企画小説。股間で筆を執った。
ちっぱい! (せかいのおと)
────きて。
──起──て
遠くから声が聞こえる。
ぬるま湯を揺蕩うような心地よい感覚を邪魔するようにその声は響いている。
──ちょっと、──ってば。
誰だよ、うるさいなぁ。邪魔しないでくれ。
──はぁ……。いい加減に──
「……起きろって言ってんでしょ!」
「ごふッ!?」
腹部に衝撃を感じて飛び起きる。
急激に覚醒した視界に飛び込んでくるのは見慣れた自室、見慣れた机、見慣れたベッド。そしてその横に、不機嫌をぶさらげて仁王立ちをしている見慣れた幼馴染の姿があった。
「へ……? あ、あずさ……さん? おはよう……?」
「……起きたんならさっさと顔洗ってきて。あたしはリビングにいるから」
「えっ、はい」
困惑する俺に鋭い目つきでそう言い放つと、すぐに振り返って梓は部屋から出て行った。
ドアがばたんと音を立てて閉まり、途端に静寂が訪れる。
のっそりとした動きでベッドから降りてカーテンを開けると、朝日が部屋に飛び込んでくる。固まった体をぐっと伸ばしたところで、この状況に対する素直な疑問が口から溢れた。
「……ここ、俺の部屋だよな」
なんであいつがうちにいんの?
先程衝撃を受けた腹部をさすりながら考えてみるも、寝起きのせいか全く頭が回らない。
しばらくして梓の言葉を思い出した俺は、とりあえず洗面所へ向かい顔を洗うことにした。
「酷い寝癖だなこりゃ」
鏡を見ると、髪がぼさぼさに跳ねている自分の姿が映る。
洗面ついでに髪を濡らして簡単に寝癖を直すと、タオルで頭を拭きながらリビングへ向かった。
「遅い。冷めちゃうから早くそれ食べて」
「あ、ああ。てか何で梓がうちにいんの……?」
「叔母さんが今日仕事が早いからって頼んできたの。わかったらさっさと食べて」
「あー、そういう。梓は食べないのか?」
「あたしはもうとっくに食べてある」
まだ聞きたいことはあったが目線で『いいから食え』と圧をかけられたため、これ以上の質問はやめておこうと口を閉ざす。
いただきますと合掌をして、俺はハムエッグトーストに齧り付いた。
「……美味い」
卵の焼き加減もハムの焼き色の付き具合も全てが完璧だ。シンプルなメニューだからこそ、味もシンプルに美味しい。多少冷めてはいるがそんなことは全く気にならなかった。
俺が食べ進めている間、梓は洗い物をしているようだった。俺と同じ高校の制服に身を包み、エプロンを付けてカチャカチャと食器を鳴らしている。肩口まで伸ばされた青髪も今は後ろで小さく結われていた。
俺の幼馴染、
それに加えて顔も整っているんだから、梓は美少女といって差し支えなかった。というか美少女だ。
そんな容姿端麗の斯波 梓にただ一つ、一つだけ人を選ぶ点があるとするなら──
「……なに、こっち見てる暇あったら早く食べて着替えてきて」
このキツい性格だろう。
俺と梓は幼馴染というだけあって、小さい頃から交流があった。小学校あたりまではこんな性格じゃなかったが、中学生になってから少しずつ発言が刺々しいものになっていった。それでも特に俺たちの距離が変わるということもなく、俺からしたらこの梓も変わらず梓な訳で。高校生になった今でもこうして交流は持てていた。けど朝起こしに来たのは初めてである。というか最近お互いの家に行った記憶があんまりない。
「なぁ梓、俺たちって知り合ってから何年経ったっけ」
「はぁ? 初めて会ったのが幼稚園の春頃だったから、今日で12年と1ヶ月……ッ!?」
「おー、そんなに昔だったのか。案外長く続くもんなんだな」
「そ、そうね?」
