誰もが荒い息をしている。課題曲全曲を一週間半で。そんな大分厳しい練習メニューを計画してから、丁度一週間と半分が過ぎた。今日はその成果を見せるということで、滝先生の指揮の下課題曲を大会で演奏したⅠからⅤまで全部通したのだ。一曲三分から五分程度だけど、それでも積み重なると疲れるし、なにより一曲一曲に仕える練習時間も圧倒的に少なかった。
「お疲れ様でした」
先生は私たちを見回す。横の壁には、先生の前だからか直立不動の高坂先輩も演奏を見守っていた。
「皆さんにとって課題曲がどういう意味を持っているのかは分かりません。自由曲はそれこそ自由に選べますから、こちらの方がメインと思っている方もいるかもしれませんね。ですが、ことコンクールにおいてはそうではありません。課題曲も十分に必要な要素になっていますし、楽曲として勉強になる部分も多い。そういう意味では、この練習には大きな意味があったと思います。練習を通して見えてきた課題、改善点。こういったものは来年度の演奏でも大きく作用するでしょう。細かい事を言えばまだ改善できる部分はありますが、短い期間で仕上げるというコンセプトから鑑みると、十分に及第点と言える状況ではないでしょうか」
先生の言葉に私たちは胸をなでおろす。ここでプラスな評価を貰えたということは、部員の自信にも繋がったはずだ。先輩たちはこんな練習はしていない。自分たちがはじめての試みで、上手く出来た。これは成功体験として刻まれるはずだ。如何せん、今の現役世代は三年生の背中を見て育っている。三年生とソロなどの勝負を挑める現役生が私だけだったというのも、それを顕著に示しているだろう。
だからこそ、私たちだってちゃんと出来るんだという自信に繋げられたのなら幸いだ。練習は単なる技術向上だけを目指しているんじゃない。メンタル面も含め、一つの練習で得られるであろう効果を最大限得るために計画するものだ。
「高坂さんはどうでしょうか?」
「はい。先生が今仰ってくださった通りだと思います。改善点が無いわけではありませんが、そこは当代のドラムメジャーが私に負けず劣らずの厳しい指導で改善してくれるでしょう。様々な曲に触れ、それを習得するために努力することで、初見で掴みやすくなったと思います。これは来年度以降、初期練習に割く時間を効率化することに繋がります。また、音楽を楽しむという意味でもより効果があるのではないかと思います。とにかく、よく頑張りました」
珍しく、と言うと失礼かもしれないけれど高坂先輩が褒めている。滅多に褒めない人が褒めると効果があるというのは、この空気感を見ればすぐに分かるだろう。課題曲Ⅴが仕上がるかどうかは冷や冷やだったけれど、ギリギリで間に合ってよかった。先生としてもこれで来年の曲をどうするのか、戦略を練る機会になったと思う。
「先生、高坂先輩、ご指導ありがとうございました。今回の練習はかなり大変だったと思いますが、意味は皆さん自身が実感していると思います。今後はまた各種イベントに向けての演奏練習、マーチング練習が続きますが、しっかりと積み重ねていきましょう」
「「「はい!」」」
私の言葉で〆る。この練習は今後も定期的にやってもいいかもしれない。今回できると発覚したのだ。次回以降も多分大丈夫だろう。来年どんな曲を演奏することになるのか、現時点ではまだ分からない。だからこそ、出来ることはしたい。自信を持ってもらい年末に突入できたのは、流れを作るという意味でも良い結果だ。高坂先輩も少し安心した顔をしていたし、私自身もこの状況にある程度満足していた。
結局兄さんは冬に帰還できず、私も希美先輩も恋愛面では悲しいクリスマスを過ごすことになった。ヨーロッパは年越しとクリスマスがセットでやって来るため、それ関連のイベントで大忙しらしい。希美先輩はいつもの四人組で出かけていたそうだ。なんだかんだ楽しんでいる。私は私で揚羽と女子会をしたので、それで留飲を下げる。
私もクリスマスはデパートのイベントで部活、純一さんは普通にバイト。どっちも予定が合わない以上仕方ない。クリスマスがダメな以上、本番はお正月だ。冬休みは短い上に、吹部は輪をかけて短い。休める期間の間にイベントをこなさないと、本格的に会えない日々が続いてしまうのだから。
