あの日は、あの子の誕生日で。
あの日は、あの子に会った日で。
あの日は、あの子から感謝された日で。
初めて、とにかくたくさんの初めてを貰った日で。
だからこそ、あの子に感謝の意思を伝えようと自分の意思で足を運んだ日で。
あの日は、あの子が救えなかった日で。
あの日は、あの子を喰らった日で。
*****
部屋の中は真っ赤に濡れていた。
生臭い体液の匂いが充満している。
倒れ伏せた人の形をした肉塊。それの顔が何ともまあ、無念そうで、絶望した顔で。
不気味に笑っている多々良の姿を映していた。
「怯えねぇなぁぁ、
ぺろりと口周りの血を舐めた後、指先を真っ赤にぬめった舌で拭うようにしゃぶった異形。ぞろりと生え揃った鋭い牙……あれなら成る程、人の肉程度は余裕で食い千切ることが出来そうだ。
小さな瞳孔、血走った眼光。新たな獲物へと、それらは愉快そうに向けられた。
多々良は部屋中を観察した後、ふと目の前に視線を映す。鼻先ギリギリにあの鬼の顔が映った後、両腕を捕まれてそのまま押し倒された。
「っか、ふ……!」
「んんん~~?」
なんとか受け身は取れたが、それでも背中に痛みが走り、衝撃で肺から空気が押し出された。体に走った苦痛に笑顔を僅かに歪める。
それを気にせず、鬼は多々良の首元に頭を埋めた。そして、匂いを嗅ぐようにくんくんと鼻を鳴らした後、顔を離した。
鬼は笑う。
「なんだぁ、手前ぇぇ。いぃ~い匂いがするなぁぁ」
ぼとっ、と鬼の涎が多々良の頬に落ちて、そのまま重力に従い、下へと垂れていく。
「……匂い」
「そう。そう、そうっ、そぉ~~う! あぁ~~っ、たぁまんねぇ匂いだぁぁ! ふひひ、お前、稀血かぁぁ?」
鬼は興奮したように息を荒げると、ガパリと大口を開けて多々良の首元に噛みつこうとした。
「……貴方様は」
「んんん?」
首筋に鋭い犬歯が食い込んだ瞬間、ピタリと鬼の動きが止まる。鬼が目線を上げれば、相変わらず笑みを顔に貼りつけた少女の顔があった。
「何故、人を喰らうのでしょうか」
「……はぁぁ?」
今何をされているのか、どういう状況なのか、分かっているのだろうか。
後少し、鬼が顔を動かせば血を啜られ、喉笛を噛み砕かれるというのに。
この鬼は命乞いをいつもなら聞かない。むしろ興奮する
鬼は少しばかり顔を引いて、それでも首元に顔を近づけたまま、言葉を紡ぐことにした。余興だとしても、変なことをすれば直ぐ様殺すと言わんばかりに。
「どうして人を食うのかぁぁ? そうさなぁぁ、考えたこともなかったなぁぁ。手前だってそうだろぉ? いちいち食い物のことを考えるのかぁぁ? 肉を噛み千切ると痛ぇよなぁ、血を啜ったら苦しいよなぁぁ、なんてさぁぁ」
「……なるほど」
「人間が食い物だから食ってんだよぉぉ。それの一体何がいけねぇんだぁぁ?」
「……」
鬼にとって、人とは食べ物。
鬼にとって人とは、家畜と同じ。
なるほど、確かに鬼は化け物だ。
少なくとも人にとっては。
そして、同時にこれは
そう認識できただけでも充分だった。
少なくとも多々良は、己の食欲のために人を喰らおうとは思わなかった。
これは自分とはまた、別種の鬼だ。
「もう質問は終わりかぁぁ? もう食うぞぉ? 首を噛み千切るぞぉ? なあ、怖いか? 恐いのかぁぁ?」
「ええ、どうぞ。聞きたいことは聞けました。満足です」
鬼はやはりこの女は変わっている、と思った。悍ましい容姿をしている自身を目の前にして、全く怯えを見せない。
まあでも、この芳ばしい匂いの前でずっと待てができるほど忍耐強くもない。むしろ極上の獲物を目の前にしてよく耐えた方だ、と鬼は自身を褒めた。
鬼は多々良の首に近い肩に噛みつき、ゴクゴクと血を啜り飲んだ。
まずは血を。それから肉を味わい、骨を噛み砕いて髄液を啜る。
その予定だった。
