忍田瑠花と出会ってから数週間後、遊児は個人ランクポイントが八千の大台へ到達、つまりマスタークラスと呼ばれる一種の達人的な称号を手にしていた。
黒江を通じて交流を持つことになったA級隊員である米屋、緑川、そして彼らからまた別の攻撃手たちと暇さえあればランク戦をしていたため、遊児としてはようやく、という意識が強いがそんな彼と日々しのぎを削り合っていた攻撃手界隈の猛者たちは遊児の実力が大分前からマスタークラスと遜色の無い領域に達しているとは評価していた。
遊児がこれまでマスタークラスに到達できなかったのは単純に格上とのマッチアップの割合が極めて多いことに由来する。A級攻撃手として活躍する米屋、緑川以外にもA級一位太刀川隊隊長にして攻撃手ランキング総合一位の太刀川慶、先日攻撃手ランキング四位に到達した村上鋼、新進気鋭ながらB級上位を維持する香取隊隊長、香取葉子、そして根付室長への暴力行為でB級への降格とポイントの没収の処罰を受けた影浦隊隊長、影浦雅人といったベテラン、新鋭を問わず攻撃手界隈では強者とばかり戦っていたこともあり、ポイントの伸びが極めて悪かったのだ。
「モーメント・四重」
「っと!グラスホッパー!」
そしてマスタークラスに到達するまでに磨き上げられた遊児のスコーピオンが緑川に襲い掛かる。出会ってから何度も手合わせをした者同士、互いの動き、癖、あるいは立ち回りといった手の内は理解しあっている。
とは言え両名も他の多くの隊員と同じく常に己の技術を磨き、成長を続けようと努めているため過去のデータと今の目の前の相手の差異を正しく認識しなければ一瞬の内に敗北するだろう。無論、彼らはそれを十分に認識し、実践していた。
「ふっ!」
小柄さを活かしたグラスホッパーによる緑川の機動力は大柄な遊児のそれを上回る。加えて若くしてA級攻撃手として活躍するスコーピオンの冴えは複雑怪奇な剣術を成立させていた。一方で遊児はそのブレードを同じように手にしたブレードで受けるのではなく、緑川が狙う場所にブレードを生成することでそれを弾いていた。首が狙われたなら首に、腹が狙われたのなら腹に、手が狙われたなら手に、身構えることなく防御を成立させるその姿だけを見れば遊児に余裕があるように見えるかもしれないがそうではない。緑川の高速剣を一撃ごとに合わせて正確にブレードを生成しなければトリオン体の損傷を免れない以上、一瞬の判断力とそれを見極め続ける集中力が必要になる。
それでも、自分の攻撃を手足も動かさずに凌がれる、というのは攻撃を放つ側にとっては当然喜ばしい情報では無い。特に視覚情報は人間が取得する情報の八割以上を占めると言われるからには、そんな光景を目にし続けている緑川も無意識の内に攻撃にブレが生じ、表情にも少なからず焦燥の念が混じる。
「フリック」
そしてそれを見逃すほど遊児の集中力は低くない。短く呟いた次の瞬間には緑川の胸部、つまりはトリオン機関に近しい箇所、トリオン体の急所の一つからに小さく開いた穴から勢いよくトリオンが漏出していた。
「え?…は?」
『トリオン機関破損、緑川ベイルアウト。勝者、三守』
*
「うひーまた負けた。ユージ先輩どんどん攻撃多彩になっていくなぁ」
「初めの頃はポイントごっそり持っていかれたからね。その分の回収ってことで」
ランク戦を終えた緑川はいつの頃からか遊児のことを“先輩”と呼ぶようになっていた。キャリア的にはむしろ遊児が後輩なのだがそれについて緑川に聞くと「自分が認めた人の事は先輩って呼ぶようにしてる」とのことらしい。本人にそのつもりは無いのだろうが、これが緑川なりの処世術なのかも知れないと遊児は見ていた。
「最後のアレ何?なんか気付いたら斬られてたんだけど?」
「単純に薄くて細いブレードを指先から伸ばしただけ。刺す威力はスコーピオンと変わらないけど弾かれたりするとポッキリ折れるくらい脆いよ」
ピン、と手で銃を型取るように人差し指だけを立たせながら遊児は説明した。無論、口には出していないが彼は同じことをトリオン体全身から行える。
遊児は速度と視認性の低さに特化したこの技をフリック、と名付けた。彼自身が言った通り、この技では打ち合いは難しい、不意打ち用の技である。
