ジャン「人類を救うために恋のキューピッドになる」   作:三木えーっと

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愛の伝道師編
一話


 その日、ミカサは冷静ではなかった。愛する家族の心が見えず、混乱と焦燥に胸を抉られていた。

 

 エレンが仲間を裏切った。

 

 私の家族は——エレンはそんなことしない! と、ミカサは自信を持って言えなくなっていた。そんな自分に戸惑いと嫌悪を感じずにいられない。

 

 エレンにマフラーを巻いてもらったあの日から、私の命はエレンのものなのに。ずっとそう誓っていたのに。私にはわからない。エレンの味方をしていいのか、わからない。

 

 ミカサが戦場を駆ける。無感情に敵を殺す、殺す、殺す。今となっては巨人よりも人間を殺した数の方が多いだろう。私は心優しいアルミンとは違う。人を殺して嘔吐していた幼馴染と違って、私は殺人に抵抗がなかった。

 

 それはなぜか。——エレンのためだ。エレンのためなら何でもできると、誰でも殺せると思っていたからだ。なのに、今の私は何だ。なぜ迷っている。エレンかそれ以外かなんて比べるまでもないのに。

 

 ミカサが歯痒さに己の唇を噛むと、血の味が口内に広がった。こんな気持ちで戦場に立つべきではなかった。ふと気付くと複数の銃口が彼女に向けられていた。

 

 避けられない。死の覚悟はとっくにしていたはずなのに、瞳を閉じると浮かぶのはエレンの顔だ。

 

 会いたかった。最期にあなたに触れたかった。ああ、エレン。

 

 そして数多の銃声がミカサの耳に届いた。

 

 しかし、いつまで経っても訪れない痛みにミカサは目を開けた。そこには一人の青年が銃弾を一身に受け、血だらけで立っていた。

 

「よそ見してんじゃねーよ……バカ」

 

 そう言うと、青年は地面に崩れ落ちた。血に濡れた前髪が彼の顔を覆い隠した。覚えのある頭痛がミカサを襲う。

 

「エレン……? 嘘……エレン!」

 

 ミカサは血相を変えて青年の元へ駆け寄ろうとするが、彼女を殺そうとする敵の攻撃は止まらない。

 

「ああああああああああ! 邪魔をするなァァアア!」

 

 獣のような咆哮をあげ、怒りのままに敵を殲滅する。

 

 よくも! よくもよくもよくも! 私の家族を!

 

 何度も何度も刃を敵の肉体にねじ込んだ。抉った。斬り飛ばした。そして最後には返り血で染まったミカサだけが戦場に立っていた。彼女の手からナイフが滑り落ちる。

 

 エレン! エレン! エレン!

 

 ミカサの頭の中はエレンでいっぱいだった。エレンが死んでしまう。私を庇ったせいでエレンが死んでしまう。

 

 ああ、神様! どうか神様!

 こんなのは嘘! エレンが死ぬはずない!

 私の家族は——!

 

 ミカサはふらつきながらも青年の元へ駆け寄った。横たわる彼の側で膝を折り、そっと彼の身体を抱えた。生温かい血が彼の全身を濡らしていた。こんなことにはとても耐えられない。ミカサは震える指で彼の前髪を避けて、その頬に優しく手を添えた。頬は冷たかった。

 

 戦場のど真ん中でミカサは泣いた。次々に溢れる涙を止めることができなかった。彼の顔を覗き込み、そしてミカサは死にゆく青年の名を呼んだ。

 

「ジャン……」

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 好きな女を守って死ぬのは、男冥利に尽きる。

 

 そうカッコつけて銃弾を身に受けたが、彼女が他の男の名を叫びながら駆け寄ってくるのを見て、ジャンは内心後悔した。

 

 間違えてんじゃねーよ。髪の色もちげーし、顔も似てねーし、声も違うだろ。どんだけエレンのことしか考えてねェんだ、こいつは。クソッタレ。死ぬ時ぐらい、俺のことを見ろよ。

 

 しかし、文句を言う資格がないことは自分でもわかっていた。片思い歴うん年。すっかり拗らせて、何年も仲間としてそばにいたのに一度も好きだとは伝えなかった。こんな終わり方なら言えばよかった。

 

 深い後悔の念に苛まれ、ジャンは訓練兵卒業の日——人類が超大型巨人の二度目の襲撃を受けた日のことを思い出していた。

 

 ガスを補給できず、このまま死ぬのかと思った……あの時も「言っときゃよかった」と後悔したはずだ。なのに、俺はまた無様に同じ思いをしている。

 

 振り返りついでに思えば、あの頃が一番楽しかった。壁内も壁外も関係なく、仲間と切磋琢磨して必死こいて訓練して……そりゃー仲良しこよしとは言えねーが、少なくとも殺し合いをするほどじゃなかった。

 

