たっち・みーがユグドラシルを退会する話。

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たっち・みーがユグドラシルをクソみたいな理由で退会する話。


魔性天上楽土

 

 

 無機質な夜の空。吹き抜けの天井。誰もいない観客席。錆びて朽ちた金属の柱。荒れ果てた地面。そこに、ただ一人立ち尽くす。

 

「5、4、3……」

 

 ログインしてからの時間経過を確認。三分間のモラトリアム。

 

「2、1」

 

 しばし無言。闘技場の扉が開く。挑戦者が入場する。

 

「――――」

 

 今日の獲物はいつもと同じ白銀の鎧を着た聖騎士。相変わらずの執着で、律儀な男だった。たぶん、彼は()()()()()()()

 互いに無言で剣を抜いた。言葉は必要なし。いつもの待ち合わせ。今日もお互い遅刻はない。同時に地を蹴る。スキルを使う。視線を細心の注意を払って足先に向ける。手に持つ刃の切っ先を僅かに傾ける。

 ――――反応なし。フェイントは失敗。そうした攻防を何度か繰り返す。白銀の聖騎士は真っ直ぐ脇目もふらずに突っ込んできた。聖騎士の刃が首を通る。

 ――今夜も、『円形闘技場(ウルの恩寵)』でハーマイドは聖騎士に敗北した。

 

 

 

 ――……次のニュースです。

 昨夜未明、会社帰りの31歳の男性が、刃物で袈裟懸けに切られて亡くなっているのが発見されました。

 では、次のニュースです……――

 

 

 

 アーコロジーの中は今日も変わらない。たった一人で道場の床を磨く。世の中便利な掃除ロボットがいるのは分かっているが、自らの手足で不浄を落とすことにこそ意味がある、と仰ったのは確か祖父であったか。

 

「百鬼虹子さん」

 

 ナキリナナコ、と呼ばれたために這い蹲っていた姿勢から顔を上げる。道場の出入り口に、警察官が一人立っていた。見覚えのある顔だ。昔から世話になっており、祖父が存命の頃からこの道場に通っていた男。思えば十年以上の付き合いになるのだろうか。

 

「おはようございます」

 

 立ち上がり、頭を下げる。男は朗らかな微笑みを浮かべて虹子を見た。

 

「おはようございます。昨日の夜は、何か変わったことはありませんでしたか?」

 

 首を傾げると、男は昨夜刃物で切り殺された哀れな男性のことを口にした。なるほど、そういうことならと昨夜は何も見ていないと告げる。

 

「そうですか。何か変わったことがあったらいつでも声をかけてくださいね」

 

 優しい微笑みを浮かべた男は、そう告げると虹子を振り返らずに帰っていく。おそらく、このまま律儀に聞き込みを続けるのだろう。中々珍しいタイプの警察官である。男は他の警察官と比べてやる気があった。祖父の気に入りの好青年らしさが窺えた。

 それを見送って、再び床に這い蹲る。特に自分には関係のない話だった。

 

 

 西暦2135年。世界は荒廃の一途を辿っていた。自然環境は崩壊し、緑は見られず、川は汚濁が流れ、海は干上がり、空は灰に覆われている。

 人工的に環境を整えられたアーコロジー内でしか、人間はもはや防毒マスクなしに生活出来ない。百鬼虹子がアーコロジー内に剣術道場を持ち、若い身空で一人でも生活出来ているのは先人たちの遺産を食いつぶして暮らしているからだった。

 百鬼家の歴史は古く、遡れば寛永の頃より続く家系とされている。なんでも『悪さをしていた畜生鬼を撫で斬りにして退治した剣士』がもとであり、古流剣術をこの22世紀の時代にまで続かせた一種の病的な一族だった。先祖の業をいつまでも続かせていくことに執念を燃やす家系であった。

 もっとも、それも今は昔。今となってはその先祖の遺産を食いつぶすことしか出来ない嫁ぎ遅れの三十も近い一人娘のみが残ったのであるが。

 高祖父の代に門下生を募り、古流剣術を流行らせてみたが廃れるのも早く、再び盛り返したのは祖父の代であったとか。

 なんでもアーコロジーの一部の物好きの目に留まり、高尚な趣味として一種のステータスとなったのだが、父は心構えも気概もない者たちの慰みものになるくらいならばきっぱりと廃れるべしと見切りをつけ、継ぐことはなかった。祖父も父には継がせる気がなかった。父には才能が無い。祖父は父には何の期待もしていなかった。

