蒼き瞳とナガレゆく   作:秋野ハル

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エピローグ&プロローグ 蒼き瞳とナガレゆく

 包帯の巻かれた小さな手が掴んでいるのは、1本の短剣であった。刀身のほとんどを斬られて失った、もはや短剣と呼べるのか怪しいそれを、しかしニルヴェアはほほ笑みと共に眺めている。すると不意に、聞き慣れた声が耳に届く。

 

「待たせたな。ちょっとバイクの改造に手間取ってよ」

 

 ニルヴェアが顔を上げれば、そこにはレイズが立っていた。ニルヴェアはベンチに座ったまま返事を返す。

 

「いや、こっちもさっき一通り終わったところだから」

「そっか。それで……”検査”はどうだったんだ?」

 

 ここは、待合室であった。

 どこのかと言われれば、剣の都に存在する『越境警護隊ブレイゼル支部』。そこが保有する施設のひとつである病院の待合室であった。

 

「ああ、それなら問題なかったよ。とりあえずはな」

 

 『戦艦ヴァルフレア』での決戦からおよそ1週間。レイズとニルヴェアはグラド大陸史に残るような大犯罪を止めた協力者として、聴取とか報酬とか治療とかその他諸々のために、しばらくこのブレイゼル支部で世話になっていたのだ。

 そして今、少年少女が待合室のベンチに座って喋っている内容もその一環であった。

 具体的にはニルヴェアの……人造偽人の健康状態についてである。

 

「とりあえずって……引っかかる言い方だな」

「一通り検査したけど、僕の体は普通の人となんら変わらなかったってさ。異常な再生能力も結局『揺り籠』に入っていた一度きりだった。絶対防御を生み出す”光”だってすっからかんのままで、1週間経っても全然戻らないんだ」

 

 ニルヴェアはつい先ほどまで、その体に精密検査を受けていた。それは人造偽人としての力をむりやり引き出された後遺症などのあれこれを調べるためであった……が。

 

「普通の人と同じならいいじゃねーか。つまりは健康ってこったろ」

「うーん。そうなんだけど……兄上が言ってたじゃないか。『理論上、全ての力を奪われた人造偽人は死ぬはずだ』って」

「あ……」

「僕は人造偽人としての力を確かに全て失った。だけど今、こうして生きている。ブレイゼル本家に保管されてあった人造偽人の説明書《マニュアル》を漁っても同じ事例は出てこなかった。それが中途半端に力を抜き取られた結果なのか、あるいは兄上が手心を加えてくださったのか、他にもいくつかの仮説は立てられるけど……あれだ。結局はよく分からないんだよ。すでに力を失ったはずのこの体にいつどんな異常が起こるかなんてさ」

「マジかよ……」

 

 さらっと知らされたその事実に、レイズはおっかなびっくりした。しかしそれを告げた当の本人はあっけらかんと笑い飛ばして。

 

「これでお前とお揃いだな、レイズ」

 

 レイズはさらにびっくりして、ニルヴェアはさらに笑みを深めた。

 

「そんなわけで、お前みたいに僕も遺産のことを……人造偽人のことをもっと知りたいし知らなきゃいけないんだ。だからこれからの僕らは『遺産という名の爆弾を抱えた同盟』ってことになるな」

「なんだよその物騒な同盟はよ」

 

 そう言いながらも、レイズはその目を楽しげに細める。

 

「……悪くねぇな」

「だろ?」

 

 ニルヴェアはにかっと笑って、それから手元の短剣へと視線を落とした。彼女は刀身がほとんど失われた短剣を、大事そうに鞘へと納めた。とはいえ刃がほとんどないので、そこは紐で縛ってきゅっと固定した。

 

「いいのかよ。刃は直さなくて」

「いいんだ、お守りだからこのままで」

「そっか。ならいいな」

 

 と、レイズはふと思い出す。

 

「あ、そういやわざわざ呼びつけてきた理由って結局なんなんだ? 『今日1日付き合ってくれ』だなんてさ。検査結果を聞かせるため……ってだけでもないんだろ?」

「そうだな。もうそろそろ良い時間……」

 

 そう呟きながらニルヴェアは視線を上げた。その先、待合室の壁には時刻を示す時計が掛かっている。ただいま午前9時25分――

 

「あ!」

 

 ニルヴェアはベンチから立ち上がった。”約束”の時間は10時きっかり。待ち合わせ場所は剣の都のとある路地裏。

 

「行くぞレイズ――あの人が出発する前に!」

 

 

 ◇■◇

 

 

