騎士王の影武者   作:sabu

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第12話 初陣

 

 

 

 選定の剣を引き抜きヴォーティガーンを倒すまでの十年間、ただ一度の敗北もなく、勝利のみを続けた無双の騎士王は今現在、騎士ではなく王として政務に励んでいた。

 

 現在蛮族の動きは沈静化し、大きな会戦を必要とする規模の攻撃はなく、ブリテンはこの数十年の中で一番穏やかな時期に入っていた。

 小さな小競り合い程度の侵略は消えていないが騎士王本人が馳せ参じる必要もなく、十数名の騎士が動けばこと足りる事であるうえ、著名な騎士が冒険の片手間で片付けられる程度のものでしかなかった。

 人々は希望に満ち溢れ、騎士達は己の栄光や武勇を得る為にあらゆる揉め事に顔を出して、それを解決していく。時に騎士達は口実が揃えば直ぐ様腕試しに剣を交え、互いの力量を高めていった。

 

 

 この星における最後のロマンス時代であり、神秘や魔術を残した黄昏の時間だった。

 

 

 そしてブリテン島に平穏をもたらした騎士王アーサーは、足並みが上手く揃わない諸侯や騎士達を纏めながら、いずれ訪れるだろう蛮族達の再侵攻に向けた準備を整えていた。

 ブリテンを覆う暗雲は払う事が出来たが、ブリテンを脅かす外敵はヴォーティガーンだけではない。今は平穏であっても、いずれ必ずブリテンはまた戦いの日々になる。

 

 

 しかしその為に騎士達や、市民にも戦いの為の用意や覚悟を強いるつもりもなかった。

 

 

 願ったのは平和なブリテン。

 そして人々が共に笑いあい、幸福で在れる世界。

 ようやくの末に勝ち取ったブリテン島の束の間の平和である。

 戦争に明け暮れるしかなかった騎士達と、戦火の影に怯える人々から、戦場の血腥さそのものから切り離して、穏やかな世界で体を休めさせたかった。

 無辜なる人々が平穏にいられる正しき場所で暮らして欲しかった。

 

 

 たとえそれがいずれ破られるものなのだとしても。

 

 

 だからこそ彼女は誰よりも現実を見据えながらも、自分以外の騎士や人々に夢を覚まさせないまま、戦の準備を進めていた。

 騎士達に戦争の気配を感知させず、しかし戦争の準備を疎かにもさせず。

 

 ブリテン島は決して裕福ではない。

 いくら準備を進めようと足る事は決してない、戦に入れば必ず少なくない血が流れてしまう。その流血を可能な限り最小限にする為に。家族の平穏と安寧の願いを、もう奪う必要のない為に。

 

 

 そして今、キャメロット城完成から数ヶ月。キャメロット城の城下町の一角で決闘式が行われていた。

 

 

 城下町の一角に作られた決闘場。

 半径数十mの円形闘技場であり、それを取り巻く様に高さ数m近くの壁に囲われており、上座には円形の闘技場を一望出来る観客席が存在する。

 更に最上層には、決闘を鑑賞する為の王の座椅子があり、地上から20m近い高さに天幕が張られた、質素ながらも下品にならない様に、飾りつけられた闘技場である。

 

 半世紀近く前に、ブリテン島に駐屯していたローマ人の名残を残したものであり、ローマの首都に存在する、剣闘士が鎬を削りあった巨大な円形闘技場のコロッセウムを、少々小さくしたものと言っていい。

 大きさ以外に多少の違いがあるとすれば、闘技場と玉座を繋ぐ、大きな階段があるくらいである。

 

 そこでアーサー王は、つい最近に円卓入りを果たしたランスロット卿の顔を広める意味合いも込めて同行させ、眼下にて行われる、決闘試合を鑑賞していた。

 政務を十分に片付け終え、ブリテン島の状況などを取り巻く仕事と向き合うのではなく、ブリテンの顔の象徴として祭り事を見ていた。

 

 

 元々娯楽などに乏しいこの時代においては、決闘試合といった武勇は人々にとって良い刺激になる。

 

 