「まあ、鬼生を喰っても腹を壊さないという自信がお有りなら」
予定が崩れ去る。
獲物は嗤った。
「ぐっ……!?」
鬼は目を見開いて目を白黒させた。
喉を通った血は、
舌の上で血を転がす度に、渋いような苦いような想像以上に不快な味がして、鼻奥に何にも例えがたい死臭が突き刺さってくる。
「ぶっ、……おえええっ!?」
思わず吐き出したくなるほどには、
びちゃびちゃと胃の中身を吐き出しながら、先程食った肉と血と胃液を吐き出しながら、鬼は部屋の中をのたうち回った。
しかし、苦味は収まらない、腐った屍肉のような味がずっとしていて、食い物が腐敗したあの嫌な匂いが鼻にこびりついている。
そして、畳に強く手を打ち付けた時である。
ボギュリ、と。
地面に掌を置き踏ん張ろうとしていた前腕が、
「ぐえっ、げぇぇっ!? あがああぁぁぁぁあ!?!?」
そのままドロリと皮膚が爛れて、張りのある筋肉がグズグズに溶けて、密度の高かったであろう骨はスカスカになり脆くなってしまった。
「ぁえ? え? あ? は? はぁぁあぁあっ!?」
片方の目玉が落ちる。足も腐れ落ちた。達磨になった鬼は、起き上がって深呼吸をしている少女に血走った片目を向けた。
「手前ぇっ、テメェェェェっ!! 一体何をしやがったぁぁ!?」
「……ん~?」
多々良は口元に笑みを浮かべたまま首をかしげた後、更に笑みを深めて告げる。
「別に何も?」
「嘘つけこの雌餓鬼がぁぁあ!! 殺すっ! 殺してやる!! くっそ不味いもん喰わせやがってぇぇ!!」
「……は」
多々良は笑みを携えたまま、言った。
「それは確かに、不味いでしょうねぇ。ふくく、くっくっく………」
喉で笑った後、多々良は立ち上がって、自ら着物を少し寛がせた。
それにより、多々良の少女らしい未発達な胸部やうっすらと腹筋が浮かんだ腹部が露になった。
しかし、鬼はそれらよりも、何よりも腹部の色に目を見張った。
毒々しい色に変色していた。
触れば腐肉のように沈むのではないだろうか。それほどまでに不気味で奇妙で、おどろおどろしい色合いをしていた。
「数多の腐肉を喰らい、その疫病や毒を納めてきた肉壺です」
鬼は何も言えなかった。それほどまでに気圧され、冷や汗をかいていた。
気位というものだろうか。それが自身とは桁違いだった。
(こんなもの、喰えるわけが……)
「こんな者の血肉を鬼が喰らえば」
多々良は刀を引き抜いた。シュラン、という微かな音を立てて、灰色めいた刀身が僅かな光に反射して鈍く輝く。
多々良は唇を三日月のごとく、目を弓なりに歪めて自嘲するように嗤った。
「腐り果てても仕方がないことでしょうね」
刀が鬼の首が刎ね飛ばす。
多々良の死毒血を啜ったお陰で、呼吸も使わずただ刀を振るうだけで首を刎ねることができた。己の血の効能に少しばかり驚きつつも、それを笑顔でしか彼女は表現できない。
鬼がグズグズになり、灰となるのを見ながら、彼女はぼんやりと考え出す。
そう、宿のことである。
治療のための道具や薬は全て風呂敷の中である。今から取りに戻れば良いだけの話。それで血止めをすればどうにでもなるのだが、宿ばかりはどうしようもない。
本来ならば、今すぐこの宿から出て別の宿を探すのだろうが……。
(……汚れてない部屋とかあるのかねぇ)
多々良はこの悲惨な状況の宿で一晩を過ごすことにしたらしい。
強心臓……というよりは、既に死んでいる者に興味や感情が持てないのだろう。
罠と同じで、“意思”を感じないただ人の形をしただけのその肉塊を見ても、何の情も持てないのだ。
多々良は身嗜みを整えた後、玄関に向かおうとした。
そうして振り返った瞬間、黒い壁に衝突した。
「……?」
ぶつかって気づく。これは人間だ、と。
今まで鬼のことで頭が一杯だったためか、他のことに気を割く余裕がなかった。こんなことは滅多にないのだが、それだけ集中していたのだろう。
