蒼き瞳とナガレゆく   作:秋野ハル

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3-14 紅き過去といつかの未来

「俺が初めて獣を仕留めた夜はさ、喉をなんにも通らなかったんだ。胃の中の物だって全部吐いてさ」

「えっ。お前が……?」

「そういう時代もあったってこった。だからさ、そこら辺だけで言えば……お前って本当にナガレに向いてるのかもな」

「っ……!」

 

 そう言われた瞬間、ニルヴェアは思った。

 

 ――もし1人のナガレとして、あいつに認めてもらえたら、その時は……

 

(僕はレイズよりまだ全然弱い。だから今の僕が”それ”を問う資格があるのか、正直自信はない。でも……)

 

 ニルヴェアはすでに予感していた。もうあと3日後に迫った”約束の日”。そこで全ての決着がつけば、結末はどうであれこの旅も終わるのだろうと。

 

(事件の黒幕を捕まえて、旅が終わればレイズはまた旅に出る。そして僕は……屋敷に戻ることになるだろう。きっと一緒にいられる時間はもう少ない。あいつの助けになりたいっていうなら……今、知らなきゃいけないんだ)

 

 だから、ニルヴェアは決めた。

 

「レイズ」

「え?」

「僕をナガレとして認めてくれるなら、そして力を貸してくれるというなら……ひとつだけ、教えて欲しいことがあるんだ」

「なんだよ、改まって……」

 

 困惑するレイズを前に、ニルヴェアはごくりと喉を鳴らした。せっかく認めて貰えた矢先だというのに、これ以上踏み込んだら逆に嫌われてしまうかもしれない。あるいは傷つけてしまうかもしれない。

 

(それでも、決めたんだ)

 

 だから。

 

「――お前の炎って、なんなんだ?」

「――っ」

 

 瞬間、レイズがびくりと肩を震わせた。あからさまな動揺。なにかしらの核心に踏み込んだことは確かであった。だからもう1歩。

 

「お前の炎って、琥珀武器とは違うんだろう?」

「っ!?」

 

 動揺がさらに大きくなった。しかしそれはほんの一瞬のことで、彼はすぐに平静を取り繕おうとする。

 

「な、なんだよいきなり。前も言ったろ、トーシロには」

「『10歳から始める琥珀学』。実は工房の親方に勧められて、こっそり勉強していたんだよ」

「だ……だからどうしたってんだよ」

「それで知ったんだけど……琥珀エネルギーっていうのは琥珀から取り出した時点で一気に不安定になるんだってな」

 

 その時点で、レイズの顔色にはすでに隠しきれない苦渋の色がにじんでいた。だがニルヴェアは目をそらさず、しかし彼の反応をあえて無視して語り続ける。

 

「だから明かりを点けるとか車を動かすみたいな”他の動力へ変換して使う”のは容易くても、”琥珀エネルギーをそのまま使う”方法は、未だに弾丸やビームを放つ程度に限られているんだってさ。射出の際にほんの数秒だけエネルギーを固着させる、それが現代の技術の限界のはずなんだよ。つまりレイズ、お前の光の槍は……”安定した熱量と形状を保つエネルギーの塊”なんてものは、現代の技術じゃ決して作れないはずなんだ」

「…………」

「それだけじゃない。お前は何度も手足から炎や爆発を生み出していたけど、あれに至ってはもっと説明が付かないんだ。最初はこっそり琥珀機械を潜ませてそれっぽく出しているだけかとも思ったけど、でもお前だって言っていただろう? 『琥珀機械は小型化が難しい』って。なのにお前の炎は、例えば僕のハンドガンなんかとは比べ物にならない火力がある。でもあの炎と同じ火力を琥珀機械で出そうとしたら、ハンドガンなんかよりもよほど大きくする必要があるんだ……それこそこっそり仕込んで隠すなんて、絶対にできないくらいに」

「…………」

 

 レイズはずっと口を閉ざしている。ただ黙って、ニルヴェアの推理を受け止めている。

 

「そういうわけで、僕は逆に考えてみた。もしもお前の炎、あるいは光の槍を生み出す源が琥珀以外のなにかに起因していたら? そう考えたらひとつだけ思いついたことがあった。馬鹿みたいなことだけど、でもこれしか説明が付かないとも思ったんだ……」