 そこにアーサー王とランスロット卿が直々に、この決闘試合を鑑賞に来ているのだ。

 この決闘試合は瞬く間に大きなイベントになり、人々はアーサー王と共に試合を鑑賞したいと願い多くの人々が集まる。観客席は一つの隙間もなく完全に埋まった。

 娯楽と修練を同時に行えるこの決闘試合。さらにまだ騎士として花咲く前の者を見つけるのにも丁度いい。端的に言って効率が良かった。

 

 

 そして戦っているのは重厚な鎧に身を包んだ騎士ではなく子供。

 

 

 決闘場にいる人影は二人。

 一人はこの決闘試合に参加した十五歳程の子供。もう一人は、簡易な鎧に身を包んだ老騎士——エクター卿。

 子供の方は何処かの部族の王の息子か、もしくは著名な騎士の息子であるのか、上質な鎧に身を包んでいる。右手には木剣。そして同じく木で出来た盾を左手に装備して、若者特有の闘志を瞳に浮かべながらエクター卿に斬りかかっている。

 

 そして相手をしているエクター卿は、相手をしている子供とこの試合を見ている人に威圧感を与えない様に、兜を外し、最低限の籠手や胴鎧に身を包んでいる。武器は相手に傷をつけさせない様にと鉄ではなく木で出来た剣と盾。

 

 

 この光景を見ている人は、戦場の凄惨さと血腥さを連想する方が難しいだろう。

 

 

 誰もが地に落ちる様な、生存をかけた殺し合いなどではなく、互いの武勇と勇姿を認め合う、誇り高き一対一の戦いであり決闘。

 騎士になる前や騎士見習いの若者達は皆真剣であるが、浮かべる感情に怒りや憎しみの感情は一つも存在しない。そこにあるのは、不屈の闘志だけ。

 

 ブリテン島における騎士を目指す子供や、貴族や部族の王の血を引く者の多くがこの決闘試合に参加している。

 中にはアーサー王に一目見て貰えれば、もしくはこの光景を見守る人々の目に映れば、騎士として大成出来るかもしれないと言った動機で望む者もいるだろう。

 

 決して不純な動機ではない。

 極々当たり前の感情であるし、むしろそんな意思を持った者程、騎士になりたいと思っている人の証と言ってもいい。さらに、この光景を見る人々はそんな勇気と力溢れる子供を見に来ている人も少なくない。

 

 騎士になって大成したいと願い、勇敢に立ち向かう若者。そしてそれを見守り、若者の見せる武闘に白熱する人々。この試合は祭りの規模になり、大いに盛り上がっていった。

 

 

 ただ今のところ——若者の誰か個人が人々の印象に残った者はいない。

 

 

 相手が悪いというべきか、二十にも満たない若者でありながら白熱した戦いを見せた才能溢れる者も、エクター卿にまともに一太刀入れる事すら出来なかった。

 今までに数多くの若者と相手してながらも、呼吸は乱れておらず、どっしりと構えられた盾に震えは一つもない。隙を見せた若者に放つ木剣の太刀筋は、最初と変わらず、騎士の見本として輝くだろう程に美しさを保っている。

 

 

 六十歳を過ぎた老騎士と侮った若者は簡単に倒されてしまうだろう、そんな手馴れの騎士だった。

 

 

 それもその筈だった。

 その老騎士は余り知られていないが、アーサー王の養父であり円卓の騎士に名を連ねるケイ卿の父親なのだから。

 アーサー王は先王ウーサーの子供であるが、アーサー王が五歳の頃に引き取り、選定の剣を引き抜きマーリンと共に王として歩み始めるまでの十年間を、仮の父親として育て上げた騎士である。

 長い間アーサー王の修練を務め上げたエクター卿が、才能溢れるとは言え、間違いなくアーサー王には才能で劣る若者に負ける筈がなかった。

 

 確たる名誉を持たず、またエクター自身も名声を求める人ではなかったので人々の噂話に上がる様な事はなかったが、戦場で鍛えあげられた技術は本物である。

 寄る年波によって一線を引いてはいるが剣の技量は一切衰えておらず、より洗練され研ぎ澄まされたものになったそれは、技術という面では円卓の騎士相手でも十二分に通用する。

 

 無論、エクター卿が力量の足りない子供を一方的に打ち倒すのではなく、相手の全力を全て出させたうえで攻撃を仕掛けているが、アーサー王の剣技と同じくする力強い太刀筋によって繰り出される剣の武練を防ぎ切るのは難しく、また構えられた盾の防御を抜くことも至難の技であった。

