クラリネットパートで燻っていた火種もあまり良い手段ではないとはいえ、強制的に解消された。これにて、北宇治高校吹奏楽部はやっと本調子を取り戻す。練習にも前向きに取り組めるようになった部員が多い。特にクラリネットパートでは一安心というところだろう。
あの二人は気まずそうに仲直りし、梨々花さんと奏さんを連れ立ってショッピングに行くそうだ。私はあの後二人からもう一度謝られた。ムッとしたものの、そんなに傷ついててはいなかったのだが、謝ってくれるというのなら受け取っておくことにした。一件落着、と考えていいだろう。梨々花さんが怒ると怖いという風説が流れて以来、部の空気も引き締まった気がする。
かくして問題は解決を見て、めでたく卒部会の日を迎えることが出来た。この日に諸々が間に合ったことが何よりの幸いだった。
「良い感じになったね」
「間に合ったぁ~」
黒板には大きな飾りとチョークアートが描かれている。端っこには誰かの描いた久美子先輩と高坂先輩の似顔絵。どうせなら全員分描いてあげればいいのに、と思いつつそのクオリティーは中々のものだった。
「これ、誰が?」
「ん? あぁ、佳穂ちゃん」
「なるほど……」
成美さんはコサージュを張りながら答える。そういえば、漫画部だったっけ。中学でやっていたことがこんなところで生きていた。
「針谷さん、どうせなら全員分行けますか?」
「やってみます」
そう言いながら真由先輩の絵を描き始めた。輪郭で何となく分かるので、特徴を上手く掴んでいるのだろう。雫さんもそうだけれど、絵を描ける人というのは物の輪郭とか特徴を掴んで描くのが上手い気がする。この技術はどこで手に入れるのか。絵心に関しては人並み程度しかない身としては素直に感嘆していた。
そうして準備を進め、音楽室は華やかに彩られた。先輩たちをこの思い出の音楽室から送り出すために、ここで過ごす最後の日を思いっきり輝かせるために、後輩である私たちは色々と考えて進めている。卒業おめでとう、と書かれた文字を見て胸が締め付けられた。もっとあの人たちと一緒に過ごしたかった。去年も胸に去来した感情が、今年はより一層強く訪れているような気がする。
「それでは、卒業生の入場でーす!」
司会進行は釜屋さんが引き受けてくれた。姉を送り出す立場でもあり、二年連続で司会を務めた加藤先輩の後輩でもある彼女にはぴったりの役だろう。大きな拍手を鳴らし、先輩たちを迎える。
先輩たちは笑いながら思い思いに手を振っている。高坂先輩の顔も、心なしかかなり柔らかかった。隣にいる奏さんは平然と手を叩いていた。それでも、どこか心が泣きそうなのを必死に我慢しているように見える。誰にも甘える事なく気を張り続けた数ヶ月。どこかで彼女の心が休まると良いのだけれど。そんな事を思いつつ、司会の釜屋さんと連動しながら諸々の進行を進めていく。
「では、オープニング、よろしくお願いします!」
「はい」
釜屋さんに促されて、私は壇上に登る。相方はフルートではなくバイオリン。曲目は「情熱大陸」だ。大体これを演奏するとこういう時は盛り上がってくれる。私がちゃんとバイオリンを演奏しているのを見るのは多分大半の人がはじめてのはず。おぉ、というどよめきの後、拍手喝采をしてくれた。
恒例のビンゴ大会があったり、出し物があったり、会は和やかに進んでいった。笑いあり、涙あり、どの先輩たちも楽しそうにしてくれている。ビンゴは高坂先輩が最後まで大外れを引いている。逆に秋子先輩が大当たりを引き当てていた。次点で瀧川先輩が引き当てている。沙里先輩も結構いい感じの景品を当てて喜んでくれている。
「次にスライドショーをお送りします!」
釜屋さんのアナウンスに従ってカーテンを閉め、プロジェクターを起動する。私の家から持ってきたノートパソコンは予定通りちゃんと動いてくれている。写真の多くは部の写真係だった秋子先輩と個人的に撮影が趣味の真由先輩からデータを貰っていた。真由先輩のカメラはデータに繋げられないが、そこは現像したモノをスキャンで取り込んで解決している。
