「なんかクラ大変みたいですねぇ」
パート練習中に後輩である陽向さんから放たれた一言に、あぁそこまで情報が出回っているのかと頭が痛くなった。北山君からSOSを貰って数日。揚羽が部外から集めた情報と、奏さんが方々から集めてきた情報は、北山君の語った内容とほぼ一致していた。詳しい会話の経緯などはより詳細に聞き出せはしたものの、他者の主観が入っている以上信憑性は多少割引いて考える必要がある。
一応部長である梨々花さんが当事者双方と個別に話をしたのだが、事態は一向に解決のめどを見ない。時間が解決することもあるかもしれないが、そんなのを待っている悠長な時間はない。秀塔大は万全の仕上げをするつもりのようだし、マーチングがある以上ギスギスした中行進練習はしたくなかった。事故が起こっては大問題だし、本番中に不測の事態というのは避けたい。
「あぁ、それ私も聞いた」
「なんかメッチャギスギスしてるんだって?」
香奈さんと成美さんも精度はともかく、情報自体は知っているようだ。流石吹部、女所帯だけあって噂の流布率が早い。壁に耳あり障子に目ありとはこのことか。
「中田さんがぼやいてました。義井さんも胃が痛いと……」
巧美さんも困り顔で言う。一年生に実害が出ている以上、どうにかしないといけない。他の二年生だってどうしたもんかという感じだろうし。クラリネットパートの大半は大人しい子が多いので、こんなに揉めるのは初めての経験だった。つみきさんは逆にあまり興味がないらしい。それもまた、彼女らしかった。
「涼音ちゃん、なんか知ってる?」
「知ってはいますけど、ノーコメントで。ここで色々言うと、拗れてしまいそうですから」
「ま、そうだよねぇ」
「梨々花さんも動いていますので、早々に収まってくれることを期待しているんですが……」
久美子先輩を筆頭とする私立受験組が受験を終了させたため、そろそろ終わった組を中心にしつつアクアラーク行きの相談をしたい。それと同時並行でパレードの練習だ。三年生は北宇治と秀塔大が時間制でステージ演奏、一二年生は両校ともにパレード演奏ということになっている。
このために全国からチアリーディング部とかバトン部とかを呼び寄せている。北宇治のせいでオープニングセレモニーに泥を塗るわけにはいかない。兄さんと私の関係性から呼ばれているのだ。これで失敗してしまえば、間もなく成人し当主就任を控えている兄さんの名にも傷がつく。それだけはなんとしても避けたい。北宇治のためにも、家族のためにも。
「そういえば、ステージ演奏って最終日に秀塔大と合同でやるのがあるんだよね?」
「はい。この『アクアラーク・マーチ』と『プラージュ・レダン』の二曲を合同演奏の予定ですね」
成美さんの質問に答える。この二曲はいずれも兄さんが作曲したもので、アクアラークのシンボルミュージックとして使われることになっていた。まぁ要するに『ミッキーマウス・マーチ』みたいなものだろう。後者は「海辺の楽園」という意味のフランス語だそうだ。
「それ以外の曲は決まってるの?」
「いえ全然。久美子先輩たちが手隙になり次第、相談して決めてもらうつもりです。向こうはこっちに合わせるということだそうなので」
「こっちに合わせるって、凄い自信だねぇ向こうも」
「内部進学の方が多いようで、比較的余裕があるからとのことだそうです。もちろん、ライバル視している学校に強がりを言ったという可能性も捨てきれはしませんが……。いずれにしても、見劣りしない演奏にはしたいですね。なにせ向こうは三年生をフルで動員するようですし」
秀塔大の部長さんは兄さん曰くギャンブラーだそうだ。でも勝てると踏んで大勝負に出るタイプ、とのこと。北宇治は間違いなくバチバチに意識されている。なので、軽く受け流して来年度に向けた空気を作りたい。ここでうわ、負けてる……? となってしまうと色々今後が大変だ。
「それに、向こうの三年生の学生指揮の方は希美先輩に憧れてるそうですよ」
「マジ? のぞ先輩も罪な人だね~」
「ま、分かるけどね」
「確かにー」
同期組はうんうんと頷き合う。一年生たちもOBとして多少の交流はあるので、希美先輩の人柄には好感を持ってくれたようだ。未来の義姉なので、色んな人に好かれている姿を見るのは嬉しい。