 時刻は午前10時きっかり。人気のないとある路地裏に、2人の人影があった。

 片や越境警護隊所属の身なりが良い優男。

 片やぼろ布まとってその身を隠した指名手配犯。

 そんな2人が路地裏に集えば……やることなどひとつしかない。

 

「ほら、これが”餞別”だよ。アカツキ」

「遅いぞブロード。ま、しかしこれでようやくこの場を離れられるわけだ」

 

 新たなる旅と、その見送りである。

 

「拙者、一応は指名手配犯なわけだしな。支部とはいえ越警の近くをちょろちょろするのは肝が冷えるというものよ」

 

 アカツキは口でそう言いつつも、その目はブロードから手渡された封筒へと注がれていた。

 

「肝が冷えるなんて嘘ばっか。指名手配の顔写真はもっと美人さんじゃないか」

「なにを言う。今の拙者とてこれはこれで需要が……と、別れのときにだらだら駄弁るのも不格好でござるな」

「そういうもの?」

「そういうものだ。別れるときはすっぱりと、それが粋というものよ。ゆえに用件をさっさと済ませよう……結局のところ、エグニダの証言の裏は取れたのか?」

 

 ――お前の主君の死、その真相を……な

 

 アカツキに渡された封筒は、アカツキが見せられエグニダが語った”真相”について、ブロードが独自に調査した内容をまとめたものであった。しかし……

 

「結論から言うと、半分嘘で半分本当……かもね」

「なんだ、ぽやっとしておるなぁ」

「おいおい、これでも結構頑張ったんだぞ? 僕だって先の戦いでわりと怪我したってのに休む暇もなく事後処理に駆り出されて、エグニダの死体探しとも並行してあーだこーだとだね……」

「む。エグニダの死体……落ちていった上半身か。見つかったのか?」

「いーや。戦艦の軌道下は大体洗ったけどどこにも残ってなかったよ。やだなぁ、どう考えても生きてないと思うけど、だからこそヤな予感がするんだよなぁ」

「……再び合間見える時が来るというなら、それはそれで面白そうだ。さらに強くなってくれれば、拙者もまた得る物があろうて」

「それ、僕もまた苦労しそうで嫌なんだけど……」

「その手の裏方はおぬしの専売特許だろう。きりきり働け若人……と、話がそれてしまったな」

 

 アカツキはからかうように笑っていたが、そこで表情を引き締めると改めて問いかける。

 

「『半分嘘で半分本当』とは、つまるところどういうことなのだ? 『命懸けの大勝負で嘘をつけるほどの度胸はない』とエグニダのやつは言っておったが……」

「だったらそれが嘘なんだろうね」

「なんと……つくづくろくでもないな、あの騎士は」

 

 アカツキは言葉とは裏腹にどこか楽しげであった。一方のブロードは「まったくだ」と言葉通りに溜息を吐いてから説明を続ける。

 

「細かい説明はその封筒の中に入ってるけど、君が教えてくれた”真相”と、リョウラン家三女殺害事件の資料だの当時のリョウランの情勢だのを照らし合わせたときに、いくつか矛盾があったんだよ。まず間違いなく、エグニダの情報は全てが真実じゃない。だけど同時に、全てが嘘ってわけでもなさそうだった。そんでそこら辺を調査分析して組み立ててみたのがその資料ってわけさ。とはいえ僕の憶測もだいぶ混じってるし、精度は全然保証できないけど……」

 

 ブロードはそこで少しだけ間を置いてから、告げる。

 

「もしかしたら姫様が巻き込まれたのは、相当に根が深い陰謀なのかもしれない。その封筒に入っているのは、それを手繰り寄せる手掛かりでもあるんだ」

 

 それからブロードは申し訳なさそうにうつむいて。

 

「本当は僕も力になりたいけど、まだ今回の事件の後処理が山積みなんだよね。それに……領主を失ったブレイゼル領の治安だってしばらくは不安定になるだろう。そしてそういうときこそ僕らの出番ってわけさ。だから、しばらくは君ひとりに任せることになるけど……」

 

 そう言いながらブロードは顔を上げて……そこで彼は見た。堂々と胸を張り、歯を見せて笑う女侍の姿を。

 

「陰謀上等でござるよ! 敵のスケールが大きければ、我らが伝説にも箔が付くというものよ!」

「で、伝説……?」

 

 ぽかんとしたブロードへと、アカツキは当然のように言い放つ。

 

「拙者たちの生き様が自伝として遺るというなら、やはりどでかい伝説のひとつやふたつ創っておかねばつまらぬでござろう?」

 

 ブロードはほんの数秒固まって、その言葉の意味を飲み込んで……それから、ぱぁっと表情を明るくして。

 

