俺は踏み台転生者   作:DECHIES

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お久しぶりです





 紅と金で彩られた室内には貴重な芸術品が様々な所に飾られており、左右に配置された複雑かつ美しい彫刻が施された柱が遥か奥に鎮座する玉座まで等間隔で連なっている。

 

 その部屋には二人の男が向かい合っていた。一人は玉座に座っており、もう一人はまるで騎士のように跪いていた。

 

 玉座に頬杖をついて座るのはこのシュヴァール帝国の皇帝であるヴァレリア・バーツ・シュヴァールであり、そんな彼の足元で跪いているのは最近色々な意味で巷で噂のゲーネハルトであった。

 

「ゲーネハルト・アイン・クラウス、ただいま帰還致しました」

 

「うむ。して、儂が依頼した黒龍の首はどうした? まさかおめおめと逃げ帰ってきたわけではあるまいな?」

 

「勿論でございます。陛下のお望み通り黒龍の首を獲って参りました。こちらが黒龍の首となります」

 

 そう言ってゲーネハルトは魔法を使用すると空間が波紋を立てて揺らぐとぐにゃりと歪み、真っ黒な穴から黒龍の生首が出てきた。

 

 それを見たヴァレリアは思わず口をひくつかせた。

 

「……さ、流石よな。だが今回の魔物は如何に帝国最強と呼ばれる貴公と言えど大変な戦いであったであろう? 怪我などは大丈夫なのか?」

 

「お気遣いありがとうございます。ですがご安心くださいませ。此度の黒龍討伐において怪我は一切しておりません」

 

「……そ、そうか。怪我のひとつもないのか」

 

「はい、大して強くはなかったので」

 

 その言葉を聞いてヴァレリアは内心毒づいた。

 

(過去に国一つ滅ぼしたと言われた黒龍が大して強くないわけないだろうがこの破綻者め!)

 

 如何にこの破綻者と言えども過去に国を滅ぼしたと言われた黒龍にぶつければ呆気なく死ぬだろうと踏んでわざわざ苦労して黒龍の情報を掴んだと言うのに怪我どころか傷の一つもないとは一体どういうことなのだとヴァレリアは声を大にして叫びたかった。

 

 ──疾く死ねば良いものを……! 

 

 ヴァレリアがここまでしてゲーネハルトに対して殺意を抱いているのはとある理由があった。

 

 現在このシュヴァール帝国においてゲーネハルトという存在は凄まじい人気を誇っている。口調こそ悪いがその在り方は英雄譚の英雄そのものだ。

 

 誰かの笑顔を守るために立ち上がり、決して倒れず負けない無敵の英雄。まるで幼い子供が憧憬を抱く存在そのものだろう。

 

 加えてこの男が持つ戦歴は異常なのだ。

 

 過去に単身で他国の軍を退け、災厄と呼ばれる魔物を討ち取り、万を超える魔物の群れを殲滅せしめた。

 

 その果てについた名が「殲滅の光輝」

 

 敵対するあらゆるものを灼き尽くす様から付けられた名だ。その名前を聞いた時、ヴァレリアは思わず笑ってしまった。

 

 なんて似合いの名なのだと。

 

 敵対するあらゆるものを灼き尽くす? 

 

 笑わせる。あの破綻者が灼き尽くすのは敵だけではないだろう。味方の目すらその狂った光輝で諸共に灼き尽くしているではないか。

 

 聞けば昔、我が帝国の騎士団ですら手を焼く盗賊団をそこいらの三流冒険者達を纏め上げて滅ぼしたというでは無いか。何なのだそれは。薬をキメた薬物中毒共の妄言の方がまだ真実味があるというものだ。

 

 国を守る騎士団ではなくそこいらの三流冒険者達を纏め上げただけで凌駕するなどと全く持って笑えん話だ。しかもだ、聞くところによるとその場にいた誰も彼もが己の限界以上の力を容易く引き出したという。

 

 何だそれは? 限界の更に先を引き出すというのはそんなに簡単なものなのか? 有り得るはずがない、有り得ていいはずがないのだ。

 

 その上、あの破綻者と関わった者は誰もが口を揃えてこう言うのだ。

 