トリオン体の任意の箇所から発生させられるスコーピオンの性質はそのままだが、この技は緑川のようにブレードを手で持っている最中、同じ手から突如視認困難な別のブレードが伸びてくるという状況がある、ということを知られた後にこそ効いてくる。
遊児は自分が信じる最強の攻撃法の一つに“知っていても警戒する以外対処法が無いもの”を挙げる。
トリオン体のどこからでも攻撃できる攻撃手としての地位を確立しつつある遊児は、己の武器に“見えない剣”を追加し、自らその手の内を晒すことで警戒を強制させ、前述の“最強の攻撃”を成立させようとしているのだ。
つまり、彼は今後も緑川からポイントを奪ってやろうという算段であった。実際、ボーダー入隊当初から緑川に奪われたポイントはまだまだ回収しきれていないのも大きな要因であった。
「ところでさユージ先輩、まだフリーなんでしょ?どっかの隊入らないの?」
そんな話をしている中、緑川は部隊の話を切り出した。遊児が彼と交流を持つようになってから数回、時折この手の話題になる。
「仲良い人はもう皆どっかの隊に入ってるし、同じフリーで組みたい人もいないからなぁ。言い方悪いけど知り合いもいないB級下位チームからスカウトされたって入る気起きないし。かといってもう部隊組んでる人のとこに入るのもなんか気を使うし」
そして遊児の回答は概ね決まっている。現状維持である。彼としても別に緑川に悪気があって聞いてきているわけではないと分かっているのでその声色も平常通りであった。
「そっかー。でもマスターランク前後でフリーでいると何か言われない?主に城戸さん派のマジメな人とか」
「別に、俺は所謂忍田さん派だし、防衛任務も結構多めに入れてるからその辺考慮されてるのかもね。常に部隊で防衛任務受けるわけじゃないし、ボーダーの責務ってやつ?それこなす分には別に部隊が必須とは言えないでしょ」
彼らが“城戸さん派”“忍田さん派”と言った通り、ボーダーにも他の多くの組織と同じように派閥が存在している。
まずはボーダー総司令、城戸の掲げる“近界民の徹底排除を第一とする”派閥。大規模侵攻で自身や周囲の人の命や財産を傷つけられた者は多く、ボーダー内における最大派閥である。
続いて忍田本部長の掲げる“街の防衛を第一とする”派閥。近界民は当然撃退するが、何よりも街とそこに住む人々の平和を守ることを至上としている。嵐山隊を筆頭に城戸派に次ぐ勢力である。遊児のように近界民に特別な敵意は無い隊員も事実上、この派閥に近しい存在である。
そして最後に玉狛第一支部、彼らはボーダーでありながら“友好関係を結べる近界民とは手を取り合おう”という考えを持つ派閥であり、緑川の尊敬するS級隊員、迅悠一も所属する支部である。当然、考え方が水と油である城戸派、中でも家族や友人の命を奪われた者を始め、玉狛の隊員個人に対する感情は別として、支部として掲げるその考えには否定的な者が多い。
「ま、その時が来たら入るさ。どこかに入るか、自分で作るかは分からないけどね」
「なんとなくだけどユージ先輩は自分では部隊作らないと思うなぁ。俺のサイドエフェクトがそう言ってるってね!」
「迅さんじゃないけど、俺も自分で言っててそんな気はしてる。俺のサイドエフェクトがそう言ってる」
「サイドエフェクトで思い出したけどユージ先輩は無いの?めちゃくちゃトリオン多いでしょ?」
「無い、らしい。トリオン多い=サイドエフェクトってわけでもないみたいだしね。もしかしたら無意識に使ってるか、条件を満たしてないと発揮されないタイプなのかもって担当の先生は言ってたけど、影浦先輩みたいに良いことばかりでも無いからなぁ。正直、無い方が嬉しいかも」
サイドエフェクト、つまり副作用を意味する通り、それは必ずしも保有者を幸せにするものではない。未来視を持つ迅は時として想像もしたくないであろう凄惨な未来を視ることを強いられ、感情受信体質を持つ影浦は己に向けられる感情を否応なしに痛感させられ、強化睡眠学習能力を持つ村上は万事において先人の生み出した成果をほんの僅かな時間で体得することに対する罪悪感を抱えている。持たざる者には真の意味で一生理解できない副作用が己に伸し掛からないのであれば、それはそれで良いと考えるのは遊児だけではないだろう。
