オークションは夜からだ。
オークションのために外部からやってくる魔法使いたちのため、列車を覆っていた神秘は薄まっている。
だから、こんなに早く死喰い人たちが勘づけ、押し寄せてきてしまったのだろう。
「ちょっと、一人で大丈夫なの?」
セレネが廊下に出ると、カリーが話しかけてきた。少し離れたところでは、ルヴィアゼリッタが腕を組みながら、厳しい表情でこちらの様子を確認している。
「ええ、私の不始末ですから」
腕を交差させるように組み、軽くストレッチをしながら廊下を進む。かつかつとブーツが鳴る音だけが廊下に響いていた。セレネはカリーの脇を通り過ぎ、眼帯の魔法使いの傍を通り過ぎようとしたとき、彼は掠れたような声で話しかけてきた。
「列車が長く停車すると、オークションの開始が危ぶまれるかもしれん」
レーマンがひっそりと助言をする。
「手短に済ませてもらいたいものだ。1年に1度の大事な日なのでね」
「助言、感謝します」
レーマンは何も言わなかった。セレネもレーマンを一瞬たりとも見なかった。
彼は死喰い人の襲来などどうでも良いのだろう。それよりも、魔眼のオークションが開催される方が大事なのだ。
セレネもその意見に同感である。
セオドールが両眼を失った今、魔眼オークションの開催は死活問題だ。オークションで彼にとってためになる魔眼を入手できなかった場合、浄眼を失っただけで終わってしまう。それだけは避けたい。
「さてと、やりますか」
セレネは扉を蹴り破るように外に出ると、今まさに扉の目の前にいた男に失神呪文を放った。
外は一面の雪が広がっていた。どうりで吐く息が白いわけである。ところが、明らかに寒いはずなのに、セレネは煮えくり返るほど暑かった。
「両手を挙げろ。10本の杖がお前を狙っているぞ」
セレネのいる場所を中心として、弧を描くように6人の男が並んでいた。
「おいおい、お前さん。例の嬢ちゃんじゃないか」
その中には、見知った顔も含まれていた。
フェンリール・グレイバック。ダンブルドアが死んだ日、襲ってきた狼人間だ。やはり、死喰い人の一団である。身なりが汚らしく、髪の毛を何日も洗ってなさそうな男が何人もいた。マンダンガス・フレッチャーの方が、まだ清潔だと思えてしまうくらい汚らわしい。
「それは本当か、グレイバック! 噂のセレネ・ゴーントか!? 捕まえたら、金貨を貰えるぜ」
「ああそうだな、スカビオール。二十万ガリオンだ!」
どうやら、あの10人の内、グレイバックとスカビオールという男がリーダー格らしい。
「正気ですか? 私を捕まえられると?」
セレネが悠々と一歩、前に踏み出した瞬間、10本の杖先から赤い閃光が迸った。赤い光がセレネの視界を奪おうとする。けれど、相手がなにをしてくるのか分かっていた以上、対策するのは当然のこと。セレネは無言で盾の呪文を展開していた。失神呪文は盾に当たり、為す術もなく四散する。
「『ウィンガーディアム・レヴィオーサ‐浮遊せよ』」
セレネはそのまま10本の杖めがけて、1年生の時に習った呪文を唱えた。
たかが浮遊呪文。されど浮遊呪文だ。10本の杖の内、4本が持ち主の手から浮かび上がる。グリンデルバルドなら全員の杖を取り上げることができたかもしれないが、まだまだ自分はこの程度だ。
「『コンフリゴ‐爆発せよ』」
セレネは4本の杖を爆発させた。
これで、4人は真面な魔法戦はできない。
だが、グレイバックを含めた3人はまだ杖を持っている。油断はできない。しかしながら、杖を奪われたという事実は彼らに衝撃をもたらしたらしい。ほとんどの男の顔に動揺と恐怖の色が浮かんでいる。目の前で自分の杖を爆発させられた4人は、半ば戦意を消失しているように見えた。
「今なら見逃してあげます。去りなさい」
「……っく、上物を目の前にして、下がれるか!! あのちっこい小娘を捕まえるだけで二十万ガリオンだぞ!!」
グレイバックが叫ぶと、残りのメンバーにも火がついてしまったらしい。
説得失敗。
金に釣られて自分の命をさらけ出す愚か者の集まりらしい。セレネは雪が積もった地面に降り立つと、周囲の雪を溶かし始めた。なにしろ、足が雪に捉われ歩きにくい。多人数との戦闘では、機動力が深く関わって来る。雪のせいで負けました、なんて無様な真似は避けたい。
「『ステューピファイ‐麻痺せよ』」
セレネめがけて、捻りもない赤い閃光が奔る。
今度は盾の呪文を展開しなかった。セレネは列車の先頭の方へと走りながら、後ろを追いかけてくる呪文を避けた。「8人のポッター作戦」がここにきて役に立った。後ろから迫って来る呪文を避けるのが上手くなっている。セレネは、目の前の雪を溶かしながら走った。
簡単な推測だ。
最初に倒した男を含め、11人の男たちが扉の前にいた。