「私も、北宇治に進学するって決めたのは『リズと青い鳥』を聞いたからなので、気持ちは分かります」
巧美さんと同じような気持ちで進学を決めた人は結構多いと思う。あの演奏はそれこそ、関西の中では一種の伝説というか殿堂入りとして記憶されていた。しかも大会だけではなく、その後の演奏会とかでもしっかりクオリティーを維持していたため、文化祭などで聞いて惹きつけられた人はかなりいるだろう。それこそ、来年度の新入生にも。
今の演奏は、決して今の部員だけのものではない。将来的に北宇治に行きたい、あそこで一緒に音楽をしたいと思ってくれるような金の卵を発掘する意味も持っている。であるからこそ、余計に変な懸念材料を抱えたままにはしたくなかった。
梨々花さんには余計な重荷を背負って欲しくはない。元経験者として、必要ならば悪役になる必要もあるだろう。多分奏さんもそんな感じで考えていそうではあるけれど、どっちかと言えば高坂先輩の系譜を引き、かつお堅い人間として認知されている私が厳しめにした方がいい気がする。それもまた奏さんと相談しないといけなかった。
本格的にアクアラーク行きの説明をする必要があるため、受験の終わった久美子先輩・加藤先輩・川島先輩、そして受験の無い高坂先輩を呼び出して説明会を開くことになった。塚本先輩はまだ国公立なので終わっていない。真由先輩も同様だ。前者は京都の、後者は東京の大学を受けると聞いている。沙里先輩たちも国公立狙い。逆に秋子先輩はもう終わったらしい。
先輩たちにはクラリネットパートの話はしていない。聞かれない限りしないようにするというのが今の幹部の共通見解だ。これに関しては草の根運動で緘口令を敷いている。これくらい自分たちで解決しないことには、来年度立ち行かなくなる。それに、もうすぐ卒業という先輩たちに余計な負担を負わせたくなかった。
「まずは受験終了、お疲れ様でした」
「久しぶりにぶちょーに会えて、嬉しいですぅ」
梨々花さんも久美子先輩の前では肩の荷が下りたような顔をしている。そういう意味でも、この体面をセッティングしてよかった。
「いまの部長は梨々花ちゃんの方でしょ」
「久美子先輩は私にとって永遠に部長なんですー」
黄前久美子と北宇治高校は永久に不滅です、ということだろうか。まぁでも、気持ちは理解できる。先代や先々代は、卒業してもまだ部長だったりするような気がするのだ。
「そんなことよりほら、大事な話なんだから」
「まぁまぁ久美子先輩。久しぶりに可愛い後輩に会えて嬉しいでしょうから。まずはゆっくりとお話しするのも悪くないのでは?」
「そういう場合じゃないでしょ、もう」
奏さんも久美子先輩たちの前では後輩に逆戻りだ。飄々とした副部長の顔は、今はお休みということらしい。それもまた、彼女らしかった。
「じゃあ~説明しますね~。涼音ちゃん、よろしく~」
「はい」
私は立ち上がると、事前に用意した資料を先輩方に配った。
「先だって高坂先輩経由で少しお話をしていましたが、今回先輩方の卒業記念旅行の一部にこのアクアラークにおける演奏をお願いしたいと思っています。久美子先輩、三年生の皆さんの様子はいかがですか?」
「みんな行きたいってよ。浪人覚悟で演奏するって子もいるくらい」
「良かったです。では、参加人数の方を後で送信しておきますね」
今回のイベント参加は、久美子先輩を主体とする三年生組と梨々花さんを主体とする現役組で行動が違う。飛行機とかは同じだが、日程も全く異なるものになっていた。両方の代表と、会社側の代表の中間に入っているのが私の役割になっている。こればっかりは事情が事情なので他に任せるわけにもいかない。
「改めて、今回の説明をします。アクアラークは沖縄県真日瑠島に当家経営の桜地観光が総力を挙げて建設した一大テーマパークとなっています。遊園地、ショッピングモール、映画館、サファリパーク、地元も巻き込んだ大商業施設として沖縄県内外からの需要を見込んで建設されました。当然、宿泊施設もあります。このミニチュア観光都市とも呼べる大施設のオープニングセレモニーでの演奏が、今回北宇治高校吹奏楽部と秀塔大附属高校吹奏楽部に依頼されました」