そんなわけで、一月一日。私は精一杯気合を入れての振袖姿で待ち合わせ場所にいた。袴で行くことはたまにあるけれど、こんな豪華なのはこの時くらい。集合時間まではあとまだ十五分くらいある。ちょっと早めに着きすぎてしまった。私の逸る気持ちの表れかもしれない。少し冷たくなった手を白い息で温める。ほんのり赤くなった手先が、雪景色の中で鮮明に見えた。
「ごめん、待たせた!」
待ち合わせの十分前に彼は小走りで来た。そんなに焦らなくてもいいのに、と私は小さく微笑む。私を待たせてしまったと、そう思って小走りなのだろう。足元に注意しないと転んでしまいそうで心配だ。それでも、私を待たせた可能性を心配して走ってくれる素直さが好き。コート姿も様になっている。大学生になってから、ちょっとお洒落になった。
「いいえ、今来たところですから」
冷えた手を後ろに隠して、私は言う。待ちましたよ~と可愛げに言う後輩系ヒロインというのは、私のキャラクターには合ってないし、自分でも出来る気がしない。そういうのは奏さんとか秋子先輩に向いている振る舞いだ。二歳年下の私がそれをしたら、子供っぽすぎるだろう。大人になりたいとは思わないけど、きっと大学にいるであろう大人びた女性たちには負けたくなかった。女として、彼女として。
「またまた。涼音ちゃんのことだから、結構前に来てくれてたんじゃないの?」
「さぁ、どうでしょうか。どっちだと思います?」
自分の唇に人差し指を当て、尋ねる。魅力的に見えているのだろうか。彼の瞳の中に、私がどういう風に映っているのかだけが心配だった。そんな私の心中をよそに、彼は私の隠していた手を取る。冷たかった手に人肌が触れて、その体温で雪が解けるように少しずつ温度を取り戻していく。
「こんなに冷たいんだから。これが答えじゃない?」
「見抜かれちゃいましたか」
私をちゃんと掴まえてくれる。知らない人に声をかけられて戸惑っていた私の手を引いて雑踏の中に駆け出してくれた、花火大会のあの時から。彼にとっては些細な事だったのかもしれないけれど、私にとっては死ぬまで忘れない思い出だ。そしてその後、私を引っ張り上げてくれたことも、忘れていない。
私のことをちゃんと見てくれている。それだけで嬉しかったし、好きになってしまった。この経緯を全部知っているのは揚羽だけ。彼女にだってきっと百パーセントの共感は出来ないだろう。でも、それでいいんだ。私の恋心は、私だけが知っていて、理解出来ればいいのだから。
あの日あの時あの場所で暗闇の中にいた私に手を差し伸べてくれた。希美先輩もそうだし、そして彼もそう。だから私の恋愛は消えない炎のように燃え盛っている。桜地の家の恋は外れない。そんなジンクスが何世代も続いている。兄さん曰くしょうもない家だけれど、このジンクスだけは信じたかった。
ちゃんと届いているのかな。ちゃんと響いているのかな。私の恋は、熱は、想いは彼に伝わっているのだろうか。それだけが気になってしまう。私は冷たい女だし、理性論を信じすぎている。きっと、可愛げはない。それでも愛して欲しかった。あなたとなら、新しい家族になりたいと思えたのだから。
「さやかがうるさくって」
「ふふ、さやかさんはお元気ですか?」
「元気が有り余って困ってるくらいだぜ、まったく……。あんなに餅食べて大丈夫なのか……」
「まぁ、この時期だけですから」
滝野家はいつも賑やかで楽しそうだ。結構はきはきとしたお母様と、こちらもお話好きなお父様。そして兄妹二人。家でも会話が多そうだ。それはウチもそんなものかもしれないけど。
「涼音ちゃんの家はどう? アイツいないけど、傘木さんとかさ」
「希美先輩は張り切って年越しそばを作ってくださいました。流石に蕎麦は市販品ですけど、テンプラ揚げてくださって」
「傘木さんテンプラ揚げられんの!? すげぇなぁ」
「凄く美味しかったです」
油にびくびくしながらも頑張って揚げていた。希美先輩の料理スキルは凄い上がっていると思う。流石に同時並行でおせちの仕込みをする兄さんにはまだ届かないかもしれないけど。でもあれは兄さんがおかしいだけなのかな。毎年凄い形相で正月料理を作っていた。あれはある種のプライドなのかもしれない。向こうはまだ深夜だ。多分、大学時代の友達と年越しで飲んでいるんだろう。
