スリザリンの継承者―魔眼の担い手―   作:寺町朱穂

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48話 第一の課題(後編)

 課題当日も時間はいつも通りに流れる。

 午前の変身術の授業でもドラゴンに対する不安を表すこともなく、完璧に授業をやり切った。セレネはこの3年間、錬金術を学んだ結果、ほど近い変身術が一番得意な教科になっている。今日もスリザリン生の中で一番最初にハリネズミを針山に変えることができた。

 

 

「見事です、ゴーント。スリザリンに5点あげましょう」

 

 

 マクゴナガルは銀色に尖った針を一本、針山から抜くと微笑みかけてくれた。

 

 

「ありがとうございます、先生。

 一つ質問があるのですが、よろしいでしょうか?」

「ええ、いいですよ」

「この針山に、ハリネズミの意識はあるのでしょうか?」

 

 

 セレネは針山を掌に載せると、ぴんっと指で弾いた。

 

 

「ありません」

 

 

 マクゴナガルは即答した。

 

 

「ハリネズミは構成ごとまったく別の無機物になってしまっているのです。このように、呪文を解けば――」

 

 

 マクゴナガルは杖を取り出すと、完璧な針山を軽くとんっと叩いた。すると、もぞもぞっと針山が動き始め、手足が生え、頭が突き出し、尻尾が飛び出し始める。あっというまに、セレネの掌にあった針山は、ハリネズミに戻ってしまった。

 

 

「また、意識は回復します。おそらく、針山だった時の記憶はないでしょう」

「ありがとうございます」

「ゴーント……もしかして、今のは課題に関する質問ですか?」

 

 

 マクゴナガルが探るような視線でこちらを見据えてきた。

 

 

「いいえ、個人的な興味です」

「……そうですか」

 

 

 マクゴナガルはほっと息を吐いた。

 教師陣は基本的に課題に関して協力しないことになっている。きっと、マクゴナガルは課題に関する質問なのだと考えたのかもしれない。

 

 そこまで考えたとき、セレネはドラゴンに変身術で対抗しても良かったかもしれないと考える。だが、少し考えてすぐに諦めた。

 今の自分の実力では、巨大で魔法に耐性があるドラゴンを無機物に変身させられるとは思えない。

 

 

「教えてくださり、ありがとうございました。先生」

 

 

 セレネはマクゴナガルに微笑みかけると、再びハリネズミを銀色の針が刺さった針山に戻した。

 

 

 

 そして、午後――。

 昼食のベーグルにクリームを塗っていると、スネイプがやってきた。

 

 

「セレネ・ゴーント。代表選手はすぐに競技場に行かねばならん。第一の課題の準備をするのだ」

「わかりました」

 

 

 ベーグルが少し惜しかったが、セレネは立ち上がった。

 

「がんばって、セレネ!」

 

 

 ダフネが囁いた。

 

 

「きっと、大丈夫よ」

「そうそう。セレネなら課題なんてへっちゃらよ!」

 

 

 ダフネに続き、ミリセントも応援の声をかけてくれた。

 

 

「ありがとう。行ってきますね」

 

 

 と、ここまで言いかけて、ふと思い出した。

 ローブに手を入れ、ずっとこの日のために用意していたモノを取り出す。

 

 

「これ、お願いします。このボタンを押した後、こっちの赤いボタンを押せばいいだけですから」

 

 

 そして、ダフネに前もって言っておいたものを手渡した。

 ダフネは少しおそるおそるそれを受け取った。

 

 クイールからフクロウで送ってもらったビデオカメラだ。

 マグルの電化製品はホグワーツ城に満ちている魔力のせいで狂ってしまう。ビデオカメラも例外ではない。しかし、泡頭の呪文を使えば話は変わってくる。

 

 泡頭の呪文とは、その名の通り、泡を頭から被ることで新鮮な空気を確保するための魔法である。本来は水中にもぐるときやガスが充満する空間で活動するために使う呪文なのだ。危篤状態の癒療術を行うときも、周囲を無菌状態にするために応用して使用するらしい。

 

 つまり、この魔法は外界と空間を遮断することができる。

 