そこから細かい説明を行う。現役部員が行うのはオープニングセレモニーでのパレードだ。これは両校の現役生が主体となって行う。三年生が担当するのはステージ演奏の方になっている。演奏、とはいってもミニショーも兼ねているため、お客さんとの距離も近いタイプだ。そして最後、指定された二曲を全生徒合同演奏をする機会がある。これは学年も学校も関係ない。かなり大掛かりな演奏だ。
「以上が演奏に関するご説明になります。曲目の方は兄さんよりセンス、秀塔大は北宇治に合わせるとの返答が来ています」
「説明ありがとう。信頼されてるのは嬉しいけど、引退してるからみんな大分腕が鈍ってると思うよ? 練習始められる時期も受験が終わってからになるだろうし……大丈夫かな」
「きっと大丈夫ですよ。体に染みついたことは中々忘れないと言いますし」
奏さんはにこりと笑って目を細めている。先輩との最後の思い出作りの機会だ。特に久美子先輩と同じ大会に出る、という夢が叶わなかった彼女からすれば、絶対に実行したいイベントのはず。
「あと、お金はどうすればいいの?」
「その点についてはご心配には及びません。伊丹空港からの往復空路、現地でのバス移動の費用、いずれもすべてこちらで負担するように話がついております。また、先輩方にはアクアラークのメインホテルたるグランドパレス・アクアラークへの宿泊をして頂ける手筈になっております。こちらも、流石に無料というわけにはいきませんが、三泊四日朝夜付でこちらのお値段となっております」
あちらこちらにお願いして、相当安い値段で泊まれるようになっている。私たち通常部員は下の方の階の大部屋幾つかに詰め込む形になるが、まぁそれでも高級の部類に入るホテル。サービスは期待してもらって構わないだろう。アクアラークにはメインホテル以外にももう少しファミリー層向けのホテルもあるのだが、折角先輩方に泊まってもらうならということでこっちにした。
「通常の楽団を雇うよりははるかに安上がりですし、当家としても未来のお客様によい思い出を持ち帰って頂き、次は是非ご家族でいらっしゃいることを期待しています。また、オープン直後はトラブルがつきもの。何かしら改善点も多くあるでしょうから、そのフィードバックもお願いしたいと思います。それらも込みでこちら。如何でしょうか?」
「メッチャいいじゃん!」
私がにこりと微笑む間もなく、加藤先輩が身を乗り出す。川島先輩も目を輝かせていた。高坂先輩はある程度は事前情報を持っていたけれど、ここまでとは思っていなかったらしい。
「日程は三月十五日。もう少し後の方が先輩方には良いと思うのですが、いかんせん春休み前に開業してしまいたい、との意向でして。関係各所にも伝達済みですから、申し訳ありません」
「いやいや、涼音ちゃんの問題じゃないよ」
「どうでしょうか、お引き受けいただけますか?」
「うーん……。分かった、やってみよう」
「ありがとうございます。兄さんも喜びます」
オープニングセレモニーでの開会挨拶は兄さんが勤めることになっていた。そのせいで一時帰国を強いられているが、まぁここは可愛い後輩や家族に会えると思って我慢してもらおう。希美先輩たちも家族・友人枠で招待されているそうだ。
「先輩たちが来てくれるの、めっちゃ嬉しいです~」
「久美子先輩たちがいるなら百人力ですね」
梨々花さんはガバっと腕を広げ、喜びを示している。背後で発生している部内トラブルに追われている昨今の事情から見れば、やっと少し気持ちを切り替えられたのかもしれない。私としても沙里先輩たちとまた演奏できるというのは喜ばしいことだ。
「ステージでの曲の選定に関しては、先輩方に一任します。何か必要なものがあればすぐに手配しますので、仰ってください。ただ、この後渡します『アクアラーク・マーチ』と『プラージュ・レダン』は秀塔大も含めて全員で演奏しますので、これは絶対にお願いします」
マーチの方はともかく、後者は普通のテーマソングなのでソロパートがあった。確か、トランペットとクラリネット、あとはユーフォニアムだったはずだ。このメンバーが誰になるのかも分からない。多分、兄さんが現地で決めるのだろう。高坂先輩からすれば雪辱の機会。ただ、そんなことは受験を終えた秋子先輩も承知の上。止まっていた期間を取り戻すべく本気で挑んでくるだろう。これはまた、熱い勝負が見られるかもしれない。