 ──あの方こそ無くしてはならない尊き光だと。

 

 吐き気がする。下手な扇動者よりもタチが悪い。誰も彼もがゲーネハルトという強すぎる光に目を焼かれてその背後を亡者の如く追いかけ、狂信者のようにゲーネハルトという光を盲信し続けている。

 

 はっきり言おう。ゲーネハルトはこの帝国の身を蝕む猛毒でしかない。仮にゲーネハルトが革命を引き起こしでもすれば民草のほとんどは彼の味方をするだろう。

 

 そうなれば帝国側には勝ち目はほとんどない。ただでさえ一人で一国の軍と渡り合えるゲーネハルトがいると言うのに更に民草すらも相手にしなければならないなどとどうやって勝てと言うのだ。

 

 だからこそ、そうならない為にもこの破綻者にいつも無理難題を突きつけているというのにいとも容易く達成してくるのだ。その度にヴァレリアはゲーネハルトがもし革命を引き起こしたらという妄執に駆られてしまう。断頭台に掲げられた己の首を幻視してしまう。

 

 故にヴァレリアはこの破綻者の死を焦がれている。死ね、死んでしまえとこの世の誰よりも願い続けるのだ。

 

「陛下、如何なされましたか?」

 

「……いや、なんでもない。もう良い下がれ」

 

 ゲーネハルトが部屋から退出したのを確認するとヴァレリアは玉座に疲れたように深く腰かけた。まだ若いというのにその顔はまるで老人のように老け込んでいる。

 

 ヴァレリアにはもう一つだけ懸念していることがあった。ゲーネハルトという破綻者が死んだ先の帝国の未来だ。

 

 だってそうだろう? 

 

 ゲーネハルトという破綻者を保有する帝国は言わば、軍を二つ持っているということに他ならない。ゲーネハルトが敵対するあらゆるものを滅ぼし尽くし、騎士団は自国の治安維持に集中することが出来るが故に他国に比べて平和なのだ。

 

 ではゲーネハルトが死んだ先の帝国の未来はどうなる? 

 

 一つ確かなのは今までのような平和は泡沫の夢の如く淡く消え去ることだろう。そうなった先に自分は皇帝として君臨し続けられているのだろうか。

 

 魔物による被害は増え、他国から攻められる可能性も上がる事だろう。それによって民草は不満を抱え、いずれは爆発し革命が引き起こされるかもしれない。だが、ゲーネハルトがいないだけ大分マシだ。あいつさえいなければ我が騎士団がただの民草如きに負けるはずも無い。ヴァレリアはそう信じ込むしかない。

 

「ゲーネハルト・アイン・クラウス……」

 

 ──お前は我が身を蝕む悪性腫瘍そのものに他ならない。

 

 

 

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【悲報】皇帝陛下から尻を狙われているかもしれない件について

 

 なんか皇帝陛下の様子がおかしかったから退出した後に聴覚を強化して聞き耳を立てたら人の名前を呼んでたんですが。しかもかなり熱が籠ってたというか何かやべえ感情が込められてそうな呟き方だった。

 

 今まで陛下の依頼を全部完璧にこなし続けてたから負の方向の感情とかではないだろうしなあ。そうなると考えられるのは俺の尻を狙ってるかもしれないという可能性だけ。だって皇帝陛下衆道も嗜んでるって風の噂で聞いたし。

 

 革命しなくちゃ……(使命感)

 

 何が悲しくて童貞散らす前に処女を散らさなければならんのだ。

 

 とは言え、皇帝陛下の首を獲るだけならぶっちゃけた話俺一人でも十分可能なんだよなー。ただそんなことすると勇者くんには出会えないし、そもそも一人で殺したらそれはもう革命じゃなくてただの暗殺だしな。

 

 そうなるとやっぱり国全体を巻き込まないといけないよなあ。

 

 そうなるとまず真っ先に候補に上がるとしたらスラム街の連中か……。今の帝国の有様に不満を抱いているのはまず間違いなく貧民やスラム街の連中だろう。何せ国から財をただ毟り取られ続けてるんだ。帝国の騎士団が守っているのは首都に住む者達のみ。それ以外の奴らは見殺しも同然と来ている。

 