だがしかし、足跡が11人分しかない。では、誰が列車を止めたのか。答えは簡単だ。列車の先頭部に、もう1人仲間がいる。おそらく、誰か1人が列車を止めている間、残りの11人の死喰い人が列車内に侵入。誰が「ヴォルデモート」の名を口にしたのか分からないので、とりあえず、11人で乗客全員捕まえる――……とまあ、こんな感じの大雑把な計画だったのだろう。
「おい、グレイバック。終わったのか?」
走ってくる音に気付いたのか、案の定、列車を先頭で止めていた男がひょいっと顔をのぞかせてくる。
「『ステューピファイ』!」
セレネの放った閃光が、先頭の男の鼻に直撃する。男は、ふらふらと線路の外に倒れ込んだ。これで残りは10人だ。
セレネは列車を傷つけないように、さらに前へ前へと走り出す。万が一、列車が戦闘の余波で破損し、オークションが取りやめになりました、なんて話にならない。
数年前、日本人と使い魔が暴れまわってオークションを台無しにしたという話を思い出しながら、セレネは雪を溶かしたばかりの剥き出しな地面を駆けた。
地面には、鳥のような影が映っていた。こんな緊迫した状況なのに、空を舞う鳥は呑気なことだと呆れてしまう。
「さて、やりますか」
しばらく行ったところで、セレネは反転した。
にたにた黄色い歯を出して笑う男たちめがけて、迷うことなく失神呪文を放った。1人、2人と崩れていくが、やはり10人という数は多すぎる。セレネだけが魔法を放つわけではなく、相手だって反抗してくる。ましては、セレネのように良識ある魔法の使い方をしていない。赤い閃光は閃光だが、どうみても許されざる磔呪いにしか見えないものも交じっている。
もっとも、当たるような馬鹿な真似はしないが。
「あっ」
セレネはその時、あることに気付いた。
死喰い人たちの背後に近づいてくる影が見える。
「油断しているぜ、お嬢ちゃん!」
影に気を盗られている隙に、グレイバックが群れから抜け出しセレネに爪を向けてきた。
今宵は満月。おまけに夕暮れ時だ。グレイバックは狼人間に変身しかけていた。セレネは盾の呪文で防御を固めるが、鋭い爪が音を立てながら盾も削りにかかって来る。
「『プロテゴ・マキシマ―万全な防御よ』!」
「へへ、いくらやっても無駄だ!! ほら、今だ、スカビオール!」
グレイバックがセレネの関心を引き寄せている間に、スカビオールが走り出した。グレイバックとは少しずれた方向から、セレネの構築した盾の呪文の隙間を狙うつもりなのだろう。セレネがスカビオールの方に注意を割いた瞬間、グレイバックの攻勢が増していく。
どちらかに気を取られ、両方の手が曖昧になることを狙っているのだ。
だがしかし――……
「バックを取りましたわ」
彼らは、この場にいる第三の存在に気付いていなかった。
愚かな人攫いたちは、先頭を走る賞金首に目を奪われ、誰一人として後ろを見ていなかったのだ。
「へぅ?」
スカビオールの背後に青いドレスを見に纏い、黄金そのものが溶け込んだような見事な髪を縦ロールにした美少女……ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトが立っていた。しかも、いつの間にか、青いドレスはノースリーブになっており、白く麗しい肌を見せつけている。
否、そのようなことはどうでもいい。
ルヴィアゼリッタはスカビオールを後ろから抱え込むと、そのまま自身の中心を支点とするように、大きく身体を反らせたのだ。
「え、いや、ま――ッ!!!」
スカビオールは最後まで言葉を言い終えることができなかった。
彼の後頭部は、雪ではなく、石や土が剥き出しの硬い地面に容赦なく打ち付けられたのである。柔らかい木の板ならともかく、コンクリート並みに硬い地面なので、最悪、頭蓋骨にひびが入っても不思議ではない。
「な、バックドロップだと!?」
さすがのグレイバックも、突然参戦してきた新手の存在に気が取られる。
「ルヴィアゼリッタさん!」
「ミス・ルヴィアでよろしくってよ」
ルヴィアは黄金の縦ロールを優雅に払いながら答えた。
「見事な技ですね」
「あら、この程度は淑女の嗜みですわ」
この世のどこを探しても、彼女のプロレス技は「淑女の嗜み」を超えているように思えた――が、ここで詮索するのは野暮な話だ。ルヴィアは黄色の双眸をわずかに細め、残りの死喰い人たちを睨み付けた。
「今回のオークションは私の初陣ですの。不届き者のせいで開催が危ぶまれるのは笑止千万」
ルヴィアは、すっかり伸びているスカビオールの杖を踏み折った。
「エーデルフェルト家次期当主、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトに手袋を投げつけたからには、容赦なく受けて立ちますわ!
