騎士王の影武者   作:sabu

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 1万文字超え。
 後、この話から大体、9千〜1万文字をふらふらすると思います。
 


第4話 血塗られた誓い 前編

 

 

 

 コーンウォール州の北に位置する大きな森林。

 他者を拒絶する様に、往々と木々が密生している緑の海。既に太陽の輝きは沈み、空の上には人の世ではなく、夜に潜む魔性の者の時間なのだと誇示する様に輝く満月が一つ。

 より、木々をざわつかせている、宵闇に輝く月灯りに照らされた森の中。

 

 

 ——そんな森を進む一人の女性がいた。

 

 

 人工物など存在せず、町の灯りもなければ、人々の活気も存在しない。

 森に熟知した狩人ですら、油断しようものなら行く道に迷い、足下に生える草花や木の根に足を取られて、そのまま森の中に姿を永遠に隠されてしまうだろう世界。

 

 森は決して人の世界ではなく。獣と魔の潜む、人の世と断絶した世界なのだ。

 そんな世界で、誰も同伴させずに一人で歩き、尚更それが女性なのだと言うのなら森は即座に牙を剥き、人間に自然の恐怖と己の愚かさを、その身に刻むだろう。

 

 

 ——だが彼女は何にも憚れず、いっそ優雅に森の中を歩いていた。

 

 

 彼女の匂いに釣られてきた鳥獣は、彼女から放たれる強大な威圧感と、人でありながら人ならざる不気味な雰囲気に即座に逆戻りをし、彼女を襲いその血肉を貪ろうとした愚かな魔獣は、彼女の"金"の瞳と目が合うと、瞬間的に心を恐怖に射抜かれ、ガタガタと震える置物と化す。

 

 それは心を持った動物だけではない。

 彼女の行く道を阻んだ、草木はまるで最初からそこに何も無かったかの様に枯れ果て、森の木々は、彼女に道を譲る様に土ごと移動する。

 人間の世界でないにも関わらず、森を我が物顔で進むその女性は、森という空間を完全に支配していた。

 森はただ、急に来た支配者を怒らせない様に縮こまるしかない。

 

 しかし、彼女は別に大した魔力を使っている訳ではない。

 手を振りかざし、指向性を持って魔術を行使している訳でもない。彼女にとってそれは人間が呼吸をするのと大差はないモノだった。何せ生まれた時から持っていた"超常の力"である。だから、ただ少し願うだけで良い。

 

 

 ——邪魔だから退け、ここは私の島なのだから。

 

 

 ウーサー・ペンドラゴンから受け継いだ超常の力。

 ブリテンの所有者として"島そのものの王"としてならアーサー王すら上回る、もう一人の王位継承者。

 

 

 ——そして王になれなかった魔女

 

 

 彼女の名はモルガン・ル・フェイ。

 アーサー王と同じ父親を持ち、アーサー王と腹違いの姉にして、復讐の魔女と化した妖妃モルガンその人である。

 

 

 彼女は森を進み、下界から閉ざされたある村へ向かっていた。

 別に大層な目的がある訳ではない。強いて言うなら、日課である。モルガンの目的は終始徹底してアーサー王——アルトリアに対する復讐であり。その方法は多岐にわたる。

 数え出したらキリがない程の回数を重ね——自分の娘や息子すら利用しているが、大した戦果はなく、変わらずブリテン島はアーサー王の物となっていた。

 

 

 呪術を用いて罠にかける。

 敵や味方に変身して混乱させる。

 作り出した私兵をけしかける

 諸侯を誑かしてアルトリアにぶつける。

 

 

 そして時には——死体を使う。

 

 

 死体には死体なりに利用方法があるのだ。しかも死体を使った呪術は中々回数に限りがある。死体を用意するだけなら別に難しい事ではない、村を一つや二つ襲えば良いだけの話だからだ。

 

 ただ村を一つ消した事がバレたら間違いなく、アルトリアかその配下が出てくる。

 運が悪ければ、アルトリアの後ろに控える花の魔術師マーリンすら出て来るかもしれない。

 ブリテン島の時期的にこちらを優先して討伐対象にする可能性は限りなく低いが、要らない問題を出した場合、そのツケを払うのは自分自身だ。

 