「まさか、描いてもいいのか!?」

「思い出したのだ。亡き主君の遺志を託された侍が一念発起して伝説を創る。その手のシチュエーションは姫様の大好物なのだとな」

 

 アカツキは冗談のようにそう言って、しかし瞳は優しく細めて。

 

「それに……姫様はその生き様を未来へ託すことを夢見ていた。それが遥か遠くの未来に、肉体が死したあとにも続く夢だというのなら……まだ姫様と拙者の夢はなにひとつ終わっていない。きっとそういうものなのろう?」

「……素敵だね。うん、きっとそうだよ」

 

 視線と視線が穏やかに交わって……ふとアカツキが問いかける。

 

「なぁブロード。おぬしは知っておったのか?」

「なにを?」

「拙者が本当は復讐に興味などなかった、ということをだ。だからおぬしは拙者に語ったのではないのか。未来へなにかを遺すという夢を……」

 

 するとブロードは一度きょとんとして、しかしすぐにその口を大きく開けて。

 

「あっはっはっ! 過大評価し過ぎだよ!」

 

 今度はアカツキがきょとんとする番だった。

 

「なんだと?」

「あのねぇ、僕はそんな大した人間じゃないっていつも言ってるだろ? ま、でも……そうだな。復讐したらどうするのかな、とは思ってた。君はあまりやりたいことがなさそうに見えたんだ。でも僕は君に憧れてるわけだし、憧れの人にはもっと楽しく生きて欲しいって思うのが普通じゃん?」

 

 ブロードがそう言って小首をかしげると、アカツキはやがてひとつの結論に思い至る。

 

「……もしかして拙者、わりと分かりやすいのか?」

「君は真面目過ぎるんだよ」

 

 単刀直入に言われたのであった。

 

「ふはっ。拙者もまだまだ修行が足りんな」

 

 それからアカツキはぼろ布のフードを頭から被って、ブロードに言う。

 

「さて……話すべきことは話したし、そろそろ行くとするかな。これからもお互い大変だとは思うが、拙者は夢のため……おぬしはそんな拙者をいつか描くため。死ぬでないぞ、お互いにな」

 

 しかしブロードは、なんだかばつの悪そうな表情を見せて。

 

「あー、うん。できる限り死なないつもりだけどさ……はは……」

「なんだその頼りない返事は。そのうち死ぬ予定でもあるのか?」

「まぁ、その……実はね? 僕は今回みたいに、単独行動から現地のナガレと協力して事件を解決ーみたいなことがまーちょいちょいあってさ。だからもしかしたらって思ってたけど、今回の大金星でとうとう目をつけられちゃったんだ……要するに、昇進するみたいなんだよね、僕」

「なんだ。めでたいことではないか……と、諸手を挙げて喜べることでもないか」

 

 今の越境警護隊はきな臭い状況になっている。以前ブロードの口から語られていたことであった。

 

「つまるところ、おぬしは首輪を付けられるわけか」

「そーいうこと。僕はこれから越警の中でも『修羅』とか『鬼教官』とかそんな物騒な二つ名で噂されてるヤバい上司の直属になるらしい。その人が神威と関わってるのかまでは分かんないし、本当に単にヤバい人なだけかもしれないけど……はー、やだなぁ。いずれにせよ命がけになることは確定だもんなぁ」

「なんだ、そう言うわりには悲しそうには見えないぞ?」

「……ま、実はね。結局はなるようにしかならないし……正直、なんとかなるんじゃないかなって適当に楽観してるよ」

 

 ブロードはそこで自らの腕に巻いてある時計に一度視線を落とすと、それから再び顔を上げた。

 

「あの2人を見てたら、なんかそう思えちゃうんだよね」

「ふっ……なるほどな。しかし、それでもなんとかならなかったら?」

「やるだけやって駄目なら、あとはもう逃げるだけさ」

「まったく、おぬしは不真面目だな。でも……それもおぬしの美徳だ。その気持ちを忘れるなよ」

 

 そう言い残してアカツキは背を向けた。それは今度こそ、別れの合図…… 

 

「あ、ちょっと待って!」

「なんなのださっきから! もっとすぱっと別れさせぬか!」

「あーっと、そのー、僕もそうしたいんだけど……」

 

 ブロードはあーだこーだと挙動不審な素振りを一通り見せて、それからようやく話を切りだす。

 

「……2人には会わなくてもいいの?」

 

 アカツキはきっぱりと答える。

 

「我々は流れ者だぞ。一々別れの挨拶などしていたらキリがない……会えるときは会える、会えないときは会えない。それがナガレというものだ」

「なるほど確かに一理ある。けど……やっぱり君は真面目過ぎる」

「なに? ……むっ」

 

