AI制御の無人兵器のみで戦争をするようになった時代。発射より前に着弾する最終報復兵器アースバスターが各国の切り札となっている時代。アメリカ空軍のN・K・メルストロは無人爆撃機に攻撃命令を下す退屈な日々を送っていたが、上層部に非戦闘員を巻き添えにする空爆を強要される。人の死なないはずの戦争で生じた犠牲。急激に高まった政治的・軍事的緊張が世界を全面戦争へと導く。N・Kは敵のアースバスター発射基地を攻撃するよう命令を受けるのだが……

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幼年期のままで

 戦場へは、出撃するのではなく、ログインする時代になった。

 

パロマ(Paloma)1-1、キングクテノポマ。IPに接近。クロノス、ビジュアルID。攻撃許可に変更なし」

「キングクテノポマ、パロマ1-1……」

 N・K・メルストロは、いつまでも熱いだけが取り柄のコーヒーを口にしたところで、作戦司令部、コールサイン〈キングクテノポマ〉のボイントン大佐からの音声無線が飛び込んできたので、ややむせながら返答した。

 ワンルームの安アパートみたいに座ったままで室内のどこにでも手が届く、狭苦しい、薄暗いコンテナ内で、十時間もモニターを眺め続けていて、集中力の低下が深刻であると自己分析。N・Kは左側頭部にマウントしているウェアラブル端末を操作して、自身の体内ナノマシンに指令を送る。彼女自身の体温をエネルギー源とするナノマシンの群れが内分泌系を調整。睡魔が駆逐され、すぐさま意識が澄み渡る。

「パロマ1-1との通信状況、ファイブ。レーザー目標指示装置、テスト。正常。突風なし。敵ECMに対しフレンドリーのECCMの実行を確認。攻撃前自己診断テスト開始」

「おもちゃじゃない。気を緩めるな。最近の若い兵士は、戦争とゲームの区別がついていない。戦争とはストレスとの戦いだ。苦痛知らずのe-ソルジャーは、ただ待つだけのストレスも耐えられないのか?」

 おもちゃじゃない。ボイントン大佐の口癖だった。UAVのトリガーを担当する兵士を揶揄するe-ソルジャーという蔑称に、N・Kは少し苛立つ。すぐに端末でオキシトシンを分泌させる。苛立っていたのがたちまちばかばかしくなるくらい落ち着く。

「まるで拷問です。待っているあいだに退役しそう」

 地球の裏側から衛星経由で送信されてくるUAVの空撮映像は、代わり映えのしない、のっぺりとした砂の風景が延々と繰り返されるばかりで、彼女はずっとそれを見せられ続けている。タクラマカン砂漠はこの三年で面積を倍にしていた。

「兵士の仕事は、戦闘が一割、デスクワークが三割、見張りが六割だ」

「自己診断テスト、数値はすべて許容の範囲内。作戦の遂行に問題なし。見張りこそAIに任せるべきでは?」

「目標への往路で迎撃機との戦闘になればトリガーの出番になる。きみにはログアウトを命じられるまで即応可能状態を堅持する義務がある」

 だから攻撃許可を出すしか仕事がなくとも、UAVの巡航開始から目標到達まで、トリガーであるN・Kがずっと画面前に張り付いていなければならない。

「自己診断の結果をこちらでも確認した。クロノスからリクエストがあれば即時攻撃」

「終わればわが家でドミノピザを頼みたいです。十四インチのハンドトス生地に、脂ぎったチェダーチーズとペパロニ。ぬるいビールもつけたい」

「A1Cメルストロ、復唱しろ」

「e-ソルジャー・メルストロ、コピー。クロノスからのリクエストで即時攻撃。きっとウェルダンの焼き上がりを見せてくれますよ」

「よく機械に感情のコントロールを任せられるな」

 急旋回する話題がN・Kに新たなストレスを生じさせる。感情が小火(ぼや)のうちにオキシトシンの水をかける。

「原理上はありえないとわかっていても、ハッキングされたらと思うとわたしは気が気でないよ」

「感情は伝播します。コンピュータに頼らなくても、ことばで相手の感情は簡単にハッキングできますよ」

 現にあなたには苛々させられていますから、と胸の(うち)で呟く。

 無辺際と思われた砂漠の空撮映像に、変化が起きる。戦術AI〈クロノス〉が認識したターゲットが、映像にオーバーレイされた緑の正方形で囲まれた。数は計画どおり二十三。中国空軍の無人戦闘機部隊に燃料を供給する無人の石油精製施設を、機体の航法から火器管制まで制御下に置くクロノスが捕捉、レーザーを照射する。ミサイルのシーカーが反射光を受光。

 攻撃可能のグリーンライトが画面に表示された。クロノスが攻撃許可を要請してきた。ログインから十時間半かかってようやく仕事がきて、N・Kはわくわくする。敵施設のレーザー警戒装置も照射を感知しているはずだ。「燃えろくそったれ」引き金を引く。それがクロノスへの攻撃承認の合図となる。

 味方の無人電子妨害機のECM支援を受けて敵の接近阻止・領域拒否(A2/AD)空域を難なく貫通、爆撃航程に入ったBQ-17Bノルフェラボウ無人爆撃機、コールサイン〈パロマ1-1〉は、いま、N・K・メルストロという一人の人間から許可を得て、爆弾倉(ウェポンベイ)にたらふく搭載してきたセミアクティブレーザー誘導ミサイルを空爆プランどおりの目標へ発射した。

 画面のなかで独立記念日みたいに火柱があがる。緑の四角形が瞬時にすべて消える。爽快感にN・Kは口笛を吹く。MAの表示。任務完了(Mission Accomplished)。達成感。ナノマシン由来ではなく、条件付けされた脳から湧き出た生の感情。