さあ、覚悟はできて?」
ルヴィアの参戦で、死喰い人たちは混乱した。
前方のセレネ、後方のルヴィア。
前からはホグワーツで1位2位を争う実力派魔女が攻め込み、後ろに下がればプロのレスラー顔負けの美少女が魔法と体術を組み合わせながら攻めてくる。ちらりと見えた範囲では、宝石を頭上に投げ飛ばし、そこに気を取られた相手にドロップキックをかましたりしていた。
セレネとしては、異国の魔法について詳しく見たいところだったが、そのような私情は捨て、目の前の死喰い人たちに集中した。
既に、列車の進行を足止めしていた死喰い人が消えたのだ。
これで、列車自体の運行を妨げる邪魔者はいない。
列車の横で起きている死喰い人騒ぎ、それに対抗するため下車した乗客の安否より先に、魔眼蒐集列車はオークションの開催を優先する。
セレネの少し後方から、蒸気機関の猛る音が腹の底に響き渡ってきたのだ。
時間はない。素早くけりをつけ、列車に戻る必要がある。それなのに――……
「ぐぬっ、この程度で二十万ガリオンを見過ごせるか!!」
グレイバックはしつこいくらい、セレネに襲いかかってきた。
ルヴィアが残りのほとんどといっていい死喰い人を投げ倒してくれているので、セレネとしても集中して狼人間との戦いに臨むことができる。
敵は最凶にして最狂の狼人間だ。しかも、半ば変身しかけていると来た。盾の呪文を削り取るほどの圧倒的な力と狼そのものを思わせる脚力。セレネが普通に失神呪文を放っても、跳びはねるように躱されてしまう。
「『ヴェンタス・マキシマ―突風よ、吹き飛ばせ』!」
グレイバックが地面を蹴り飛ばし、こちらへ跳ね跳んできた瞬間に、セレネは突風の呪文を発動させる。グレイバックは正面から強烈な風に吹きつけられ、速度を落とした。両足をしっかり地面について、踏みとどまっている。
「貰った!」
セレネには、突風の道が視えていた。
そのまま、セレネは勢いよく風の道を駆け抜ける。これが最初なら失敗を恐れたかもしれないが、4年生の時の墓地で試して以来の2度目だ。迷うことなく風に乗り、グレイバックに急接近した。彼が恐ろしいのは、その爪と牙だ。
セレネの魔眼は狼人間の腕に奔る「死」を見定める。
「せいっ!」
セレネは掛け声とともに、彼の両腕を杖先で切り落とした。狼人間が悲鳴を上げるよりも先に、セレネは彼の心臓に杖を突きつける。
「『ステューピファイ』!!」
心臓の真上に強烈な一撃を喰らい、狼人間グレイバックは倒れ込んだ。セレネは白目をむいて気絶中のグレイバックを見下すと、歪んだ口元に狙いを定めた。
「『フリペンド‐撃て』」
衝撃呪文がグレイバックの口に直撃する。おかげさまで、牙の半数が飛び散り、口元から鮮血を流していたが気にすることはない。セレネは不思議と、この男に強烈な忌避感がある。もう少し痛めつけても良いかもしれないが、これ以上は余計だ。本当に殺してしまうかもしれないし、牙と爪を失った狼人間は怖くない。
「これで、終わりです」
「私と同じリングに立つには、いささか早すぎましたわね」
ルヴィアの方もあらかた片づいたらしい。
彼女の足元には、眼を回した死喰い人たちの屍が積み上がっていた。
けれど、勝利の喜びを分かち合うのはまだ早い。
列車は既にゆっくり動き始めている。
セレネの真横で列車は蒸気を上げながら、今まさに機関室が通り過ぎようとしていた。
セレネより後ろにいたルヴィアは、開け放たれたままの扉をつかむと白鳥のように列車に降り立っていた。
「早く!」
カリーの声が響いている。
大きく開け放たれた扉の向こうから、カリーが手を伸ばしていた。セレネも列車の進行方向に逆らうように走りながら、カリーに向かって手を伸ばす。雪を溶かし尽したおかげで、随分と走りやすい。
「さあ、こっちに!」
あと数メートル。
セレネは大きな掌に向かって、必死に手を伸ばす。背後にはグリンデルバルドやルヴィアの姿も見えた。こちらに身を乗り出したカリーの姿が近づく。問題ない。これならカリーの手に届くことができる。
セレネはカリーの手に指が触れた、その刹那。足元を蛇のような巻き付く風が巻き起こり、セレネの身体は前のめる。指先はカリーから離れ、前に突き出された。
「足すくい呪い!?」
セレネは愕然とする。
人攫いは全員、倒し尽したはずだ。
杖だって破壊したし、腕も斬り捨てた。ルヴィアが倒した者たちは、こんなすぐに復活できる状態ではない。
では、いったい誰が――?
「久しぶりだな、人間もどき」
背中を蛇が這いずり回るような悪寒がセレネを襲った。
忘れもしない悍ましい声だ。このままではまずい。あいつには勝てない。セレネが「姿くらまし」をしようとした直前、背中に強烈な失神呪文が打ち当たる。
「我が死喰い人をかすめ取ろうとしてくれたな、グレイブスとやら」
失神呪文の効果か、意識が朦朧としてくる。
セレネが辛うじて後ろを振り返ると、声の主は黒い煙と共に浮かんでいた。奴はグリンデルバルドを嘲笑っている。ヴォルデモートの白すぎる左手には、死喰い人の屍が握りしめられていた。おそらく、グリンデルバルドが配下に加え入れた死喰い人だろう。
「こいつが白状した。お前たちが魔眼蒐集列車に乗っている、とな。なら、待ち伏せするのも容易い。おまけに、面白い余興も見られた」
ちらちら輝く赤い双眸がグリンデルバルドたちを舐めまわすように見えている。
思い起こせば、車外に出た際、時折、鳥の影が見えていた。
おそらく、あの鳥のような影は、鳥ではなく、この男だったのだ。
セレネは意識を繋ぎ止めるように、再度「姿くらまし」をしようとした。魔眼蒐集列車内は不味い。もっと別の、どこか遠くへ逃げて身を隠さなければならない。しかし、その兆候を闇の帝王が見逃すわけがなかった。セレネが姿くらましをする瞬間、磔呪いが襲い掛かってきた。
