2011年3月11日。ゴジラが東京を襲った。ゴジラの姿を見た少年は、ゴジラに取りつかれる。
 10年後、ゴジラを愛し、ゴジラを称える小説を書き続ける少年に、一人の少女が、一冊の奇妙な本を手渡した。

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第1話

 春の陽光を浴びながら、木の枝の上で鳥が一匹鳴いていた。鳥の種類は僕にはわからない。砂場では子供が二人遊んでいて、ちょっと離れたところでは親らしき人たちがおしゃべりをしている。どこにでもありそうな公園の風景をぼう、と眺めながら、僕はベンチに一人座っていた。朝、ここに来る途中で買って、もう飲み干してしまったお茶の空き缶を片手に持ちながら、座っていた。ゴミ箱はちょっと歩けばすぐそこにあるが、缶を捨てるためだけに歩いていく気になれなかった。

「おはよう。エイジ」

 聞き覚えのある声がした。

 いつの間にか、隣に、見慣れた顔の少女が、座っていた。制服を着て、スカートから出た綺麗な足を組みながら、僕に向かって微笑んでいる。

「ミキ……」

 僕は、彼女がここにいることに、驚いた。

「学校、どうしたの?」

「それはこっちのセリフだよ、エイジ。もうとっくに授業始まっているのに、どうしてここにいるの?」

 僕は、黙った。

「エイジのいない学校なんで、つまんないからさ。1時間目終わったら、学校、出てきちゃった。エイジがさぼるならこの公園だろうなって思っていたたけど、当たりだったね」

「その……なんか、ごめん」

 僕のせいで、学校をずる休みしたと知ると、申し訳ない気持ちがわいてくるのを抑えられなかった。彼女を見ることが出来ず、うつむいた。

「いいよ。私が勝手にやったことだもの。で、なんでさぼったのかな今日? ……やっぱり、昨日、あんなことがあったから?」

 地面に目を向けながら、僕は黙って頷いた。

 すると、僕の頬に、何か温かいものが触れた。

「ちょ……」

「あは。ごめん」

 僕の頬に触れたのは、ミキの指だった。女の子にそんなところを触られたのは初めてだから、僕は動揺した。

「やー、まだ結構腫れているねー。ハルオ君勢い良く殴ったんだなー」

 ハルオ。

 ミキの口から出た名前は、僕と彼女と同じクラスにいる、少年の名前だ。

 お前、ゴジラの味方かよ!

 昨日の授業中、ハルオはそう叫んで、僕を殴った。

「ひどいよねえ。言論に対して暴力で対応するなんて、文明国の人間のすることじゃないよ。なのに先生でさえ、人を不快にさせることを言っちゃダメだって、エイジ君が悪いみたいな説教したのだから、理不尽な話だよねえ」

「……いや、正しいよ。だってあんなことをいったら、ハルオが傷つくのは、当たり前だから、さ」

「私はそうは思わないなあ」

 ミキは、優しく僕の頬に触れていた指を離した。

「いくら自分の両親がゴジラに殺されたからってさ、それは自分と意見が違う他人に暴力を振るっていい理由になんかならないよ」

「……」

「実際さ。今ここにエイジがいるのは、ハルオ君みたいな人たちに嫌気がさしたから、あんな人たちがいるがクラスなんかに足を踏み入れたくないからじゃないのかな? 下らないでしょ、あの人たち」

「……それは、違う」

 僕は、ちょっと考えてから言った。 

「僕は……あんなことを言ってしまった僕が、多分嫌なんだ」

「へええ?」

 ミキは、ベンチから立ち上がって、僕の正面に来て、顔を覗き込んだ。

「君は、ゴジラを擁護してしまうような君自身のことが、嫌なんだ?」

 澄んだ瞳が、僕を見つめる。

 この瞳に見つめられたら、本当のことしか、僕は口に出来なかった。

「うん。……そう思う。だって、絶対頭がおかしいよ、僕は。何万人もの人の命を奪ったゴジラのことが好きだなんて、頭がおかしいよ」

 あはははは!

 ミキは、笑い出した。

「あは! ねえエイジ、頭がおかしい人っていうのはね、自分の頭がおかしいだなんて絶対思わないよ! 頭がおかしいのは、ハルオ君や先生や、エイジ以外のみんなだよ! だってあの人たち、自分の正しさを疑わないもん!」

「そう……かな」

「そうだよ!」

「でも、ゴジラを憎むのは、疑う余地のないくらい、正しいことなんじゃ、ないのかな」

「疑う余地のない正しいことなんて、世の中には一個もないよ!」

 ……ミキは、いつも、他の人が言いそうにないことを、言う。

 先生とか、テレビに出ているような偉い人が、絶対に言わないであろうことを、言ってくれる。

 それがきっと、僕が彼女を魅力的だと感じる、最大の理由なんだろうと思う。

 そりゃ、可愛いってことも、魅力の一つではあるだろうけれど……。

「本当にエイジ君は真面目だねえ。初めて会った時から全然変わらないよ」

 君もね。

 と、僕は内心呟いた。

 初めて、彼女と出会った時のことを、僕は思い出していた。

 

 それは、僕が高校に入学してすぐの頃。つまり、今僕が住むこの街に家族と共に引っ越してきてからすぐのころだ。

 出会った場所は、日曜日の図書館だった。その日、図書館に来た僕は、前に住んでいた町の図書館でそうしていたように、「ゴジラ」という言葉がタイトルに入っている本を見つけ次第手にとっては読んでいた。

「ゴジラ その生命の謎」

「ゴジラ被災日記」

「ゴジラによる東京壊滅 生存者たちの証言」

「自衛隊中央病院編 ゴジラによる放射能被爆の詳細報告」

 読書中に、声を掛けられた。

「ゴジラに興味があるの?」

 声の主が、ミキだった。

 綺麗だ。

 それが、彼女を見た時の、僕の第一印象だった。僕は元来がコミュ障だったから、当然同年代の女子と会話することなんて慣れていない。最初いきなり話しかけられて動揺したけれど、彼女のフレンドリーな雰囲気のおかげで、なんとか話すことが出来た。

 少し話して、彼女がミキという名前であること、僕と同じ高校に通う、僕と同じ新入生であること、そして彼女もまた、ゴジラに興味があることを知った。

 僕は、嬉しかった。

 自分と同じ事柄に興味がある女の子に出会って、嬉しくならない男子は、多分いないと思う。可愛い女の子ならなおさらだ。

 その日は、生まれて初めて、女の子とLineを交換した。

 翌日の月曜日に、学校で僕たちはまた出会った。僕たちはクラスは違ったが、その後もよく学校で、休日には学校以外で、よく一緒に話すようになった。よく一緒に行く場所は図書館や、公園だった。