音楽に合わせて流れてくるのは様々な思い出。先輩たちが一年生の頃の物から三年生になるまで。集合写真から個人写真まで、様々だ。パーカスの井上先輩と堺先輩がアイドルさながらに昇降口前のひな壇で歌っている写真、高久先輩が瀧川先輩にお姫様抱っこされている全国大会の写真、同じポーズを決めているホルン隊、向かい合わせで大胆不敵な笑顔を向け合っているトランペットコンビは確か真由先輩の撮影だ。三年をかけて築かれたライバル同士の姿は漫画の一コマみたいに見える。
幹部の三人で写ったもの、低音パート四人組、久美子先輩・川島先輩・加藤先輩・高坂先輩の四人で撮った写真もある。県まつり、花火大会、合宿、各種大会、普段の練習、文化祭の時。隙を逃さずシャッターチャンスに収めてくれた秋子先輩と真由先輩のおかげで思い出を振り返るのには困らない。兄さんと写ったものや先生たちとの一枚もあった。私たちフルートパートの写真も幾つか入っている。
どのパートにも思い出があって、どのパートにも物語があって、どんな部員でもここで過ごした記憶がある。後輩である私たちと一緒に撮っているものもあるからか、現役部員の中には涙ぐんでいる人もいた。真由先輩と私のツーショットもスライド作成者の権限として入れてある。全国大会の時に撮ってくれたやつだ。写真に写るのが好きじゃないと言っていた真由先輩が、初めて一緒に撮影することを了承してくれたもの。
BGMにしている音楽も佳境に入って来る。ここで今までには無かった演出を加えてみた。サビに入ると同時に、各パートの集合写真が流れていく。それは先輩たちが一年生だった時のものから、三年生の時のものまで、順番に。そして最後に全国大会の集合写真が三枚。これでスライドショーは終わり。最後の最後に用意した渾身の演出はちゃんと先輩たちに刺さっているみたいで、すすり泣く声があちらこちらから聞こえた。
電気を点けると、秋子先輩がハンカチで目を覆っている。その隣にいる高坂先輩の目元にも光るものがあった。真由先輩も思い出を感じてくれていたら嬉しい。たった一年でも、彼女は確かに私たちの大事な仲間だったのだから。
そして三年生から現役部員への演奏がある。今回の曲は福島弘和作曲の祝典序曲「未来への扉」だった。これからも未来へ向けて発展するよう願いを込め、作者の後輩のために作曲したというこの作品は、私たちへのエールであるように感じる。沖縄行きの演奏をしているためか、まったく衰えていないように思えるその音量音質に、私たちは気を引き締めないといけないと思わされた。
この三年間、先輩たちはどういう想いで過ごしてきたのだろう。最初はガタガタの部活と混乱する先輩に巻き込まれ、そして兄さんと先生による改革が始まって。最初の大会はどんな気持ちだったのだろう。私の知らない時間を、どういう気持ちで送って来たのだろう。それを完全に知ることはできないけれど、演奏の音から垣間見ることは出来た。
辛いことも、苦しいことも、悲しいことも沢山あったのだ。それでも楽しかった。先輩たちの顔にはそう書いてある。兄さんは毎回、大会後に聞いていた。楽しかったのか、と。その意味が何となく分かった気がする。多分、こういう顔を浮かべて欲しかったんだ。それこそがきっと、青春という時間を練習に捧げるように誘導した兄さんなりに、先輩たちに贈れるものだと思ったから。
「先輩たちが、卒業してしまうというのが今でも信じられません。もう一年ここで一緒に部活をやって、もう一回一緒に名古屋に行けるんじゃないか。そんな風に思ってしまう自分もいます」
梨々花さんが感極まった声で、ところどころつっかえながらも話している。
「それでも、先輩たちは前を向けと、今エールを送ってくださいました。きっとこれまで私たちの想像もできないような重圧や悩みを経験してきた先輩たちだからこそ、そう言って厳しくも優しく激励してくれているのだと思います。私たちはまだまだ頼りない存在かもしれませんが、ここにいる全員が同じ部にいて同じ空間で頑張る仲間として支え合って、助け合って、私たちなりの音楽を作りたいと思います。どうか、それを楽しみにしていてください。絶対に期待を裏切らないと約束します!」
梨々花さんの涙声ながらも力強い言葉に、大きな拍手が鳴り響いた。さっきから松本先生はもうティッシュを空っぽにするんじゃないかという勢いで泣いている。滝先生の目も潤んでいた。初めて三年間しっかりと見守り続けた学年の卒業の時に感じる想いは、私たちの想像できないものがある。