 もっとも、祖父より離れて暮らしていたが父はこの家に最終的に帰ってきた。テロに巻き込まれ芋虫のような肉体になって。

 芋虫のような姿となった父であるが、哀しいことに声帯は無事であり、虹子は芋虫の父と共に祖父の家に帰る。本当は芋虫の父を捨て実家に帰った母と共に生活するはずであったが、祖父が虹子を離さなかった。父ではなく、祖父が。続かせることに執念を燃やす祖父は、血を続けていくことに固執し母に多額の金を積んで幼い虹子を引き取ったのである。世の中、最後にものを言うのは金であった。親子の愛など百鬼家にはない。

 父は一年も経たず亡くなった。最期の言葉を覚えている。「父さん、悪魔が家におられます」。それが父が彼岸へ旅立つ時の別れの挨拶であった。

 ――――そして、虹子が二十歳になる日の誕生日。祖父は自室で切腹した。

 

 

 

 ――……次のニュースです。

 昨夜未明、会社帰りの14歳の女性が刃物で首を切られて亡くなっているのが発見されました。

 では、次のニュースです……――

 

 

 

 この『ユグドラシル』でもっとも強いプレイヤーは誰か。それは一体誰が言った言葉だったのか。

 誰もが持つ共通認識として、ワールドチャンピオンというクラスを習得しているプレイヤーがいる。ワールドチャンピオンは運営が開催する特殊なイベントに勝ち進まないとなれないクラスで、全プレイヤーの中で僅か九人しか存在しない。

 最強と言われれば彼らの名が挙がるのが常である。今のワールドチャンピオン一位は確か総合格闘技のチャンピオンだっただろうか。なるほど、然り。DMMOである以上、現実でも斯様に慣れている者こそが優れた者となる。ここでも格差は存在した。

 そしてギルド『アインズ・ウール・ゴウン』に所属する聖騎士――たっち・みーもワールドチャンピオンの一人に数えられていた。

 

「たっちさん、またあそこへ行くんですか?」

 

 ギルド長のモモンガに話しかけられ、たっち・みーは「ええ、まあ……」と渋るような声で答えた。

 モモンガの言う『あそこ』とは『ウルの恩寵』と呼ばれるワールドアイテムの所有者のもとである。プレイヤー名はハーマイド。種族は異形種の鬼であり、刀を武器に戦う戦士クラスだ。PVPを好むプレイヤーで、『ウルの恩寵』の所有者となってからは、ずっとそこからログインしている。

 『ウルの恩寵』は円形闘技場の形をした特殊な設置型・構築物系ワールドアイテムで、中には所有者と挑戦者の二人しか入れない。一対一を強いられる、PVP好き専用ワールドアイテムと言っても過言ではなかった。

 たっち・みーはハーマイドが所有者になってからしばらくして、何事か約束でもしたのかログインした時は必ずそこへ行くようになっていた。

 何か特別な約束事でもあるのかとモモンガは思ったのだが、このたっち・みーの様子からはそうした浮き立つような高揚感は見られない。むしろ、ひたすらに忌避して嫌がり、渋々といった様子であった。

 

「行きたくないなら行かなくていいんじゃないですか?」

 

 そんなたっち・みーの様子をモモンガと同じく見咎めたぷにっと萌えが、気づかわしげに声をかける。だが、たっち・みーは首を横に振った。

 

「いえ、行って来ます。では、また」

 

 ナザリック地下大墳墓を出ていく聖騎士を見送る。モモンガとぷにっと萌えは互いに顔を見合わせた。先程の言葉からは断固とした決意を感じる。使命感すら感じられた。

 ……そういえば、たっち・みーから奇妙な言葉をもらっていたことを思い出す。

 

 ――私がハーマイドに負けた時は、ログアウトします。その時は――

 

 

 