「傘木家はおせちを夜に食べるそうで。今晩お呼ばれしてるんです」
「へぇ~。ウチは午前に食べちゃうからなぁ」
「それぞれ色々ですね。純一さんの家は何が入ってるんです?」
「って言っても普通のだけどなぁ。田作りとか、黒豆とか、栗きんとんとか……カマボコ、かずのこ、昆布巻き、紅白なます、みたいな? あー、でも海老が出るかも。まるごと焼いたデカいやつ」
「栗きんとん出るんですか? 関東ご出身なんですね。桜地家はもっぱら栗の甘露煮なので」
「言われてみればおふくろは関東出身だなぁ。え、てか関西のおせちに栗きんとんないのか」
「はい。伊達巻もないですよ」
兄さんはああ見えて結構こてこての関西料理を作る人だ。母は九州料理だったのに、どこで覚えたのだろう。意外と父かもしれない。私が作れるようになるのには……遺憾ながらまだ結構時間がかかるかもしれない。
おせちトークをしているカップルって何なのだろうと思いつつ、初詣の列に並ぶ。初詣なんてそんなにするタイプではなかったのでそこまで神社に拘りは無かった。なので、今年は折角ならと義井さんの実家の神社にお邪魔している。
「ここ、後輩が奉仕している神社なんですよ」
「クラリネットの子だよね? 全国でも吹いてた」
「はい。凄く真面目で、自慢の後輩です」
数年後の幹部候補としてゆっくり育てていきたい。南中の舵取りを任せはしたけど正直結構大変な道を背負わせてしまったと思っている。だからこそ、北宇治ではより万全な体制で彼女たちに譲り渡したい。それもまた、今年こと2018年の課題だ。
「結構並んでるなぁ」
「年明けですからね。でもほら、見えてきましたよ」
いつぞや見上げたムクロジの木は雪を被り、その枝を天に伸ばしている。他愛ない話は尽きない。電話ならいつでもできるのに、どうしてかこうして顔を合わせていると言葉が零れるように出てくる。そうしている間に、あっという間の時間は過ぎてお賽銭箱の前だった。
「何をお願いした?」
「健康と、全国大会金賞を。後は……もうちょっと進展があると良いな、と」
「……頑張ります」
「期待してます、ね?」
「はい」
ごくりと喉を鳴らす彼の瞳を下からのぞき込む。動揺して逸らしているところは結構可愛い。兄さんだったらきっとカウンターして、希美先輩を真っ赤にさせているのだろう。でも、私はこういう相手でよかったと思っている。こういう相手だからこそ、私は肩の荷を下ろせる。
「なにせ、私もあと一年と少しで十八ですし」
「一応、車の免許は取ったよ。旅行が好きって言ってたし」
「それはそういうことですね?」
「そうなる、かな」
「言質頂きました。いつかなぁ。受験終わってからですかね? 楽しみにしてます」
私の目が弧を描く。ポリポリと頬を掻いているけれど、バイト頑張らないとなぁと呟いているのを見ると本気で考えてくれているらしい。大丈夫かな、私の旅行は結構計画性のない限界旅行なんだけど。主に昔写生旅行に連れて行ってくれた雫さんのせいで。まぁきっと何とかなるだろう。多分
「免許と言えば、希美先輩が教習所に申し込んだみたいです」
「あ、そうなんだ。前傘木さんに教習所行くならどこがいいか聞かれたけど」
「お金溜まったみたいなんですよね。これであの四人最後の一人が免許持ちですね」
「俺としては鎧塚さんがどういう運転か一番分かんねぇなぁ。吉川が一番分かりやすい」
「あー、確かに」
優子先輩には悪いけど、でも確かに想像がつく。上手さ的には兄さん>夏紀先輩>みぞれ先輩>優子先輩だろうか。
「あ、涼音先輩!」
「あけましておめでとうございます」
「「「あけましておめでとうございます!」」」
巫女姿でお守りを売っている義井さんが私に気付く。一緒にいた低音の三人も大きな声で挨拶してくる。この声の大きさに周囲はちょっとビックリしていた。可憐な巫女四人がお腹から声出していたらそんな反応にもなってしまうかもしれない。吹部の挨拶はそういう目で見られがちだ。
