イノチクフモノ   作:瑠璃色砂糖月

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2話「悪食娘は雷を(こいねが)う」

命喰(みことばみ) 多々良(たたら)じゃな? 源から聞いておるぞ。(わし)桑島(くわしま) 慈悟郎(じごろう)、元“鳴柱”じゃ。よろしくな」

「お初に御目にかかります。命喰 多々良と申します」

「うむ。よろしくな」

 

 多々良の目の前には背の低い、小柄で白い髭を蓄えた老人がいた。片方の足は義足で、杖をついている。

 体に纏うのは逆三角の模様が入った黄色の羽織。

 多々良は現在、“育手”である桑島の元にいた。

 何故こんな所にいるというと、話は数日前に遡る。

 

 

 

*****

 

 

 

 ある日のこと。

 多々良は唐突に地図を渡された。

 それと護郎を見比べて、彼女は問うた。

 

「……誰ですか?」

「ん?」

 

 「何の地図ですか」や「どういうことですか」といったこととは全然違う問いに、護郎は呆気に取られて思考に一瞬空白が生まれた。そこからなんとか思考を取り戻して、問い返す。

 

「……誰って何が?」

「護郎様が思い浮かべた男性です」

「そこまで分かんのか……」

 

 心を読むということがどこまでの範囲なのかが分からなくなってきた護郎だった。

 彼はガシガシと頭を掻いて告げる。

 

「俺の旧友だ。かつて共に戦場を駆け走ってなぁ」

「はあ……」

「んで、お前は今からその男……桑島に指南に行け。“雷の呼吸”ってやつを教えてくれるはずだ。話も通してある」

「……はあ」

「飯はちゃんと食え。虫やらその他ゲテモノを食うなとは言わねぇから、とりあえず火を通してから食え。いいな? 生で食うのは出来る限りやめてくれ」

「………………はい」

「おい、なんでそんなに返事が遅れるんだよ」

 

 かわいい子には旅をさせろ。

 若干の不安はあるが、それでも彼女は常人よりも力強いため、大丈夫……なはずだ。少なくとも、一般人に襲われても返り討ちにはできる程度には仕込んでいる。

 

「帰る時には文を出せよ」

「はい」

 

 

 

*****

 

 

 

 ……というわけだ。

 それから町を歩いたり人に尋ねたりして、なんとかたどり着くことができたのだ。

 

(……護郎様の思考(おも)ってた人より迫力がある……)

 

 頭の中で考えてさえいれば、映像だろうが文字だろうがなんでも分かる多々良は、護郎の頭の中の人と目の前の老人を比べていた。

 桑島 慈悟郎と名乗ったその老人は、多々良の体を案じてか、「今日はゆっくりと休みなさい」と部屋を案内しただけで、修行や稽古はつけようとしなかった。

 

「それと、確認なのじゃが……」

「?」

「……源からは、その……お前さんは一般的な食事ができないと聞いたのじゃが」

「はい。主食は虫とか死んださか……生魚、生米とか……。ぎりぎり野菜も食べられます」

「そうか、野菜は大丈夫か……」

「食べ過ぎると吐きますけど。囓る程度ならなんとか」

 

 ど直球に「ゲテモノを食べるのか」とは聞かない辺り、優しいのだろう。

 旭は桑島の、護郎とはまた別の心遣いに不思議とほわほわしながら笑った。

 

 

 

*****

 

 

 

 次の日。

 多々良は桑島から木刀を持たされた。

 彼も同じように木刀を持っている。

 

「まずはお前さんの力量を試す。殺すつもりでかかってきなさい」

「……はあ」

 

 多々良はひゅんひゅんと木刀を数度振り回して握りを確かめると、木刀を構えた。

 そして、微笑みを深くして、笑う。

 

「……行きます」

「来い」

 

 多々良は力強く踏み込み、地面を蹴った。木刀は腰を構えて一気に距離を詰める。

 袈裟斬りに放たれた彼女の一撃は、容易く避けられる。

 しかし、想定内。

 すぐさま斬り返して第2撃。そこから第3撃、4撃と繋げていく。

 怒涛の連撃を桑島は危なげなく躱して、弾いて、受け流す。

 ───隙が無い。

 護郎でも大地でも感じたことなのだが、()這入()る隙が無いのだ。体捌きや剣の扱いが極みに達している。

 これではただただ体力を磨り減らされるばかり……。どこか、どこかでこの流れを変えなければ、一撃も食らわせられずに終わってしまう。

 