 

 

 こうして今までの全ての試合は、エクター卿が勝利を収めている。

 

 

 しかしその事に怒りや不満を浮かべる者はいなかった。

 一方的な勝利を見ている人々も、敗北している若者達も、皆試合が終われば興奮に笑顔を浮かべ、人々の拍手がその空間に響き渡る。

 敗北した若者だが、浮かべる表情に苦悶の様子はない。

 あれが足りなかった。調子が悪かった。自分の力はこんなものではなかった。

 

 そんな言い訳を出せないくらいに全力で戦い、己の全てを出し切ったうえでの敗北だった。同時に今までの人生で一番の戦いだったと思えるような戦いでもあった。

 それに、戦いが終わった後にはエクター卿から短く、しかししっかりとした採点のアドバイスを貰えるのだ。この人と戦って敗北出来て良かった、とむしろ清々しい気持ちだった。

 騎士としての理想形を見て、いずれはこの人の様になりたいと夢想する者もいる。

 

 そして人々もそんな手に汗握る戦いを、若者が今までの人生全ての輝きを見せた戦いに熱中し、そして若者に全てを出させたうえで、しっかりと勝利する無名ながらに卓越した老騎士に敬服する。

 十年間、アーサー王を鍛え続けたエクター卿であるからこそ、静かに熱狂していく。

 個人が印象に残らないのは、決して気に食わないからではなく、今まで全ての戦いが気持ちの良いものだったからだった。ほんの少しの休憩を挟みながら朝から日が傾くまで続けられていた決闘試合。

 

 

 それは当然の事として終わりに向かい始める。

 

 

 エクター卿に立ち向かう最後の相手。

 司会役を務める一人の騎士による紹介が響いた。

 何処かの著名な者の子供なのかどうかは分からず、その子供の名は不明。その子供を推薦したものは匿名であり、誰が推薦したのか判明出来ていない。経歴も詳細も分からない。

 

 紹介と呼べるものではなかったし、ほぼ飛び入り参加と言っていい選手だったが、その異質さ故に、逆に人々の興味を誘った。

 この決闘試合の最後を締めくくりに来たものは一体誰なのか。今までの試合全てが心地良く、固唾を飲むものだった。なら最後のその者は?

 

 

 そうして、人々の関心を背負った経歴不明の選手が試合場に姿を見せる。

 

 

 

 

 

 

 

 月光の様な薄い金髪の子供だった。

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、その子供がどんな顔をしているのかは誰も分からなかった。

 その子供は鼻から目元の部分の顔を覆い隠す、歪んだダイヤモンドの様な形をした、赤い線が特徴的な"黒いバイザー"を付けていた。

 

 兜で顔全体を覆い隠している訳ではないので、髪の色と顔の造形はなんとなく分かるが、黒いバイザーに隠されている影響で、顔は頬と口元しか見えない。

 しかしその頬は微動だにせず、また口元は真一文字に固く結ばれている。

 

 僅かに見える顔の造形は、男とも女とも取れない中性的なものの様に見えたが、それ以前に性の差が出て来る前の、明らかに十かそこいらの子供の様にしか見えなかったので、性別を気にする者は人々の中にいなかった。

 その子供の性別については、人々は既に意識から抜け落ち始めている。

 

 

 ——自然と関心が向かない事に違和感を持つ事もなかった。

 

 

 人々は騎士を目指すのだから男なのだろうと当たりを付ける。

 性別などの事よりもまず、庇護されるべき小さな子供という印象があまりにも強かった。何故ならその子供は、今までにエクター卿と相対してきた者と比べると、一回りではなく二回り以上も小さい。

 その子供は130cm程度の小柄な体でしかなかったので、騎士に立ち向かう勇敢な若者という印象を想起するのは難しかった。

 

 エクター卿が相手してきた者達は、ほぼ全て著名な者の息子であり、十代後半から二十前半の青年ばかりであった。その為、小柄な者でも150cmはあり、大きいものは180cmを超える者もいた。

 そんな者を見てきた人々にとって130cm程度の子供というのは酷く浮く。場違いにも程があった。何かの間違いでここに来てしまったのではと考える人もいた。

 