「こちらキングクテノポマ。グッドキル。次はパス(Paz)2-3にログインせよ」

 クロノスによってタクラマカン上空で旋回、帰還航路を設定されたパロマ1-1から、モニターは認証画面に切り替わる。N・Kが官姓名と、素数を元に暗号化された作戦用パスワードを打ち込む。ログイン。電子の門番が門を開き、モニターは白黒の粗末な街並みの景観へとN・Kをいざなう。エチオピアのディレ・ダワ北方上空を巡航する、パロマ1-1と同型機のパス2-3からの暗視映像だ。所々に白い火影が散在している。露払いの無人機部隊が潰した敵対空兵器の残骸だ。アサインされたN・Kは、アメリカ合衆国ニューメキシコ州ホロマン空軍基地のGCS(地上管制ステーション)コンテナにいながらにして、中国大陸の機体に攻撃命令を出した十秒後には、別の爆撃機から真夜中のアフリカ大陸を見下ろすこととなった。

「グリーンライトが出たら引き金を引け」

「コピー。簡単なおつかいですよ」

「おもちゃじゃないぞ」

 N・Kはまた脳内物質のバランス調整を自分に命じる。年寄りはなぜおなじことを何度も口にするのだろう。N・Kはボイントン大佐の顔を知らない。きっと、かつてはF-35Aの最初期パイロットとしてアグレッサーにまで上り詰めた、筋金入りの戦闘機乗りだったというこの空軍大佐は、戦争にきらめきや魔術的な美を見出だしたいタイプの男なのだろう。

 モニターでは、機の進行方向に、小規模ながら洗練された建造物群が唐突に現れる。十九世紀ごろの辺境に、そこだけ現代の風景を切り取って貼りつけたかのようにアンバランスだ。グリーンライトが点灯する。クロノスが攻撃許可を求める。N・Kはトリガーを引いて許可する。人差し指を用いた、AIとの唯一の会話。パス2-3のコールサインが割り当てられているBQ-17Bが爆弾を落とす。クロノスが策定して、N・Kの知らないだれかが承認した爆撃プラン。N・Kが許可して落とした爆弾。責任の所在はどこに、などと喚くやつはいない。空爆目標は無人化された中国資本のUAV製造工場だ。赤外線監視映像が白く焼けつくほどの大爆発に見舞われていても、パロマ1-1の空爆でだれも傷つけなかったように、パス2-3の航空攻撃も死者どころか怪我人すら出していない。アメリカが中国との戦争(ゲーム)で一歩か二歩かリードできただけだ。

「任務完了。A1Cメルストロ、コンテナ内で待機しろ。次の任務は三時間後」

 ボイントン大佐の指示をN・Kはあくびを噛み殺しながら復唱する。コンテナには冷蔵庫がある。簡易キッチンもトイレもある。仮眠用ベッドもある。空軍が誇るとっておきのコーヒーメイカーもある。ピザが頼めないのと、外へドンキンドーナツとスターバックスを買いにいけないのを除けば快適だ。つまり不愉快極まりない。

「三時間後には死体が転がっています。死因は、この豚の蹄を焙煎したような味のコーヒーだと書いてください」

「便所もある。めしも食える。文句をいうな」ボイントン大佐が噛みついてくる。「わたしが戦闘機に乗っていたころは、身動きすらとれなかった。長距離フェリーではオムツを履いていた」

 はじまった、とN・Kはうんざりする。歳をとった男ってのはどいつもこいつも、おれが若いころはこうだったと、娘ほどの女を捕まえて苦労話と自慢をしたがるんだから……。階級が目も眩むほど高い上官だからなおのことたちが悪い。

「あのころ戦闘機パイロットは、毎回フライトに命を懸けていた。いや、戦闘機だけじゃない。あらゆる航空機のパイロットがだ。飛行中になにかトラブルが起きても、だれも頼れない。自分の手で対処しなければならない。墜落すれば、それはすべてパイロットの責任だ。かりに法的責任をまぬかれても、パイロット仲間からは一生後ろ指を指され、冷笑される。生きていようといまいと。それだけの覚悟を背負って飛んでいた」

 人間にしかできない仕事は、じつは驚くほど少ない。ルービックキューブを解くAIの開発に原発三基が一時間に発電する電力量が必要なほど、AIは大食らいだった。だがエネルギー問題はAI自身が独創的に解決した。この時点で、低燃費のマニピュレータとセンサー群だった人間は、コスト面ですらAIに対する優位性を失った。人間はAIの完全下位互換になったのだ。いまや人間にしかできない仕事は消費者という役割だけといっても過言ではない。

 軍においても人間は「最後の仕事」以外にすることがない。ボイントン大佐もきっと無聊(ぶりょう)をかこっておられるのだろう、とN・Kは内心で思ったりする。

「いちおう伝えておく。パロマ1-1が撃墜された」

 帰還途中にパロマ1-1を含むストライクパッケージが敵UAVの奇襲を受けたのだという。高度なステルス性に気象条件が重なれば敵ミサイルの射程内に接近されるまで探知できないこともある。

「そうですか」

 N・Kは生返事にならざるをえない。機体の代わりはいくらでもある。

 

 アメリカ軍における航空戦力の稼働機は、七割が人工知性による自律型UAVに置き換わっている。少なくとも空爆任務では機体に直接乗り込むパイロットは用済みとなった。危険だからだ。