「ぐっ――ッ!」
まるで一度に4発受けたような失神呪文と磔呪い。
その威力は筆舌しがたい。心臓に熱した杭を同時に4,5本、打ち込まれたような痛みだ。事実、音を立てながら骨が折れる。
そのまま、セレネは気絶した。
いくら直死の魔眼を持ち、魔法に秀でてはいても、所詮は18歳前後の少女の脆い肉体に過ぎない。ただでさえ、失神呪文で意識が遠のきかけているのに、駄目押しで骨まで折れるほどの磔呪いを正面から受けたのだ。どちらか一方ならともかく、同時に襲ってきた痛みに耐えきれるはずがなかった。
「ようやく捕まえることができた」
魔眼蒐集列車は汽笛を上げながら遠のいていく。
ヴォルデモートは死喰い人の亡骸を雪の中に投げ捨てると、セレネの身体を拾い上げた。
「今年は楽しいクリスマスになりそうだな、ホムンクルス」
すでに気を失っている少女に語りかけながら、ヴォルデモートは「姿くらまし」をした。
※
それから、数時間後のことだった。
「ゴーントが『あの人』に攫われた!?」
セオドール・ノットの叫び声が、魔眼蒐集列車を震わせていた。
無事にオークションが終わり、新たな魔眼を移植した青年は、グリンデルバルドに詰め寄っていた。
「あいつの声が聞こえないと思ったら、攫われたってどういうことだ!? お前、なにしてんだよ!」
「君の傍にいるように、彼女から命令された」
「ふざけるな!」
セオドールはグリンデルバルドの襟元をつかみ上げる。
「お前なら『あの人』と戦えるだろ!」
「彼を怒らないであげて」
カリーがセオドールを止めようとした。
「彼があの場で立ち向かっていたら、私たちが皆、殺されていたかもしれないの。それに『あの人』が乗り込んできて列車の運行に支障が出たら……たとえ追い払うことができても、オークションが開催できなかったかもしれないのよ」
「それでも――!!」
「オークションの開催を妨げることを、彼女は望んでいなかった」
その理由は分かるだろう、といわんばかりの眼で、グリンデルバルドはセオドールを見据えていた。
セオドールは奥歯を軋むほど噛みしめながら、ゆっくりとグリンデルバルドを降ろしていく。
これでも、ずっと彼女のことを見てきた。
親衛隊隊長になってからは、彼女の右腕として立ち振る舞い、今ではセレネの趣味嗜好から行動パターンに至るまで大体把握している。セレネなら、セオドールが新たな魔眼を手に入れられるようにするため、是が非でも無事にオークションが開催されるように動いていたことだろう。
だから、彼女は死喰い人と戦ったのだ。
もし「姿くらまし」ができたとしても、ヴォルデモートを近づけさせないため、どこかもっと遠くへ逃げたような気がする。
しかし、実際にはIFなどない。
セレネはヴォルデモートに敗北し、攫われてしまった。
「……くそっ」
セオドールは苛立ちを壁にぶつけるように、拳を叩きつける。
鈍い音と共に、ひりひりとした痛みが伝わってきた。
肝心な時、いつも自分は無力である。
3年生の頃、ホグワーツへ向かう途中で吸魂鬼に襲われた時、自身は震えているだけで何もできなかった。
第二の試験のとき、彼女は予想外のハプニングに襲われていたのに、ろくに助けることができなかった。
同じく第三の試験では、心も体もぼろぼろになるまで戦った彼女を見守っていることしかできなかった。
魔法省の戦いでも、最後の最後で追いつけず、彼女は血を吐くような怪我をしていた。
昨年のクリスマスイブに至っては、彼女が死に物狂いの戦いをしているとは知らず、部屋で不貞寝をしていた。
そして、今回。
やはり、自分は何もできなかった。
オークションに参加している時も、視界が視えないせいで、彼女が自分のしたことに怒り、部屋から出てこないのだと勘違いしていた。
「ちくしょう、いつも、オレは……」
「嘆いていれば解決するのかね?」
火に油を注ぐような声が背中にかけられる。
セオドールは震えが止まらなかった。自分の無力さとグリンデルバルドの淡々とした声に対する怒り、そして、これからするべきことに対する恐怖。そのすべてが足を震わせていた。
「分かってる、ああ、分かってるさ!」
答えは単純明快だ。
一刻も早く、セレネの救出に向かうこと。だがそれはすなわち、ヴォルデモートと戦うということだ。セオドールは一度もヴォルデモートを見たことがない。声を聴いたことすらない。しかし、生まれた時からその恐ろしき所業は何度も何度も聞かされていた。
この魔眼を手に入れたところで、たった一人で今世紀最大の闇の魔法使いと争うことができるのか。セレネの足元にも及ばない自分が、闇の帝王を倒し、彼女を救出することができるのだろうか。
「ちくしょう」
駄目だ。何度思考しても、勝てる姿が思い浮かばない。
奥歯が砕けるくらい噛みしめても、何も事態は変わらない。むしろ、刻一刻と悪化している。闇の帝王がセレネをどうするつもりなのか分からないが、絶対に彼女にとって良いことではない。それだけは鮮明に分かっていた。
「助けに行くに、決まってるだろ」
口は動いた。心も動いている。
だが、正常な思考が停止を訴えている。
無謀すぎる。
身体に爆弾をつけて敵陣に飛び込んだのに、誰も殺すことも救うこともできませんでした、という未来が目に見えている。
それでも、彼女を助けないなんて選択肢は最初から存在しない。
「7年、待ったんだ」
セオドールは目を瞑り、7年前のことを思い出す。
はじまりは、組み分けの儀式のときだった。
