
他称面識のある奏さん以外は唖然としている。一年生の三人はひそひそと話していた。主に上石さんと針谷さんがおびえている。普段の彼女たちの生活圏内にはいない人種なのかもしれない。まぁ、薄い髪色にネイルされた爪、着崩された制服は間違いなく吹部では許容されない存在だろう。
「楽器は軽音の貸したげるから。今日一日はウチが先生だから、分かんないことあったらなんでも聞いて」
「分かった。ありがとう」
「いいっていいって。ねぇ、なんかウチ先生っぽくない?」
「はいはい、何でもいいので早くやってください」
「りょ」
ニマっと笑って軽く敬礼している。月永君も若干戸惑っているようだ。男子校出身には荷が重かったのかもしれない。
「コンバスやってんなら、基本的な弦楽器は分かると思うんだよねぇ。月永クンはどう? いけそう?」
「一応最低限は予習してきた。あと……出来れば月永は止めて欲しい」
「名前呼び希望? 結構積極的じゃーん」
取り敢えずいい感じに進められそうな感じがあったので、私は一度退散することにする。月永君も呑み込みは悪くないし、言われたことには素直に従ってくれるだろうから、多分すぐに習得できるだろう。入る前に様子を観察していたけど、雰囲気もそこまで悪くない。多分、真由先輩辺りがちゃんと一年生をフォローしてくれていたのだろう。大きな問題は無さそうで助かった。あそこは同期だと奏さん、後輩なら釜屋さんを中核にして回していけばいいはずだ。
「で、何の用ですか。そんな憤懣やるかたなしみたいな顔をして」
「不潔です、不埒です!」
「何がですか……。そんな箱入り娘みたいなことを言い出して」
「箱入り娘はあなたでしょう」
「喧嘩ですか? 買いますよ」
「高校に入るまで回転寿司にも行ったことなかった人が箱入りじゃなくて何なんです?」
「……」
「それはともかく! なーんですかあの態度は! 私の時と態度違いすぎませんか!?」
「あぁ、誰のことかと思えば」
ぷんすか、という擬態語が似合う顔で奏さんはムスッとしながら腕を組んだ。カツカツと廊下を叩く足音からは、彼女の中にある怒りとはまた違う強い感情が見え隠れしている。良くも悪くも、こんなに感情的になることは珍しい。私が彼女にメッキをはがされているのだとすれば、彼女のメッキをはがすのはほかならぬ彼の役割なのかもしれない。相性は悪そうに見えるけれど、実はただの割れ鍋に綴じ蓋というケースもある。優子先輩と夏紀先輩のように。
「初対面の時にどんなやり取りがあったのかは知りませんけど、あなたにも多少ならず非があるんじゃないですか? 呼ばれたくない名前で呼んだり、とか」
「……」
「ほーら思い当たるところがある。分かりやすいですね」
「性格悪いですね」
「誉め言葉です。それに揚羽は誰にでも距離が近いですので、彼とも距離の詰め方を考えているのでしょう。ああ見えて、他人の嫌がるパーソナルスペースはちゃんと把握していますから。物理的にも、心理的にも。それに、仮にあのギャルっぽい様相が月永君の好みだとして、そして彼が揚羽に対して好意を抱いたとして、あなたがそれに対してとやかく言う筋合いはないのでは?」
「うぐっ」
「あぁ、なるほど……いいと思いますよ、私は。部内恋愛大賛成ですから」
「違っ、何を言ってるんですか! 断固として違いますから」
「おや、これは失敬」
友達の多さとか、部内でのアレコレとか、部長を支える存在としての態度とか、彼女には負けっぱなしの部分が最近多かった気がするので、少しはリベンジできたのかもしれない。マウントを取るわけじゃないけれど、こんな私でもちゃんとお付き合いしている人がいるのだ。最近全然デートの時間が無いのが不満だけれど。
「なんでも頼ってくださいね。こう見えて、私から告白したんですよ」
「頼りません!」
「そういうことにしておきますね」
恨めし気な目で私を見上げる彼女の表情に思わず笑ってしまった。とは言え、揶揄うのはこれくらいにしておこう。きっと彼女の中では色々整理できない感情があるのだ。それを揶揄うくらいならまだしも、バカにしたりするのは絶対に良くないし、急かしたりしてもいけないだろう。なんでもかんでも恋愛と繋げるのも少し違う。恋愛小説愛好者としてはそっち方面に考えたくはなるんだけど。
「奏さんの優しさは不器用ですからねぇ」
「は? 私ほど器用な人はいないですが」
「……そう言うことにしておきましょうか」
私から言わせれば、二人とも器用な人間じゃない。それはきっと私も同じなのだろうけれど。デコボコで、がたがたで、一見すると噛み合わない。それでもいいんじゃないだろうか。噛み合わなくても背中を支え合うことはできるし、隣で進むこともできるんだから。
高校三年生という時間がどういう時間なのか、未経験の私にはまだ分からない。けれど兄さんも希美先輩も、人生の大きな岐路に立った。久美子先輩や真由先輩も、一生ものの経験をした。高坂先輩や秋子先輩もそうだろう。他の先輩方も、きっと。だから私にも奏さんにも、大勢の同期達にも何か大事な出来事があるはずだ。その時一人で悩み続ける必要は無い。そう言う時必要なのは、存外優しいだけより、厳しさの中にある優しさだったりするものなのだし。
北宇治も最早強豪校! 2018年のコンクールで何を演奏させるか迷います。特に課題曲は。