蒼き瞳とナガレゆく   作:秋野ハル

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1-3 少年とあらすじ(前編)

「この森は馴染みが深い。だから僕が”知らない”道を先導する」

「お、おう……?」

 

 抜け道を通ってからのニルヴェアは、奇妙なまでに冷静だった。淡々と先を歩きだした彼女に対して、レイズはどこか不安を感じつつもその背に大人しくついて行くことにした。

 

「でも知らないって……ああ、お前が知ってる道だとバレてる可能性があるからか」

「そういうことっ……だ!」

 

 少女の手によってぶちぶちと目の前の蔦が引きちぎられていく。ニルヴェアは自らの手や服が汚れるのもいとわず蔦を千切り、草葉を分け入り、森の深く暗い方へと強引に進んでいく。

 

「おいおいアグレッシブだな、お坊ちゃん……」

 

 レイズは少し顔を引きつらせながらも、冷静に考えを巡らせていく。

 

(親しい娘が死んで、さっきまであんなに取り乱していたはずなのに……いや、今はそれよりも)

 

 レイズはニルヴェアの背中へと提案を投げかけた。

 

「少なくともこの街から離れない限り、追われるリスクは捨てきれない。つっても話し合える場がないと方針のひとつも決められない。だから適当な広場でも見つけたらさ、一旦落ち着こうぜ」

「ああ、僕もそう思っていた」

 

 ニルヴェアは一切振り返らず、またその歩みも一切止まらなかった。その迷いなき背に、レイズの不安を静かに煽る。

 

(こいつ……)

 

 それから適当な広場を2人が見つけるまで、そう時間はかからなかった。

 そこは湖畔であった。

 目の前には小さな湖が拡がっていて、地面は剥き出しの土と背の低い雑草が半々程度に敷き詰められている。レイズはその光景をざっと見渡してそれから後ろを振り返った。すると少しの距離を置いて、先ほど自分たちが通り抜けてきた森が広がっている。その左右と上と、ぐるりと見回してみるが人の気配は見て取れなかった。

 

「とりあえずは撒いた、ってことかな。結構無茶な道のりだったし、一応抜け道も塞いであるし、これでちょっとは落ち着けるか……」

 

 と、一息ついた――その瞬間。

 

「!」

 

 レイズの視界が一気に揺れて背中から引っ張られた。間髪入れず仰向けになる形で地面に叩きつけられた。響く衝撃に呻く――その暇も与えないと言わんばかりに眼前で光がぎらついた。

 蒼月に照らされたそれは、1本の短剣だった。刃を突きつけてきたのはニルヴェアだった。つまるところ、レイズは彼女に馬乗りにされていたのだ。

 続いて少女の悲鳴じみた怒号が夜の空にこだまする。

 

「お前のせいなのか!?」

 

 たった一目見ただけで分かる。少女の蒼い瞳は深い憎しみと……それ以上の悲しみに満ちていた。

 

「お前は一体なんなんだ!? お前が来てから全部おかしくなったんだ!」

 

 叫ぶたびにその目尻からは涙がこぼれ、レイズの顔にぽたぽたと当たった。甲高い女声が、レイズの耳にガンガンと響いた。

 

「なぜ僕の体を変えた! なぜ僕をさらった! なぜ兵士が同士討ちしている! なぜっ……なぜアイーナが殺されなきゃいけなかったんだ!!」

 

 それでもレイズは目を逸らさなかった。ただ静かに眼前の叫びを受け止めて、それからぽつりと呟く。

 

「本気で殺したいんなら、もっとしっかり捕まえとけよ」

「なにっ……」

 

 実のところ、馬乗りにされているとはいえ両手足は全くの自由だった。だからレイズは左手を伸ばして掴むことができた――ニルヴェアが突きつけていた、短剣の刃を。

 

「それに、そんな玩具じゃなにも切れねーだろ」

 

 レイズの手は短剣を掴んでいるというのに、全く傷ついていなかった。

 それもそのはず。その短剣の刃は、何も切れないように潰れされていたのだから。ゆえにレイズは迷わず、空いた右手でニルヴェアの胸倉を掴んだ。さらに彼は全身を思い切り捻って、ほとんど投げるような形でニルヴェアを押し倒す。

 

「ぐあっ」

 

 地面を転がり全身を強く打ち付けたニルヴェアは、たまらず目をつぶって痛みにうめいた。それでもすぐに目を開けて――決着は、すでについていた。

 

「っ……!?」

 

 今度はニルヴェアが馬乗りにされていた。しかしニルヴェアの未熟なそれとは全くの別物であった。

 レイズはまずニルヴェアの体をうつ伏せに押し倒し、それから左手一本で彼女の両手を縛り上げた。そして右手ですかさず彼女の首筋に突きつけていた。己のナイフを――ニルヴェアの短剣とは違って、本当に命を奪える鋭さを宿した武器を。

 レイズがそっとナイフの刃先をニルヴェアの首に当てた。ニルヴェアの首に金属が触れて、冷たい感覚が走る。

 