 しかし、余りにも場違いさを醸し出す小柄な図体であり十歳にもなっていないのではと思える子供でありながら、その子供はとても自然体であった。

 今までの若者が装備しており、その子供にとっては少々大きい木剣を携えながら、周りのざわつきを意に介さず、極々自然と入場している。

 その佇まいはとても穏やかであり静かだった。いっその事、今までエクター卿と相対してきた全ての人物の中で、一番落ち着いていると言ってもいい。

 

 

 小さい子供の姿に似合わない、異質さ。そしてその子供の正体不明さ。

 

 

 何処ぞの高名な騎士の子供の様にも思えるが、その姿に見覚えのある人はいない。

 その子供が着ている服は上質な物であるが、別にそれほど珍しくはない何処にでもある"男物"の服で、黒を基調とした麻布の服。その服の上から簡素な防具を付けている。若者が自らの力を誇示したり、見た目のみを優先して付ける、体全てを覆う様な鎧ではなかった。

 

 身に付けている甲冑は、胸甲と胴甲が合わさった上半身を守る鎧。腕甲と足甲、そして太腿を守るスカート状の草摺だけ。頭を守るのは黒いバイザーだけで、兜はつけていない。

 自身の動きや視界を阻害せずに動ける分だけの防具。簡素かつ軽装ではあるが、体の重要な部分を最低限は守っている装備。

 

 

 そしてその子供は木剣は携えていたが、盾は装備はしていなかった。

 

 

 子供の武装は非常に実戦的かつ攻撃的なものと言ってもいい。

 最低限の守りだけで、剣を振るう為だけに不要なものは全て切り捨てたかの様な装備。

 単純に小柄な体では重い鎧を装備出来ないのか。片手で剣を扱うには力が足りないのか。もしくは、守りなど必要ないのだという自信の表れか。

 

 

 高まる関心は何一つ損なう事なく、その子供はエクター卿と相対する。

 

 

 

「……小柄な躯体でありながらこの場に現れ、己よりも強大な者に立ち向かう其方は、それだけで敬意に値するだろう。しかしこの戦いは神聖なる決闘。

 この場に於いて、其方は誉ある騎士として後ろ姿を見せて逃げ帰る事は許されない。その覚悟はお有りか」

 

 

 

 静かに語りかける様に、しかし叱りつける様にエクターはその子供に問いかける。

 目の前にいるのが血気盛んな若者ならばまた少し話は違ったが、今目の前にいるのはこの場所にいるのが場違いに思える様な子供。

 既にその佇まいから、今までの若者とは何か違うのだという事を、騎士として鍛え上げられた直感が示していたがそれでも一つ問わなければならなかった。

 

 

 しかしその子供は、威圧とも取れる問いを受けながらも震えや怯えといった反応は皆無であり、波紋一つすら立たない湖の水面の様な不動さを終始保ったままであった。

 エクター卿の問いを受けた子供は静黙の佇まいでありながらも厳かさを感じ取れる様に、静かに剣を両手で胸元まで上げ、構えをとった。

 剣は地面に垂直に構えられ、その剣の切っ先は真上を向いている。震えは一つもない。

 

 

 それは、騎士の礼だった。

 

 

 見様見真似でやる様な不格好さはない。

 その動作に慣れ親しんだ動きであるかの様に淀みはなかった。

 その姿に、人々とエクター卿は星の聖剣(エクスカリバー)を携えた騎士王の姿を幻視し、その子供に重ね合わせる。仮に、その子供が手に持つのが星の聖剣(エクスカリバー)だったとしても、違和感なく見劣りもしなかったかもしれない。

 厳かな雰囲気は騎士王そっくりだった。

 

 

 そしてその子供は剣を構えたまま語る。

 

 

 

 

「相手を前にして剣を構えておきながら背を向け逃げる道理はなく。

 また覚悟など、今更問われるまでもありません」

 

 

 

 その子供は静かに、しかし自分を見ている人々全てに聞こえる様に告げる。男とも女とも取れない中性的な声だった。

 鈴の様に響く声が似合うであろう細身の体躯の子供でありながら、その子供の声音は凍りついた川の様で平坦なものであった。しかしその声は、聞いた者の意識を引き締める凄烈さを含みながら、川の様な清々しさを矛盾なく合わせ持った声だった。

 

 揺るぎない決心と不屈の精神を感じさせる声。

 その子供には逆に、余りも似つかわしくない。それを口にしたのが、円卓の騎士といった高名な騎士であった方が違和感はない。しかし実際に口にし、言葉を発したのはただの子供。