 そんなもの不満を抱かない方がおかしいというものだ。

 

 というわけで当面はスラム街の連中を取り込んでいこうかな。後、組織運用することになるだろうし基地やら何やら色々と必要になるな。

 

 まあ幸い今までこなしてきた依頼のおかげで金は腐るほどあるんだ。これを機に思い切り使ってみるのもいいだろう。

 

 そうと決まればまずはスラム街の下見に行こうかな。反骨心のありそうな奴とか、精霊が多いやつとか探してみる必要があるだろうし。

 

 いい人材が見つかればいいんだが……。

 

 そこまで考えたところで強化したままだった聴覚が小さな爆発音のようなものを拾った。音の大きさと方角から察するに城の中庭だろうか。

 

 敵襲か? 

 

 そう考える間もなく現場へ急行した方が速いと考えた結果、近くの窓から跳躍し城壁を蹴り上げながら空から現場へと急行した。

 

(あれは……)

 

 そして上空から中庭の様子を見下ろすと尻もちをついたこの国の第三皇子とその彼に向けて杖を向けている第一皇子の様子が見えた。

 

「いい加減にしろよこの薄汚い庶子め。貴様程度がこの俺に意見をするな。醜いその顔をせめて見れるように焼いてやろうか?」

 

 おっとぉ、すっげえ悪役みたいな台詞吐いてるなあ我等が第一皇子殿は。いい勉強になる。だが、それよりも……。

 

「ごほっ……言論で負けたから武力で黙らせますか? 実に愚かしいことこの上ないですねお兄様。私に何も言い返せずこうして武力行使をするという行為そのものが貴方がそれを認めているということに他ならないと分からないのですか?」

 

「……っ、一々癇に障るなぁ!」

 

 すっげえボロカスに言うじゃん第三皇子殿。第一皇子があまりの暴言に怒りで顔が真っ赤じゃんよ。

 

 しかも突き付けた杖の先に魔力が集中していくのが見えた。火の精霊が集まり始めているのを見るに火魔法の類だろう。放っておけば第一皇子が最初に言っていた通り、第三皇子の顔を本当に焼くことになるだろう。

 

 放っておいても良いが、第三皇子の顔に浮かんでいた感情を見た時、俺の脳裏にいい計画が浮かんだ。というわけで今回は第三皇子を助けに行きますか。

 

 

 

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「ベラベラと良く回るその舌ごとお前の面を焼いてやるよ出来損ないが! そうすりゃ呪いに侵されたお前の面も少しは見れるようになるだろうさ!」

 

 その言葉と共に自分の兄であるナヴェラが手に持つ杖の先から燃え盛る炎が現れた。あんなものをぶつけられれば自分の顔は焼け爛れ、もはや喋ることすら叶わなくなるだろう。

 

 そんな状況の中で抱いた感情は恐怖──ではなく落胆と諦観だった。

 

 何故分からないのだ。何故この人はそんなことすら分からないのだ。ゲーネハルトという存在に憧れていると自分で言っている癖に貴族や皇族以外の全てを見下すという行為を辞めないのか。

 

 ゲーネハルトは口こそ悪いが今までやってきた行いを鑑みれば彼が常に力なき民草の事を考えて動いているのが分からないのか。少し考えれば分かることだろう。

 

 そこまで考えてふと目の前の兄が良く言っていたことを思い出した。

 

『ははは! 流石は我が国最強の男だ! ゲーネハルトさえいれば他国も魔物も何も怖くはない。そうだ、今度父上にゲーネハルトを俺の従者にして貰えないか聞いてみるか。ゲーネハルトを従者にすれば俺にもっと箔が付くしな!』

 

 それを思い出した瞬間、どす黒く燃え盛る炎が胸の奥を焦がすような感覚に襲われた。

 

 ──ああ、何だこいつ。ゲーネハルトの力しか見てないじゃないか。見るべきはそんな所ではないのに。ゲーネハルトの上っ面しか見ていないような奴なんかに彼を渡してたまるか。

 

 ドロリと黒く粘つく感情に呼応して気付かぬうちに影が蠢き出す。

 

「燃えろ!」

 

 放たれた火球が自分の顔目掛けて放たれて──

 