 そのときアカツキはいち早く気づいた。自分たちのいる路地裏へとまっすぐ近づいてくる、およそ2人分の足音に。

 

「ほれみろ。おぬしがぐだぐだしておるから誰か来るぞ。越境警護隊の者なら面倒……」

「お、やっと来たかな?」

「なに?」

 

 そこでアカツキはようやく気づいた。やたらと自分を引き留めてきた、ブロードの思惑に。

 

「まさかおぬし……」

「真面目を貫くのもいいけどさ、たまには不真面目に遊んでみてもいいんじゃない?」

 

 路地裏にどたばたと、少年少女が駆けこんできた。

 

「遅れてすみません間に合いました!?」

「おいアカツキ! なんだってこんな分かりにくいとこにいるんだよ!」

 

 どわっと迫ってきたニルヴェアとレイズへ、アカツキはさくっと言う。

 

「拙者これでも指名手配中の身でござるし、越警の支部の周りをうろつくのもなぁ」

「まぁ、そりゃそうだけどよ……」

 

 レイズは納得して、ニルヴェアは目を丸くした。

 

「え、なんですか指名手配って」

「拙者、実は大事件の濡れ衣を着せられて追われておるのだ。そしてその冤罪を晴らすために姫様の仇を追っておるのだ!」

「えー!? なんですかそのとても気になる裏話!」

「そんで拙者の生き様をそのうちブロード(こやつ)に一筆描いてもらう予定がさっきできた」

「え……?」

「つくづくそういうとこムカつくな君は! いつか僕が売れっ子作家になったとして、絶対に君だけは描いてやらんからな後悔してももう遅いぞ!」

「おーいアンタ越警の仕事どこいったー?」

 

 レイズがさくっとツッコミひとつ。それからアカツキへと向き直って言う。

 

「で、普段は師匠面してしつこいくせに、こういうときは黙って行くのかよ」

「そうですよ! まだちゃんとお礼だって言えてないのに!」

「お礼と言ってもな……今回のMVPはおぬしら2人でござろう? 拙者は大したことなど」

「僕だってアカツキさんの弟子なんです!」

「っ!?」

「僕はレイズに色々教えて貰ったけど、それはつまりアカツキさんがレイズを育ててくれたおかげなんです。だから僕にとっても貴方はナガレの師匠です! レイズを拾ってくれて、育ててくれて、ありがとうございました! 僕はこの旅で学んだことを絶対に、絶対に忘れません!」

「ニア殿……」

 

 どう言っていいのか分からない。そんな困惑を見せたアカツキに、一番弟子《レイズ》が続けて言葉をかける。

 

「ったく、『僕だって』ってなんだよ。俺は弟子じゃねーって何度言わせんだ……おいアカツキ、いつまでも師匠面してんなよ。なにせ俺たちはあの剣帝ヴァルフレアだって倒したんだぜ? だからよ、アカツキ……」

 

 少年の小さな拳が、力強く掲げられた。

 

「なんか困ったら俺たちを呼べよ。そんときゃアンタと肩を並べる仲間として、どっからでも駆けつけてやるさ!」

 

 レイズが威勢よく言いきった。その小生意気な誓いに、アカツキの口は小さく開いて、すぐに閉じて。それから……ぐわっと、大きく開いて。

 

「弟子たちー!!」

 

 女侍はあっという間に少年少女の懐へと飛び込んだ。そして2人の頭を両手でわしゃわしゃかき回す。ぼろ布フードが跳ね上がって、満面の笑みが露わになった。

 

「あっはっはっ! 弟子の成長とはまっこと早いものだなぁ!」

「だから弟子じゃねーしやめろー!」「わー! あはははは!」

 

 きゃーきゃー騒ぐ少年少女をわしゃわしゃ×2堪能して、それからようやく手を離して。

 

「……おぬしらと出会えて良かった」

 

 不意に、その頭を下げた。

 

「ありがとう、みんな」

 

 すると三者三様、ばらばらの返事が返ってくる。

 

「ほんとに変な人ですね。助けて貰ったのは僕らなのに」

「まったくだ。訳分からん礼で頭下げるくらいなら、普段の悪ふざけを謝れってんだ」

「君はさ、そういうとこが真面目過ぎるんだよ」

 

 言葉はばらばらでも、全員の表情は同じだった。

 ニルヴェアが、レイズが、ブロードが、じっと己を見守る中で。

 

(父上、母上、姫様……拙者は貴方たちに『託して良かった』と、そう思ってもらえるような侍にいつかなってみせます。だからその日まで……もう少しだけ、お待ちください)

 

 アカツキは最後に選ぶ。別離(終わり)再会(始まり)を意味する一言を。

 