「ま、俺は楽しければそれでいいや」
「そーいうとこユージ先輩らしいや。ところで話は変わるけどユージ先輩、広報系の仕事するウワサあるけどホント?」
「え?なにそれ聞いてない」
唐突な新情報に遊児は困惑する。もし先ほどのランク戦中言われていればであればベイルアウトしたのは遊児になっていただろう。
「なんか根付さんが言ってたみたいだよ。『三守くんには今から嵐山隊、に続く広報担当として新しいボーダーの顔にしたい』とか何とか。先輩、根付さんと接点あったっけ?」
「接点って…嵐山隊の人には世話になってるから、書類運びの手伝いとかしててその時少しは話したくらいだけど」
「あー。ソレじゃない?ほら、ボーダーって濃い人多いし、ユージ先輩年上から可愛がられるタイプみたいだし、ぱっと見優等生オーラすごいし」
「ぱっと見優等生とはなんだ。実際文武両道品行方正の優等生だぞ俺は。学校の先生からの受けも良くなるように振舞っている」
「うわー。腹黒優等生だ」
「何を言う。振りでも何でも結果として出ている分、そうでない奴よりマシだろう。それに優等生やるのは何かと便利だぞ。多少やらかしても『君も年相応なところがあるんだなぁ』程度で済む」
それに年上受けが良いのはむしろお前だろう、と続けようとしたが根付は嵐山に対する信頼が非常に厚いという。もしかしたら自分がそう見せているように所謂優等生的なタイプの若者を好むのかもしれない、と遊児は思った。
実際の所は広報部長としてメンタルが疲弊した根付が会議中やや焦点が合わない目をしながら口にした案であった。しかし、未成年それも来年は受験を控えた学生にそれをするのは市民からのボーダーへの印象という点から見ても避けるべき、と否決されたのだが。
なお、根付は現在も嵐山隊の活動のサポートという名目でどうにか遊児を表に出せないか画策しているらしい。
「きっと根付さんも疲れてるんだろう。中学生引っ張り出して何するんだよ」
「でも嵐山さん俺たちと同じくらいの年でテレビ出てたよ」
「そういえばそうだった」
「あんな感じの事しろーって言われたら俺は無理」
「俺も無理だな」
「いやー、ユージ先輩はなんだかんだこなしそう。腹黒優等生だし」
「腹黒言うな」
そんな話をしながら、遊児はこういう平和な日々がしばらくは続くのだろうと思っていた。
大規模侵攻の後組織されたボーダーの存在により、トリオン兵の脅威はかつてに比べれは極めて低くなり、組織としてもゆるやかに、それでも確実に成長を続けている。
遊児としては刺激的な変化が無いこの現状に不満が無いと言えば嘘になるが、誰かに不幸を強いる変化が起きることは望まない、彼は自分がその程度には良識を持ち合わせていると信じている。
それでも、自分も、他の多くの人も知らないだけで新しい脅威、変化は近づいてきているのかも知れないとも、同時に考えていることも遊児は自覚している。
嘗てと同じか、嘗て以上か、それとも嘗てとは全く性質の異なる物か、あるいはその全てか。
また大勢が傷つくかもしれない。それでも、その可能性に思いを馳せているとき、彼は自分が少なからず高揚してしまうのを抑えきれない。
誰かが不幸になるかも知れない変化が起きる可能性に思いを馳せて、その時自分が何を感じるか想像するのが楽しくて仕方が無いのだ。
「ユージ先輩、めっちゃ嬉しそうだけどなんかあった?」
「いや、ただ」
成程、確かに自分は腹黒かも知れない。と遊児は先の緑川の言葉を肯定した。
「ただ?」
「ここに居ると、飽きることがなさそうだなーって、ね」
そして2013年12月、世界は遊児の望むと望まざるとに関わらず大きな変化の第一歩が今、訪れようとしていた。
ついでのように出す新技。
当初は遊児くんと絡む人たち一人一人の回を書こうかと思ってたんですが、話のテンポ悪くなりそうだなと思って原作前編は今回で締めることにしました。
他の人たちとの出会いとかはその内回想みたいな形で挟めればと思います。
根付さんはただでさえ未成年も使ってるのにオマケに軍隊っぽい組織の広報ということで凄く苦労してそうだなーと思ってます。
正気の人間は1/1嵐山人形なんて作らない…遊児広報回はネタ枠で書くかも知れません。