 

 ニルヴェアはレイズの、まだ幼さを残す丸い瞳をじっと覗き込んだ。まるでその奥に潜む正体でも見抜くかのように……そして彼女は、告げる。

 

「レイズ。お前は――『魔法使い』なのか?」

 

 それはグラド大陸より遥か遠き、魔の大陸。そこに存在すると言われている、神秘の技を扱う者たちの総称である。

 

「…………」

 

 レイズの表情はひたすらに硬かった。彼はひたすらに沈黙していた。まるで閉じた宝箱のように、その口を真一文字に結んでいたが……しかしやがて、観念したかのように口を開ける、と。

 

「っ、はぁぁぁ~~~~~!」

 

 とてもとても大きなため息をひとつ吐いて、それからおもいきりツッコむ。

 

「こんっ、の……最後の最後で外すなよな! そこまで来たらもう当てろよ馬鹿!」

「えっ! 嘘、ハズレ!?」

「あーもうなんなんだよ! 俺の緊張返せ!」

「で、でもだって手から炎とか、琥珀機械じゃなきゃあとは魔法くらいしかないだろ実際!」

「あのなぁ……そんなおとぎ話よりも、よほど現実的な物がこの大陸にはひとつある。って前に教えなかったか?」

「え……」

 

 そう言われれば、脳裏にはとある単語がふっと思い浮かんだ。だからこそ、ニルヴェアは困惑してしまう。

 

「いや、でもアレこそ、そんなに小さくなんて……」

「そりゃ単なる思いこみだ。アレを俺たちの理屈で考えるなよ」

 

 そう言いながら、レイズは自分のベストに手を掛けた。そしていきなりそれを脱いでそこら辺に放り投げ、続いてその下にあるシャツの裾にまで手を掛けた。

 

「え、なんで脱ぐんだ……?」

 

 ニルヴェアの当然の疑問に、しかしレイズはほんのりと顔を赤らめて。

 

「いいから黙って見てろ」

 

 その一言と共に、勢い良くシャツをまくり上げた。果たしてニルヴェアの視界に映ったのは。

 

「これが、俺の心臓だ」

「なんだよ、これ……」

 

 人体において本来は心臓があるであろう位置。胸の中心にそれは埋め込まれていた。

 肌とくっきり境目を刻む銀色の輪っか。そしてその内側にすっぽり嵌っている紅い水晶玉。それが、レイズの心臓であった。

 

「なんなんだろうな」

 

 レイズが自嘲気味に吐き捨てた。そしてそれに呼応するかのように、水晶玉の中で紅い光が揺らめいた。ニルヴェアはふと思う。

 

(似ているな、レイズの炎に)

 

 ニルヴェアは自然と、その紅へと手を伸ばしていた。やがて細い指が水晶玉の表面に触れて、それをつぅ……となぞった。返ってきたのは見た目通り水晶のようなつるつるとした手触り。そして人の温もりのような、ほのかな暖かさ……

 

「変な触り方すんな、くすぐったいんだよ」

「す、すまない!」

 

 ニルヴェアが慌てて手を離すと、レイズはすぐにシャツを下ろした。どこか恥ずかしげに唇を尖らせている彼を見て、ニルヴェアは今しがたのつるつるした感触を思い出した。

 

「神経まで通っているのか。本当に不思議だな……」

「それが『旧文明の遺産』ってやつだ。人知を超えた謎と力を持つ超技術の欠片……それを俺は3年前に移植されたんだ。神威のとある研究所で、本物の心臓と引き換えにな」

「そんな……本当にそんなことが……!?」

 

 心臓の代わりに遺産が埋め込まれているという異常。それが人工的な移植だという狂気。

 その事実がニルヴェアを戦慄させた。しかしその一方で、レイズは淡々と語っていく。まるで他人事のように。

 

「なんで俺が選ばれたのか。どこのどいつに攫われたのか……移植される前の記憶は正直よく覚えてない。故郷や親があったことは覚えてるけど、顔も名前も思い出せないんだ。だけど、ただひとつ確かなことは……俺にこれを移植した研究所は、他でもないこれの”暴走”で焼き尽くされたってことだけだ。建物も、資料も、人でさえも。俺が目を覚ましたときには、全てが真っ黒な炭になっていた」

