スリザリンの継承者―魔眼の担い手―   作:寺町朱穂

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66話 蛇と獅子

 土曜日の早朝、セレネ・ゴーントはベッドを抜け出す。

 授業がない日だけあり、ダフネ以下他の寮生たちは夢の中だ。まだ太陽すら顔を出しきっていない。普段なら廊下もゴーストや悪戯好きのピーブスが泳いでいるものだが、この時間帯は城全体が深海に沈んでいるように静まり返っている。

 

 セレネは東の空が朝焼けに染まる様子を横目で見ながら、監督生専用浴場の扉をくぐった。

 朝のシャワーが心地よいように、朝の風呂というものは心身ともに爽やかな気持ちになれる。特にこの時間は滅多に人が訪れない。自分一人、談話室よりも広く輝く浴場を使うという贅沢な気持ちにも浸ることができる。

 

「ふはぁ……」

 

 セレネは湯船につかりながら、ぐっと両腕を伸ばした。

 

 平日は授業があるのでのんびりできないが、土日は別だ。

 思う存分、ゆっくりと朝の風呂を楽しむことができる。身体の芯まで癒され、策略など巡らせなくても良い絶好の息抜きだった。湯気が立ち上り、天井まで白く染め上げていく様子を眺めながら、セレネはゆっくりと湯船に沈む。

 気持ちもゆったりと落ち着き、気が付くと先日、義父が日本で購入したアニメの主題歌を口ずさんでいた。主題歌自体は日本語だったが、元は過去にイギリスで流行した歌だった。非常に歌いやすく、どことなく馴染みやすい。アニメの内容も、どこか興味深いものだった。自分と同じ年ごろの少女が、進路や恋愛に悩む物語である。

 

「……進路、か」

 

 恋愛に関しては良く分からない。興味もたいしてない。

 だが、進路は別だ。そもそも、自分はホムンクルスと人間との間に生まれた奇跡のような存在だ。遺伝子操作された生き物は、あまり長く生きられない。だから、自分も長生きできない。その短い人生の中で、ヴォルデモートを倒し、余生は義父とゆっくり本でも読みながら過ごせればそれでいいのだ。

 ただ、きっと義父はセレネがまっとうな仕事に就いていないと心配するだろう。そのためにも、それなりの職に就きたいとは考えていたが、マグルの職にするのか、それとも、魔法界で職を探すのか、正直なところ、まだ決めかねていた。

 

「でも、普通の職に就いたら、あの蛇男を倒す時間を確保できるかどうか……ん?」

 

 ひたひたと近づいてくる音が聞こえてくる。セレネは口を閉ざすと、後ろを振り返った。白い湯気で人影がぼんやりとしか見えない。

 

「……誰ですか?」

「その声は……もしかして、セレネ?」

 

 凛とした声が返って来る。セレネは背筋を伸ばした。

 

「……おはようございます、ハーマイオニー」 

「おはよう、セレネ」

 

 セレネの隣に、ハーマイオニーが入って来た。長い栗毛を濡らさないように纏め上げている。

 

「セレネは風呂場でも眼鏡なのね。防水呪文をかけてるの?」

「ええ。これがないと、生きにくいので。……それよりも、どうして貴方がここに?」

「早く目が覚めちゃったの。OWLの勉強や帽子を編もうかと思ったけど、せっかく監督生になったのに、あまりここに来てなかったから」

「帽子?」

 

 セレネは少し首を傾げる。

 

「誰かへのプレゼントですか?」

 

 考えてみれば、もうすぐバレンタインデーが近い。

 ダフネとパーキンソンは編み物魔法を習得しようと悪戦苦闘している。両者とも、バレンタインデーに誰かへプレゼントをする気らしい。ハーマイオニーもそうなのだろうか、と思っていると、彼女は誇らしげに微笑んだ。

 

「しもべ妖精解放運動よ。自由を求めている彼らが、本当の気持ちに素直になれるように。

 そういえば、セレネにはまだ話してなかったわね」

 

 ハーマイオニーの目がきらりと輝いた。セレネの胸に嫌な予感が横切る。

 

「SPEW! 私はね、先学期に屋敷しもべ妖精福祉振興協会を立ち上げたの! セレネはベッドのシーツや城の掃除、いつも食べている料理を誰が作っているか知ってる?」

「……しもべ妖精ですか?」

「そうなの! でも、彼らはろくな服も着れずに年中無休で賃金も貰わず、ただで働かされているの! 彼らはホグワーツ城内でも『姿くらまし』を使えるくらい、素晴らしい魔法を秘めた存在なのに!