 ――邪念を捨てろ。心技体の統一を目指せ。無我の境地へ至るのだ。その先に、先祖代々が目指す極楽浄土があるはずなのだ。

 それが祖父の口癖だった。心と身体と、技と。その全てが統一された完成された精神。そこに至るためにひたすらに続けられる鍛錬。血反吐を吐こうが足らぬ。手の血豆が潰れようと至らぬ。先へ。その先へ。ひたすらに前へ。涅槃へと至るのだ。

 百鬼家が目指したのは剣術による疑似瞑想。心と身体を技を鍛え抜き、涅槃へと至ることこそ百鬼の家が目指した求道。

 だが至らない。俗世に囚われる。この世のしがらみを捨てきれない。祖父は毎日血反吐を吐きながら努力した。その執着こそが入滅の妨げ。

 目指せば目指すほどに、目指す涅槃より遠くなる。入滅の日は遠のいていく。

 

「――だから、お前が繋いでいくのだ虹子」

 

 雨上がりに煌めく虹の架け橋。灰色の空に浮かんだ虹の日に生まれたその赤子を、父は奇跡だと思えたらしい。つける予定だった母と考えた名前を放り出して、役所に虹子の名前を届ける。母は大層怒り狂ったようだが、仕方なしと最後は諦めた。それくらい、美しい虹がその灰色の空に浮かんでいたのだと。

 先祖の仏壇の前に座りながら、祖父と滔々と語る。

 

「己は至らなんだ。あれと同じく才が無かった。自分こそがと思ったが、ただの思い上がりであった。祖先と同じく、我欲に走らざるをえない俗物であった」

 

 そう告げる祖父の眼からは涙が流れていた。声は淀みないのに。

 

「だから、お前が繋いでいくのだ虹子。己とあれの生き様を忘れるな。俗物にしかなれぬ己と、諦観に寄ったあれの無様を忘れるな」

 

 仏壇にはつい先日死んだ父の位牌が飾られている。「父さん、悪魔が家におられます」。最期にそう囁いた父の遺骨が。

 

「お前には剣才がある。技術だけならば誰よりも早く免許皆伝に到達できよう。だが、百鬼家が目指すのは入滅である。涅槃である。必要なのはその精神。――だから、お前が繋いでいけ虹子。百鬼の全てをお前に託す」

 

 祖父はそう告げて、初めて娘を道場へと連れて行った。門下生たちは幼い娘を笑ったが――一年も経つ頃には、門下生は虹子が入る前の半分以下になっていた。

 一年。たった一年が、虹子が門下生の半分を置きざりにした時間だった。

 

「――――百鬼さん」

 

「――はい?」

 

 ……過去の回想より意識を浮上させる。目蓋を開ければ、いつもの男が道場入口で立っていた。

 

「こんにちは、良い天気ですね」

 

「ええ、そうですね」

 

 立ち上がって、会釈。男は道場には上がらずに、虹子に笑いかけた。

 

「何か変わったことはありますか」

 

「いいえ、特に」

 

 別段、何か変わったことは無い。いつものと変わらない。何もかもが。

 

「そうですか。では、また困ったことがあったら声をかけて下さいね」

 

 人の良さそうな顔のまま、男は去って行った。それを見送った後、再び元の位置に戻って正座する。目を瞑る。再びの瞑想。

 ……今度は、過去の回想はしなかった。

 

 

 

 ――……次のニュースです。

 今朝未明、45歳の会社員男性が、胴体を切られて亡くなっているのが発見されました。

 では次のニュースです……――

 

 

 

「あ、ハーマイド」

 

 ペロロンチーノの言葉に、たっち・みーがくるりと視線を翻す。ペロロンチーノの指と視線の先に、確かにハーマイドがそこにいた。

 

「おや、珍しいですね。闘技場に引き篭もっているとばかり思っていました」

 

 ウルベルトの言葉にその時その場にいたメンバーが「確かに」と頷く。それくらい、ハーマイドが闘技場の外にいるのは珍しいことだった。

 ハーマイドはこちらに気づいていないのか、暢気に散歩を続けている。PVPに特化している構成なので、索敵能力は皆無で、複数戦は苦手だった。今ならば楽に勝てるだろう。

 

「知り合いだろう、たっちさん。声はかけないのかい?」

 

 ウルベルトの言葉に首を横に振った。

 