 きっと、僕が今の高校に入学して一番早く親しくなった人は、彼女だと思う。

 出会って一ヶ月ぐらいたってからのある日曜日に、僕は、彼女が普通の人とは違った捉え方で、ゴジラを見ていることを知った。

 その日、僕たちはファーストフード店に入って、一緒にお昼ご飯を食べていた。

 隣町の大型書店まで出かけた帰りだった。その書店に行ったのは、ゴジラについての本を探すためだ。

 その日は朝から、テレビでもゴジラの話題一色だった。

 その日は、ゴジラが日本に上陸して、当時首都だった東京を蹂躙した日だったからだ。

 テレビは、当時のゴジラによる被害を伝えるニュース映像を流し、ゴジラが破壊した旧首都国会議事堂の跡地で行われる被災者追悼式典の様子や、そこで演説する総理大臣の姿を映し出していた。

「我々は、かつて我が国の首都であったこの東京を破壊し、数えきれない命を奪ったあの悪魔を、決して忘れません」

 悪魔。

 総理大臣は、ゴジラを悪魔と呼んだ。

 ハンバーガーを食べながら、僕はそのことを思い出していた。

「総理大臣が、ゴジラを悪魔って呼んでいたね」

 向かい側に座るミキが、突然口を開いた。

「うん」

 口の中のものを飲み込んでから、答えた。

「エイジはさ、ゴジラを悪魔だと思う?」

「……」

 質問の意味がよくわからず、戸惑った。

 ただ、どう答えるべきかは、分かっていた。

「悪魔だと、思うよ」

「嘘ついたでしょ。今」

「……どうして、そう思う?」

「だって、エイジは、ゴジラのこと、憎んでいないもの。それどころか、好きでしょ。話していたらわかる」

 ……自分が、隠しているつもりだったことを彼女に指摘されて、僕は驚いた。

 特に、それは、ミキに対しては、絶対に悟られないようにと、気を付けていたつもりだ。

 当然、ミキだって、ゴジラを悪しきものだと考えていると、僕は思っていた。もしかしたら、あの日ゴジラに親しい人を殺された人たちの一人である可能性だってあるはずだと考えていた。自分のゴジラに対する気持ちを知られて、彼女に嫌われてしまうことが怖かった。

 なのに今、彼女は僕の秘められた気持ちを見抜いてたことを、僕は知ってしまった。

 正直、怖くなった。

 今にも彼女が、僕を批判して、この席を立って去っていくのではないかと怖くなった。

「そもそもさ」

 ミキは、フライドポテトを一つ、指に挟みながら、言った。

「人間って、自分が嫌いなもの、怖がっているものについて、知ろうって気持ちに、あんまりなれないんだよ」

「……そうなの?」

 意外だった。

 てっきり僕は、彼女がゴジラについて興味を持っているのは、ゴジラを恐怖るゆえであるのだろうと、勝手に決めつけていた。

 だって、昔の偉い人も言っていたっていうじゃないか。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」って。

 ポテトを口に入れて、ゆっくりと噛んで飲み込んでから、ミキは返事をした。

「そうだよ」

「でも昔……確か孫子っていう人が」

「あれはねえ、そういうことから普通人間は逃げちゃうから、あえていったんだよ。みんなが普通に自分たちが敵と呼ぶものに興味を持ってちゃんと調べてくれるなら、わざわざ警告を言う必要なんかないんだよ。だから図書館や本屋でゴジラの本をいつも探し求めるほどにゴジラのことが頭から離れないエイジは、ゴジラ大好きっ子なのは間違いない」

「でもじゃあ……君は……」

 君も、ゴジラが好きなの?

 そんな言葉を、言いたかったけど、思わず飲み込んだ。

 だってそれは、今の世界では、「言ってはいけない言葉」だからだ。

 多くの命を奪ったゴジラは、みんなから憎まれる破壊の化身で悪の権化。

 ゴジラはみんなの嫌われ者。

 ゴジラが好きだなんて狂っている。

 そう僕は、大人から言われてきた。同年代からも言われてきた。

 最初その気持ちを口にした時、父さんは僕を殴ろうとして、思いとどまって僕を精神科に連れて行った。その後は、人前では「治った」ふりをしてきたつもりだ。

「ゴジラが好きなの?て聞きたいんでしょ」

 僕は、無言で頷いた。

「答えはイエスかな。ゴジラに対してはずっと興味があるから、きっと好きなんだと思う。でも私の気持ちだって、エイジには負けるよ」

「……どうして?」

「きっとエイジは、ゴジラを好きどころか、愛しているから。もしもゴジラが死んでいく姿を見たら、きっと君は泣くと思う。ゴジラが立ったまま骨になっていく姿を目にしたら、きっと君は泣くよ」

 心臓が、止まってしまいそうな、衝撃を受けた。

「何……それ……?」

「あは、そういう小説があるんだよ。興味ある?」

「な、ない」

 早口で、僕は言った。

 ジュースのストローに口をつけて、飲もうとするが、むせてしまった。

 くすくすくす。

 そんな僕を見ながら、ミキは笑った。

「ねえエイジ。恥ずかしがることなんてないんだよ? 君のゴジラへの愛は」

「……」

「だって、ゴジラを悪魔だっていう人は、人間しか見えていないだけなんだから」

 人間しか、見えていない……?

 言っていることが、よくわからなかった。

「ねえエイジ。さっきハンバーガー食べていたよね」

「うん……」

「ハンバーグの材料って何か、知っている?」

「え……肉、とか?」

「うん。肉も入っているよね。で肉って、動物の死体だよね。エイジはさっき、動物を食べたんだよ」

「う、うん……」

 ハンバーガーを食べた後に、そんなことを言われたのは、はじめてだった。

「その動物ってのはつまり家畜でさ。エイジのような人間が食べるために育てられた家畜の死体なんだよ。人間は生きるために、日々大量の家畜を育てて、そして殺しているんだ。誰かが命あるものを殺してくれたから、エイジはさっき美味しいハンバーガーを食べることが出来たわけってわけ」

「……」

 なんというか、自分が罪深いことをしたような気分になってしまった。

「でさ、多分人間が日常的に殺している生き物の数は、あの日ゴジラが殺した人間の数よりも、ずっとずっと多いと思うのだよね」

「……」

 話の流れが、見え始めた。

「それだけじゃなく、人間は何百年も前から、色んな生き物を絶滅させてきたんだよ。乱獲や環境破壊をすることによってね。人間の文明が地球に生まれてから、絶滅する生き物の数はぐっと増えた。今じゃ年間百万を超える種が、人類のせいで滅んでいるって話だよ。こんなことをしている人間が、ゴジラを悪く言う資格なんてあると思う? 私には、あるとは思えないな。ゴジラが悪魔だったら、人間はみんな悪魔だよ」

