3年生のときのガハマさんの誕生日。
良ければお楽しみください。

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雨中に融ける子守唄

「う゛ぁー……」

「39℃。かんっぺきに風邪だね。ほんとこんな日にあんたって人は……」

 臥所の中で呻き声を上げる俺に、小町の視線が刺さって痛い。ただでさえ喉がやられて痛いし、元々存在からして痛々しいんだから少しぐらい手心加えてくれていいのよ?

 しかしよりにもよってこんなタイミングでこのザマなのは、俺自身痛恨なのである。

 本日は六月十八日。その、つまり、誕生日、なのだ。あの優しい女の子の。

 この無様で乗り込むなんて論外も論外。さりとて、風邪引いたから行きませんと言うにしても。

「はぁーあーぁ……。結衣さん絶対がっかりするし気にするじゃんこんなの」

 わざっとらしい聞こえよがしの溜息に続けて皮肉られたが、まあ、そういう事である。あいつは優しいから。俺なんぞを気にしてせっかくの誕生日が楽しめないなんてことになったら申し訳なさで死にたくなる。

「まったく、梅雨時期に傘忘れて濡れ鼠で帰ってくるとか受験生の自覚あるの? この粗大ごみいちゃんは……」

 おっ? ごみが進化したな? 種族値上がるんだろうか。

 ……誕生日プレゼントも用意したんだけどな。

「んじゃ、小町行くからね? 勝手に飯食って勝手に寝て勝手に治すといいよ。はぁーあ。せっかくの結衣さんの誕生日なのになー……。今日こそこの粗大ゴミ片付けられるかと思ったのになー……」

 まだなんぞぶちぶち言ってやがる。行くからねと言いつつちらちら振り返ってこれ見よがしに溜息吐いてくんの鬱陶しいな?

「いーから……はよいけ……」

 億劫さを拠り所にして強固な抵抗をする右腕を布団から引きずり出し、大儀そうにしっしっと追いやる。

「はぁ……」

 ようやくのこと小町を追い出して、こちらも一つ長大息。窓の外ではしとしとと、梅雨が鬱陶しくその存在を誇っている。ややあって、遠くに扉の開閉音と半ばやけっぱち半ば当てこすりな行ってきます。

 視線を窓から天井に移し、布団を胸元まで引き上げ、目を閉じる。

 食欲もないし怠くて動く気にもならない。何より、今日を祝う彼女らと一緒にいられないことが俺の中の後ろめたさをちくちくと責め立ててくる。

 ……寝よ。眠くないけど目を閉じてりゃ眠れんだろ。現実逃避には夢の中が一番だ。

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 ……暖かい。閉じた瞼の上を覆う、柔らかな感触。

 

 

「ながれ……やすらぎ……」

 

 

 聞こえてくる、耳を擽る優しく静かな旋律。

 

 

「……かなた……きえる」

 

 

 これは、歌だ。

 

 

「かぜに……明日へと……」

 

 

 ホワイトノイズにも似た雨音の中、誰かの声が子守歌のように俺を包みこむ。

 

 

「だれも……すかな願い……」

 

 

 夢現の世界で心地よさが勝り、夢を後押しして現を蚕食していく。

 

 

 夢見心地のまま、俺の意識は再び闇の中へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

「あ、ヒッキー起きた? やっはろー」

 で、改めて起床した俺の前に、にこにこといつもの脳天気な笑顔浮かべたアホの子が鎮座していた。

 状況を確認しよう。

 だれ→アホの子もとい由比ヶ浜。落ち着いた茶色のカーディガンに赤色を基調にしたフレアスカート、夏の装いとしては少しばかり厚めかもしれないが、外の雨模様で気温も抑え気味なのでいいのかもしれない。つーか滅茶苦茶似合ってる。学習机の椅子をベッドのすぐ近くまで持ってきて、背もたれに胸を載せるように逆向きに座ってて、正直心臓に悪い。

 いつ→六月十八日。こいつの誕生日。更に言えば寝起き直後だ。時計見たら午後四時だった。ふて寝したのって何時だっけ?