目線を上げれば、まるで炎のような長髪と瞳、そして羽織が目に映った。
「大丈夫か!? 血塗れじゃないか!」
「おっ……」
「肩を見せなさい! 鬼にやられたのだろう!」
何ともまあ……大声であることか。至近距離でこうも叫ばれたらビリビリと鼓膜に響いた。
それでも目線を合わせるためにしゃがみこみ、血塗れの肩を見せれば、大したことではない、と安心して洗浄して包帯を巻いてくれる辺り、ただの大声男性ではないのだろう。優しい人だと多々良は判断した。
「辛いことを聞くようだが、少女を襲った鬼は何処へ行ったか分かるか?」
「ああ……そこで灰になりました」
「何?」
「……。灰になりました。その部屋で」
炎のような男性が聞き返したので、もう一度告げる。例の鬼の首を刎ねた部屋を指差しながら。
すると、相手は目を見開いてキョトリとした。パチパチと目を
くひひ、と多々良が笑っていると、それを見た男性が「む」と何か思い出したように言う。
「もしかして、君は源の妹弟子か」
「みなもと……ああ、大地様ですね」
「やはり! 君の笑い声は独特だと聞いて……大地
「?」
最初こそ平然と話を続けたが、まさかの敬称に驚く男性。
多々良は首をかしげてみせるだけ。
彼の頭に源の嫁、という言葉が浮かび上がったが、すぐさま消えていく。脳内の大地がその文字を握り潰したのだ。おそらく本物が居たらその後「ちょっと面貸せ」と乱闘騒ぎになっただろう。
「大地様の知人でしょうか」
「うむ。
「はしら」
聞き覚えのない言葉だった。屋敷を支える木材のことであろうか、と的外れなことを考える。
多々良が首をかしげると、槇寿郎と名乗った男性は説明するように言葉を続ける。
「鬼殺隊の最高位の者のことを指す。最高でも9人までしか成り得ない。私と源はその1人だ」
「……大地様も?」
「あいつは“
「滅多に連絡も来ないし会うことも無いので」
「そうか……あの男もかなり不器用だからな……」
あの男……大地は多々良が思っていたよりもかなり高い位の人間だったようだ。それならあの強さにも納得できる。
大地との打ち合いのことを思い出して、多々良の口元がひくりと動いた。
そうしていると、槇寿郎は立ち上がり、多々良を抱き上げた。その予期せぬ行動に多々良の笑顔が硬直した。
槇寿郎は気にせず笑う。
「もう夜も遅い。他に宿も取れないだろうし、とりあえず私の家に来なさい」
「……はい?」
「遠慮するな! 源には私から文を送っておこう。妻は病に伏せ男所帯だが、娘が出来たと思えば嬉しいことだ!」
話が飛躍してはいないか。
多々良はそう思ったが、悪い話ではないだろう。少なくとも一晩、鬼殺隊士……しかも、“柱”の家で過ごせるというのは安心が出来る。
彼女が頷くと、槇寿郎はにっこりと笑った。
……笑顔が眩しくて、多々良が顔を反らす。自身とは全く違う、これこそが笑顔だと言わんばかりの笑みを見て、体が拒絶反応を起こしたのだ。大地曰く、「裏表のない太陽のような笑み」である。確かにこれは偽物の笑顔を貼りつける多々良にはきついものがあった。
*****
朝。
少しひやりとした空気が頬を撫で、外からチュンチュンと雀の鳴く声が聞こえた。
それを聞いた瞬間、感じた瞬間、とある少年の目がパチッと開いた。
「……朝!」
一気に体も意識も覚醒する。
そして、ガバリと掛け布団をはね除けるように勢いよく起き上がると、直ぐ様
燃える
今日はこの少年が朝食の当番だった。
母親が病で伏せているため、料理は父と交代でやっている。とは言え、少年もつい最近11になったばかり。やって来る女中の手伝いとして台所に立っているだけだった。
料理も勿論楽しいのだが、何よりも楽しみなのは母親に自身の作ったものを食べてもらうことだった。初めこそ四苦八苦して味が悪いものを作ってしまい、中々母親の口にまで届かなかったが、最近は簡単なものなら女中からも花丸を貰い、母親にも食べて貰えた。