組み分け自体は予想通りのスリザリンに決まり、これから7年間も共に過ごす同級生を見渡してみると、ほとんどが純血の家系で顔見知り。新鮮味がないと思ったその瞬間、彼女の姿が目に入った。
小さな女の子だった。
ミリセント・ブルストロードの隣に、小柄な少女が座っている。大柄なミリセント・ブルストロードの隣だけに、一際小さく見えた。丸くて黒い瞳がウサギのように可愛らしく、制服から覗かす細い手がどきりとするほど白い。
この場にいる誰よりも、少女に眼を奪われた。
組み分けの儀式が終わり、ダンブルドアが一言二言話した気もするが、あまり頭に入ってこなかった。
宴会が始まり、食事の時もちらちらと彼女を見る。
彼女は一口一口、料理を味わいながら丁寧に食事をしていた。その所作振る舞いは絵画のように見惚れるまで美しく、上級生よりも完成されていた。
だから、呟いてしまった。
『あの子は……』
『ん? ああ、セレネ・ゴーントだってさ』
ザビニ・ブレーズが呟きを拾い、答えてくれた。
『聖28族の家名っぽいけど、マグルで育ったらしいから、穢れた血なんじゃないか?』
『マグル生まれ、か』
少し、心にひびが入る。
分かったのは名前と育ちの違いだけ。普段の自分なら「穢れた血」など興味の欠片も持たず、そのような下賤な者に惚れかけた自分を叱責していただろう。しかし、この時は彼女がマグル生まれであることなんて、どうでも良く思えた。
マグル育ちであることが分かっても、ずっと彼女に見惚れていた。
綺麗なものを綺麗だと認めるように、可愛い子を可愛いと思って何が問題なのだ。
あの宴の時、きっと彼女は自分のことに気付いていなかっただろう。自分が視界にすら入っていなかったかもしれない。
だけど、あの瞬間、心を奪われたのは間違いなく、心の底から「スリザリンに選ばれてよかった」と感じたものだ。
以降、ずっと視線の端で彼女を追い続けていた。
ただ同じ寮で、同じ授業を受けて、同じテーブルで食事をしているのに、どうしても言葉を交わせない。偶然近くに座っても、心が固まったように一歩前に踏み出せなかった。
それでも、無理やり話題を作って、どうにか話しかけたら、脅されるように配下にされ、非常に面倒極まる雑用を押し付けられてしまった。
セレネの見た目は相変わらず小動物のように可愛らしいのに、腹黒で意地が悪くて狂暴で人使いが荒く、その上、他人を捨て駒か何かのようにしか思っていないことが、非常に痛い程よく分かった。
ところが、自分は腹黒い女のため、彼女がより良い学園生活を送ることが出来るように裏から手を回したり、信奉者を統率したりしている。
結局のところ、どんなに彼女の悪い面を見ても手を焼いてしまうのは、きっと好いているからなのだろう。
だいたいセレネは小さな身体で支えきれないほどの重い荷物を背負い、薄氷の上に立っているような危うさがある。いつその氷が割れて、落ちて怪我をしたり、最悪死んでしまったりしてもおかしくない。彼女からは、そんな危うさが感じられた。
そんな彼女を、どうしても放っておけない。彼女が傷つく姿を見たくないし、すぐ近くで守ってあげたい。
例えるなら、友人のザビニが露骨に笑いながら
『見てくれは良くても、あんな狂暴な女を好きになるなんて……お前さ、いかれてるんじゃないのか?』
と言われ、すぐに反論できないくらい、惚れこんでいる。
彼女の傍に寄り添い、いつも頼りにされる存在になりたくて、ずっと死に物狂いで魔法の訓練をしてきた。けれど、努力をし続けるうちに、自身の才能の限界に気付いた。セレネの要求する魔法の習得に時間がかかり過ぎる。いまだに縄抜けの魔法の成功率は低いし、飛行呪文はてんで駄目だ。魔力も魔法のセンスも圧倒的に足りない。
セレネやハーマイオニー・グレンジャー、ハリー・ポッターのような天才たちに絶対手が届かない。セレネが目をかけている下級生、ノーマン・ウォルパートに自身が抜かされるのも時間の問題だと悟った。
そんな風に打ちひしがれていた時だった。グリンデルバルドが魔眼蒐集列車の話を持ってきたのは。
いつも傷ついて帰って来る彼女を助ける力を手に入れるためには、もう新たな魔眼を手に入れるしかない。だから、眼球が摘出される恐怖にも打ち勝つことが出来たのだ。
「あいつのこと、7年間、ずっと好きなんだ」
セオドールは想いを確かめるように、自分の言葉を噛みしめる。
セレネが好きなんだ。ずっと好きだったんだ。
7年かけて、ようやく胸に積もってきた想いを解禁したばかりだ。
「セレネを……あんな奴に奪われてたまるか」
7年かけて思いを伝えた大切な相手を、ぽっと出の闇の帝王に奪われてたまるか!
セオドールは活を入れるように頬を叩く。
ヴォルデモートがいそうな場所は、見当がついていた。
4年生の時に訪れた「リドルの館」。もしくは、死喰い人に加担する純血一族の屋敷だ。後者はおそらく、純血屈指の名家であるマルフォイ家が妥当だろう。
「無謀だぞ」
自分に魔眼を買うように囁いた男が、咎めるような声をかけてくる。
「無謀でも構うものか」
「自殺行為だ」
「それでも構わない」
セオドールは杖を両手で握りしめると、グリンデルバルドの喉元に向けた。
「オレは、セレネを助けたいんだ!」
「……そうか、それなら止めはしない」
そう言いながら、グリンデルバルドは杖を取り出した。セオドールは警戒し、杖を両手で握りしめながら、彼が妙な真似をしでかした瞬間、すぐに攻撃系の魔法を唱えることができるように睨み付ける。
ところが、グリンデルバルドが使ったのは、実に初歩的な呪文だった。
「『アクシオ‐来い』」
グリンデルバルドが杖を振るうと、セレネの置いて行った鞄から一本の棒が飛び出してきた。