「ナヴェラ様、戯れが過ぎます」

 

 ぐにゃりと唐突に現れた光さえも呑み込むような漆黒がナヴェラの火球をいとも容易く呑み込んだ。音もなく上空から降りてきたのはゲーネハルトだった。

 

「なっ、ゲーネハルトじゃないか。お前帰ってきてたのか?」

 

「ええ、黒龍討伐の任務を完了致しましたので」

 

「何だって!? あの黒龍を討伐したのか! 流石は我が帝国最強を誇る男だな。今度話を聞かせてくれよ!」

 

「はい、かしこまりました」

 

 先程のイラついた様子とは打って変わってまるで子供のようにはしゃぐナヴェラの様子に更にドロドロとした行き場の無い黒い感情が自身の心の内を這いずり回る。

 

「所でナヴェラ様は先程ネモネア様に何をしようとしていたので?」

 

「そんなの決まっているだろ? そこの出来損ないが俺に図々しくも意見してきてなぁ。その躾をしようとしていた所だ」

 

「なるほど……。ですが先程のは如何せんやりすぎかと」

 

「おいおい、あんな出来損ないには丁度いい躾だろ?」

 

「いいえ、ナヴェラ様。第三皇子であるネモネア様にあのような魔法を使うのは如何に第一皇子である貴方様であっても許されません。元老院の方々が何かしら申してくるかと」

 

「むっ、確かにあの爺共に説教されるのは嫌だな。よし、躾は辞めにしておいてやる。感謝することだな、出来損ない」

 

 ナヴェラは吐き捨てるようにそう言うと踵を返して王城の中へと帰って行った。その後ろ姿が完全に見えなくなるとゲーネハルトの赤と金の双眸が第三皇子であるネモネアをジッと見つめた。そして服が汚れるのも構わずに地面に膝をつけ、ネモネアと目線を合わせるように跪いた。

 

「お久しぶりですネモネア様。お元気でしたか?」

 

「あっ、う、うん。その……恥ずかしいところを見せてしまったね」

 

「いえいえ、そのような事は。おっと、頬に少々火傷がありますね。すみません、失礼致します」

 

「あっ……」

 

 ゲーネハルトは何の躊躇いもなく刺青のようにネモネアの顔を侵食している呪いに優しく手を添えた。そして緑色の淡い光が放たれたかと思うとヒリヒリとした痛みを放っていた火傷が後も残らず消えていた。

 

 治療が終わって離れたゲーネハルトの手を見てみると少しだけ赤く腫れ上がっていた。その手を見てネモネアはゲーネハルトと出会った時のことを思い出した。

 

 猛毒の呪いに侵された魔法も使えぬ出来損ない。加えてナヴェラのスペアのスペアにもなりえぬ非才で少々特殊な出生。恵まれているのはその血筋だけと言う父である現皇帝からも兄弟からも見放されていた。愛してくれたのは今は亡き母だけだった。

 

 考えてみれば当たり前だったのだろう。触れれば他者を呪い毒殺する者に好き好んで触れ合おうだの近づこうだの思うはずがない。

 

 そんな時現れたのがゲーネハルトだった。その当時から何処か超然とした雰囲気を纏っていた彼はナヴェラともう一人の兄から痛めつけられ動くとすらままならなかった私に対して何の躊躇いもなく触れて怪我を癒してくれた。我が身を侵す呪いは猛毒の呪いだというのに。

 

 その呪いはネモネア自身には何も作用しないが、ネモネアを触った者に効果が現れる呪いであり、ほんの少し触るだけで呪いの猛毒がその身を侵し、死に至らしめるという凶悪な呪い。

 

 無論、ゲーネハルト自身も例外ではなかった。ネモネアの怪我を治すために触れた先からグズグズと皮膚が溶け、肉が腐り落ちていた。

 

 だが、ゲーネハルトはその巫山戯た魔力を全て癒しの魔法に注ぎ込むことで無理矢理呪いの進行を抑え込むという常人には考えられないような事をしたのだ。

 

 しかしそれでも痛みはあるはずだ。治した傍から腐り落ちていくのだからその痛みは想像を絶するものだろう。だと言うのに彼は眉のひとつも動かさずにネモネアの傷を癒し続けた。