12年前か。今が高校2年生の5月だから、俺と梓が出会ったのは4歳の4月あたりってことになる。そう考えると無性に感慨深い気持ちになった。因みに俺も梓も誕生日は秋で、今はまだ16歳だ。
何故か僅かに動揺している梓に首を傾げながら、ハムエッグトーストを完食した俺は手を合わせて席を立つ。
「ごちそうさま。すぐ着替えてくるから待ってて」
「……さっさと行け」
またもや鋭い視線に背中を刺され、苦笑いと共にリビングを後にする。
ドアが閉まる直前に「あと……おはよ」という声が聞こえて、やっぱり俺は苦笑いを浮かべながら部屋へと続く階段を登ったのだった。
● ○ ● ○
「……遅い」
「5分もかからなかったろ」
待たせるのも悪いと思い、なるべく早く着替えを済ませて下へ降りると梓は既に玄関で待っていた。足下にはそこそこの大きさのゴミ袋が二つ転がっている。
「ゴミ、片方はあんたが持って。重い方」
「はいはい」
お互い片手にスクールバッグ、片手にゴミ袋を持って家を出る。すぐ近くの集積所に着くと既に収集車が回ってきていた。
「ギリギリだったな、危ない危ない」
「あんたがさっさと起きないからでしょ」
「悪かったよ。けど助かった、起こしてくれなかったら多分あのまま寝続けてたと思う」
「そう思うんなら次から自分で起きて」
ピシャリと言い切られ、俺は頬を掻きながら明後日の方向に視線をずらす。遠くを飛ぶ小鳥を眺めながら、今日も冴えてるなー、なんてことを考えた。
梓は誰にでもこんな態度で接している訳じゃない。勿論俺に対しては言うまでもなく厳しめだが、学校の友達なんかにはもう少しマイルドな口調になっていた。それ以外だと……まあ、想像に任せたい。
ちら、と隣の梓へ視線を戻してみると、彼女は相変わらず機嫌の悪そうな目つきで前を見ている。
こう見ると結構まつ毛長いんだな。肌も手入れしているのか白く綺麗だ。改めて俺の幼馴染が美少女であることを認識する。
正直、俺も思春期真っ只中の男子高校生だ。梓を異性として見るか見ないかと聞かれれば勿論見るし、そういう関係になることを想像したことがない訳ではない。しかし、そこは幼馴染。幼馴染には幼馴染としての距離感があり、そこを踏み違えてはいけない。というか多分梓はこういうことを思ってすらいないだろう。それは日頃の辛辣な態度を見れば明らかだし、むしろそのお陰で俺も梓をそういう風に意識せずに済んでいる節があった。
そんなことをぼーっと考えていると、梓と目が合っていることに気付いた。……いや、目が合っているというよりも睨み返されていた。
「なに、人をジロジロと」
「あ、いや、し、身長伸びたなーって思ったんだよ。最近こうして並んで歩くこととかなかったし」
最後に一緒に通学したのはいつ頃だっただろうか。多分何ヶ月も前のことで、理由も玄関先でたまたま一緒になったから、とかいうものだった気がする。それ以外の用事や気まぐれで会うことはしばしばあったが、それでもこうしてまじまじと梓を意識したことはなかった気がする。
若干どもったことを訝しんだのか、梓は少しの間じっと俺を睨むと再び前へと視線を戻した。
「……そ。けどあんただって伸びたでしょ。昔は同じくらいだったのにさ」
「そりゃ、成長期だからな」
興味なさげに返されてとりあえず安心する。よかった、どうやら上手く誤魔化せたみたいだ。
心の中で安堵の息をついていると交差点に差し掛かった。反対の歩道には俺たちと同じ制服を着た生徒たちがちらほら見える。渡ろうとしたタイミングでちょうど信号が赤に変わってしまったため、俺たちは揃えて足を止めた。
「……で、ホントは何を考えてた訳?」
「え゛っ」
時間差で投げられた言葉に思わず肩が跳ねる。梓は前を見据えたままだが、先ほどよりも有無を言わさぬ圧があった。心なしか声音も硬い気がする。