(……あ)

 

 隙。

 下段から振り上げた木刀を後ろに跳び退くように避けた桑島。その時、一瞬だが視線が多々良からずれた。

 おそらく誘い。それでも、隙である。

 それを理解した瞬間、ほぼ反射的に多々良は桑島の懐に踏み込んだ。

 桑島はその踏み込みの力強さに目を見開く。地面が砕かれ、揺れたかのような気さえする、豪快で迅速な踏み込み。

 (ごう)、という独特な呼吸音と共に、ミシミシと彼女の手足の筋肉が唸りをあげた。

 

 岩の呼吸 弐ノ型 天面砕(てんめんくだ)

 

 踏み込みと同時の、上段から斬り落とし。相手を両断するというその意気込みを感じさせるその一撃は幼い、未熟と言えども、思い切りが良く見事だった。

 それに桑島も満足して、呼吸を深める。

 

 

 雷の呼吸 弐ノ型 稲魂(いなだま)

 

 

 眼前で、黄色の閃光が迸った気がした。

 

 果たしてあれは何だったのだろうかと、妙に視界と思考がゆっくりと動いたのが分かった。

 多々良は、何をされたのか全く分からなかった。いや、何かされるというのは頭で分かっていた。相手の思考や気配に鋭さを感じたのだから。

 しかし、対応できなかった。見えなかったのだ。単純に、彼女の動体視力を桑島の技術が上回ったのだ。

 

「ごっ……!?」

 

 だから、意味も分からず、悲鳴をあげて、体に与えられた瞬撃の激痛を受けるしかなかった。

 その1撃……いや、正確には5連撃を受けて多々良は後ろに吹き飛ばされるように倒れた。

 

「ふむ、基礎はそれなりに固まっておるな」

 

 桑島 慈悟郎、元“鳴柱”の称号に偽りなし。

 老体で義足、全盛期よりは体は確実に衰えているだろうが、それでもかつて鬼殺隊で最強を名乗った実力は健在。

 彼はけろりとした顔で「早くかかってきなさい」と多々良に告げた。

 彼女の唇の端が引き攣るのは、笑みを浮かべたが故か……。

 

 

 

*****

 

 

 

 それから約半年。

 1日中打ち稽古をして、多々良はボロボロにされた。泥んこまみれ、怪我だらけ、嘔吐物まみれになった。とにかく全身が痛い。風呂を沸かしてもらったが、全身の傷にしみて辛かった。

 体力作り、筋力作りにも励んだ。護郎の稽古とはまた違う修行の仕方に四苦八苦しながらも、なんとかついていくことができた。

 山を走らされることはあるが、罠はない。代わりにただの山登りが厳しく山肌が脆いため、体の重点の置き方、瞬時の判断力などが鍛えられた。彼女の持ち味の反射神経、動体視力、並列思考能力、体幹がより磨かれる。

 “雷の呼吸”を教えてもらうが、これが中々に難しい。桑島の型の技術と速度が凄すぎて、多々良の目が追いついていないのだ。幸いにも桑島は何度も何度も型を見せてくれる。それで目を慣らして、なんとか型を理解することはできた。しかし、あれと同等の威力、速度をすぐに出せる訳ではない。

 

『“岩の呼吸”は筋力……言う所の力のゴリ押しをする型が多いからな。“雷の呼吸”はそれとはまた違うから、岩の呼吸の癖が抜けきらなければ難しかろう』

 

 “岩の呼吸”で教わったごり押しの戦法が多々良から抜けきらないのだ。そうじゃなければ難しい。“雷の呼吸”の持ち味はその速度。“岩の呼吸”とはまた違う戦法が多々良を苦しめた。

 まずは全集中の呼吸から…………幸いにも、身体能力や基礎能力は出来上がっており、“全集中・岩の呼吸”は体得済みだったため、コツも分かっている。そのため、ほんの数ヶ月で習得することができた。

