騎士王の影武者   作:sabu

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 フラグメンツ

 1. 破片、かけら、一部、(切り離された)断片、切れ端
 2.(文学作品などの)未完原稿、遺稿、断章
 
 


第5話 蒼銀の騎士と一人の少女 前編

 

 

—221:36:01— 

 

 

 氷に閉ざされたアインツベルン城は、その日は珍しく雪風から解放されていた。

 空が晴れ渡るには至らなかったが、吹き荒れる雪の日と比べればアインツベルンの森は格段に明るい。そしてそんな日は、必ず二人で城の外に広がる雪の森を散歩する。

 それがイリヤと切嗣の約束だった。

 

 

 

「よーし、今日こそは絶対に負けないからね!」

 

 

 

 小さなブーツで、深く降り積もる雪を踏み分けながら進むイリヤスフィールの後ろを、切嗣は歩いていた。

 父と娘が繰り広げるクルミ探しの競い合い。

 それはもう何年も前から幾度に繰り返してきた競い合いであり、冬の城では数少ない、親子の確かな触れ合いだった。

 今この場限りは、イリヤスフィールはアインツベルンの掟から解き放たれ、切嗣もまた冷酷な魔術師殺しではない。

 ただ今日、普段と何か違いがあるとするなら、切嗣はその日大人気ないズルをした事だ。

 クルミ探しの競い合いに、イリヤが知らないサワグルミの冬芽を数に加えて勝負している。

 しかもそれで、イリヤから連続三連勝を取っているのだ。

 切嗣しか知らないモノを点数に加えていたとするなら、イリヤが怒るのは当然の事だった。

 

 

 

「もうズルしないって約束する?」

 

 

 

 ただそれも、素直に恐縮して謝る切嗣を前にしてイリヤスフィールは機嫌を直す。

 怒るイリヤも、次にズルをしたらもう勝負しないと言われて素直に謝る切嗣も、傍から見れば父と娘の何げないやり取りの一部に見えた。

 まだ他人を疑う事を知らないイリヤは満足気に頷く。

 

 

 

「よろしい。なら、また勝負してあげる。チャンピオンはいつでも挑戦を受けるのだ」

 

 

 

 恭順の証として、今日の冬芽探しでは切嗣が馬になるということで話がついた。

 胸を張って宣言するイリヤを、切嗣が肩車する。

 肩車は、イリヤの大のお気に入りだった。

 高く変化する視野。イリヤでは苦労する深い雪を、難無く踏み締めて渡っていく大きな足。

 

 二人は冬の森を進んでいく。

 

 傍から見れば、親子の戯れ合いに見えるそれ。

 ただ切嗣だけは、それが何処か歪なモノである事を理解していた。

 肩車で伸し掛かる少女の重みは、僅か十数キロしかない。

 成長が遅れているどころか、明らかに人として何かが足りていない事を、魔術師としての知識が、冷酷な見立てを切嗣に届ける。

 きっと、この身体がちゃんと成人する事はない。

 それが切嗣は哀しかった。

 

 この父と娘の触れ合い。

 その時ばかりはあらゆる宿命を忘れて——なんて思えたのなら、切嗣はきっとこの場にはいなかっただろう。

 むしろ切嗣はこういう時こそ、それを自身に焼き付けていた。

 どうかイリヤは、自分の身の上を不遇と思わない程に幸多くあって欲しい。肩に掛かる重みの少なさに、そう願いながら。

 

 

 

「あれ? 風かな?」

 

 

 

 あまりにも軽過ぎる娘を肩に跨らせたまま、切嗣は森のとば口に辿り着く。

 不意に、イリヤが呟いた。

 雪風から解放されたアインツベルンの森にしては、イリヤが感じ取った風は、何処か突拍子もないモノだったのだ。

 それに、風向きもおかしい。

 アインツベルンの城から、節操なく森に向かって吹く風。

 その方向は安定せず、強弱も多種多様である。

 

 

 

「綺麗……」

 

 

 

 明らかに自然現象によって引き起こされる風ではない。

 だが、風に乗って不規則に舞踊る雪の姿は、いつも重く陰鬱な雪風ばかり見て来たイリヤには新鮮だったらしい。

 雪で形作られたイリュミネーションの幻想の中、風の流れをイリヤは目で追っていく。

 

 

 

「………あ!」

 

「………………」

 

 

 

 イリヤとは対照的に、切嗣は押し黙ったままだった。

 二人の視線のその先では、一人の少女が剣を振っている。

 剣を握ってさえ無ければ、その少女は窓辺に佇む深窓の令嬢に見える筈だろう。それ程まで、剣を握った少女の雰囲気は静謐であり、高貴であった。

 

 華奢な細い体躯に、飾り気のない古風な蒼のドレス。

 金砂のようにきめ細やかな金色の頭髪は、現代では滅多に見つけられない程にきめ細やかで、結い上げられた髪は同質量の黄金も斯くやと言わんばかりの煌めきを持っている。

 だと言うのに、彼女の風貌は騎士のそれだった。

 蒼色の古風なドレスの上に纏うは、白銀の甲冑。

 分厚く、硬さの見て取れる小手とスカート状の草摺りが動く姿は、全身を鎧で包んだ騎士のような冷たい硬質感を含んでいた。

 

 いや……その硬質感は、本当は違う。

 

 きっとイリヤは気付いていないだろう。

 あの鎧を包んだ少女が、この陰鬱なアインツベルン城の誰よりも——冷たさを纏っているなどとは。

 その立ち姿。細身な体躯の雰囲気なら、清流のような爽やかな浄気を感じさせるというモノだろうに、あれではただの氷だ。

 アインツベルンベルン城の冬景色にはどこか相応しくない。

 冬の城にも——まだ暖炉のようにほのかな暖かさはあるからだ。

 

 

 重く陰鬱さはないのに、あそこまで人は、冷たい雰囲気を放てるのか。

 

 

 その場に居合わせるだけで場が硬く引き締まっていく……それならばまだカリスマの域であるだろう。

 だがあれは、もはや生命として隔たりが大き過ぎる存在へ、切嗣の本能が恐れを抱いている。

 そんな領域に近い。

 

 

 

「ねぇキリツグ? 剣を振る人なんてアインツベルンにいたっけ?」

 

「いや………居なかったよ」

 

「じゃあ、お客様だね!」

 

 

 

 ただ少女の姿をした竜を前にしても、イリヤは恐れを抱かなかったらしい。

 しかし幼子らしい独特の見地で、蒼銀の騎士がアインツベルンのホムンクルスではない事はズバリと当てる。

 当然、その事はこの城の者なら誰にでも分かる事でもあるだろう。

 イリヤはまだ分からないだろうが、剣を手にする彼女はホムンクルスとしては有り得ない程の性能を誇っている事は、全員が知っていた。

 