それが今一番、楽しみな事だった。
「マーチの方からやります。準備してください」
先輩たちが曲決めを行っている最中、私たち現役部員は先輩たちに後れを取らない演奏をしないといけない。なにせ、人によっては数ヶ月楽器に触れていないのだ。そんな状況の先輩方に負けているようでは、来年以降に不安を抱えたまま卒業させてしまうことになる。それはドラムメジャーとして由々しき事態。だからこそ課題曲全部という練習もしたのだ。
「よろしいですね? それでは、3、4」
指揮棒を振ると、軽快なマーチのメロディーが鳴り響く。『アクアラーク・マーチ』は課題曲でよく用いられるマーチとは少し違うものの、行進曲であるという部分では大別すれば同じだ。つまり、歩き出したくなるような高揚感を生み出す演奏をしないといけない。
拍子は四拍子。拍子感も意識して演奏しないといけない。ここは打楽器も重要なポイントだ。金管が目立ちがちではあるけれど、木管だって欠かせない要素として存在している。テーマパークのテーマソングの癖に、と言っては失礼かもしれないけれど、しっかり難しい曲に仕上げてくるのが兄さんの手癖なのかもしれない。
「はい、ストップ」
課題曲全通しでは多少の妥協はあったけれど、こっちでは妥協は許されない。なにせ、他校の生徒もいるのだ。北宇治ってしょぼいねぇと言われたのでは沽券にかかわる。そんなのは部員も望んでいないだろう。
「全体的に綺麗にまとまるようにはなりました。ただ、各パッセージのイメージが見えてこない。アーティキュレーションを守ることは基本の上では大事な事ですが、それだけではダメです。アーティキュレーションの意図を推しはかり、そしてその上で各パッセージのイメージをしっかりと確立する。また、強弱は特に気を付けてください。指示がない部分でも考えて演奏する。繋ぎを意識しましょう」
「「「はい!」」」
「レガートの跳躍の部分、美しく繋げるには前も言った通り声を出しての練習も効果的です。歌うことで見えてくるものもありますので。音楽理論は難しいですが、知っていると練習を効率的に進められます。最大効率で、最大効果を。私は根性論は嫌いですので、とにかくそこは意識してください」
「「「はい!」」」
根性論を否定はしない。限界を振り絞り、最後の最後に明暗を分けるのは根性だと思っている。けれどそれを当てにしていてはいけない。とにかく練習すればうまくなる、何て言うのは間違いだ。量をこなすことは、それが効率的かつ効果的であり、必要である場合に限るべきと考えている。
「2ndクラ、気持ちしっかり目に鳴らしてください。ここの部分は音域的に下支えが少ないです。ガタガタにならないように。ファゴットも同じく」
「「「はい!」」」
「では、もう一回」
もう一度指揮棒を振る。一回の指摘でどこまで修正されるかは人それぞれだ。早い人もいれば、時間がかかる人もいる。表現面では時間を要するのも無理はない。ただ、技術面では上手い人ほどすぐに修正できる。それは習得度とか理解度とか、そういうレベルの問題があるのだろう。
修正がとにかくスピーディーなのは真由先輩だった。あの調整力は凄まじい。高坂先輩は当然としても、秋子先輩も早い。次には速攻で直っている。指揮している方が逆に調子狂うくらいだ。
「いい具合ですね。では、『プラージュ・レダン』です。ソロは暫定的に小日向さん、北山君、久石さんとします。状況により変化しますが、今日はこれで行きましょう」
こっちはこっちで難易度が高い。園内とかで使うBGMの一つなので、そこまでうるさい曲ではなく、むしろ穏やかで少ししっとりとした海風のような曲だ。『マーチ』の方が波濤とか波、大海という印象なら、こっちは静かな夏の浜辺という印象。園内のBGMは兄さんが海をテーマにして作った曲になっている。様々な海の景色をお届けする、というコンセプトだ。
『レダン』は楽園という意味だが、兄さんの思い描く海の楽園はいわゆるグレートバリアリーフ的なサンゴ礁ではなく、夏の静かな浜辺らしい。打ち寄せる波、白い砂浜、遠くまで広がる海、そして高くそびえる入道雲。揺れる風は耳にささやき、陽光を受け水がキラキラと反射する。そんな切なさを含んだ空気感。それがこの曲の持つ魅力でもある。