 問題は型なのだ。壱ノ型の居合い、これが“雷の呼吸”の基本。それが体得できれば、後はとんとん拍子に習得できる……らしい。

 

『筋繊維の1本1本を意識せよ。お前さんの体中から力を集めて、それを足だけに集中させるんじゃ』

 

 時折入る助言に頷きつつ、多々良は何度も呼吸を深めた。全身に巡る血潮を意識しつつ、手足指先、胴体、頭の隅々まで感じ取る。

 己の筋肉の寸法を理解しながら、最短で最良の行動ができるように、何度も頭の中で最善を思い描く。

 ゆっくりと体を前傾姿勢にしながら、深く、より鋭く呼吸音を響かせる。腰に提げた刀の鞘と柄を握り締めて、鞘を握り締める手の親指で、鍔を押し上げた。

 ───今。

 

 雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃(へきれきいっせん)

 

 一瞬で相手の懐に入り、抜刀。そのまま滑るように鬼の頸に見立てた簀巻きを斬りつけた。簀巻きに一線が入り、直後ずるりと上が落ちる。多々良が納刀の鍔鳴り音と同時に、雷鳴が轟いた。

 音すら置き去りにする、まさしく雷光のごとき一撃。傍で見ていた桑島も満足のいく、最高の出来だったようだ。

 

「ひゅ……っげほ」

 

 しかし、成功した瞬間、多々良は崩れ落ちる。顔からドッと汗を噴き出し、地面に伏せ込んだ。

 

「ぜっ……ぜぇ……っ、げほっ、ごほっ……」

「見事な一撃じゃったぞ。この短期間でよくここまで鍛え上げたな」

 

 水筒を渡され、旭は頭をわしわしと撫でられた。

 

 

「よく頑張ったな」

 

 

 その一言が、多々良の心に染み込んだ。今まで自身にかけられた言葉の中でも、不思議なほどに心にふわりと溶け込んでいった。

 何故だろう……どうしてここまで、と彼女が混乱していると、何故か労った彼の方が慌てていた。

 

「どうした、どこか痛めたか? 何故泣いているんじゃ!?」

「……え」

 

 桑島が多々良の目元を指で拭う。確かに、濡れていた。鼈甲色の瞳から、透明なそれが頬を伝っていた。

 

「大丈夫か!? 痛いところがあるなら言うんじゃ!」

「……はは」

 

 それでもやはり、彼女は笑っている。

 しかし、その笑顔はいつもの貼りつけたようなものではなかった。

 

 

*****

 

 

 初めて出会った時から、分かっていた。

 この子は心の底から笑っていない、と。

 顔に貼りつけたその笑みは、感情がこもっておらず、ただただ虚ろで空っぽなものだった。

 旧友であり戦友である源 護郎が心配していたのも頷ける、なんとも人間らしくない少女だった。

 しかし、心を読めることや食事が常識を脱しているのを除けば、これほど努力家で真面目、才を持つ人間も居ない。身体能力はそこまででもないが、体捌き、体幹の強さ、反射神経、一瞬の判断力……どれも鍛えれば更に伸びるだろう、と桑島は考えていた。

 

 ただ、やはり気になるのは空っぽの笑みで……。

 

 いくら才能があるとはいえ、この人間らしくないところは直さなければならないだろうというのは、護郎と同意見だった。

 食事を少しでも人と同じものを食べられるように工夫して、目立つ人外感を出来る限り人間らしくして、感情を芽生えさせるために自然と触れ合わせてたくさん褒めた。

 

 そうしながら半年ほどが経ち、ようやく雷の呼吸の壱ノ型を彼女は己の物にした。

 

 深化する呼吸音は静寂ながら荘厳で、どこか悪寒を感じさせる。踏み込みからの居合い一閃は稲妻の轟きのごとく。

 “鳴柱”であった桑島でも見事だと思える一撃だった。

 しかし、その壱ノ型を完璧に行った代償か、彼女はその後体勢を崩して地面に倒れ込んでしまった。桑島は近寄り、水筒を渡す。

 水筒を受け取った、その手首の細さに少し動揺した。よくこの体で修行ができたものだ、と妙に感心してしまう。

 だから、桑島は自然に彼女の頭に手を置き、褒めた。

 