 二人の視線の先で、剣を振り下ろす蒼銀の騎士。

 両手で剣を振り上げ、ただ振り下ろす。

 150㎝程度の細身の少女が、自身の身の丈とほとんど変わらない両手剣を、軽々と操るそれ自体は、大した奇妙さではない。

 ただ何の変転もないその動作には、込められている魔力量の桁が違った。

 ゆっくりと振り上げ、切嗣とイリヤでは視認出来ない速度で剣を振り下ろす。

 それが先程から、不安定に吹く突風と、舞い上がる雪の正体だった。

 

 彼女の一挙手一投足全ては、ジェット機のモーターを瞬間的に噴射している……魔術師としての視野を持つ切嗣は、そんな光景を幻視するほどの魔力の残滓を視認していた。

 ただ、蒼銀の騎士が剣を振る姿を、切嗣は切嗣らしい独特の印象を受けている。

 

 

 ——あれは銃器の手入れをしているのと同じだ。

 

 

 幾年の時を重ね、知識も経験も身体に染み付いたとしても、絶対に怠らないそれ。

 分解整備や規正。時に試し撃ち。敵を殺戮する武装に全幅の信頼を預ける為の事前準備。

 自身を機械として機能するべく、その他の手足にも等しい部品を調整し続ける。

 それがあの蒼銀の騎士——セイバーという英霊にとって、聖剣と自身の肉体でやるというだけで。

 

 

 

「……………」

 

「……………」

 

 

 

 剣舞や武闘のような美しさなどない、ただただ武骨で極めて質実剛健な剣の振り下ろしが、止まる。

 不意に、セイバーが振り返った。

 イリヤと切嗣の話し声が聞こえて来たのだろう。

 セイバーと切嗣。二人の視線が交差する。

 

 

 

「………………」

 

 

 

 だがそれは、ほんの刹那続いただけで終わった。

 ——セイバーが、何の躊躇いもなく視線を外したからだ。

 そして二人には会話もなく、剣の英霊はスタスタと城の裏手に消えて行く。

 セイバーの瞳には何も浮かんでいない。そもそも、今しがたセイバーが捉えた瞳の中に、果たして切嗣が映っていたかどうか。

 浮ついた艶のある笑顔よりも、キリっとした張り詰めのある清澄さに溢れた眼差しの方が似合っている……そんな稀有な美少女である筈なのに、セイバーのそれはもはや人形の域だ。

 アインツベルンのホムンクルス達よりも擦り切れている。

 そう、切嗣が思ってしまう程には。

 

 

 

「………可愛げのない奴だ」

 

 

 

 あのサーヴァントの行動は分かる。

 アレは恐らく、娘に父として戯れているマスターを見て、自分の存在が邪魔だと身を退いたのだろう。

 セイバーが召喚されてからはや二日。その間、二人は一切の会話をしていない。

 いや、正確にはほとんどと言うべきか。召喚当初の僅かな問答以降は、ずっとこれだ。

 セイバーが召喚されてから、彼女が何をしているか全く把握出来てなかった切嗣だが、今までアインツベルンの城の屋上。その中庭にいた事だけは知っている。

 食べず、眠らず、休まず。いっそ律儀なほど城の中には入らなかったセイバー。

 しかしきっと城の中庭で……アハト翁と何か一悶着起こしたのだろう。

 だから城の外。冬の森の垣根で、セイバーは剣を振っていた。

 さしもの切嗣も、城の外にしか居場所のないセイバーに対し多少は思うところはあったが……それでも今の態度と姿勢は度が過ぎている。

 切嗣とセイバー。その隔たりは大きかった。

 何より、セイバーの徹底した無関心が。

 

 

 

「あー……ごめんなイリヤ。アイツは可愛げのない奴で——」

 

「——カッコイイ!」

 

 

 

 きっとイリヤは機嫌を悪くしただろう。

 そう切嗣は考えイリヤに言葉をかけたが、しかし彼の言葉を遮りながらイリヤははしゃぐ。

 肩車している切嗣が、イリヤを落としてしまわないか心配になるほど盛大に。

 

 

 

「ずるい……ズルイズルイ!! どうしてさっきから、キリツグは私にイジワルするの!?」

 

「え……いや、えぇ……!?」

 

 

 

 それは本当に、ただ純粋な子供の癇癪だった。

 イリヤの知らないクルミの冬芽を切嗣は数に数えていたように、イリヤの知らないアインツベルンのお客様と、切嗣が勝手に仲良くしていた事が許せない。

 勿論、セイバーと切嗣は仲が良いなんて訳はなく、むしろ二人の関係は凄まじく断絶している。その事を、イリヤは知らない。ただイリヤには見えてしまったというだけだ。

 切嗣がアイツ呼ばわりするくらいには、あの少女とは旧知の仲で、一目だけ視線を交わして去っていった少女が、まるで阿吽の呼吸を体現して切嗣の意図を全て察したように。

 外の世界を全く知らないイリヤからすれば、新しい人が来たというだけで目新しいものだったのも理由の一つだったのだろう。

 ともかくイリヤは憤慨していた。

 もはや断じて許せないと、何もかも秘密にする大人気ない切嗣を罰するべく、イリヤは切嗣に言い渡した。

 

 

 

「もう許せない——! あの子と切嗣の関係。あの子が一体どんな子なのか教えてくれるまで、絶対に切嗣とは口を利かないから!」

 

 

 

 それはイリヤも、先程のお客様である少女とあわよくば近付きたいという願望が溢れたものだったのだろう。

 しかしそれは、何よりもの難題となって切嗣を糾弾する。

 何せ切嗣はセイバーの事を全く知らない。言葉を交わした事がないのだから当然だ。だからイリヤが言う、あの子と切嗣の関係などない。

 阿吽の呼吸と言われたら、セイバーが単に無視して消えただけだと切嗣は断言するだろう。

 言葉はなく、問い掛けもなく、視線が交わされることもなく、セイバーは徹底した一線をアインツベルン全体に引いている。

 それは仮にも切嗣が発端とはいえ、セイバーもまた度が過ぎているだろう。

 

 だがその行為に、怒りはない。そういう態度はセイバーにはない。

 しかしセイバーにあるのが何なのかは、切嗣には分からなかった。

 切嗣には、あの英霊に感情というモノを何も見出せていない。

 そもそも、ただの一度もセイバーは、感情らしいモノを表にしてない。

 だから切嗣は、アレを機械と捉えていた。

 アーサー王という生涯を終え、そして置き去りにした、剣の英霊(セイバー)というただの事象。

 

 

 

「待ってくれイリヤ……本当に僕はアイツと何の関係も…………」

 

「…………」

 

「……イリヤ?」

 

「フーン………キリツグそう言う事言うんだぁ……」

 

 

 

 今までに無いほど、イリヤは不機嫌だった。

 腕を組み、そっぽを向いて切嗣と視線を合わせない。

 肩車した上から、冷ややかな雰囲気が出ているのを切嗣は感じ取る。

 父として、最大の窮地に立たされながら、ただ切嗣はイリヤの機嫌を宥めるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 切嗣とイリヤが仲睦まじく過ごしていた姿に、特に反応もなく消えたセイバーは、城の裏手で佇んでいた。