 

 ——私には自身を守ってくれる配下や騎士はおらず、自分しかいないのだから。

 

 

 仮にアルトリアと全面戦争になった場合、負けるのは必至。

 故に自分にはアルトリアの標的にならず、回りくどいやり方で攻撃を仕掛けるしかない。

 もしアルトリアを王座から引きずり落とすなら、アルトリアの配下の円卓の騎士を、内側から崩壊させるしかない。

 

 

 ——その為に、一年前に作った自分の一番新しい息子、いや"娘"は、正直微妙な結果になりそうだが………

 

 

 結局自分一人でやるしかなかった。

 故にリスクが少なく、十全なリターンが望めるであろうとある村に目を付けた。

 その村は自分が手を下す必要もなく、死んでいるであろう村。

 

 アーサー王が一つの村を干上がらせたという情報を手に入れたのはつい先日。

 その事自体に驚きはない。あぁ……遂にそこまでの事をやったか、というのみである。

 

 癪だがアルトリアという人物がどの様な人間性なのかを一番理解しているのは自分だ。

 そこまでの事をしなければならない事態にまで追い詰められたのだろう。別の避難させる土地を用意する余裕すらなかったのだろう。

 より多くの人を守ろう為に、守り続けていた筈の"最後の一線"を踏み越えたのだろう。

 

 別に自分にとってはどうでもいい事だった。

 そも自分には関係はない。無辜の人が死のうと自分にはこれといって関係はないからだ。

 だが、この経験はよりアルトリアを理想の王に近づけるだろう。それは自分にとっては悪い兆候だ。より隙はなくなり。より心は、鋼鉄の如く強固になるだろうから。

 

 

 故に自分はより多くの、より強力な駒を用意せねばならない。

 

 

 幸い、今からの行為はアルトリアに捕捉される可能性は限りなく低い。現在アルトリア達は着々と、ヴォーティガーンとの決戦に向けた準備を進めている段階である。それは少しも予断を許さない物だろう。

 アルトリアは立ち止まる事は許されない。既に滅んだであろう村に意味もなく訪れる可能性は低い。

 

 

 もしこの村に訪れるとしたらそれは、ヴォーティガーン討伐後に、ケジメとして訪れるだろう。

 

 

 故に間違いなく間に合う。それに捕捉される可能性も皆無。

 自分から人を殺すのではなく、ただそこにある物を持っていくだけだ。魔術の痕跡すらない。死体が無くなったのは不審がられるかもしれないが、自分とは繋がらない——

 

 

 モルガンはそんな謀を思案しながら森を進み、森の中に守られた村に辿り着く。そして深い森から抜け、村を視界に捉えた瞬間に理解した——この村は完璧に死んでいると。

 

 見える範囲だけでも畑に作物はなく、誰も畑を耕す人がおらず放置されていたからか、畑の土はひび割れ、乾いている。

 村の周辺に生えている木々から感じられる生気はなく、村からは一つの物音もしない。森の中にある人工物だというのに人の気配は一切しなかった。ただ寂しく風が吹くのみ。

 

 そしてその風に乗って感じられる、強烈な"死臭"。

 単純に人間が死亡し、腐った匂いだけじゃない。この村が怨念に満たされた一種の結界と化しているのだと魔術に長けたモルガンは理解した。

 これではまともな人間や怨念を退けられる力を持たない人では、数日で精神が病むか呪い殺されるだろうし、血肉を求めて来た獣すら直感的にこの村を避けるだろう。それ程だった。

 

 そして生きている人間を発見したのか怨念と化した、元住人達が襲ってくる。

 

 

 

 

 ——生きている人間だ

 ——忌々しき来訪者だ

 ——去れ

 ——去れ

 

 

 

 

「失せろ、邪魔だ」

 

 

 

 何体かの怨念が襲い、呪い殺そうとしてくるがモルガンは傷一つ付かず、また精神も一つも揺らがない。

 所詮襲ってくる怨念は元はただの人間であり、大した心の強さのない有象無象。彼女が少し殺気を放つだけで瞬く間に飛散していった。

 そして邪魔がなくなり村を散策しようとして、今しがた出した殺気に釣られたのか、更に大量の怨念に襲われる。

 