今日も母親の口に入ることができるものを作らなければ、と少年の料理魂に火がつく。
「失礼します! ミツバさん、今日は何を……」
少年が台所に顔を出して、直後固まった。
台所に立っていたのは、見慣れた女中の後ろ姿ではなかった。
もう何年も見ていない、背中に流れた艶やかな黒髪。使い回しているような少し色褪せた着物と割烹着。
少年の目元にじわりと涙が浮かんだ。
「母上!!?」
「おっ!?」
叫ぶと同時にその後ろ姿に飛びつく。ふわりと香ったのはやはり、慣れ親しんだ母の匂いだった。
若干肉付きが悪く小柄な感じがしたが、きっと食が細いせいで脂肪や筋肉が削げ落ちているのだろう、と少年は思い、胸が苦しくなった。
「母上! もう病気はよろしいのですか!? 回復したのですか!?」
「どうしたんだ、朝から騒がしい。今日は客人が居るんだから、もう少し静かに……」
「父上! 母上が! 母上が台所に!」
「………は?」
台所に顔を出したのは煉獄 槇寿郎。まだ寝ぼけ眼で髪はボサボサであった。そのせいで余計に炎を連想させる髪型になっている。
彼は少年……正確には息子の言葉に目をパチクリさせていたが、不意に真顔になる。
「……杏寿郎。その人は客人だ」
「何を言っているんですか、父上! この人は……え」
少年が父親に言われて目を丸め、母かどうかを確かめるために着物に埋めていた顔を上げる。
そこには見慣れた母の顔……ではなく、全くの別人の顔だった。
見知らぬ誰かに抱きついている、とようやく理解して、口は勝手に動く。
「……どちら様、ですか」
「……お初にお目にかかります。鬼生は命喰 多々良と申します」
べっこう飴を流し込んだような、黄金色の瞳が柔和に細められ、口の端が、く、と上がれば、少年の顔が火を吹くように赤くなり、固まってしまった。
直後、「申し訳ありません!!!!」という謝罪の言葉がその屋敷中に響いたのは言うまでもないだろう。
*****
「すいません、客人に朝餉を作らせてしまい……」
「いえ、むしろお口に合って良かったです。鬼生は食が特殊なもので……味覚は人間寄りだったようで安心しました」
「はい! とても美味しかったです!!」
台所で洗い物をする多々良。その隣で杏寿郎が洗い終わった食器を手早く布で拭いていく。
朝餉の時間は普通に過ごすことができた、と多々良は思っていた。とはいえ、多々良は食事をせずに、にこにこと笑いながら皆の食事風景を眺めていただけだが。
今は隣で手伝いをしている少年……
閑話休題。
食器を洗おうとすると、槇寿郎が「そこまでやらせるわけには……」と渋っていたのだが、「鬼生は一晩泊めていただきましたから」と多々良は譲らなかった。すると、杏寿郎が「手伝います!」と手を上げたため、彼が手伝うという形でなんとかやらせてもらった。
槇寿郎には先程、喋る鴉がやって来て任務を伝えた。そのため、朝餉だけを食べてすぐに任務へと向かった。
「あの、先程は本当にすいませんでした」
「ん~? ……ああ、母親と間違えたことですか」
「……はい!」
ぼぼぼ、と杏寿郎の顔が真っ赤になっていくのを横目に、多々良は洗い物の水を切って杏寿郎に渡す。
「別に、恥じることでもないかと思いますが。鬼生は貴方様の母親からお貸し頂いた着物を纏い、また同じ黒髪……毛先は脱色しておりますが。それはまあ兎も角としても、貴方様からすれば、母の後ろ姿と遜色がなかったのだろうと思われます」
「それでも、母親と間違えるなど……」
面目ない、と言わんばかりに落ち込んでいる杏寿郎に多々良は何も言わずに洗い物を渡した。
多々良は話上手でもなければ、人付き合いが得意な訳でもない。せいぜい人の思考や心を読んで、相手の行動を先読みし、不快にさせない程度だ。