 切嗣の予想は当たっている。

 アインツベルン城の屋上。その中庭でセイバーは剣を振っていたのだが、アハト翁と一悶着あったのだ。

 

 別に何か問題が起きたという訳ではない。

 空気を読んで中庭から撤退した、という方が適している。

 その場にいるのに居心地が悪くなった……と捉えるのも近いだろう。面倒なやり取りに展開してしまうのを先読みして消えたともいう。

 アハト翁のセイバーを見る視線が、実に分かりやすかった。

 失望と怒り。そして焦り。

 それはセイバーに向けたものでもあり——アハト翁が"アハト翁"自身に向けていたものでもあった。

 何故失敗した。何故、偽物が呼ばれたのだ、と。そう小さく呟いたアインツベルンの老当主の言葉が、セイバーには耳に残っていた。

 

 

 

「偽物、か」

 

 

 

 振り返り、冬の城を眺める。

 偽物と呼ばれたその事に対し、セイバーが思う事はない。

 事実だからだ。1500年前ならいざ知らず、今は逆に自分が偽物と呼ばれる事に奇妙な感嘆がある程には、セイバーは彼らの失望を受け入れていた。

 偽物と呼ばれるのなら……本当にその通りなのだろう。

 見た目だけを似せた偽物。彼女よりも弱く、成し遂げた武勇では勝てず、一つの個、単一の武器として考えるなら劣化品の謗りを受ける。

 真似たところで、きっと彼女に届く事はないのだから。

 それに魔術師の失望も分かった。何十年もかけて臨んだモノが失敗したのだ。

 最悪その場で還される覚悟もあったセイバーからすれば、今の状況に思う事など何もない。

 

 

 

「……………」

 

 

 

 窓辺から視線を切り、セイバーは黄昏れる。

 アインツベルン城に入る気はなかった。城の外はマスターとその御息女が戯れており、中庭にはもういられない。

 では森の中に消えているのが万全なのだろうが、仮にも自分はサーヴァントだ。

 離れ過ぎるのはいけないし、そもそもセイバーには冬の森の結界に関する事はおろか、地形も良く分からない。

 

 結局、セイバーはその場で剣を振る事にした。

 

 マスターとその御息女は表側にいる。

 裏側には回って来ないモノと信じて彼女は剣を振る。

 先程の焼き増しの続き。剣の英霊(セイバー)として不足がないよう、ただひたすらに調整を重ね続ける。

 彼らの関係に関わる気はなかった。

 セイバーは、自分が彼らにとって過去から来た異物であると改めているからだ。

 それに——サーヴァントは道具でしかない。聖杯戦争を勝利する為の、道具。それ以上でもそれ以下でもない。故、マスターに異論はない。

 

 別段、不満も苦痛もないのだからと、セイバーはこの関係を改善する気は毛頭なかった。

 眠る必要も食べる必要もないサーヴァントの肉体は、このように機能し得て楽だなと、他人事のように感嘆するくらいには。

 召喚されて数日、セイバーは一度も身体を横にはせず、座る事もなく、冬の洗礼を受け続けている。

 何か思うところはない。

 そう、何もない。召喚されてからの全てが、セイバーの心を動かした事はない。

 だから彼女は、一人吹雪の中で剣を振るう事に何も思わなかった。

 疾うに凍り停止したセイバーの心を、凍て付いた吹雪程度が動かす事は、もうないのだから。

 

 

 

「アイリスフィール。何か私に用がありましたか?」

 

「ぅ………」

 

 

 

 自らの背後に向けられる視線と気配を感じて、セイバーは振り返る事なく問い掛けた。

 剣を振る手は止めている。そこまでの拒絶をする気はない。そもそもセイバーは拒絶している訳ではない。

 だがマスターの心境と召喚当初の溝を考えれば、セイバーは必要以上に言葉を交わす気もなかった。

 

 その事を、アイリスフィールも悟っていたのだろう。

 振り返る事なく、まるで人形のように答えるセイバーがそれを表している。

 極寒のアインツベルン城すら生温く感じる程に、セイバーの情緒は停止していた。

 

 

 

「……セイバー。貴方が召喚されてからもう数日。

 明日にはもう、私達はこの地を発たねばなりません。準備は出来ていますか?」

 

 

 

 アイリスフィールが、覚悟ではなく準備と問うたのは、セイバーに問い掛ける事すら難しいモノに思えたからだった。

 ある種のアイリスフィールの懇願でもあっただろう。此方に心を開いてくれ、という類いの。

 セイバーに覚悟が出来ているのは誰にも分かっている。

 では出来ていないのは、果たしてどちらだろうか。

 

 

 

「はい。完了しています。私側には特に問題はありません。

 今すぐにでもこの剣を振るう事が叶います」

 

「……………」

 

「それとも……私に何か不手際がありましたか」

 

 

 

 思わず頭を抑え、溜息を吐きそうになるのをアイリスフィールは抑えた。

 セイバー本人にその気はないと思うが、極めて皮肉の効いた返答である。

 いや……分からない。アイリスフィールはおろか、この城の誰もがこのセイバーという英霊の心内を理解し得てはいない。

 凍り付いた表情のその裏で、切嗣とアイリスフィールを詮ないモノと思っている可能性を否定出来る材料はないのだ。

 

 

 

「セイバー。貴方はずっと……鎧を着たままなのね」

 

 

 

 セイバーの返答に続くように、アイリスフィールは問いかける。

 セイバーに心を許す事が出来ない理由の一つがそれだった。

 正確には、逆にセイバーが此方側に心を許しておらず、一線を引かれているような証を、常時武装しているセイバーが表しているように感じられた。

 

 サーヴァントは常時、マスターの魔力によって実体化している。

 戦闘時ならまだしも、セイバーは常時白銀の鎧を身に付けたまま。

 宝具の刀身を表に晒し、機械を調整するように素振りを続けていた彼女は、まるでマスターの魔力量を確かめているようにも思えた。

 即ちこの程度も満足に出来ぬマスターに従う気はないと、切嗣を試しているのかと。

 同時に、鎧を常に身につけていなければならない程、この冬の城に住む全ての人間が彼女には信用出来ないのだと。

 

 

 

「ここでは、鎧を外して剣を手放す事も出来ない程には……居心地が悪い?」

 

 

 

 アイリスフィールの語調には、セイバーへの謝罪が織り混ざっている。

 この数日間のセイバーの様子はアイリスフィールも知っていた。

 切嗣の拒絶とアハト翁の不満。魔術師の身勝手な都合で呼び出されたセイバー自身にその責はないが——セイバーは一言も不満や怒りを露わにしなかった。

 言葉を交わさぬ切嗣に、問い掛けもせず、表情も出さず、アインツベルンの異物である事を良しとしたセイバーは、傍から見れば不気味だっただろう。

 