「いいえ、結構です。それより、早く行きましょう。皆さんをお待たせするのはよくないと思います」

 

 その言葉に全員納得して、ハーマイドを置いて去って行った。

 たっち・みーはチラリと最後にハーマイドを振り返る。

 それは飽きもせず、月を見上げていた。

 

 ……ハーマイドに最初に遭遇したのはワールドチャンピオンを決める公式大会の時だ。たっち・みーが出ていたそれに、ハーマイドも参加していた。

 ベスト4を決める戦いで対峙して、そして――たっち・みーは己の勘に従って、全力でハーマイドを排除した。

 たっち・みーは今でも、あの勘が正しかったと信じている。

 

 

 

 無機質な夜の空。吹き抜けの天井。誰もいない観客席。錆びて朽ちた金属の柱。荒れ果てた地面。そこに、ただ一人立ち尽くす。

 

「5、4、3……」

 

 ログインしてからの時間経過を確認。三分間のモラトリアム。

 

「2、1」

 

 しばし無言。闘技場の扉が開く。挑戦者が入場する。

 

「――――」

 

 今日の挑戦者は白銀の聖騎士ではない。それもそうだ。いつもタイミングが被るとは限らない。こういう日も何度か存在する。だが、やることは変わらない。いつもと同じように、その挑戦者の首を狩ろうとする。

 

 ――今夜、首を斬り落とした。

 

 

 

 夜の街を歩く。空は変わらず灰色で、月も星も見えはしないがそれなりに愛着くらいあるものだ。肩にかけて背負った荷物の位置の具合を整えながら、夜の街を歩き続ける。

 アーコロジーの中は平和で、周囲には虹子と同じように夜の散歩に興じている者たちがちらほらと見えた。その中を、一人歩き続ける。

 外は防毒マスクが必須だが、アーコロジーの中はそうではない。不自然に澄んだ空気が肺へと吸われ、そして吐き出される。

 肩から荷物のベルトがずれ落ちた。再び抱え直して夜の街を歩く。ちかちかと光る電灯。灰色の夜。囁くような夜の住人たちの声。その中を、ただ一人歩き続ける。

 

「――昔から、父は芋虫のようだった」

 

 父は金持ちの道楽になるくらいなら潔く絶えるべしと決意し、家を出たと言うが本当は違った。父は、祖父以上に自らの剣才の無さを呪っていた。出来るものなら、自分がそうしておきたかった。

 祖父は勘違いをしていたのだ。あれは諦観とは無縁の生き物。いつも妬ましく、祖父も周囲も呪っていた。

 才能の無さ。心を強く保てない自分。完璧でない自分への忌避。臓腑はいつも嫉妬の炎で燃えていた。餓鬼道の鬼こそ父の本質。芋虫のように地べたを這いずるだけの虫けら。

 

「父の最期の言葉は――『父さん、悪魔が家におられます』だった」

 

 その最期を覚えている。見えもしない目でしっかりとこちらを見て、囁くように、助けを求めるように呟いたその末路を。

 視線の先にいた娘が、その時父には何に見えていたのだろう。

 

「――私の隣でその言葉を聞いていた祖父は、最後の最期に息子が錯乱したのだと思っていた」

 

 父の死体を前に静かに涙を流して、娘の手を握り締めた祖父。その時祖父は決意した。然りとこの幼い娘に道理を説かねばならぬ。息子の不徳を許せ、孫よ。人間とは、弱い生き物なのだ。

 ――だからこそ、涅槃へ至らねばならぬ。迷いを断ち切らねばならぬ。不浄を全て地上へ置いて、(そら)へ。

 

「この世界は袋小路だ。自然は荒廃し、進化は先細り、世界は日に日に収縮していく。救いは無い」

 

 だから、救われる場所へ行こうと思った。無我の境地。六道輪廻より解き放たれた、四聖道へ。この苦界から抜け出して、浄土へ。悟りの世界へ。

 

 故に血反吐を吐こう。武を極めることで心技体の統一を果たし、涅槃へ至る。百鬼が目指すその場所へ、たった一人でも到達出来れば、きっと一族の全てが救われるのだと信じたのだ。

 

「――そして、私が二十歳の誕生日を迎えたその日、祖父は自室で腹を切った」

 