「……貴方様の母親は、何の病でしょうか」
「……とても難しい病だと聞いていますが、詳しくは。最近は寝たきりの日が続いています」
「……んん」
洗い物が終わり、多々良が布で手を拭けば、杏寿郎がお茶を湯呑みに注いで渡そうとしてくれた。それを多々良はやんわりと断り、「出来れば水を」と言う。そのお茶は杏寿郎の胃の中へと消えた。
お茶は渋くて味は好きだが、まだ飲み込めなかった。貰っても飲まずに口の中で転がして苦味を味わい、ぺっ、と吐き出すだけである。下手に喉奥に流れるとえずいてしまうので、あまりしないが。
そうして縁側で日向ぼっこをしながら一休みしている間、考えるのは槇寿郎の奥方のこと。
ただの病気ならば、まだ
彼女は自身の手首を見ながら少しの間ギョロリと目玉を上下左右に動かした後、立ち上がる。
「? どうされたのですか?」
「ん~? ……ああ、いえ。特には」
「?? ……あ、そうだ! 多々良さん! 多々良さんがよろしければ、どうか俺に稽古をつけてくださいませんか!」
「……鬼生が」
「はい! あなたも鬼殺隊になるために修行をしていると父に聞きました!」
「どうでしょう!」と溌剌とした調子で聞いてくるため、考える。
邪気も悪意も感じないし、思考も子供らしい純粋なものだったため、疑うようなこともないだろう。
多々良が了承すると、彼はパッと顔を輝かせて、木刀を取りに行った。
杏寿郎は中々に手強かったが、散々元“柱”である桑島や護郎、現在“柱”である大地などに死ぬほどしごかれた多々良の敵ではなかった。
稽古後、杏寿郎に凄く懐かれて、多々良は少しばかり困ったような笑みを浮かべた。
*****
瞳の奥の輝きは意思の強さを感じさせる。己に巣食う疫病を燃やし尽くすと言わんばかりだ。きっと精神がしたたかなのだろう。
しかし、やはりどこか弱々しさを感じさせるのは、食欲不振で体が細くなっているからだろうか。どうしようもない儚さを感じる。
……この女性の遺伝子は何故子供達に現れていないんだろう。
家族の……特に男性達の容姿外見があまりにも似通っていて、思考が読めなければ誰が誰だか分からなくなりそうだった。後、名前が似ている。
以上のような感想を抱きながら、多々良はその女性の傍に座っていた。
一晩泊めて貰ったし、そろそろ“育手”の元に戻らなければならない。そのことは杏寿郎にも告げた。ついでに屋敷の主人の妻でもある瑠火にも挨拶をしてから旅立とうと多々良は思いついたのだ。つい先程杏寿郎が瑠火の部屋の飲み水が少なくなってきたことに気づいたので、杏寿郎には悪いが水を運ぶ役目を変わって貰った。
そのため、多々良の傍には盆の上に置かれた水差しと水が張ってある小さな桶、汗を拭うための手拭いがある。
瑠火は布団から起き上がらず、寝たきりのまま多々良に対応していた。
「客人に対してこのような姿で会うことをどうかお許しください」
「いえ、お気になさらず。どうかご自愛ください」
定型文のようにすらすらと多々良の口から出てくる言葉に、瑠火は少しばかり口元を緩めた。しかし、すぐにきりりとした顔つきになると、多々良に問いかける。
「それで、私に一体どういう用で?」
「病床に伏しておられると聞いたもので。もう余命幾ばくもないらしいと」
素直な所は好ましいが、直球に言われると心を握り潰されるような痛みがある。
他者から聞いて思うのだ。もう、夫やあの子達と過ごす時間も少ないのだと。
「……そうですね」
「それでも、今生きていることには変わりないことなので、鬼生は安心しました」
「? ……はあ」
多々良は歯が見えるほど、唇を三日月の形にして笑う。それを瑠火は不思議そうに見る。
客人には悪いが、なんとも奇妙な人だと思った。