平静を装って「さっき言った通りだぞ」なんて返してみれば、じっと横目で睨まれる。全然誤魔化せてなんかいなかった。
ど、どうすればいいんだ。俺たちの関係はあくまで幼馴染であって『異性』ではない。梓をそういう風に意識しかけた、なんて素直に言おうものなら何かが終わってしまう気がする。
それとももしかして俺が気にしすぎてるだけ……? 思春期になってから何となくお互いの容姿に関する話題はしてこなかったが、その辺の話題も気兼ねなく振って大丈夫なんだろうか。わからない。幼馴染って結構難しい関係なのかも、なんてことを思った。
そんなことをぐるぐると考えて黙り込んでいると、梓はどこか吐き出すように目を伏せた。
「……悪かったわね、小さくて」
「は?」
微かに呟きが耳に届くが、その意味がわからずつい疑問符が口をつく。
小さくて悪かった……? 身長の話をしてるのか? いや、けどあれは俺が適当に言ったことで梓もそれに気付いているはず。だけど今この流れで小さいが関係するのって身長しかないよな……。
「えっと、そんなに小さいか?」
「……小さいでしょ、どう見ても」
「いやいや、そんなことないだろ。というか梓はそのくらいがいいって」
一体何をそんなに卑下してるんだこいつは。同年代の女子と比べても十分大きい方だろうに。梓が小さいと言うなら梓の中での認識はそうなんだろうが、俺自身の感想を言うと梓は今の高さがちょうどいい。何事もバランスだ。今の身長が梓のスタイルの良さが一番ちょうどよく発揮されていて、これ以上小さくても大きくてもそれが崩れてしまいかねない。
「けど、やっぱりあんただって大きい方がいいでしょ」
「は? お前が何をそんなに気にしてるのか俺にはさっぱりわからん。俺は今の大きさの梓が一番いいと思うし、今の梓が好きだ」
まあ、伸びても縮んでも結局言うことは変わらないけど。相手が梓なら正直なんだっていい。俺より高くなるのは勘弁願いたいが。
それより、今俺勢いに任せてすごく恥ずかしいこと口にしなかったか……? かぁっと顔に熱が昇っていく。
恥ずかしさで勝手に熱くなっていると、俺の言葉を聞いて梓は伏せていた顔をばっと上げた。そして、期待と不安が入り混じったような目で俺を見る。さっきまでの鋭い目つきはすっかり鳴りを潜めていた。
「……本当に好き?」
「ああ」
「変じゃない……?」
「何も変じゃないし、梓は梓だろ」
半ばヤケになりながらもしっかり目を見て肯定する。自分の容姿を他人と比較して気に病む点は人それぞれだ。そこを否定してしまったら梓はさらに気に病むし、俺自身の素直な気持ちを伝えるだけでそれが和らぐなら儲けものだろう。
「ふふ、そっか」
梓は俺から緩やかに視線を逸らすと顔を綻ばせて笑っていた。そして、主張の控えめな自身の胸を軽く撫でてさらに嬉しそうに笑った。
……いやちょっと待て。俺たちはさっきまで一体なんの話をしてたんだ? 滅多に見ないくらい喜んでいる梓を横目にふとそんなことを思った。
とてつもなく壮絶な勘違いが起きていた気がするが、まあ梓が嬉しそうならなんでもいいか。実際俺は大小なんてあんまり気にしないからな。今は幼馴染の笑顔が見れただけで大満足だ。
「んんっ! ほら、信号青になったよ。行こ」
梓はわざとらしく咳払いをすると、いつもの口調に戻って歩き出した。遅れて俺も歩き出して梓の隣に着く。
ちら、と横顔を覗いてみると口調とは裏腹にその口元は緩みきっていて、つられて俺も笑みが浮かぶ。
そんな幼馴染の表情をしかと目に焼き付けながら、俺たちは信号を渡っていった。
ち、ちっぱいがいっぱい!