 よく頑張ったな、と。

 

 素直に思う。この小さな体で、肉付きが悪い体でどれほどの痛みや苦行を乗り越えてきたのだろうか、と。

 よく頑張った。お前は凄い子だ。よくやった。

 そんな思いを込めて、わしゃわしゃと頭を掻き撫でてやった。

 しかし、そうしたら何故か多々良は固まって涙を流し始めた。これには桑島もギョッとして、慌てて多々良の目元を拭う。一体どうしたというのだろう。

 

「……はは」

「……多々良?」

 

 理由が分からず焦っていると、乾いた笑い声が聞こえた気がした。桑島が目を丸めて固まる。多々良が震えているのだ。肩が小刻みに揺れている。うつむいているため表情は分からないが、いつものように顔には笑みを貼りつけているのだろう、と容易に想像はついた。

 しかし、これは予想外。

 

「ふ、はは、ひゃは、はははっ、あっはははは」

「……どうした多々良、気でも触れたか?」

「くっふふふふふ、くふ、えふっ、ふふふ、ふひっ、いっひひひひ、くくくく……」

「多々良ぁぁぁ!? どうしたのじゃ一体!!」

 

 桑島は突然気味の悪い笑い声をあげ始めた弟子の肩を掴んで揺さぶる。

 本格的におかしくなってしまったのだろうかと、本気で心配する。

 何が原因だ? あの地獄のような修行漬けの日々か? それとも昨日作った蟋蟀(こおろぎ)の姿焼きを食べさせたせいか? ちなみにその姿焼きはぎりぎり多々良の胃を騙すことができたがそのせいなのか?

 桑島は半分混乱しながら多々良の顔を上げさせた。

 そして、理解する。

 

 彼女は何ともまあ、嬉しそうに笑っていた。

 

 目から涙を流し、感情が定まらない表情筋がぐちゃぐちゃに蠢いていた。

 悲しいのか、嬉しいのか、喜ばしいのか、安心しているのか、不安に思っているのか……どれとも似つかない感情を笑顔で表現していた。

 

 そのぐちゃぐちゃの笑顔が、とても人間らしい。

 

「ふくく、くっくくくくはははははは……」

 

 唐突に理解した。その笑顔を見て、ようやく理解した。

 彼女は笑顔しかできなかったのだ。

 笑顔しか知らなかったのだ。

 感情を表せる表情が、笑顔しかなかったのだ。

 何ともまあ、可哀想で可愛そうな少女なのか。

 桑島は多々良の頭を抱えて、腕の中に閉じ込める。

 

「……多々良。お前は、凄い子じゃ」

 

 多々良はまだ、啜り泣くように笑っていた。

 

 

 

*****

 

 

 

 そこからは、本当にとんとん拍子だった。

 すぐさま弐ノ型、参ノ型と修得することができた。威力こそ桑島が求めるものよりかは劣るが、それでも充分、鬼の首を刈ることができる程度には成長した。桑島もより一層多々良を褒めた。これでもかと褒めちぎった。

 時折やって来る護郎からの手紙には、多々良の食べ物や体調の変化に対する、いわゆる飯事情の不安ばかり書いてあった。ちなみに稽古の心配は全くしていないらしい。多々良は真面目で努力家だからである。

 

 現に彼女は今、桑島と一騎討ちをして持ちこたえている。

 

 

 

「シィイ……ッ」

 

 鋭い呼気が剣気を孕む。筋肉繊維の1本1本を意識しながら、相手の懐へと跳び込んだ。

 

 全集中・雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃

 

 まさしく雷光のごとし。(まばた)きすら惜しませるこの一撃を彼女が放つ。

 しかし、彼には届かない。相手は側面に回るようにそれを避けると、手に持つ木刀を多々良の手元へと振り落とす。

 木刀が、刀を握る手へと触れる。それと同時に、彼女の手が下へと逃げた。振り落とされる木刀と全く同じ速度で、彼女の持つ刀が下方向へと逃げる。

 彼女の体が踞るように前に倒れた。

 