容姿端麗ではあるし、どこからどう見ても人間であることには間違いない。しかし、醸し出す雰囲気はどこか人間離れしていて、死人を連想させた。
……彼女が纏っている香のせいだろうか。形容しがたい……比較的に線香に近い匂いが彼女から漂ってくる。
そんな、死臭のような、線香のような香を纏う少女は、笑いながら問いかけた。
「貴方様は、まだ生きることを望みますか?」
「……当たり前です」
多々良の目の奥に宿る不気味な輝きに一瞬気圧されるも、瑠火は力強く頷いた。
まだ子供は幼い。次男の
それに、最近は夫も思い詰めているように見える。自身の前では微笑んで傍にいてくれるのだが、どこかその笑顔が暗い。彼の妻として、これから彼を支えないといけないのに、病床から出られないこの体では、それをすることもできない。とても歯痒かった。
そんなことを考えながら少女を見ていた瑠火だが、次に少女が取った行動に目を見張った。
「え……!?」
多々良が自身の手首を切ったのだ。正確には持っていた刀を半分ほど引き抜き、刃を手首に押し当てた。
瑠火はギョッとして起き上がろうとした。処置をしなければ、と反射的に体が動いたのだ。しかし、起き上がる前に多々良が彼女の額に人差し指を置いて、そのまま布団の中へと押し戻す。
「急に起き上がると目眩を起こしますよ」
にっこりと笑顔で言われるのだが、それよりも目の前の光景で目眩が起きそうだ。
不思議だ、奇妙だとは思っていた瑠火だが、この少女が何を考えているのか本気で分からなくなった。ただただ彼女の貼りつけたような笑顔を見るしかできなかった。
ボタボタと赤黒い血液が水差しの中に落ちていく。赤い液体が透明な水へと落ちて波紋を広げると、直ぐ様ゆっくりと馴染むように水へと溶けていく。
ようやく血が止まり、多々良が手首に包帯を巻いた時には、水差しの中の水はほんのりと赤みがかっており、溶けきれなかった赤い血が水中を漂っている。
多々良が水差しを持って、水を混ぜるように水差しを回せば、水面が渦巻いて血液が溶け込んでいき、元の透明な水に変わった。
「……あの、何を」
「ん~?」
多々良は瑠火の背中と敷き布団の間に手を滑り込ませて、体を起こした。……軽い。多々良がいくら少女で筋力が劣ると言えども、この軽さは異常だった。
多々良は瑠火に笑いかける。立てた人差し指を自身の唇に当てて。
「鬼生は貴方様の病を治せるやもしれませんので」
「……はい?」
多々良は目を細めて笑っていた。
瑠火を通して、別の誰かを見るように。
*****
もうすぐ昼時という頃。
煉獄家の玄関には2人の姿があった。
1人は履き物に足を通して風呂敷を背負い、手には刀の入った竹刀袋を持つ少女。
1人は炎のような髪と瞳を持つ少年。
「……もう、行かれるのですか」
「ええ。宿は借りましたし、これ以上長居も無用でしょう」
少女……多々良は顔に笑みを貼りつけて言う。
少年……杏寿郎は少しばかりしょんぼりとした顔をする。自身と年が近い人と一緒に稽古が出来たのが楽しかったし、まだ一緒に居たかった。
だから、背を向ける彼女の腕を取って、問いかける。
「……また会えますか?」
「会えますね。これから時々来るので」
「え?」
杏寿郎は目をパチクリとさせる。
これでもう2度と会えないのであろう、と思っていたためか、まさかの返しに固まった。多々良の返しにそれだけ驚いたのだろう。目を点にしている。
その姿が妙に槇寿郎と似ており、多々良は吹き出した。流石、親子である。少しの間肩を震わせた後、杏寿郎に向かい合わせになる。
「瑠火様に用がありますので、様子を見に時々来ます」
「本当ですか!?」
「はい。ですので……」
パッと顔を輝かせる杏寿郎に多々良は笑みを見せる。
「そんなに寂しがらなくてもいいんですよ」
「っ……!!」
ぼっ、と杏寿郎の顔が赤くなるのを見て、多々良はまた笑った。