 これは、奴隷労働だと思わない!?」

「……それは、どうでしょう?」

 

 セレネは言葉を濁した。

 しもべ妖精は1度だけ見たことがある。マルフォイ家の妖精だ。彼らは、セレネがクリスマスパーティーへ行くときに送迎してくれたり、パーティーで食事や飲み物を運んだりしていた。みすぼらしい服装だと感じたが、それを指摘すると、彼らは侮辱されたように怒ったことを思い出す。

 

「本人たちが満足しているなら、それで構わないと思いますが」

「セレネ。それは洗脳されているからよ。最初から、彼らは自由を知らないの。実際に、1人――自由を知り、楽しく生きている妖精がいるわ」

 

 彼女の言葉には熱がこもっていた。

 セレネは小さく息を吐いた。彼女は素晴らしい魔女だ。魔法に関する知識が豊富で、それを実践する実力もある。策謀力は密談場所にホッグスヘッドを指定していることから、まだまだ発展途上だが、闇の魔術に対する防衛術の自習が必要と判断する力も行動力もある。

 

 どうやら、今回はその行動力が裏目に出てしまっているらしい。

 

「ねぇ、セレネも入会しない?」

「様子見では駄目ですか?」

「これは、早急な問題よ! 奴隷なんて、絶対に許されないことだもの」

「……実際に、しもべ妖精たちの労働環境を見ないことには、判断しかねますね」

 

 セレネは問題を先延ばしにすることに決めた。

 しもべ妖精たちは好きで働いている。それで満足しているのだ。もちろん、劣悪な労働環境であるなら話は変わってくるのだが、おそらくホグワーツの場合は違うだろう。それをいきなり部外者が乗り込み「もっと自由になりなさい」と押し付けることは、ある種の文化の破壊に近い。よけいなお節介という奴だ。

 

 だが、それをハーマイオニーに伝えたところで、彼女が納得するとは思えなかった。彼女の反論に、また反論するのも面倒である。風呂に疲れを取りに来た意味がなくなってしまう。

 

「ちなみに、ホグワーツのしもべ妖精はどこにいるのですか?」

「普段は厨房ね。大広間を出て右側の扉から地下に進むと、果物の絵があるの。その中の梨をくすぐると、厨房に行けるわ。絶対に行ってみてね」

 

 ハーマイオニーが自信気に言い放つ。たぶん、セレネが自分から厨房に行くことはないだろう。

 

「ええ、時間があるときに行ってみます」

 

 セレネはそれだけ言うと、湯船から上がることにした。

 今日はこれ以上、のんびりすることは難しそうである。

 

「あ、そうだ。セレネは今日のDAに来るわよね?」

 

 セレネが傍に置いてあったタオルで頭を拭いていると、後ろからハーマイオニーの声が追いかけてきた。

 

「ええ。時間が合えば行きますよ」

「お願いね。あなたがいないと、ハリーが寂しがるのよ」

「ハリーが?」

 

 セレネは少しだけ目を丸くし、すぐに納得する。

 不死鳥の騎士団関係の情報を手に入れるため、ハリーを肯定するように接している。皆が反発する中、自分を肯定してくれる存在に懐いても不思議ではない。むしろ、そうなるように仕向けている。

 

 いまのハリー・ポッターは、すっかりセレネの掌で踊る駒だ。

 

「分かりました。なるべく行きます」

 