非常に節の多く、異様に長い杖……アルバス・ダンブルドアの杖だ。グリンデルバルドはその杖をキャッチすると、自身の杖と持ち替えた。まるで握り心地を確認するかのように、右手の指を幾度か開閉させていた。
「我々がトム・リドルに喧嘩を売りに行くには、それ相応の準備が必要だ」
「我々?」
「少年、私が怒っていないと思っているのかね?」
グリンデルバルドは杖を大事そうに撫でながら、片方の瞳を怪しく光らせた。
「私は負けず嫌いでね。やられた分の借りは倍にして返さないと気が済まない」
グリンデルバルドは自身の杖をセレネの鞄に放り投げると、代わりにダンブルドアの杖を自身のポケットにしまった。
「私は現在、魔法使い1000人分に匹敵する実力がある。つまり、私と君で1001人の軍隊だ」
セオドールは、グリンデルバルドの怪しげに光る瞳の奥に、めらめらと燃え上がる怒りの色が見え隠れしていることに気が付いた。
今世紀有数の闇の魔法使いは、セレネが攫われたことに対して、そして、ヴォルデモートに出し抜かれた事実に対して、静かな怒りを燃やしている。
「幸い、列車がロンドンに着くまで15分程度がある。作戦を話し合うとしようか、少年よ」
グリンデルバルドは手を差し伸べてくる。
一時だけの共同戦線。敵は闇の帝王。助け出すのは、セレネ・ゴーント。
魔王から姫様を救い出すのは物語の王道だが、そのために別の魔王と組むのは邪道だろう。セレネなら皮肉交じりにそんなことを言いだしそうなものだ。
「……ああ、ロンドンに着いたら出陣だ」
セオドールはそんなことを考えながら、心強いが要注意な人物の手を硬く握り返した。
ロンドン到着まで、あと15分。
セレネが無事であることを祈りつつ、セオドールは作戦会議に己の神経全てを注ぎ込んだ。
一方、同時刻。
とある山奥で、ハリー・ポッターとハーマイオニー・グレンジャーは悪態をついていた。
シリウスの実家に滞在していたのは、今は昔の話。
8月の末には分霊箱の秘密について、シリウスに隠し通すのが難しくなり、ハリーたち3人組はキャンプ道具一式を持って飛び出してきたのだ。
おかげで、グリンゴッツに忍び込む方法や他の分霊箱の在りかについて、気兼ねなく相談することができるようになったのだ。
ところが、この選択は悪かったかもしれないと判明した。
食糧問題に直面したのである。
一泊二日のキャンプなら良かったかもしれないが、それが連日続くとなると、事前に持参した食料は底を尽きる。ハリーは問題分子で指名手配中、ハーマイオニーはマグル生まれの手配中、ロンは黒斑病で家にいる設定になっている。そうなると、買い出しも極めて困難だ。
だから、食料は隠れ住む山奥で調達するしかない。つまりは、あとは毒かもしれぬ茸やベリー類に限られてくる。魚は釣れるが、調味料がないので灰色に焼くことしかできなかった。
そんな生活が、何週間も続いた。
まずロンがキレた。彼はいつも母親や屋敷しもべ妖精の作った温かな料理を三食、何の疑問もなく食べていたので、この不自由な生活に我慢ならなかったのだろう。
ロンは食糧事情と分霊箱探索が行き詰まっていることに文句を言い、かといって、自分から考えたり食料調達に出向いたりせず、とにかく当たり散らした。
ハリーの耳の奥には、ロンが
『グリンゴッツに忍び込むにしてもお手上げ。分霊箱を破壊する方法もない。おまけに、最後の1つは見当すらついてない。僕らは数週間も経つのに、何も達成できてない! 僕は、ハリーにちゃんとした分霊箱を破壊する計画があるって思ってたのに!
このままいくら経っても、進展する可能性はまったくなーし!!』
と叫んだ声が、今でも残っている。
ロンはその後、怒りながら「姿くらまし」をして去ってしまった。
ロンが姿を消してから、ハリーはハーマイオニーと共にあちこちを転々した。
ハーマイオニーはロンがいなくなって、毎晩すすり泣きをしていた。
3人が2人になったところで、グリンゴッツに侵入する方法が思いつかなかった。
適当なゴブリンに服従の呪文をかけ、強行突破したら最後、ヴォルデモートに分霊箱を探して回っていることが露見してしまうことは明白であった。他の分霊箱の場所が分からない以上、強行突破だけは避けたい。
そうなると、ますますグリンゴッツへの侵入作戦が絶望的になっていった。
ハリーたちは、わずかな食料を探し求めながら、数日おきに西から東へ、話し合う内容も堂々巡り。進展は何もなく、隠れて過ごす暗い日常だけが過ぎていった。
しかし数日前、この悪循環だった旅に、ようやく光明が差し込んだのだ。
ダンブルドアからハーマイオニーへ遺贈された「吟遊詩人ビードル」の本。そのページの端に書かれていた印が『グリンデルバルドの印』だと判明したのである。
「これは、グリンデルバルドの印だよ。僕、見たことある。ビルとフラーの結婚式だ。ルーナのパパが、この印を首からかけていたんだ!」
「もしかして、ルーナのお父さんに聞けば、なにか謎が解けるかもしれないわ!」
しかも、ルーナの父親であるゼノフィリウス・ラグブッドは月刊誌「ザ・クィブラー」でハリーの味方であることを宣言している。ルーナ自身もハリーたちの友だちだということもあり、聞きに行くに値しうる人物だと判断したのだ。
早速、ハリーたちは行動に移した。
まずは安全のため、「透明マント」に隠れてルーナたちの住まう場所に「姿くらまし」をした。しばらく歩けば、どの家がラグブッド宅なのかはすぐに分かった。低い丘陵地帯のてっぺんに、世にも不思議な縦に長い家がくっきり空にそびえていたのである。まるで巨大な塔のようだ。
ハリーとハーマイオニーは顔を見合わせた。