「みんな……またな! でござる!」

 

 

 師匠が次の旅へと去ってすぐ。

 一番弟子はわしゃわしゃされた髪を手櫛で直しながらぼやく。

 

「おいニア、お前の用事ってのはこれのことかよ。ったく……」

 

 しかしその問いには、なぜかブロードが答えてくる。

 

「それは違うよ。これはどっちかって言うと、僕の交換条件ってやつさ」

「は? なんの?」

「飛空艇の運転代。僕と一緒に見送ってくれたお礼に、僕が君たちを送ってあげるよ」

 

 

 ◇■◇

 

 

 

 飛空艇から降りたとき、すぐ目の前には石造りの外壁が広がっていた。そしてその中に、ぽっかり開いた関所がひとつ。

 ごくありきたりな街の入り口に、しかしレイズは明確な見覚えを感じていた。

 

「ここは、まさか……」

「そう。ここはお前と出会った街……そして、僕の故郷だよ。レイズ」

 

 関所を通って街の中へと入り、一行が目指す目的地。そこはニルヴェアの実家であり今回の事件の原点でもある、分家(レプリ)の屋敷であった。

 そのせいか道中の話題は自然と事件についての話となり、その中でニルヴェアはブロードへとひとつの疑問を尋ねる。

 

「そうだ。兄上の処遇はこれからどうなるんですか?」

「それは……」

 

 言葉を詰まらせたブロードに、レイズがすぐ忠告する。

 

「そいつの図太さを舐めるなよ。はっきり言わないとむしろ面倒になるだけだぜ」

「さっすがレイズ、よく分かってる」

 

 本人にまで胸を張られちゃあしょうがない。ブロードは観念して話し始める。

 

「一領の主が神威と手を組んだ。それは条約にとってダマスティ領の再来にも等しい叛逆行為であり……本来なら、死刑以外に有り得ないんだ」

「本来なら、ですか?」

「そ、本来ならね。でも……彼は自身の計画の全てを、そしてエグニダから流された神威の情報を素直に白状してくれた――越警の調査部も真っ青になるほどに、有益で膨大な情報をね」

 

 一行の行き先には、いつの間にかニルヴェアの屋敷が見え始めている。

 

「彼は本気で神威を潰すつもりで情報を集めていたようだし、それは間違いなく大陸全体に益をもたらすものだ。もちろん罪と益は単純な足し引きじゃないし、今後彼がどうなるかまでは分からないけど……ただ少なくとも、今はまだ生かされるはずだ。僕らの”上”が、大陸一の愚か者じゃなければね」

「でもアカツキから聞いたぜ。越警には神威の手先が紛れてるんだろ?」

「そうだね……だけど全部が全部ってわけじゃない。信頼できる人はちゃんといるし、僕自身も少しは上に近づいてきたみたいだし……ま、あれだ。君たち子供を護るのが僕の仕事だって言ったろ? だからさ……」

 

 ブロードはそこで一度足を止めた。彼の瞳は、少年少女をまっすぐに映して。

 

「やれるだけやってみるよ。君たちの笑顔を護るためにも、ね」

 

 その言葉に、少年少女の足も止まった。2人一緒に振り向いて、しかしニルヴェアだけが口を開く。

 

「……兄上はどんな運命であろうとも、きっと受け入れるのだと思います。僕も兄上が裁かれることに異存はありませんし、僕なんかにその罪の裁量が測れるとも思いません。だけど、それでも……」

 

 ニルヴェアは、静かに頭を下げた。

 

「兄上のことを、よろしくお願いします」

「……ああ、任せてよ!」

 

 ブロードが胸を張って断言したその向こう。屋敷はすぐそばまで近づいていた。

 やがて辿り着いたのは、大きな屋敷の大きな門。そこに人の気配はなく、しかし門は開かれていた。

 門からは舗装された道が伸びていて、それは奥の方でいくつかに枝分かれしているが、しかしそのほとんどには通行止めの証として、越境警護隊の紋章入りの柵が立てられていた。

 

「ここも今は越警の管轄なんだ。例の事件において重要な場所としてね。それに……本来の(あるじ)もいなくなっちゃったし、ね」

「!」

 

 ブロードの言葉にハッとしたのはレイズであった。彼は弾かれたようにニルヴェアを見たが、しかし当の彼女は落ち着いた素振りを見せていて。

 

「……それじゃ、行ってきます」

「うん。行ってらっしゃい」

 

 ブロードと短く言葉を交わしたあと、レイズに向かって言う。

 

「ついてきてくれ。この先に1本だけ、封鎖されていない道があるんだ」

 