 セレネはそれだけ答えると、身支度を整えて大広間へと向かった。

 太陽は昇り、鳥の声が聞こえてくる。ちょうど、朝食の時間だろう。今日は朝食を食べたらDAまで秘密の部屋にこもる予定だった。昼食のパンを包んで持って帰ろうか、なんて考えながら階段を降りていると、玄関ホールが騒がしいことに気づいた。玄関ホールまで降りたくても、階段はレイブンクロー生やグリフィンドール生で埋まってしまって前が見えない。セレネが困っていると、レイブンクローの監督生でありDAのメンバー、パドマ・パチルが手招きをしてくれた。

 

「どうしたのですか、これは?」

「玄関ホールで喧嘩ね。こっちから良く見えるわ」

 

 セレネはパドマと一緒に階段の端から身体を乗り出してみる。

 そして、セレネは目を丸くしてしまった。

 

「絶対に、ハリーのほうが強い!」

「いや、セレネのほうが強い!!」

 

 大広間の前で、喧嘩が勃発していた。

 グリフィンドールのナイジェル・ウォルパートとスリザリンのノーマン・ウォルパートの兄弟による口喧嘩である。互いに額を突き合わせ、一歩も譲れぬ形相で言い合いをしていた。

 

「いいか、ノーマン。ハリーは4度も『あの人』と対決して、生き残ってるんだ! それだけでも、普通の人よりずっと強いことがわかるだろ? それに、14歳で代表選手に選ばれて優勝しているんだ」

「それなら、セレネだって同じだよ。3度も『あの人』と対決して、生き残ってる! 14歳で代表選手だし、その時使った魔法はハリーよりずっと高度だったって教えてもらったよ!」

「ふん、ノーマンはハリーの杖捌きを見たことないだろ? 6年生のチョウ・チャンよりずっと素早く動くんだぜ!?」

「セレネだって凄いよ。7年生も使えない呪文を簡単に使いこなしてるんだ!」

 

 次第に、彼らは言い争っても意味がないと判断したらしい。どちらもほぼ同時に杖を引き抜き、呪文を叫んだ。

 

「見損なったぞ、ノーマン!『レビコーパス‐身体浮遊』!」

「兄さんの分からず屋!『デンソージオ‐歯呪い』!」

 

 二人の放った呪文は激突し、空中で跳ね返ってくる。ノーマンは盾の呪文を展開し、ナイジェルは横に跳ぶことで躱した。盾の呪文を維持するノーマンより、ナイジェルのほうが素早く体勢を立て直す。玄関ホールの床を転がりながら、ノーマンに向けて呪文を放った。

 

「『ファーナンキュラス‐鼻呪い』!」

 

 しかし、まだ2年生。狙いが甘く、ノーマンに当たらなかった。ノーマンは盾の呪文を消すと、ナイジェルに狙いを定める。

 

「『リクタスセンプラ‐笑い続けよ』!」

 

 ノーマンの放った銀色の閃光はナイジェルに向かって奔る。だが、ナイジェルは間一髪のところで石像の後ろに隠れ、呪文を防いだ。ナイジェルは粉々に割れた石像の後ろから顔をだすと、少し怒った顔で杖を振る。ノーマンも自慢の呪文を兄に防がれたことに苛立ちを覚えたのか、顔から不機嫌さが滲み出ていた。

 

 だが、玄関ホールでこんな決闘騒ぎが起きて、教師が気づかないわけない。

 

「エヘン、エヘン」

 

 独特な咳払いと共に、アンブリッジが姿を現した。

 

「貴方たち、何事なの?」

 

 アンブリッジは少女っぽい甘ったるい作り声で、ウォルパート兄弟に語りかける。ガマガエルのように飛び出した目が二人を交互に見渡している。

 しかし、すっかり頭に血が上った彼らには届かない。アンブリッジの登場にすら気づいていないのだろう。二人とも互いに呪文をかけあっている。完全に無視されたアンブリッジは少し怒ったような顔になると、杖を取り出した。

 

「おやめなさい。さもないと、罰則ですわ――ぎゃあっ!」

 

 二人とも、ここでようやく邪魔者ガエルの存在に気付いたのだろう。血走った目でアンブリッジを睨みつけると、なにか呪文を唱えながら杖を振った。爆発のような衝撃と共に、互いの杖から閃光が奔る。

 