*****
零れ話、その壱。
***
「カアアアッ! 手紙! 手紙ダ! 山柱ァ!」
「は?」
任務帰り、鴉から文が届けられた。
瞳が真っ赤なその鴉を見て、心底嫌そうな顔をして低い声を漏らしたのは青年……源 大地である。
彼は鴉の足に巻き付いた文を受け取ると直ぐに開いた。
送り主は煉獄 槇寿郎。同じ“柱”であり、大地が少しばかり苦手とする先輩だった。
育ちが悪いため、色々と粗相をすることが多い大地を根気強く矯正して、敬語や身嗜みを整えさせ、社会一般的な言動や立ち振舞いを身につけさせた人間の1人である。
つまり、大地は彼に頭が上がらないのだ。
自身が散々彼に迷惑をかけているのは重々承知しているし、過去の黒歴史として自身の心の中に閉じ込めている。槇寿郎の心の中に閉じ込められているかは別として、だが。
そんな彼からの便り。嫌な予感しかしなかったから読むのを
どうか合同任務の話であってくれ、と思いながらおそるおそる堅苦しい文を読み進めていけば……。
『今、源の妹弟子の命喰 多々良を家で預かっている』
端的に言うとこんなことを書いていた。
おい待て、どうしてそうなった。
思わず文を持つ両手に力を加えて引き破りそうになるのを必死に押さえて、大地は深呼吸。
気持ちが落ち着いたのを確かめてから文を再び読む。
『実は任務帰りの宿で彼女が鬼に襲われていてな。宿の中で肩を鬼に噛まれて血を流していた所を発見した。もう夜も遅く、うら若き乙女独りで他の宿を探すのも困難だと思ったため、我が家で保護しようと思った次第だ。どうせ私も帰路につく予定だったからな』
思っていたより深刻な状況だったようだ。
文を破らなくてよかった、と心底思った。
肩に怪我……肉を噛み千切られていなければいいが、と無意識に彼女の容態を心配したが、医者を呼ぶような怪我でもなかった、と書いてあって安堵する。
今度世話になった詫びとして甘味でも持っていくか、と頭の隅で予定を立てながら更に文を読む。
『初めに源のことを「大地“様”」と言っていたから嫁かと思ったぞ。幼女趣味かと勘違いした』
「殺す」
全て読み終える前にブチグシャァア、と文が握り締められ引き千切られた音がした。大地についていた鎹鴉がドン引きしている。
大地の顔に血管が浮き上がり、メキメキと筋肉が膨張音を鳴らす。握り締められた拳は、掌に爪が食い込み血を垂れ流していた。
そのまま都合よく近くにあった木へと拳を思い切り叩きつければ、ぐわんっ、と木は大きく横に揺れた。ガサガサと音を立てて木の葉やら木の枝やら虫やらが落ちてくる。
「あんの炎の獅子頭野郎……
大地の頭の中で朗らかに笑う炎柱の顔が思い浮かんだため、殴り飛ばしてやる。直ぐに脳内から消えた。
そうして何度も頭の中で槇寿郎を半殺しにしながら必死に深呼吸(勿論、全集中の呼吸法)をして気を落ち着かせる。
隊士同士の私闘はご法度。仮にも“柱”の立場の者が率先して規律を破ってしまうのはいけないことだろう。減給はまだしも自宅謹慎や
そうしてなんとか平常心を取り戻した大地はぽつりと呟く。
「取り敢えず煉獄殿はぶん殴ろう」
……まだ平常心は取り戻せていないかもしれない。
*****
零れ話、其の弐。
***
どさり、と今まで背負っていた荷物を全て降ろした。肩を回せば、凝り固まった筋肉が痛み出す。それに顔を歪めながら、私は1度大きく伸びをした。
それにしても、宿が空いていて良かった。浅草からずっと歩きっぱなしで疲れてたから……。
家に辿り着くのはまだ後になりそうだなぁ。
妻と子供は大丈夫だろうか。もう
ふあ、と欠伸しながら今後の予定を考える。
まずは風呂、それから夕食を頂いて明日の朝な出発しなければ……。
備え付けにされた着流しを来て、私は風呂へと向かう。
窓の外から射してくる茜色……沈んでいく夕焼けがとても綺麗だった。