 

 ニルヴェアはなにも言えなかった。それがあまりにも壮絶だったから……というよりも、それが現実に起きた出来事であると実感できていなかったからだ。

 分家(レプリ)の屋敷という箱庭で生きてきたニルヴェアにとって……あるいは普通に生きる大半の人々にとって、今の話はそれこそ魔法じみたおとぎ話に近いものであった。

 しかし現実は目の前にある。紅い心臓にも実際に触れたのだ。

 

(僕はもしかして、とんでもないものに踏みこんでしまったのか?)

 

 心臓に触れた指が今になってじんわりと熱を持った。そんな気がした。

 

(でも、だからって、逃げる理由にはならない……こんなに重いものを聞かされたのなら、なおさら)

 

 ニルヴェアは心臓に触れた指で拳を握り、レイズに話の続きを促す。

 

「それで、お前はどうしたんだ……?」

「すぐに気絶したよ。俺も暴走のせいで全身に大火傷を負ってたからな。でもそこでたまたま神威を追っていたアカツキに拾われて、それからしばらく面倒を見てもらってたんだ。それに……不幸中の幸いというべきか、俺の体はどうも遺産のおかげで強化されてるらしくてな。常人より身体能力や治癒能力が高くて……とりわけ火傷に対する回復力はかなりのもんらしい。だからほら、さっき肌も見たろ? もう火傷の跡なんてどこにも残ってない」

「ちょ、ちょっと待て。大火傷とか、アカツキさんとか、色々気になることはあるけど……」

 

 ニルヴェアはあーだこーだ考えて、とりあえずは目の前の疑問を解決することに決めた。

 

「火傷に……炎に耐性があるってことは、逆にお前が手足から出して操っている炎も……?」

「この遺産の力だな。見ての通り、手と足から……んー、やろうと思えば全身どっからでも出せると思うけど、そこまではやったことねーな。服も燃えるし」

「なるほど……ん? でも靴は燃えてないよな?」

 

 ニルヴェアがふと過ぎった疑問と共に見下ろせば、そこにはレイズの靴がある。ぱっと見では、なんの変哲もない靴に見えるが……。

 

「おう。こいつは特殊な素材を使っててな。靴底が遺産の力を素通りするようになってんだ。だから炎は足の裏を通して靴底から出てくるってわけ。ま、言ってみれば琥珀機械の親戚みたいなもんかな」

「琥珀機械の親戚……あ。ということは、お前の琥珀銃も?」

「そ。この遺産をエネルギー源として使えるように改造してあるんだ。だから普通の琥珀武器と違って、こいつにはエネルギー切れもリロードも存在しないんだよ」

「なるほど。だから普通の琥珀機械じゃ実現不可能なはずの現象……光の槍なんかも形にできるのか?」

「まーそうなんだけど、あれはどっちかって言えば”収束して固めてる”っていうよりも”出しっ放しにしてる”って方が正しいな。蛇口の水を捻りっぱなしにするみたいに……それこそ、本当の琥珀なら秒で尽きるぐらいの勢いでな」

「なるほど……? えっと、とにかく、お前の遺産はそういう無尽蔵なエネルギーを秘めている……ってことでいいのか?」

「そんなとこだ。それで、他に質問とかはあるか? ここまで来たら、隠すようなこともねーしな」

「いや……とりあえずは話を先に進めてくれ。えっと、アカツキさんに拾われて……それからお前はどうしたんだ?」

「そうだな……俺はアカツキに拾われたあと、あいつにナガレとして生きるための諸々を叩きこまれたんだ」

「ふむふむ」

「で、遺産のおかげもあって半年ぐらいで独り立ちできるようになったから、そこからはずっと1人旅だな」

「ふむ」

「それから旅の途中でこの靴や琥珀銃を作ったり、ちょっとした事件に巻き込まれて越境勲章を貰ったりして、なんやかんやで今に至る。と……こんなもんでいいか?」

 

 レイズはそうあっさりと締めくくった。が……ニルヴェアは「ふむ……」まだ考え込んでいる。

 