 

 見た目からはあまりにも結び付かない落ち着きと精神性。

 試合場は静まり返りながらも、その子供に対する人々の興味は尚も上がり続ける。

 

 

 そしてその子供は、エクター卿の問いに対する答えを示し終えたからか騎士の礼の構えを外し、別の構えを取る。

 

 

 剣を両手で持ちながら低く下段に。刀身を後ろに流して、左半身をエクター卿に対峙させた構え。

 その構えは、防御など一切眼中になく、ただ渾身の一振りによる逆袈裟に斬る事のみを期した必殺の構えだった。

 沈黙のまま戦闘の構えを取った事により、その子供とエクター卿の間の空間が、静かに緊張の密度を大きくしていく。その瞬間に何か小さな物音がすれば、そのままそれが合図となってその子供が飛び込んで来るのではと錯覚出来る程にまで。

 

 その子供がただの一回しか喋っておらず、またその子供が行動によって示したものは数える程度。

 しかしたったそれだけで人々を完全に魅了させた。個人としての存在を完璧に深く印象付けるに足る存在だった。

 

 今までエクター卿と相対して来た若者の中で一番若く、一番小さな体躯の子供でありながら、その精神性は若者特有の猪突猛進さはなく、一つも揺らぎはしない。しかし、研ぎ澄まされた剣のように鋭く隙はない。

 その子供が示しているそれは、今までの誰よりも勇敢であり勇ましい。

 

 若者の様に己の力を誇示するのではなく、また声を張り上げて己を鼓舞する事もしない。ただ静かに、自然体のやり取りの中で己の存在感を示した。

 その緊張の度合いは今まで一番静かながら尚、一番激しい。

 

 

 最初に子供に向けていた正体不明さと異質さは、その子供が特別な存在であるのだと人々の中で昇華させられる。

 

 

 実は円卓に名を連ねる者の血を引く者かもしれないなどと人々は勝手に夢想し、しかし今からその子供が魅せてくれるだろう試合を前にして無粋な事であると思考をやめる。

 それは後で考えればいい。ただエクター卿とその子供の試合を一つも見逃さない様に意識を集中させていった。

 

 その構えから、勇敢さを示す様に斯くも鋭き太刀筋の剣が披露されるのか。

 もしくは、その歳不相応な落ち着いた精神性を表す様に、堅実な戦いを繰り広げるのか。人々の熱狂は限界まで高まる。しかし歓声は一つもない。緊迫感に支配された静寂が辺りを包む。

 

 

 

 

 

 

 

 その静寂の中で、子供の深い呼吸の音をエクターだけが聞く事が出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 大きく心臓を動かす様に、空気を自身に取り込む様に大きく息を吸い、そして吐き出す。

 深い、深呼吸だった。

 

 その子供の行動に、エクターはやや好感を持った。

 まるで心に一つも揺らめきはない様な佇まいと勇敢さだったが、目の前の子供も実は意外と意識を張り詰めていたのかもしれない。

 見た目に似合わない超然とした雰囲気だったが、多くの人々に見守られる中で子供らしく不安で緊張しているのだとしたら、これ程健気な事はなかった。

 目の前の子供はその幼さでありながらも、人々に見られている己を自覚し、自らを良い騎士足らしめようと頑張っているのだ。そうだとしたら、この子供が先程示した不屈の闘志は、また別のものに変わって感じられる。

 

 

 それにどこか——アルトリアを思い起こせる様だった。

 

 

 もちろんアルトリアはもう、こんな小さな子供ではない。

 髪の色も違うし、声も何処か違和感があってアルトリアのそれとは違う。それでも何処か重なってしまう部分があった。自らをより良い騎士足らしめようとする在り方。歳不相応な精神性。

 しかしその精神性に隠された、歳相応のどこにでもいる子供の様な精神性。

 

 

 そして——構え。

 

 

 十年間アーサー王を、アルトリアを育てて来たエクターだからこそ、その構えを見て想起してしまった。

 盾を使わず、また防具も全身を覆うプレートアーマーではなく服の上から簡素に付けただけの鎧。両手で握り締められた剣。乾坤一擲を体現する姿勢と構え。

 剣より花束でも持って野原を駆ける方が似合うだろう華奢な体付きなのに、剣を構えるその姿は、どの騎士よりも勇ましく気高い。

 