 機能面で無人機は有人機の上位互換と断言できるようになっても、まだ全機を無人化してしまわないのは、むかし、ミサイル万能論という当時としては先進的で革新的だったはずの思想が、暑苦しい熱帯雨林の国での戦争でみごとなまでに裏目にでて、そのトラウマがいまだにアメリカ空軍の脊髄に根深くこびりついているからにすぎない。N・Kがみるところ、軍の首脳部も議会も、積極的に有人機を運用することの純然たる利点は見いだせていないらしかった。事実、マクナマラの再来との呼び声も高い国防長官は、全軍からの有人戦闘ユニットの完全撤廃を強力に推進している。

 要は、政治的な事情で無人機が投入できないというような、あるかどうかもわからない状況のために、ほとんど奇貨居くべしの精神で有人機部隊を最低限維持しているだけである。

(わたしのキッチンの棚にストックしてある、ヨーグルトとかジャムの空き容器と同じだな……)

 使うかどうかはわからない。かといって捨てるのももったいないからとっておく。いつか使うかもしれない……。かつて戦争の花形だった有人機パイロットはいま、食べ終わったヨーグルトの空き容器の地位に甘んじている。

 それでもボイントン大佐はきっと、戦闘機の九割がUAVに更新され、あからさまにファイターパイロットが斜陽の存在だと突きつけられようと、たとえ出番もないまま忘れられて埃を被る空き容器に過ぎなかろうと、残り一割のほうに入りたかったに違いない。なのに、よりにもよって無人戦闘攻撃機(UCAV)のみを装備する第49航空団の司令に任命されたのは、皮肉としかいいようがない。

「飛行機は人間が飛ばしてこそのものだ。それがいまでは」ボイントン大佐の酒と煙草で徹底的に痛めつけられ荒らされた(しわが)れ声で、N・Kは我に返る。「いくら撃墜されようと、墜落しようと、予備の機体にログインし直せば何度でもやり直し(コンティニュー)ができるゲームになってしまった……」

「人は戦争で死ななくなりました。リスクを排除できるテクノロジーができたから。そうできるのに、感情的な理由で採用しないのは、ただの愚か者では?」

 いってから、N・Kは後悔した。ナノマシンによる感情操作で受け流しておけばよかった。だが、口に出した以上は、撤回できないのだから、最後までいいきることにした。

「たしかにパイロットはエリートの領分でした。少尉(エンサイン)からじゃないと戦闘機パイロットにはなれなかった。新人パイロットを殺しまくる欠陥機に少尉抹殺機(エンサイン・エリミネーター)とあだ名がつけられたように。しかし、作戦遂行のほとんどの行程を自動化したいまの体制のおかげで、A1CのわたしでもUAVのトリガーが務まっています」

 UAVも制御が手動だった時代は、操縦と火器管制のオペレーターは士官だった。BQ-17での空爆は専門知識も訓練も必要ないため一等空兵(A1C)、つまり下士官でも担任できる。

「だから、こうして仕事を得て、生活費が稼げる。わたしにとってはいい時代です」

「いい時代だ。そうだ。たしかにいい時代になった」N・Kには、無線越しに顔も知らないボイントン大佐の皮肉げな笑みが想像できた。「わたしの時代より恵まれているのだから、不満などないはずだ。そうだろう、メルストロ一等空兵?」

 

  ◇

 

 理論上は最新型のM666十三発で地球が真っ二つになる超破壊力を誇る最終報復兵器、アースバスター爆弾が、世界の仕組みを変えた。ネヴァダで行なわれた世界最初のアースバスター実験では、起爆の数分前に地球上のあちこちで衝撃波が検知された。あまりの威力に時空間が歪んだため、起爆より前に爆発の衝撃が発生したと考えられた。実験から十八年経ったいまでも、ユッカ平原の爆心地は直径五十マイルに渡って時間の流れに遅延が見られ、中心の直径三〇〇フィートに至っては完全に静止状態にある。空軍が十五年前に爆心地へ投下したトイレの便器は、まだ高度一五七フィートの空中でぴたりと固定されている。だがその静止空間が地球から引き離されることはない。時間が止まっているのに、地球の一部として自転と公転を続けている。その矛盾を説明できた科学者はまだいない。

 アメリカの後を追うように大国は続々とアースバスターを保有した。核兵器廃絶は成し遂げられた。核兵器より安く、強く、クリーンなアースバスターに取って代わられたからだ。

 同時期にAIが人間の創造性をも超え、戦場において人間以上に正確かつ迅速な判断を下せるようになって、イノベーションが起きた。人の死なない戦争だ。無人兵器どうしで戦争をする。そのリザルトで勝敗を決する。これに従わなかった場合はアースバスターを最終手段とした制裁を加える。

 報復の確実化のため世界各国はこぞって同盟を結んだ。アースバスター同盟と通称されるその同盟関係は、戦争(ゲーム)のルールを戦争当事国に厳守させた。背けば当事国ならびにその同盟国がアースバスターで即時報復にでる。

 次世代兵器とはいえアースバスターそのものは単なる弾頭であり、運搬手段は核兵器と変わらない。弾道ミサイルもしくは戦略爆撃機である。だが、アースバスターは発射の数分前に着弾する。すなわち相手は防御のためのリアクションタイムはとれない。射たれれば絶対に防げず消滅する。

 ならばと先制攻撃しても、相手の同盟国からアースバスターを落とされる。

 もしアースバスターで同盟国が国ごと消えてしまって、盟約に違背して報復しなかったら、同盟は有名無実であると証明され、結果として自国に危機が及ぶ。だから同盟は確実に守られるはずである。この「はずである」に立脚した、互いが互いを疑いながらも信用しなければならない、新しい相互確証破壊(MAD)戦略の時代が幕を開けた。