「わ、わたくし、は、高等、じんもん、かん――」

 

 二人の呪文を浴びたアンブリッジは、白目をむいて倒れ込んだ。

 顔のいたるところから、くらげの足が伸びてうようよとうごめいている。

 

「あれ、なに?」

 

 パドマがセレネの耳元に囁いてくる。セレネは口早に

 

「『くらげ足呪い』と『できもの呪い』が当たったのでしょうね」

 

 と答えた。

 ガマガエルが起き上がる気配はなかった。誰も助けに入らなかった。むしろ、グリフィンドール生を始めとする生徒たちは歓声を送っている。セレネが見る限り、地下室から登って来たスリザリン生の一部――主に親衛隊の幹部陣が密かにガッツポーズをしているのが見えた。

 

 ウォルパート兄弟の決闘は激しさを増している。

 時折、兄弟の流れ呪文が壁を破壊したり、再びアンブリッジに当たったりして、被害を増やしていった。

 

「『レデュシオ-縮め』!」

「『エンゴージオ‐肥大せよ』!」

 

「そこまでです!」

 

 2人の声を遮るように、マクゴナガルの凛と通る声が玄関ホールに響き渡った。

 宙を走る2本の閃光は消滅し、ナイジェルたちの手から杖が飛び上がる。木の棒はくるくると回りながら、マクゴナガルの手に収まった。

 

「グリフィンドールとスリザリンから20点ずつ減点! まったく、こんな朝から玄関ホールで決闘とは……いったい、何があったというのです?」

 

 ナイジェルとノーマンは互いにばつの悪そうな顔をした。

 ここにきて、二人とも自分たちの喧嘩が大多数の生徒たちから注目されていたことに気付いたらしい。ナイジェルは群衆の中にハリーの姿を見て、ノーマンはセレネの姿を見つけ、申し訳なさそうに縮こまった。

 

「えっと……僕は、ホグワーツの生徒で1番強いのはハリー・ポッターだと言ったんです」

「でも、その……僕は、セレネ・ゴーントの方が強いって……」

「……それが喧嘩の理由ですか」

 

 マクゴナガルは頭が痛そうに額に手を置いた。

 

「先輩に憧れるのは結構です。しかし、まずは周囲の迷惑を考えなさい。ほら、そこの皆さんは突っ立っていないで、朝食を食べなさい。時間は有限ですよ」

 

 マクゴナガルはそれだけ言うと、ローブを翻して戻って行った。

 床に伸びたままのアンブリッジを放置したまま。結局、ガマガエルはフィルチによって医務室に運ばれて行ったらしい。

 

「まったく、ノーマンは……」

 

 セレネは頭が痛くなった。

 彼は試験対策クラブでも成績が良く、セレネへの崇拝度合いはカロー姉妹に匹敵する。時折、セレネ自ら上級生向けの魔法を紹介し、教えるほど気に入っていた。それをすぐに理解し、実践できるのは素晴らしいが、こんな兄弟喧嘩に使うために教えたのではない。そのことをしっかり伝えないといけないと考えながら階段を降りていると、パドマが話しかけてきた。

 

「でも、ゴーント。私は彼らの喧嘩の理由、少し理解できるかもしれないわ」

「どこがですか?」

「だって、私もポッターとゴーント。どちらが強いのか気になるもの」

「馬鹿なことを考えないでください」

 

 セレネは一蹴したが、パドマの考えはDAに参加する生徒ほとんどが抱いているものだった。

 

 

 ハリー・ポッターとセレネ・ゴーント。

 はたして、どちらが強いのか。

 

 

 二人ともヴォルデモートと何度も対峙し、生き残っている。

 アンブリッジ以外の「闇の魔術に対する防衛術」の成績もよく、14歳ながら他の代表選手に匹敵、もしくは圧倒する実力を見せていた。

 

 しかし、いままでDAでは、ハリーが主に魔法を使い、先生として振る舞っている。セレネはあくまでサポート役だ。

 これだけ見れば、ハリーの方が強いのだろうと感じても不思議ではない。だが、セレネが使うサポート魔法は7年生でも苦戦するようなレベルのものが多かった。部屋の壁全体をクッション魔法で柔らかくするなど、NEWT試験レベルの魔法である。それを長時間維持し続けながら、顔色一つ変えないとなれば、NEWT試験レベルを遥かに凌駕していることがわかるはずだ。