 どこ→俺の部屋。もう一度言おう。俺の、部屋だ。健全な男子高校生の部屋だ。いや風邪引いてるから健康ではないけど。

「……なんでいんの。つーか何してんの。お前今日誕生日だろ」

 ふと寝起きで汗だくな自分の体臭のことに思い至って身じろぎする。と、喉の痛みが随分引いていることに気が付いた。ものすげぇよく寝た後のすっきり感がある。

「んー……お見舞い、と二次会? 小町ちゃんがね、ヒッキーがさみしがってるからよかったらぜひうちで続きやりませんか、って」

「あの野郎……」

 余計なことしくさりおってからに……。つーか誰がさみしがってるだよそれどこ情報よ? 嘘吐くと鼻伸びるぞ? ソースは全自動木彫り人形。

「悪かったな。せっかくの誕生日なのに、わざわざ……」

「んーん。あたしたちもヒッキーのこと気になってたし、渡し船だったからちょうどよかったよ」

「渡りに船な。お前仮にも受験生だろ……」

「え、あ、ちょ、ちょっとまちがえただけじゃん!」

 本番じゃその言い訳通じないからな? 雪ノ下に聞かれたら勉強会のノルマ増えるぞお前。

「……ヒッキー風邪引いたの、あたしのせいでしょ? ヒッキーは絶対違うっていうけどさ」

「違う……先回りすんなよ」

 つっても実際に違うんだから違うとしか言いようがない。

「だって、一昨日の雨の時、あたしに傘押しつけて自分だけ濡れて帰ったから風邪引いたんだよね?」

「お前だって持ってきた傘パクられたんだろ。悪いのはどう考えてもそいつじゃねーか。つまり社会が悪い」

「でも、ヒッキーがあたしに貸さなければ濡れなくて済んだよね?」

「その代わりお前が濡れたら差し引きで収支マイナスじゃねえか」

 お前が風邪引くと俺より悲しむ人多いし。それなら俺が濡れて帰った方がマシだろ?

「……止めたのに。一緒に入ってけば濡れなくて済んだのに」

「……いやまあそれは」

 そうだけど。濡れない代わりに別の何かがマイナスになりません? ほら、お前の世間体とか。

「あたしはもう気にしないよ。ヒッキーが濡れて帰る方が、やだ」

「やだてお前……」

 高校三年生だろ……。もう少しなんかないんか……。

 むくれる由比ヶ浜をどうしたもんかと思案してると、けほ、と小さく咳が出た。とは言っても、風邪の咳というよりは、たっぷり汗かいて喉奥乾いた故の空咳といった具合だ。

「あっ、大丈夫?」

 が、由比ヶ浜にその辺の違いは分からなかったようで胸を揺らして身を乗り出してくる。

「あ、ああ。大丈夫だ。寝汗かいてちと喉が渇いただけだ。っつーか、風邪っぴきの部屋にいたら伝染るぞお前」

 今更ながらにこいつがこの部屋にいちゃ不味いんじゃないかってところに意識が向く。世間体とかそっちの方じゃなくて、純粋に体調面で。

「でも心配だったし……。あ、麦茶あるから入れるね? 待ってて」

 由比ヶ浜はそう言って、学習机の上に置いた水差しとコップを取りに行く。危なげなく注ぎ、水差しを置いて戻ってきて、コップを差し出してきた……はいいけど、コップを覆うように手で持ってるから受け取るときに触れちゃいそうで、その、ねえ?

「お、おう……。ありがとよ」

 三密の教えに従いどうにか非接触を維持してコップを受け取り、麦茶を一気に流し込む。思ってた以上に乾いていたようで、染み渡るような感覚が気持ちいい。

「ぷはっ。うめえ」

「あはっ、ほんとにのどカラカラだったんだね」

 由比ヶ浜は楽しそうに一つ笑ってコップを受け取る。俺の方も飲んだ後で油断してたので無造作に渡してしまい、三密が破られてびくっとしてしまった。幸いコップは落とさずに済んだが。

「わ、わりぃ」

「や、あたしも……」

 なんかこう、変な空気になりかける。ええい気にするなただ手が触れただけじゃねえか。なんか別の話題はねえか。

「お、おかわりいる?」

「あ、頼む……」

 由比ヶ浜の頬が少し赤くなってるのは見なかったことにして、麦茶を注ぐ背を眺める。指摘したら九分九厘ブーメランになるくらい俺の顔も熱いしな。いや俺は風邪だからセーフ。