「お、涼音先輩と一緒のそちらの方は~もしかしなくても彼氏さんですか~?」
「ちょっと、すずめ!」
「いいですよ。事実ですから」
「ひゅ~!」
純一さんは困ったように頭を掻いている。
「どうも、初めましてだよね? 一応北宇治のOBの滝野です」
「「「こんにちは!」」」
「おぉ、懐かしいなこの感じ」
「もぅ、一応じゃなくて二回も全国で吹いたれっきとしたトランペット奏者じゃないですか。しかも高坂先輩と秋子先輩がいる中でメンバーに選ばれてる名奏者なんです。胸張ってください」
「涼音先輩が女子の顔してる……」
釜屋さんが何か今凄い失礼な事を呟いたような気がする。圧を込めた笑顔を向けたけれど、口笛を吹いて誤魔化された。追求したいところだけど、今は繁忙期だろうし長居しては迷惑だ。
「交通安全四つと、家内安全を一つください」
「俺も交通安全一つと、学問を一つお願いします」
「はい。かしこまりました、少々お待ちください」
注文にはきりっと顔を変えて対応する義井さんは立派な巫女さんだった。神様に奉仕する仕事というのは、私には想像できないけれど、きっと結構しっかりとした精神性とかがいるんだろう。彼女の纏っている凛とした空気とか、どこか常に感じさせる清純さはこの神社の持っている神秘性みたいなものによるところが大きいのかもしれない。
針谷さんや上石さんもしっかりとてきぱき対応していた。針谷さんは大人しい子だけれど、オドオドしていないのはここで鍛えられているんだろう。釜屋さんも普通の参拝者にはちゃんと応対している。
「ところでお二人、恋愛お守りもセットで如何ですかぁ~?」
「……では、それも」
ニマニマとしながら言われると思わず引っぱたきそうになった。でも買ってしまう。神様に頼らなくても私たちの進む道は幸せに出来るよう頑張るつもりだけれど、でも助けがあるに越したことはない。最近は、そう思うようになった。
お揃いのお守り。同じ学校じゃないから、何のアピールにもなっていないけど、私たちの関係性の確かな証の一つだった。冷たい風の中でもあまり寒さを感じないまま、私たちは帰路を歩く。
「今度はいつ、会えますかね」
「三月とかなら多少は時間作れるんじゃないかな? それに、アクアラークのオープンセレモニーに来ないかって誘われえてるから、そこでも会えると思う」
「ホントですか!? 私、全然知らなかったんですけど」
「傘木さんとか吉川も誘われてるはずなんだけどなぁ。あ、これもしかしてナイショだったのか……?」
兄さんのサプライズだった可能性に思いを馳せている純一さんは少し青い顔だけれど、私からすればこれは喜びしかない報告だ。これはより一層しっかりと演奏を仕上げないといけない。なにせ、晴れ舞台を見てもらうのだから。
「少しくらいなら現役部員にも自由時間とかありますかね」
「そこは提案しないと」
「それもそうでした」
シャリシャリと雪を踏みしめる音が響く。清涼な雪景色に、冬の空っ風が吹く。けれど私の手も頬も気持ちも温かいままだった。繋いだ手から伝わる鼓動の音が私の耳に響き続けていたから。
年末に行った課題曲大特訓の成果が出ているのか、北宇治の実力は落ちるどころは高まりつつあった。これなら、現役部員だけでもいい演奏が出来るだろう。少なくとも、後れを取る事はないはずだ。先輩がいないとダメかぁとガッカリされるのは現役としては一番避けたい事態。アクアラークでの演奏に自信を持って送り出せるレベルになりつつある。
そんなこんなで沖縄行きまであと一カ月と少しだ。二月も半ばになりつつあり、それはすなわちバレンタインの到来を意味する。今年も張り切っていきたい。奏さんと梨々花さんには迷惑をかけるけれど、助けてくれるそう。持つべきものは頼れる部長と副部長だ。
同時に、三年生の私立組も受験結果が出始める時期。久美子先輩は私立専願なので、結果が出次第アクアラーク行きへの話を詰めておこう。高坂先輩経由で話は伝わっているらしいけど、詳細などはまだ全然伝えていない。高坂先輩も本格的に渡欧準備が忙しいため、三月になるまでは顔を出せないと言っている。その間は本来通りではあるけれど私が練習の指揮をしていかないといけない。意外とやることが多いのがこの新学期までの三ヶ月だ。定期テストもあるし。