 

 だからだろう。

 その日の夜に「必要の部屋」でDAのメンバーが全員集まった時、ハッフルパフのザカリアス・スミスが、こんなことを聞いてきたのだ。

 

「ポッターとゴーント、どっちが強いんだ?」

 

 と。

 ハリーは困ったような顔をした。

 

「えっと……それは……」

「朝、ウォルパート兄弟の喧嘩を見ただろ? みんな気になるんじゃないか?」

「スミス、DAは誰が強いのか決める会じゃ――」

「……そうね、いい機会かもしれないわ」

 

 ハリーの言葉を遮るように、ハーマイオニーが呟いた。 

 ハリーもロンも、提案したスミス自体、驚いたように彼女に視線を向ける。

 

「今日のDAは、ハリーとセレネの決闘を見て学ぶのはどうかしら?」

「正気か、ハーマイオニー!?」

 

 まっさきに反対したのは、ロン・ウィーズリーだった。

 

「相手はゴーントだぞ? なにをしかけてくるか、分かったものじゃない!」

「ロン、セレネは味方よ。いい加減、色眼鏡をつけて見るのを止めて。

 それに、実践を目にすることで、呪文の使い方や戦術、動き方を学ぶことができると思うわ。どう、ハリー? セレネ?」

 

 ハーマイオニーが問いかけてくる。ハリーは依然として困ったような顔をしていた。セレネはその姿を横目で確認し、呆れたように肩を落とす。

 

「私は別に構いません。ですが、1つだけ。ハリー。これはどうします?」

 

 セレネは眼鏡に左手を添えた。ハーマイオニーを含むほぼすべての生徒たちは、何を言っているのか分からないという顔をしている。だが、ハリーだけは考え込むように腕を組んだ。

 

「眼鏡はありでやろう。だって、セレネは眼鏡がないと、その、具合が悪くなるんだよね?」

「……へぇ、私の心配ですか」

 

 セレネはハリーの発言に、口の端を上げた。

 彼は「直死の魔眼」について知っているのだろう。なにしろ、ヴォルデモートが墓場で暴露していたのだ。ハリーのことだから、あとでダンブルドアあたりに魔眼について質問していたとしても不思議ではない。

 だが、彼は「魔眼には敵わないから」ではなく「セレネの体調が心配」という理由で「魔眼なし」の戦闘を選んだ。

 

「では、眼鏡はありでいきましょうか」

 

 セレネはそう言うと、杖を取り出した。

 棚の上に置いてあったチョークを浮遊させ、白い円を描いていく。

 

「相手をこの円から出す、もしくは、戦闘不能の状態にさせる。それが勝利条件でいかがでしょうか?」

 

 セレネはそう言いながら、ハーマイオニーに視線を向ける。

 

「ええ。それがいいと思うわ」

 

 必要の部屋に集まった生徒たちは、白い円の外側に出て行く。

 

「やっちまえ、ハリー!」

「セレネ、頑張って!!」

 

 声援が聞こえてくる。

 セレネとハリーは円の中心に立った。

 

 そして、ほぼ同時に杖を顔の前で掲げ、軽く一礼する。

 後ろに三歩歩き、互いに向き合った。

 

「僕が三つ数えたら始めるよ」

 

 セドリック・ディゴリーが告げた。

 セレネはここに集った皆の視線を感じながら、呼吸を整える。

 ハリー・ポッターとの直接戦闘で敗北するなど、万に一つもありえない。だが、彼は幸運の持ち主だ。油断大敵である。セレネは油断なく杖を構えたまま、セドリックの声を待った。

 

「三……二……一、開始!!」

「『エクスペリアームズ―武器よ去れ』!」

 

 ハリーの武装解除の呪文が宙を奔る。セレネは呪文が身体に当たる前に、身体を半歩動かした。威力はそこそこにあり、速度もそれなりに出ている。だが、まだ見切れる。セレネはにやりと笑いかけた。