 あの瞬間、セイバーという英霊からアインツベルンは見放されたのかもしれない。

 アイリスフィールは、聖杯戦争が始まる前から切嗣(マスター)セイバー(サーヴァント)は致命的な齟齬を抱え、そのまま脱落する予感が現実に成りつつあると確信している。

 

 

 

「……………」

 

 

 

 不意に、セイバーが振り返った。

 視線が交差する。

 翡翠色の眼差しは相も変わらず冷たく、意思のない人形のようだ。

 もしかしたら、昔の自分もこんな目をしていたのだろうか。アイリスフィールがそう考えた時だった。

 

 

 

「……申し訳ありません。私の不手際だったようです」

 

 

 

 セイバーは瞳を閉じ、苦々しげに呟いた。

 凍て付きながらも端正だったその横顔は、申し訳無さそうな姿を形作る。

 胸の鎧に手を当てる姿は、さながら憂いを秘めた令嬢騎士にしか見えない。

 

 

 

「貴方達も私と同じ事を考えている筈だ、と。

 だからこのままの関係で構わないと考えていたのは、私の甘えでした。

 こうして要らぬ気苦労を貴方に与えていたとは露知らず。貴方は私を道具だとは思っていなかったのですね」

 

「え……ぁ、え——貴方、召喚された時の事、何も根にも持ってないの………?」

 

「はい、何も」

 

 

 

 それは召喚された時の事だ。

 召喚陣より現れた聖剣を携えた少女の姿を見て、誰しもが成功したと思っただろう。嵐の王にして十三番目の騎士。サー・ルークの召喚を。

 エクスカリバーを手にした騎士で、それが青年ではなく少女なのだとしたら、そんな英雄は一人しか居ないのだから。

 

 だが召喚されたセイバーは——自らを騎士王アーサーだと名乗った。

 それが今日に至るまでの不和の原因である。

 当然、サー・ルークが影武者として騎士王だと名乗っている可能性もあるが、それも通常の枠組みで呼ばれた以上、まずあり得なかった。

 二重霊基ではなく、目的の英霊でもない。

 アインツベルンは、何かに躓いたのだと。

 

 

 

「私のマスターの態度も当然でしょう。

 サーヴァントはあくまでマスターの下僕に過ぎない道具。魔術師としてあれは道理に適った範疇でしかない」

 

 

 

 だというのに、当のセイバーはアインツベルンに何も思ってもいないと言うのだ。

 切嗣の拒絶を、セイバーは当然の事だと受け入れている。

 セイバーは、冬の森の眺めながら呟いた。

 切嗣とイリヤが戯れていた、その森を。

 

 

 

「私の性能はマスターにも見えている。

 それに彼は聖杯戦争を容易く諦めるような人間には見えない。

 私の性能を測り適切に使うというのなら、言葉は必要ありません。

 何せ私は、マスターの御息女や貴方と違い、何の関係もないのですから」

 

 

 

 人形と変わらぬ冷たさで、セイバーは続けた。

 彼女の瞳は、冬のアインツベルンにも無い氷の瞳だった。

 もしくはそれを機械と言うのだろう。感情なく0と1で測る、機械。

 

 

 

「私はそれで構いませんよ、アイリスフィール。

 求められる時が来た時、私は応えるだけ。今はまだ、その時ではないというだけでしょう」

 

「…………………」

 

「ただ私が、彼らの求めた英霊………彼女と同じ性能を誇れないのは、少しだけ申し訳ありませんが」

 

 

 

 でもアイリスフィールには、彼女は必死になって機械である事を良しとしようとしている様にも見えた。

 遠く眺めながら、乾いた声で呟いたセイバーのその言葉。

 それには何処か、大事なモノを諦めそして悟るしかなかった諦念があったよう感じるのは錯覚か。

 

 

 

「故に私は、こうして静観しています。

 今はきっとマスターとは関わらない方が良い。父親としていられる彼の魂を、冷たい戦場に誘ってしまう」

 

「貴方は………本当にアーサー王なのね」

 

 

 

 だからきっと——セイバーは本当にアーサー王なのだろう。

 理想と現実の乖離に苦悩し、戦乱に明け暮れた島国を治めた、騎士道の誉れ足る名君。

 彼女の言葉には、擦り切れた悲しさと置き去りにした信念が入り混じっているようだった。

 きっと彼女は、切嗣とイリヤが父と娘でいる姿を見て、自分の居場所はここではないと確信してしまった。

 それは王として、民の営みに交ざる事の出来なかった生涯の表れでもあるように見える。

 アイリスフィールは、今確かに、目の前の少女がかのアーサー王であると理解出来た気がした。

 

 ブリテンという、苛烈と凄惨を誇った島国の王。

 だからこそ十代半ばにしか見えない少女なのに、そのような言葉を出せるのだろう。

 それが——切嗣の抱いた、どうしようない憤りに繋がっているのだとしたら、如何なる皮肉な運命なのか。

 その事実に思わず、アイリスフィールの心が哀しみに揺れる。

 

 

 

「きっと……私は貴方達が思っているほど、偉大な王ではありませんよ」

 

 

 

 その視線から、セイバーは何かを感じたのかもしれない。

 そう返すセイバーの顔は、決して見た目通りの少女がして良いモノではなかった。

 だからこそ、まるで重く痛々しい命運を背負うしかなかったと表しているようで、セイバーの真相がアイリスフィールには重く伸し掛かる。

 ブリテンという運命を、華奢な少女が何かを悟り諦めるしかないほどに背負って来た事実に、ただアイリスフィールは思いを巡らせていた。

 

 

 

「アイリスフィール。貴方は先程、剣も鎧も外せないほど居心地が悪いかと聞きましたね。私がこうして鎧を解かないのは、ただ、不安だからです」

 

「不安?」

 

 

 

 不意に、セイバーはアイリスフィールに語りかけた。

 虚空を眺め、過去を思い返すように呟く。

 

 

 

「はい。貴方が思っているような真相はありません。

 ただ私が臆病なだけですから」

 

「どういう事?」

 

「単純な話です。

 私は次、この剣を手放したら、再びこの剣を握れない気がする。

 鎧を外したその瞬間、私は倒れて意識を失っている予感がする。

 そうして、絶対に見逃してはならない何かを、私は見逃す。戦う事もなく、選択出来る機会すら失って。

 そしてこの剣を、誰かが握ったまま持ち去ってしまう。

 それが、堪らなく不安なだけです」

 

「…………」

 

「だからこそ」

 

 

 

 それはアーサー王ではなく、セイバーと言う少女が零した弱音だろうか。

 その真意をアイリスフィールが測ろうとした刹那、端正な横顔から少女の面影が消えた。

 そこにいるのは一騎の英霊。聖剣に選ばれた英雄という、戦場の騎士。

 翡翠色の眼差しが、竜のような黄鉛色に輝いているような錯覚がした。

 

 

 

「次は私が選ぶ。

 もう、私は誰にも選択を任せない。

 対価を支払うのは私だけで良い」

 

 

 