 そっか、そういえば風邪だったんだっけ俺。なんか大分体調よくなってたから頭から抜けてたわ。

「はい」

「おう、サンキュ」

 今度はお互い微妙に気にして、滞りなく受け渡せる。半分くらい飲んで、人心地つける。

「ふぅ……」

「でも、顔色も良くなってるし、良かったよ。お腹空いてない? なんか食べる?」

 それって誰が作るんですかね? 病床に逆戻りは勘弁なんですが……。

「そーだな……。言われてみれば腹も減ってるわ。や、なんかすげぇぐっすり寝れたから大分よくなってるんだよ。いい夢見たからかね?」

「じゃゆきのんに伝えとくね。ヒッキー起きたら栄養あるもの食べさせるんだって張り切ってたよ? あたしの手伝いは断られたけど……」

 言いつつ、由比ヶ浜は並行作業でスマホを滑らかに動かす。この辺の如才なさはさすがだな。それと僕の胃壁も守られたようでありがとうございます雪乃さん……。

「準備万端だってさ。風邪なんかやっつけてやるって感じの勢い。それで、どんな夢見たの? すやすや気持ちよさそうだったし、良かったよね」

「ああ、雨音を背景に、暖かい子守歌が……」

 ん? 待て。すやすや気持ちよさそう『だった』? それってつまり寝てる状態の俺を見てなきゃ言えない感想なわけで。

 時計に視線が流れ、改めて時刻を確認する。午後四時。俺が寝たのって何時だっけ? 小町が出たのが朝の……午前九時半くらいだったか?

 ……もひとつ質問いいかな。こいつ何時からここにいた?

 ぎぎぎぎと油の切れた絡繰り人形のように由比ヶ浜に視線を戻すと、由比ヶ浜は顔を真っ赤に染めて半笑いでこっちを見返していた。

「き……きいて、たの……?」

 その言葉で、俺の頭もぼんっとオーバーヒートする。

 あれか。つまり、夢現の夢心地が夢じゃなくて現だったと。それを当人に向けていい夢だった、そのおかげで超よく寝れたと言ったと。

「あ、ちがくて、その、寝苦しくて辛そうだったから、でもアイマスクなかったし、だからちょっと目のとこ抑えて、なんかそれで落ち着いたから、だから、えと……歌って……」

 あの暖かい感触が今の自爆で由比ヶ浜の掌だったと判明。しかも最初寝苦しそうだったのがすやすや気持ちよさそうになったんだろ? その変化に至る外的要因一個しかないよな!?

 嘘だろお前どうすんのこれって状況でお互いにお見合いもとい硬直してて、掌で弄ぶコップの固い感触だけがふわついた感覚の中で現実に繋ぎ止めてくれる縁になっている。

 由比ヶ浜の表情が艶めいて見えて、視線にも色が含まれてるように感じられて、つまり俺の脳の方が桃色に染まってるんだなこれ。落ち着け。看病してくれたんだからまず落ち着いてお礼を言うのが人の道である。

「っ、か、んびょうしてくれたんだよな? 寝てる間。ありがとな?」

 最初の一音外したが、大丈夫言えた八幡強い子。失敗は目を逸らすことでなかったことに。

「う、ううんううん別にいいの! あ、麦茶お代わりいる?」

「お、おおう貰うわ」

 お代わりいる? と言いつつ既に背を向けてピッチャーを取りに行ってる由比ヶ浜。慌てて俺も麦茶の残りを飲み干す。

 ベッドの上で三杯目の麦茶を注いでもらい、由比ヶ浜は水差しを置いて、定位置に戻る。停滞が破られたことで、多少の余裕と言い張る余地もできた。

「その、由比ヶ浜。誕生日、おめでとう」

「あ……。ありがと、ヒッキー」

 ふにゃりと笑って受け入れてくれる。そうだ、誕生日プレゼントも渡さなきゃ。

「とっ」

 ベッドから降りて立ち上がろうとして、掛け布団が足に絡まりふらつく。

「危ない!」

 ふらついただけで倒れるほどでもなかったのに、由比ヶ浜が過剰に反応してきた。

 俺が倒れないように咄嗟に引っ張って、彼女の方に倒れ込む。っていうか抱き留められて、カーディガン越しの柔らかさが右腕に集中して、余裕は全て吹っ飛んだ?

「ゆゆゆゆいがはま!?」

「あっ……! や、やー、ヒッキー急に立ち上がって危ないよ!? 倒れそうだったよ!?」

「お、おおおう! ありがとな助かったぜ!」

 弾かれるように離れて、お互い表面上は何もなかったことにすることで一致した。なお顔はお互い真っ赤だし、内心ではふかくこころにきざみこんだ。え、何あの柔らかさ……暴力?