 雷の呼吸 参ノ型 (あらため) 聚蚊(しゅうぶん)成雷(せいらい)(ねじ)(だま)

 

 足で地面を蹴り、前へと回転するように宙に浮きつつ、上半身と下半身を捻る。

 その場で球を描くように刀を振るえば、それに伴って波状斬撃が爆発のごとく荒れ狂う。

 まるで雷の花火のようだ、と相手───桑島 慈悟郎は思いながら、自身も技を抜き放つ。

 

 雷の呼吸 伍ノ型 熱界雷(ねっかいらい)

 

 黄色の閃光が(うな)りをあげる。斬り上げられた木刀は花火のごとき波状攻撃を相殺した。

 多々良は着地と同時に地面を転がりながら桑島と距離を取る。

 しかし、桑島もそれをただ見過ごす訳にはいかない。体を僅かに前に倒しながら、腰に添えるように木刀を持つ。

 

 雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃

 

 雷の呼吸、基本中の基本である壱ノ型。それで一気に多々良と距離を詰める。

 彼女は口の端を吊り上げつつも、ゴウッ、と大きく一気に空気を肺に取り込んだ。それと同時に、相手に向かって体を捻りながら低く跳躍。

 

 岩の呼吸 壱ノ型 蛇紋岩(じゃもんがん)

 

 体を回転させながら相手に特攻。師範である桑島の苛烈ながら完璧な軌道を描く斬撃予定線を無理矢理掻き消していく。そうして刀を強引に弾き飛ばしつつ、彼女は一歩大きく踏み込む。自ら桑島の懐に飛び込むことで距離を詰め、自身の間合いに這入り込んだ。

 

 雷の呼吸 弐ノ型 稲魂(いなだま)

 

 彼女は直ぐ様呼吸を変え、一息の間に5回刀を振るう。桑島はなんとか見切り、同じ弐ノ型をぶつけ合うことで、その攻撃を相殺した。

 多々良の攻撃には確かに威力が無いが、その分速度と正確性に拍車がかかっている。最速精密な技に、桑島も舌を巻いた。

 しかし、桑島は元“鳴柱”であり、多々良に指南した師匠である。威力、技術で弟子に負ける筈がない。

 

 雷の呼吸 陸ノ型 電轟雷轟(でんごうらいごう)

 

 抜き放たれるは雷神の憤怒。他を圧倒し破壊する周囲無差別な雷の嵐。雷鳴があちこちで轟き、綺麗に整えられた稽古場が一瞬にして食い散らかされた。

 

「う、ゎ……!」

 

 これには多々良も防戦一方。桑島に近い位置にいたせいで、斬撃の嵐から身を守るのに精一杯だった。

 (ゴウ)、と肺に空気を取り込み、一気に腕の筋肉に力を込める。筋繊維がミシリと音を立て、血管が浮き出てくる。

 

 全集中・岩の呼吸 参ノ型 岩軀(がんく)(はだえ)

 

 自身を中心に刀を振り回し、己を守る。しかし、防ぎ切れなかった斬撃が多々良の肌を裂き、抉っていく。

 

 雷の呼吸 肆ノ型 遠雷(えんらい)

 

 駄目押しの遠距離斬撃が多々良に襲いかかる。唸りをあげる数多の雷撃波、それが殺到する。

 彼女はそれを防ぎ切れず、斬撃の勢いに呑まれて後方へと吹き飛ばされた。

 

「うむ、合格だ」

「一撃も加えてないのに、ですか……?」

 

 げほっ、と土埃を吸い込んでしまい、1度咳き込む多々良。試合っていた師範の桑島はというと、満足そうに何度も頷いていた。

 

「多々良がここに来て、もうそろそろ1年になる。雷の呼吸……もうお前さんに教えることはない。後は多々良、お前が自身の力で磨き上げ、洗練していかなければならない」

「……はあ」

 

 突然真剣を持たされて、「全力で打ち込んできなさい」と言われた時には少しばかり困惑したものだが、今の勝負は言う所の最終試験みたいなものだったのか、と今頃分かった。

 多々良は生き物の心こそ読めるが、それは現在進行形で考えていることだけ。人の年齢や身長といった情報は見えていないし、過去に考えていた履歴などを読み取るような能力ではない。