 

「ハリー・ポッター、あなたの呪文はこの程度ですか?」

「まさか! 『エクスペリアームズ』!」

「『ステューピファイ‐麻痺せよ』」

 

 今度はセレネも杖を振るう。意味合いの異なる赤い閃光が宙で激突し、四散していった。セレネは閃光同士が激突した瞬間を見る前に、新たな呪文を唱える。

 

「『エイビス‐鳥よ』」

 

 セレネの杖先から、数羽の青い小鳥が出現する。蛇でも良かったが、蛇語で逆に制御されてしまう恐れがある。セレネの作り出した鳥は、忙しそうに羽ばたきながら頭上まで昇っていく。

 ハリーはまだ、鳥の出現に気づいていない。

 

「『オパグノ―襲え』!」

 

 セレネは貫くように呪文を唱える。途端、鳥たちは弾丸のようにハリーに襲いかかる。

 

「『プロテゴ―守れ』!!」

 

 ハリーは瞬時に杖を振った。彼の前に現れた盾が鳥たちの追撃を阻む。もとより、鳥たちには大した魔力を込めていなかったこともあり、盾に激突した瞬間に羽を散らしながら消えて行った。しかし、ハリーの出した盾が守るのは前面だけだ。

 

 つまり、背後ががら空きになる。

 

「『ペトリフィカス・トタルス‐石になれ』」

 

 セレネはハリーの背後に回り込むと、凍結呪文を放つ。これで、チェックメイトだ。そう思っていたが、これまた運の良いことに、ハリーは床に転がるようにして閃光を避ける。

 

「『エクスペリアームズ』!」

 

 ハリーは床に這いつくばる姿勢のまま、三度目の赤い閃光を放った。セレネは無言で盾を展開する。そして、盾を展開したまま、セレネは突き刺すように魔法を放った。

 

「『インカーセラス‐縛れ』!」

 

 杖先から放たれた縄は蛇のようにうねりながら、ハリーの身体を締めあげる。これで、もう彼は身動きが取れない。セレネは軽く杖を振った。

 

「『アクシオ―来い』」

 

 ハリーの手の中から杖が飛びだし、セレネの手の内に収まる。これで、ハリーは四肢の動きを封じられ、杖もない。

 

「勝負あったかな。勝者はセレネ・ゴーント」

 

 セドリック・ディゴリーの声が響き渡った。勝負を観戦していた生徒たちから拍手や歓声、そして、悔しがる声が必要の部屋に響き渡る。視界の端では、ダフネとジャスティンが嬉しそうに拍手をしている姿や、レイブンクロー生たちが今の試合を分析している様子が見えた。

 

「……甘すぎますよ、ハリー」

 

 セレネは呆れたように呟いた。

 外野のグリフィンドール生たちの悔しがる声を小耳に挟みながら、ゆっくりとハリーに歩み寄っていく。

 

「あなた、どうして武装解除の呪文しか使わなかったのですか?」

 

 セレネは消失呪文でハリーを縛る縄を消しながら、静かに問いただす。

 

「失神呪文や妨害呪文は使えるはずです。攻撃系の呪文だって他にも知っているはずでしょうに」

 

 ハリーが使ったのは、武装解除と盾の呪文だけだ。

 せめて、失神呪文や衝撃呪文を組み合わせれば、傷を負わせることだってできたはずである。失神呪文を連発してくれば、セレネだって真面目に盾の呪文を構築する必要がある。戦略の幅が狭まり、もう少し楽しい決闘ができた筈だ。

 

「それは……」

 

 ハリーは気まずそうに顔を逸らす。

 セレネは腰に手を当てると、もう片方の手で杖を差し出した。

 

「敵は縄で縛った程度で見逃してくれませんよ」

「……セレネは敵じゃないよ」

 

 ハリーは杖を受け取ると、消え入りそうな声で呟いた。

 負けたことが悔しいのか、一向に視線が合わない。

 

「セレネに攻撃なんて、できるわけないよ」

「どうしてですか?」

 