「でも……ゴジラが殺したのは、人間だ」

「君は、人間の命は他の生き物の命よりも大事だって思っているの?」

「……うん」

「どうして?」

「それは……」

 僕は、沈黙することしか、出来なかった。

「言えないでしょう? それで正しいのだよ。人間の命が他の生物よりも大事だなんて主張には、なんの論理的根拠もない。なのに普段自分たちのせいで死んでいる命には何の関心も寄せずに、ゴジラを悪だと呼ぶ人たちは、間違っていると私は思うな。あの人たちは結局、人間の命しか命として認識できない、頭の悪い人たちなんだよ。人間しか見えていないっていうのは、そういいう意味」

「……」

「だって、ゴジラがやったことって、何? ただちょっと東京の街を歩いて、ビルをいくつか壊したり熱戦を地上に放射したりしてだけじゃん。確かに壊れたビルの下敷きになって死んだ人は沢山いた。熱戦で焼かれて死んだ人も沢山いたけどさ。可愛いものだよ。少なくとも私は、人間よりはよほど罪がないと思うな」

「でも、僕は……」

「僕は?」

「いや……何でもない」

 僕は黙って、ジュースを飲み干した。

 その時から、僕は彼女に恋をし始めた。

 自分を理解してくれた、唯一の女性に対して、恋をするなという方が、きっと難しい。

 

3

 彼女と初めて出会った時のことを思い出しながら、僕はベンチに座って彼女を見つめていた。

 笑い終えた彼女は、また、ベンチの僕の隣に腰を下ろした。

「ねえ、エイジ。君、ゴジラが出てくる小説を、書いているでしょ?」

 唐突に、彼女は言った。

 僕に、驚きはなかった。

 ずっと前から、きっと気づかれているのだと、知っていたから。

 骨になって死んでいくゴジラの姿は、僕が小説として描いた光景だ。あの日、ミキから言葉に出して言われた時から、きっとわかっていて彼女は言ったのだと、気づいていた。

 彼女が言ったとおり、ゴジラが死ぬ姿を文章で表現しながら、僕は泣いていた。

 泣いてしまうぐらい、ゴジラが死ぬ姿が、例え文章の上だけでも、悲しくて仕方がなかった。

 あの時は、自分がとことん異常者なのだと実感したものだ。

「いつから?」

「出会ってすぐの頃かな。あの小説を書いているのはきっとこの人だって、話していたらすぐにわかった」

 小学校六年生の頃から、僕は、インターネット上の小説投稿サイトに、ゴジラが出てくる小説を投稿し始めた。シリーズで、何作も投稿した。

 その小説たちの中で、ゴジラは悪魔でも、人類の敵でもなく、正義のヒーローだった。どうしても、そういう存在として、僕はゴジラを描きたかった。

 小説のゴジラは、地球を侵略しようとする宇宙人が操る、ゴジラと同じような巨大な生物たちと戦う。

 僕は、ゴジラの敵を、想像した。

 三つの長い首と、巨大な二つの翼を持ち、金色に輝く体皮を持つキングギドラ。

 プテラノドンが巨大化した、一度上空を飛ぶだけで都市を吹き飛ばすラドン。

 とげとげした針をたくさん背につけた四つ足のアンギラス

 カブトムシに似たメガロ。

 両腕に鎌が生えたガイガン。

 巨大な海蛇マンダ。

 宇宙生物がヘドロを吸収して誕生した公害怪獣ヘドラ。

 バラの花が突然変異して生まれたビオランテ。

 ゴジラを模して宇宙人が作り上げたロボット、メカゴジラ。

 宇宙人たちがゴジラを倒すために合体して変異したオルガ。

 敵だけでなく、僕はゴジラの味方となる巨大生物も想像した。南洋の島の守護神である、巨大な蛾モスラだ。モスラは小美人と呼ばれる、人の掌に乗るぐらい小さな双子の美少女の祈りを聞き届けて現れて、ゴジラとともに地球のために、人類のために戦うのだ。

 さらに僕は、ゴジラの子どものミニラというキャラクターまで登場させた。一度ゴジラは作中で死に、ミニラが新たなゴジラに成長して活躍するという展開を書いた。

 正義のヒーローとして戦うゴジラは、当然作中の人類の人気者だ。みんなはゴジラを称え、ゴジラに感謝する。

 僕の書いた小説たちには、投稿サイトで、常に非難のコメントが寄せられていた。

「ゴジラがどれだけ多くの人の命を奪ったと思っているのですか? 被害者への冒涜です」

「読んでいて不快になりました。こんなものを書ける神経が理解できない」

「ゴジラはなあ、人類の敵なんだよ!お前人間やめろ!」

「私は、娘をゴジラに殺されました。あの悪魔をこんな風に扱う人がいるなんて、怒りと悲しみで体が震えます」

 それでも僕は、書いて投稿するのを、やめることが出来なかった。

 自分でも、抑えることが出来ない衝動に支配されて、僕は投稿を続けた。

 リアルな世界では、絶対に表に出せないゴジラへの愛を、そうやって表現し続けたのかもしれない。

 昨日までは。

「エイジは、すごいよ。あんなに長い間、小説をずっと書き続けるなんて、なかなかにできることじゃないよ。それにすごく面白い」

「でも、もうない」

 昨日のことだ。

 学校から帰ってから、PCを開いた僕は、自分が投稿したすべてのゴジラの小説が、運営の手で削除されているのを知った。

 削除理由は、「ゴジラ被害者に対する差別・侮辱表現があったため」というものだった。

 驚きはなかった。

 今、この国のあらゆる場所で、ゴジラに関する表現は、「ゴジラによる被害者の心が傷つくから」という理由で、どんどん追放されているからだ。

 例えば、ゴジラを描いた絵画や彫刻が、ゴジラが出現してからの数年間、世界中の芸術家によって製作されたが、今それらはクレームを受けて全ての美術館から撤去されている。「公共の場所に、ゴジラの姿があることは相応しくない。美術館に入った被害者が、予期せずに目にしてしまって心が傷ついたら責任が取れるのか」というクレームを受けたから。