 そういうことか、と妙に納得した。

 

「そろそろ源の所に戻った方が良いのかもしれんな。あいつもあの強面で心配性だからのぉ」

「……そうですね」

 

 多々良にも思い当たる節があった。あの老人はああ見えて結構多々良を気にしている所があった。彼女がゲテモノ食いの悪食娘という所を抜いたとしても。

 

「じゃあ、文を送ります」

「うむ。それが良かろうて。……そろそろ飯にするぞ」

「はい。……ふひひ」

 

 多々良が気味の悪い笑い方をする。

 あの、初めて感情を込めた笑い声をあげた日から、多々良は声を出して笑うようになった。目元が弓なりに柔らかくなり、口の端があがって白い歯が見える。

 多少感情を笑顔に乗せることができるようになってきた多々良に、桑島も笑った。

 

 

 

*****

 

 

 

 それから数日後のこと。

 多々良は服や道具、食べ物を包んだ風呂敷を背負い、竹刀袋に隠した護郎から貸してもらった刀を持って玄関に立っていた。

 

「1年間ありがとうございました」

「うむ。これからも励むんじゃぞ。言ったことを忘れないようにな」

「はい」

「源にもよろしく伝えておいてくれ」

「はい」

「それと、ちゃんとご飯は食べなさい。せめて火を通して食べなさい。いいな?」

「………。……はい」

「大分嫌そうな笑顔ができるようになったな……」

 

 声の調子ならびに複雑そうな笑み。彼女も大分感情を表に出すようになってきたのがとても微笑ましい。

 それでもちゃんとした、まともなご飯は食べるように、と釘を指すのは忘れない。

 多々良はもう一度頭を下げて、桑島の住居から離れていった。

 

 

 

*****

 

 

 

 護郎が住まう“玄道山(くろみちやま)”というのは意外と遠い。とはいえ、行きである程度の道順は覚えているので、それを辿っていけばいいだけの話だ。

 途中で騙す気満々の男から幸運を呼ぶ壺なるものを買わされそうになったり、甘味をやたらと進めてくる奇妙な恋仲の男女に会ったりした。

 ちなみに幸運の壺を売ってきた男は指名手配されていた詐欺師で、人の心を読める彼女が引っかかる道理は全くない。笑いを顔に貼りつけて言うこと成すこと論破して腕を捻り上げた後、警察に突き出した。滅茶苦茶褒められて賞金を頂いた。

 その後出会った恋仲の男女というのは、俗にいう人拐いであった。どうも見目麗しい、売れる少女を探していたらしい。多々良はこんな痩せて肉付きの悪い生き物が売れるのだろうか、と内心首をかしげていたが、何やら心を読むに色気なるものが滲み出ているらしい。こちらも腕を捻り上げて警察に突き出した。かなりの数の女性を拐っていたらしく、滅茶苦茶感謝された。

 

 閑話休題。

 

 多々良は今、人気のない道を歩いていた。旅の途中で警察沙汰が多かったため、予定より大分遅れていた。もう日が沈んでいて薄暗くなっており、途中の宿までもう少しといったところか。

 

『鬼殺隊となるのだから分かっていると思うが……日が沈む前に宿を取りなさい。決して、夜歩くことが無いように』

 

 ……早速、桑島から言われていたことを破ってしまった。

 心の中でおざなりに謝罪しつつ、足早に宿へと向かう。

 

「……!」

 

 しかし、宿に向かう途中、奇妙な気配を感じた。しかも、進行方向から。

 普通の人の気配ではない、植物や動物とも違うそれは、とても歪で、しかし純粋な気配をしていた。

 

 あの時(・・・)感じたものと同じもの(・・・・・・・・・・)

 

 多々良は更に足を動かす速度を上げる。口元は自然と三日月に歪み、笑っていた。

 ようやく、ようやく出会えるのだと思うと、何ともまあ気が急いて仕方がなかったのだ。

 

 もう一度(・・・・)確かめることが出来る(・・・・・・・・・・)、と。

 

 多々良はどこか弾む心臓を感じながら、足を動かす。

 