 そう、それはすなわち魔力が満ちていない新鮮かつ清潔な空間だ。

 

 

 自分の順番が分からない以上、セレネは他の選手の試合を見ることができないかもしれなかった。

 もし、第二の課題がバトルロイヤルや決闘の類だった場合、他の代表選手の戦闘スタイルをいかに把握しているかが勝敗の鍵になってくる。

 

 

 だから、他の代表選手の戦いをビデオカメラで録画してもらうことにしたのである。

 

 もっとも、ダフネは生粋の魔法族の生まれだ。ビデオカメラなんて初めて扱う上に、泡がいつ弾けてしまうかもわからない。

 

 もう少し余裕を持って、クイールに要望を出していればよかったと後悔する。

 

 

 ビデオカメラが届いたのは、今朝だったのだ。

 

 

「うー……上手くいかなかったらごめんね」

「大丈夫です。無理を承知ですし、失敗しても気にしませんから」

 

 

 セレネは2人に軽く手を振ると、スネイプと一緒に大広間を出た。

 彼はいつも通り黒いローブを翻しながら歩いているが、少しいつもと様子が違った。目をわずかに細め、どことなく心配そうな顔をしている。

 

 

「お前の実力は知っている」

 

 

 スネイプが言った。

 

 

「我輩が教えてきた中でも、五本の指に入るだろう。だが、経験が浅すぎる。危険だと感じたら、迷うことなく赤い花火を打ち上げろ。すぐに、救助にかけつけることができるように待機している」

「ありがとうございます」

 

 

 セレネは微笑もうとし、顔が強張っていることに気づいた。

 自分が思っている以上に、緊張しているらしい。

 

 

「でも、大丈夫です。いままで習ったことを総動員して挑みますから。

 それに……本当に危ない時は逃げますよ。……私、まだ死にたくないので」

 

 

 そう口では言ってみたが、実際には逃げる自分を想像することができなかった。

 

 逃げる=敗者である。 

 戦略的撤退というものもあると聞くが、絶対に目の前の脅威から逃げたくない。その脅威を見事に打ち払ってこそ、セレネ・ゴーントであると考えている。

 

 

 スネイプと禁じられた森の淵を回り、テントに辿りついた。

 

 

「ここに入って、他の代表選手と一緒にいろ。……ベストを尽くせ」

「ありがとうございます」

 

 

 スネイプの褒め言葉など、滅多にない。

 セレネは言葉を噛みしめながら、堂々とテントの中に足を踏み入れた。

 

 そこには、他の代表選手が全てそろっていた。

 フラー・デラクールは低い木の椅子に座っている。いつもは落ち着きを払っている彼女だが、青ざめて冷や汗をかいていた。クラムはいつもよりさらに機嫌悪そうにむっつりしていた。…一見すると緊張していないように見えるが、あれが彼なりの不安の表し方なのかもしれない。いや、そもそも世界的に有名なクィディッチ選手だ。この程度の緊張は何度か経験しているので落ち着いているのかもしれない。

 セドリックは、行ったり来たりを繰り返していた。

 ハリーはその近くで佇んでいる。セレネを見つけると、少しだけ微笑んだ。否、微笑みのようなものを向けてきた。顔は強張り、ほとんど真顔だった。

 

 

「よしよし、全員揃ったな!」

 

 

 バグマンが極限まで張りつめた空気を壊すかのように、楽しそうに言う。

 

 

 

 

「楽にしたまえ。さてと……では、話して聞かせる時が来た!」

 

 

 バグマンは、陽気に代表選手に向けて話し始める。右手に紫色の絹で作られた袋を振ってみせた。

 

 

「観衆が集まったら、私から諸君1人1人にこの袋を渡す。そして中から、諸君がこれから直面するものの小さな模型を選び取る!さまざまな――――――エー――違いがある。

 それからもうひとつ、言うことがあったな。えっと……ああ、そうだ!諸君の課題は『金の卵』をとることだ!」

 

 