 米ソ冷戦の崩壊後、戦争は民族的・宗教的感情に根差した非対称戦に移った。ゲリラ。テロリスト。そういった武装組織では理性ではなく感情的な意思決定がなされることがしばしばだから、相手に政治的妥協策を探る知性を期待する相互確証破壊(MAD)思想はあまり意味をなさないとされる。だが、理性的な国家相手なら相互確証破壊(MAD)は依然として有効であることもまた事実である。

 縮小された正規軍の代わりに雇用の調整弁として戦場の主役となって久しかった傭兵(コントラクター)による虐殺や強姦などの戦争犯罪が、深刻化の一途をたどっていた。人間は戦争の実行者として不適格だった。あらゆる肉体労働の職場がそうなったように、戦場も無人化が推し進められた。

 一撃必殺かつ防御不能のアースバスターと強いAIが、裏切りを確実かつ即座に制裁する背景と、無人兵器のみで終始する戦場を整備したことで、人類は有史以来はじめてルールを守って戦争ができるようになった。

 しかし、まだここまでAIが発達していなかった時代に各国が締結ずみだった、AI制御のUAVからいかなる物体も切り離してはならないと定めるアシモフ条約のため、戦争の全行程を機械に任せられない。そのため攻撃だけは人間が担当する。引き金を引く兵士はトリガーと呼ばれた。N・Kからすれば、自分の仕事は無人兵器(おもちゃ)無人兵器(おもちゃ)を壊させる茶番としか思えないのだった。

 

「A1Cメルストロ、キングクテノポマ。パロマ1-8にログイン。チェックリスト。――レーザー目標指示装置、テスト。正常」

 タイマーで分泌させた覚醒物質で仮眠から目覚めたN・Kは、チベット・アムド地方の褐色の眺望を俯瞰(ふかん)するパロマ1-8のトリガーとなる。

 月か火星のような光景のなか、神が蒼空に雲を描こうとして白い絵の具を大地に落としたかのような塩類平原が、陽光に純白の輝きを返している。その塩のかたまりはコネチカット州より大きい。それこそボイントン大佐が戦闘機乗りだったくらいの時代、別名大昔には青海湖(チンハイフー)の名のごとく紺碧を湛えていた内陸塩湖だったが、いまでは干上がってアジアのユタ州になっている。

 乾燥塩湖のそばに基地と滑走路がある。無人機を運用する無人の空軍基地だ。クロノスが攻撃目標をビジュアルID。プランニングに従って兵装投下目標をロックオンする。もっとも効率がよいとクロノスが判断して策定した爆撃計画。画面にグリーンライトが灯る。

 N・Kは引き金を引いた。だがミサイルは発射されなかった。

 さっきまでグリーンライトだった表示が赤い文字で「攻撃不可」に変わっていた。N・Kが許可を出す寸前、クロノスがグリーンライトを咄嗟に取り消したのだ。

 射つな、とクロノスがいっている。

 なにか理由があるはずだ。N・Kはディスプレイに目を走らせる。目標をターゲッティングしている緑の四角形の群れに交じって、赤い四角形がいくつか。それらは真っ白な塩の平原を高速で移動している。拡大する。N・Kはヘッドセットのマイクをつまんだ。

「ボイントン大佐、攻撃目標付近に人間がいます。攻撃不可」

 ややあって、

「こちらでも確認している。戦時国際法では、戦時下にUAVを運用する施設の半径六マイル以内に人間が立ち入ることを禁止している。殺害しても戦争犯罪には問われない」

「民間人です。非戦闘員です」

 ズームした映像をボイントン大佐へ転送する。恐竜なみに骨董品のオートバイで疾走するライダーたちは、何十トンもの爆弾を抱えたアメリカ空軍のUCAVに天空から見下ろされているとも知らずひたすら疾駆している。走るバイク、というものをN・Kが見たのは、これが初めてだった。工場に向かっていたバイク乗りたちはある一定のラインを越えると揃って速力を落とした。横一列に整列し直して、今度は工場に背を向けて、また走り出す。

 彼らがなにをしているのかN・Kには見当もつかない。目的地は製造工場ではないのだろうか。

「意図的にUAV関連施設に配置していると評定できないかぎり、非戦闘員の殺傷は禁じられています。クロノスも攻撃不可と」

 直後、ボイントン大佐がシステム要員に命じるのが聞こえた。「オーバーライドしろ」

 司令部の指示でクロノスのメソッドが再定義。動作が上書きされる。N・Kのモニターでも赤文字の射撃不可が消えてグリーンライトとなる。

 攻撃できないと訴えていたクロノスが、今はなにごともなかったかのように爆撃可能といっている。N・Kには、非戦闘員は殺傷しないというクロノスの良心が、ボイントン大佐によって麻痺させられたように見えた。

「待ってくださいボイントン大佐」

 N・Kは食い下がった。非戦闘員を殺してはならないと機械に教えたのは人間だ。その人間が、明確な根拠も示さず、勝手な理屈で殺してもよいと論理を翻すのは、あまりにもご都合主義が過ぎるのではないか。原理原則を重んじるのが理性のなせるわざとするなら、人間は、人間性という最後の砦さえ機械に劣ることになりはすまいか。なにより――自分自身でも意外な感情だったが――殺人はできないと訴えたクロノスに、人間を殺させたくなかった。