 

 

 

 ——去れ

 ——去れ

 ——失せろ

 ——ここは貴様の場所ではない

 ——ここは貴様の村ではない

 ——忌々しき来訪者は消えろ

 

 

 

 

「はぁ……面倒な事になったわね。有象無象共は等しく塵に還れ」

 

 

 

 最初に攻撃して来た何倍もの怨念に襲われながらも彼女は無傷だった。

 軽く手を翳し、空中に幾何学模様が浮かぶ。そして空中に浮いた幾何学模様が光ると、その文様ごと怨念達は消えていった。

 

 

 

「さぁ、これで邪魔者は………」

 

 

 

 

 ——失せろ

 ——失せろ

 ——失せろ

 ——失せろ

 

 

 

 

 今しがた消したにも拘わらず即座に復活し、再度襲ってくる複数の怨念達。更に復活した怨念以外にもまた別の怨念が周囲に集まり続ける。この村にいる全ての怨念が集まってくる勢いだった。

 

 

 

「チッ……目障りよ、身の程を弁えたらどう?」

 

 

 

 有象無象の怨念程度ならいくら集まろうと彼女は傷一つ付かないが、あまりの多さとしつこさに辟易とする。

 ——しかし彼女はこのあまりの状況に一つ疑問を抱いた。

 

 突如来た来訪者に滅ぼされたとはいえ自分はその当事者ではないし、大抵の場合は軽く威圧するなり、呪文で消せばもう怨念は襲ってこない。

 たとえどれだけの恨みがあろうと、彼女ならその恨みすら越えるであろう恐怖をその身に刻み付ける事が出来る。怨念になろうとも、元は人間なのだ。

 ブリテンのもう一人の王位を持つ者にして、人ならざる魔性に身を宿した強大な魔女が敵対する意志を向ければ怨念すら逃げ出す。

 

 なのに絶えず襲ってくるその理由は、一体何だというのか。

 怨念が恨みの対象を呪う余りに、執念と意地で現世に留まり続けるのとは何か勝手が違う気がしてならない。それに数が多すぎる。

 自分に向かってくるという恐怖よりも、ナニカに対する恐怖が上回っていなければまずできない行動だ。

 去れ、とは……まるで——何かを守っている様だ——

 

 

 

 

 ——彼女に近づくな

 ——あの子に近づくな

 

 

 

 

「あの子……彼女?」

 

 

 不意に聞こえて来た怨念の言葉に、モルガンは驚きの言葉を返した。

 怨念が自らの無念や執念を晴らす為以外に動くというだけで驚きだというのに、この怨念共は全員が同じ意志の元、何かを守ろうとしているのだ。

 

 自分の事ではなく、自分以外の何かの為に現世に留まり続けるなど並大抵の信念で出来る事ではない。

 人間とはそこまで良き生き物でない。だが事実としてこの怨念は——そのあの子、彼女とやらを守る為、この身を襲っている。

 そこまでの事をさせるあの子とは一体何か、まさかまだ——生きている人がいるというのか

 

 

 

 

 ——彼女に近づくなら責任をとれ

 ——忌々しき来訪者は責任をとれ

 

 

 

 

 湧き出て来た興味に釣られ彼女は村を進む。

 周りに集まる怨念は全て無視して、畑を抜け、村の中央に聳え立つ巨大な大木にまで足を進める。村の中央に行くたびに怨念の圧が大きくなっているのを感じ、そこに何かある筈だと睨んだのだ。

 こうして彼女は村の中央、大木と枯れ果てた花の広場にたどり着いた。

 

 

 ——そして彼女は一人の子供を見つける。

 

 

 大木に背を預け、空の方を向いて月を眺めている、その子を見つけて——心臓が跳ねた。

 そこには、掠れて錆びた星がいた。自分の忌々しき妹、アルトリアと瓜二つの容姿を持った幼子だった。

 