 以上、と言うようにバグマンはセレネたちを見渡した。

 セドリックが無言で頷き、再び行ったり来たりを始めた。フラーは椅子に座ってかすかに震えていた。クラムは同じく座り込んではいたが、微動だにしていなかった。ハリーはどうしたらいいのか分からないみたいで、隅のほうに突っ立っている。

 

 セレネは近くにあった小さな椅子に座ると、これから自分がするであろうことを反芻する。微妙に腹が空腹を感じ始めていたが、気にならない程度だ。それ以外は万全のコンディションである。

 

 できる限り、高得点を狙う。

 誰の思惑なのか分からないが、せっかく大会に出るのだから、優勝しなくてはならない。

 

 セレネは深呼吸を繰り返した。

 

 

 何百、何千もの足音がテントの傍を通り過ぎるのが聞こえた。足音の主たちは興奮して笑いさざめき、冗談を言い合っている。……本来ならあの群衆の中に、自分もいたはずなのだ。なのに、誰かが名前をゴブレットに入れたせいでこんな羽目になっている。

 そう思うと、ふつふつと怒りがこみあがってきた。

 

 

「さてと…レディー・ファーストだ」

 

 

 バグマンは紫の絹の袋の口を開けると、フラーの方に持っていく。フラーは震える手で袋に手を入れ、精巧なドラゴンのミニチュア模型を取り出した。首の周りに『2』という札をつけている。

 

 バグマンは次に、セレネに袋を向けた。セレネが中に手を入れると、もぞもぞと袋の中でフィギュアが動いているのが分かった。セレネは手ごろな模型を取り出すと、やはりフラーと同じドラゴンの模型であった。首に『4』という札をつけている。ただ種類はフラーと違った。セレネの掌の上で翼を広げ始めたドラゴンは、背中に漆黒の隆起部がある。

 

 

「おお、それはノルウェー・リッジバックだ」

 

 

 セレネは事前に読んだドラゴンの図鑑を思い返す。

 たしか、牙に毒があるドラゴンだ。ただでさえドラゴンには近づきにくいのに、これでますます容易に近づけなくなった。

 セレネの横に立っていたハリーが、小さい声で「あっ!」と叫ぶ。彼には、このドラゴンに見覚えがあるのかもしれない。

 

 次にクラムが首に『3』とついているドラゴンを取り出し、セドリックが『1』という札をつけた青みがかったドラゴンを取り出した。最後がハリーで『人生が終わった』という顔をしながら『5』という札をつけたドラゴンを取り出す。

 

 

「さぁ、これでよし!

 諸君は、それぞれが出会うドラゴンを引き出した。番号はドラゴンと対決する順番だ。

 いいかな?さて、私は間もなく行かねばならん。解説者なんでね。ディゴリー君、君が1番だ。ホイッスルが聞こえたら、まっすぐに向こうのスタジアムまで来てくれ。さてと……ハリー、ちょっと話があるんだが……いいかな?」

「えーと……はい」

 

 

 ハリーは何も考えていないような顔をして、バグマンと一緒に外に出て行った。なんかバグマンがヒントでも言おうとしているように見えた。しかしながら、今までのバグマンの言動から考える知的能力だと、世辞にもいい案を提案するとは思えない。

 

 

 セレネは再び椅子に腰をかけた。

 

 

 

 どこか遠くでホイッスルが鳴る。

 その音と共に、セドリックが青ざめた顔をしてテントから出ていく。代わりにハリーが『この世の絶望』という顔をして中に戻って来た。

 どうやらバグマンとの会話は、ハリーの恐怖心を駆り立てるだけで終わったようだ。

 

 

「とりあえず、座ったらどうです?」

 

 

 セレネはぼけっと立っているハリーを一瞥した。ハリーは曖昧な声で何かを言うと、隣に恐る恐る腰を掛ける。傍から見ていても不安になるほど、彼の緊張感が伝わって来た。

 

 フラーがセドリックの足跡をたどるように、テントの中をグルグル歩き回っていた。クラムはまだ、地面をじっと見つめている。

 

 

「おおおおおう!! 危なかった! 危機一髪だ!! これは、おっと危険な賭けだ。下手したら死ぬぞ!?」

 

 