「っ、ひっ」

 

 それだけで、十分だった。

 レイズはあっさりと拘束を解いて離れた。するとニルヴェアの四肢は糸が切れたように地面に投げ出された。

 

「はっ、あっ、ふっ」

 

 少女の全身から冷や汗がどっと吹き出す。体ががくがくと震える。

 

「う、あぐ、うぅぅぅ」

 

 土草にまみれるのも構わず全身を丸めて、ぎゅっと縮こまって。

 

「なんで、なんで僕なんかを庇ったんだ」

 

 体を抱いて、歯を喰いしばった。それでも涙が溢れるのは止められない。

 

「僕が、主人で、僕が、護ってやらなきゃいけなかったのに、ちくしょう。ちくしょう……!」

 

 と、ニルヴェアの額に。

 

「ま、積もる話もお互いあるだろうけどさ」

 

 こつん、となにかがぶつけられた。

 

「ぇ……?」

 

 ニルヴェアが見上げると、そこには少年の少し困ったような笑みと、彼の五指につままれたペンダントがひとつ。そこに埋め込まれたクリアブルーの鉱石が、ニルヴェアにその所持者のことを思い出させる。

 

「それは、アイーナの。いつの間に……」

「手癖の悪さはナガレの流儀ってな。……こういうときは、死人優先だろ」

 

 

◇■◇

 

 

 地面に1本、十字架が立てられた。

 それは適当な木と蔦をナイフで加工して組み合わせることで作られており、高さだって子供の背丈ぐらいの小ぢんまりとしたものだった……とてもではないが理想的な墓とは呼べない。それでもそれは墓であった。

 それはこの大陸中に広く伝わる十字の祈り。満足に死者を埋葬できなくとも、ときには死体すら見つからなくとも、せめて弔いの心そのものまでは忘れぬようにと編み出された、簡易的な埋葬手法。

 

「悪いな。無作法で」

 

 その墓を作った張本人であるレイズは墓の前でそっと屈むと、アイーナのペンダントをそこに引っ掛けた。そんな彼の後ろから、ニルヴェアが言葉を返す。

 

「これもひとつの作法だろう。なら構わないさ」

 

 その言葉を聞いたレイズはふっと微笑んで、それから両手を合わせて目をつぶった。その祈りに倣うように、二ルヴェアも隣に屈んで目をつぶり、祈りを捧げる。そして……心中で懺悔する。

 

(『レプリ』の僕なんかを庇う必要なんてなかったのに。僕が先に気づいていれば……)

 

 …………。

 これまでの慌ただしさが嘘だったようにゆっくり、ゆっくりと時間が流れていく……そして。

 

「案内を頼むべきじゃなかったんだ」

 

 レイズが声に気づいて目を開けた。その横では、ニルヴェアが目をつぶったままなにかへと言葉を投げかけていた。

 

「道だけ聞いて、先に帰らせていれば。違う、僕が捕まっていれば。兵士の同士討ちだって」

 

 するとレイズは溜息をひとつ吐いて、握りこぶしを緩く作って、それからそのこぶしを。

 

「いたっ」

 

 ニルヴェアのおでこにこつんと当てた。するとニルヴェアは目を開き、すぐに怒りの表情を見せる。

 

「なにすんだよ!」

「懺悔と祈りは似てるけど違う。死人の後を追うのはその辺にしとけ」

「で、でも!」

「元はと言えば俺が騙されなきゃ良かった」

「っ……!」

 

 レイズはただ静かに墓を見つめながら、淡々と語り始める。

 

「そもそも依頼を受けたときからもっと警戒しておくべきだった。部外者を巻き込む判断を見過ごしたのも俺だ。自分の実力を過信してた。他人を護りながら戦えるほど強くなかったのにな。それに抜け道に待ち伏せされる可能性……森の中じゃ樹上が絶好の隠れ場所だなんて経験から分かっていたはずなんだ。だから先行して囮になるとか、牽制で1発撃っとくとか、本当は方法なんていくらでも」

「そんなの!!」

 

 ニルヴェアは叫ぶことで、レイズの言葉を堰き止めた。それから表情に迷いを浮かべて、それでもゆっくりと言葉を紡いでいく。

 

「そんなの……お前は、戦えない僕らを護って、あの騎士から逃げて……騙されて殺されそうにもなったのに……そんな中で、なにもかもを完璧になんて……」

「そういうことだよ」

「!」

 

 レイズはニルヴェアへと優しくほほ笑む。

 

「もしも、あのとき、なんて考えたってキリがない。お前が捕まっていたらそれこそ証拠隠滅のために屋敷の兵士は皆殺しにされていたかもしれないし、アイーナだってもし1人で逃がしたとしてもその先であいつらに会ったら結局は殺されていたかもしれない」

 

 だから気にするな……とまでは言わなかったが、しかしニルヴェアはそう励まされたように感じた。そしてその気遣いが、ニルヴェアにひとつの事実を気づかせる。

 

