宇宙暦640 ダゴン星域会戦
宇宙暦669 コルネリアス1世の大親征
宇宙暦682 フェザーン成立
宇宙暦696 シャンダルーア星域の会戦
宇宙暦720 ★第一話スタート
宇宙暦726 730年マフィア 士官学校へ入校
宇宙暦728 ジークマイスター亡命事件
宇宙暦728 フォルセティ会戦
宇宙暦730 730年マフィア 士官学校卒業
宇宙暦738 ファイアザード会戦
宇宙暦742 ドラゴニア会戦
宇宙暦745 第二次ティアマト会戦
宇宙暦751 ミヒャールゼン提督暗殺事件
宇宙暦765 イゼルローン要塞計画破棄
宇宙暦767 ヤンウェンリー誕生
宇宙暦770 シェーンコップ 祖父母と亡命
宇宙暦776 ラインハルト誕生
宇宙暦786 カーク・ターナー没
宇宙暦787 帝国フェザーンへ進駐
宇宙暦788 ウルヴァシーの奇跡
宇宙暦788←★ここ
※星間図は『銀英伝 星間図』で画像検索すると出てくる帝国軍が青、同盟軍が赤で表現されている物を参照しています
宇宙暦788年 帝国暦479年 8月末
惑星ハイネセン バー：レガリス
バグダッシュ大尉
「またこの季節が来ちまったな。そんな顔をしている辺りお前さんの胸のわだかまりはまだ解けてはいないようだな」
「親父さんも相変わらずだな。人の傷を抉るのが楽しそうだ」
「慰めの言葉を言えるようなまともな性格なら工作員なんて因果な商売をやる筈がねえだろう。それで？頼んだものは用意してくれたかい？」
「ああ。ここにまとめて入れてある。10月から導入される新式の偽造防止対策に対応した身分証だ。確認してほしい」
アタッシュケースを受け取り、中身を確認している老人を横目に、俺はロックグラスを傾ける。キンキンに冷えた強いアルコールが喉を通り抜けていく感覚。熱いのか？冷たいのか？どちらともいえる不思議な感覚で一瞬現実を忘れる。あの日から確認はしていないが酒量が劇的に増えた。だが飲まずにはいられない。
帝国の電撃的なフェザーン進駐からの同盟領侵攻。ファン統合作戦本部長が遺した想定のひとつで、宇宙艦隊は事前に作成されていた対策案に基づいてこれに応じ、第二次ティアマト会戦以来の快挙、帝国軍宇宙艦隊司令長官であるグレゴール・ミュッケンベルガーを始め、７個艦隊を撃滅する大戦果を上げた。軍だけでなく市民たちも歓喜に湧く中で、俺はその輪に入れず、毎晩酒を煽る日々を過ごしている。
「バクダッシュ、俺なんかから説教されたくないと思うだろうがまあ聞けよ。この世界じゃ舐められたら終わりだ。だからやられたらキッチリけじめを付ける。それは軍でも同様だろ？酒なんか舐める程度にしておけよ。ぼやぼやしてたらけじめを付ける機会がなくなるぜ？」
こちらに視線を向けながらソルティドッグ風に見えるグレープフルーツジュースを飲む親父さん。ひょんなことから適性を評価されローザス提督が統括されていた特命分室に任官されて以来の付き合いだ。
もっともこの世界にどっぷりの親父さん達からすれば、士官学校を出たばかりの俺など素人同然だった。良く言って雑用係だったが、予算も豊富でスパイ小説さながらの日々に俺は夢中で食らいついた。そんな日々を過ごして数ヵ月。あの事件が起こった。
「スラム育ちで碌な学も無かった。あの方々との出会いが無ければ裏通りで野垂れ死んでいただろう。そんな俺に仕事をくれ、報酬も弾んでくれた。プロとして敬意を持って接してもらった。そのお陰もあって家庭を持ち、子供たちはしっかり学を付けて表社会で敬意を持たれる仕事に就いた。
とても返しきれねえ恩だ。古参の連中は同じような経験をしている。死んで来いと言われたら喜んで死んだだろう。お前さんも自分で納得できるけじめを付けられるように祈ってるぜ。身分証もありがとうよ」
そう言ってグレープフルーツジュースを飲み干すと、親父さんはグラスの下に100ディナール紙幣を挟んでレガリスを後にした。それを見て思わず苦笑してしまう。