「彼らに避難勧告を出してください。それができないなら、彼らが加害範囲外に出るまで……」

「時間がない。無人早期警戒管制機(UAWACS)が当該空域に高速で接近する複数の機影を捉えた。敵のCAP機だ」

 爆撃機であるBQ-17は、対航空目標に特化した戦闘機相手では歯が立たない。味方の無人戦闘機部隊との戦闘を敵の何機かがかいくぐってきたらしい。

「この基地は高価値目標だ。いま叩かねばこちらが痛打を受ける」

「しかし……戦争で人を死なせるなんて」

「きみがやらないなら随伴の予備機に攻撃させる。その場合きみは命令不服従、国家反逆罪で起訴される」

 乾燥塩湖を疾駆していたライダーたちが、知ってか知らずか基地のほうへ猛スピードで接近。いますぐ射てば助かる可能性があるかもしれない。だが、もう少し待てば、引き返して遠ざかっていくかもしれない。

「メルストロ。AIは人間の補佐であって、相談相手でもなければ人間の主人でもないのだ」

 コンテナにひとりぼっちで、N・Kの人差し指は引き金に添えられたまま小刻みに震えた。クロノスはグリーンライトで射撃許可を待っている。心拍数と呼吸数が跳ね上がる。これから何度も夢に見るのだろうなと、どこか冷めた気持ちで他人事のようにぼんやり考えている自分がいた。

「だめだな。予備機のトリガーに連絡しろ」

「待ってください」N・Kは無線の向こうに叫んだ。それから静かに宣言した。「やります」

 N・Kは引き金を引き絞った。パロマ1-8からミサイルが全弾発射される。一瞬にして格納庫や滑走路が黒煙に染まった。音声がないからいまいち現実感がない。N・Kは腰を浮かせて、必死に生存者をディスプレイに求めた。風で黒煙が流れる。倒れてはいるが、人がいた。よかった。助かった。

 だが、さらに煙が晴れて、その人間に下半身がないことがわかった。純白の塩類平原に赤い血潮がよく映える。腰から下がない上半身の断面からこぼれる、環形動物みたいにぐにゃぐにゃと曲がりくねった腸管と、赤紫色の肝臓の鮮やかな色彩が、高画質の大画面モニターにありありと映し出されていた。

 呆然としていると、画面がすさまじい速度で振られた。クロノスが酸鼻極まる情景からN・Kの目を逸らさせたのではない。回避機動だ。

 パロマ1-8がフレアとチャフをばら撒き、機体表面の冷却システム稼働とともにスライスターンで急旋回。アフターバーナーは使わずミリタリー推力のまま降下で気速を稼ぐ。ある程度進んだところでふたたびチャフ、フレアを射出して右に旋回。機体表面をアルゴンガスで冷やせば画像赤外線誘導型ミサイルから捕捉されにくくなる。

 警報。大量の赤外線と紫外線を検知。固体燃料の燃焼時にしか検出されないはずのカクテル波長と量。射たれた。ミサイル。RWRに反応なし。人間の目と同様の可視光誘導も併用されているタイプか、もしくはアクティブレーダー誘導ミサイルの中間誘導を自軍のUAWACSにさせているか。

 パロマ1-8のパイロットともいえるクロノスが、敵ミサイルの方位を高速推測。右上前方。機体の四ヶ所に搭載されたレーザー自己防衛システムが、固体レーザーを照射。自身はマッハ〇・八で上昇しながら、マッハ三強で飛んでくるミサイルの先端にある直径二十センチのシーカーに、光速の矢を寸分たがわず入射させる。直後に旋回。

 ミサイルはしばらく滑翔を続けたが、やがてパロマ1-8のカメラが空中爆発を捉えた。シーカーを目潰しされたので敵ミサイルの安全装置が働いたのだ。

 敵迎撃グループはそれ以上は追撃してこなかった。味方のファイターUAVたちが追いついた。友軍と敵機たちが数十マイルの距離を挟んだ視程外戦闘を繰り広げるのをしり目に、パロマ1-8はホームベースへと帰還していった。

 

 N・Kは背中をのけぞらせた。背もたれがきしんだ。ため息とともに顔を覆う。瞑った瞼の裏ではモニター越しの逃走劇がリプレイされる。敵機の武装を読んですぐさま回避機動に移った判断。冷却システムと効果的な機動。ミサイルを射たれても動じることなく、針の穴に針を投げて通すような精密さで完璧にシーカーを狙撃してみせた。

 そのあいだ、N・Kは何もしていなかった。e-スポーツの観客みたいにモニターを見ているだけだった。パイロットでもオペレーターでもないのだから、ずっと第三者でしかなかった。

 ボイントン大佐が「付随的損害は避けられない状況だった。貴官に責任はない。別命あるまで現状のまま待機」と、機械のように通達してきた。命令どおり引き金を引いただけだからN・Kは国際法違反には問われない。ほっとしたのも束の間だった。疑念がむくりと頭をもたげた。

(なんの責任もないのなら)

 自分がここにいる意義とはなんだろう。N・Kにはわからない。ストレスを緩和させるため、端末で向精神薬を血中に生成する。胸の奥から不快感が中和されていく。その不快感に、罪悪感という名前がつけられていることを、N・Kは知らない。

 

  ◇

 

「人が死なない戦争をどう思う」減らないコーヒーを無感動に喉へ流し込んでいると、ボイントン大佐が無線越しに訊いてきた。「個人的な会話だ。どう答えようときみの査定に影響はない。答える義務もない」

 人間と違ってマルチタスクを高精度にこなせるAIは、人々から退屈な仕事をほとんど奪った。残った仕事は、たとえば人間の意思が要求される場面でAIに承認を下すだけ。ボイントン大佐ももしかしたらN・Kのようにコンテナに閉じ込められているのかもしれない。