 だがこの目の前の幼子がアルトリアではないと、見た瞬間に確信する。

 それはアルトリアはこんな小さな子供の様な見た目ではない、というよりも先に来たものだった。

 

 

 

 

 ——アルトリアはこんな死んだような目をしない。

 

 

 

 

 一目見た瞬間に分かる。

 この子は心が砕けている、と

 

 

 怨念達が執念で残り続け、彼女を守っていたのだ。

 きっとそれはこの村に住んでいた住人が優しかったからだけではなく、この目の前の子がその親愛に値する程に清らかな子だったからに違いない。

 きっと白い百合の様に輝かしい子で、未来に花咲かす様な笑みと共に目を輝かせていたに違いない。

 

 

 ——そんな白い百合は完全に枯れ果てている。

 

 

 鮮やかだったであろう透き通った碧眼は暗く曇り、目に輝きはなかった。

 柔らかさや軽さが見てとれていたであろう神々しい金の髪は、満月の光に照らされていながらも光の加護を失い、乱雑に野晒しにされている。

 そして何より——彼女から生きている人間の気配を感じないのだ。

 

 彼女から放たれている雰囲気は死人のそれと同一。

 もし死体の中に放り込んでも気付くものはいないだろう。その少女は今、肉体が稼働しているだけの置物なのだ。

 

 月を見ているのはこれといった意味などなく、ただ目を開けていて、その方向に空と月がある。

 その程度の意味しかないのだろう。

 

 

 自身の記憶にある、アルトリアとの姿とは瓜二つながらあまりにもかけ離れていて結びつかない。

 

 

 彼女は思わずこの光景を見て、その幼子に手を翳した。

 きっと、彼女にはこの世に生存しているという事は苦痛でしかないのだろう。そして自分は、抵抗しない子供を眠らせる様に生命を奪う事などたやすい。

 忌まわしき妹と同じ顔だが、目の前の子供はアルトリアとは重ならなかったし、自分の復讐する相手は目の前の子供ではない。決定的な部分までを違えたつもりはなかった。

 だから別に手間でもなんでもないし、時間もかからない。消費する魔力は微々たる程度。

 

 

 故に、これは慈悲でも何でもない。

 

 

 彼女はゆっくりと目の前の子供から生命力を奪おうとする。

 しかしそれを怨念達が全力で止めにかかる。それは村に来た時の比ではなく、この村全ての怨念が自らの力を全て振り絞って、自身が消滅するのも厭わないとしか思えない程だった。

 

 

 

「(この子はもう生きていても辛いだけだと、分からないのかしら。

 それともこの私がどうにかしろ、とでも?)」

 

 

 

 モルガンは怨念達の相変わらずの執念としつこさに飽き飽きし始めていた。

 

 

 ——だからこれはただの気紛れ。ただ少し、気が変わっただけ。

 

 

 単純にその少女は何かに使えるかもしれないし、自分の想像を越える何かをもたらしてくれるかもしれない。

 ただ数言会話するだけでいいし、手間にはならない。仮にこの村全ての怨念を敵にしても自分は全く揺らがない。

 

 

 もしかしたらこれは——運命なのかもしれない、と少し思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——こんばんは……お嬢さん? 良い月の日だと思わないかしら?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月夜に照らされながら、妖艶に、されど怖がられない様、物柔らかに。

 子供の相手をするのは得意ではないと自覚があったが、彼女は幼子に語りかける。

 

 

 幼子は自分の存在に今気付いたのかゆっくりとこちらに目を向ける。

 相変わらずその瞳は黒く濁っているし、生きている人間のものとは思えない。もしかしたら、声が聞こえたからではなく、音がしたからその方向を向いただけの事なのかもしれない。

 少し驚いている様に見えるが、返事はない。

 

 

 

「(……次、話しかけて返事をしなかったら諦めよう)」

 

 

 

 次返事をしなければ、もうどうしようのない。

 もう彼女自身では心を修復出来ない程にまでに達しているのだろう。

 そして、その心を治してまでこの子供を使う気はなかった。

 

 

 

「貴方はどうしてこんなところにいるの? 何があったか教えてくれるかしら?」

 