 

 

 ――……次のニュースです。

 今夜未明、38歳の会社員男性****さんが、首を切られて亡くなっているのが発見されました。**さんは一時間の夜の散歩に出たきり自宅に帰宅せず、不審に思った家族が探しに行かれたところ、路地裏で首を切られて亡くなっておられるのを発見され、病院へ搬送されましたがまもなく死亡が確認されました。

 警察は事件の……――

 

 

 

 夜、目を覚ますと居間から物音がした。部屋から出て居間に行くと、顔を隠した複数人の男が何かを探しているようで部屋中を荒らしていた。

 男たちは自分の姿に気がつくと、手を伸ばす。なので台所へ向かった。包丁を手に取って、男たちに向き合う。男たちはそんな自分の姿に破顔すると、懐に手を伸ばし――

 

 夜が明けて、祖父は殺人罪で警察に同行した。正当防衛と判断され、祖父は数日で家に帰ってきた。

 

 その日から、祖父が仏壇の前で呆然と座り込んでいる日が増えた。

 

 

 

 無機質な夜の空。吹き抜けの天井。誰もいない観客席。錆びて朽ちた金属の柱。荒れ果てた地面。そこに、ただ一人立ち尽くす。

 

「5、4、3……」

 

 ログインしてからの時間経過を確認。三分間のモラトリアム。

 

「2、1」

 

 しばし無言。闘技場の扉が開く。挑戦者が入場する。

 

「――――」

 

 今日の獲物はいつもと同じ白銀の鎧を着た聖騎士。相変わらずの執着で、律儀な男だった。たぶん、彼は()()()()()()()

 互いに無言で剣を抜いた。言葉は必要なし。いつもの待ち合わせ。今日もお互い遅刻はない。同時に地を蹴る。攻防を何度も繰り返す。白銀の聖騎士は真っ直ぐ脇目もふらずに突っ込んできた。聖騎士の刃が首を通る。

 ――今夜も、『円形闘技場(ウルの恩寵)』でハーマイドは聖騎士に敗北した。

 

 

「俺はね、君のおじいさんが好きだよ」

 

 今も道場に通う物好きな男は、虹子にそう語った。

 

「凛として、真っ直ぐで、ひたむきな姿に凄く憧れるんだ。目指す道は違うけれど、ああなりたいって思うんだよ」

 

 警察官になって、困っている人を助けたいと語った男は、祖父のことをそのように思っていたらしい。

 

「俺も、真っ直ぐ、自分の道を信じて進んでいきたい。誰に何て言われようと。満ち足りた気分で死にたいんだ」

 

 悟りを得たいのだと、男は語った。自分の信じる道をひたむきに走り、「もう満足だ」と生を手放したいのだと。

 六道輪廻からの解脱。四聖道への到達。入滅。涅槃へ至る。いざ、浄土へ。

 道は違えど、目指すべき場所は同じだ。善き処へ行きたい。誰もが、それを目指して進んでいく。

 

「だから、君も真っ直ぐに生きていくんだよ。おじいさんみたいに。満ち足りたまま、天国へ」

 

 男の言葉に、あの時の自分はなんと答えたのだったか。

 

 

 

 ――とんでもないことを仕出かしてしまいました。

 私は、息子の遺言を深く考えることも出来ない無能でした。愚かな父でした。

 教えてくれたのに。息子は死の間際、最期の言葉で必死に紡いでくれたのに。――「父さん、家に悪魔がおられます」と。この愚かな父に教えてくれたのに。

 あれは……あれは一体何なのだ?

 どうして、あんなものがこの世に出でる? よりにもよって、この百鬼で!

 あれに浮き立つような気持ちはない。

 苦しみも、楽しみもない。

 怒りさえもたない。

 あれには何もない。六道などとは縁なき存在だ。

 つまりは、悟り。解脱。生の苦しみより解放されている状態――であるわけなかろうが!

 なんだあれは。一体何なのだあれは?

 あの女は息子の胤を使って、一体何を生んだのだ?

 意味が分からない。わけが分からない。何がどうして、そうなるのだ?