親父さんはターナー元帥の信奉者のような所がある。いろんな逸話のある方だが、レガリスで支払う時は決まって100ディナール紙幣をグラスに挟んでいたらしい。どこからかそれを聞きつけた親父さんもいつからかそれに倣うようにしたと小耳に挟んだ。
「そうは言うけど、『もし』を考えずにはいられないよ。親父さん。俺が気づくのが１日、いや数時間早ければターナー元帥が死ぬことは無かった。ベッドに入るとあれから毎晩それが頭をよぎるんだ」
引退して念願だったビジネスの世界に戻り、隠居生活と言うには精力的な生活を始めたターナー元帥が暗殺されたのは２年前。捜査の結果、心臓発作で亡くなったウォーリック元帥、事故死したジャスパー・コープ両元帥、そして肺炎で亡くなったファン元帥にまで暗殺の可能性が出て来た。発覚のきっかけを掴んだ俺は昇進したが、それも喜べなかった。
そして分室の責任者だったローザス提督は、責任を取る形で辞任し分室の解室が決定された。情報部の防諜課に異動した俺は、工作員とのつなぎ役を続けているが、予算の少ない情報部から出る雀の涙のような報酬で、この世界でも凄腕の親父さんのような連中が文句も言わずに動いてくれるのも恩人たちを守れなかった贖罪からだと思っている。
「けじめか.....。フェザーン侵攻作戦は粛々と動き出している。親父さん達の動きを活かす意味でも、俺がやさぐれている訳にもいかないか.....」
被害者がある意味国家の元勲だった為に、捜査も苛烈を極め、最後の手段とされた自白剤の使用も許可された。確保した容疑者全員がフェザーンから帰化した経歴を持ち、一部は反社会的教団としてマークされていた地球教信者である事も判明したが、捜査が苛烈だったために証拠の信憑性にも疑問符が付いた。意味の分からないことを喚くだけ喚いて自殺した容疑者もいたほどだ。
「事実が明らかになれば、このわだかまりはすっきりするんだろうか？」
まだ中身の残ったロックグラスを脇に寄せてグレープフルーツジュースをオーダーする。それを飲み干すと、グラスに50ディナール紙幣を挟んで、俺もレガリスを後にする。国父ハイネセンの肖像が描かれた100ディナール紙幣ではなく、彼を支えたグエン・キム・ホアの肖像が描かれた50ディナール紙幣を選んだのは、表舞台には立たず、主戦力を支える情報部の役割とどこか似た彼の生涯に感じる所があったからだ。
この日から就寝前にグレープフルーツジュースを飲むのが俺の日課となる。フェザーン侵攻作戦が煮詰まっていく中で、防諜課でありながら情報参謀付き補佐官として従軍を許可されたのはこの日の１年後のことになる。
宇宙暦788年 帝国暦479年 10月末
惑星ハイネセン 公安局 要人警護課
カスパー・リンツ少尉
「リンツ少尉、要人警護課としては君の経験を高く評価している。あの一件は不幸な出来事だった。だが、それを糧として貴官は要人警護課の設立メンバーとして尽力してくれた。私としてはこのまま要人警護課で能力を発揮してもらいたいのが本音なのだが......」
「課長、お言葉ありがとうございます。お許し頂けるなら、薔薇の騎士大隊への志願をお許し頂きたいのです。ターナー元帥を守れなかった事は、今でも胸のつかえになっています。フェザーン侵攻作戦に参加する事で自分なりのけじめを付けたい。お許し頂けないでしょうか？」
『作戦終了後に復帰の第一候補とする』事を条件に、渋る課長を説得して許可を貰えたのは10分ほどの再考を促す課長との攻防を経た後だった。帰化した捕虜の父親を持つ私は、辺境星域ではありふれた経歴を経た。
地元の初等学校に通い、ハイスクールには通わずに地元星系の軍専科学校を経て16歳で下士官待遇となった私は、ナイフを使った格闘術への特性を評価されて要人警護課の前身である警護課にスカウトされた。