 

 

 問いを投げかけて、あぁ……流石に配慮に欠けた質問だったかもしれない、と思い返す。

 子供からの答えを聞かずともこの村で何が起こったかは、大体の予想はつくし、むしろ思い起こしたくない記憶を呼び出してしまい、より心を深く閉ざしてしまうかもしれない。

 しかし——

 

 

 

「…………一月ほど前に騎士達が来た……アーサー王とその騎士が来て、戦争の為の物資が足りないから、と村を、干上がらせて行った……そして……みんな死んで、自分だけが……まだ生き残ってる………」

 

 

 

 子供から返って来たのは、想像していたよりもはっきりした声だった。

 さっきまで、自分がこの世界に存在する事がどうでもいい事なのだと表していた雰囲気は鳴りを潜め、自らの記憶を確かに思い出している。

 明確な意思を持って、過去に起きた惨状を伝えている。

 

 

 

「…………みんな、死んでいった。せめて貴方だけは、生きて、欲しいって言いながら……少ない食料を渡して……数日前に母親も……死んだ、自分だけが……まだ、生きている」

 

 

 

 目の前の子供が語る出来事は、ひたすらに凄惨だった。

 その記憶を呼び出すだけで、きっと心歪む様な出来事を思い出している事を想像するのは難しくない。

 

 だが、彼女から放たれる雰囲気は、さっきまでの、そのまま世界に消えて、溶けていってしまうのではないかと思えた様な"無色"ではなくなっている。

 その見た目からは一切似つかない程に底なしで黒く、この子供の周りだけ地獄に変わってしまったのではないかと思える程に、暗い。

 

 

 

「……貴方は? ……どうして、ここに?」

 

 

 

 子供の視線が、自分の瞳と交差する。

 濁った瞳のまま、そこ無しのナニかを詰め込んだ、不気味な翡翠の瞳。

 そしてその瞳で、たださっきまでの様にこちらに向いただけではなく、明確に目の前にいる自分を認識し捉えていた。

 

 

 ——何もかもを諦め、一人、誰にも見つからない暗がりの中で孤独に息を引き取っていくのを良しとしていたであろう子供が、だ

 

 

 この世に絶望し、視線を寄越していなかった世界に、再び関心を寄越している。

 枯れ果てた白い百合は、急速に息を取り戻している。別のナニカに変わりながら。

 

 

 ——もしかしたら、本当に想像以上なのかもしれない。

 

 

 そんな思いを抱きながらモルガンは思案する。

 自分は彼女に問いを投げかけ、彼女はそれに答えた。そして今度は彼女が自分に質問をしている。彼女が聞いているのは、私が何者で、何の目的を持ってここにいるかと言う事だろう。助けて欲しい、ではなくなぜ貴方はここにいるのか。

 

 

 

「……んーー、そうねぇ……」

 

 

 

 自分の命を守りたいと、生存したいと言う欲求がないのか、もしくは、幼心の直感で自分の隠している本質的な部分を見抜いたのか、こんな森深くの村まで一人で訪れているのだから自分を救いに来たのでないと理解したのか、単純にそこまで頭を回せる余裕がないか。

 

 それに、私は彼女の問いにどう答えればいいのだろう。

 自分はアーサー王に復讐する為にこの村に来た魔女である。

 

 

 

 

「……………えぇ初めに大切な事を言うとね——

 

 

 

 

 結局モルガンは良く考えないで、問いに答えた。

 これは気紛れの一つだから、そこまで頭をいちいち回す気が起きなかった。

 

 

 

 

 

                    ————私は、魔法使いなのよ——」

 

 

 

 

 膝を折り腰を屈めて、子供と目線を合わながら、笑みを浮かべて安心させる様に答える。

 

 厳密には違う。私は魔法使いではない。正確には魔術師……いやそれすらも違う、自分は魔術使いか。

 それでも目の前の子供にいちいちそんな事を教える気はなかったし、教えたところできっと分からない。ただ自分が何者か分かりやすく伝えただけ。

 

 

 

「—————」

 

 

 