 底なしの沼にずぶりずぶりと沈んでいくような不快な感覚がジャンを苦しめていた。これが死か。全ての音が遠ざかり、もうミカサの声も聞こえなくなっていた。いや、もういいか。むしろ聞こえない方が都合が良い。もう二度と彼女の口から「エレン」なんて言葉を聞かなくて済む。

 

 ジャンは瞳を閉じて、最期になるであろう思考を巡らせた。

 

もし……もしもあの頃に戻れるなら、今度はうまくやる。

誰も死なせねェ。

俺は特別でも強くもない。

自分に力がないことぐらいわかっている。

無力なことぐらい何度も思い知らされた。

それでも、誰も死なせねェ。

ミカサ……お前を泣かせたりしねェ。

だから頼むよ、神様……。

 

そして男は自分の心臓の最期の音を聞き、絶命した。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「ジャン。そろそろ起きろよ」

 

 懐かしい声がした。もう忘れたと思ったのに、案外覚えているもんだ。やたらと硬いベッドとボロい毛布。埃っぽい臭いに鼻がツンとして、目頭が熱くなる。目を開けなくたってわかる。ここは訓練兵の宿舎だ。神なんていないと思っていたのに、死ぬ間際にあんな願い事をしたからだろうか。

 

 なかなか憎い演出してくれるじゃねーか。

 

 どうにか熱くなる胸を抑えようと、ジャンは寝たフリを続けた。久しぶりの再会でボロボロ泣くのはさすがに格好悪い。

 

 お前に会ったら、真っ先に俺の武勇伝を聞かせてやろうと思ってたんだぜ。

 

 気配が近付いてくると、声の主はジャンの肩を揺り動かした。

 

「いい加減にしないと遅刻するぞ」

 

 彼の手の熱がさらにジャンの胸を熱くさせた。

 

「ああ、わかってる。……よぉ、マルコ。久しぶりだな」

 

 目を開ければ、マルコの懐かしいそばかすが目に入った。それを見た途端、ジャンの涙腺が崩壊する。我慢するなんて無理な話だった。

 

「久しぶり? 寝ぼけているのか? まったくお前は——ってなんで泣いてるんだよ!?」

「はは……そりゃ、こんなん泣くだろ。お前があんまり早く逝っちまうもんだから、俺はすげー苦労したんだぞクソが」

 

 胸がいっぱいになって苦しい。生きていた頃も、いつも胸は苦しくて痛かった。けど、それとは別の痛みだ。ジャンはマルコを思いっきり抱きしめた。

 

「なんだよ触れんのかよ! すげーなオイ! つーか俺も死んでんだから当たり前か!」

「うわああああ! 何すんだよ気持ち悪い! 離れろよ!」

「うるせー! 誰が離すか!」

「鼻水がァァアア! 顔にすりつけんな! 服につけんなよ! オイ馬面聞いてんのか!」

 

「何やってんだよ二人とも……。この状況がわからねーのは、俺がバカだからじゃねーよな?」

 

 男にしては甲高い特徴的な声がした。ジャンにとってはマルコよりもよほど聞き慣れた声だ。

 

「コニー! いいところに来てくれた! 助けてくれ!」

 

 コニー……?

 

 聞きたくなかった名前が耳に飛び込んできて、ジャンは頭を殴られたような衝撃を受けた。

 

「嘘だろ……まさかお前まで死んじまったのかよ」

 

 ジャンはふらつきながらベッドを降りた。やっと解放されたマルコが、その様子を怪訝な表情で見守っている。

 

 足が床に沈むような感覚。仲間を失った時の絶望感。まさか死んでからもこんな思いをするなんて——。

 

 一歩づつコニーに近付く。そしてある違和感に気付いた。近付いているはずなのに、いつまで経ってもコニーは小さいままなのだ。爆発的な成長で周囲を驚かせた180センチの身長は見る影もない。ジャンは驚愕し、コニーの肩を激しく揺さぶった。

 

「おい……どうしちまったんだよコニー! 一体何があった!? その姿……まるで小っちぇージャガイモじゃねーか!」

「マルコ、こいつ殴ってもいいか?」

「ああ。強めに頼むよ」

 

マルコは真剣な顔で頷いた。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 懐かしい訓練兵舎の食堂は記憶のまま何一つ変わっていなかった。そこにごった返す同期の訓練兵たちも4年前のまま。そして自分自身も4年前の姿に戻っていることを、ジャンは確認していた。夢の中にいるような気分だが、頬の痛みが「これは現実だ」と突きつけてくる。

 

 

 この世界はなんだ? 死後の世界じゃなかったのかよ。これじゃ本当にタイムリープでもしたみたいだ。

 

 マルコとコニーの後ろをジャンはゾンビのようについて歩いた。すると前方から見知った顔が現れた。

 

 細身の長身——そばかすが印象的な女は、ジャンの顔を見た途端ゲラゲラ笑い出す。

 

「だはは! なんだよその顔は! 今日は一段と男前じゃねーか!」

 