まさしく、どこか不思議な空気を醸し出し、やや常人離れした見解を持つ少女、ルーナ・ラブグッドが住んでいそうな家だ。
前庭も奇妙奇天烈で、ゆらゆら揺れる触手のような草やオレンジ色の蕪がたわわに実った木、萎びた切り株などで溢れている。
運が良いことに、ゼノフィリウスは在宅中だった。
彼は若干、挙動不審だったが、グリンデルバルドの印について説明してくれた。
ハリーたちが「グリンデルバルドの印」と呼んでいた三角の模様は、「死の秘宝」の信奉者であることを表す印らしい。
「三兄弟の物語に出てきた『ニワトコの杖』『蘇りの石』、そして『透明マント』。この三つを合わせて死の秘宝だ!」
ゼノフィリウスは紙に書きながら説明する。
「死をも滅ぼす最強の杖、死者を復活させる石、そして、何年経とうとも全ての物から隠してくれる透明マント。もし、この3つが集まれば、死を制するものになれるだろう」
その後、ゼノフィリウスは三つの秘宝が実存する理由を説明し始めた。ニワトコの杖以外は根拠にかけるものだったが、すべて説明し終わった後、「ルーナを呼びに行ってくる」と言って退席した。
だがしかし、ゼノフィリウスが退席した理由は嘘だとすぐに判明した。
ゼノフィリウス退席後、ハリーたちはルーナの部屋を見に行ったが、何か月も帰ってきた形跡がなかったのだ。そのことを問いただしたところ、ゼノフィリウスが大っぴらに雑誌で「ハリー・ポッター」を支持してたせいで、ルーナは人質として死喰い人に連れていかれたことが発覚したのである。
「わたしは、娘を取り戻さなければならない。君たちを、あいつらに引き渡さなければ、ルーナを救うことができない!」
ゼノフィリウスは戦おうとしたが、ハリーたちには敵わなかった。
死喰い人は今すぐにでもやって来る。だが、ここで戦うのは賢明ではない。
そう判断すると、ハリーとハーマイオニーは再び「姿くらまし」をした。
ラブグッド宅を離れた頃、空はすっかり暗くなっていた。
「まったく、とんでもない脱線だったわ」
ハーマイオニーは下草を踏みしめながら、周囲に人払いの魔法をかけ始める。
「ゼノフィリウスを訪ねようなんて、考えたことが間違いだったのよ!」
「でも、ダンブルドアは、僕たちに死の秘宝を探してくれと言いたかったんじゃないかな? 死の秘宝のマークが、君が貰った本のページの端に書き込んであったくらいだし」
ハリーはテントを張る準備をしながら、ハーマイオニーに語り掛ける。すると、ハーマイオニーは尖った声で否定した。
「ハリー、大事なのは分霊箱よ。死の秘宝ではないわ。そもそも、死の秘宝なんてありえないもの」
「だけどさ、僕の透明マントは?」
何代も受け継がれてきた透明マント。
まったく効力が失せず、完璧に自分たちを隠し続けてきた透明マント。
それは、明らかに『死の秘宝』と一致するように思えた。
「それに、ニワトコの杖も実在するんだろ?」
「ええ、でも杖は持ち主の技量によるところが多いわ。杖だけが強いなんて、信じられない」
「でもさ……杖?……そういえば」
ハリーの中で何かがつながった。
「ダンブルドアだ!」
「なに?」
ハーマイオニーは「マグル避け」の呪文を駆け終わると、不思議そうに近づいてきた。
「ダンブルドアの杖が秘宝なんだ! ほら、セレネに遺贈された杖! 君の本、僕のスニッチ、ロンのライターと一緒に、セレネに遺贈された杖だよ!」
ハリーはこの数週間、何度かヴォルデモートの思考を見ることができた。
ヴォルデモートは海外にいる。杖作りのグレゴロビッチを探し求めていたが、彼はヴォルデモートの探している杖を持っていなかった。ヴォルデモートの探し杖は、金髪の若者に盗まれていたのである。ヴォルデモートの関心は金髪の若者に移ったが、ある日を境に、関心の対象がダンブルドアに変わり、その後、セレネへと変わったのである。
「あいつは、僕に勝てる最強の杖を探し求めているんだ。そして、その杖は、いまセレネが持っている」
「ハリー」
「あの金髪の人が誰なのか分からないけど、少なくとも、グレゴロビッチが持っていた杖をダンブルドアは持っていた。そこで、あいつはダンブルドアの杖を求めていたんだ。でも、ダンブルドアはセレネに杖を渡した後だった。遺贈の話は魔法省の記録に残っている。だから、あいつは遺贈主のセレネを探してるんだよ!」
「ハリー、杖は迷信よ」
ハーマイオニーは諭すように言った。テントの灯りを付けながら、どこまでも冷静な口調で話しかけてくる。
「『あの人』が迷信を信じるとは思えないわ。それに、その考えも『あの人』があなたにわざと見せているものかもしれない。
貴方がセレネに好意を持っていたことくらい、調べればわかるもの。『あの人』がセレネを追いかけていることを知れば、貴方が焦って連れ戻そうと――……」
「それなら、セレネじゃなくてジニーだ」
ハリーは断言する。
穏やかなセレネも好きだったが、今は快活で明るいジニーの方が好きだった。今でもジニーの燃えるような瞳や柔らかい唇の感触を夢に見る。そのくらい、ジニーが好きだった。
「僕を誘い出したいなら、シリウスの時みたいに、ジニーを拷問している様子を見せつけてくるはずだ」
「それは……そうかもしれないけど、でも、それならどうして、ダンブルドアはニワトコの杖をセレネに預けたの?」
ハーマイオニーが問いただしてきた。
「死を滅ぼす杖なんて、セレネが欲しがるとは思えないわ」
「……僕に渡すためだった、とか?」
ハリーは呟いてみたが、それはかなり核心を突いている気がした。
「セレネなら僕に渡してくれる。セレネは杖に興味がないようだったから、僕に渡してくれる。僕がヴォルデモートを倒す『選ばれし者』だから!