「緊急事態です」
そんなある日、幹部会と称して呼び出された教室で、梨々花さんは険しい顔と声で言った。奏さんも難しい顔をしている。そしてどういうわけか幹部会なのに呼ばれている北山君が疲れ切った顔で座っていた。
「どうしました」
「北山君、説明してあげて」
「分かった。簡潔に言うと、人間関係トラブルが発生してる」
やっと最近私への敬語が抜けて来た北山君は、青汁を百杯くらい飲み干したんじゃないかと言わんばかりの声で言った。
「もっと言うと、恋愛トラブルだ」
「恋愛、トラブル?」
北山君がいるということは男子の話、或いは彼がパートリーダーをしているクラリネットパートで、ということだろう。
「順番に整理してください」
「分かった。当事者は二名。加藤と平沼だ。端的に言うと、この二人の好きな人が被った。先に好きになったのはどうやら平沼……らしい。ちょっとこの辺は曖昧で申し訳ない。ただ、告白したのは加藤だそうだ。それで、結局相手は告ってくれた加藤と付き合い始めてる。その結果、『私が先に好きって言ったのに』『それだったら先に告白すればよかったじゃん』という感じで揉めている」
「はぁ……」
どういう感想を抱くのが正解か分からず、私は思わず気の抜けた声を出してしまった。
「大変そうだなとは思いますが、それは二人だけの問題では?」
「それがそうもいかないんだ。そこがギスギスしてるせいで俺たちのパート全体が不協和音を起こしてる」
「説得は?」
「男子の俺に無茶言わないでくれると嬉しい。桜地先輩じゃないんだから……」
男子のパートリーダーというのはこういう時に蚊帳の外に置かれてしまうらしい。この情報も義井さんが頑張って聞き出したそうだ。彼女も苦労している。
「事情は大体わかりましたが……」
「現状どこまで介入すればいいのか、するにしても北山君では大変でしょうから上手い事幹部が介入できればいいな、ということで話し合おうと及びしたわけです」
「なるほど」
奏さんも面倒だなぁと顔に書いてある。その気持ちに関しては全くの同感だった。
「と、いうことで我々同期組一恋人作りが早かったドラムメジャーから何か恋愛関連のご指南ご見解はありますか?」
「と言われても……。個人的な意見をまずいいですか?」
「どうぞ」
「恋愛は先手必勝です。奪われたくないなら勝ち取るしかない。そして勝ち取ったら奪わせないように囲い込む。それが正しい戦略ではないかと。平沼さんには同情しますし、多分煽ったであろう加藤さんも良くありませんが、とは言えこれに関しては先に告白した加藤さんに分がありますね。私はちゃんと自分から掴み取りましたので」
「バッサリですね」
「そんなに綺麗に収まればいいんだけどねぇ……」
「もちろん、今のは個人的な気持ちの部分です。問題であることは理解していますから、対処には出来る限りのことをするつもりですよ」
でも、どうしても心情的には勝ち取った方に寄ってしまう。なにせ、自分はちゃんと告白して、一回逃げられそうになったのをなんとか軌道修正して、受け入れてもらったのだから。それくらいの根性見せろ、というのは酷だろうか。まぁでも、勇気が出ないという気持ちも理解はできる。私だって、そのせいで一年間くらい停滞したわけだし。
告白が難しいなら、唾つけておくしかない。それこそ、兄さんと希美先輩みたいに両片思いでしょこの二人、と思わせておけば誰も手を出さない聖域になる。そこでゆっくり関係を積み重ねて、想いを醸造して、タイミングが来た時に解き放つ。その結果出来上がったのがあの二人だ。まぁそれ以外にも色々ありすぎて高校生や大学生を飛び越えた関係性と相互引力になってしまったけど。
「梨々花さんとしては、何か方策は?」
「うーん、まずは個別に声かけてみるしかないかなぁ」
「そうですね……事情を聴かないことには始まりませんし、現状情報が伝聞だけですから」
「南中ではなかったの? こういう恋愛トラブル」
梨々花さんの問いに私と北山君は顔を見合わせる。無い、と言えば嘘になる。
「あったなぁ、一件」
「あれも盛大に揉めましたね」
「なんだっけ久世と滝平が付き合ってるところに角倉が略奪したんだっけ」