「そ、そのな? 誕生日プレゼントあるんだが……」

「えっ、用意してくれたの? ヤバ、どうしよめっちゃ嬉しい……」

 赤くなった笑顔を誤魔化そうとしてるのか、むにむにと自分のほっぺを弄る由比ヶ浜。

 机の引き出しの一番奥から紙袋を取り出し、贈呈用に包装された中身を取り出す。

「……まあ、気に入るかは分からんけど」

 なんせこの手のおしゃれグッズは比喩でもなんでもなくガチで分からん身の上だ。小町の読んでる偏差値低そうな雑誌からわけの分からん男性向けまで手当たり次第読んで煮こぼした頭で選んだものだ。……今更ながらに大丈夫か本気で? 返して貰った方がいいんじゃないか?

「……開けていい?」

「あ、ああ……。もう所有権はお前にあるし、好きにしてくれ」

 はい無理ですね。そもそも所有権俺にないし、マジで嬉しそうな笑顔すんだもんこいつ。

 由比ヶ浜は包装を破ることなく丁寧に開封し、中身を取り出す。

「わぁ……ブレスレット」

 幾つかの雑誌を見て、実際に店に足を運んで、その中で偶然見つけたものだった。プロムの時に付けていたものに似たデザインのそれ。

 由比ヶ浜にもそれは伝わっているのか、ブレスレットを通して、その視線は遠くを見ているように思えた。

「……ありがと。すごく、嬉しい」

「……そっか。なら、良かった」

 ブレスレットを抱きしめ、噛み締めるように礼を言う由比ヶ浜。まあ、その、なんだ。喜んで貰えたのなら何よりだ。

 面映ゆい空気を破るように、由比ヶ浜のスマホが小さく震える。

 それに気付いて彼女が画面を確認すると、すぐに仕舞って俺に笑顔を向けてきた。

「ゆきのん、ごはんできたって。下行こ?」

「あ、ああ……。そういえばそうだったな」

 由比ヶ浜は愛おしそうにブレスレットを撫でて、左の手首に取り付ける。さっきまでの甘やかな空気はなくなったが、喜色だけはびしびしと伝わってくる。

「あ……悪い、先行っててくれるか。着替えたらすぐに行くから」

「えー……いいよ。扉の外で待ってるから」

「いや、別に……」

 言ってる側から出てってしまう。ありゃ言うだけ無駄だな……。ま、急いで着替えるか。

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 階段を降りてリビングのドアを開くと、雪ノ下が大量の料理と共に出迎えてくれた。

「あら遅いお目覚めね、遅刻谷くん」

「まあ今回ばっかりは何言われても仕方ねえな……。ありがとよ、腹減ってたんだ」

「……えらく素直ね? 由比ヶ浜さん、何かあったのかしら?」

「え? いいいや別になにも?」

 と、由比ヶ浜が両手を身体の前で振る。それを見咎める後輩が一人。

「へー、結衣先輩、そのブレスレット素敵ですねー。ここ来るまでは付けてなかったと思うんですけど」

「一色……お前もいたのか」

「なっ!? 失礼じゃないですか先輩!? わたしだって料理のお手伝いしたんですからね!?」

「あー……そりゃ悪かったな。ありがとよ」

「むぅ……病み上がりだからか、素直で調子狂いますね」

「まーまー、いいじゃないですか! 今日はめでたい誕生日ですし! それにこれで粗大ゴミが片付くと思えば……」

 小町ちゃん? 最後のとこ普通に聞こえてるからね?

「ほら、小町こっそりケーキも用意したんですから! せっかくなのでこっちでもハッピーバースデーやりましょうよ!」

 と、蝋燭立てた小さなホールケーキを冷蔵庫から持ってくる。なんて言うか準備いいなぁ……。いつの間に用意したんだか。由比ヶ浜感激しちゃってるじゃん。

「そうね……。せっかくだし、そうしましょうか。比企谷くん、いつまでも突っ立ってないで早く座りなさい。料理も冷めるわ」

「ああ」

 促されるままに席に着くと、右の隣に由比ヶ浜が並ぶ。俺たちの間で左手のブレスレットが小さく鳴った。

 外では変わらず雨が降り続いている。雨中に響くバースデーソング。たまには長雨も悪くないと、そう思えた。

 

「……ハッピーバースデー。由比ヶ浜」

 

 



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