 目の前にいる子供とアルトリア。

 エクターが持つアーサー王としてではなくアルトリアとしての、子供時代の記憶。彼の瞳に映る目の前の子供と記憶にあるアルトリアが、何度も入れ替わり続けた。

 

 

 重ならない部分は確かにある。でも重なる部分の方が多い。

 

 

 きっと目の前にいる子は将来大成するだろう。ただの直感だが、確信と捉えられる物だった。そんな騎士の卵との初の相手が自分であるというのは、きっと誉れ高い事なのだろう。

 

 

 

「さぁ! どこからでもかかって来ると良い。全身全霊で相手しよう!」

 

 

 

 エクターは声を張り上げ、開戦の狼煙を上げる。

 この瞬間より戦いは始まった。エクター自身も目の前の子供がどんな戦いをするのか楽しみになっていた。同時に子供に対して成長が楽しみだと思うのも久しぶりかもしれない。

 それこそ、十数年ぶりくらいには。

 

 目の前の相手の一挙動に集中する。子供が——小さく口を動かすのを見た。

 

 

 

 

 

 

 

「——構成材質、解明

「——構成材質、補強

 

 

 

 

 

 

 

 その言葉を、相対するエクターだけがなんとか耳にする事を出来た。

 単語の意味は聞いた事があっても、その言葉が何を意味するのかを理解出来なかった。

 戦いの前に自分を奮い立たせる言葉とも思えない。六十を過ぎる生涯で、何一つ自分の知識の中で該当しない言葉だった。

 

 

 

 

 

 

 

「——全工程、完了

 

 

 

 

 

 

 

 さらに子供は続いて言祝ぐ。

 何を意味するかは分からない。ただ何かが終了したのだという事はなんとなく感じる事が出来た。

 こちらから斬りかかる訳にも行かず、その子供の挙動に困惑したその瞬間——

 

 

 

 ——目の前の子供の印象が徐々に反転していく。

 

 

 

 まるで、彼女を中心として冷え冷えとした空気が流れこみ、周りの大気を凍りつかせていく様な感覚。静かに、しかし肌身で感じられる程に強烈な違和感。

 子供のナニかが切り替わるように、スッと周囲の空間を停止させていった。

 

 そしてそれは、周りの大気を押し潰し飲み込む様な圧が広がり、エクターの足元へ、そして腰に、背中に、頭へと広がり、エクターをその場に縫い付ける。

 爽やかな清流を思わせる浄気の様な清々しさは反転し、相対する者の心の芯から凍りつかせる、冷酷な氷の如き圧に変わる。

 

 それはまるで自分の重さが何倍にもなった様な感覚。

 世界全ての大気が自分に目掛けて落ちて来る様な感覚。今この場の空間が切り替わり、寒風吹き荒ぶ荒野に放り込まれた様な感覚だった。

 今までの人生の中で、感じた事のない強大な寒々とした威圧感。

 

 自分は幻想種と相対した事はない。

 でももし、幻想種の前に立つ時の感覚とはこうなのではないか。己はただの人間でしかないという、生命としての格の違いを認識させられるという事はこういう風な感覚なのではないか。

 

 

 ——竜と敵対するという感覚はこの様なものなのでは。

 

 

 生物としての本能的な恐怖を無意識の内に体が認識させない様にする為か、思考が高速で動き続ける。

 そんな圧縮された時間の中、エクターは"黒い線"を視線に捉えた。

 

 

 

 

「(…………この地面に走る線はなんだ)」

 

 

 

 

 瞬き一つの刹那の内に、突如視界に入り込んだ黒い線。

 

 

 ——その地面に走る黒い線は、その子供が間合いを詰める為に、有り余る膨大な魔力を瞬間的に放出し、地面を蹴り砕きながら跳躍した為に出来た、蜘蛛の巣状の亀裂だという事に気付けず。

 またその後に見えた、目の前の子供が持つただの木剣に走っている、稲妻の様な赤い線が一体なんなのかを理解出来ず。

 既に眼前にまで近づき、逆袈裟に斬りかかっている子供に反応する事も出来ず。

 

 

 地面を蹴り砕いた事によって生まれた、雷が落ちた様な轟音が耳に入るよりも早くエクターの意識は途絶えた。

 