ダンブルドアは言いたかったんだ。最強の杖を使って、ヴォルデモートを倒せって」
ハリーは興奮しながら自分の説を主張するが、ハーマイオニーは真面目な顔のままだった。
「ハリー、聞いて。それなら、何故、最初からあなたに杖を渡さなかったの? どうして、セレネに渡したのかしら?」
「それは……」
ハリーは答えられなかった。
ハーマイオニーはそれで満足したらしい。椅子に座りかけ、あっと声を上げた。ハリーもそれで気づいた。テントの入り口に置いてある「かくれん防止器」が明るくなり、警戒するように回り始めていた。外の声がだんだん近づいてくる。荒っぽくて興奮した声だ。
「両手を挙げて出てこい!」
暗闇の向こうから、しゃがれた声が下。
「中にいることは分かってんだ! 6本の杖がお前たちを狙ってるぞ!!」
ハリーは急いでハーマイオニーを振り返ったが、あろうことか、ハーマイオニーは杖を外ではなくハリーの顔に向けていたのだ。破裂するような音と共に白い光が炸裂したかと思うと、ハリーは激痛でがっくり膝を折った。何も見えず、両手で覆った顔が腫れあがっていくのが分かった。
同時に、重い足音がハリーたちを取り囲んでいた。
「立て、虫けらめ」
誰とも分からぬ男が、ハリーを荒々しく引っ張り上げた。
不死鳥の尾羽を使った杖を取り上げられ、為す術もなくなる。
ハリーたちを襲ったのは、人攫いだった。
ハーマイオニーはハリーの正体が露見しないようにハリーの顔を腫れあがらせたのが分かったが、それもすぐに意味のないものになってしまう。
「ほら、嬢ちゃん。この顔、お嬢ちゃんにそっくりだ」
ハーマイオニーの方がバレてしまったのだ。
ハリー・ポッターと行動を共にしている、マグル生まれなのだと。
その流れで、ハリーも「問題分子ナンバーワン」ではないかと疑われてしまう。額の稲妻型の傷は引き延ばされていたが、額に傷があることには変わらない。
「ひっひひ、今日はラッキーだぜ」
「ああ、青いガキと人間もどきのせいで散々な目にあったが、こんなところで大物と巡り合えるなんてな」
「幸運の女神さまとやらに感謝しないとな、ええ?」
人攫いたちは高らかに笑う。
「よし、マルフォイ邸に行くぞ。あそこに行けば、ガリオン金貨たっぷりだ!」
「ああ、二十万ガリオンなんて眼じゃねぇくらいの大金だ!」
人攫いたちはハリーとハーマイオニーを引っ張り上げると、下品な笑い声と共に「姿くらまし」をした。
「た、大変だ」
少し離れたところで隠れていた青年、ロン・ウィーズリーは震えあがった。
一度は喧嘩してしまったが、やはり、彼らのところに戻りたかったのである。
「とにかく、助けないと」
ロンは恋人と親友が消えた場所に立つと、固く目を瞑った。そして、そのまま「マルフォイ邸」に姿くらましをする。ぱちん、という音の後、眼を開ければ見知らぬ邸宅の前に立っていた。人攫いたちは既に邸宅の中に入ったのか、どこにも見当たらない。
「だけど、どうやって侵入しよう」
正面突破がカッコいいが、「例のあの人」がいるかもしれない以上、策を練らないといけない。
だけど、こうして悩んでいる内にも、大親友のハリーや愛しのハーマイオニーが傷つき、苦しんでいるかもしれない。そう思うと、やはり正面突破しかないように思えた。
「よし、行くぞ!」
ロンは活を入れなおすと、マルフォイ邸の門に杖を向ける。
「『アロホ――……」
「『アクシオ』!」
ロンの声にかぶせるように、鋭い声が聞こえた。途端、ロンは脇道の茂みに引っ張られてしまう。ロンの顔は蒼白になった。死喰い人に見つかってしまったのだと思ったのだ。すぐに杖を握り直し、自分を引っ張ったであろう人物に杖を突きつける。
「動くな、僕は――……」
「いや、お前こそ動くな。静かにしろ」
ロンはそこに隠れていた人物を見て、息を飲んだ。
どうも、FGOの鳴鳳荘でサラザールを名乗る男と遭遇した際、「スリザリン!?」と思った人です。宝具では蛇を召喚するのかな?(たぶん違う
死の秘宝編も中盤に差しかかりました。
たぶん、順調にいけば夏前には終わる、のかな……?
〇ルヴィア
ルヴィアといえば、淑女のフォークリフト! 人さらいや死喰い人相手に、プロレス技が炸裂しました。
……決して、ハリポタ界における宝石魔術の位置づけが難しかったとか、そういう理由ではありません。
〇ヴォルデモート
列車の上空でスタンバってました。力任せに乗り込めばよかったのでは?とか、そういうことは言ってはいけない。
〇ノット
魔眼ゲット。どの魔眼なのかは、近日公開。
なお、2章で彼が初めてセレネに話しかけたのは、セレネがジャスティンと仲良くしていたから。
今回、彼の独白を書くにあたり、1章5話はセレネがハリーの組み分けを見たあと、ヴォルデモートの名を口にしてしまい、ミリセントとドラコに怒られ、謝るシーンで終わっていましたが、新たに宴のシーンを追加しました。
ただいま時間を見つけて、2014年頃に書いていた3章以前の物語の内、内容や流れ、大事な箇所は変えず、表現や描写の一部を書き加えたり、書き直したりしています。
今後、前半部における物語の根幹にかかわる大規模な改訂&追記はしない予定ですが、万が一、行った場合には、最新話の後書きにてご報告させていただきます。
〇ハリー、ハーマイオニー
グリフィンドールの剣がバジリスクの毒を吸っていないため、ハリーに遺贈されていません。その結果、ゴドリックの谷ではなく、グリンデルバルドの印を知っていたゼノフィリウスのところへ。
結果、ハリーたちの捕まる時期が早まりました。
なにせ、この時期のハリーは「ヴォルデモート」が禁句だとは知らないので……。
〇ロン
原作通り、途中で仲たがいしました。
そして、原作通り、アレを使って戻ってきました。アレは今後も活躍予定です。
本当、どうして、あんなロンとハーマイオニーが結婚したんだろう……。
次回もよろしくお願いします!