 

 

*****

 

 

 

 辿り着いたのは宿だった。多々良が使う予定の宿である。

 

 ここから、歪な気配がしてくる。

 

 多々良は少しばかり荒くなった呼吸を整えて、背中の風呂敷を背負い直す。そして、玄関に踏み込んだ。

 玄関はとても綺麗だった。宿屋として清潔感は重要なのだろう。

 しかし、しんとしている。静寂だった。

 普通なら客を出迎える人が1人くらい居るはずだが、全くそんな気配がない。

 まあ、当たり前かと多々良は少し考える。

 というのも、この宿の建物内の全員は死んでいる(・・・・・)のだ。宿屋ならば多少人が居ても良いはずなのだが、感じるのは歪な気配を持つ何か(・・)だけ。

 つまりは、そういうことなのだろう。

 しかし、だからと言って、ここを土足で無断で立ち入るのもどうかと多々良は考えたのだ。仮にもここは他者の住まい。何も言わずに入るのも礼儀に反する。……こんな時に礼儀も何も無いと思うのだが。

 さて、どうしたものかと呑気に考えた後、多々良は口を開く。

 

「……。すいません」

 

 一応声をかけた。彼女は妙なところで律儀であった。

 

「すいません。入りますね」

 

 返事がないのでもう一度断った後、玄関をあがる。玄関で履き物を脱いで、きちんと揃えて端に置く。

 そして、風呂敷を背中から降ろして隅に置く。竹刀袋から刀を取り出すと、一直線に歪な気配をした者の所へと急ぐ。

 

 宿屋は、悲惨な状況だった。

 

 玄関では分からなかったが、廊下には血が飛び散り、腕や足、頭、腹部といった箇所を無造作に食い荒らされていた女中らしき人が倒れている。襖や障子には赤黒く変色した血がこびりつき、何とも言えない不気味さを醸し出していた。おそらく部屋の中にも生き絶えた旅人が居るのだろう。

 

 それでも、多々良は顔色一つ変えずに笑っていた。

 

 死んでいる冷たい死体にも地獄を連想させる惨状にも目を向けず、まるで温かな日差しの下でも歩いているかのように平然としていた。

 もしここに生存者が居たのなら、彼女と宿屋の惨状にちぐはぐとしたものを感じ取っただろう。それだけ、彼女は血と屍肉に慣れ親しんでいた。

 

 部屋に、辿り着く。

 

 多々良は障子に手をかけ、そこでようやく自身の手が小刻みに震えていることが分かった。その手に更に、冷たい水が落ちた。自身の額から滲み出た冷や汗である。

 別に恐怖と呼ばれるものは感じていなかった。というか、これが恐怖と呼ぶような感情だとは思わなかった。むしろその逆であると多々良は思った。

 心臓は高鳴り、自然と息は熱を持ち、瞳が潤む。しかし直ぐ様回れ右をしたいとは思わず、むしろ早く部屋の中を確かめたかった。

 これを人の言葉で表すのならば、好奇心や期待と言ったところか。

 多々良は1度大きく、静かに呼吸をすると、ゆっくりと血が飛び散り斑点模様になった障子を開いた。

 

 ───ぷちゅっ……ぐちゃ……っ。べちょ、ぴちゃ……じゅるっ、じゅぞぞ……。

 

 水音がする。不気味な水音が。

 

 ───ジュルジュルジュルっ……。ごくり……。ブチブチブチッ。グッチャ、グッチャ、グッチャ……。

 

 咀嚼音がする。噛みつき、啜り、汚く咀嚼する音が。

 

 ───ゴキッ。……ッギゴ、ガリガリ。……ボチュっ。

 

 破砕音がする。硬いものを噛み砕くような音が。

 

 ───ふぅぅぅ……。げぇっぷ。

 

 満足したようなため息が聞こえた。

 そして。

 

 

 

「そこに居るのは誰だぁぁあ?」

 

 

 

 悍ましい、低い声で。

 口元を血で真っ赤に汚して。 

 

 

 歪な気配を持つ者──“鬼”と呼ばれるその生き物は。

 

 

 笑っている多々良を視界に捉えた。

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