その魅力を押し出すために、金管やパーカスがババーンと押し出されている『マーチ』とは違い、低音や木管にもかなりウェイトが割かれている。トランペットのソロも切ない夏をイメージして出すように要求されていた。秋子先輩の得意分野ではあるのだが、高坂先輩も最初のソロコンで『夏雲の唄』をやっている。どっちも十二分に吹きこなせるはずだ。
かといって、現役も負けていられない。先輩から何としてでもソロを奪い取れと、さやかさんは後輩のお尻を叩いているようだ。ソロに関しては当日までどうなるか分からない。誰にでもチャンスはあるので、経験を積ませるために毎回の演奏で違う奏者にやってもらっていた。少人数で回さないといけないユーフォは大変だが、これも経験と割り切ってもらうしかない。
「はい、そこまで」
演奏を途中で止める。
「まずユーフォ。針谷さんはまず深呼吸しましょう。全員の前で自分が目立つ状況は緊張すると思いますが、音自体はしっかり出せていますので安心してくださいね。久石さんに従って、引き続き安定感と表現性を鍛えてもらうように」
「は、はい」
全国大会の前、ユーフォの四人で久美子先輩がよく吹いていた曲を演奏していた。奏さん曰く、『響け! ユーフォニアム』というタイトルらしい。ユーフォニアムらしい素敵な曲だと思っていた。久美子先輩の専売特許かと思っていたけれど、奏さんや針谷さんにも受け継がれていくようだ。
人が変わり、時代も変わり、いずれ私たちの痕跡などほとんどなくなってしまうだろう。それでも繋いでいけるものはあるし、残り続けるものもある。これが、学校の吹奏楽というものなのかもしれない。ただ、そんな感傷に浸ってばかりもいられない。
「反面クラリネット。ソロは今回良い演奏だったと思います。夏の海の孕む熱気の中にある切なさ。それを上手く出せている。それを続けてください。ただし、他の方々。言わずとも分かりますね?」
カツン、と私の足先が床を叩く音が響いた。中でトラブルがあるのは重々承知している。ただ、それは演奏を適当にして良い理由にはならない。
「細部が欠けています。義井さん、Fの部分。最後の指示の意味はなんでしょう?」
「余韻を残すためです。陽炎みたいな、夏の持っている余韻を伝えるためにあります」
「その通りですね。では中田さん。今、どうでしたか? 何が不足していました?」
「音を切るのが早すぎるので、ぶつ切りになっていました」
「そうですね。理解しているのなら結構ですが、パート全体として集中力にやや欠けている印象を受けます」
梨々花さんからストップした方が……という視線が飛んでくるけれど、あえてそれを無視した。梨々花さんに憎まれ役は似合わない。もし必要なら、共通の敵として私を置いてそれを使って二人を強制的に呉越同舟させ、距離の復活を図る方法もある。
それに、演奏に妥協だけはしたくない。
「余韻を残すというのは難しい技法です。ですが北宇治のクラリネットならそれが出来ると信じていました。難しいようでしたら、ここは秀塔大さんに任せます。向こうの先代部長はクラリネット出身ですし」
原因となった該当者二名は多少バツの悪そうな顔をしているけれど、視線が交差するとお前のせいだと言わんばかりの態度だ。これには私も少しイラっとする。
「どこ見てるんですか? とにかく、これはパート全体でもう一度修正をしてください。全体にも言える話ですが、勢いで押し切れない曲にこそ演奏の真髄が出ます。最後の音が消える瞬間まで演奏。その意識を忘れないように。そして、受けた指摘は
「「「はい!」」」
返事はしっかりしている。ただ、それがちゃんと届いているかは分からない。
「まぁいいでしょう。次はパレードの方に行きます」
パレードの楽曲はこれまで北宇治がサンライズフェスティバルで使用してきた曲を中心に編成している。単純に練習時間を減らしたいという想いと、楽譜の在庫の問題との兼ね合いだ。現段階ではまだ座奏をさせている。楽器を吹きながらの行進はまだまだ時間がかかる。