 先程までアイリスフィールの隣にいた人物。

 それがセイバーという少女から、アーサー王という存在へと変わった気がする。

 ブリテンの責務を、何処かで手放してしまったアーサー王としての言葉。

 その姿に、アイリスフィールはある人物とその背中を重ねつつあった。

 だから再び、その責務を全て一人で背負おうとしているセイバーの後ろ姿を痛々しいモノと見てしまうのは……彼女の覚悟を蔑ろにする、間違いなのだろうか。

 分からない。彼女の覚悟を踏み躙る、無責任なモノだと、そうなってしまうのか。

 

 でも何故だろう。

 そのセイバーの姿が……アイリスフィールは好きになれなかった。

 仮面のような無表情。機械のような慈悲の無さ。高潔であろうとする志、でも弱音を見せた少女像とは異なる、冷たい二面性。

 だってそれを。

 心を痛める程、何処で見た事があるような、そんな気がするから。

 

 

 

「アイリスフィール。貴方の心配には及びません。

 マスターがどうであれ、私は必ず彼に協力をする。マスターからの作戦に私が口を挟む事はない。命令が下されれば、その通りに動きましょう」

 

「………だから不安なのよ、私は」

 

 

 

 セイバーの言葉とは裏腹に、アイリスフィールは乾いた声で呟く。

 

 

 

「何故ですか? マスターが望んでいるのは命令に忠実なサーヴァントだと、そう、捉えていたのですが」

 

「ううん、違うの。

 ……そうかもしれないけど、でも、違うの」

 

 

 

 憐憫や同情に近い憫笑で、アイリスフィールはかぶりを振る。

 キリツグとアイリスフィール。夫と妻。その二人に刻まれた真意は、やはり片割れであるアイリスフィールにしか分からない。

 その微妙な差異。それをセイバーに分かって貰うというのは、きっとエゴなのだろう。

 

 

 

「セイバー。貴方は切嗣の事がどう見えた?」

 

 

 

 だって——同族嫌悪にも似た感情を、セイバーには抱いて貰いたくないから。

 アイリスフィールはセイバーに、少しずつ問いかけた。

 

 

 

「聖杯戦争に臨む、魔術師だと。たとえ英霊であろうと、サーヴァントという存在は魔術師の使い魔であると定めた、魔術師」

 

「じゃあ切嗣が見せた、自らの娘と仲睦まじく過ごす姿はどう見えた? あの二面性に、何か思う事はなかった?」

 

 

 

 セイバーは、僅かに間を置いた後に答える。

 

 

 

「特に、何も」

 

「そう………」

 

「あれも人としての一面でしょう。

 魔術師として冷酷ではあれ、しかし人として娘を愛する事が出来る。

 その二面性、特に思う事はありません。私への態度も、魔術師としての範疇だ。私とマスターには何の関係もない。

 愛する者と、そうではない者の差異に私がとやかく言う資格もありませんから」

 

「………」

 

 

 

 セイバーがそう評した事に、アイリスフィールは驚きを隠せなかった。

 切嗣の二面性に、思う事がない。

 冷たい硬さを取り戻したセイバー。アーサー王としての彼女は、その生涯で果たして、一体何を見て来たのか。

 

 

 

「どうして……? 貴方の周りにも、そういう人がいたの?」

 

「……私は人の心を上手く語れるような存在ではありません。

 でも確かにいました。乖離した二面性。多面化する感情を持つ騎士が、私の隣に。

 その人は………どちらが本物という訳でもなく、善を憎みながらも善を尊び、悪を怨みながら悪を遂行する。そんな修羅の如き人物でしたが」

 

「だとしたらそれは……多分、何かがおかしい。

 どちらも本物でないなんて、何を目指していたのか分からない。何もないように私は思える」

 

「……………」 

 

「違うのよ、セイバー。

 彼は決して魔術師として貴方を詮ないモノとし、無感情に徹している訳じゃないの。

 だって仮にも、私達は聖杯戦争に臨む同胞。たとえ貴方を道具だと判断していても、必要最低限の交渉は必ずするのが、間違いなく有益な筈でしょ?

 だから切嗣の無関心は、貴方に対して大いに感情的な反応をしているのと同じだわ」

 

「…………………」

 

 

 

 仮に召喚に失敗して、切嗣の呼び出した英霊が——伝え通りの、男性のアーサー王だったら、彼はここまでの拒絶をする事はなかっただろう。

 私情を交えず、必要最低限の交渉と意思疎通で済む筈なのだ。

 だから敢えてそれをしないというのなら、切嗣は無視という、逆に極めて感情的な反応をセイバーにしている事になる。

 

 アイリスフィールの言葉に思う事があったのか、セイバーは押し黙っていた。

 冷たく閉じていた表情は、見えない何かを見通すように細められている。

 

 

 

「マスターは私の何かを許容出来ない。

 私の何かに憤りを感じているから、容認出来ない。

 故に私と分かり合える事はない。だから私を遠ざけた。

 そう言う事ですか? アイリスフィール」

 

「そう、ね。でもそれは、貴方個人のモノじゃない。

 理解出来ないのではなく、相容れないと分かってしまったから」

 

 

 

 憫笑の表情をしたアイリスフィールを、セイバーは無言で見つめた。

 切嗣。衛宮、切嗣。

 妻を愛し、娘を愛しているマスターが見せた、氷の如き冷たい二面性。

 どちらが本物か——と問うのなら、きっと妻と娘に見せた姿の方なのだろう。

 人形や機械の如く自らを稼働させられるのは容易くとも、嘘偽りのない愛と信頼を勝ち取るのは、難しい。

 

 だからそのようなマスターが……そんな優しい心を持つ人間が、情を殺した機械にならなければならない半生があったとするなら。

 あぁそれは——どうしようもない憤りを感じるのかもしれない。

 王にならなければならない半生を送ったセイバーに。

 同族嫌悪とは似て非なる、どうしようもなく相入れる事はない、憤りを。

 理解出来ないからではなく、理解出来たからこその憤りを。

 

 

 

「——………マスターは、私のような年端も行かない子供に王という役目を押し付けて良しとした人。それを受け入れた私にも、憤りを感じている。

 そう貴方は言いたいのですか」

 

 

 

 含みのある静寂が走る。

 黙ったままのアイリスフィールが答えであるとセイバーは確信した。

 視線を外しているアイリスフィールに向けて、静寂を破るようにセイバーは告げる。

 

 

 

「優しい人ですね」

 

「え——」

 

 

 

 不意に呟かれたセイバーの言葉に、アイリスフィールは顔を上げた。

 悲しげな微笑みが、セイバーの横顔にある。

 あるいはそれは、切嗣に何かを見ている証なのかもしれない。

 アーサー王としての顔と、セイバーという少女の顔が混じったその表情は、何処か遠く儚いものだった。

 

 

 

「それ故に、世界の残酷さを許せず。

 たった一人立ち向かおうとして、冷酷にあらねばなかった。

 それが貴方、アイリスフィールが見るマスターの人物像ですか?」

 