「私たちの決意を込めて、先輩方に曲を送ります。それでは聞いて下さい」
梨々花さんは一礼して席に着いた。私も相方を構える。本当は私が指揮をやってもよかったのだけど、今回の演奏曲の都合上フルートが欠かせないので私も奏者をしていた。指揮は滝先生にお願いしている。松本先生は絶対泣いていてダメそうだと思ったからだ。
演奏する曲は毎年恒例の自由曲。ただし、今年はそれだけじゃない。指揮棒が振られ、演奏が始まる。クラリネットの独奏を奏でるのは北山君。そしてフルートは大会と同様私が担当している。そこから一気にフォルテで奏されるトランペットのファンファーレとチューブラーベルの打ち鳴らし。再度穏やかな空気感の演奏に戻す。散々練習してきたあの曲。すべてが始まった春を先輩たちが思い出しているのだろう。
そして夏がやって来る。鮮烈なファンファーレが徐々に本来の楽譜に無いメロディーを奏で始める。え、という顔を先輩たちがした瞬間、爆裂するような特大のトランペットのファンファーレが鳴り響いた。先輩たちの目が大きく見開かれる。なにせ今のは、『一年の詩』の夏の章ではなく、『三日月の舞』の冒頭部分なのだから。
茫然としている先輩たちをよそに、演奏が続いていく。『三日月の舞』のフレーズが響き渡り、一部がカットされトランペットのソロが小日向さんによって奏でられる。かつての三年生と高坂先輩が競いあったそのフレーズは、今やその一件を体験していない後輩の手によって演奏されている。これが、高校吹奏楽部というものなのかもしれない。誰も知らなくても、誰も当時を知る人がいなくなっても、音だけは続いていく。「も」も「な」も「か」もいないのに、B編成がもなかと呼ばれているのと同じように。
演奏は夏の章に戻る。その後に来るのは秋の章だ。トランペットとユーフォ。四つのプライドがぶつかり合ったあの公開オーディションを、私たちはきっと生涯忘れない。積年の夢を叶えた秋子先輩、最後の最後に敗れ去るとも涙を流さず前を向いた高坂先輩、自分の理想を叶え高らかに胸を張った久美子先輩、そして高校最後のこの場所で救われた真由先輩。あの思い出を今は、奏さんとさやかさんが演奏している。
秋が終わるその瞬間、もう一度フレーズは本来の楽譜から逸脱する。そして梨々花さんと私の演奏が始まる。これは『リズと青い鳥』の第三楽章から第四楽章の短縮編曲バージョン。出会いと別れ、そして希望を持って歩き出す物語。今この場にこれ以上に相応しいものはあるだろうか。別れてもまた会えるというメッセージを全霊で押し出す。
そしてこの曲は、福岡で苦しんでいた真由先輩の心を動かした。彼女はこの曲を聴いて私たちの仲間になってくれた。希望に満ちたこの音色をもう一度彼女に届ける。真由先輩が息をのんで、そして静かに涙を流している。希美先輩もみぞれ先輩もいないけれど、私たちの演奏でも彼女の心を動かせた。それで十分だった。
曲は『一年の詩』の冬に戻り、最大限のフォルティシモが訪れる。そしてすべての楽器が渾然一体となった盛大なクライマックスが響き渡った。けれどもこれで終わりではない。冬が来れば次に春が芽吹くように、私が最後の独奏を奏でる。ここを競い合った沙里先輩が穏やかに泣きつつ笑っている。
曲が終わり数瞬の間もなく、万雷の喝采が響き渡る。誰もが泣いていた。誰もが喜んでいた。先輩たちの三年間の集大成とも言うべきこの特別編曲バージョンを思いついたのはつい二週間前。兄さんに編曲を頼んだら「時間が短すぎる」という怒りのメッセージと共に十五時間後に納品された。そこから急ピッチで仕上げて、今に至る。後で兄さんには色々言われるかもしれないけれど、この景色を見ればそれも何ら苦ではなかった。
そろそろ大盛り上がりだった会も終幕の時を迎える。残すのは最後の演目のみだ。
「先輩方、名残惜しいですが次が最後の演目となりました。その前に私たちの演奏はいかがだったでしょうか? 先輩たちの思い出を振り返るきっかけとなってくださったのならば幸いです」
私の下げた頭に多くの喝采が再度響く。部員のお尻を叩いて練習してもらったけど、何とかなってよかった。先輩たちにバレないようにするため、ウチの防音室に全員を無理やり詰め込んで練習した甲斐があった。おかげで希美先輩が面食らっていたので、その埋め合わせもしないといけない。