 そしてニルヴェアはすぐに門の向こうへと歩いていってしまう。

 レイズは困惑しながらも置いていかれないように歩き出して、しかしすぐにブロードの方へと振り返った。

 

「アンタはいいのか?」

「いいよ。それがあの子との約束だしね」

 

 ――レイズと2人きりで話がしたいんです。だってあの場所は僕にとって、終わりと始まりの場所で……

 

「行ってきなよ、レイズ君。これは君たち2人が勝ち取った未来なんだからさ」

「……? まぁ大事な話なんだろうとは思うけどさ……告白……とかは期待しねー方がいいよな。あいつのことだし」

 

 レイズは疑問を残しながらも、ブロードに背を向けて、屋敷の敷居を跨ごうとして……。

 

「あ、ちょっと待って。ヴァルフレアから君へ、伝言がひとつあるんだ」

「俺に? ニアにじゃなくて?」

「うん――『弟を頼む』だってさ」

 

 

 ◇■◇

 

 

 封鎖されていない唯一の道をレイズは進んでいく。しかしそれは屋敷には続いておらず、むしろ屋敷から離れてひっそりとした林の中へと伸びていた。木漏れ日に彩られた道を歩いていると……不意に、景色が開けた。

 

「ここは……墓地、だよな……」

 

 真っ白な墓石と、そこから生えた十字の墓標。それがいくつも立ち並んでいた。

 レイズは周囲を見渡してニルヴェアの姿を探す……すぐに見つけた。

 ニルヴェアは墓地の一角で、目を閉じて祈りを捧げている。レイズがそこへ歩み寄ると、ニルヴェアは目を開けてレイズを見た。

 

「ここはさ、身寄りがない使用人や兵士の共同墓地なんだ」

「身寄りがないって……こんな屋敷で働いてるのにか?」

「ああ。ブレイゼル家には定期的に身寄りのない子供を引き取って、関連機関で育成や雇用をする慣習があるんだ。そしてそのひとつがここ、分家の屋敷なんだよ。……アイーナも、そのひとりだったんだ」

 

 ニルヴェアが祈りを捧げた墓標の根本。そこにはクリアブルーのペンダントが置かれている。

 

「やっと返せた。僕が『ニルヴェア・レプリ・ブレイゼル』として成すべきことは、これで全部終わったんだ」

「ニア……?」

 

 レイズが困惑と共に呟いた。

 ニア。その名はただのからかいから始まって、偽名にもなり、これまで何回も呼び続けたあだ名であった。

 それに対してニルヴェアは、なにかを承知してこくりと頷く。

 

「うん。僕がお前を呼んだ理由は、この先にあるんだ」

 

 

 道は墓地の奥にもまだ続いていた。

 墓地を通り過ぎて、さらに奥の林の中。しばらく進むと、そこには木々の隙間からこぼれる木漏れ日と……それに照らされた、大きな石碑がひとつだけ。

 ニルヴェアが石碑を見るなり苦笑した。

 

「立派だなぁ。こんなにしなくてもいいのに」

 

 レイズには言葉の意味が分からなかった。だからとりあえず石碑を見て……呆然と、呟く。そこに刻まれし少年の名を。

 

「ニルヴェア・レプリ・ブレイゼル……」

 

 レイズの瞳に映る石碑。その正体もまた、墓であった。

 

「なんだよこれ……!」

「見ての通り、僕の墓だよ」

「なんで!? だってお前はここに!」

「僕はもう、ニルヴェアじゃない。お前も知ってるだろ?」

「……!」

 

 そう、最初からずっとそうだった。女になったニルヴェアは、屋敷の人間からニルヴェアとして認識されていなかった。

 そしてニルヴェアを男にした不具合(バク)を取り除き肉体を女に戻す霊薬はあっても、その不具合を今の彼女に再度追加する方法は現状存在しない。それは越境警護隊の捜査により、すでに確定事項となっていた。

 もちろん、グラド大陸には他に性別を変える技術も遺産も未だに存在しない。

 

「僕が……ニルヴェアが女になったことが世間にバレるということは、すなわち人造偽人の存在も同時にバレるということだ。偉い人たちにとっては公然の秘密みたいだけど、まぁそれでも秘密は秘密だしさ。だからこの事件自体は世間に公表されたけど、人造偽人のことだけは未だに伏せられているんだ。で、その辻褄合わせのため、ニルヴェア・レプリ・ブレイゼルはこの事件に巻き込まれて死んだことになったんだよね」

 

 事実はまるで他人事のように軽々しく、あっさりと語られた。

 

「お前はそれでいいのかよ……」

 

 するとニルヴェアはその懐から、1枚の封筒を取り出してレイズに見せた。

 