 また、今年になってからこんな事件があった。韓国の人気男性アイドルグループが、ゴジラの写真が印刷されたTシャツを着て路上を歩いているMVを世間に発表して、大炎上したのだ。特に日本で、激しい批判にさらされた。彼らはたまたまあったTシャツを着ただけだと弁明したが、日本の世論は許さなかった。彼らは日本のある有名音楽番組に出演する予定だったのだが、炎上を重く見たテレビ局は、放送直前になって彼らの出演をキャンセルした。全国の店から、彼らのCDは撤去され、彼らの音楽全てが配信を停止された。

 ゴジラだけでなく、似た表現にも、火の粉は飛ぶようになっていた。日本赤十字が献血を呼び掛けるポスターに、ある架空のキャラクターを起用した。ティラノサウルスをモチーフにしたゆるキャラだった。しかしそのビジュアルが、ゴジラのそれに似ていると、有名な女性弁護士がSNS上でやり玉に挙げた。「献血をしに来た人に対して、ゴジラに似たおぞましいイラストを見せるなんて、日赤の人権感覚はどうなっているのですか!? これは環境型パワーハラスメントです!」と彼女は吠えた。多くの人がそれに同調し、日赤に抗議した。日赤は、ポスターを回収せざるを得なくなった。

 今の話にも関係するが、全国の恐竜博物館では、少しでもゴジラに似ていると見なされた恐竜の化石の展示が、取りやめになっている。「子どもがゴジラに似た姿の骨を見て、トラウマを持ってしまったら責任が取れるのか!」という批判の結果だ。

 今や、ゴジラはこの社会のタブーになりつつある。既に、ニュース映像でゴジラの姿を見せられるのが苦痛だという苦情も、テレビ局に寄せられているそうだ。国会では「ゴジラについての表現規制」を主張する議員が、与野党ともにぽつぽつ出始めたという。

 そんな社会情勢の下では、ゴジラをヒーローとして描いた小説が削除されるのは、当然のことだった。

 だから驚きはなかった。

 でも悲しかった。

 自分の子どもといっていい小説が、なんの予告もなく、この世から消えたことが、悲しかった。

 昨日は、その前にも嫌なことがあった。学校で、先生がゴジラの悪口を言ったのだ。

 授業中の雑談だった。歴史の授業中に、今から10年前に起きたゴジラの東京襲撃事件の話をしているところで、先生は語り始めた。

「ゴジラが現れてから、もうすぐ10年になるな。ゴジラが現れた時、みんなはまだ小さかったから、よく覚えていないかもしれないな」

「先生はな、当時の恐怖を、よく覚えているぞ。テレビでその存在を知って、自分の目が信じられなかったんだ。それまでは、あんな巨大で、口から熱戦を吐くような生物がいるなんて、誰も想像すらしていなかったんだ」

「ゴジラが東京の街を壊していくのをテレビで見て、この世の終わりかと思ったよ。ゴジラを自衛隊と米軍がやっつけた時には、本当に彼らに感謝した」

「でもみんな、忘れてはいけないぞ。あのゴジラが、最後の一匹だとは限らないってことをな! ゴジラの生態は全く分かってないから、あの化け物の仲間がまた現れるかもしれないんだ! その時に備えて、みんなは立派な大人になって、ゴジラがまた現れた時に負けないよう、強い日本を支えられるようにならなきゃいけないんだ! あの悪魔によって理不尽に命を奪われた無数の人たちの無念を、決して忘れちゃいけない! ゴジラへの憎しみを、決して忘れちゃいけない!」

 僕は、思わず立ち上がった。

「そこまで、ゴジラを悪く言わなくても、いいじゃないですか。ゴジラだって、地球に生きていた仲間なんです。たかだか東京一個を駄目にされたからって、憎むなんて間違っていると思います」

 気づけば、僕は、そんなことをしゃべっていた。何が起こるかも考えずに。先生はぽかんとして僕を見つめた。

 そして、両親をゴジラに殺されたハルオが、僕に殴りかかってきたというわけだ。

 

「残念だったね。小説、消えちゃって」

「……うん」

「ねえ、もう君は、世の中の人間すべてのことが、嫌いになっちゃったんじゃないのかな」

「……かもね」

 少なくとも今日、家を出た僕が、学校のみんなはもちろん、ミキ以外の誰とも会いたくないと思って、公園に来たことは事実だ。

「僕はさ、普通になりたいよ。みんなと同じように、ゴジラを憎みたいよ。ミキがいつか言ってくれたことが正しいのか、みんなが正しいのか、そんなことは僕にはわからない。でも僕は、たとえ間違っていたとしても、みんなと同じになりたいよ」

「どうしてみんなと同じになりたいのかな?」

「みんなと違うのは、寂しいから」

「でも君は、そうはなれない」

「……」

「なぜなら、みんなと同じになってしまえば、君は君自身ではなくなってしまうから。それはきっと、ただ寂しいこと以上に、辛くて悲しいことだよ」

「……どうすればよいのかな。僕は」

「どうもできないだろうね。今の世界の多数派は、エイジとは断絶が深すぎる。生きている限り、エイジは常にそのことに苦しみ続ける。ここではない別の世界なら、エイジは幸せになれるかもしれないけれど」

「別の世界?」

 ミキは、彼女自身の鞄から、分厚い本を取り出した。

「今日、学校でエイジに渡してあげたかった本だよ」

 そういって、ミキからその本を、僕は受け取った。その本のタイトルは「日本特撮の歴史」と書かれていた。

 そして、表紙には、ゴジラの白黒写真が掲載されていた。国会議事堂を破壊するゴジラの写真だ。

 僕は困惑した。ミキが僕に読ませたがる本なら、ゴジラについての本であることは当たり前だ。でもなんでこの本のタイトルは「日本特撮の歴史」なのだろう。「特撮」といえば広義には映像表現の一技法であり、狭義には日曜の朝に放送されている仮面ライダーやスーパー戦隊のような番組の呼称のはずだ。何故特撮を題材にした本が、実在した巨大生物であるゴジラの写真を表紙に掲載するのだろうか? 何の関係もないはずなのに。