再度スクリーンを下ろす。この場にいたいであろうに、仕事があって抜け出せない可哀想な身内からのメッセージがあるのだ。映像が始まり、三年生はよく知っているであろう人物の声と顔が映し出される。
「北宇治高校吹奏楽部三年生の皆さん、ご卒業おめでとうございます」
兄さんからのメッセージに、音楽室が一気に沸き立つ。三年間寄り添い続けてくれた存在からの言葉と言うのは多分、先輩たちの中で特別な意味を持っているはずだ。
「皆さんと出会ったのは、桜の散る季節でした。二十三人の内、最初に出会ったのは高坂さん……と見せかけて実は黄前部長だったりするのですが、それも懐かしい記憶ですね」
久美子先輩は何やら思い出すことがあったのか、凄い顔になっている。
「皆さんは私が一番長い時間を過ごしてきた相手です。ある意味で同期より長いかもしれません。一人一人に伝えたいことは沢山ありますが、それは別の手段を用意しているので、そちらで。全体に向けて伝えることがあるとすれば、それは皆さんがとても大きく、立派に成長したということです。それは黒江さんを含めて全員、誰一人として例外はありません。あの全国大会の演奏を聴いて、私はそれを確信しました。こんなにも誰かの胸を打つ奏者になってくれた。皆さんは知らないかもしれませんが、次の演奏を行うべく準備をしていたライバル校も手を叩いていました。それが意味することは、よく分かるはずです」
兄さんの声も少し涙声だ。思い入れは沢山あるのだろう。一番目をかけて、一番気を配って、一番同じ時間を過ごした。だからこそその卒業の意味するところはとても大きい。納期一日で編曲をお願いされても引き受けてしまうくらいには。
「そんな皆さんと同じ空間を、同じ夢を、同じ理想を共有できたことは私の人生にとって最も誇るべき事です。これからの人生、皆さんが音楽とどう関わるかは分かりません。一生の仕事とする人もいれば、普通の人生を送っていく人もいるでしょう。ですが、どんな人生を送ろうとも音楽は変わらず皆さんの傍に居続けます。悩んだとき、苦しい時、あの時奏でたフレーズが心を救うこともあると私は信じています。私に出来るのは音を奏でることくらいですが、皆さんの人生にエールを送り続ける演奏をしていきます。あなたの人生に、良い音楽のあらんことを願い、私の言葉を終わります。伝えきれないメッセージは文面にしたので、まぁどこかで読んでください。恥ずかしいので感想は言わないでくださいね」
一年生の子たちが丁寧に封筒に入った便箋を渡していく。それは真由先輩を含めた全員分、しっかり用意されている。封筒には宛名が達筆な文字で書かれていた。
「それでは、最後にこの曲で皆さんの卒業を送ります。沖縄でお会いしましょう!」
兄さんの背後のステージには演奏スタンバイを済ませた人たちがいる。確か、大学時代からの仲間にお願いして演奏をしてもらっているのだそうだ。軽快なサウンドが鳴らされる。
「旅立つ空に 出会いと別れ 青春の日々 全てを描き いつか互いに大きな花を 綺麗な花を咲かせまた会おう」
先輩たちはもうなんだかよく分からないぐちゃぐちゃな顔になっている。卒業式の分の涙を奪ってしまったのかもしれない。でも、卒部会と言う意味では大成功だろう。私の口元がほころぶ。可愛げのない後輩であろう私だけれど、最後の最後に恩返しを出来たような気がしたから。
相変わらずの雪がちらつく中、北宇治高校の卒業式が行われた。『威風堂々』で入場を出迎える吹奏楽部は、体育館の端に座っている。紅白の幕が会場を覆い、後方には保護者の方々が静かに我が子の卒業を見送ろうとしていた。
先輩たちと同じ学び舎で過ごすのは今日が最後だ。この日を過ぎれば、もう学校に行こうと音楽室に行こうと、先輩に会うことはできない。空っぽになった幾つもの教室に彼らの残滓を感じながら、そこが新しい声で埋まる日を待つのだ。
『校歌斉唱』
フルートの席から立ち上がって、ピアノの前に座る。去年まで兄さんの指定席だったピアノの椅子は私に受け継がれている。ソロコンの伴奏も務めているし、私だって高坂先輩ほどではないにしろこれくらいは出来るのだ。今年はアンコンもソロコンも関西まで。それが少し不安材料ではあるけれど、それでも健闘してくれたことには間違いない。