「戦争は必ずしも人が死ななくてはならないものではありません」

 乾燥塩湖のライダーたちの死は、公的には不可測かつ不幸な事故だ。戦争の目的は殺人ではない。

「国家間における戦争は、当事国の一方が、戦争の継続が不可能であると意思決定し、表明し、相手国がこれを受諾することで終了します。戦争における戦闘行動はどちらの敗北であるか証明する作業ともいえます。その結論に到達するひとつの要因として、UAV世代以前なら、多数の兵士ならびに市民の殺害は挙げられるでしょう。しかし、理論的には、敗北が証明された段階で降伏すれば、実際に犠牲者を出す前に戦争は終了します。つまり戦争は必ずしも人が死ななければならないわけではありません。戦争は外交の一手段です。戦争を根絶することができない以上、人口減とAIの発達によって、人命を浪費しない形態に移行したのは、当然のなりゆきであり、合理的であると思います」

「教科書どおりの回答だが、まあいいだろう。わたしが空にいたころの戦争は、国家によって承認または推進された計画的な大量殺人だった。相手に力を示すにはできるだけ多くの敵国民を殺すことがいちばん効果的だった」

 ボイントン大佐がすこしのあいだ、言葉を途切れさせた。それから思い出したように、

「きみは、むかしは自動車を人間が手動で運転していたことを知っているかね」

「話だけは」

「どうやって運転していたと思う」

 さきほど見たバイクならなんとなく想像できる。だが車となると、どう操縦に介入していいかわからない。これまで考えたこともなかった。

「アクセルペダルというものがあって、これを踏むと加速する。ブレーキペダルを踏むと減速だ。そして、ハンドルという操舵輪のようなもので、右に曲がったり左に曲がったりする。そうして運転する」

「人間が、自分の目で周囲の状況を把握して、手足でペダルやハンドルを駆使して操縦を?」

「そういうことだ」

「信じられません。人間の能力には個体差がありますし、同一人物でもそのときどきによってパフォーマンスは上下します。人間の視界や注意力なんてたかが知れていますし、操縦を任せるに値する存在とは思えません。たちまち道路はスクラップ置き場になるのでは?」

「実際わたしの若いころは、車どうしや歩行者との接触事故が絶えなかった。毎年何万人もの人間が犠牲になっていた」

「事故のリスクにはどう対処していたのですか?」

「事故が起きるに任せていたよ」

「……野蛮な時代ですね」

 N・Kは失言だと後悔した。

「構わんさ」

 含み笑いでボイントン大佐は返した。

「自動操縦が実用化されてからも、手動操縦型の自動車はしぶとく生き残り続けた。ユーザーからの要望でね。安心安全な自動操縦より、自分の手で運転する車を望むドライバーは多かった」

「ドライバー?」

「ああ、車を運転する人間をドライバーというんだ。パイロットのようなものだ」

「なぜ操縦したがったのですか」

「人間は機械より自分のほうが優れていると本能的に思いたがるからだ。自動運転の試作車が、車道を横断していた歩行者をはねる事故もあった。どうやらAIとしては、交通ルールを守らない人間は人間ではないので回避の必要はないと判断したらしかった。動物は轢いても構わないとプログラムされていた。そういう、AIの学習量が足りなかったころのイメージが根強く残っていたんだな。また、そうして事故が起きたとき、事故の責任は車のメーカーにあるのか、それともドライバーにあるのかも争点になっていた。メーカーは責任を負いたくないから自動運転はあくまで補助と位置づけ、緊急時のためという名目でペダルとハンドルを残した。だが、AIが慣熟して、完全自動運転を可能としてからも、手動運転の車は長いこと走っていた」

「なぜですか。危ないのに。まだ機械より自分を信用していたのですか」

「それもある。だがいちばんは、自分で運転したいから、だろうな」ボイントン大佐は思い出話を語るようにしみじみいった。「車の運転を自己のアイデンティティだと捉えていた人間は少なくなかったんだ。運転すること自体が目的と化していた」

「AIの操縦性能が人間を上回ってからも、自分で操縦したがるというのは、本末転倒ですね。自動車は人やモノを輸送する道具です。ただ走るためだけに走るなんて? むかしは自動操縦の技術がなかったから、やむをえず手動で操縦していたのではないのですか? わたしはハンドルのついている車になんて乗りたくない。気持ち悪い」

「そうだな」ボイントン大佐は苦笑しているようだった。「今みたいに赤ん坊一人で車に乗って目的地へ届けたりもできない。衝突の危険が高まったとき、車輛のAIどうしが協議をして事故を未然に防止するような芸当も、人間にはできない。利便性も安全性も今のほうが上だ、間違いなく」

 N・Kからすれば当然の結論を、元パイロットの空軍大佐は確認するように噛みしめていた。

 戦術AI――米空軍の場合はクロノス――がUAVを操縦するようになって、UAVのオペレーターに付き物だったPTSD問題は解消された。AIは十八Gでも気を失わないし、空間識失調(バーティゴ)も起こさない。機体のソーティごとにクロノスが学習内容を共有するため、全機の経験を、全機がわがものにできる。言語や見よう見まねでしか技術を他人に伝達できない人間パイロットと違って、AIはデータをロスなく百%吸収し、撃墜されてもほかの機体に情報が保存されているから、新造機にダウンロードさせれば即席で古強者が補充される。

「それに」N・Kは付け足した。「AIは人を殺しません」

 ボイントン大佐からの返答はなかった。さすがに差し出がましすぎたかと内省したのと同時に、画面がログインフォームを表示した。

「A1Cメルストロ、パロマ8-2にログインせよ。緊急の任務だ」

 ボイントン大佐の声は焦燥を隠しきれていなかった。

 予定にないアサインにN・Kは戸惑う。

「メルストロ一等空兵、ログイン」なにがあったのか聞きたいのをこらえてパスワードを打ち込む。パロマ8-2からの映像が送られてくる。幾星霜を閲してきた極相林に覆われた山脈と黄河の悠久の流れとに挟まれた、グリッド状に整備された都市が見えた。座標からするに、陝西省(シャンシーシェン)韓城(ハンチェン)市らしかった。韓城といえば人民解放軍ロケット軍第806導弾旅96111部隊が配属されている。アメリカを標的とする移動式大陸間弾道弾(ICBM)を装備する部隊だ。UAV関連の施設はない。もちろん大勢の人間が生活を送っている。カメラも通りを行き交う住民らを捉えている。