『ハイネセンのもやしどもに新亡命派の意地を見せてこい！』
軍専科学校で良くして頂いたシェーンコップ先輩は、そう言って送り出してくれた。警護課で研修を終えて護衛の任に就いたのが６年前。私にとっては財務委員長と言うイメージが強いターナー元帥だった。
『政界を引退して隠居生活を始めた老人の警護に君のような前途ある若者を当てるとは人的資源の浪費だ』
そう言って警護を解こうとされた事には驚いたものの、引退したからこそターゲットとなる可能性が低いため、新人の経験を積む意味でも警護を継続させてほしいとの打診を受けると、元帥は渋々それを受け入れた。
『若者が汗をかいている前で食事を楽しめるほど俺は図太くはないぞ！』
孫のような年代の私を何かと気遣ってくれ、食事にもよく同席させて頂いた。まだ成長期だった私にとって、食事つきの護衛任務は何かと嬉しい物だった。そして私の何でもない身の上話を喜んで聞いてくれた事も印象に残っている。
後から考えれば当然の事だったのかもしれない。地元の名士で私も世話になったケーフェンヒラー大佐と密に連絡を取り合い、開発事業費をもぎ取っていたのが元帥だったのだから。
『画家か.....。良い夢じゃないか。軍人なんて因果な商売だ。政治家に比べたらマシだがね。ただ、こんなご時世じゃ食べていくのも大変だろう。商売として考えるなら肖像画だな。経済成長が続けば可処分所得も増える。そうなると写真じゃなくて肖像画を遺したいというニーズも生まれるんじゃないか？』
食っていけないと諦めた画家になる夢の事を零すと、元帥はむしろ応援してくれた。ひとり目の肖像画のモデルにも渋々ながらなって頂けた。それがきっかけでマフィアの関係者から打診が来るようになり、本業まではいかないが、副業として成立しだした頃、あの事件が起きた。
『全く、老い先短い老人の余生を２日も潰すとは.....。老いては子に従えというが、現役の連中は余程暇なようだな。俺の健康状態なんかより気にすべき事は沢山あるだろうに......』
急遽健康診断の為の検査入院を依頼する打診が統合作戦本部から届いたのが数日前。本来予定されていた試飲会をキャンセルすることになった元帥は、珍しくボヤいていたのが記憶に残っている。
『お前さん、今日は大事な日じゃないか。老人の警護なんてしている場合じゃないだろう？これで花束でも買って、ちゃんと祝ってやりなさい。迎えは明日の昼過ぎで構わないから』
検査入院の日は、絵画教室で知り合い付き合っていた美大生の誕生日だった。何度も謝辞したがポチ袋を押し付けて譲らない元帥に押し切られる形で私は病室を後にした。
『元帥はご無事か？今すぐ警戒態勢を取ってくれ。増援も手配した』
当時のバクダッシュ少尉からそんな緊急連絡を受けたのは生花店で花束を買った時だった。買ったばかりの花束を投げ捨てて病室に急行したが、もう手遅れだった。
病室で待っていたのは事切れた元帥と右膝を撃ち抜かれ、あごを砕かれた年配の看護師だった。元帥は最後まで逃がすまいと抵抗されたのだろう。左手で看護師の右腕の掴んだままのお姿だった。
『相手は元帥達の暗殺の為に何十年も暗躍してきたんだ。半端な覚悟じゃねえ。お行儀よく取り調べなんて通用する相手じゃねえだろ？見ていて気持ちの良い物でもない。お前さん達は少し休憩でもしてきたらどうだい？』
18時間の尋問に黙秘を貫いた暗殺犯。元帥に顎を砕かれた事で自決は出来なかったが、奥歯には青酸カリが仕込まれていた。どこからともなく現れた年配の男性が尋問官たちにそう言うと、彼らは悔し気な表情をしながら取調室から出て行ったと聞いた。数時間後には数名の名前が浮かび上がり、翌日には全員が取り調べを受けていた。
『隠居されてまで警護付きじゃ元帥も煩わしいだろうにと思っていたが、あんたの事は気に入っていたみたいだった。この件は報酬を貰いながら連中の存在に気づけなかった俺達の落ち度だ。責任なんて感じるんじゃねえぞ？半人前の護衛官ごときに責任を感じられたら、俺達の立つ瀬が無くなる』