「お前は……大人なんだな。そんな小さいのに」

「べつに言うほど……ってちょっと待て。背丈で言えばお前だっておんなじぐらいだろ」

「そっ……それは性別が変わったからだ! 今の姿は仮だ! 本当はもっと大きいし、この寝間着だってほら、こんなぶかぶかに」

「うるせー知らねー今だけを見て生きるのがナガレの流儀なんだよー」

 

 レイズはぶっきらぼうに言葉を投げながら、再び墓へと視線を戻した。それから言う。

 

「とにかくだ。こうして祈るのは前に進むためであって、後ろに戻るためじゃない。俺は俺よりも大人なやつにそう教わったんだ。まーその人は俺の師匠みたいな人なんだけどさ」

「師匠……みたいな人?」

「みたいな人。そいつが言うにはさ、死者と生者はまず世界が違うから生者にできることなんてろくにないんだと。だというのにその摂理にそぐわず死者を想い過ぎると、人は引きずられてどこかおかしくなる。その一方で死者への痛みや尊厳を忘れると、それはそれで人間として狂ってしまう。だから生者は死者を決して忘れず、それでいて前に進まなきゃいけない。ゆえに我らは楔を打つのだ。死者を心の中にちゃんと刻み込んで、ひとつの区切りをつけるために……ってな」

 

 レイズは語り続けた。地面に打ち込まれた墓を見ながら。ニルヴェアもその隣で墓を、そこに掛かっているクリアブルーのペンダントをじっと見つめていた。

 

「区切りをつける……前に進むために……」

「お前は俺を憎んでもいいんだ」

「っ!?」

 

 驚いてレイズを見た。彼はただ静かにほほ笑んでいた。それがニルヴェアの脳裏に過ぎらせた。彼が現れてから起こった騒動の全てを。

 全てはこの少年が現れてから始まった。少なくともニルヴェアから見てそれは事実だ。しかし。

 

 ――この騒動の片棒担がされてるのが腹立ってきたし、それで誰かが死んだら寝覚めも悪い

 

 レイズが兵士をできる限り傷つけまいと立ち回っていたのも事実だ。

 

 ――まだ追手が潜んでてもおかしくない。殿は俺に任せて先に行け

 

 己の身よりもニルヴェアたちを優先していたのも、また事実だった。

 

「……真実が知りたい」

 

 それがニルヴェアの、正直な気持ちだった。

 

「真実、か」

「僕から見て、この騒動の発端はお前だ。屋敷に騒乱をもたらし、僕の性別を変えた。だけど僕を護ってくれたのも、こうしてアイーナの墓を作ってくれたのもお前だ。そこまでが僕の知る”事実”だ。だけどそれはまだ”真実”とは言えない」

 

 ニルヴェアは真っ直ぐ、レイズへと目を向けた。その蒼い瞳には憎しみでも悲しみでもなく、明確な意思が灯っている。

 

「この騒動の裏に潜む真実を僕はなにも知らないし、知りたい。だからその手始めとして、お前がここに来た理由を教えてくれ。それを知らなきゃ、お前を許すことも憎むこともできないしな」

 

 その真っ直ぐな言葉にレイズが表情を変えた。驚くように目を開いて、それからふっと一息吐いて。

 

「ちょうどいい。俺からもそれを話そうとしてたんだ」

「そうなのか?」

「おう。俺だっていい加減に状況を整理したいし……それに、お前の”これから”を考えるためにも必要なはずだからな」

「僕の、これから……」

「まずあの黒騎士から逃げるのか否か。逃げ延びたらどうするのか。この騒動が収まったその先は? 近い目的でも遠い方針でもなんでもいいし、少しずつでいいからさ。考えておけばいざってときに迷わない。いつだって己の目的を第一に考えるのが、ナガレの流儀だ」

 

 ニッと笑ってみせたレイズに対して、ニルヴェアも釣られて苦笑する。

 

「ナガレの流儀って、なんだよそれ。でも、そうだな。目的か……」

 

 レイズの言葉はニルヴェアの胸にすとんと落ちた。慌ただしくここまで来たが、選ぶべき”これから”は確かにいつか、あるいはすぐ近くに迫っているのだ。それを彼女は実感して……

 

「とりあえず、だ」

 

 その声にニルヴェアは面を上げて、すぐに気づいた――空気がひりついていることに。

 

「ひとつの例として、俺の目的から先に言っておく」

 

 ニルヴェアの眼前には、少年が1人。彼の見た目相応に大きな眼はしかし今、鋭く苛烈な熱を帯びている。籠った意志はすぐ言葉となって、ニルヴェアへとぶつけられるのであった。

 

「俺は片っ端からぶっ潰す。俺を利用して殺そうとしたあの騎士を。あいつの裏に黒幕がいるんならそいつも。俺をガキだからと舐め腐って、こんな事件に巻き込んでくれたことを後悔させてやる……誰が相手であろうと、な」

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