「これより無差別爆撃を行なう。グリーンライトで引き金を」

 N・Kは耳を疑った。倫理感を試すテストなのかとさえ思った。だが元よりトリガーに求められる資質は従順さであって人間性ではない。ボイントン大佐は本気だ。

「町に爆弾を落とすんですか。人の住んでいる町に?」

「ホワイトハウスの決定だ。敵のアースバスター使用を阻止せよと大統領が命令を下した」

 戦争で人間を殺してはならない。ルールを破れば制裁が待っている。ただし、人間を肉の盾として用いた場合はこの限りではない。

 中国は、青海湖でのアメリカの空爆で民間人が死傷したことを問題視していた。非戦闘員があるとわかっていながら爆撃したアメリカを非難した。

 対するアメリカは、戦時下のUAV関連施設、すなわち戦場に、中国が意図的に人間を配置したと結論づけた。真偽はどうでもいい。「そういうことにした」のだ。

 互いの主張は真っ向からぶつかりあい、政治的緊張が著しく高まった。

 ホワイトハウスは疑心暗鬼に囚われた。もし中国が、アメリカがルール違反をしたと見なせば、北米大陸へ向けてアースバスターを使用するかもしれない。

 しないかもしれないし、するかもしれない。

 後者が選択された瞬間にアメリカは悲鳴をあげるひまもなく滅びる。であるならば、ルールに違反したのは中国だとする主張をどこまでも押し通しつづけ、まずは報復の前段階もかねて北米を射程に収めている中国のミサイル基地をUAVで叩き、ひとまず本土保全を図るのが妥当だと首脳陣は考えた。わざわざUAVにミサイル基地を空爆させるのは、アースバスターは抑止力であって最後の手段だからだ。

「韓城市のどこにミサイルが隠されているか、全数は把握できていない。市ごと焼き払うしかない。一発でも射たれればアメリカはこの地球上から消えてなくなる」

「ですが、人が」

「ある程度の犠牲はやむをえない。命を天秤にかけたとき、他国民より自国民の皿が重いと考えられない人間は、わが国で生きる資格はないのだ」

「まだ中国がアースバスターを使うと決まったわけでは」

「決まってからでは遅い。ミサイル防衛(MD)では防げない。射たれる前にやらなければ」

「しかし、この無差別爆撃で中国がアースバスターの使用を決意するかもしれません」

「だからこそ基地を潰すのだ」

「中国の同盟国が黙っていません」

「それは政府の仕事だ。われわれはわれわれの仕事をする」

「〈国連〉は何と」

「アメリカと中国の双方に一時停戦と対話を提案している」

 N・Kは、人の世にこれほど完全無欠の正論があるだろうかと同意した。国家間の利害を超越して判断する戦略AI、通称〈国連〉は常に正しい。中国政府も〈国連〉の提案を受けているはずだ。

「ではそのようにすべきです」

「もし」ボイントン大佐は自身に言い聞かせているかのようだった。「こちらだけが〈国連〉のいうとおりにして、相手がそうしなかったら?」

 N・Kは呆れた。

「言い出したらきりがありませんよ」

「そうだ。だがアメリカ国民全員の命がかかっている」

「相手を信じることはできないのですか」

「互いが互いを信じた場合は、キューバ危機のときのように双方がほどほどの利益を得る。だが、こちらが相手を信じ、相手がこちらを信じなければ、わが国だけが損失を被る。向こうもそう考えているかもしれない。アメリカが先んじてアースバスターを射つかもしれない、だからそれより先に射つ、という結論に至るかもしれない。それはまさに今この瞬間かもしれない」

 話し合えばすぐわかることだ、とN・Kは思う。相手がなにを考えているか延々想像して誤った決断を下すくらいならさっさと本人に聞けばいいのではないか。そんな簡単なことが国と国とではむずかしいらしい。

「抑止論のシナリオにしたがえば、アメリカが中国からアースバスター攻撃を受ければ同盟国が報復に出る。だがこの論理は抑止にしかならない。同盟国が仇を討ってくれても、そのときすでにアメリカは滅んでいるのだ。そしてわれわれには、アメリカを守る義務が……」

 ボイントン大佐の言葉が途切れた。N・Kも、画面の映像が現実とは思えなかった。

 弾ける爆光。韓城の空があらゆる色彩を含んだ虹に染まる。オーロラが爆発したような幻想的な光景。

 陝西省どころか中国全域を満たしたとさえ思われる五彩の極光が、爆心地へ吸い込まれていく。元からあった光さえ道連れにされる。やがて空間は闇に呑まれる。映像も暗転し、NO SIGNALの文字列だけが浮かび上がる。