「その本のさ、12ページを読んでくれないかな」

 ミキに言われたとおりに、僕は本を開いた。12ページの始まりにはこんな文章があった。

 ……日本における「特撮」という文化の発展において、大きなターニングポイントとなったのが1954年に公開された映画「ゴジラ」(監督本多猪四郎 特技監督円谷英二)であることは、明らかであろう。核実験によって古代から復活した巨大怪獣ゴジラが東京を壊滅するという本作は、当時の日本人から熱狂的に受けいれられ、大ヒットとなった。着ぐるみを着た俳優がミニチュアの大都市の中で暴れるという「巨大怪獣特撮」という映像ジャンルは、この映画によって確立されたといっても過言ではない。本書の表紙にも掲載されている、国会議事堂をゴジラが破壊する本作のシーンは、当時スクリーンを見ていた観客がその瞬間拍手喝采したという「伝説」で知られている。「ゴジラ」の大ヒットに味を占めた映画会社東宝はその後、「空の第怪獣ラドン」「モスラ」といった同様の怪獣映画や、ゴジラが他の怪獣たちと戦う「ゴジラシリーズ」と呼ばれる作品群を制作した。三つの首を持つ宇宙怪獣キングギドラなど、ユニークな敵怪獣がスクリーンを彩り、特に子どもから熱烈な支持を受けた。子ども人気を維持するために、当初は人類の敵にして恐ろしい破壊神であったはずのゴジラが、徐々にコミカルな側面を見せる正義のヒーローになっていくなど迷走もした。とはいえそんな中でも、公害から発生した怪獣ヘドラとゴジラが戦う「ゴジラ対ヘドラ」など、社会への鋭い批評性と娯楽性を両立した作品が製作されもした。折からの映画産業の斜陽もあり、昭和ゴジラシリーズは「メカゴジラの逆襲」を最後に一度終了した。しかしその後1984年に世界観を一新した「ゴジラ」によってシリーズは再開、ビオランテなど新たな敵怪獣を登場させて人気を博した。現在ではゴジラシリーズは海外にも多数のファンを有し、近年ではハリウッドでゴジラ、ラドン、モスラ、キングギドラが登場する映画「GODZILLA KING OF MONSTERS」が製作されたのも記憶に新しい……。

 なんだ。これは。

 心中で、僕はそう呟いた。ゴジラは実在の生物のはずだ。それが映画のシリーズだとか、ミニチュアの中で暴れている着ぐるみだとか、一体どういうことだ。それにキングギドラとかラドンとかモスラとかヘドラとかメカゴジラとかビオランテとか、全て僕が想像したキャラクターだったはずだ。この本の著者は、僕の小説の読者なのか? どうしてわざわざこんな本を作ったんだ。

「おかしなことが、書かれているよね」

 ミキが、隣から、本を覗き込んできた。

「なんなの? この本?」

「昨日さ、放課後に寄った古本屋で見つけたんだよ」

「……手の込んだ、いたずらなのかな」

「でもそれ、奥付とか見る限り、ちゃんとした出版社から出ている本だよ。いくらなんでも手が込みすぎてない?」

「……でも、こんな内容、あり得ないよ」

「私はこれ、パラレルワールドの本が、間違って迷い込んでしまったのだと思うな」

「パラ……レルワールド?」

「この世界とは別の世界ってこと。その世界ではゴジラは映画に出てくる架空のキャラクターでしかない。その世界にある本が、ゴジラが実在するこの世界に迷い込んでしまったというわけ。もっと考えを進めるとさ、この世界自体が、誰かの空想した架空の世界が、実体化したものにすぎないのかもしれないよ」

「どうゆう……こと?」

「例えばさ、ゴジラが架空の存在に過ぎない世界では、エイジみたいなゴジラが好きな人だって、肩身が狭くないと思うのだよね。ゴジラが好きなその人は、映画でゴジラを見るだけじゃ我慢が出来なくて、現実の存在としてのゴジラをこの目で見たいと思うようになった。そんな人の願いを聞き入れた神様が作ってくれたのが、この世界なのかもしれないよ。この本は、この世界に来たそのゴジラ好きな人が、古本屋に売ったのかも」

「……」

 突飛すぎる発想に、僕は頭がくらくらした。

「別の世界なら、エイジは幸せになれるかもしれないって私が言ったのは、そういうこと。ゴジラが映画のキャラクターに過ぎなくて、ゴジラによって命を奪われた被害者なんていない世界ならば、ゴジラを忌み嫌う人たちなんていないと思うな。そんな世界なら、エイジ君は誰の気兼ねすることなく、ゴジラを好きでいられると、私は思うな」

 それは、そうかもしれない。

 でもそんなことをいわれたって、しょうがない。

 そんな世界が実在するかどうかも怪しければ、僕がその世界に行ける方法すらわからないのだから。

 それに、もし仮にそんな世界があって、僕がその世界に行けたとしても。

「もしも、そんな世界に行けたとしても、僕の苦しみは、終わらないかも、知れない」

「どうして?」

「僕は、僕自身が、嫌いだから」

「ゴジラが好きな自分が、嫌いなの?」

「そういって、良いと思う」

「どうして?」

「僕の母さんは、ゴジラに殺されたんだ」

 僕ははじめて、その事実を、ミキに語った。

「僕の母さんは、自衛官でさ、10年前のあの日、ゴジラが東京に来た日にも、出動していたんだ。任務中に、母さんは、戦死したんだ」

「お母さんのことが、好きだったの? エイジは」

 無言で、僕は頷いた。涙が、頬を伝うのを、感じた。

「僕は、ハルオと同じ境遇なんだよ。大事な人を、ゴジラによって殺されたんだ。僕は本来、ハルオに共感できるはずなのに。だけど僕は、あいつのように、ゴジラを憎むことが出来ない。母さんを殺したゴジラに対して、どうしても僕は惹かれてしまう」

「そんな自分が、許せないのだね」

「……うん」

 だから、きっと僕は異世界に行っても、決して幸せにはなれないと思う。たとえ世界の在り方が全く違っていたとしても、自分が変わらなければ、この苦しみは続くのだ。

「でも、自分にとって大事な人を殺した相手のことを好きになっちゃいけないなんて理屈は、ないと思うな。エイジ自身が、お母さんの死んだことを悲しんでいるのなら、それでいいんじゃない?」

「そうなのかな。でも、もしも僕が僕のような他人に出会ったら、僕はその人をひどい人だと思うと思うよ」

 僕を一番許せないのは、結局、僕自身なんだ。

「なんで、なのかな?」

「なんで……て?」

「なんでエイジは、ゴジラが好きなのかな?」

「……わからない」

 その問いは、これまでずっと、自分に対して問うてきた言葉だ。でも、未だに答えが見つからない。

「いつから、好きなの?」

「初めて、この目で見た時から」

「この目で?」

「僕はね、肉眼で、ゴジラを見たことがあるんだよ。遠くからだけどね」

 今、世界中の人間が、ゴジラという、10年前に東京をほろぼしたあの巨大生物の姿を知っている。写真や映像を通して知っている。でも僕は、そんな世界で、ゴジラをこの目で見たことがある、数少ない人間の一人だ。