 セレネはたいして気に留めてないように聞き返す。

 どうせ、ハリー・ポッターのことだ。「友だちだから」とか「仲間だから」という一般論を提示してくるのだろう。だが、いまの戦いは決闘だ。友だちだろうが何だろうが、相手を倒す必要がある。なによりも、DAの授業の一環だ。本気でやり合わなければ意味がない。

 その意味では、ハリーは最初の時点で――セレネに「魔眼の使用禁止」というハンデを与えた時点で、本気もなにもあった決闘ではなかったのである。

 

「これは決闘です。本気でやらなければ意味がありません。いまの貴方は、いったい何割の力で――」

「君を攻撃できるわけないよ!!」

 

 ハリーは大声で叫ぶと、セレネの手を握ってきた。

 

「だって、僕は……君のことが好きなんだ!」

「……へ?」

 

 セレネは固まった。

 バットで頭を殴られたような衝撃だ。

 

「す、き?」

 

 セレネは彼が放った言葉の意味が分からず、ぽかんと聞き返した。

 ここで初めて、ハリーと目が合う。アーモンド形の緑色の瞳が、こちらをまっすぐ見据えていた。

 

「セレネだけだったんだ。僕のことを認めてくれたのは、セレネだけだったんだよ。セレネと一緒にいると心地がいいし、励ましてくれて嬉しかった。気が付くと、いつもセレネのことばかり考えているんだ」

 

 ハリーは堰を斬ったように、恥ずかしい言葉を連射してくる。セレネは自分の顔に熱が集まってくるのを感じる。止めないといけない。ハリーの口を消す呪文を唱えなければならない。そう思っているのに、身体が凍結呪文にかけられたように動いてくれない。

 

「君の遠くを見ているような黒い瞳も素敵だし、あの時――あの墓場で、ヴォルデモートからあんな仕打ちを受けていたのに、立ち上がって戦う姿も可憐だった」

「え、えっと……」

「でも、僕は君の笑顔が一番好きなんだ!

 ロックを聞いているの嬉しそうな顔や、ちょっとした時に見せる微笑みが大好きだ!」

 

 ハリーの方も、話せば話すほど顔が熱したように赤くなっていく。 

 握りしめられた手にも汗が滲んでいる。

 

「だから、その……返事を聞かせて欲しい」

 

 ハリーが自分の言っていることに戸惑うように、最後の言葉は小さく萎んでいく。

 セレネは答えることができなかった。まず、ハリーが何を言っているのか理解できない。脳がフル回転しているのに、まるで頭に入ってこないのだ。体中が高熱を出しているかのように熱く、オーバーヒート寸前である。

 

 ただ、外野の音だけがひどく鮮明に聞こえてくる。

 フレッドとジョージ・ウィーズリーが口笛を吹く音、女子生徒たちのくすぐったそうな笑い声。そう、女子生徒の中には、チョウ・チャンも含まれている。

 ハリーは、チョウ・チャンのことが好きだったはずだ。それがどうして、どこをどうしたら自分になってしまったのか。否、確かにハリーの関心が自分に向くように誘導したが、ここまでは望んでいない。

 

「あ、あ、あなたは……」

 

 そうだ、言ってしまえばいい。

 あなたのことは、ただの駒だとしか思えない。ダンブルドアや不死鳥の騎士団の情報を引き出すための駒だと。しかし、その簡単な一言が口に出せない。

 

 まっすぐ向けられた純粋な好意を足蹴りすることなんて、できるはずがない。

 

「……少し、考えさせてください」

 

 なんとかそれだけ言うと、セレネはハリーの手を振りほどき、逃げるように走り去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ミス・ゴーント、いま私が話したところを読んでくださいな」

 

 アンブリッジの声で、セレネは我に返る。

 月曜日の一時間目「闇の魔術に対する防衛術」の時間だ。

 アンブリッジの顔はウォルパート兄弟の呪いのせいで、ますますガマガエルに似てきている。随分とマシになったが、吹き出物がいたるところに残っていた。

 

「ゴーント?」

「すみません、聞いていませんでした」

 

 セレネが素直に謝ると、アンブリッジは小さく頷いた。

 