 それでも目の前の子供に、何かが触れたのか酷く驚愕している。目は驚きに溢れ、さっきまでの黒く澱んだ雰囲気は飛散している。

 あぁ、そんな顔出来るのね、と場違いにも思った。

 

 

 

「…………魔法……使い……」

 

「えぇそう。魔法使いの、モルガン」

 

「……それで、その…モルガンはなんでここに?」

 

 

 

 だがその雰囲気もまた変わり、今度は困惑に満ちた問いを彼女は私に投げかける。

 それはそうだ、私は自分が何者かを説明したが、何故ここにいるのかを説明していない。

 

 

 

「……私はね、貴方と取り引きに来たのです」

 

「……取り引き?」

 

「えぇ、取り引き。私は魔法使いですからね、大抵の事は出来ます。

 例えばそう——貴方の願いを叶える事だって出来るでしょう」

 

「……私は自分から差し出せるものを持っていない……だから、その取り引きは……」

 

「気にしなくて大丈夫ですよお嬢さん。まだ貴方の願いを聞いていないのに、こちらから要求するなんて真似はしません。

 もしかしたら、貴方から何も貰わなくても、片手間で叶えられる事かもしれないでしょう?」

 

 

 

 彼女は私から視線を外し、俯く。そして彼女は彼女自身の手を凝視していた。

 私には俯いた彼女の表情が見えない。

 

 

 ——彼女がこの問いにどう答えるかで、私と彼女の関係性が決まる。

 

 

 もし、死にたくないから助けてくれなんて願ったらどうしようか、正直言ってただの手間であるし、自分にそこまでする義理はない。村のみんなを生き返らせてくれ、と頼まれたら更に面倒くさい。

 まぁ……そうなっても妹のアルトリアと同じ顔というだけで使い道はありそうだから、別に……いいか。

 

 

 

 

 

 

 でももし——もし彼女が

 

 

 

「もし、もし……自分の願いが叶うのだとしたら……

 

 

 

              ——復讐を望んだら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                     

                      ——竜をも殺せる位の力が欲しい

 

 

 

 

 

 

 彼女はそう言いながら私の目をみる。

 私はそうして彼女の目を見て、身の毛がよだつ感覚を覚えた。

 

 自分の妹と同じ深い木々の色と、透き通る空の色を落とし込んだ様な碧眼ながら、目は鷹の様に細められ、瞳の奥には黒い呪詛の炎がチラチラと燃えていた。

 中性的な美しい美貌の持ち主ながら、顔から一切の動静は抜け落ち、まるで戦場をいくつも超えてきた老兵の如く表情は消え失せ、凍りついた。

 

 決して、子供がする様な顔ではない。

 ただ彼女にあるのは、周りにある全てを燃やし、灰に還すかの如き心の炎。

 そして、その身を支える、鋼の如き凍てついた信念のみなのだと理解させられる。

 

 

 自分の妹とは一切重ならない。

 

 

 それどころか一瞬。妹と同じ翡翠に澄んでいた碧眼を——幻想種の頂点に立つ"竜"の様な、"黄鉛色に澱んだ金色"に染まった様に幻視してしまった。

 

 

 彼女は答えを示した。

 自らが欲するものを私に示した。

 彼女は私の答えを待っている。

 

 

 

「——えぇ、分かりました。貴方の願いを叶えてあげましょう」

 

 

 

 立ち上がって、微笑みながら彼女に告げる。彼女には私はどう映っているだろうか、

 神託を告げに来た天使か、自分を救いに来てくれた神か、はたまた——悪魔の取り引きをしに来た魔女か、魔女だろうな。

 

 口角が釣り上がって仕方がない、この身は今、歓喜に満ち溢れている。きっと自分の笑みは、彼女に魔女の様だと思われているに違いない。何も間違っていないが。

 

 

 

「さあ、私の手を取って。貴方は今日、生まれ変わるのです。貴方は魔女の騎士となるのです」

 

「……生まれ変わる……あぁ、いいね……本当に良い。今日は私の七歳の誕生日だ。今日私は死にそして生まれ変わった。そう思う事にする」

 

「本当に? ……今日、五月一日が貴方の生まれ日なの……?」

 