「パロマ8-2との通信途絶。ボイントン大佐?」

 呼びかけたが、応答はなかった。

 いままでの人生で最も長い数分が過ぎたとき、

「メルストロ一等空兵。ログアウトだ」

 ボイントン大佐の声が聞けて安心する日が来るとは思わなかったが、N・Kには理解が追いつかない。

「パロマ8-2と通信できません。いったいなにが?」

「ホワイトハウスがアースバスターの使用を決定した。中国全土を蒸発させる。発射は十五分後。すでに命中している」

 N・Kはまばたきをした。

「なぜです。UAVで攻撃すると決めたばかりでは……」

「大統領ご自身が決定を翻した。航空攻撃では万が一にも撃ち漏しがあるかもしれない。アースバスターならまとめて消し去ることができる」

「相手がルール違反を犯したと決まってもいないのに? 報復の理由がないのに報復を?」

 現代でもAIに理解できない人間の特性がある。ぶれることだ。人間である大統領や閣僚たちは、いったん空爆を指示しておきながら、確実にミサイル基地を全滅させるならアースバスターがいいと思い直した。

 いちど自分で決めたあと、状況を構成する要素がなにも変わっていないのに、結論がぶれる。そのいい加減さだけはAIには真似できない。

「ルール違反を犯したかどうか検証もせず、話し合いもせずに相手の腹の内を勝手に想像して、被害妄想を拡大させて大量殺戮に走るなんて。それが人間のやることですか」

「人間だから、できるのだよ。いずれにせよアメリカは救われた。――A1Cメルストロ、次の指令がきた。パロマ1-1にログインして……」

 ボイントン大佐が息を詰まらせたのがわかった。N・Kもきょう何度目かの驚愕に貫かれた。

「ボイントン大佐、指令内容は……?」

 N・Kはおそるおそる訊いた。

「タクラマカン砂漠にある、無人の石油精製施設の空爆だ……」

 N・Kはログインを試みる。当然のように成功。すでに撃墜されたはずのパロマ1-1がN・Kを迎え入れる。画面には、のっぺりとした褐色の砂の景色が延々と広がっている。

 もはやウェアラブル端末でナノマシンに脳内物質を調整させるまでもなく、N・Kは食い入るようにモニターに集中する。砂丘を越えた先にある施設群がそれぞれ緑の四角形に囲まれる。数は二十三。グリーンライトが点灯。N・Kの人差し指は震える。

「攻撃しますか?」

「許可する。やってみよう」

 たっぷり熟考してボイントン大佐が命じた。

 引き金を引くと、爆弾倉から解放されたレーザー誘導ミサイルが重力に従って落下、ピンが抜けてロケットモーターに火がつく。爆発的な燃焼反応に弾体が急加速し、反射光を辿って空を(かけ)る。

 画角に収まりきらないほどの紅蓮が荒れ狂う。

 火炎の狂乱から、一転してログイン画面に遷移する。

「ボイントン大佐、つぎは、パス2-3ですか?」

 違う、という返答を期待してN・Kは訊ねた。

「……指令が来た。パス2-3にログインせよ」

 困惑しながらもパス2-3のトリガーとなる。エチオピアのディレ・ダワ上空を巡航する映像が入る。

「なるほどな」ボイントン大佐がため息まじりに漏らした。おなじ機体。おなじ任務。「すでにわが国にも、アースバスターが落とされたのだ」

 アースバスターは時間の流れを狂わせる。

 これまでアースバスターの発動範囲内ではなにが起きているのか、特異点同様に観測が不可能だった。効果範囲の外からすれば、域内は瞬時にして消滅してしまうからである。図らずもN・Kらはアースバスターが炸裂した内側の世界を経験している。だが外へ観測結果を伝えることはできない。外界からみればもうアメリカは跡形もなく消えている。

 周囲と時間の流れが異なる以上、アースバスターの破壊の嵐が、いつN・Kたちのコンテナがあるホロマンにまで実際に到達するか、それはわからない。七十四秒後かもしれないし、百億の昼と千億の夜を越えた先かもしれない。

 だが、アメリカが最終報復兵器で滅びているのなら、なぜ中国大陸やアフリカのUAVからのリアルタイム映像が受信できたのだろう。

 ふと、N・Kの脳裏に閃くものがあった。

「ああ、そうか」N・Kは笑みをこぼした。「やっとわかりましたよ、ネヴァダの時間停止の矛盾」

 ボイントン大佐が達観したようにのんびりと先を促した。もはや自身の運命を受け入れているようだった。

 N・Kは続けた。「なぜ時間が停止しているのに、そこが地球の自転から置き去りにされたり、宇宙の膨脹で吹っ飛んでしまわないのか」

 答えはごくごく単純だった。単純すぎて逆にだれも仮説としてすら検討してこなかった。

「これから地球がまるごとアースバスターに呑み込まれるからですよ。地球全部の時間が止まる。その未来が確定しているから、ネヴァダは置き去りにされなかったんです」

「アメリカと中国だけでなく、全世界がアースバスターの応酬をはじめると?」

「ほかの保有国が一気に世界大戦をはじめるのか、一対一の戦争でアースバスターが使われて徐々に時間停止領域が増えていくのか、それはわかりませんが、なんにせよ、もう地球はまるまるネヴァダみたいに止まってるんです。わたしたちが知覚できてないだけで」

 中国がアメリカからアースバスター攻撃をうけた。中国の同盟国がアメリカへ報復のアースバスターを落とした。報復が履行されなければ、同盟は有名無実だったと証明されてしまう。国どうしの契約を反故にしたという弱味を見せてしまう。そうすれば世界からの信用を失う。その不安が世界中にアースバスターとともに連鎖していく。

「使わなければ弱腰と見られるとはいえ……」

 ボイントン大佐は諦念の長い息を吐いた。N・Kは、最高のジョークを思いついた年頃の娘が父親に披露するときのように、明るくボイントンへ呼びかける。

「やっぱり、人間に運転を任せるのはだめですね」

 それにボイントン大佐は、違いない、と笑った。N・Kが初めて聞く、ボイントン大佐の磊落(らいらく)な笑い声だった。



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