 

 ネモネアは傷を治し終えたゲーネハルトにこう尋ねた。

 

「何故自分のような者の怪我を治したのか」

 

 ネモネアに恩を売った所で意味は無いという事を彼ならば重々理解しているはずだ。スペアのスペアにすらなれない自分は父である皇帝にも疎まれている。もし彼が皇族としての権力に利用したいと思っても自分では到底力になることは出来ない。

 

 だからこそ不思議だった。自分のような存在を何故痛みを押し殺してまで助けたのかが。

 

 そしてゲーネハルトから帰ってきた答えは何とも単純で、けれどそれはゲーネハルトの在り方を正しく表していたのだ。

 

「痛そうでしたので」

 

 それを聞いた時ネモネアは思わず吹き出してしまった。痛そうだったから、たったそれだけの理由で自分の方が苦痛を味わうことになるのをわかっていて治したというのか。大した権力も振るうこともできない出来損ないの役立たずを。

 

 ……いや、彼が権力目当てだと決めつけるのは彼にとって酷い侮辱だろう。彼はいつも傷ついて涙を流す弱者の味方だった。故に彼が治してくれたのは私が怪我をしていたからという至極単純な理由だ。そこに邪な想いなど微塵たりとも入っていないのだろう。

 

 だからだろうか。たった一人の味方であった母も亡くなってしまった自分にとって彼という存在はどこまでも有難かった。

 

 第三皇子としてネモネアではなくただのネモネアとして見てくれているように感じたから()は──

 

「はい、これで治療は完了です」

 

「あ、ああ。いつもありがとうゲーネハルト。私も君に何かしてあげることが出来たら良かったのだがな……」

 

「お気になさらず。こうして貴方と触れ合えるだけでも私にとっては有意義な時間ですので」

 

「──っ」

 

 その言葉を聞いて私は咄嗟に顔を伏せて頬を手で抑えた。

 

 身体中の血液が顔に集まってくるのを感じる。羞恥と歓喜が入り交じった感情が心をぐちゃぐちゃに掻き乱してくる。頬を手で抑えていても思わずにやついてしまう。今の顔はとてもじゃないが到底見せられるものでは無い。

 

 ──ああ、本当にこの人は……! 

 

「時にネモネア様」

 

「んんっ、何かな?」

 

「貴方様は今の帝国の現状についてどうお考えですか?」

 

「それは……」

 

 ゲーネハルトが尋ねた意味を理解できないネモネアではなかった。彼は民衆のことを、この国のことを誰よりも愛している。良き政が良き国を作り、良き国が良き民を作るのだと自分に語ってくれたことがある。

 

 それを仮にも第三皇子である自分に教えた彼が帝国の現状についてどう考えるかと聞く意味は一つしかない。

 

「声を大きくしては言えないが、ゲーネハルトに誇れるような状態ではないのは確かだ。国は民の現状を見ず、貴族は民に重税を課す。その結果、民は酷い有様だ。辺境の村などの殆どの村民は飢えている。そしていつ襲われるか分からない魔物の集団に震えて夜を過ごすと聞く。この帝都周辺のスラム街ですらそうなのだ。もしかしたら私が想像するよりも遥かに厳しい生活を送っているのかもしれない」

 

「……ええ」

 

 それは煌びやかな帝都の深淵より暗き闇だ。皇族貴族は民の事など見向きもしない。己の私腹をブクブクも醜く肥え太らせて防壁に囲まれた安全な帝都で自由気ままに暮らしている。

 

 だが、一歩帝都から外に出ればそこは地獄だ。貧しきもの達が身を寄せ合い魔物に怯え、今日を生きる為の食事にすらありつけない可能性もある最悪な日々の中で暮らしている。

 

 その現状を重く受け止めて動いたのがゲーネハルトだ。彼は帝都に住むものだけではなく、この帝国に暮らす民の為にその身を粉にして働いていた。聞けば酷い時だと十日も寝ずに魔物の撃滅や盗賊の捕縛に勤しんでいた時期もあったと聞いた。

 