「なんだその微妙な顔。まだなんかあんのか?」

「いや、なんというか……3年前ってお前12歳だろ? そこから半年修行したとしても、良くて13歳だ。まだそんな幼いのに、よく1人で旅に出ようなんて思ったな。他の誰かに……それこそアカツキさんに頼ろうとか思わなかったのか?」

「あー、そこ引っかかんのか……」

「まぁ、僕がもしお前だったら……と思うとな」

「……そんなに気になる?」

「『もう隠すことはない』って言ったのはそっちだろ。僕だってもう十分驚いたし、これ以上はなにを聞いても驚かないさ」

 

 そう断言して、ニルヴェアはふんすっと胸を張った。そろそろぼちぼち飲み込めてきたし、飲み込めればぼちぼち開き直ることもできてくる。

 毒を食らわば皿までだ。そんな意思を態度で示してきたニルヴェアに、レイズは観念して溜息をひとつ吐いた。そして、

 

「まぁ、べつに驚くような話でもないんだけどさ……」

 

 レイズは静かに話し始めた。 

 

「この遺産にはリスクがあるんだ」

「それは……研究所を焼き尽くした暴走、というやつか?」

「ああ……こいつは俺の精神に反応して昂るんだ。それこそ、心臓が脈打つようにな」

「昂り、脈を打つ……」

 

 ニルヴェアは己の胸に手を当てた。すると手のひらへ、どくんどくんと心臓の鼓動が伝わってきた。人間の心臓は、持ち主の心や体の状態に応じて鼓動の速度を大きく変えるものだ。ならば……。

 

「それならレイズ。お前の遺産は、その……例えば急な運動をしたり、あとは驚いたりとか、そういうのでも昂って暴走するのか?」

「ははっ。確かにそーいうのでも昂るっちゃ昂るけど、でもそんな簡単には暴走はしねーよ。むしろ多少の昂りなら出力を上げてくれるんだ。だけどたぶんそれには閾値みたいなものがあってさ……それを超えると、自分でも制御が効かなくなるんだと思う」

「思う、か。なんか曖昧だな」

「そりゃ暴走したらヤバいしな。ただの化学実験じゃねーんだから、どこまでいったら暴走する? みたいなのは流石にできねーだろ」

「それはそうだが……しかしそれなら最初の1回以降、暴走したことはないのか?」

 

 問いかけたその瞬間、レイズの表情に苦みが差した。

 

「……1回だけ」

 

 目を伏せて、唇を振るわせる。今の少年の表情に、ナガレとしての強さは宿っていなかった。

 

「暴走寸前……自分じゃ止められないとこまで昂ったことがある。そのときは本当にヤバくて、がむしゃらで、とにかく死んで堪るかって一心で……たぶん、生存本能みたいなやつなんだろうな。体の中が勝手に熱くなってきて、頭じゃ分かってるのに止められなくて……」

 

 ニルヴェアは思わずごくりと、生唾を飲み込んでいた。

 

(自分の心臓が自らの制御下を外れ、内側から全てを焼き尽くすなんて、想像しただけでも怖い。だけどこいつは……その想像の何倍も怖い世界でずっと生きてきたんだ)

 

 そのことを思うと、これ以上は踏みこまない方がお互いのためなのかもしれない。そんな考えが頭を過ぎり……しかしすぐに消え去った。

 

(違う。だからこそ僕は知らなきゃいけないんだ……僕の想いを貫き通す、そのために)

 

 だからニルヴェアは、レイズの世界に踏みこむ。

 

「でも寸前ってことは、そこで止まったんだろ? 自分じゃ止められないのにどうやって止めたんだ?」

 

 問いかけたのは止める方法。レイズは苦い表情のまま答える。

 

「そんときたまたま一緒にいたやつに、死ぬほど強烈なのを貰ったんだ」

「死ぬほど、強烈な……?」

「つまり気絶させられたんだよ。そしたらなんか1周回って収まった。多分だけどさ、こいつは俺の精神に呼応してるから……それがぷっつり途切れれば収まるんじゃないかな。たとえば寝てるときに暴発したりってことはないしさ」

「ふむ……精神との呼応、生存本能、暴走の閾値……」

 