 ――先祖に申し訳が立たぬ。これが百鬼の終わり。辿り着いた境地などと、どうして誇れようか。

 すまない。息子よ。愚かな父を許してくれ。

 私は、とんでもないものに技術を教え、世に解き放ってしまいました。

 全てを捨てて地獄に堕ちることを、ここにお許しください。

 

 私には、もう耐えられない。

 

 

 

「生まれた時からこうだった。私の世界はそれで完結していた。この世は常春に満ちていると確信していた」

 

 ある日、家に強盗が押し入った。台所から包丁を手に取り、構えた自分に彼らは破顔したが一人一人的確に首を斬り落とした。

 祖父がやって来たのはその後。五人の男の遺体と、包丁を握り締めている孫を見て、祖父はすぐさま通報した。

 

「これらは全て己がやったこと。お前はそれを近くで見ていた。それだけだ。良いな?」

 

 うんともすんとも答えなかったけれど、祖父と警察官たちはそれでよかったらしい。一人だけよくない警官がいたようだが、彼らも面倒は避ける。全てはナァナァで済まされた。今となっては、記録さえ残っていまい。

 

「祖父は人を殺してしまった私を憐れんだようだった。けれど、私はその時、浮き立つような感情を覚えたんだ」

 

 肉をブツッと断ち切る感触と、骨を立つゴリッと断ち切る感触。肌に張り付いた生暖かい血飛沫。

 

「私はその感触が忘れられなかった。興奮していた。麻薬とはこういうものを言うんだろう。これが多幸感だと、その日初めて知った」

 

 次の日、家にあった真剣を持ち出して人を斬った。

 家に帰った後は、刀の手入れをした後に元の場所へ戻し、血に濡れた服を洗った。

 ……別に、証拠隠滅しようとしたのではない。単純に、日本刀は手入れをしないとすぐに切れ味が悪くなるし、血は中々落ちないからさっさと洗わないといけないという理由だけだった。

 

「貴方たちが言ったんだ。命は平等だと。等しいのだと。貴方たちが言っていたんだ」

 

 命は平等だと口を酸っぱくして言っていたから、夜の街へ躍り出た。単純に、今までの鍛錬の時間を減らさずに使える時間帯がそこだっただけに過ぎない。自然とその時間が一番空白を設けられる時間帯だっただけに過ぎない。

 

「その通り、誰もが平等だった。あの日家に押し入った強盗も、夜の街を歩いていた人たちも変わらない。肉も、骨も、血も、全て同じだったんだ。ニュースだって同じだった」

 

 なのに。

 

「どうして、今更“それは間違っている”なんて言うんだ。なんで今更、私は駄目だったなんて言うんだ。祖父も父も、貴方もどうして今更……」

 

 芋虫になった後も変わらぬ態度の娘を恐怖した父親。

 夜な夜な人を殺して回っておきながら態度が変わらぬ孫に恐怖した祖父。

 今までは殺人を放っておいたのに、資産家の一人を殺したら逮捕しにくる警察官。

 

 何が何やら、さっぱり理解出来ない。どうして今更「お前は駄目だ」と言ってくる。芋虫だろうが強盗だろうが何だろうが、同じ人間だろう。等しい生き物だろう。等価値だろう。

 なのにどうして、なんで今更。

 

「――それが分からないから、君は駄目なんだ」

 

 悔しさを隠しもしない表情と声色で、男は呟いた。なるほど、分からないから駄目というのは、もうどうしようもない。自らが生まれながらの欠陥であった動かぬ証拠である。

 皆が分かるのに自分だけ分からないのは、単純にどうしようもなく自分が欠陥品だったからなのだろう。

 ならば仕方なし。彼らが語る自分にはさっぱり分からない、この罪科を受け入れよう。

 けれど。

 

「――それでも、私にはこの現世こそが浄土だった」

 

 百鬼虹子は百鬼家の使命を果たしたのだと確信していたのに。辛くない。苦しくない。肉体を捨てたその先に、真実の涅槃に至れるのだと確信していたのだ。

 

 けれど、ここは魔性天上楽土。封鎖された、一部の者たちだけの真実の涅槃とは程遠い最果て。

 それに気がついた以上、百鬼虹子は地獄へ落ちる。餓鬼道に落ちた父。修羅道へ落ちた祖父。そんな彼らと同じように、虹子はこれから地獄へ落ちる。かつて百鬼が討伐した鬼と同じ、本能で生きてきた者たちが落ちる畜生道へと。