「僕はね、あの日、東京にいたんだ。父さんに手を引かれて走っているときに、僕は遠くからゴジラを見た」

 あの日、東京に上陸したゴジラに対して、米軍は空爆攻撃の実施を決定した。東京の市民は被害を逃れるために地下鉄の構内に逃げるよう、政府から避難命令が出た。僕も父と共に、その走る避難民の集団に加わった。

「あの時、走る僕の耳に、すごい音が聞こえたんだ。世界が揺れて壊れるのかって思えるくらいの、すごく大きな音がさ、遠くから聞こえたんだよ。走っていた僕と、父さんを含む周りの人たちはびっくりして周りを見た。そして、誰かが『ゴジラだ!』と叫んだんだ」

 そして僕は、ゴジラを見た。

 夜の闇の中、東京の高層ビル群に囲まれながら、その100mを超す黒い影は、遠目からでも圧倒的な存在感をもって、僕の視界に迫ってきた。

 ティラノサウルスに似たその頭部は、咆哮をしていた。鋭い牙が、闇の中で光っていた。

「その時見たゴジラの姿に、僕は一瞬で、魅入られてしまった。僕は自分に命の危険が迫っていることすら忘れて、その場に立ち尽くした。立って、ただゴジラを見つめていた。その大きさに、その美しさに、僕は頭を支配されてしまった。父さんが僕を殴って無理やり手を引っ張って、地下への入口まで引きずっていった。後で知った事だけど、その頃既に、母さんは死んでいたそうだ」

 そして、僕が父さんと共に地下に逃げた後、ゴジラに対する空爆が実施された。無駄な攻撃に終わった。ゴジラは傷一つつかずに、口から吐く熱戦で空を飛ぶ爆撃機を撃墜したのだ。東京の市街に、米軍の機体が、いくつも墜ちていったそうだ。

 その結果を、僕はこの目でゴジラを見た時に、確信していたような気がする。人の道具なんかで、あれは倒せないと。だからその後、海に帰って行ったゴジラを、自衛隊と米軍の合同作戦で殺害したという話を聞いた時、信じられなかった。

「僕がゴジラを直接見たのは、その時一度きりだった。でもその後、ゴジラが殺害されたことが報道されてからも、僕は毎晩のように、ゴジラが出てくる夢を見た。そういう人は、僕以外にも多くいたらしいけれど、僕が彼らと違うのは、僕にとってその夢が悪夢ではなかったということだ。僕はその夢を、悪夢とは感じ取れなかった。起きているときにはスケッチブックに鉛筆とクレヨンで、ゴジラの絵を何枚も描いた。日を追うごとに、再びゴジラに会いたいという思いが、募っていったんだ。それが恋だと気づいたのは、ずっと後だけどね」

 でも、その恋の理由は、ミキに対してのそれと違って、理由がわからないものだ。

 僕は何故、ゴジラが好きになったのだろう? 美しかったから? 強かったから? 都市を破壊したから。それともまさか、母親の仇だから?

 答えは未だに、見つからない。

「私はわかったよ。エイジがゴジラを好きな理由」

「……え」

 思わぬミキの言葉に、僕は戸惑った。

「……どうして、分かったの? それは、なんなの?」

「その日本特撮の歴史って本の、60ページを読んでみて」

 意図がいまいちわからなかったが、僕は言われたとおりにした。そこにはこう書かれていた。

 

 ……日本特撮の歴史は、戦争という文明の惨劇をスクリーンの中に疑似的に再現するという側面をもって生誕した。戦時中、軍部のプロパガンダ映画の製作に関わっていた円谷英二は戦後、日本特撮の象徴ともいえるゴジラシリーズの第一作「ゴジラ」(1954)の特技監督を務めた。そして巨大怪獣ゴジラによって東京が壊滅する過程を描いたこの映画は、まさに「戦争」を極端に描いた映画であった。劇中ゴジラのたどる東京の道筋が、東京大空襲の日のB29の道筋と同じであることは、よく知られた事実である。何より重要なことは、ゴジラが原爆という、先の大戦によってはじめて地上にその姿を現し、歴史上最も悲惨な光景を現出させた兵器の申し子であったことだ。ゴジラは核実験によって住処を追われた、古代生物の生き残りだと劇中で語られる。「ゴジラ」が公開された1954年は、アメリカがビキニ環礁で行った核実験によって日本人の漁師たちが被ばくした「第五福竜丸事件」が起きた年である。本多猪四郎監督をはじめとする「ゴジラ」の制作陣は、このような社会情勢を睨み、「反核」のメッセージを本作に込めたと語っている。「ゴジラの公開と同時に、全ての国が核を放棄することを信じて、この映画を撮っていた」と語った人もいる。

 言うまでもなく、日本は世界で唯一の被爆国である。わずか一瞬にして10万人を超える人命を奪い、都市を破壊する兵器の攻撃を受けた国である。文明の発展がそのような惨劇を生み出したという歴史的事実を背負って生まれた「ゴジラ」は、必然的に「文明の相対化」「人類中心主義の相対化」という様相を抱え込んでいた。「ゴジラ」がその前の時代のモンスター映画や、怪物退治の神話と大きく異なるところは、怪物が文明の破壊者として描かれ、なおかつそれを倒すことが人類には不可能であるという結論が提示されたところにある。都市を破壊するゴジラに対して、劇中の軍隊は歯がたたない。海にゴジラを葬ることが出来たのは、芹沢という天才の発明した酸素破壊装置オキシジェンデストロイヤーという「現在の人類の手にはない兵器」である。これは「奇跡」であって、「技術」ではない。ゴジラという破壊者は奇跡によって封じることしか人類には出来なかった。芹沢がオキシジェンデストロイヤーの悪用を恐れて自ら命を絶った結果、劇中世界の人類は二度とそれを作れなくなった。再びゴジラが現れた時、人類にはもはや対抗手段がない。だからこそ映画のラストは、「あのゴジラが最後の一匹だとは思えない。もし人類が核実験をやめなければ、第二第三のゴジラが現れるだろう」という不穏な言葉によって締められる。それは現実の核実験軍拡競争を繰り返す超大国への警告である。と同時に、人類に対する「君たちは万能の存在なのではない」という宣告でもあった。ゴジラは核によって生まれた。核は文明によって生まれた。核によって生まれたゴジラの前に人類の文明がなすすべもないように、人類文明はその申し子である核という力を制御できない。20世紀という時代は、二度の世界大戦に伴う大量破壊によって人類が自分たちの文明に対する無邪気な信頼を打ち砕かれた時代でもあった。文明の到達点が文明そのもの人類そのものを破壊しかねない核であったという事実は、文明というものの価値を絶対視する思想に対するこれ以上ない反証であったのだ。そんな時代だからこそ、ゴジラは、文明の破壊者たる怪獣たちは生まれた。