「そうです。そのせいでそこは今でも仲悪いそうなので……。アレも大変でしたね……。滝平君がフラフラしてるからああなったんですけど」
内輪の話ではあるけれど、懐かしさからつい話してしまった。もうずいぶん前のことのように感じるのは、時の流れが早いのか、私が年を取ってしまったのか。
「なんか色々あったんですね、南中も。統率取れた軍隊みたいと聞いていましたけど」
「そこに至るまでに色々あったんですよ」
奏さんは意外そうな顔をしている。まぁ、私を指示してくれているという意味ではまとまっていた。とは言え、内実は色々あるもの。パート間とか個人間では関係性がそこまで良好じゃないというのもままある話だった。
「それ、結局涼音ちゃんはどうしたの?」
「仲良くしろとは言わないが、周囲に迷惑をかけるなら対応を考えないといけないと言いましたね」
「それって脅したんじゃ……」
「説得です、説得。ね?」
私の問いかけに北山君は猛烈に首を縦に振る。梨々花さんはそれで何となく察してくれたようだ。
「でもそれを北宇治でやるのは違うと思うし……」
「まずは梨々花さんの思うようになってみればいいんじゃないですか? 私は当然それを指示しますし、出来ることは何でもしますから」
「そうそう。ここは北宇治で、部長は梨々花なんだし。南中のは参考にはなるけど、その通りにする必要なんて全くこれっぽっちもないから」
奏さんのどこか棘を感じる言葉に、梨々花は小さく頷く。恋愛トラブルはとかく解決が難しい。感情論百パーセントで構成されているので、理性で説得してどうにかなる問題でもないからだ。
「俺も他の子に飛び火しないようには見張っておくから、当人同士はすまんけど頼みます」
そう言って北山君は疲れた顔で帰っていく。彼としても自分の練習とか他にやらないといけないことが色々あるのだろう。その中でこのトラブルというのは予定外だったはずだ。オーディション関連とかならまだやりようはあるけれど、こういう拗れると激烈に面倒な話題ともなると話が変わる。
「北山君、大丈夫かなぁ」
「状況のキープはしてくれると思いますよ。そこは任せてもいいでしょう。二人の問題は当事者とどうにかするしかないですが、少なくとも他の部員に直接的な被害が及ぶことはないかと。彼は優秀ですから」
なんだかんだ一年間私の下で側近をしてくれていたのだ。副部長として優秀だったのは間違いないし、そこは太鼓判を押せる。
「さて、そうは言いつつもマーチングの練習が始まるまでにはどうにかしたいですね。ドラムメジャーとしては行進練習をするのに際して、チームワークがガタガタな状態でやらせたくはありません。梨々花さんは、まず二人からお話を?」
「うん、そのつもり。一回個別に話を聞いてみるよ」
「奏さんは?」
「北山君と共同で周囲を抑えつつ、周りから客観的な情報がないかを聞きこんでみます。何かしら、解決の糸口があるかもしれないので」
「分かりました。私も、部外から探ってみます」
幸いなことに、私には頼れる揚羽がいる。彼女なら学年全体に顔が効くので色々と収集してくれるはずだ。
「後は……瞳先輩って私立組でしたっけ」
「そのはずだけど……ララ先輩がどうしたの?」
「あの方もし受験終わっていたら、情報が集まってそうだなぁと。出来る限り巻き込みたくはないですが、あの人以上にこの辺が上手い人も知りませんので。もし可能なら三木さん経由で何か知っていることはないか聞いてみます」
「それは最後の手段にしたいけど、にっちもさっちもいかなくなったらそうしよっか」
我々三人もそうだし北山君もそうだけれど、全員伝聞でしか話を知らない。情報の確度が低い中で動くと色んな所に飛び火しかねない。誰を巻き込んで、誰を巻き込まないのか。そこは慎重に判断しないといけない。梨々花さんは頭を抱えている。アクアラーク関連でそろそろ本格的な打ち合わせが始まろうとしている中で懸念材料を抱えていることの不安は痛いほど理解できた。
なるべく早く収束させるしかない。なにせ、今でこそ穏やかで優しい梨々花さんだけれど、私はよく理解している。こういう人を怒らせると、一番怖いのだということを。