「
澄みし碧空 天高く
千歳の山吹 咲き誇る
白亜の学び舎こそ 我らが母校
赤き血潮は 胸に満つ
あぁ 北宇治高等学校
宇治川照らす 夏の陽も
紅葉を濡らす 雨雪も
我らの希望は 砕けまじ
凛たりし
優美な心を 育まん
あぁ 北宇治高等学校」
校歌が歌われ、式はどんどん進んでいく。呼名の際には先輩が呼ばれる度に誰かの声が漏れ聞こえた。久美子先輩も、沙里先輩も、他の皆も立派に声を挙げて、胸を張って卒業証書を受け取っている。来年、丁度一年後には私もあそこに立つのだろう。あんな風に堂々と、あそこに立っていられるだろうか。涙をこらえて見送ってくれる後輩がいるのだろうか。
退場曲の演奏も終わり、式が終了する。その後は下校する先輩たちを見送る場がある。各部活はそれぞれに盛り上がっている。人数の多い吹奏楽部は昇降口前を使うことが出来た。粉雪が舞い散る中、あちらこちらから声がする。
秋子先輩が泣きながら松本先生に抱き着いている。松本先生も号泣していた。いつも通り、涙もろい。高坂先輩の周りにも人が集まっている。トランペットのメンバーは当然のことながら、武川さんなど一部の一年生も。厳しく、それこそ痛々しいほどに必死に鍛えようとしていたあの真剣さは、確かに響いていたのだろう。
道中に間違いがあろうとも、この結果にたどり着いたということは彼女の歩んだ道が最終的には間違っていなかったことを示しているのかもしれない。さもなくば、あんな風にはならないだろう。
月永君が川島先輩に深く一礼している。塚本先輩たちは滝先生に大きくお礼を言っていた。先生の目元にも涙が見える。釜屋さんは姉である釜屋先輩に抱き着いている。あなたは家に帰れば会えるじゃないの、というのは野暮なので言わないことにした。真由先輩や加藤先輩も低音の後輩に囲まれていた。
「そ、卒業、おめでとう、ございます!」
「「「おめでとうございます!」」」
鼻も目も赤くして、成美さんはしゃくり上げながら沙里先輩たちに向けて言った。かくいう私も泣きそうになっている。
「パートを頼んだよ」
「はいっ……!」
この一年、沙里先輩たちには厳しい一年だっただろう。ゴタゴタも多かったし、パート内がまとまっていたとしても学年や部全体はそうではなかった。希美先輩たちの後任と言う重い重圧。下から追い上げてくる後輩たち。それでも私が知っている限り、我がフルートパートには一切の問題も揉め事も無いまま終わった。これがどれほど偉大な事なのかは、他のパートが証明してくれる。
沙里先輩が明るくまとめ、芽衣子先輩が時折それを補佐し、蕾美先輩がほんわかと場の空気を和ませてくれる。三人だからこそ作り上げられた空気感だった。それを来年も続けて行かないといけない。厳しすぎる私の存在を成美さんやつみきさんが中和してくれるだろう。香奈さんも後輩から慕われているし、きっと上手く行くはずだ。
「先輩方、ありがとうございました。私がこの一年を過ごせたのは、先輩方が私の帰る場所を作って、守り続けてくれたからです」
高坂先輩と大揉めした時も、どんな時でも、先輩たちは私の帰る場所を守り続けてくれた。他の先輩方から何か言われることも無く自分を貫くことが出来たのは、三人が守り続けてくれたからだと私はよく知っている。
「沙里先輩が私の正義を貫けばいいと仰ってくださったから、私はこういうあり方を貫けました。面倒な後輩だったと思います。本当に……何とお礼を言っていいのか分かりません」
「誰にでも、裏切れないものはあるから。涼音ちゃんにとって裏切れないのが自分の信じる正しさなら、それを貫けばいいんだよ。結果的にそれがどうなるのかは分からない。でも、行動しないといけないと思ったその気持ちだけは絶対に間違いじゃないはずなんだから」
「先輩……」
「眩しいくらいに真っ直ぐで、こういう子から見た私たちはどういう風に見えているんだろうって、ずっと思ってた。希美先輩たちの姿を知ってるからこそ余計に。でもよかったぁ、ちゃんと先輩出来てたんだね。そんなに泣いてくれてるんだから」
その言葉に、思わず手を顔に当てる。流れ落ちていた水滴が掌を濡らした。私は自分でも気づかないうちに泣いていた。
「最後に写真、撮っておこう? ほら、みんな並んで」
「撮ろうか?」