 ユミル——壁外でライナーの仲間に喰われたはずだ。この憎たらしい顔はとても死人には見えない。ユミルの隣には小柄な金髪美少女——ヒストリアがユミルを諫めた。

 

「だ、ダメだよユミル! 笑ったりしちゃジャンがかわいそうだよ! 大丈夫? とっても痛そう……。そうだ。救急箱もってくるよ!」

 

 ジャンの腫れた頬を見て、慌てる美少女。ジャンがよく知る女王の毅然とした姿とはあまりにも違っていた。間違いない。これはヒストリア・レイスではない。4年前のクリスタ・レンズだ。

 

「もう何がなんだかわからねー。クリスタ……やっぱりお前は天使だったのか?」

「はへ!?  ど、どうしたのいきなり……。天使なんて、そんな私は……」

 

 雪のような白肌の頬がみるみる真っ赤に染まっていく。あわあわして否定の言葉を繰り返す彼女は、誰が見たって愛らしい。それが面白くないのか、ユミルはクリスタを守るように抱きしめた。

 

「おいおい。私の許可なく天使を口説くんじゃねーよ。ちょっと優しくされたからって勘違いすんなよ馬面野郎」

「ユミル! そんな言い方——わわッ!」

「お前は黙ってろ」

 さらにきつく抱きしめられて、クリスタはくぐもった声を上げた。

「うー苦しいよぉユミル」

 

 ジャンは魂の抜け切ったうつろな表情で、「ああ、すまねぇ。……俺が悪かった」そう謝ると、二人の横をすうっと通り過ぎた。まったく意味が分からなかった。どいつもこいつも4年前のまま。まるで巨人なんて一度も見たことがないような、腑抜けた面構えをしている。どこに行くともなしにジャンが呆然と歩いていると、横から小走りにきた誰かにぶつかった。その衝撃にジャンは尻餅をついた。申し訳なさそうな声が彼の頭上に降ってくる。

 

「あああ! すみません! 大丈夫ですか? でもジャンも悪いんですよ。ちゃんと前を向いていないから——」

 

 同期のくせになかなか治らない敬語口調。彼女の声を聞いて、ジャンは反射的にバッと顔を上げた。そこには、先の作戦で死んだ仲間が立っていた。

 

「サシャ! お前サシャだろ!?」

「はい? ええまあ……誰かと言われればサシャ・ブラウスですけど……」

 突然の大声にサシャは戸惑って、

「なんだか様子が変ですが、そんなにお尻痛かったん——」

「サシャ! 会いたかった!」

 感極まったジャンが、思いっきりサシャを抱きしめた。

 

 その瞬間、時が止まった。サシャは固まり、ジャンにされるがままに泣きすがられる。数秒の沈黙の後、わっと周囲がざわつきはじめた。

 

「血迷って私の天使にちょっかい掛けたと思えば……なるほどなァ、本命は芋女ってわけか!」

「そうなのサシャ⁉︎  ジャンと付き合ってるの⁉︎」

 ユミルとクリスタの勢いに押されて、サシャは我にかえった。

「違います! そんなわけ——」

「照れんなよ。クリスタも無粋なこと聞いてんじゃねーよ。ジャンを見ろ。愛しい女抱いて涙流してんじゃねーか」

「本当だ……。すごい! すごいよサシャ! お祝いしなくっちゃ!」

 

 まるで水を得た魚だ。訓練兵たちの娯楽は少なく、こういった話題は一瞬で広まってしまう。サシャは真っ赤な顔で焦り、ジャンを引き離そうともがいた。

 

「ちょっと何してんですか! 早く離れてくださいよ!」

「嫌だ」

「嫌だって何を——ッ!」

「お前に肉を食わせるまでは絶対離さねーぞ!」

 

「キャー! 今のってプロポーズ⁉︎」なんて騒ぐ声は、ジャンにとっては些細なものだ。なぜなら、ジャンはサシャ・ブラウスの最期の言葉を知っている。

 

「肉……」

 

それが彼女の最期の言葉だった。あの時のエレンのように人によっては嘲笑する、間抜けな最期だったろう。しかし、ジャンはサシャがどれほど食に命をかけていたか知っている。もっと生きて、安全な世の中で肉を——美味いものを食べたかったろう。なのに、サシャは夢半ばに死んだ。大事な夢よりも仲間の命を大切にするやつだからだ。そんな良い奴で、愛すべきバカだからだ。世界はクソッタレで、良い奴でバカな奴ほど先に逝ってしまうことをジャンは身に染みて知っていた。

 

「おーいみんな! 新たなカップルの誕生だぞ!」

 ユミルが大声をあげると、あっという間に食堂中の注目が集まった。

 

 サシャは湯気が出るほど真っ赤になって、

「やけん、なんべんもいいよろうが! 離れろ!」

 サシャの膝蹴りは見事に男の急所に当たり、ジャンは無言のまま地に伏したのだった。

 

 

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