 バグマンの解説が、このテントの中にまで聞こえてきた。

 セレネは家に置いてきたウォークマンが恋しくなった。あの恐怖心を逆なでするかのような解説である。実に不愉快だ。イヤホンをして、お気に入りの曲を最大限にかけながら時を待ちたい。

 

 

 そのうちに、セドリック、フラーの番が終わり、クラムが呼ばれて行った。 

 

 

 

 次は、自分の番だ。

 

 

 ホイッスルの音で立ち上がると、セレネは歩き始めた。

 ハリーに言葉をかけるべきかと悩んだが、今は自分のことだけに集中する。彼は怖がってはいるが、怯えてはいない。対処法をそれなりに練習してきたのだと感じさせた。

 

 テントを出て競技場へと向かうが、いざその時を迎えると手に汗をかいているのが分かった。

 そのまま木立を通り過ぎ、巨大なスタジアムの中に入る。できるだけ普段通りの足取りでスタジアムに入ると、大歓声が耳を貫いた。何百何千という人の顔が、こちらを見下ろしている。

 おそらく、あのどれか一つにダフネたちがいるのだろう。

 

 セレネは観客から目を逸らすと、今度はスタジアムの全体像に目を向けた。

 

 すり鉢状になっているスタジアムは岩だらけで、その奥にドラゴンが構えていた。ドラゴンは黄金の卵をしっかりと抱え込むと、両翼を半分だけ開き、黄色に光る眼で睨みつけている。

 

 セレネは杖を手の中で回した。

 そして、ドラゴンと距離をできるだけ取りながら、なるべく全体が見渡せそうな岩場を登る。ドラゴンはセレネを警戒しているらしく、チリチリっと牙を鳴らした。びりびりとしたドラゴンの緊迫感が、これほど離れているというのに伝わってくる。

 

 

「……物騒な奴だこと」

 

 

 セレネは口の中で呟いた。

 課題の金の卵は、ドラゴンが後生大事に守っている。それを奪わないといけないなんて骨が折れる。スタジアム全体の構造を把握すると、セレネは深呼吸をした。

 

 

 遠くで観衆が大騒ぎするのが聞こえる。それが好意的なものなのか、そうではないのか知ったことではない。

 自分はドラゴンの前足の間に挟まっている金の卵をとればいいだけだ。なるべく、無傷で。

 本当なら『呼び寄せ呪文』を使って、金の卵を手元まで呼び寄せたい。しかし、それが出来るのであれば課題にならないだろう。呼び寄せ呪文を防止する呪文が、かかっていると考えるのが妥当だ。

 

 

「なら、当初の計画でやるしかないか」

 

 

 セレネは覚悟を決めると、思いっきり地面を蹴った。ドラゴンめがけて疾走し始める。そんなセレネを見たドラゴンは、思いっきり息を吸い込んだ。

 

 おそらく火を吐くのだろう。

 案の定、全てを焼き払うような炎を噴射する。そのままの速度をなるべく維持しながら、セレネは真横に跳躍した。そのまま転がりこむように、巨大な岩の後ろに姿を隠した。

 隠れるのとほぼ同時に、オレンジ色の炎がセレネが隠れた岩の真横を通り過ぎた。

 炎の威力は想像よりも強力だった。炎が当たった頑丈そうな岩は、じゅわりと音を立てながら溶けてしまった。セレネはごくりと生唾を飲み込んだ。あの炎は盾の呪文程度では回避できなかったであろう。

 

 

「危なかった……」

 

 

 セレネはドラゴンの視界に入らない岩の後ろを選びながら、徐々にドラゴンへ近づいて行った。2撃目を放とうと、ドラゴンが再び息を吸い込んでいる音が聞こえる。

 

 気のせいではなく、先程の一撃目より吸い込む量が多い。どうやら、ドラゴンはセレネのいる位置がわからないので、手当たり次第に岩を壊そうと考えたらしい。オレンジ色の業火が、周囲に点在するいくつもの岩を溶かしていく。

 