 ぽつぽつと呟いていくニルヴェア。その脳裏には、レイズのこれまでの立ち振る舞いが過ぎっていた。

 普段の飄々とした余裕ある態度。時折見せる冷酷にも近い冷静さ。それに、どこか他人と一線を引いているように見える秘密主義……ニルヴェアは、そこからひとつの答えを引き上げる。

 

「つまりレイズ。お前の立ち振る舞いというのは、その暴走を抑えるためのものなのか?」

 

 その途端、レイズの顔がぎくりと強張った。図星なのは明らかであった。

 

「なんでお前、そういうとこだけは鋭いんだよ……」

「ちょっと待て。まるで普段は鈍いみたいじゃないか!」

「実際なにかと鈍いだろ……ま、バレたならこの際教えてやるけど、実際日頃から気をつけてはいるんだよな。例えば普段から平静を保つこと。特に戦闘ではパニックにならないよう、常に考え続けること。あとは精神面以外だと……」

 

 レイズはそこで一度言葉を切った。そして自らの胸の前へと手のひらを出して上へと向けた……その直後、ボッ。小さな紅が手のひらに灯る。

 

「うわっ」

 

 ニルヴェアが目を丸くした。彼女の視線は手のひらの真ん中でゆらゆら揺れている炎に注がれていた。だがそれはすぐに消えて、レイズの説明と入れ替わる。

 

「実はさ、こうして炎を出すにはちょっとだけ気張らなきゃ……つまり自分を昂らせなきゃいけないんだ。昂れば昂るほど火力は上がるけど、でも火力を上げるほどに暴走の危険も高まる」

「……言われてみれば基本的には炎より銃を使ってるよな、お前」

「ああ。銃のエネルギーとして引き出すだけなら炎を直接出すより楽だし、安定もするんだ。だから普通はそっちで戦ってる……っつっても、その銃にだって念のためにリミッターを掛けてあったり」

「リミッター?」

「そ。あの銃はさ、一定量以上の過剰なエネルギーを注ぐと、ボディが耐え切れずに爆発する。そんな設計になってんだよ」

「うぇっ、なんでそんな物騒な……って、そりゃ暴走を止めるためか……」

「おう。感情が昂り過ぎてうっかり無茶しそうになっても、自爆すりゃ頭だって冷えんだろ……って爆発してんのに冷えるってのも変な話か、ははっ」

 

 そうレイズは軽口を叩いてみせたが、しかしニルヴェアの頭は逆に冷え込むばかりであった。

 

「幾重にも対策を重ねて、それでもまだ危険な爆弾を抱えて……」

「ニア?」

「なのに、なんでお前は旅ができるんだ? そこまでしてお前が欲しいものって、なんなんだ?」

 

 青空のような瞳が、しかし今は曇天のように寂しげに揺れていた。しかし……あるいはだからこそか、レイズはあえて胸を張った。ナガレとしての強い意思が、再びその表情に宿る。

 

「決まってんだろ。暴走するから危ないってんなら、完全に制御できるようにすればいいんだ」

「制御って……そんなことできるのか?」

「それは実際やってみないとなんともな。だけどもし制御できる可能性があるとして、それに必要な”鍵”はもう見つけてる……っていっても、今はまだその名前を知ってるぐらいなんだけど」

「鍵……?」

「『祈石(いのりいし)』。それが俺の探している物の名前だ」

「いのり、いし……?」

 

 それはニルヴェアにとって、全く聞き覚えのない名前であった。

 

「石というからには鉱石の一種なのか?」

「ああ……つってもただの鉱石じゃない。未だ採掘場所は見つかってないし、人工的な生成も不可能っていう超希少な鉱石だ。そのくせしてそいつは……現存する旧文明の遺産。その多くに素材として使われてるらしいんだよ」

 

 そこまで聞いて、ニルヴェアはハッと気づく。

 

「もしかして、お前の遺産にも……!」

「そう。旅の中で遺産の研究者と会ってさ、そいつに調べてもらって分かったんだ」

 

 レイズはそう言ってから、再びシャツを捲って胸の遺産を見せた。”心臓”が紅い光を揺らめかせる。

 