「……そう思ってくれる?」

 

「はい」

 

 

 

 頷くセイバーの姿に、思わず涙を流しそうになるのをアイリスフィールは堪える。

 切嗣の悲しき生涯に裏付けされた側面。

 それをセイバーが知り得て、理解を灯した。その事実がただ嬉しい。

 セイバーの優しげな表情を直視するのが難しかった。思わずアイリスフィールが俯いて、目を逸らしてしまうのは必然だっただろう。

 

 

 

「—————」

 

 

 

 だからこそ、アイリスフィールは見逃した。

 そもセイバーの横顔を見過ごす事が無かったとしても、アイリスフィールには理解出来ていたかどうか。

 セイバー。騎士王アーサー。

 アルトリアという名前を彼らに教える事もなく、胸の内に消した彼女が一体何故、そこにいるのか。どうして召喚に応じたのか。

 擦り切れ悟ったように諦めた諦念の表情に、歯を食い縛って何かを堪えている、その真意を。

 

 

 

「そう、見えるのですね」

 

 

 

 王という役目を押し付けて良しとした。それを受け入れた少女にも憤りを感じた。

 それは即ち、アーサー王伝説という全てに憤りを懐いたのと変わらない。

 

 己が切り拓いた騎士道。

 それに我がマスターは、どうしようもない憤りを感じ得たというのなら。

 その栄光に溢れた伝説に何を見たかどうか。

 彼の本当の姿が、妻と娘を愛する人間であるとするからこそ。もう一つの冷酷な側面が浮き彫りになる。

 彼がそうなってしまうまでの何かが、悲壮なる生涯に裏打ちされた、憤りという憤怒がある。

 

 世界の残酷さを許せず。

 たった一人立ち向かおうとして、冷酷にあらねばなかった。

 心優しき人間が掲げた正義という理想。

 ではそんな人物が、冷酷にならなければならなかった絶望と憎悪が、何故ないと言えるのだろう。

 

 

 

マスター("貴方")には、そう見えたのですね」

 

 

 

 尊いモノだと信じた。それが正義だと、確かに信じていた。

 人に誇りを蘇らせる事、人の営みに誇りを創り出す事。

 それこそが、下劣に堕ちた者を人に戻すのが騎士として、王としての務めだと思っていた。

 人間というモノは、生死の境に立たされればいとも容易く、醜悪に、卑劣に、残虐になる。

 だから証明が必要だったのだ。

 戦場で生死の境に合い、卑劣に落ちる者に逆境にあっても貴くある姿を見せる事が、何よりの自身の定めだと。

 身を以って示す存在が必要なんだと。

 

 でもそれが——本当の地獄を覆い隠し、尊いモノがあると世界を騙していたとするのならば、どうだったのだろう。

 名誉や栄光で、流血と死を肯定する場所を作り出していたのなら。

 それは……騎士道という理想は、闇夜を直視出来ぬ弱者が作り出した、都合の良い幻想でしかなかったのかもしれない。

 

 奪われ、失われ、尊厳すら切り捨てられた者がその幻想を直視させられたら。

 

 それに憤りを感じるのは、きっと当然なのだろう。

 あまつさえそう言う正しさに裏切られ、それでも正しいモノだと理解するしかなかったら、一体それはどんなモノに見えるのだろうか。

 正義という天秤が、一体どれほどのモノを奪っていったか。

 

 今のセイバーには、それが分かる。

 だって見て来たから。

 まるで鏡合わせのような騎士道の形に。

 そうするしか道がなかった形に。

 恨み、憎悪し、血涙を流しながらもナニかを睨む修羅にだってなった、一人の騎士——いつだって鏡合わせだった"貴方"に。

 

 

 

「セイバー。貴方は切嗣を信じるべきマスターと思ってくれる?」

 

 

 

 食い縛っていた歯は、いつの間にか彼女自身の唇を噛んでいた。

 アイリスフィールからでは、セイバーの横顔は正しく見えていない。

 

 

 

「——はい。必ず」

 

 

 

 振り直った時にはもう、セイバーの横顔には何もなかった。

 氷のように凍て付いたその表情を、裏側に確かに隠して。

 アイリスフィールは終ぞ気付く事なく、セイバーを高潔ながら切嗣のような人間に理解ある人物だと信じている。

 勿論それは正しい。セイバーは切嗣の在り方に理解を示している。

 唯一、セイバーのその覚悟の深さと底に秘めた真意を、アイリスフィールは分かっていない。

 

 

 

「だとするなら、私は今一度、マスターへの態度を改めた方が良いでしょうか」

 

「そうね。明日にはもう、私達は聖杯戦争の土地へと発つ。

 このまますれ違ったままでは、いずれ問題が出るかもしれないから」

 

「なら、貴方は良いのですか?」

 

 

 

 自らをその勘定に入れてないアイリスフィールに、セイバーは告げる。

 

 

 

「え?」

 

「貴方とマスター。そして貴方達の御息女。私に構わず、別れを済まして置くべきだと思います」

 

 

 

 セイバーのその瞳はいつになく真剣だった。

 それが一番大事だと暗に告げているのと変わらない。

 だがアイリスフィールは、柔らかく微笑んでかぶりを振る。

 

 

 

「いえ、ありがとう。気を遣わせてしまったみたい。

 でも大丈夫。私とあの子の間に、お別れなんて必要ないの。

 アイリスフィールとしての私はいなくなるけど、私が消えてなくなる訳じゃない。あの子も大人になれば、それはちゃんと理解出来るわ」

 

「……何故です」

 

「だってあの子も、私と同じアインツベルンの女ですから」

 

 

 

 静かに微笑するアイリスフィール。

 その表情が、セイバーには何処か虚ろな笑顔に見えてやまない。

 アイリスフィールの微笑みが、嫌に心を騒がせる。

 いつだってそうだった。セイバーは、そういう微笑みに心を騒がされて来たのだ。

 心遣いに対する誠意の表れではなく、寂しく悲しい微笑み。

 自らの運命を悟った人間にしか出せない表情。

 それを、セイバーは知っている。

 

 

 

「アイリスフィール、貴方は——」

 

 

 

 内に秘められた不吉な意味合いが、果たして合っているだろうか。

 セイバーは悩んだ後、決心して告げた。

 

 

 

「貴方は、死にに行くのですか?」

 

 

 

 その言葉に、アイリスフィールの笑顔が止まった。

 

 

 

「………………」

 

「だから御息女との別れが辛く、重くならないように貴方は——」

 

「もう………酸いも甘いも噛み分けて来たアーサー王は騙せないのね」

 

 

 

 寂しい笑みから、困り果てるような笑みを浮かべたアイリスフィールにセイバーは口を閉じる。

 どうやら、深入りし過ぎたらしい。

 アイリスフィール。そして切嗣。その二人の宿命。

 知らぬ方が、きっとただのサーヴァントとして機能し得ただろう。

 

 