「ああ、冗談じゃなくて、本当に。凄い運命的だ。今までの誕生日の中で一番の幸運だ」

 

 

 

 彼女は私の手を取って立ち上がる。

 

 彼女は運命的だと語りながら、小さく、澄まし顔で笑った。

 それは最初に出会った時の虚無的な雰囲気とは似つかない。

 ——アルトリアとも、勿論似つかない。

 

 

 彼女が言った竜すら殺せる程の力が欲しいという願い、もちろん全力で叶えてあげよう。

 彼女の道筋を全力で応援しよう。

 

 

 

「その……本当に……いいのか? ……私から差し出せる物なんて、この命くらいしかないのに」

 

「そうでしょうね、ならあなたの命と未来を貰いましょう」

 

「……確かに自分の命を捧げないと到底無理な願いかもしれないが……私は今ここで死ぬのか……?」

 

 

 

 急に湧き出る様に、自分の願いが叶う所まで来たからか、彼女は私の言葉に訝しんだ。

 少し意地悪が過ぎた返し方だったかもしれない。もちろん私は彼女の命を奪うなんてことはしない。

 

 

 

「フフッ、ごめんなさい、少し意地悪が過ぎて勘違いされてしまった様ね。私は貴方の命と未来を奪ったりしない。私の目的はね——アーサー王に復讐する事なの」

 

「…………」

 

「だからね、貴方の願いが叶えば私の願いも叶う。なので貴方から対価として貰うものはない。

 貰わないけど、捧げなさい。

 貴方は私に命と未来を捧げて、私はその命と未来でアーサー王に復讐する。ほら間違ってないでしょ?」

 

「私は……自由意志を剥奪されて屍食鬼(グール)の様に扱われる訳ではないんだな?」

 

「へぇ……思っていたよりも頭は良さそうね、えぇその通りよ……復讐するのは、貴方」

 

 

 

 あぁ本当に想像以上だ、完璧過ぎる。

 ここまで自分が求めていた者と、一寸の狂いもなく合致した存在がいるとは。自分の人生に悲観し、諦めるでもなく、抗い続けるだけの心を持ったもの。

 ただ死体を集めに来ただけだというのに、私は私自身の——最強の切り札になれるものを発見出来てしまったかもしれないのだ。

 

 この村からいちいち死体を回収する必要もない。今からでもすぐに、彼女を育て上げる為だけに全ての時間を使いたくてしょうがない。自分に降りてきた余りの幸運に歓喜せずにはいられなかった。

 ただ、この歓喜は私だけだったのだろう。

 彼女は、まだこの状況を理解できていないのか、また困惑に溢れた問いを返す。

 

 

 

「……どうして私なんだ? ……私でいいのか? ……私よりも相応しい者を貴方なら見つける事ができるんじゃないか……?」

 

「あら、急に降りてきた幸運に自分自身が信じられないと? 私だって自分に降りてきた幸運に歓喜しているのですよ?」

 

「……私のどこが、貴方のお眼鏡に適ったんだ」

 

「フフフッ、貴方は何も考えずに私を信用してくれていいのよ? 貴方の願いと私の願いは一緒なのだから」

 

 

 

 言葉通りだ。何も考えず私を信用して欲しい。

 彼女を裏切るつもりなんてない。常に最適な行動をしてくれる、最高の切り札になるのかもしれないのだから。

 

 

 

 

「——でも本当に何も考えないただの駒を、貴方は望んでいる訳じゃないだろう」

 

 

 

 

 あぁ……この子は一体どれほど私を喜ばせてくれるというのだろうか、本当に最高だ。

 もう自分自身で笑みを零してしまうのを抑えきれそうになかった。

 

 今確信した。この子は私の最強の切り札になる。

 そしてこの子以上にアーサー王に対する切り札はきっと現れないだろうとも。

 

 私が求めていたのは精神性だ。自分と同じ志を持ち、アーサー王を滅ぼす事が出来る存在。

 自分には複数の子供がいて、その子供をアーサー王に復讐するようにと育てたが、どれも失敗に終わっている。

 