「この球が遺産の核に当たるんだけど、その周りに金属の輪っかがあるだろ? ここに祈石が混ぜ込まれてるらしいんだ」

「なるほど……それで、その祈石とやらはどんな効能があるんだ?」

「分かってることはそんな多くない。ただ『感情や意思を伝播させることで遺産を制御する』って力があるのは確からしい」

「感情や意思……つまりその祈石があれば、遺産を自分で自由に操れるようになるのか?」

「そうなるな。つっても、祈石をどう使えばこいつを完全に制御できるのか。それはまだ全然分かんないし、まだ道のりは長いんだろーけど……とにもかくにも『祈石を手に入れること』。それが今の俺の目的ってことになるな」

「なるほど、な……」

 

 ニルヴェアは腕を組んで、それきり黙り込んでしまった。なにやら神妙に考え込むその表情に、むしろレイズの方が慌てて言う。

 

「あー、なんか気まずくしちゃったな。悪い。えっと、なんつうかさ……そんな気にすんなよ! てか俺だって言うほど気にしてないし!」

 

 しかしニルヴェアは返事を返さない。彼女は思考の海に沈んでいる。ただひたすら、レイズという人間について想いを馳せている。

 

(胸の遺産、暴走への恐怖。それがレイズを旅客民(ナガレ)にした根幹……いや、それだけじゃないはずだ)

 

 自然と脳裏に浮かんだ。以前、アカツキに託された言葉が。

 

 ――やつの”道”は、たった15の少年が背負うにはとても酷な物だ。しかしそのくせしてあやつは妙に擦れていない……いや、擦れることができないのだろう

 

 ――いつまで経っても優し過ぎるのだ、我が弟子は

 

(レイズは遺産の暴走に他人を巻き込みたくないんだ。きっと自分が死ぬよりも、人を巻き込む方が怖いんだ。だからこそあいつは誰にも頼らず、今まで1人で旅を続けて……)

 

 ニルヴェアがじっくりと考え込むその一方で、レイズはなんとか空気を明るくしようと奮闘している。

 

「そりゃこの遺産がクソなのは事実だけどさ、でもこいつのおかげで生き残ってこれたんだし持ちつ持たれつってやつだよ! 実際、火のないところでも火が起こせるってマジですげー便利だし、暴走さえしなきゃただの便利グッズだよこんなん! えーっと、とにかくこの話で一番重要なのは、そうあれだ。もし俺が暴走しそうになったらお前はすぐ逃げろってこと! 言いたいのはそれだけ! はいこの話はもう終わ」

「逃げない」

「っ!?」

 

 レイズの奮闘は、たった一言で堰き止められた。さらにニルヴェアは間髪入れず、はっきりと断言する。

 

「だって僕はこの旅が終わったら、お前に恩返しがしたいんだ」

「おん、がえし……?」

「祈石の情報が欲しいなら一緒に集めてやる。僕も一応貴族の端くれなんだし、資金援助だってできるさ。なんなら、お前と一緒に旅に出て手伝ったって構わない! レイズ、とにかく僕はお前から逃げないぞ。お前が僕をここまで連れてきてくれたように、僕だってお前の旅に最後まで付き合ってやる!」

 

 ニルヴェアは一気にまくしたてると、そこから文字通り一気に踏みこんだ。足でバルコニーの床をだんっと踏み鳴らして、レイズの眼前まで急接近。レイズは思わず後ろに後退ったが、しかしニルヴェアはぐっと顔を近づけて逃がさない。

 

「暴走で誰かを巻き込むのが怖いっていうなら、僕がずっとそばにいて、何度だって止めてやる。死ぬほど強烈な一撃、で止まるんだろ? だったら……」

 

 ニルヴェアはそこで、わずかに唇を震わせた。

 

(怖い)

 

 命懸けの意思を形にして、誓う。それは想像以上に怖いことだった。それを今、初めて知った。

 

(それでも決めたんだ。僕は僕の決断を最後まで貫くって)

 

 だから誓う。

 

「レイズ。たとえお前を殺してでも、暴走はこの僕が絶対に止めてやる。だからお前は暴走しないよ、絶対に」

 