今年も一回やっているとはいえ、我々は立華とは違い身体にマーチングの感覚が叩き込まれていない。その状態では事故を起こす危険性もあるため、座奏を叩き込んで完璧にしてから行進練習をしたかった。
「耳にタコかもしれませんが、座奏で出来ないことはマーチングでも出来ません。私たちは立華ではない以上、マーチングをするとどうしても普段の七割ほどの実力になってしまう可能性が高いです。である以上、ここで完璧にしておく必要があるのは自明ですよね? 練習はあくまでも悲観的に。では、行きましょう」
パレードの曲は一年生を中心に強化する必要がある。今年はカラーガード以外全員吹かせるという高坂先輩のスパルタ指導により最低限形になった状態からスタートした。あの時は大丈夫かと思ったけれど、このタイミングでかなり効果的に作用してくるのを見ると、複雑な気持ちになる。高坂先輩の計画は間違っていなかったのだ。そこは、流石兄さんの弟子と言うべきだろう。悔しいけれど。
思えば、北宇治改革最初の曲は海兵隊で、その次はライディーンだったそうだ。北宇治はマーチングというか、こういう行進曲に縁があるのかもしれない。
「はい、ではお疲れ様でした。本日は以上となります。自主練する方はいつも通りのことに気を付けて」
「「「お疲れ様でした」」」
練習が終わり解散となる。帰る人もいれば、残って自主練をする人もいる。幹部はまだ帰れない。
「はい、次はドラムメジャーさんですよ」
「ありがとうございます」
奏さんが差し出してきたのは幹部ノートだった。先代も先々代も、幹部は毎年これをやっていたらしい。ここに思ったこととか、書きたいことを書く。LINEでもいいような気がするけれど、しっかりここに書くことで感情とかを伝えられるのかもしれない。いわば、交換日記みたいなものだった。優子先輩と夏紀先輩がこれをやっていたと考えると、結構絵面は面白い。当人たちに言うと怒ると思うけれど。
「さっきのはちょっとやり過ぎでは?」
「私はそうは思いません。あれは警告のつもりです。個人の問題を全体の、演奏の場に持ち込むなと言う」
「呉越同舟を狙ったところで、そうはならないと思いますけど」
「……なんだ、ちゃんと理解してくれてるじゃないですか」
こういうところが敏いと思うし、こういうところが久美子先輩の信頼を勝ち得た部分なのかなと思う。或いは、私のことを理解しているのか。もしかしたら、私たちは鏡合わせの存在なのかもしれない。
「私としては困るんです、このままだと。演奏はまだしも、パレード練習でクラッシュなどされたら溜まったものじゃありません。無関係の第三者が傷ついてしまう可能性があります。物理的にも、心理的にも。それは絶対に許容できない。私は仲良くしろ、と言うほど博愛主義者ではないつもりです。ですが、最低限やるべきことはやって欲しいと思います」
「そこは理解しますけどね。共感も。ただ、梨々花としては……もう少しポジティブなアプローチをしたいんでしょう。そこは汲んでください」
「分かってます」
それくらいのことは言われなくても理解しているつもりだ。彼女は彼女のアプローチをして欲しい。私が厳しくするほど、彼女の穏やかさは光ると踏んでいた。
「どこまで、するつもりですか?」
「現状の状態が続くなら、ドラムメジャーとしては安全面の観点から両名のパレード出場は許可できません」
「そこを妥協はしないんですね?」
「はい。私はこの部の演奏を強化するとともに、安全に演奏を行わせる責任があります」
「分かりました。あとで梨々花にもそれは共有してくれると助かります」
「それはもちろん」
梨々花さんは優しい。もしかしたら反対するかもしれない。ただ、ここは妥協できなかった。準備に万全を期し、あらゆる対策をしてもクラッシュしてしまったり怪我をするリスク自体は存在する。それは仕方ない。ただ、人為的な手段で解決できる要因なら、それは放置するなど出来るはずも無かった。
それが私に与えられた、ドラムメジャーという職の持つ責務なのだろうから。
映画を!観に行ってない方!絶対に後悔しないので!今すぐ行きましょう!!
映画に脳を吹っ飛ばされたので、奏の出番が増えます。あと、奏世代三年生編は確実にやるのでお待ちあれ。アクアラークで終わりじゃないっすよぉ~!