 そんな彼の働きによってこの帝国に住むもの達は魔物に怯える日々が格段に減ったのだと良く聞いた。そして何よりもたとえどれほど強大な魔物が現れようとも必ずゲーネハルトという尊き光が必ず討ち滅ぼしてくれるという安心感が民の心にゆとりを生み出しているとも。

 

 故に彼は力なき弱者である民衆から強い支持を得ている。

 

 だが、如何に強きゲーネハルトと言えどどうにもならないことはある。それは人が生きる上で何よりも重要な食事だ。

 

 流石のゲーネハルトでもその強さを以て誰かのお腹を満たすことは出来ない。どれだけ彼が強かろうが民のお腹は膨れはしないのだ。

 

(もしやゲーネハルトは……)

 

 そこでふと気がついた。彼がかつて自分に教えを説いた意味を。

 

 良き政が良き国を作り、良き国が良き民を作る。

 

 つまりこの帝国の現状を変えるには帝国の政に関与する上の存在。つまりは皇族貴族の意識を根本的に変えねばならないということだ。

 

 だが、いくらゲーネハルトが進言したところで自分の父親である皇帝陛下がそれに耳を傾けるとはネモネアは微塵たりとも思わない。寧ろ、何処かゲーネハルトに敵意すら抱いていると感じている皇帝陛下ならその真逆のことをしてもおかしくはないのでは無いかと思うのだ。

 

 ──ならばどうするか。

 

 決まっている、現皇帝陛下を皇帝の座から引き摺り落とせばいいのだ。

 

 自分が考える限りでは帝国の現状を変えるにはこれくらいしなければならない。否、そこまでしないと帝国は変われないのだ。それほどまでにこの帝国は腐りきっている。

 

 それを実現するにはどうすれば良いのか? 

 

 決まっている。それは現皇帝陛下の崩御による皇帝の座の継承。もしくは──革命による現政権の崩壊だ。

 

 ゲーネハルトならば単独でも現皇帝の暗殺など可能だろう。そこから皇帝の座の継承を狙う事も出来る。だが、それをしないのは何か他の理由があるはずだ。

 

 例えばこれは自分の願望も多分に混ざった推測だが、第一皇子であるナヴェラではゲーネハルトの望む帝国を作るには難しいだろう。ナヴェラの性格上、皇帝の座を継承したとしてもこの国の現状は変わらない。

 

 ならば、だ。

 

 残る選択は民衆による革命だ。革命が成功してしまえば今の皇帝の血脈の価値は消滅する。そうなれば自分もナヴェラも他の皇子達も皇帝の座につくことは無いだろう。

 

 なら、空いた玉座に誰が座る? 

 

 それは勿論、ゲーネハルト以外有り得ないだろう。民から絶大な支持を得ているゲーネハルトしか皇帝の座は勤まらない。

 

 ゲーネハルトが皇帝になればきっとこの帝国はより良い国へ変わることが出来る。

 

 ネモネアはそう確信してしまった。そして何よりも皇帝の座に座るゲーネハルトの姿を幻視してしまったからこそ──

 

「分かったよ、ゲーネハルト」

 

「はい?」

 

「僕は君のためなら何だってしてみせる。君が望む未来を君に救われた僕が叶えてみせる!」

 

 そう言ってネモネアはゲーネハルトの手を強く握る。いつもの様子とはまるっきり違うネモネアの様子に珍しく驚いた表情を浮かべるゲーネハルトを見て、ネモネアは内心こんな表情も出来るんだと初めて見るゲーネハルトの表情を見れたことを喜んでいた。

 

「時間はかかるかもしれない。けれど、僕はきっと成し遂げてみせるから!」

 

 ネモネアはそう言うと急いで何処かへ走り去っていった。その顔に浮かんでいるのは先程までの落胆と諦観等ではなく、希望と勇気に満ち溢れた表情だった。

 

 光に目を焼かれた亡者のように最早前しか見えなくなったネモネアは愚直に己の目指すべき目標へと只ひたすら走り始めた。

 

 そんなネモネアの様子を見てゲーネハルトはただ一言──

 

「えぇ……何が分かったんだ……?」

 

 何とも無敵の英雄らしからぬ困惑した声を発していた。




勝手に納得して突っ走られたら誰だって困惑する。おう、お前もだぞ主人公。

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