 1954年の「ゴジラ」公開から間をおかずに「ゴジラの逆襲」という映画でスクリーンに復活する。「第二のゴジラ」は早くも現れたわけだ。ゴジラは別の怪獣アンギラスと戦った。以降ゴジラは1984年の「ゴジラ」などいくつかの例外を除き、常に敵である他の怪獣と戦うという形で、スクリーンに登場し続ける。一時期のゴジラは、人類の味方としてふるまっていたことさえある。これを「ゴジラ」の堕落であったとする見解もある。子ども向け人気のために、本来の文明の破壊者としての姿を捨てたのだと。しかし筆者は、いわゆる「正義ゴジラ」として振舞っていた時期でさえ、ゴジラというキャラクター性が有する人類文明へのアンチテーゼという側面は、底流に流れていたと考えている。人類を脅かす怪獣や異星人の脅威が、人類自身の力だけでは打倒できず、ゴジラという文明の外側にいる「他者」の助力をもってして初めて打倒できるという劇構造は、それによって人類文明の非力さを露わにしていると考えるからだ。いわば、ゴジラが第一作目におけるオキシジェンデストロイヤーのような「奇跡」の立ち位置になっていたのである。とはいえこれが人類にとって都合がよい展開であることもまた否定できないがゆえに、昭和ゴジラシリーズは作品として衰弱し終了してしまった。1984年の「ゴジラ」の世界観をベースにして1989年の「ゴジラVSビオランテ」から始まった「ゴジラVSシリーズ」が「ゴジラの本質」という課題に向き合いながら苦闘していったのを、筆者はけなげに思う。

「ゴジラとは何か?」

 この問いはこれまでいくどとなく発せられてきた問いだ。私はこう答えたい。それは、私たち自身の文明が本質的に有する暴力性の具現化であると……。

 

 

「難しい文章だね」

 一読して、僕は呟いた。

「これを書いた人は、自分の中の考えを、整理しきれないままに書いているみたいだ。文明の非力さとか言ったり、ゴジラは文明の暴力性だとか言ったり」

「きっと、ゴジラ自身が、色んな側面を持っているからだと思うな。だからそれを言葉にしようとすると、矛盾した思考になってしまう。複雑になってしまう。でも、エイジがゴジラを好きな理由ってのは、きっとこの文章の中に現れていると思うよ」

 ぼくはじ、と、本に目を落として、考え込んだ。

「……文明に対するアンチテーゼっていうところ?」

「うん、文明が決して勝てない存在として、エイジはゴジラが好きなんじゃないのかな」

 ……かもしれない。

 ただ、その考え方に対して、僕は違和感を覚えた。さっき文章を読んでいた時にも、その違和感はあっただが。

「でもさ、ミキ。ゴジラは、文明の手で殺されたよね?」

 今からおよそ10年前の3月11日、ゴジラは東京に上陸して米軍や自衛隊の攻撃をものともせず、都市を蹂躙した。国会議事堂を含む多くの建造物を破壊して、多くの人の命を奪った。その夜、ゴジラは海に帰った。

 その翌日から、自衛隊と米軍は総力を挙げて、海でゴジラを捜索した。ゴジラによる東京襲撃からちょうど三日後、避難所にいる僕たち東京の市民は、海上にいるゴジラを発見し、自衛隊と米軍による総攻撃によってその命を奪ったという政府の公式発表をテレビから知った。そのニュースが流れた瞬間、周りの大人たちが上げた歓喜の声を、今でも思い出せる。

だから僕は「日本特撮の歴史」という本の記述に対しては違和感を抱いた。あの本が語る「ゴジラ」という映画では、ゴジラはオキシジェンデストロイヤーという「奇跡」によって倒されたという。それによってゴジラは文明では決して倒せない存在として語られているのだと。だけど、僕が知る現実では、ゴジラは軍隊の通常の戦力によって倒された。

 ゴジラは人類にとって、恐ろしい敵ではあっても、倒せない敵ではないはずなのだ。だが、「日本特撮の歴史」に記された「ゴジラ」というキャラクターは人類が決して倒せない敵であるかのような印象を受けた。

 その矛盾が、気になった。もしこの本が手の込んだ捏造なのだとしたら、なぜ現実のゴジラをそんな風に過大に描いたのかわからないし、ミキの語った「実はこの世界はゴジラ好きの願望の結果生まれた世界なのかもしれない」という説がもし正しいのだとしたら、なぜ映画よりもゴジラの「強さ」が落ちているのかが理解できない。

「それなんだけどさ、ゴジラって本当に殺されたのかな?」

「え……」

 予想していなかった、言葉だった。

「だってさ、軍隊がゴジラの退治に成功したっていうのは、政府の発表に過ぎないんでしょ? もしかしたら、国民を安心させるために嘘をついたのかも。だって、映像が残ってないくらいだからね」

「でも、現実にあの日以来、ゴジラは現れていないんだよ。それも10年も」

 ただの偶然だとしたら、あまりにも出来すぎている。やはり、あの日ゴジラは死んだのだ。

「でもさ、そもそもなんでゴジラが東京を襲ったのか、その理由はまだ明らかになってないよね? 生物としてのゴジラについては、人類は何もわかっていない」

 確かにそうだ。ゴジラはすべてが謎に包まれている。僕はこの10年間、ゴジラについて書かれた本は沢山読んだが、最新のアカデミズムでさえ、ゴジラについては全く解明できていないといってよい。

 100メートルを超す、生物学的にあり得ない巨体をどうやって維持しているのか?

 エネルギー源はなんなのか?

 なぜ口から放射熱線が吐けるのか?

 何もわかっていない。

 何故ゴジラが東京を襲ったのかも、分かっていない。

「だったらさ、ゴジラがこの10年間都市も襲わず、人の前に姿を現さないとしても、それをあり得ないって断言できる根拠にはならないんじゃないのかな。何もわかっていない存在だったら、人間が理解できないことをしてもおかしくはない」

「……」

 僕は、沈黙した。

 ミキの言う通りだと、思った。ゴジラについて、僕たちが確実に言えることなんて、ただの一つだってないのだ。

 10年間姿を現していないから死んだはずだなんて、断言できるわけがない。

 今でもゴジラは生きているかもしれないということだ。この世界のどこかで。

「あ」

 その時、僕は、叫びをあげて、ベンチから、立ち上がった。

「……どうしたの?」

 ミキがきょとんとした。

「いたんだ。あそこに」

 僕は、遠くに見えるビル街を、指さした。

「あそこに、今、ゴジラがいたんだ」

 ビルの透き間に、僕は確かに、あの黒い巨体を見た。

 その時、子供の泣き声が、公園に響いた。砂場で遊んでいる子どもたちの片方が、急に泣き出したのだ。もう片方の子は、泣き出したその子をきょとんと見つめていた。見守っていた親らしき人たちが慌てて駆け寄った。

 一体どうしたの?