 

「百鬼虹子――件の殺人事件の重要参考人として、署までご同行願う」

 

 男が連れてきた別の警察がそう告げて、虹子を連れていく。

 その後ろ姿を、男はじっと見送った。

 

 

 

「――言ったんだ。もっとずっと前に言ったんだ。一連の殺人事件はハーマイドの中身だと」

 

 今までの殺人事件は『ユグドラシル』で、ハーマイドがあの闘技場で勝利した時に起こっている。

 ――そう、確信があった。鋭利な刃物の一撃で首を、胴体を斬り落とす超絶技巧。人外染みたその剣術の持ち主に。

 彼女の剣の才覚は全てを置き去りにしていて、その姿に師は呵々と笑ったのだ。

 ……そんな師の姿の横で、気味の悪さが止まらなかった。女の細腕で大の男を打ち負かす。それは明らかに人の道理を外れた生き物だっただろう。

 だから、率直に言って気味が悪かった。反応が鈍いこともそれに拍車をかけた。

 けれど、自分の目指すものはそうした薄気味悪さを出していいものじゃない。罪を犯さないのならば平等に。無辜の民であれば必ず守る。

 そう決意した。自らはそうあれと願っていた。あの道場からそうして巣立っていった。

 

 そして、現実に押し潰された。

 

 この世に正義なんて無い。平等なんて無い。ただ当たり前の現実として、トップとボトムが決まった平均値があるだけだ。

 彼女が逮捕された経緯は簡単だ。警察だって馬鹿じゃない。犯人が彼女だなんてことにはとっくに気がついていた。彼女が逮捕された理由は彼女本人が嘆いた通り、本当に不条理なものだったのだ。

 

 ただ単純に、殺された人間より彼女一人の価値の方が上回っていた。

 

 『ユグドラシル』のプレイヤーの多くはアーコロジーの外の人間で、彼女はゲーム内で殺したプレイヤーを特定し、ゲーム内と同じように殺しに行った。

 剣術において早々に免許皆伝の腕を持った彼女は、暇を持て余していた。剣術道場も簡単に自分たちを置き去りにした腕前の持ち主に嫉妬して、祖父の代とは比べるべくもなく門下生は少なかった。

 だから、空いた時間でそうした技術を磨いたのだろう。無差別に殺さなかったのは、彼女の殺人に対する真摯な姿勢の表れだ。

 

 そんな彼女の現実とは裏腹に、この世界は不条理だった。

 彼女が犯人なのは分かっていた。彼女が逮捕された理由は単純に、殺された人間がいつも貧困層の者たちだったから、彼女自身の娯楽の一環として見逃されていたに過ぎない。

 貧困層の人間が幾ら死のうが問題無い。昔貴族が行っていた鷹狩りのようなものだろう――と。彼女の殺人は見逃されていた。

 誰も彼もが思っていたのだ。彼女は狙って罪を見逃されるだろう貧困層を狙っていたのだろうと。

 そんな周りの人間たちの想いとは裏腹に、彼女はひたすらに真摯だった。そんな理由で差別なんてしていなかった。

 彼女は単純に、『ユグドラシル』で殺したプレイヤーが現実では貧困層だったから、という理由でアーコロジーの外に出向いていただけだったのに。

 それに気がついていたのは一人だけ。卒業する最後まであの道場に通い、正義を為したいと夢見ていた一人の男だけだった。

 けれど彼の想いは届かない。殺した人間が少ない内に、一刻でも早く、彼女の罪を暴いてあげたかった。そうしないと殺された人間も、彼女自身も救われない。

 けれど彼女がそうした人間だと誰も思わないから、殺人は続く。彼女は墜ちていく。

 

 そして――彼女が本当に誰でもいい頭のおかしい女だと皆が気がついたのは、資産家の一人が殺された後だった。

 

 自分たち高貴な者にも危険が及ぶのだと気がついたその時、彼女の逮捕は決定された。

 