 セレネは炎から逃れるように岩の後ろを移動する。その際、少しだけ眼鏡をずらして炎を見てみた。這うように移動しながら、思わず口元が歪みそうになる。

 炎の威力は予想外だったが、何度も乱発してくれたおかげで、炎の『死の線』が視えた。もともと物質でないモノの線は視にくいのだが、何度も何度も炎を視たおかげで『死の線』を視ることができたのだ。

 

 

 …オレンジ色の炎の中で渦巻いている、美しくも何処か禍々しい深紅の線を…

 

 直死の魔眼を人前で使いたくない。

 1年生の時、身を守るために使用したが、おそらくあの観客の中には忌々しいマスゴミ女もいる。彼女たちの前で使用するのはできる限り避けたい。これは、身を守る最終手段である。

 身を守る最終手段を手に入れたところで、いよいよセレネは本腰をあげることにした。

 

 

 ドラゴンがすべての炎を吐き終え、次の炎を発射するために再び息を吸い込もうとした時、セレネはドラゴンの目の前の岩の上に立った。まるで、ドラゴンに姿を見せつけるかのように。

 ドラゴンは『やっと見つけた』と言いたげに、鼓膜が破れそうな音量で吠えた。セレネは杖を高く空に向けた。

 

 マスゴミ女が自分の前で這いつくばって許しを請う姿を思い描きながら、事前に考えておいた念を一緒に送る。

 

 

「『エクスペクト・パトローナム‐守護霊よ、来たれ』!!」

 

 

 杖の先から銀色の巨大な大蛇が三匹噴射された。三匹の大蛇は、東洋のドラゴンのようにユラリユラリと身体を揺らしながら空へめがけて進んでいく。

 

 観客の目もドラゴンの目も、セレネから外れ大蛇に向けられた。その隙にセレネは『目くらましの呪文』を自分にかける。本当は、より正確に魔法をかけるために詠唱したかった。しかし、詠唱した途端、ドラゴンの視線が守護霊から逸れてしまいそうなので、練習した無言呪文を使う。

 頭の中で呪文を思い浮かべながら、セレネはコンコンっと脳天を叩く。すると、身体の表面全体に冷たいものが、トロトロと流れる感じがした。

 そして、なるべく音をたてないように走りながら、自分の体を確認する。

 

 自分の身体は見えなくなっていた。透明になったというわけではなく、カメレオンの保護色のように、セレネの身体が背後の岩と同化している。

 

 

 さて、空に昇って行った三匹の守護霊は消えずに点滅していた。

 そして、セレネの何倍にも拡大された声で――ドラゴンに向けて言い放つ。

 

 

「このボロ雑巾みたいなノルウェー・リッジバック!」

 

 

 しんっと会場が静まり返った。

 ドラゴンも目を細める。それを気にすることなく、セレネの守護霊は代わる代わる吹き込まれた念を語り続ける。

 

 

「豚のように泣き喚いて、本当にみっともない奴だこと」

「蛇の方がずっと頭がよさそう。同じトカゲなのに、馬鹿っぽい」

「馬鹿馬鹿馬鹿、この大馬鹿ドラゴン!!」

 

 

 

 ドラゴンは代わる代わる繰り出される罵倒に、怒りが湧き上がって来たのだろう。大きく一吼えすると、業火を噴出した。しかし、守護霊に炎は効果がない。罵倒は続き、怒り心頭のドラゴンは翼を大きく広げ、羽ばたこうとした。

 

 

 解説者のバグマンが遠くで何か叫んでいるような気がしたが、セレネは特に気ならなかった。

 

 

 自分らしくない罵倒だということは分かっている。

 もう少しスマートに勝つ方法もあったはずだ。守護霊だけを打ち上げても良かったかもしれない。それだけでも、ドラゴンの気を逸らすには十分だ。

 

 しかし、これは競技だ。

 ドラゴンを出し抜く方法だけでなく、呪文の質も採点に入ってくるはずである。

 

 そうなると、7年生が受ける魔法テストレベルの呪文――守護霊の呪文の応用術は、かなりの高得点になるはずだ。

 

 

 いまや、ドラゴンの興味は守護霊に向かれている。

 本来なら守護霊はすぐに消滅してしまうが、言葉を吹き込んであるので、それがすべて終わるまで消えることはない。とはいっても、そこまで罵倒の言葉を吹き込んでいるわけではないので、姿を隠しているうちに金の卵へ一気に近づいた。