 おっきいのがね、おっきいのがあっちにいたの!

 泣いている子どもは、興奮しながら、遠くのビル街を指さしていた。さっき僕が指さしたのと、同じ方向を、指さしていた。

 その光景は、僕をも、興奮させた。

「見間違いじゃ、なかった! 確かにいたんだよ、ゴジラが!」

「うん」

「でもどうして……。どうして僕とあの子だけが……? それにいきなり現れて、消えるなんて、一体どうして……?」

「さっき言ったでしょ。ゴジラについて、私たちは何も、分かっていないって」

「……」

「エイジさ、都市伝説系の5ch、覗いたことある?」

「? いや……」

「私はよく出入りしているんだけどさ。最近、そういう話、多いんだよ。市街地でゴジラを見たって目撃情報。ジェットコースターに乗っていた子どもが降りた後でゴジラを見たって騒いだりしたとか、高層ビルの窓ガラスを掃除している人が仕事中にゴジラを見たとか、赤ん坊が空を見たら泣き出したとかさ。そういう話が多いんだ。マスコミは全然報じないけどね」

「そんなの……初めて聞いたよ。どうして、マスコミは取り上げないんだろう?」

「政府が、報道規制をかけているのかもしれないし、自主規制ってやつかも。だって今、ゴジラの絵さえ描いちゃいけない世の中だからね」

「……」

「ね、エイジ。今の日本って、段々ゴジラに近い存在になりつつあるって、私は思うんだ」

「日本がゴジラに、近づいている……?」

 ちょっと言葉の意味が、分からなかった。

「さっき読んでくれた本にさ、ゴジラっていうのは、文明が本質的に持つ暴力性の具現化だって言葉があったよね」

 僕は頷いた。

「国家とか権力ってものもさ、そんな暴力性の一つだと私は思うよ。実際原爆は国家が生み出したものだし、原爆が落とされた当時の日本っていうのは、アジアの人たちにとってはゴジラみたいなものだったはずだよ」

 僕は、はっとした。

 かつて、大日本帝国と名乗っていた僕たちの祖国は、朝鮮半島や中国をはじめとするアジアの国々に対して侵略を行い、無数の罪なき人たちの命を奪った。

 僕たち自身が、誰かにとってはゴジラと同じ破壊者だった……?

「でも、今の日本は、他国に対して悪いことなんてしていない」

「でも、ゴジラが現れてから10年の内に、日本は憲法9条を捨てたよ」

 そう。

 元々日本は先の大戦の反省から、戦争放棄と戦力の不保持を憲法に明記していた。自衛隊は正式な国軍ではないという建前だった。だけど10年前のゴジラの襲来は、非武装平和主義の世論を完全にこの国から押し流したのだ。「またもう一度、ゴジラの同族が襲来したらどうする? 国家には軍備が必要なのだ」そんな政治家や知識人の声に押され、戦後初めての憲法改正国民投票が行われ、自衛隊は国防軍となり、従来の憲法解釈で認められていなかった集団的自衛権も、日本は持てるようになった。

「憲法だけじゃないよ。国家機密維持法や非常事態国民統制法の制定、非核三原則の放棄による米軍による核兵器の日本への持ち込みに対する公認に国防予算の増大もそう。ゴジラが現れてからの10年間で、日本はどんどん戦時を想定した体制へと変わってきた。それは、日本がかつての大日本帝国のように、他国に対してゴジラのような存在になりうる可能性を、だんだん高めてきたってことだと、私は思うな。それに、国民の意識は、どんどんファシズム的になりつつある。今、ゴジラについての表現が、どんどん規制されていく流れにあるでしょう。これはさ、表現や言論の自由ってのが、狭まって言っているってことだよ。『見ない権利の保障』て名目の下で、言論統制が進んでいるんだよ」

「……それが、ゴジラになりつつある、てことなの……?」

「ファシズムってのもさ、文明の暴力性の到達点だよね。ヒトラーが率いたナチスドイツとかさ。自由を統制した社会の行きつく姿の一つが、あれだよ」

「……」

「私たちの世界の学者の誰も、ゴジラが何故誕生したのかって根本的な問いに、答えられていないよね。私は、ゴジラは人間の心が生み出したのだと思う。他者の権利を奪ってファシズム社会を作ろうとする意志や、敵とみなした存在に対する憎しみの心が、ゴジラを生み出す源なんじゃないかって。例えばさ、ハルオみたいなゴジラを憎んでいる人たちの心が、この10年間の日本社会の流れを産んだわけでしょ? ハルオ君のゴジラを憎む心自体が、実はゴジラそのものだといってもいいと、私は思う」

 ゴジラへの憎しみが、ゴジラを生み出す。

 それは、予想もしていなかった考え方だった。

「だから今、ゴジラの目撃証言が相次いでいるのは、私たちの社会が、ゴジラを生み出しつつある兆候だと思う。……きっとまた、そう遠くない未来に、ゴジラはまた現れるよ」

 ゴジラがまた、現れる。

 ゴジラにまた、会える……?

「どう? 元気出た?」

「え?」

「だからさ、エイジはまた、ゴジラを見ることが出来るかもしれないってこと。沈んでいた心が、また元気になるかなって思ったから、この話したんだ」

「……」

 僕は、今日初めて、笑った。

「うん。ありがとう」

 やっぱりミキは、とても魅力的な女の子だってことを、実感した。

 その時、笑い声が聞こえた。さっきまで泣いていたこの声だ。親が、うまくあやしたらしい。上機嫌で、笑っている。

 見れば、木の枝にいた鳥は、もういなくなっていた。どこかに飛んでいったのだ。

 太陽は、空の真ん中に、来ていた。もうすぐ、正午が近づいていた。

 僕は、おなかがすいてきた。

「ねえミキ、ご飯て、どこかで食べる予定ある?」

「ないよ」

「じゃあさ、どこかで食べない? 一緒にさ」

「いいよ」

 僕たちは、一緒に、公園を出て行った。

 僕はもう少し、この世界に生き続ける価値があるかもしれないと、思うようになっていた。

<了>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 


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