 ガウェイン、ガヘリス、ガレスは幼い頃にすぐ、ロット王の元に帰ってしまい、ガウェインに至っては太陽の騎士なんて称号を授かり、アーサー王の円卓の騎士でも上位に食い込む実力者となった。

 アグラヴェインは最初の頃は自分に対してそれなりに従順だったが、アーサー王の円卓の騎士になり、アーサー王の補佐官という立場になると急に音信不通となり、自身との関係を断ち切った。

 

 アーサー王と自分の血を分けて作り出した、ホムンクルスのモードレッドからはアーサー王に復讐しようとする意欲を感じられず、いっその事ならと、爆弾を投げつける様な感覚で放置している。

 

 

 では目の前の子は?

 

 

 語るに及ばず。

 彼女は既に答えを、十分すぎる程に示している。更に頭の回転も速いときた。非の打ちどころがない。しかも彼女の心は揺らがないだろう。私を裏切るとは到底思えない。

 私が望んでいる物、それらを力以外全て兼ね備えているのだ。ならば後は私がその力を授けるだけで、それは完成する。

 

 

 そして彼女はアルトリアと非常に似た容姿をしている。

 ——これを運命と言わずしてなんだというのか。

 

 

 

「——その問いを聞いて私は確信しました。貴方は、アーサー王を滅ぼす事が出来る最強の剣となれるでしょう。そして貴方が王をその身で倒し——貴方がこの国の王となるのです」

 

「…………」

 

「私はモルガン・ル・フェイ。

 アーサー王の……姉にして、私こそがブリテンの力を引き継ぐ本来の王です。故に私の子供となる貴方は王位を継承する資格があります。

 私は貴方の道筋を祝福しましょう。貴方は今日より生まれ変わり、魔女の加護を受けるのです。

 これからよろしくお願いしますね?」

 

「私からすれば願ってもない話だ。

 ……これより私の運命は貴方の物となった。よろしく頼む、モルガン」

 

 

 

 こうして彼女と互いに笑みを浮かべながら手を交わし、契約する。

 彼女の笑みはアルトリアが決してしない様な傲岸不遜さが滲み出ていながら、その美貌を一つも損なっていない。

 思わず、目の前にいるのが七歳の子供であるという事を忘れてしまいそうになる。

 

 白い百合というより、黒い薔薇だ。

 

 

 

「そういえば貴方の名前は?……嬉しさに舞い上がっちゃって聞くのを忘れてしまっていたので」

 

「私の名前は……"ルーナ"。私は、ルーナだ」

 

 

 

 良い名前だ。自分は捻くれていると自負しているが、彼女に良く似合う名前だと思った。

 月の名を意味し、魔性を晒す夜の月こそ、彼女には相応しい様に思えた。

 ——最後に、空に浮かぶ月を眺める。

 こんなにも月を綺麗だと感じたのは生まれて初めてかもしれない。

 

 

 

「(責任は取ってやった。義理も何もない彼女を私が保護し、助けるのだから、彼女をどうするかは私が決めてもいいでしょう? それに、貴方達の無念をこの子が晴らしてくれるのだし満足でしょう?)」

 

 

 

 虚空にそう微笑みかけると徐々に怨念の圧が消えていく。

 満足したのか、もう自分を維持する事ができなくなったのかは分からない。 最後に、視界の端に微笑みかける様に消えていく、女性と青年の霊が見えた。彼女は随分と愛されていたのだろう、きっと。

 

 そしてそれ故に、その愛を全て失った彼女は——内側に灯った復讐の炎を絶やすことをしないだろう。

 

 

 

「それで、何か持っていくものはある?」

 

「いや……何もない」

 

「そう。それじゃあ、行きましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくして、本来なら存在せず。そしてそのまま死んでいったであろう、異邦の記憶と知識を有する子供は、魔女に拾われる事となった。

 本来なら噛み合わず、また交差することもない運命の歯車。

 

 

 

 

 

 その日、運命が変わり始める。

 

 

  




 
 Q 復讐物?

 A 復讐物じゃないです。アンチヘイトでもないです。
  でも……かなり重たいかもしれないけど……
 

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