「ゴーント、今の時間は何をする時間ですか?」

「闇の魔術に対する防衛術の時間です、アンブリッジ先生」

「そうよね。でも、あなたの開いている教科書は違うみたいよ」

「え?」

 

 ここで初めて、セレネは呪文学の教科書を広げていることに気づいた。

 慌てて「防衛術の理論」を取り出すと、アンブリッジは呆れたように頭を振った。

 

「では、ゴーントの代わりに、ミスター・マルフォイ。お願いね」

「はい、アンブリッジ先生」

 

 マルフォイが意気揚々と教科書を読み始める。

 セレネはその声を聞きながら、再び思考の海に沈んでいく。

 

「ちょっと、セレネ。あんた、大丈夫?」

 

 授業が終わると、ミリセントが心配そうに声をかけてきた。

 

「昨日からずっと上の空じゃない。なにかあったの?」

「……別に、なにもありませんよ。それより、次の時間は何でしたっけ?」

「えっと、その……魔法薬学だよ」

 

 ダフネが遠慮がちに教えてくれた。

 この言葉もセレネの頭の中で通り過ぎかけ、ふと――立ち止まる。

 

「魔法薬学……?」

 

 魔法薬学は、スリザリンとグリフィンドールの合同授業だ。

 つまり、ハリーと顔を合わせないといけない。そのことに気づいた途端、顔が急激に熱くなり始めた。

 

「ごめんなさい、ミリセントとダフネ。今日、ちょっと休みます!」

「えっ、たしかに顔が熱っぽいけど……って、セレネ!!」

 

 セレネは早口で二人に伝えると、急いで逆方向に歩き始めた。

 

 

 ハリーの感情や関心を操作したのは、まぎれもなく自分自身だ。ある意味、ハリーが感じている気持ちは作られた偽物である。

 しかし、当人にとっては本物だ。なにせ、作られた感情だという自覚がない。

 

 本物だと思っている気持ちを壊すのは、非常に簡単だ。

 だが、それをしてしまったが最後、もうハリーとは絶縁関係になってしまいかねない。ここで、貴重な情報源を失うわけにはいかない。

 だからといって、ハリーの真剣な気持ちを打算で受け止めていいのだろうか。

 

「こんなときこそ、役に立ってよ」

 

 セレネは噛みしめるように、言葉を口にする。

 グリンデルバルドに事情を説明し、解決策を考えてもらうという手もある。それが一番手っ取り早いのだが、あの策謀を巡らす闇の魔法使いのことだ。きっと、真顔で『打算で付き合え。もっともっと夢中にさせ、溺れさせるのだ。完全なる駒にしてしまえばいい』と教えてくれるはずである。

 

 それでは、何の意味もない。

 

 セレネが歩みを止め、壁に寄りかかって項垂れている時だった。

 

「お前さ、本当にどうしたんだよ?」

 

 予想以上の近くから聞こえてきた声に、少しだけ驚く。セレネの斜め後ろには、背の高い少年が息を切らして立っていた。

 

「……魔法薬学はどうしたのですか、セオドール・ノット?」

「一回くらい大丈夫だろ。それより、どうしたんだよ? 話しくらいなら聞いてやるから」

 

 ノットはポケットに手を突っ込み、無愛想な態度で聞いてくる。

 セレネは彼の提案を受け、少しだけ考え込んだ。

 彼は現状、セレネが一番に信頼を置いている男子生徒だ。相談するに、最もふさわしい人物かもしれない。

 

「……誰にも言いませんね」

「当たり前だ。ここだと不安なら、ふくろう小屋まで移動するか? この時間なら、あそこに誰も近づかないだろ」

「そうですね。そこで、話を聞いてくれると嬉しいです」

 

 願わくば、これからの会話で解決策が見つかりますように。

 

 

 セレネは心で祈りながら、ふくろう小屋へ向かうのだった。

 

 

 

 

 





衆人環視の元、ハリーの決死の告白が炸裂。
ハリーの訴えは、セレネの心を貫くのか!?

次回「ハリー玉砕、男の花道」。お楽しみに!


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