 彼女からしたら寝耳に水だろう。今まで放っておいたくせに、どうして今更そうなるのかと。今までと今回は何が違うのだと彼女はさっぱり分からない。

 分からないから駄目だった。自分は、彼女が自らの欠陥に気がつかない内に逮捕してあげたかった。それが、父にも母にも祖父にも見捨てられた彼女の最後の救いだったと思ったから。

 けれど、最後まで彼女にそうした救いはもたらせてあげられなかった。

 そして自分も、その瞬間まで逮捕出来なかった。その前に逮捕したかった。命が不平等だなんて、決定的証拠を見せられる前に。

 

 誰も救われない連続殺人事件はこうして幕を下ろした。

 そして、己は悟りを得る。

 

 この世は真実の魔性のみが悦ぶ天上楽土。気が狂っていようと命に対して真実、真摯に向き合っていた女は地獄へ墜落した。本物の悪鬼羅刹以外、この世は生きていけないのだと。

 

「それじゃあ、さようならモモンガさん。お元気で」

 

 彼女が逮捕された後、すっぱりと『ユグドラシル』はやめにした。彼女が今の今まで逮捕されなかったということは、つまりギルドの仲間が何人か死のうと自分には逮捕出来ないということだ。

 そんな現実は見たくないし、何よりもこれからあの仲の悪い悪魔の顔をまともに見れる気がしなかった。

 最後まで惜しまれていたが、これが自分が彼らに示せる最後の友情だった。

 

 この辛い現実から逃げ出した情けない男を、これ以上この皆の夢の国に置いておけなかったのだ。

 

 幸い、言い訳は幾つもある。仕事が忙しい。家族との時間がとれなくなる。そんな理由なら、この電脳世界からリタイヤしても許されるだろう。

 さようなら、アインズ・ウール・ゴウン。さようなら、ユグドラシル。そして、――すまなかったハーマイド、百鬼虹子。

 たっち・みーはここに置いていく。これからは、現実の世界に生きていく。

 善を守り、悪を正すことも出来ない、情けない一人の警察官として。

 この世に蔓延る、悪の一粒であることに心の中で文句を垂れながら。

 

 たっち・みーは『ユグドラシル』からログアウトしたのだった。

 

 

 




 
★百鬼 虹子(ハーマイド)
なきり ななこ。ナチュラルボーンキラー。
この世を満喫していた健全な女の子(アラサー)。趣味は人殺し。
何故か22世紀にもなって剣聖レベルの剣の才能を持って生まれてきた、無駄に洗練された無駄の無い無駄な才能の持ち主。
剣術を極めるとやることがなくなったのでハッカー(笑)の技術を極め始めたアホの子。ユグドラシルでぶち殺した相手を特定して現実でもぶち殺しにいくという「なんでそんな結果になったの?」という破綻した論理の持ち主。
パパもおじいちゃんも恐怖にふるえてた。
ちなみにハーマイドの意味は他殺。

★祖父
百鬼家の前当主。
息子とはあまりうまくいっていなかったが、それなりに好いていたし好かれてはいた。
まさか可愛い孫があんな狂人だったなんて……最後は孫のヤバさに耐えられなくて人生をログアウト。

★たっち・みー
百鬼の道場に通って近接戦闘の心得を習っていた人。
持ち前の正義感からの第六感か、主人公のサイコパスっぷりに気づいていた数少ない人。頑張って主人公を軌道修正しようとしてた。
連続殺人犯を放っておくとかやば過ぎて頑張っていたし、人知れずユグドラシルユーザーの平和を守っていた人。ユグドラシルでぶち殺した相手を現実でもぶち殺しにいくとかやめてもらっても??? 頑張って逆に殺し返して大人しくさせとくね……。
世の中ってやっぱクソだわ。

★ウルの恩籠
作者が勝手に考えたワールドアイテム。PVP専用。闘技場を作って所有者はそこにログインするようになる。
一対一を相手に強制させる能力があるが、ある数以上連敗すると所有権が移動する。

★餓鬼道
自己中心的で欲望満載な人が堕ちていく地獄。パパが堕ちた場所。

★修羅道
戦い大好きで他人を蹴落として喜ぶ人が堕ちていく地獄。おじいちゃんが堕ちた場所。

★畜生道
命を粗末に扱ったり、我慢が効かず本能で生活する人が堕ちていく地獄。主人公が堕ちた場所。

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