 

「そうね。私はどうあれ、聖杯戦争が終結すれば死んでしまう。

 私は、私が聖杯なの。聖杯を降す為の器に人格を与えた。それがアイリスフィールという、聖杯の器。人格という生存本能によって危険を自己回避する。

 聖杯の完成を成し遂げるには、器の破壊は免れなければならないから。

 それがアインツベルンの悲願。その為の私。ホムンクルスという生命の宿命」

 

「……………」

 

「でもねセイバー。私はその事に悲観はしてないの。

 私は元々ただの人形で、でも切嗣の理想を知り、同じ祈りを胸に抱き、彼から愛を知った。人形ではない生き方が出来た。

 それに聖杯戦争が終われば、私の子供と切嗣が、私達の夢見た世界で生きていく。

 私のようなモノが不遇に生まれぬ世界。切嗣のように絶望しなくて良い世界。それが私達の願いなのだから。

 ね? 私は幸せでしょ?」

 

 

 

 アイリスフィールが浮かべた笑みは、今度こそは虚ろな笑みではなかった。

 自らの身の上を不遇とは思わず、幸多き人生だと自らを断言するアイリスフィールの朗らかな笑みは、決して空虚なモノではない。

 気品と威厳を持つ貴婦人でありながら、しかし少女のように透き通るその微笑みは、セイバーからしても眩しいモノだった。

 

 

 

「……………」

 

 

 

 そして同時に、それがマスターに対する最大の罰だとアイリスフィールは気付いているだろうか。アイリスフィールの眩しさは、父であり夫である彼の心を焼き裂いている。

 妻を死なせ、娘から母親を奪い取る。冷酷になるしかなかった切嗣への対価。もしくは最大の罰。彼が志した何かは、その対価に愛した妻を奪い去るのだ。

 セイバーは、アイリスフィールの姿を眩しいモノのように見る。

 光の痛みに耐えるように、目を細めて。

 

 

 

「………ですがアイリスフィール。貴方は一つだけ見逃している」

 

「え? 何を?」

 

「貴方達の御息女の事です」

 

 

 

 それでも尚、セイバーはアイリスフィールに告げた。

 いや、だからこそと言うべきかもしれない。

 二人の宿命。二人の生き様。その二人の希望を継いでくれるモノが、あの御息女——何も知らぬ無垢な少女だとするなら、セイバーは一つだけ諫言をしなくてはならない。

 

 

 

「私は、貴方が言ったアインツベルンの女だからという意味を、完全に理解し得た訳ではない。

 私には聖杯完成の悲願というモノが一体何なのかも良く分からないし、貴方とマスターの関係を見て来た訳でもない。

 だから、貴方達の御息女がいずれ理解するというのなら、きっとそうなのでしょう。本当は私が口出しすべきモノではない筈だ。

 ですが………あの子は、貴方とマスターの理想に対し、まだ何の理解も覚悟もない。何の力もなく、否定する事も、肯定する事も出来ない。

 あの子が貴方達の想いを理解するその時までは、アインツベルンの女ではなく、ただの少女なのです」

 

「………………」

 

「だからアイリスフィール。どうか貴方は貴方なりに。もしくはマスターと三人で、別れを済ましてください。

 無垢な少女が………無垢なままでいられる時間は、あまりにも少なすぎる」

 

 

 

 セイバーの訴えかけるような言葉は、想像以上に、アイリスフィールの心を騒がしていた。

 まるで苦悩の果てに賢者となったような言葉を、年端も行かない少女の姿をしたセイバーが告げたのが、大きな理由でもあったのかもしれない。

 

 無垢な少女が、無垢でいられる時間は少ない。

 

 セイバーが語ったその言葉が、アイリスフィールに重く伸し掛かる。

 それを語ったのが、小さな少女なのだから。

 

 

 

「——そうね。その通りなのかもしれない」

 

 

 

 アイリスフィールは再び微笑んでセイバーに告げる。

 唯一、その微笑みをセイバーに向けて。

 

 

 

「ありがとうセイバー。

 私も、ちゃんと別れを済まして置かなくちゃね」

 

 

 

 雪のように輝く長い銀髪を翻して、アイリスフィールは去っていく。

 セイバーは、アイリスフィールが浮かべたと同じように微笑みで返した。

 

 切嗣を深く理解してくれるようなサーヴァントで良かった。

 セイバーは、きっと切嗣と似ている。セイバーは切嗣の理想に共感してくれる。

 先程の諫言。アーサー王としての言葉。

 それを、アイリスフィールはセイバー自身の事を表しているのだと思っていた。

 だからこそセイバーと心を通じ合う事が叶ったと、アイリスフィールは確信していた。

 アイリスフィールは気付いていない。

 セイバーはただの一度も、自身の真意を語っていない。

 

 

 

「………………」

 

 

 

 去って行くアイリスフィールの後ろ姿に、セイバーは天を仰ぐ。

 あの迷いを口にした瞬間、セイバーは唇を噛み締めた。

 "無垢な少女が………無垢なままでいられる時間は、あまりにも少なすぎる"

 自分で吐いたその言葉が、最もセイバー自身を貫いていたのだから。

 

 

 

「………今の私はどう見えますか」

 

 

 

 あぁ——"貴方"なら、一体なんて答えてくれたのだろう。

 自分では"貴方"に当たり前で普遍な幸せを授ける事が出来なかった。そして今からも出来ない。だからせめて"貴方"が勝ち取る機会を渡す事しか出来ない。

 でもそれが……——自らの苦悩を与える事と同義だと言うのなら、どちらが正しいのだろう。

 生きる事が苦しみと同義だと言うのなら……たとえ苦しみの中でも生命を渇望し、いつの日にか報われると信じて命を託すのは、間違いなのか。

 分からない。

 それだけがどうしても、セイバーには答えが出せない。

 アイリスフィールの姿が、切嗣の最大の罰であるように。

 彼らの形が、セイバー自身への最大の罰だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

—sometime somewhere— 

 

 

 アーサーと■■■の初めての邂逅を知るのは、きっと当人同士の二人しか知らないだろう。

 奪った者と奪われた者。

 アーサーと■■■の運命は、円卓の騎士も盤外の魔女も、誰一人も知らぬところで決定付けられていた。

 湖の騎士も、必中の弓使いも、王の従者も知らない。

 彼らは、騎士王が事を済ませる間、蛮族を足止めしていたからだ。

 盤外の魔女も知らない。

 彼女は、深い森の入り口で青年の死体の横にいる、絶望と憎悪を瞳に宿らせた死に体の子供を利用しただけだからだ。

 

 でもその日の事だけは、きっと誰もが知っているだろう。

 

 ひしめく騎士達。その中に交じる、小柄な少年騎士。

 黒い竜の兜と、同じく黒い鎧で全身を隠した子供。

 一人だけ浮いたその存在を、決闘開始直後は誰も気にしなかった。

 それが変わり始めたのは、いつからだったか。

 一人、その少年騎士によって昏倒させられる。

 二人、その少年騎士によって意識を刈り取られる。

 アーサー王と、後に円卓の騎士サー・ルークと呼ばれた騎士が、初めて出会ったその瞬間。

 それは闘技場での事だった。

 