 

 

 

 

 




 
[人物解説]

 エクター卿

 詳細


 ケイ卿の父親であり、アーサー王の養父。
 原典ではアーサー王が選定の剣を引き抜いた後、円卓の騎士(もしくはアーサー王の執事)となるが、Fate世界では円卓に名を連ねる実力は持っておらず騎士としての表舞台から姿を消した老騎士とされる。

 Fate世界の中では詳しく語られる人物ではなくGarden of Avalonにて多少語られる程度。
 ドラマCD版ではエクター自身の説明はほとんどなく、小説版でもアルトリア視点で多少説明がある程度で、アルトリアが選定の剣を引き抜きマーリンと行動を共にする様になってからは、エクター卿がどうなったかの描写はない。
 また原典においてもエクターを主人公とした話を確認できず、アーサー王や円卓の騎士を主人公とする話の中で盛り上げ役や、情報提供役として多少出て来るのみであり、ベドグレインの決戦や序盤のサクソン人との会戦当たりから本格的に姿を消す。

 尚、アーサー王伝説内にて、ランスロットの異母兄弟としてエクターという同名の人物がいるが、区別を付ける為にランスロットの異母兄弟の方のエクターを、出身地の名称を付けてエクター・ド・マリスと呼ばれる。
 


 エクター卿はアーサー王が5歳の頃に先王ウーサーから譲り受け、アーサー王が15歳になるまでの期間、アーサー王を育て上げた。
(原典によっては、ウーサーからではなくマーリンからだったり、譲り受けた時のアーサー王の年齢はまちまち。ただ選定の剣を引き抜いた時の年齢はほぼ全ての原典で15歳。またFGO一部六章にて、アルトリアが剣を引き抜いたのは16歳だとベディヴィエールが語っているがGarden of Avalonではマーリンとケイ卿からは15歳と語られる。この作品ではGarden of Avalonの方の設定を準拠する)

 原典では、エクター卿は騎士ではなく吟遊詩人だったり、マーリンが適当に見つけただけの老人だったりするなど、エクター・ウーサー・マーリンの三人の関係性などは原典によって微妙に変わる。Fate世界でも詳しい描写はない。
 この世界線では、エクター卿は元々ウーサーの部下で信頼出来る存在であり、騎士としても優秀だったので、ウーサーはマーリンを通してアルトリアの正体が露見しないようにエクターに預けられたという設定。

 アルトリアが選定の剣を引き抜くまでの十年間は基本的に、教師の様な役割として接していたとされる。
 騎士としての教育は一切の手を抜いていなかったが、ただの少女が理想の王という国の部品になるのにあまり良い感情を持っていなかったと思われる描写が小説版Garden of Avalonに存在する。
 選定の日が近くなってきた頃は親としての愛情を隠しきれず、困っている様な、悔いている様な、悲しいものを見る様な、複雑な感情を織り交ぜた表情でアルトリアを見る様になっていた。
 アルトリア自身も、その表情が意味するものになんとなく気付いていたが、エクターが時々見せる、優しげに、名残惜しむ様に緩む表情に対して気が付かないふりをしていた。


 またアルトリアの人格形成において最も大きな影響を与えた人物でもある。


 アルトリア自身が本当の父親であるウーサーに対する思い入れはなく、また顔もほとんど覚えていないので、アルトリアにとって父親はエクターだけ。
 ただエクターは、アルトリアに自らを"父上"と呼ばせる事だけは許さず、またアルトリアも親愛を込めてその響きを口にする事は生涯を通して一度もなかった。

 "アーサー王"及びブリテンからすると理想の騎士はランスロットだが、"アルトリア"からすれば理想の騎士とはエクター。
 アルトリアが信ずる騎士道の核になった人物でもあり、騎士道とは『道徳を守り、人々の盾となり、主君を生かす。戦場に置いて畏れを見せず、自らの欲の為ではなく、国と信念を守る為に剣を振う事』と教えた。
 この騎士道精神が、何一つ歪まず、間違う事なく、また穢れる事もなく、完璧な理想として伝わり、アルトリア自身の歪みの一つとして昇華された。(と思われる描写あり)
 小説版Garden of Avalonで後にマーリンから、エクターは良い教師でありすぎたと評価される。


 

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