 足音に気づかれないように、クッションの呪文を足にかけ、足音も消しているので万全である。

 

 ドラゴンはいまやセレネのことなど頭にないのだろう。

 狂暴な牙を観客に見せつけながら、守護霊に吠え掛かっている。足は金の卵から離れ、少し浮き始めていた。あとほんの数歩でドラゴンの前足と前足の間に挟まっている卵に手が届く、という時に、さぁーっと熱い液体のようなものが身体の表面を流れた感じがした。

 何が起こったのだろうか、と思い自分の身体を見て愕然とした。

 

 

 付け焼刃ともいえる無言呪文で、不完全にかかっていたのであろう『目くらましの呪文』が解けてしまっていたのだ。

 

 今も罵倒を続ける守護霊に炎を噴射しようと構えていたドラゴンの眼に、卵に手を伸ばすセレネの姿が大きく映る。

 

 

「―――ッ!!!!!」

 

 

 ドラゴンは大きく吼えた。セレネが金の卵を抱えこんだのと、ドラゴンがセレネめがけて炎を吐くのは、ほぼ同時だった。オレンジ色の業火が渦巻きながら襲い掛かる。

 

 

 この距離で隠れる場所はない。

 セレネの盾の呪文では、きっと効果がない。

 

 いまたとえ赤い花火を打ち上げたところで、救助が間に合う距離ではない。

 

 

 セレネは考えるより先に眼鏡を取り外していた。

 とっさに杖で宙を切るように振るい、オレンジ色の炎の中で渦巻いている深紅の線を切った。その途端、炎がもともとなかったかのように霧散する。

 ドラゴンは何が起こったのか分からずに、闇雲に辺りかまわず炎を噴射させた。セレネは金の卵を左腕でしっかりと抱えたまま、再び杖の先で『線』を切る。

 混乱したドラゴンは、三度息を吸い込んだ。そして――

 

 

「「「『プロテゴ‐守れ』!」」」

 

 

 もう一撃、セレネの方に炎が噴射された時、目の前に巨大な壁が現れ炎を弾き飛ばす。振り返ると、ドラゴン使いだと思われるマントを着た人たちが、慌てて駆けてくるところだった。その向こうには、スネイプとマクゴナガルが蒼白な顔をして駆けてくる。

 さらに奥にはムーディ先生が少しニヤついた顔で立っていた。

 

 

 そうだ。金の卵を無事にとったから、課題は終わったのだ。ぼんやりと頭の片隅で考える。課題が終わったという現実感がない。

 

 

 セレネはその場に座り込みたくなる気持ちを抑え、教授たちの方へ歩き始める。

 ところがだ。

 教授陣のところに辿りつき、スネイプが何か言おうとしたその時、割り込むように誰かが入って来た。

 

 

「素晴らしい戦いだったざんすね、お嬢ちゃん」

 

 

 リータ・スキーターが割り込んできたのだ。

 マイクを持って、カメラをこちらに向けてくる。セレネは言いようもない嫌悪感を押し込め、これまでにない笑顔を向けた。

 

 

「ありがとうございます」

「この綺麗な口からあの罵倒が出たのだと思うと、ぞくぞくするざんす。それから、最後の消失呪文は――」

「それについては、後日お話ししましょう。私、貴方が喜びそうな話をたくさん知っているんです。

 

 ……三本の箒の個室で会いませんか?」

 

 

 セレネがした手に出ると、彼女はふんっと笑った。

 

 

「まあ、よいでざんしょ。クリスマスの後で良いなら」

「ありがとうございます、スキーターさん!!……なので、今はそっとしておいてください。ちょっと疲れているんです」

 

 

 セレネは引きつりそうになりながらも、精一杯の笑顔で対応した。

 

 

 

 ……クリスマスの後がこれほどまでに楽しみだったことはない。

 セレネは課題が終わったこと、そして、リータ・スキーターと約束を交わしたこと。その二つの幸福感を味わいながら、審査員席の方へ歩み始めるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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