*****
パチリ、と目が開いた。
眠気で重い頭を起こして、乾く相眸で周りを見渡す。……あまり暗くないから、日が沈んで少し経ったあたりか。今日はあまりにも疲れすぎて早めに就寝したのだが、意外にも早く起きてしまった。
体にはびっしょりと汗をかいていた。暑い……訳ではないのだが、何故か汗をかいていた。冷や汗だろうか……それにしても何故だ。理由が分からない。
取り敢えず着替えようか。このまま寝ても良い睡眠がとれるとも思わない。
体にかかった掛け布団を押し退ける。
ミシィィィ。
すると、外から音がした。
ここの廊下は少しばかり老朽しているようで、子供ならまだしも大人が歩くとミシミシと音が鳴った。
特に気にすることでもない、と私は起き上がるのだが、外から聞こえてくる音が妙に気になった。
ミシィィィ……。ギシィィィ……。
一歩一歩を噛み締めるように廊下板を踏むその人の歩き方がなんともまあ不気味だったのだ。
つい着流しを脱ぐ手を止めて廊下に繋がる障子を見てしまう。
微かな灯りに照らされて、廊下を歩く者の影が見えた。
猫背気味の男……のようだ。骨格が角張っていて大柄だから男のはずだ。その人がゆっくりと廊下を進んでいた。
……なんだ、普通の人じゃないか。
と思っていたが、その影を眺めているうちにあることに気づいてぞわりと背筋が冷えた。
影は確かに人間だったが、明らかに人ではない影がその男にはついていた。
突起。
頭のあたりに出っ張りがあったのだ。
髪形だとか飾りだとかそういうのではない。額あたりに三角の角らしきものがあるのだ。
息を止めてその影に集中していると気づく。随分と周りは静寂だった。廊下を踏み締める音、荒い呼吸音は聞こえてくるのに、陽気な子供のはしゃぎ声や男女の仲良さげなお喋りが聞こえてこない。
異常だと、今頃気づいた。
影の動きが止まる。
丁度、私の部屋の前で。
息が止まる。
来るな。入るな。立ち止まるな。そのまま部屋の前から去ってくれ。
頼むから、という祈りは
「……はひゃひゃ、見ぃつけたぁぁ」
ギョロリとした血走る目が愉快げに歪んで、私を捉えた。三日月形の唇から黄ばんだ歯牙が見える。
障子の和紙の部分から人とは違うそれが手を離せば、ねっとりとした赤い液体が糸を引く。
私の口からは、あ、とも、う、とも呼べないうめき声が漏れて、それが歩く度に足が自然と後ろに下がる。
「うひひ、良かったぜぇ、逃げないでくれてよぉぉ。宿ってのはいいなぁぁ。たぁぁくさん餌が集まっててなぁぁ」
逃げ切れない、と気づいたのは部屋の壁に背中が当たってからだった。目の前には部屋の灯りを背にした大きな体がある。私を覆って余りあるその影の瞳は、赤く嗜虐的に鈍光を灯す。
「んじゃあ、いただきまぁす」
ガパリと開いた口には唾液が糸を引いていて、それが目の前に───
───私が最後に見えたのは、真っ赤にぬめった腐臭のする口内と、愛しい妻子の姿だった。
はじめまして。瑠璃色砂糖月と申します。
この小説を見てくださる皆様、本当にありがとうございます。
そして、いきなりで申し訳ないのですが……。
どうか鬼のアイデアをくださいませんか……!
血鬼術のアイデアがワンパターン過ぎて私1人では全く考えられないのであります。
よろしければ、読者の皆様で案を下さると嬉しいです。
つまり、鬼のオリキャラを作成していただきたいのです。
鬼の名前、性別、血鬼術、容姿、性格、よければ過去(鬼になる前)などを書いていただければ幸いです。
こちらで多少修正したり、私の文章力では表現しきれない部分が多々あると思いますが、「それ込みでもいいよ!」という心優しい読者様、どうかアイデアをお恵みください。
メッセージで送ってください。
長々と失礼しました。
それでは。
次の投稿は不定です。