 ニルヴェアは言い切った。そしてそのとき……すでにレイズは、彼女に背を向けていた。

 

「…………」

 

 その後ろ姿は沈黙を貫き、表情も伺い知れない。

 

「レイズ……?」

 

 ニルヴェアは不安と共にその背を見つめて、1秒、2秒、3秒……

 

「なにその気になってんだよ、バーカ」

 

 不意にニルヴェアのおでこが、人差し指にちょいと押された。彼女が驚いたそのときには、すでに勝ち気で生意気な少年の笑顔が目の前にあった。

 

「お前が暴走してどーすんだよ」

「んなっ! 僕は暴走なんて……」

「お前にはちゃんと、帰る場所があるんだろ?」

「っ……!」

 

 ニルヴェアはその瞬間、自らの手のひらの重みを思い出した。彼女の手には今もなお、クリアブルーのペンダントが握られている。

 

「ニア。たとえお前の実家が”籠の鳥”で、狭い世界だったとしても……楽しかったんだろ? 大事な居場所なんだろ? そうじゃなきゃ、思い出しながら泣いたりなんてできねぇよ」

 

 ニルヴェアはただ、こくりと頷くことしかできなかった。

 

「帰れる家があるならさ、きっとそれに越したことねーんだ。それに、いくらお前が分家だとしてもお貴族様ならさ、たぶん責任とか色々あるんだろ。お前はそういうを捨てないタイプだと思ってたけど?」

「…………」

 

 ニルヴェアはうつむいて黙りこんだ。しかしやがて、その口にほんの小さな笑みを浮かべて。

 

「……ああ、そうだな」

「そうそう。お互い”世界”が違うんだから――」

「それでも、僕はお前にまた会いたいよ」

 

 レイズがぴしりと固まった。しかしニルヴェアはそれに気づかないまま、うつむいたまま語り続ける。

 

「恩だってたくさんあるけど、それだけじゃない。せっかくこうして仲良くなれたんだ。僕はお前との繫がりを、ただの一期一会で終わらせたくは……」

「資金援助と情報提供」

「へ?」

 

 ニルヴェアが顔を上げれば、少年の顔はちょっぴり赤くなっていた。

 

「さ、さっきお前が言ったんだろ!? 金はとりあえず大事だ! それに兄貴の情報を四方八方から取り寄せられるお前なら、祈石の情報だって案外集められるかもしんないしな!」

「それじゃあ……」

「だから、たまに寄ってやるよ。そんで宿代代わりに旅の話を聞かせてやる」

「……!」

 

 ニルヴェアの目の前にふっ、と。その光景は現れた。

 ある日ふらりと現れてはお土産片手に広い世界を物語る、赤銅色の髪の少年。そして彼の話に聞き入る、金髪蒼眼の少年が――

 瞬きひとつ。すぐに消えたその光景に、しかし少女の笑みが深まった。

 

「お土産は、食べられる物がいいな」

「いや真っ先にそこかよ。つか食べ物は日持ちがなぁ……」

「あ、そうだ!」

「うわっ、今度はなんだよ?」

「ウチでと言わず、旅の話は今聞きたい! せっかくこんな良い夜なんだしさ!」

「せっかく、ねぇ。いつもと同じ夜だと思うけど……」

 

 レイズはそうぼやきつつも、しかしその頬は緩んでいた。どこか肩の荷でも下りたかのように、彼はゆるりと空を見上げた。

 星は満天に、月は空高く。

 

「じゃあ遺産のことも話したし、それ関係の話にするか……そうだな。あの変な研究者と出会ったのも、ちょうどこんな夜のことだったんだ」

 

 夜が明けるには、まだ遠いから。

 

「大陸の端の方に広がっている森林地帯。その奥深くにひっそりと佇み『秘境』と呼ばれる遺跡群の中に、そいつは住んでいた。例えとかじゃなく、マジで住んでたんだよ。なんでも古代の人々の生活を体で知るとかって――」

 

 少年が楽しげに語らい、少女が安らかに耳を澄ませる……そんな穏やかな時間は、文字通り夜が明けるまで続くこととなる。

 いつの間にか昇ってきていた太陽に2人がびっくりして、慌てて旅の予定を組み直すまであと、あともうしばらく。


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