「これはブレイゼル本家からの手紙だ」

 

 その言を証明するように、封筒の表面には『剣を象る十字とその背に抱く日輪の紋章』……いつか見た、『剣ノ紋章』と同じ紋章が描かれている。

 

「内容は簡単に言うと、『人造偽人のことは黙秘すること。その代わりに新たな身分、名前。そして今後一生、不自由のない暮らしを与える』っていう契約書みたいなものかな」

「っ……!」

 

 レイズは拳をぎゅっと握った。

 

 ――きっと、帰れる家があるならそれに越したことねーんだ

 

 脳裏に過ぎったのは、彼自身がいつかニルヴェアに言った言葉であった。

 

「それで……お前は、どうしたいんだよ」

「僕は僕のやりたいようにやるよ。それよりも、お前はどうしたいんだ?」

「ぁ……」

 

 ふっ……と、レイズの手から力が抜けた。強張っていた拳が開き、垂れ下がる。

 

「俺は……お前が幸せなら、それで……」

 

 口で言いかけて、しかし心が否定する。

 

(違う)

 

 ――アンタの大事な弟は、俺が人生を懸けて攫わせてもらうぜ! お義兄(にい)さん!!

 

 ――弟を頼む

 

(潔くなるって決めたんだ)

 

 再び拳を握りしめ、心の炎を燃やして叫ぶ。

 

「旅がしたい!」

 

 ニルヴェアはただ黙って聞いている。

 

「俺はお前と一緒に旅がしたいんだ! それがお前にとって良いことか悪いことかは正直分からない……もしかしたらいつか、お互いに後悔するのかもしれない! それでも絶対に後悔させねぇから! たとえどんな未来になったって、この道を選んで良かったって、お前が思ってくれるように頑張るから!! だからっ……!」

 

 そのとき、ふわりとそよ風が吹いた。

 

「むしろ、嫌だと言っても連れて行く」

 

 金の髪を風に揺らして、白い歯を見せた眩しい笑顔がそこにはあった。

 

「攫ってやるって、言っただろ?」

 

 瞳を細めてにっこりと形作られた蒼い三日月。それがやがて、ゆっくりと開いていく……蒼い満月は、このグラド大陸において、終わりと始まりの象徴である。

 

「お前のおかげで、僕は僕の想いを最後まで貫けた」

 

 ――ニルヴェア・レプリ・ブレイゼルの名に懸けて、剣帝ヴァルフレア・ブレイゼル! 貴方を一発、ぶん殴る!!

 

「だからいいんだ。もう男じゃなくても、ブレイゼルじゃなくても、ニルヴェアじゃなくても……それよりも!」

 

 閑散とした林の中で、ニルヴェア・レプリ・ブレイゼルの墓の前で、もう何者でもない少女は堂々と胸を張る。

 

「僕を取り巻く全てが嘘だったっていうんなら、今度こそ僕は探してみたいんだ! 僕だけの真実を、ひとつひとつこの目で見て、選んで、掴み取りたい……」

 

 そして少女は懐から、もう1枚の紙を取り出した。それは長方形の小さな紙で作られた、素っ気ない証明証であった。

 

「そのための鍵なら、もうここにあるんだ」

 

 

 ◇■◇

 

 

 今日も空は蒼く、そして果てしない。

 そんな空の下。剣の都ブレイゼルの関門から伸びるだだっ広い街道に、少年と少女は並んでいた。しかしこれから2人で旅に出るというのに、その隣にはバイクがたった1台だけ。それに視線を向けて少女の方がぼやく。

 

「僕もバイクの運転覚えようかなぁ」

 

 正確に言えば少女の視線はバイク……の横にちょこんと付けられたサイドカー(おまけ)へと向けられている。

 その一方で、少年はすっかりご満悦であった。

 

「いいじゃねーかサイドカー。いかにも”見せつけてる”って感じが特にいい!」

「だから嫌なんだよ。なんかいかにも甘えてる感じでさ……決めた。やっぱそのうち絶対覚える!」

「はいはい。でも運転覚えたとしてもバイク買う金を稼がなきゃな。言っとくけど俺は出さねぇからな~」

「ハナからそのつもりだよ、僕だってナガレなんだからな!」

 

 少女が拳を握って意気込めば、少年の表情は穏やかに緩む。

 

「ま、そういうのはおいおいな。それよりも……行き先はちゃんと決めたか?」

 

 少年がそう言って指差したのは、延々と続いている街道の方であった。街道は途中でいくつか道が分かれていて、それぞれが別の街へと続いているのだが。

 