護衛対象から押し切られたとは言え、持ち場を離れた私は処分の対象のはずだった。指示を確認する前に帰宅する訳にもゆかず、とは言えそんな事をしている余裕が上官にもない数日間。
雑用係のような形で捜査に参加していた私に、名も知らぬ年配の男性が声をかけて来た。彼が『親父さん』と呼ばれているベテラン工作員である事を、バクダッシュ少尉から後日聞かされた。
『数時間で良かった。早く作業に取りかかっていれば......』
バクダッシュ少尉は悔し気にそう呟いていた。任官したばかりだった彼は親父さんを始めとした業界の先輩たちに揉まれながら過去の資料を業務外の時間も使って読み込んでいた。
その中でウォーリック元帥とファン元帥が病死した時期に病院が違うにも関わらず同じ看護師が担当していたという事実を掴んだ。そしてその看護師の現在の勤務先がターナー元帥の検査入院先である事も。
捜査の過程で明らかになった事だが、軍のデータベースセンターのメンテナンスを行っていた企業に潜り込んだ工作員が、指示の改ざんを行って実行犯のいる病院へターゲットを入院させる。
その上で、心臓発作を誘発させる薬や、免疫力を一時的に低下させることで肺炎を誘発させる薬を看護の合間に投与するというのが彼らの手口だった。数日後には軍関連の企業からフェザーンからの亡命者が一斉解雇された。
そして一週間後に開催された臨時最高評議会でフェザーン自治領への弾劾、正式な回答までの国境封鎖・交易停止。そして亡命者受け入れの永久停止が決議され、即日施行された。
『極端な思考の持ち主数名の行いをみて、フェザーン派を貶める事には納得できない。軍の横暴をみても差別されているのは明確だ。このような事は民主共和制の精神にも、同盟憲章にも反するものだ！』
フェザーン派排除の流れに危機感を覚えた憂国党のサンフォード党首はそう訴えたが、この声明を切っ掛けにフェザーン派への風当たりが一気に強くなった。
『嫌なら出ていけ！』
『同盟の努力に無料乗りする連中を許すな！』
そんなデモが各地で行われ、フェザーン派資本商店への襲撃や企業製品への不買運動も巻き起こる。危機感を高めた憂国党幹事長のトリューニヒト代議員は帝国との全面戦争論やフェザーン併合論を唱え、タカ派の取り込みを狙った。だが彼が徴兵免除申請を出していた事が明らかになると、批判の声は更に高まった。
亡命時に多額の資産を持ち込んでいたフェザーン派は教育水準も高く、士官学校よりも自治大や記念大に進む傾向も強かった。それが悪い事だとは思わないが、軍内部で少数派にも関わらず全面戦争論を唱えるのには私も違和感を覚えた。
この動きを静かに見守っていた新亡命派は、志願者で構成する『薔薇の騎士大隊』の設立を宣言する。これによって新亡命派とフェザーン派の明暗は別れた。
もっとも暴動や略奪の際にそれを見て見ぬふりをした治安組織員も多く、フェザーン派からしても今更軍に志願した所で、不当な扱いを受けるだけという判断もあったようだが.....。
「元帥、軍人なんて本当に因果な商売です。ただ逃げるわけにもいきません。フェザーンに出征してもけじめが付くかはわかりません。貴方は志願なんかしやがってと仰るかもしれませんが.....」
荷物の整理を終え、『薔薇の騎士大隊』の本部があるウルヴァシーに向かうシャトルの中で私は思わず呟いた。因果に飲み込まれてしまった以上、自分なりにあがいてみるしか選択肢はないのだから。
カークはネタ元の人同様、当初は病死にするつもりでした。地球教・フェザーン側からすると何本も取られた相手ですからそのまま放置するのも違う気がしてこういう形にしました。
フェザーンとの交易停止は同盟にとっても大きな決断なので、何かしらあったんだろうと予想していた方も多そうですが。では！明日！