「真由ちゃん、ありがとう!」
沙里先輩に促されて、涙顔を拭って私たちは先輩の横に並ぶ。
「はい、チーズ」
フラッシュが光る。多分、後輩組は何とも情けない顔で写っていることだろう。なんなら先輩たちの方が綺麗な顔かもしれない。兄さんの部屋に貼ってあった写真を思い出す。あの中にいた赤い目の高坂先輩も、きっとこんな気持ちだったのだろう。
「涼音ちゃん」
「は、はい」
ハンカチで瞼を拭って私は顔をあげた。真由先輩が優しい顔で微笑んでいる。
「ありがとう」
「え」
「全国大会の時にも言ったけど、改めて言わせてね。私は、ここに来てよかった。北宇治高校に来て、良かったよ。涼音ちゃんやつばめちゃんがずっと傍にいてくれて、私は心強かった。あなたと一緒に演奏したいって言ってくれて、嬉しかった」
久美子先輩と同じユーフォの転校生の先輩。最初はどういう気持ちで彼女と関わろうと思ったのだっけ。確か、あのリズと青い鳥を聞いてきてくれたのだから、その期待に応えたい、北宇治を良い場所と思って欲しい。そんな想いだった気がする。
かつて自分に手を差し伸べてくれた希美先輩のように、背中を押してくれた純一さんのように、初心者や一年生に気を配り続けた優子先輩や兄さんのように。そんな風になりたくて、私は真由先輩に寄り添い続けた。きっとこれが恩返しなのだろうと信じて。それは結局希美先輩みたいに純粋無垢な想いではなかったのかもしれない。
それでも、真由先輩の人柄とか存在とか、そういう物を好ましく思っていたのは嘘じゃない。何度も話して、一緒に行動して、演奏して、そうして本心から一緒に大会に出たいと思った。彼女が苦しみながら出るのなら、意味はないと思えた。自分のせいで音楽を辞めた友達の存在に苦しんでいた真由先輩に、私の言葉は救いになれたのだろうか。彼女の人生に私は意味のある存在だったのなら嬉しい。
真由先輩は私に向かって、大きく両手を広げた。それの意味するところを私はよく知っていた。南中伝統(?)の大好きのハグ。それはもう北宇治の伝統になりつつある。そういえば、今までやったことなかったかもしれない。最初の相手が真由先輩なら、それはむしろ誇らしいことだ。155㎝の真由先輩はハグすると私より小さい。
「私の、友達になってくれますか?」
私とハグしながら、真由先輩は小さい声でそう尋ねた。先輩と後輩という年齢差はあるけれど、卒業してしまえばそれはもう関係ないのかもしれない。兄さんと滝先生もそんな感じだし、そもそも兄さんには年上の友達が大勢いる。
「はい、もちろんです」
「忘れたり、しないでくれると嬉しいな」
「大丈夫です。私は記憶力は良い方ですし、なにより友情には厚い方だと自負していますから」
友達の数は決して多くない。両手の指で足りてしまうかもしれない。だからこそ、その少ない人たちを大切にしたかった。
「良かった……」
彼女の涙を私の胸が受け止めている。私は優しい人間じゃないし、穏やかな人間でもないだろう。それでも、私のしたことに意味はあった。来年も、誰か一人にでも届くモノがあればいいと思う。
遠くから、メロディーが流れてくる。まろやかで、穏やかで、優しく潤んだ音。これは久美子先輩のユーフォだ。それに少し遅れて、同じくユーフォのサウンドが聞こえてくる。これは多分、奏さんのものだろう。
別れを惜しみ合う私たちの頭上より、その音色は降り注いでいた。奏さんは久美子先輩の前で泣くことが出来たのだろう。ずっと気を張り詰めていたであろう彼女の想いも、少しは報われたのかもしれない。
誰もが上を見上げる。二人の紡ぐメロディーが私たちの心を温かくするのだ。まさに、『響け! ユーフォニアム』の名に相応しく。
記念すべき200話目をこの話で迎えられたのは、とても感慨深いものがあります。これまで応援してくださった方々、本当にありがとうございます。これからもどうぞ、よろしくお願いします。
それとはまったく話題が変わるんですが、私の認識している自作の三大人気要素は
・秀塔大編
・秋子大勝利とそれに繋がる話
・麗奈の師弟関係
であります。他に何かあれば是非是非教えてくださると嬉しいですね。こんな長い話を読んでくださった方々なので、そんな方々に響くシーンが一個くらいあってくれると良いなぁと思っています!