「一晩中考えたけど、実はまだ決まってないんだ……」

「はぁ? お前なぁ……やりたいことと、目的地。それさえ決めれば後は勝手に決まるもんだ、って昨日言ったろ?」

「だからそれが決まらないんだよ。遺産のことを調べたい、もっと強くなりたい、綺麗な景色を見てみたい、美味しい物が食べたい……やりたいことも目的地もいっぱいあってさ。どれかひとつなんて絞れないんだ」

「……ま、そんなこったろうと思ってたけどな」

 

 少年はニヤリと口角を上げた……まるで『待ってました』と言わんばかりに。

 

「お前が決めないなら俺が決める。つーわけで……次の目的地は『波の都アズラム』だ!」

「波の都……ってあれか。アズラム領の首都で、湾岸都市としても有名な……ということは海か! 海の幸だな!?」

 

 少女がいきなり興奮した。その理由は、ブレイゼル領の立地にあった。

 実はブレイゼル領には海がない……そう、ブレイゼル領は四方を陸に囲まれているのだ。そのため少女は海というものを生で見たことがなく、ゆえに未知の食に心を躍らせているわけだが……しかし少年の目的は、団子よりも花にあった。

 

「そう。波の都といえば海。そんで海といえば……とびきりのデートスポットだ! そんで水着だぁ!」

 

 少女の顔が、あっという間に茹でタコになった。

 

「却下だ!! み、水着ってあれだろほとんど下着みたいなやつ! あんな姿を人前に晒すなんて……破廉恥(はれんち)だ破廉恥! しかも今の僕の場合、その……女物になるんだぞ!?」

「そりゃそうだろ。なにが問題なんだ?」

「なにもかもだ馬鹿ー! そ、そもそも僕とお前はデートとか、まだそういう関係じゃないだろ!」

「まだ?」

「言葉のあやだっ!」

「つか結局お前って俺のこと無理なの? イケるの?」

「それが分かれば僕だって苦労しない! 今まで色恋なんて全然縁がなかったし、よく分かんないんだ……そんな状態で、なし崩しにとかは嫌なんだよ。確かにお前は大事な相棒だけど、だからこそこういうのはきっちり決めないと、不義理というかだな……」

 

 少女は頬に熱を溜めて、ごにょごにょもじもじ呟いている。そんな煮え切らない態度に、しかし少年は(今のところは)十分に満足していた。

 

「んじゃあデートはまたの機会にとっておくか。ま、気長に落としていくさ」

「お、落としていくって。お前なぁ……」

「それに……だ」

 

 そこで少年は今着ている真新しいベストに手を添えた。磁石仕込みのポケットがたくさん付いた、少年特注のベスト。そのポケットのひとつから落として取り出したのは、手のひらサイズの小瓶だった。

 

「俺は俺で、デートとは別にやりたいことがあるわけだ」

 

 少年が小瓶を振ってみせると、中でからからと音が鳴った。音を鳴らしているそれの正体は、宝石のように透き通った黒い鉱石。その欠片であった。

 

「これってまさか、祈石か!」

 

 しかも1つじゃなくて、3つも入っていた。

 

「あの戦艦に転がってたのをあとで搔き集めたんだよ。ほとんどは爆破したときに戦艦の外に飛んでったけどな……ま、一欠片だけでも効果があったんだ。こんだけありゃ俺の遺産も少しはマシになんねーかなって思ってるんだけど……なにをどうすりゃいい感じに使えるのか。まだその目途すら立ってねーし、とりあえずはそこからだな」

「……うん、それなら僕も手伝いたい」

「ったりめーだ! お互いのやりたいことを全部一緒にやってこうぜ。大丈夫。俺たちはガキで、時間なんてきっとたくさんあるんだ。だからさ……」

 

 レイズは笑う。なんの憂いもない眩しい笑顔で。

 

「気長に行こうぜ、ニア!」

 

 ニアは応える。想いと笑顔を一緒に重ねて。

 

「……ああ!」

「っつーわけで、結局全部回るんだ。だから行き先はぱぱっと決めるのが、ナガレの流儀!」

「ナガレの流儀か……だったらぱぱっと決めないとな」

 

 ニルヴェアは顔をぐっと上げて空を見た。

 視界いっぱいに映るのは、果てしない蒼と、自由に流れる雲ひとつ。

 道しるべなんて、それだけで十分だった。

 

「――あっち!」

 

 今日もまた、どこかで誰かの旅が始まる。自分だけの未来を求めて。




物語はこれにて完結です。反省点は多々あれど作者としては描き切れて良かったのですが、そんなことより大事なのは読者の皆々様方です。さてどうだったのでしょうか。
読み切って良かった。ほんの少しでもそう思えるような物語だったのならば、それが何よりの幸いです。

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