 血の流れない戦場が、そこにはあった。

 

 鞘に込められたままの剣で、騎士達が倒れていく。

 手にする剣は二振り。

 盾を使わないそれは、まるで舞踏にも似ていただろう。

 時に繰り出される型のない武芸は、まるで地を駆ける狼のような姿にも似て、騎士達を蹂躙していく。

 気付けば、闘技場の中央には彼女だけが立っていた。

 十代ですらない無名の子供が最初に成し遂げた逸話は、同時にアーサー王との邂逅だった。

 

 彼女は兜を脱ぎ、その素顔を晒す。

 誰も、その素顔を見て年端も如何ない女の子だとは気付かない。

 彼女が若すぎるから。

 それもあったかもしれない。だが違う。

 中性的な顔だったから。それも違う。

 彼女はもう、息をするように周囲を騙せた。

 身振り手振り。思考誘導。そして、魔術による暗示。

 彼女はもう、魔女だった。

 

 

「君は………」

 

 

 玉座から降り立つアーサー王。

 周囲の衛兵は容易く振り切れた。

 誰しもが、その少年騎士に釘付けだったからだ。

 血の流れない蹂躙劇。死のない虐殺。

 誰も、彼女から目を離せない。

 戦闘行為という本質、魂を揺さぶり騎士道という劇に憤る戦い方。

 それは容易く衆目を集めた。

 勿論それは、アーサー王も。

 だが彼だけは見間違える訳もない。

 彼にだけは、その少年騎士が年端もいかない女の子であると分かっていた。

 アーサーと■■■が出会ったのは、今日が初めてではないからだ。

 自分と同じ色の髪も、自分と同じ色の瞳も、もうとっくに錆び付いていたとしても。

 

 

「どうして、君が———」

 

 

 もしもこの時——君が生きていて良かったとアーサー王が最初に零していれば、たとえ結果は変わらなくても、二人の関係は少しは変わっていたかもしれない。

 だがそうはならなかった。

 だから彼女の心は、僅かに揺れる事もなかった。

 

 思いがけない様子で彼女に近付くアーサー王。

 それを彼女は、無表情で見つめた後。

 作りモノの、魔女のような笑みで止めた。

 

 

「——初めまして、騎士王。

 アーサー・ペンドラゴンと名高きその伝説の数々、辺境の村々から来た私も伝え聞いています」

 

「——————……」

 

 

 その笑みは、少女のモノではない。

 それは、魔女の微笑みと同じだ。

 彼女に力を与えた、魔女の笑み。彼女を利用しただけの魔女の笑み。

 彼女が"忌み嫌う"魔女の笑み。

 利用し、利用し合う。それだけの冷たい関係だった。

 だからこそ彼女の演技は、忌み嫌う者に近くなる。

 

 アーサー王の瞳に浮かんでいたのは何だったのだろう。

 複雑に織り混ざった感情。何かに裏切られたような表情をして、アーサー王は彼女を見る。

 彼の一番に浮かんだのは、哀しみだったのかもしれない。

 

 

「君は………何故、その力を?」

 

「いいえ。別になんて事はありません」

 

 

 そう呟き。

 "しーっと、人差し指を口元に当てて"

 彼女は告げる。

 

 

「これは少し意地汚く生き続けて、そうしていたらいつの間にか力が付いてしまっただけ。

 森の木々を抜けるのは大変でしたが、何かを代償にすれば案外叶うもの。

 でもこれは苦しみながら手にいれた力なので、酷く野蛮かもしれませんがそこは御容赦ください」

 

「……………」

 

「貴方が気にする事ではありません。

 確かに辛い日々でしたが、修錬とは厳しいものです。

 苦しみの中でも生命を渇望し、いつの日かの報われると信じて剣を振るのは、何も間違いではないでしょう?

 私はそう、信じているのですから」

 

「…………そうだね」

 

 

 彼女の言葉はどこか謎めいていて、周囲の人々は理解し得なかっただろう。

 ただその言葉の意味は、アーサー王にだけは分かっていた。

 名前も知らない少女を、唯一知るアーサー王にだけは。

 

 

「アーサー・ペンドラゴン様。

 どうか私を騎士にしてはくださいませんか」

 

 

 彼女は跪いて、若き少年王に剣を捧げる。

 鞘に込められたまま、その刀身を露わにしない剣を。

 いずれは容易く消える剣を。

 自らの真意を、その剣に表して。

 

 

×        ×         ×        ×

 

 

「おや」

 

 

 その二人のやり取りを、偶然遠くから見ている者がいた。

 若き少年王を導いた賢者。ブリテンの王に仕える宮廷魔術師。

 

 

「どうやら彼女、ボクのアーサーに結構な影響を与えそうじゃないか」

 

 

 視界の先に映るのは、聖剣使い足る少年王と、自らを少年と偽る小手先だらけの少女。

 どうやら自分の知らないところで、アーサーは少し思い悩む事をしてしまったらしい。

 ならばそれはそれで仕方がないと、美しき花の魔術師は微笑む。

 

 

「永遠に輝ける星の為には、その背景に濁る事のない黒がなくてはいけない。

 イイね。キミの事、私は気に入ったよ」

 

 

 そう微笑んで。

 美しき花の魔術師は。

 キャメロットの天塔から飛び降りた。

 

 ——"彼女"の名前はマーリン。

 

 人心を解さぬ魔術師でありながら。

 蒼銀の騎士と一人の少女を世界有数の王にしたキングメイカーだ。

 

 

 




 
 
保有スキル解放


 月光のカリスマ ——
 詳細

 彼女固有の軍団の指揮能力、及び天性の才能。
 団体戦闘において自軍の能力を向上させる。

 このサーヴァントの生涯に、カリスマが介入する余地はなかった。


 宵闇の星 ——
 詳細

 その生涯を以って変質した直感の亜種、上位互換スキル。
 彼女を対象に無差別化した【聖杯の寵愛】とでも言うべきスキル。

 常に自身にとって最適な展開を"感じ取る"能力ではなく。
 常に自身にとって最適な展開へと"捻じ曲げる"能力。
 捻じ曲げる過程で、自身に干渉するスキル等をキャンセルする他、自らが保有するスキルすら補正して使用する権能を持つ。
 運命や因果率にも干渉し得る。

 人を導いた一つの星ではなく、嵐の王としての生涯を貫いたこのサーヴァントに、このスキルは存在しない。


 凍る鉄心 ——
 詳細

 固有の精神汚染スキル。
 このサーヴァントは歪んでいない。
 代わりに狂い、壊れ、変性している。
 故にこのサーヴァントは特別でもなんでもない。


 魔女の寵愛 ——
 詳細

 このサーヴァント(■■■)が愛された事はない。
 
  

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